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れみふぁそら

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2007/08/15
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カテゴリ: ニンゲンの暮らし

8月15日は終戦記念日だ。

本当のところは、「太平洋戦争の敗戦を認めた日」で「敗戦記念日」なんだろうが。

その後、戦争放棄をしたことをかんがみると「終戦記念日」は言いえているな、とも思うが。

私はさすがに太平洋戦争の体験はない。

父も母も、終戦時にはまだ小学生だった。

それでも、父は戦争の思い出を時折話してくれた。


水戸の中心に住んでいた父。
水戸が大空襲を受けたときは、水戸から20キロほど離れた
私の曾祖母の実家に疎開していた。

大空襲の時、20キロ先の水戸市街は真っ赤で火の粉がそこまで飛んでくるようで、恐ろしかった。

大空襲のあと、家にもどったら、近所の神社の木のおかげで
類焼を免れ、その一帯だけが焼け残っていた。
今でもその神社の木は同じ向きに枝がない。

小さいころ、その神社に行ってはこれらの木が家を守ってくれたことを教えてくれた。


父の二人の兄(私にとっては叔父)は戦争に行っている。
上の叔父は終戦後すぐに復員してきた。
でも下の叔父の消息は不明。
昭和21年になっても何の連絡もなかった。
皆が「亡くなったんだ」と覚悟をきめたその年の夏
その叔父は家に現れた。
祖母は「幽霊が出た」と思い、腰を抜かした。
その叔父も、戦争体験は何も語らず20年前に亡くなった。
彼は、なぜ、復員が1年遅れたかについても
誰にも語らなかった。


戦後の食糧難の時代
祖父の商才により、そんなにつらい思いはしなかったようだ。
つまり、闇市をうまく使っていたらしい。
当時の生きる術なのだから、闇市で儲けたことについては
とやかく言いたくないし、言われたくない。
祖父は、闇市で稼いだお金で、身寄りの無い人を雇い
父には専用のお手伝いさんまでいたらしい。

母はまだ小学生といっても1年生で、しかも
茨城の田舎暮らしだったので
戦争の記憶はほとんど残っていない。

戦争そのものではないけれど、私が子供のころは
道端で傷痍軍人がアコーディオンを弾いて
その当時の言葉で「こじき」をしていた。
母は、よくお金を入れては「ありがとうございました」
と言っていた。

今でこそわかるが、子供の私には、何に対して「ありがとうございました」なのか、わからなかった。

そんな、私の戦争にまつわる記憶。戦争を直接経験した人からの教えてもらったものだ。

私よりも1世代下の人たちにとっては身近に戦争経験者がもういない。


これから、戦争経験者が増えないことを
戦争体験は本や画像の中だけになることを

そう、祈っているし、そうしなければならない。






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Last updated  2007/08/15 01:33:51 PM
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Re:祈りの日(08/15)  
E-EEL  さん
私の母方の祖父も戦死者です。
盆や彼岸で軍人墓地にお参りに行く度、
今の平和を思います。
同じ過ちを繰り返してはいけないと・・・
れみさんが母上様とご覧になった傷痍軍人、
私も幼い時目にしています。
何故ああなったのかを忘れぬよう、
母に言われた事がありました。
どこの国であってもどんな人であっても、
争いを避け平和に暮らして欲しいと、
心から願わずにいられません。
(2007/08/15 03:08:31 PM)

こんばんは!  
私の祖父も戦死し、またその兄弟も2人戦死しています。
先日、祖父が戦死した年齢を追い越してしまいました。
祖父やその兄弟の3人がいったいどのような気持ちで特攻隊として出発して行ったのか?と思いをめぐらせます。
そして今年も1年間で原爆が原因でなくなられた方のお名前が、
広島では5221人、長崎では3069人奉安されたと聞きました。
(ちょっとくどいのですが四捨五入してはいけない数字と思ったんです)
終戦は迎えてもまだ戦争は終わっていないように
感じます。
戦争も核兵器もあってはならないですよね。
でも、最近の日本は・・・私たちで最近の暴走をとめられるのかなぁ~?って思います。
(2007/08/15 07:19:58 PM)

Re:祈りの日  
keikei さん
そうですね。
兵隊で辛い経験をした人は、あまり語りません。この時期、ドラマなどで色々と見ますが、それを通じて子供たちに教える良い機会です。
戦争が如何に虚しく悲惨なものなのか。
平和が如何に素晴らしいものなのかを。
本当に本当に、あってはならない事です。
私の父は終戦時17才で中国で鉄道員をしていました。最年少だったそうです。その集いが、戦後62年経った今もあります。最年少だった父は既に亡くなり、上の方々も随分と亡くなりました。でも母が参加しています。
母は街中で育ったのですが、小倉の空襲を遠目に見たそうです。空が真っ赤で。
里帰り中の今ですが、大戦中、捕虜になった米兵が炭鉱で働いていたという話を聞いたりしました。
戦後初めてガイジンを見た時には恐ろしかっとか(^_^;)。今は当然平気で自分から話しかけるような具合ですが。
国の争いなんて、迷惑な話ですね! (2007/08/16 12:22:32 AM)

Re:祈りの日(08/15)  
moon★okan  さん
今さきほど、ニュースで、戦死した方の遺骨がまだ
沖縄や、フィリピンなどに何万人と残っていて
国は、もう収集は終わったということで何もしない。
遺族の家族、消息不明になったまま待ち続けている家族にもなんの連絡も入らないままですでに戦後62年??いえいえ・・・・戦地に残された人がもどってきていないのに・・・そのままなんて・・・戦争ってまだまだ終わってないやんかぁ。。。と思いました。

でもほんまに考えるとね~~1世代下の人たちにとっては身近に戦争経験者いなくなっていくんだね~
でも語りついでいかないといけない。
日本にとって8月は、ほんまに大事な夏だね。

(2007/08/16 12:50:08 AM)

Re:祈りの日(08/15)  
39hana  さん
小さい頃、私も水戸に住んでいました。
母の家は、霞ヶ浦の飛行場から発っていく若い軍人さんを、飛び立つ前に預かる役目だったそうです。
白い帽子で商店街で頭を下げる傷痍軍人さんが、何も知らない子供の私にはただただ怖く、アコーディオンの音色もただただ嫌でした。
もう、私の祖父母もおらず、戦争の実体験を聞く機会は、ますます減っていきますね。
8月15日がどんな日か知らない若い人たちが街にあふれてて、私も普段は過去の戦争を思わない。
だから、改めて毎年せめてこの日、過去に思いを馳せ、祈ることは大事だと、私も思います。
(2007/08/17 09:54:48 AM)

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