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いつも読んでくださり、ありがとうございます。引越しをすることになりました。http://festival.exblog.jp/が新しい住所です。連日House Warming中です。ぜひお立ち寄りください。
2004/10/14
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小鳥のふぁいちゃん、今までありがとう。心からあなたの冥福を祈ります。いつもはなれていて何も出来ずにごめん。
2004/09/26
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一昨年に続いてのマークス先生のお宅でのBBQ大会。今回も企画の段階から実行委員としてとっぷり浸っていたので、 当日の朝、天気が良さそうなのを見ると、何だか既に達成感。 Petersfieldというところに近い先生のお宅まではバスをチャーター(参加総数は40人強)。先生のお宅に行く前に地元の 観光地へ、と思ってSouth DawnというところにNational Trustの管理する邸宅があるのを発見し、そこに行くよう運転手に指示。 ところが、だ。丘をくねくね登って到着したその邸宅は土曜日なのにClosed。「皆さん森の奥に行けば素晴らしい景色が見えるかも」といったはいいけど森が続くのみ。ああ、ちゃんとした調べしとくのだった。いつもどこかこうして私は詰めが甘い(わかっちゃいるけど直らない)。気を取り直して先生宅に伺うと、すでにTescoに頼んでいた食材も届いており、早速BBQの準備にとりかかった。今回は新しい機械が2台。MayfairのAllen&Coというお肉屋さんから取り寄せたハンバーグやお肉の塊。そしてとうもろこしやらをどんどん焼くけど、もうハンバーグが巨大で、ハンバーガーにして食べた時点で既に満腹。いろいろと手伝いに忙しそうなふりをしてみたり、お子達とビーチバレーをしてみてもぜんぜん消化されなかった。でも、今回のBBQは食の追及というよりは、太陽のもといろいろな人たちとビールを飲みおしゃべりし、という社交。卓球をしたり、先生の広大なお庭の杏をもいだりしているうちにあっという間に時がたってしまったのは2年前も今回もいっしょ。日焼けが気になるほど天気が良かった1日だった。マークス先生は一見堅い方に見えるものの(「ひ弱な男とふわふわした女の国日本!」のような日本の脆弱さを糾弾する!という風タイトルの著作の著者という感じ)、その実非常に気さくな(節度をもたれた気さくさ)方で、「全く配達されたテスコの荷物が家中溢れて大変でしたよ」などと文句を言いながら、最後には「またぜひ皆さんでいらっしゃい!」と言ってくださる、ちょっと天邪鬼っぽいところがまたよろしい。その後の打ち上げ会にて先生とたまたまお話したところ、某女子大学の教授をなさっている先生は、毎回の授業では必ず学生に「その日の授業で学んだこと」のエッセイを書かせ、誤字脱字にいたるまですべて毎回チェックなさるそう。またゼミの論文でも自分の詳しいテーマに関わらず、学生が興味を持ったテーマで研究できるよう鼓舞して、それを読むため自分も勉強するとか・・・先生の魅力(というのもおこがましいが)はこうした地道な努力をたんたんと続けられるところかも。
2004/08/21
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4年前のシドニーオリンピックを見ていたのは、もうすぐ留学も終わるというロンドンでだった。日本に帰国前の駆け込み旅行と称して、ウイーンに遊びにいった夜中に見続けてしまった高橋尚子。住んでいたフラットの引渡しのインベントリーチェックで大家さんを待ちながら付けていたチャンネルでは閉会式の真っ最中で、自分のロンドン生活の終わりと寂しい閉会式の模様を重ね合わせてしまったっけ。そして4年後のアテネオリンピック。私がオリンピックで一番好きなのは開会式。入場行進の面々を見ていると、自分の知っていると思っている「世界」はまだまだ一部なのだと思う。何とかギニアとか、聞いたこともないようなアフリカや中南米の国々が華やかな民族衣装で意気揚々と行進するのを見るのは本当に楽しい。カメラやビデオを手にはしゃぎながら行進する人たち、イラクの人たちに自国の行進に次ぐかの大きな声援を送る観客たち、テレビカメラにいたずらするイタリア人やスペイン人、2時間もかかる長い行進なのに全く飽きずに引き込まれてしまう。ただ、日本のユニホーム。あれはいかがなものか・・・と。何かしらいつも中途半端なんだよなあ。いっそのこと浴衣姿で入場すればいいものを。あと開会式でのビヨーク登場には驚いた。彼女の歌は何かSpritualなものを感じるけれども、「ダンサーインザダーク」の救いようのない悲劇のイメージがあの声には付きまとってしまって。。。ああいう場にはやはりパバロッティのような底抜けの明るい派手さが似合う気がする。そして連日目が離せない。このときばかりは、「がんばれ ニッポン!」と愛国心が大爆発(あと水泳のピーター)。ただ周囲を見渡すと、日本でみなが睡眠不足・・というのは対照的にこちらでは全く盛り上がっていない。アテネとは2時間の時差であるため、水泳の決勝がちょうどこちらの5時過ぎから。いつも会社のスポーツジムに行き自転車を漕ぎながら手に汗握って見ているのだけど(一人一台のテレビ)、周りを見渡すとオリンピックを見ている人は3分の1くらいで、あとは普通のドラマを見たり、ミュージックチャンネルやBloombergを見たり。なぜだ????まあ、イギリスが強いスポーツはSailingとか乗馬とかカヌーとか比較的Minorというか、上層階級の人たちのスポーツだし、フットボールが参加していないことも理由だろう(オリンピックはワールドカップと違い英国として出場をしなくてはならないため、犬猿の仲であるスコットランドとイングランド(そしてウェールズも)の合同チームとする必要がある。何年か前に試みられたが、監督や選手の選抜段階でおおもめにもめて、チームプレーどころではなくなったので、出ないことに決めたのだって!)。それでも、水泳やら柔道やら、体操やら、世界のトップの選手たちが集まり、様々な競技を楽しめる4年に一度の機会なのに、ちょっと関心が薄すぎませんか???今週末は女子マラソン。Qちゃんの欠場は今もって残念だけど、早起きして応援しなくちゃ!
2004/08/19
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今年のはじめ、日本に帰国した際に前から何かとモノにいろいろとこだわって暮らしてる友人が薦めてくれたお鍋「ル・クルゼ」。ずっと欲しかったのだけど、今回バーゲンであまり何も洋服も買っていなかったこともあり、割引をしていたこともあって、ちょっと奮発してAmazonで購入してみた。会社に届いたその小包はずっしり重くって、さすがル・クルゼと期待は高まる。本日はそんな鍋の初活躍。メニューはビーフシチュー。ル・クルゼは煮込みでこそ実力発揮!のはずなのだ。ビーフシチューというと、その昔おせち料理の準備で母や祖母がばたばたと年末を忙しく駆け回る中、私の任務は自分の部屋の片付けとお風呂掃除とそしてビーフシチュー作りだった。ニンジンを面取りして、牛肉を小麦粉とワインで下準備して、隠し味と称してソースを入れたりして、ことことことこと。何時間も何時間もかけて味見をしながら煮込んでハイ出来上がり。そんなビーフシチューは31日に完成して元旦、2日と食べるうちにどんどんとおいしくなっていって、「ああうまーい!!」と思うころにはもう底をついてしまう。翌日のカレーも正月3日のシチューも一番しっくり煮込まれたところで終わりになってしまうその「切ない」?!気分が何とも言えない。だから今日も初ル・クルゼでビーフシチュー。時間がないのでトマトの缶詰をピュレにして煮て、フォンドボーのルーを入れただけだけどとてもおいしい仕上がり。付け合せのガーリックブレッドもこんがり。ああ幸せな夕食。明日の朝はもっとおいしくなっているんだろうな。楽しみ楽しみ。
2004/08/11
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5月末のドイツの鷲の巣の頂上にての会話「ばっちり!この曲で決まりだよ!」「約束だからーのリフレインが見せ場だね」「ねえねえ、二人で桜っことひまわりっこですっていうイメージはどう?これで二人の人気がでちゃったらどうする??」「実行委員長と友達だから受からないわけなし!」「もう一度二人でハモらない?約束をー守れたならー」「完璧。アリパリに行くぞー」7月24日。夏の個人的な大イベントであった「のど自慢 In London」の開催日。冒頭での会話はその2ヶ月前に厚顔無恥?!なM&M二人組がのど自慢での成功を目論見、交わした会話の一部。高山で空気が薄かったせいなのか、山の頂上にて妙にハイテンションだった二人はその場で選曲をして、練習をして、応援団の組織まで考え、その夜にはロンドンにいた私のパートナーに電話をしてウェブでの申し込みを強要したところだった。運よく(実際に出場していたら赤っ恥どころではなかった)抽選漏れをしたものの、しばらくの間、このネタで内輪で盛り上がっていたものだった。そして観覧者として迎えた当日。場所はアリパリことアレクサンドラ・パレス。ロンドンの北東の高台にある建物。C&JカップルとKちゃんとパートナーの5人で開演時間ぎりぎりに向ったら、席は後ろーのほう。座席指定だと思い込んでいたのに、こんなことなら早起きするんだった!出場申し込みは750人、観覧者は4000人(ロンドン人口の9人に一人がいった勘定)。いつも朗らか宮川アナウンサーが来てオンエア前の挨拶。オンエアに向けて高まる緊張。生放送の現場という感じで単なる観覧者なのに自分の気分も高揚してしまう。そしてオンエアー。冒頭にロンドンの紹介ということで、いわゆる教科書的ロンドンの風景(ビッグベンにバッキンガムパレス。衛兵交代にパブの英国紳士)が映し出される。もしも自分が5分間のビデオクリップで好きなロンドンを撮れと言われたら、何を撮るだろうか。テムズ河のRFHか日光浴する人が一杯のリージェントパークか、川沿いの散歩道も好きだし。。。5分ではとてもじゃないけど撮りきれないな。そして25人の出場者の歌。日本人以外が半分くらい。海外大会ならではの特徴だから、それはいい。だけれどもチャンピオンとなった人を含めて、ちょっと引っかかるのは、それ1曲だけを日本語で練習して(私だって1曲くらい、覚えればロシア語の歌だって歌えるさ)、やってきた人たち。のど自慢は、本人にとっては大切な一曲である日本の歌に気持ちをこめて歌うからこそ、あの「NHKののど自慢」だと思う。おそらく歌詞の意味もあまりはっきりわかっていないような人々(偏見だろうか?)が歌っても、それは単なるのど自慢。そうした気分が抑えられなかったため、かえって「この道」を朗々と歌い上げた英国紳士や、おばあちゃんのお葬式にかかっていたといって「川の流れのように」を歌った人は心に残った。でも相対的には、エンターテイメント性がいつもより倍増した楽しい大会だったように思う。そして、小林幸子と森進一。オンエアでは新曲を1曲ずつ歌った二人だが、終了後に特別ということで、小林幸子は思い出酒と雪椿、森進一は襟裳岬とお袋さんをサービスしてくれた。いやあー、やっぱりプロだわ。小林幸子は緩急つけた演技のような歌を見せつつ、本人の持ち味である人のよさがいたるところに見られるパフォーマンス。そしてしわがれ声で話す声も聞き取りづらい森進一は、歌いだすと一転して、深くいぶし銀的な海鳴りのような声。ああ、襟裳岬はいい歌だった。
2004/07/24
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我が家のホテル化が明日で終わる。先月半ばに両親が来て2週間滞在。その数日後に台湾からの友人が来てそのまま2週間滞在しているので、1ベッドルームの狭い部屋に人がひしめき合う暮らしがほぼ1ヶ月続いたことになる。先週から1週間ほど風邪をひいて咳き込んだり、会社を休んで寝ていたりしていたので、台湾人の友人はバクテリア・ハウスに滞在しているようなもので、申し訳ないことをしたなあ、と思っている。さて、随分と間が空いてしまったけれど、この間したことをずらずらと・・・ 1) 誕生日を迎えた! 当日は台湾人の友人とシンガポール人の友人とパートナーでマレーシア料理を。 2) 風邪をひいた! 今回の風邪は久々に長引いた。ちょっと良くなったかな、と甘く見てすぐに外出したり飲んだりしてしまったことが原因とも言えなくないが3) 「白線流し」を見た! 風邪にて二日ほど会社を休んだり、外出を控えたりしていたため、意外とゆったりとした時間があったので、見たのだ。日本にいた頃はトレンディドラマ好きで(好きというか一回見出すとしつこく見たくなる性質だった・・)、いろいろ見てたけど、その中でも印象に残っているのは、これと、「君が嘘をついた」の二つ。10年ほど後に再度見てもやっぱりはまって、ちょっと胸をきゅんとさせている私は、年甲斐がない・・・4) 仕事で大失敗をした!いやあ、久々に血の気が引く失敗だった。仕事経験が長ければ長いほど、こういうポカミス回数も比例的に増えるが(Y=0.5X+2くらい。決してY=2Xではないからいいか・・・)、ああでもしないのが一番。流してはいけないEmailをグループアドレスを間違えて送ってしまった。すぐに気づいてくれた人が慌てて飛んできてくれたので、リコールしたし、たまたま運がよく流してしまっても害はなかった案件だったけれど、結果オーライに満足していてはいけない。ことがことなら大問題になっていたからだ。最近ちょっと慣れてきたかな、と2ヶ月前までの慎重さが薄らいできたところ(それを自信の表れと過信していたし)のこの出来事だったので、一層頭が冷えた。まだまだ、まだまだ。 5) その他 稲門OB宅でのワイン会、友人の子供を預かってコロッケの夕食、ジョギングチームでランニング会、2日間で3回のBBQパーティー参加など・・・こんなことしているから風邪が完治しないんだ!!
2004/07/19
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あわただしい2週間の滞在を終え、両親が日本に帰って行った。今年も到着の翌々日がロイヤルアスコットとコッツウオルズ。その後もウィンブルドンのテニス観戦に中欧の旅など毎日フル回転の二人。そしてその合間には父親が腕をふるって肉じゃがやらてんぷらやら焼き豚を作って仕事帰りの私を迎えてくれた。旅の間もほぼ朝の9時から夜9時まで外に出っ放しで電車に揺られたり山中で雨に降られたり・・・そんなタフな旅行も楽しい楽しいといって付いてきてくれると、やはりとてもうれしいし、そんな苦行?!を文句もいわず淡々とこなせる体力に「まだまだめちゃくちゃ元気だなあ」と普段遠く離れて気にすることもできない身としてはほっと安心もする。毎年のこととはいえ、やはり帰ってしまうと文化祭の後のようなちょっとぽっかりとした寂しさが残ってしまう。おセンチな置手紙(親不孝の私は出社して見送りにも行かず)がしてあったりすると、そんな寂しさを紛らわすかのように仕事あとなのに掃除機をかけたりして動いていたくなってしまう。また来年も二人元気に遊びにこれますように。
2004/07/01
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うちの会社では毎年4月後半から3ヶ月弱の間、CTW(Community Team Work)と称して、全社の社員に様々なボランティア活動を奨励することになっている。普段資本主義の波に乗った悪魔のような言われようをしている業界だからして、イメージ改善、信用構築といったスタンドプレー的な色彩は否めないものの、それはいろいろな活動が用意されており、私のように一度もボランティアに関わったことがないものを「この機会に」と思わせてくれる。例えば、山のごみ拾いにおにぎりむすび。丸太切りに障害者マラソンのヘルパーなど様々な企画があったが、私が今回選んだのは、Disableの人々と郊外の植物センターに行くというもの。昔住んでいたHammersmithから歩いて20分ほど、テムズ河のほとりの広大な沼地を保全、保護して作った自然のままの沼地に様々な植物が生え、鴨が住んでいる。とくに珍しいものが見れるわけではないが散歩するにはよい土地。今回は大人のDisableの人々が暮らす施設の20人くらいをその施設ボランティアの人3人と植物センターのガイドの人2人、そして我々の会社の10人で引率するというものだった。ダウン症の人や少し自閉症気味のような人などメンタルな部分で障害を抱える人々ということで少しナーバスに考えたが、それは知らないことによる偏見というもの。正直言うと誰が引率の施設ボランティアの人で誰が障害を抱える人なのか私は区別がつかないくらいだ。もちろん年齢を考えると多少子供っぽさが目立つ人がいたり、なかなか口をきいてくれなかったりする人もいるものの、施設の人々がお互いに支えあって、はしゃいでいる様子をみると、私自身も同じく遠足気分に。ずいぶんといろいろな人といろいろな話をした。フットボールの話、イギリスの政治の話、施設での生活の話などなど。私自身のヒアリング能力がNativeレベルでないため、理解するのが難しかったりする場面があったものの、しつこく聞けば、何度も一生懸命発音して身振り手振りをつかって話してくれたりした。「今日はがんばって皆の役に立とう!」と最初は思っていたのに、いつのまにか自分も中に入って笑ったり鳥を眺めたりしていて、すっかりいい1日を楽しませてもらったように思う。同じ会社の人とは「すっかり楽しんで、役に立っている気がしなくて少しGuiltyだね」などと言い合っていたけれど、ボランティアの経験もなく、最初から「役に立とう」などと思うのは思い上がりかもしれない。施設ボランティアの人々を見ると、彼らはやっぱりプロとして動き方をしっており、そのようには経験なくして振舞えないと思う。そう思うと、1年に1回のCTWは、「社会の役に立つ」というよりは、むしろ今までの偏見や思い込みやらを正す我々の社会短期勉強のためなのかもしれない。
2004/06/17
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朝起きて、いつものとおりマラソン。途中でおなかが痛くなってしまったので、5Kほど。その後Eustonまで歩いて書きとめ郵便を取りに。本当は会社に転送してもらおうと思って、郵便局に電話をしていたのに、丸1日、つながらない。話中だったり、延々と呼び出し音がなったり。。。。イギリスの郵便は本当に当てにならない。先週も金曜日のコンサートのチケットをあげる!と友人が月曜日にFirst Classでチケットを送ってくれたのに、それが届いたのは何とコンサートも終わってしまった10日後。おまけに先週ドイツに行くために買ったバスのチケットも旅行が終わってから届いている始末(これは事前に連絡して何とかなったけど)。First Classにしてチケットが届くのに10日(しかも同じロンドン市内)というのはどういうこと??これじゃあ心配で、何も配送できない!!お昼は友人がアレンジしてくれてBaker Streetで飲茶。8人ほどが揃って(イギリス人、香港人、中国人が混じったインターナショナルディムサム)食べると、いろんな種類が味わえて楽しさ倍増。
2004/06/05
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休んだような休まなかったような週末だった。したことをずらずらと。土曜日は朝12KM程走って市場で買い物して、そのあと午後は北のWoodsideパークに住む友人のうちを訪ねる。彼女と会うのは、滋賀の小学校時代に同じ社宅に住んでいて(学年は彼女が一つ下だけど)、卒業と同時に東京に転勤してしまったのでそれ以来のこととなる。実に20うん年ぶり。なのにどことなく面影が残っていて懐かしくなる。母親が彼女の母親と年賀状のやりとりをしていて、それでお互いの娘同士ロンドンでせっかくだから会えば?ということになった。ロンドンにいなければきっと二度と会うことはなかっただろうに。ここに住むことにはこういう嬉しい効用もある。1歳の子の母となっている彼女とUK癌リサーチセンターで勤めるその旦那さん、パートナーと4人で昼下がりのひと時をたわいもないおしゃべり。そしてその後は同じ地域に住む元N証券での友人の家を夕餉時に訪ねる。最近やっと長いトンネルを抜けたパートナーが上機嫌で話に身を興じるのを横で見たり、おいしいシェリーとポルト酒を飲んだり、ああ素朴ながらいい休日。そして翌日日曜日。朝8時から夜の我が家でのパーティーの仕込みと大掃除。仕込みを終えて、近くのマラソン仲間のおうちへワインパーティーへ。いいかげんヨッパラって帰ってきて、あと1時間で人が来ることに気づき焦って料理再開。そして本日のメニューはAlmost Veggy(インド人の友人がベジタリアン)。・ほうれん草とジャガイモのキッシュ・ラタテュイユ・ドリトスとアボガドディップ・プチトマトとイタリアンパセリのサラダ・白身魚とえびのさつまあげ風・なすの中華漬け・定番散らし寿司このあわただしいスケジュールの中で作ったにしてはなかなかの手際よさ(自画自賛)。先週に引き続き辞書を使ってPictionaryで盛り上がってみたり、10人が揃っての騒がしい夜だった。さすがに皆がかえったあとはばたん!来週からの仕事に差し支えそう・・
2004/05/22
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3週間の比較的ゆったりした日本滞在を終え、5月2日に帰国した。久々に「帰ってきた(「ロンドンに帰る」という感覚がいつのまにか定着してしまった)ロンドン」は2日こそ暖かい陽気だったものの、翌日からは肌寒く雨がちな天気で、午後8時過ぎまで落ちない陽がかろうじて5月だということを認識させてくれるだけ。でも、バンクホリデーの月曜日にひさびさに雨の中散歩に出かけたRegent Parkでは、チューリップが盛りを過ぎ、緑が濃くなり、アヒルの子供たちがいつのまにか育っているなど、季節は知らぬ間にどんどん進んでいた。さて、今回は滞在期間が長かった上に、久々に規則正しくOL生活も送ったため、年末のイベントフルな慌しく帰郷よりも、ずっと落ち着いた「東京生活」が堪能できた。17日には鎌倉へ。久々に藤沢から江ノ電に乗りゆっくりと出かけた。春の味覚を駆使した雲水料理に舌鼓を打ち、長谷寺で芍薬を愛で、友人とゆっくり散歩をした。鎌倉や横浜に来ると、高校生や大学生の頃を思い出して、とても懐かしい気持ちになる。特に通いつめたわけでもないのに。翌日18日は弟とその彼女でラーメン屋めぐり。三軒茶屋にある和歌山ラーメンのマッチ棒と恵比寿の山頭火。帰国のたびに環八や環七へラーメンめぐりに付き合わされる弟には申し訳ないものの、こうしたB級食を3人で囲むのもなかなか。ウィークデーは六本木ヒルズにあるオフィスに通っていたのだが、ここからの見晴らしのすばらしいこと。ほんの10年(こうした言い方をすること自体、年をとったな、と思う)ほど前は新宿の高層ビル群や都庁が目立っていたのに、今はそうしたビルは都内のあちらこちらに散らばっていて、拡散した大都市になったなあ、という気がする。翌週の週末は秦野から鶴巻温泉までハイキング、と張り切ってみたはいいけれど、雨がずっと降っていて、特に山奥を歩くときなど雷がびりびり鳴っていて、久々に雷に怯えてしまった。3時間半歩いてたどり着いた温泉は公営にしてはきれいで露天風呂まであり、そこから見た雨だれは風情が多少あり。日本に何か輸入できるとしたら温泉とおいしいラーメン屋と本屋だな。29日は生命保険会社時代の先輩の結婚式。超美人ファゴット奏者の彼女が選んだ相手は同じくファゴット奏者の社会人オケの仲間。彼女の幸せ話はしばらく前から帰国のたびに聞いていたので、今回その噂の彼を初めて知ることができ、とてもうれしかった。ファゴットの合奏やその他オケメンバーのカルテット、ほんわかユーモアの司会などの力もあり、1次会(国立劇場のイタリア料理レストラン)と2次会(新宿のなだ万系ブラッセリー)ともにとても楽しい結婚式だった。生命保険会社時代の同僚や上司の人々と久々にお話できたのも楽しかったし。知的で美しく、毅然としていて、それでいて何か大変なことがあったときには相談してしまいたくなる懐の深さをもった彼女と優しい笑顔の旦那様。いつまでもどうかお幸せに!今回久々の社会生活を東京で送って思ったのは、タブーというか敢えて触れないでおくポイントがこちらと日本ではちょっと違うな、ということ。うまくは言えないのだけれど、例えば結婚式のスピーチでやたらと「早く次はお子様を!」の定番コメントが聞かれると、なんとなく「余計なお世話?」といった違和感を覚える。逆に会社の中では、ランチの間に話題が彼氏の有無など多少プライベートに近いところに漂うと、皆が口を噤んでしまうので(慣れてくると話だすけれど)、最初のうちは本当に当たり障りのない話題しかなくなってしまうとか・・・どちらがよくって、どちらが悪いではないけれど、ロンドンでの阿吽の呼吸になれてしまった身としては、ちょっと気を使う機会も多かった。そのほかにもいろんな友達といろいろとおいしいものを食べにいった。東京では皆忙しくって、どんなに親しくても3ヶ月に1回くらいしか会う機会がない人も多いみたいで、1年に1、2回しかこうして会えなくてもキャッチアップはある程度できている気がする。また出張できればいいのにな。今度は枝豆がおいしい夏がいい。
2004/05/02
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いやはや忙しい4月。パリで走ったかと思うと、カプリで歌って、そしてその翌々日には日本へのフライトの中。今回は3週間弱のビジネス。従ってわーい!!ビジネスクラス!!ビジネスクラスになぞ慣れないものの恥ずかしさで、サービスは全て使いまくるぞ!とまずは空港でフェイシャルマッサージ(バージンアトランティック特有のサービス)。そして機内では当然シャンペンからスタート。機内でも肩もみマッサージをオーダー。ああいやだ。私がスッチーならば一番いやなタイプの客だな。でもバージンのいいところはやはり機内のプログラムの充実度。映画を60本近くの中からすきなタイミングでビデオのように見られるというのは素晴らしい!12時間の飛行時間中に3本も見てしまった。「モンスター」と「恋愛適齢期」そして「Big Fish」中でも一番よかったのはビッグフィッシュでティムバートンらしい映画。この人の映画を見るといつも、「映画は顔で作るものじゃないな」と思う(彼の姿はいつもシザ-ハンズを思わせる)。この映画は愛すべきほら吹きダディの話しなのだけれど、この法螺にはくすりと笑ったり、はらはらしたりして久々にわくわくとお話を待ち望む子供の気持ちに帰ったような気がした。快適な飛行のあとは、一路実家へ。3ヶ月振りだけどこんなにすぐにまた皆が元気なのに会えてよかった。さあ明日から久々の東京OL生活だ。
2004/04/14
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「負け犬の遠吠え」に典型的な負け犬ストーリーと称された「アリー・マクヴィル」と「ブリジット・ジョーンズの日記」と「Sex&theCity」(悪いが全部見ているよ!)。その中でも一番好きだったS&C(親に薦めようと思ってタイトルを言うときにはいまだに恥ずかしい・・)の最終回。米国ではすでに1ヶ月ほどまえに終わっていて、雑誌のあちこちで最終回の批判やら説明やらがいっぱいでていたけれど、できるだけ目にしないようにして、金曜日というのに家で食事をして、英国での放送にむかう!特別版で1時間の放送だったが、その前に4人へのインタビューやこれまでの恋人・ファッション遍歴などの総括が放送され、別れ難い気持ちが高まりしみじみ・・・ああこれで好きなドラマを毎週楽しみにする気持ちがなくなってしまーう(でもアリシア・シルバーストーン復活のMiss Matchはちょっと最近有望株)。まあ最終回としてはお定まりの「喧嘩があっても慣れがあっても長い付き合いが一番!(男でも住む土地でも)」というものだった。私は主人公のキャリーがどうしても好きになれない(いい年して年甲斐がなく、自己本位のくせに偽善的なところがちょっと臭うから)。でも男気があって、Practicalなミランダや、ストレートで欲望に忠実なサマンサ、少女っぽくって、おセンチなシャーロットはそれぞれにとても好き。特に最終回に近くなるにつれて、パリに憧れるキャリーに現実的な意見を悪者になること覚悟で率直に言い、だんなの母親のボケに逞しく、サバサバと豊かに対応するミランダの姿にやや感動。。。したりしていた。これで毎週金曜日の楽しみはなくなってしまったけれども、「もうちょっと見たかったのにー」くらいで終わるのが一番いい終わり方。アリシアの今後に期待。
2004/03/19
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仕事で手一杯なので、珍しく寄り道もせず家に直帰という毎日が続いている。クタクタという訳ではないけれど、セーブして明日への余力を残しながら就寝したほうがいいかな、という感じ。でもそろそろ人恋しさも募りつつあるので、来週くらいからは、仕事後に友達に会ったり、ジムにいったり(会社の中にあるので便利)、予定をどんどん入れよう。というわけでここ2週間、家に帰ってからはSex And The City(あと2話でおしまいだー!)やSmack The Pony(大傑作のイギリス ショートショートコメディー)の再放送なんかを見ながらダラダラとすごしてばかりいる。仕事は相変わらず山谷ばかり。「なかなか手際よく慣れてきたぞ」と思ったり、ボイスメッセージすらも設定できてなかったことにやっと気づいて、電話がまったく鳴らなかった理由がわかったり。この会社ではやたらとボイスメッセージを多用しているみたいで、電話での会話を残して、それを他者に転送して会話報告とすること等がショッチュウ。20分もの長い電話会話をぼーっと聞きながら手元では次から次へと別件のメールを処理する、という、聖徳太子(In English)となるには、まだまだまだまだ修行が必要。ボイスメッセージは相手の時間を限定しないので、Emailと同様効率的なコミュニケーション手段だけれども、特に母国語ではない言語の場合、Face To Faceのコミュニケーションと比べて、「理解しやすさ度合い」ががくんと減ってしまう。いかに、言葉そのもの以外に現れる情報に無意識に頼ろうとしてしまっているかということだな。修行、とにかく修行。
2004/03/10
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家に帰ると何も考えず、頭を空っぽにしたい消耗の日が続く。といっても月曜日と火曜日、まだ2日間だけれど。月曜日から新しい会社へ出社。同僚の人たちに挨拶したり、名前をいっぺんで覚えようとして無理だと認識したり、トイレの場所を確認したり、社員食堂のシステムを教えてもらったり、どんなメニューかにわくわくしたり、セキュリティーカードの写真を撮ったり、パソコンのセッティングに時間がかかったり、早速山ほどのマニュアルを渡されたり、慣れないテクニカルタームの頻出で眠気と戦いながらそれを読んだり、いきなり会議に連れていかれて透明人間になってしまいたかったり。いろんなことをしたようで、それでいて何一つまだ身についていない気のすることばかり。朝の駅から会社までの道のりで「積極的かつ前向きな態度で対処できないものはない!」と気合をいれ、帰りの会社から駅までの道のりで「今日もアクティブだった。明日もがんばろう」と誓ったりするけれど、家に帰るとただ、だらーんとただしたくなる。職場の人々は皆とても親切でスマートで善意にあふれていて、とてもありがたい。夜はだらーんとして翌朝また張り切って会社にいくことを当分繰り返せば、もっとそのありがたさを理解できたり、百分の一でもなんらかの形で返せたりするのかな。久々の気負いと消耗を抱えながらそうなれるよう貪欲に毎日を進めようーっと。週末は入社前ということで比較的落ち着いた日々。とはいっても、土日であわせてRegent Parkを5周。特に土曜日は久々に(8年ほどまえに河口湖1周14Kmマラソンを走って以来かも)10Kmを超える距離を走った。驚いたことにほとんど筋肉痛は残らず!!まだまだ行ける。まだまだ。夜は遅ればせながらLord Of The Ringsの1と2をDVDで見た。昔1を見たときは途中で眠くなって止めてしまったけれど、今回こうして改めて見てみるとStar Warsに近いものがある。特撮というだけではなく、核となる思想があったり(Sの場合はForceで、Lの場合は指輪そのもの)、善悪の取り扱い方が近かったり。Finalをまだ映画館でやっているうちに見に行かなくては!!
2004/02/24
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今週は現在の会社で働く最後の週。社会人歴は11年程度だが、現在の会社で既に3社目。何だか典型的な転職族。日本からここに転職したのもわずか2年半前なので、慣れたものに対する離れがたさのようなものは正直あまりなく、場所的にも非常に近いところが新勤務先なので、会いたい人とはまた会えると思えば感慨もない。長く勤めないことには情のようなもの(それに付随して義理やらしがらみやらも生まれるのだが)は生まれない。そういったWetさが仕事の面で全くないことが、かえって転職族の一番寂しく思うことかもしれない。新しい会社はやはり同じく金融だが初めての外資系で、米国系の銀行だ。これだけ転職を繰り返していると、「外資ばかりでしょう」というイメージを持たれるのだけれど、不思議とずっとドメスティック金融機関ばかりだった。「禿げ鷹外資」の実の姿はどんなものなのか、実際に見てみるのがとても楽しみだ。仕事も同じ金融系とはいえ、全く別の視点が要求されるもの。環境も同じ部署には日本人が一人もいない、という逃げ場のないもの。この2年間ぬるま湯に漬かってきた自分にとっては、いきなり全身打たせ湯に打たれるようなもの。今日月曜日の朝について新しく勤める部署の人に電話をした。面接のときにも会った非常に感じのよい明るい人が電話に出てくれた。私の名を告げるとすぐに誰だかわかってくれて「Are you excited ? We also」と言ってくれたのがちょっと嬉しかった。「よおし!」と思った。多分しばらくはきつい大変な時期が続くのだろう。だけれどこうしたちょっとした人の暖かさや厚意により敏感になったり、「よしよし、やってみよう!」と小さくつぶやく機会は確実に増えるだろう。そう思うとやっぱり転職は楽しみだ。去る会社からの最後のプレゼント(?)なのか、今週会社のすぐ横の庭にて映画「Closer」のロケがやっている。キャストはジュリア・ロバーツにジュード・ロウ。管理が厳重でこの庭にCloserに寄ることはできないものの、遠巻きに見たり、また社の2階から見たりすることはできる。薄っすらと雪を降らせた公園での二人のラブシーンも見てしまった!!双眼鏡がないため顔の造作まではよくみえないけれど、ゴージャスなソバージュヘアに包まれた細い顔はまさしくジュリア!この映画の公開がとっても楽しみだ。
2004/02/19
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Ego Wrappin’。一昨年の年末に日本に帰国したとき、弟が「絶対姉ちゃんはこれが好きだよ」と言って聴かせてくれたのが彼らの「色彩のブルース」。メローなブルースとハスキーな味のある中納良重のボーカル。普段聴くのはクラッシックかジャズ一辺倒。いわゆる日本の歌謡曲には、高校大学時代の久保田利伸以来殆どはまったことがなかったが(だからカラオケではとっても辛い)、これには久々に嵌ってしまった。アルバムを買い漁って日本に帰国以来好んで鑑賞。最近では新しく買った我Clara(Ipodの名前)に曲を溜め込み通勤中も聴いて、改めて鑑賞しているのだが、聴けば聴くほど良い!!まずは独特の歌唱力。かすれ気味な箇所など絶品だ。そしてジャンルを限定できないバラエティー。アルバム一冊にサイケな感じやジャジーな感じなど多くの「雰囲気」が詰まっている。また、曲構成自体がバラエティーに富みながらも、例えばジャジーな曲では定番中の定番的アドリブフレーズが入っているなど、ほっとして聴いていられる真っ当さ。最後に個性的な歌詞!「くちばしにチェリー」より♪なげかけた感嘆と砂ぼこりの中のステップながめて過ごすダイヤル 弧を描くナンバーはき出す出口 戸惑う 1日中泣いても意味ないWalkin’ 熟れてく果実おとしてよチェリー 見上げた空 飛ぶ鳥運ぶくちばしにチェリー 競うスピードより重要なのは着地チェリー いつまでもUPBEAT 届けてよ胸にもっと赤が美しいことを一寸先闇 赤をもっとおくれ くちばしにチェリー不純けちらして行こ 後光射す明日へ着地中でもお気に入りの曲は、「色彩のブルース」「くちばしにチェリー」「かつて」「Whole World Happy」や「平凡にして非凡なる日常」などなど。一曲一曲の作りこみの丹念さを考えると、量産できる歌手ではなさそう。ドラマの主題歌に取り上げられるなど、2002年頃に一応ブレークしたらしいが、固定ファンをがっちり捉える息のながーいバンドでありつづけてほしい。
2004/02/11
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昨年10月から通っている国際関係論。外せないコンサートがあったり、寒かったりと様々な理由で休みもしているものの、行くと知的好奇心が刺激されて面白いのも事実だ。新しく取り組む分野であるため、先生の話に出てくる時事の出来事が分からなかったり、国際政治上特有の単語がすんなり理解できなかったりするが、先生の個人的な各国訪問談や友人教授の体験などを交えて話をしてくださるので、気後れせずに済む。本日のテーマはEUとNATO。前半の講義の後、最近のEU拡大のメリット・デメリットに関しての討論となった。「Natoの拡大はUSにとってプラス(力の及ぶ範囲の拡大)。しかし例えばルーマニアは仏寄りであったり、ブルガリアは米寄り・反仏であるため、最近の米仏の関係を鑑みるとEnlargementがNATO内部での亀裂増長に繋がる場合もある」(ブルガリア人・フランス人)「Natoのそもそもの設立目的である反ソという側面が薄れて、形骸化も指摘される一方、東独の加盟などロシアとの国境に向けて勢力規模が拡大しつつあることもあり、新たな緊張関係を生み出す端緒となる可能性あり」(ロシア人)「EU拡大は人や文化の交流を促進する一方、不要な人材交流に繋がり、移民問題をもたらすことで、かえって交流を阻害する恐れあり(最近の仏でのムスリムスカーフ禁止問題を例示)」(イギリス人)EUもNatoも既メンバー国も新規参加国も政治的立場はそれぞれで、その立場も時の流れに従い大きく変わっていくものなので、同じポイントがメリットにもデメリットにもなりうる。それ故、「~という状況下、~という観点から見ると・・・」と厳密に定義して細かく考えることが必要である一方、木をみて森を見ずでもいけない。クラスの人種構成は様々でイギリス人は数人、仏やスペイン、ブルガリアにロシア、インディアンブリティッシュなど様々なので、こうしたディスカッションをすると各国の立場の違いと個々人の性格のぶつかり合いで結構「会議は踊る」状態になってしまう。今回のEUとNatoに関して日本は外様なので、白熱する議論に首を突っ込みながらも、どこか仲間はずれの気分も味わってしまった。
2004/02/05
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今日は節分。イギリスなんかに長く住んでいると「節分」やら「七夕」といった日本の伝統行事を妙に生真面目に行いたくなってしまう。1週間前の新聞でたまたま「節分の恵方巻き」の話が載っていて、実家にいたころのことを思い出した。節分の日、我が家は豆まきだけでなく恵方巻きも厳粛に行う。まずは豆まき。鬼の面こそかぶらないものの、豆はシンプルな煎り豆(私はノリ付きの味豆が好きなのに)。豆をまく順序は年男Or年女→年齢順。当日に食べる豆は厳密に年の数だけ、と決められている。そして両手で作った輪くらい大きな恵方巻。中身は干瓢と卵ときゅうりとしいたけそしてなぜかほうれん草が入っていることが多かったと記憶している。頼んだとて、いかがわし気な蟹カマなどは決して巻いてくれない。これをその年の恵方に家族全員が向かって、直立不動(ここが大切!)で太巻きを食べる(切ったりはしない)。夕食はこれだけ。子供の頃、特に身近な人に特に反抗したくなる思春期の頃は、このクラスの誰もがやらない(ちゃんと調査はしたのだ)馬鹿らしい(と思えた)習慣を非常にうざったく思っていた時期もあった。でも、今年なぜかこれを久しぶりにやってみたくなった。会社の後は、バーミンガムから講義のためロンドンに来た台湾人のWと、もうすぐ南米にいくCといっしょにチャイナタウンでご飯。その後今宵は我が家に泊まるWといっしょに帰宅し、恵方巻き(具はアボガドとツナと卵ときゅうりという洋風)をつくり、Wにいいかげんな節分の説明をして(Devil Out!Luck In!)、いやがるパートナー(今年厄年)に無理やり豆を蒔かせ、恵方を向いてまるまるかぶりつかせた。小さい頃は、もっと豆を食べたい!と切実に思ったけれど、34粒一気食いというのは意外ときつい。先に食べた焼きそばといっしょですっかり満腹満腹・・・ゲンを担いでしまう年になったのか、ふるさと恋しさか、母に似たのか、ついついムキになって行事を執り行ってしまった夜だった。
2004/02/03
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今日も快晴。Regent Parkをまた走る。今日のBack Ground Musicは「ブラームス交響曲1番」で、これと悲劇的序曲を聞いた分くらい走ったから45分程度かな。呼吸も乱れず、新しいシューズのため靴ずれが痛かったくらいで、まだまだ走れる感じ。よおおし!失敗したのは、「アルバム内でAt Randomで演奏する」の設定にしていたので、一楽章のあといきなり悲劇的序曲になり、そのあと3楽章・・・と順番が狂ってしまったことだ。一楽章とするにはその理由があるわけで、いささか調子が狂ってしまった。午後は、南米に長期旅行に出かけるCの家のパーティーに出かけた。彼女はシンガポールで高校を卒業して以来、ロンドンに来たので、6年あまりの滞在になる。ロンドンはもう「Enough!」ということで、4ヶ月の旅から帰ってきたあとは、また旅にでるか、オーストラリアに働きにいくか、全くの未定だとのこと。「リオでカーニバルを見て、そのあとブエノスアイレス、南極、それから北上してマチュピチュ」なんて旅程もうらやましいけれど、もっとうらやましいのは、それに踏み切れる彼女と踏み切れない私の差だ。「長期旅行をするのに経済的な余裕がない!」という訳でもない。実際、物価の高いロンドンに住んで細々と働くのと、物価の安い南米で稼ぎがないながらも生活するのとでは、日々の出納はそれほど変わらないし、できなくはない。未知の地域を旅するのも怖くないわけではないが、好奇心の方がそれを勝る。体力も「マラソンに挑戦しよう」というくらいだから、高山だってきっと平気だろう。当座は失職したってまあ何でもやるつもりになれば、何かは見つかるだろう。それくらいの蓄積はあるはずだ。でも私はやはり「長期旅行」をした後に、日々こうして働いて暮らしていくことに嫌気が差してしまうのが怖い。「旅」を習慣にしてしまうのが怖い。辛抱が効かなくなり「娯楽」ではなく「逃げ」の手段にどこかに行くようになってしまうのが怖い。長期旅行をしたとて、それを肥やしとしてあっさり日常に戻れる気もするけれど、「万が一切れて、とりかえしがつかなくなる場合」が怖い。。。夜は途中からだがBBCの北朝鮮のドキュメンタリーを見た。政治犯およびその家族を収容した牢獄で恐ろしい人体実験が行われているというルポだった。牢獄の看守だった人間(今は北朝鮮から出国)が表情も変えないで、「子供が化学兵器の実験台となって死んでいくのを見ても、当然の運命だとしか考えなかった」と語るのに背筋が正直凍ってしまった。逃亡を企てた場合、家族はおろか近所数世帯まで実験により抹殺するという話、公園に遊ぶ人もオフィスの人も無表情のまま「金日成が絶対だ」と繰り返しBBCリポーターに言うだけで、議論どころか全くの会話も成立していない光景。気の毒であるより不気味。懐柔策なんて甘いことを言わずに、強攻策に訴えてもいいから、日本の近くからなくなってくれないだろうか、というのが正直な感想。
2004/02/01
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週末はパーティーが3本。金曜日にパーティーに持っていく予定のチーズケーキを焼くものの、味はいいが見た目がいまいち。従って土曜日は朝からマーケットに走りりんごを買って、超特急でりんごケーキを焼く(これは成功)。午後からGolders GreenのT夫妻宅にて鍋パーティー。ジョギング愛好会ということで知り合ったメンバーだが、今のところ一緒にレースに参加したのはたったの1回と、ジョギングよりは飲み食べグループになってしまっているような・・・1時過ぎから集って鮭鍋や、T妻自作のおいしいキッシュを食べたり飲んだりしてあっという間に7時近く。次のパーティーへと急ぐ。次のパーティーはC&JのHouse Warmingパーティー。建築家と街デザインを生業とする二人のパーティーだけあって、様々なナショナリティやバックグラウンドが揃った(総勢20人以上!)パーティーだった。彼らの昨年の結婚式でも顔を合わせた人々が多く、C&Jを軸として、こうしてたまに集まり顔を見れるのもいいものだ。7時開始というのに、9時になっても半分くらいしか揃っていないのは、あいかわらず だなあ。
2004/01/31
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久しぶりのホームパーティー。今日は10人くらいが来てくれる予定なので、朝から張り切っての料理づくり。メニューは①ポテトサラダ②バナナケーキ③かりかり豚肉香味ソース④コロッケ4種:海老クリーム・豆(ファラフェル)・ひき肉ポテト・野菜ポテト With ピタパン⑤タパスツナとオリーブのペースト・ナスのクロスティーニのクラッカーのせプラスMちゃん持ち寄りのパスタサラダ・ミートローフ・ソフトボール大のおむすび・鶏肉とねぎのしょうが煮込み友人のシンガポール人Cが今回の主役。彼女は2月から半年ほど休職してラテンアメリカに長旅に出るので、その送別会もかねてのホームパーティー。彼女は昨年ペルーにて木から落ちて、脊椎を痛めたのにも懲りず、再び南米へ。10歳も年若の彼女だがその思い切りがうらやましい。そんな主役の彼女がベジタリアンのため、All Veggyとはいかないまでも、野菜中心の献立にせねばなるまい。でもベジタリアンって本当に難しい。お肉やお魚がないと献立に華がない。彼女は話題も豊富で一緒にいるのも楽しい人だけど、「外食しよう!」と言われても、「ああ二人でシェアしていろんな料理をたんまり食べることができない・・」といつも思ってしまう。朝の9時半から準備を開始して、ほぼ1日中かけてCooking。集中してあれやこれや作るのは結構楽しい。一度も作ったことのないバナナケーキなどが華麗に出来上がる様を見て、妙に自己満足に浸ったり、早めに手伝いに来てくれたMちゃんやパートナーに、あれやこれや指示をするのも楽しかったりする。盛り付けにも気を使ったので、テーブルに並んだ全品を見ると、私は栗原はるみか、と思ったりする素晴らしさ!!4時に来いといって、だいたい5時にくるのが英国流。電車の遅れや風邪などでこれなくなってしまった友人もいたけれど、皆でわいわいサングリアを飲みながら料理をつついているうちに、あっという間に夜9時に。みんな来てくれてありがとー!!<本日のレシピ>① ポテトサラダ(材料)ジャガイモ(男爵)…2~3個 ニンジン…1/4本 キュウリ…1/2本卵…1個 玉ネギ…1/4個<下味調味料>塩コショウ…少々 レモン汁…小1 マヨネーズ…大3 マスタード…小1/2レモン汁又は酢…小1 砂糖…小2 コショウ…少々② バナナケーキ材料薄力粉170g ベーキングパウダー小さじ2 塩、シナモン各小さじ1/2 ブラウンシュガー80g バナナ300g レモン汁少々 無塩バター45g(溶かす) 卵1個 くるみ50g(粗く刻む) 牛乳大さじ2 作り方1. バナナは、皮をむいてフォークの背でつぶし、レモン汁をふりかける。 2. ボウルに粉類をふるい入れ、ブラウンシュガーを加え、ゴムべらで混ぜる。むらなく混ざったら、くるみを混ぜ合わぜる。 3. つぶしたバナナを2に加え、ゴムべらでさくりと混ぜる。次に割りほぐした卵を加えて混ぜ、溶かしたバターを少しずつ加えて混ぜ合わせる。最後に牛乳を混ぜてやや柔らかめの生地に仕上げる。 4. パウンド型にクッキングペーパーをしき、生地を流し入れ、170℃のオーブンで55分灼く。③ かりかり豚肉(材料)・豚ロース薄切り肉 12枚くらい◆たれ ・にんにく 2片 ・しょうが 1かけ ・赤味噌 大1~2 ・しょうゆ 大1 ・酒 大1 ・トウバンジャン 小1・水 1/3カップ・④ ファラフェル(材料) 乾燥ひよこ豆200g · エシャロット又は玉ねぎ50g ニンニク1片 · クミン小さじ半 ·ターメリック(無くても良い)小さじ1/4 塩小さじ1/3 · 刻みパセリ大さじ1⑤ ツナ&オリーブペースト Pate de Atun ツナ1缶・アンチョビ2枚・にんにく1かけ・ブラックオリーブ12個(種な し)をミキサーで攪拌し、塩少々で調味する。これをパンにのせ、ブラッ クオリーブを飾る。
2004/01/25
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昨日水曜日は、昨年チェコのプラハの1日ツアーのときに仲良くなったウクライナ人(米国在住)のグレゴリーが仕事でロンドンに来るといったので再会。何でもいいといったので、じゃあ寒いし熱燗と日本食だ、とOxford Circus近くの「さくら」(広岡瞬がオーナー)に連れて行ってみた。米国暮らし、しかもサンフランシスコに居るから、おはしくらい使えるかと思ったら、全くの初心者。こういうとき、左利きである自分を恨む。誰もお箸使いを教えてくれなかった私は(母親は教えたと主張するが)、正式な使い方がうろ覚えで、何とか自分も右に持ち替えて教えてみたはいいけれど、これじゃあグレゴリ-と同じレベルの箸使い。お通しの蕨を食べるのに30分もかかってしまった・・・グレゴリ-はロシア経済史を生涯の研究テーマにしているので、本当は研究者生活で食べたいものの、ロシアのツアーリ時代の経済金融なんかに興味を持つ人は少ないそうで、しょうがなくシンジケートローンをサンフランシスコの銀行で扱いながら、たまにプロジェクト案件を見つけてはロシアを訪ねるといった生活をしているそう。この前のときはそんなこんなの経済がらみの話を聞いていたが、実は彼はロシアに住んでいたときは音楽学校出身だったことを聞いて本日はその話題を。ロシアでは「音楽」か「それ以外か」の道に進むかを4歳のときに決めるそう。グレゴリ-が音楽を習いたくなったのは8歳のときで、そのときには「Too Late」。従って余り人気のないマンダリン学科(確かに人気はなさそうだ)しか席がなく、その道に進んだのだって。アメリカに渡ってからはもちろん趣味になってしまったものの、ハイドンやモーツアルトのカルテットをマンダリンとマンダリンビオラ、マンダリンチェロなんかで弾くそうだ。普通のカルテットとどんなに違って聴こえるのだろう。「国威」をかけて芸術家やアスリートを育ててきたソ連邦時代と違い、今は「明日のパンにも乏しい地域がある中で、音楽教育を国家予算で行うのはいかがなものか」というごもっともな意見が多い中でもなお、こうした「芸術信仰」は根強いらしい。日本食のあとはパブで一杯。グレゴリ-はロンドンに4日ほど居たそうだけれど、「どこいったの?」と聞くと「大英帝国時代のウオール街 ロンバート通り」や「新聞紙博物館」など「そんなものあるんだ!」っていうところばかり。やはり何かに一家言ある人の目の付け所は違うもの。
2004/01/14
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年のせいか時差ぼけ克服に1週間もかかってしまった。毎晩ちゃんと寝ても8時過ぎになると猛烈に眠くなってしまい、朝は6時ごろに起きてしまう。おかげで帰国してから毎日の睡眠時間は10時間という、健康生活。土曜日は友人MWさんのピアノの先生Roland先生が、Royal Festival Hallでフリーコンサートをやるということで、出かけてみる。ピアノとドラム、ギターと、トロンボーン、フルートOrサックスOrオーボエ、という5人編成。ラテン系の色彩の濃いピアノで、柔らかい深みのある音色と思っていたベーゼンドルファーも彼の手にかかるとどこか金属的な華のある音色に聞こえてしまう。あんなサンバのリズムがピアノでやすやすと弾ければいいな。トラファルガーの近くのパブで昼間からワインのボトルを1本あけて、景気をつけたあとは、ボンドストリートを北上しながらバーゲン・バーゲン。日本でもいっぱいほしい洋服があったけれど、トランクの容量を考えて(というか、セーターなんかより中華三昧を一杯詰めたかったからね)買えずにいたので、買い物欲が大爆発。コートもスーツも「いいものがあれば買おう」と思っていたもの全てに手を出してしまった。まあ年に2回の散財なのだから可愛いもの。翌日日曜日はMちゃんとRoyal Chinaで飲茶を囲んだのち、映画を見に。前評判の高いMystic Riverを見に行った。ショーンペンやティムロビンスといった名優陣とイーストウッドの監督ということで期待していったのだけれど、評で読んだあらすじを越えるものでも下回るものでもなくややがっかり。童顔でおどおどしたなかに、底知れぬ理解しにくさを秘めたティムロビンスの演技が出色だったけれども、子供時代に受けた傷と現在の事件との関連づけも薄く、ミステリーとしてもハラハラ度が足りなかった。月曜夜はクリスマス時に録画しておいた「The Office」クリスマスバージョンを見た。英国ロンドン郊外の古紙回収業者の日常を描いたドキュメンタリータッチのこのコメディーは見るほどにはまる。使われている単語なんかもややわかりずらいのだけれど、たんたんとした中に見られるユーモアはどこか「外骨という人がいた」や「新解さんの謎」の頃の赤瀬川源平を彷彿とさせるもの。今回のこの特別バージョンにはクリスマスらしいロマンスなんかもあっさり織り込まれていてとても楽しかった。
2004/01/12
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明けましておめでとうございます。2004年もこの日記に書くことがたくさんである毎日を過ごしていきたい。・・・10日余りの滞在なんて、あっという間だ。6日に帰ってきたロンドンは相変わらずの曇天で、日も短い。クリスマスデコレーションも消えてしまった今となっては、年末から始まったSaleの広告が街に若干の彩りを加えているくらいで、慌しくてどこも人であふれ、ギラギラした大量消費カルチャーの東京から帰ってくるととてつもなく地味な街に見えてしまう。それでもラッシュアワーでも比較的すいている電車や、街のそこかしこで見かける小さなマナーと厚意、ざっくばらんで飾らない人々に囲まれると、やっぱり今の自分にはロンドンのこの落ち着いた雰囲気の方が合っている気がする。年始からの毎日の一言メモ。1日大晦日の紅白のあとはしばらく「行く年来る年」を家族で見て、その後は弟と「惑星なんたら・・」という4チャンの番組を見る。年始早々見るのに似つかわしい番組か否かは別として、北朝鮮のTVなどを野次ったこの番組はシュールなおかしみがいっぱい。律動体操や人工呼吸の歌には笑った・・・朝10時に起きて、家族4人とおじいちゃんおばあちゃんでおせちを囲む。皆元気で、2003年と変わらず年に最初の食卓に迎えられることをとてもありがたく思う。2005年も同じような新年を過ごせますように。その後は近くの稲荷神社へ初詣にでかけ、ビデオを3本見まくった。夜は弟に頼んで、ラーメンを食べに。三軒茶屋の味噌丸(?だっけ)で。今回の帰国で食べた3回のラーメンの中では一番気に入った。そしてドンキホーテをのぞいた。2日午後から親類一同が集まり新年会。お寿司や皆がもちよったご飯がおいしいこと。夜からは高校時代の友人Aとパートナーとで新宿でご飯。バリバリのキャリアウーマンで銀行員のAとは「お互いがいつ彼を作って独身クラブから抜けるか」で長年きそってきたが、どうやら私がリードした模様。ふっふっ・・その腹いせか高校時代のドジ話をやたらと暴露される。行ったのは炭焼き屋。天然にがり豆腐を頼んだけれど、にがりと豆乳だけから作るためか、なかなか固まらなかった。そのあとはさっぱり九州ラーメン。3日朝から弟を引き連れパートナーもともに門前仲町の富岡八幡宮へ。弟と彼は初対面。今年大厄の彼に付き合いはじめて祈祷というものを申し込む(私も小厄)。神社の中で、神殿の前に白いちゃんちゃんこのようなものを着て並び、指示に従って頭を下げたり上げたり・・・お願いごとは二つまでできるということなので、無難な線で厄除けと心願成就を選んだ。ところが他の人のお願い事を聞くと、無病息災や家内安全が殆どを占めており、「必勝」や「心願成就」は殆どない。そのあとは深川不動尊まで歩き、おめあての漬物やの定食を探したが、新年で残念ながら休業。近くの定食やに入り穴子の天ぷら定食。それから甘味やに行って食べた久々の杏みつまめがおいしかった。そこで弟とは別れ、待ち合わせた彼の友人と3人でお茶。その後はちょっと緊張の川崎に住む彼のご実家訪問。近くのイタリア料理に連れて行ってくださり夕食をご一緒した。後になって振り返ると、いろいろと至らない点(靴がやぶけていたのは我ながら失策・・)があったけれど、話に聞いていたご家族と会えてうれしかった。4日昨日は彼と弟を引き合わせたが、今日は弟の彼女とのご対面。マーケティングプランナーを独立してやっているだけあって、なかなか現代的で屈託のない明るい人だった。マニアックである意味難しい弟には、ああした底抜けの明るさのある人がいいのかもしれない・・下北沢でとんかつを食べながらの1時間あまりの時間だったけれど、これはまた別の意味で緊張した。いつもやるように弟をバカにしたりからかったりしてはいけないだとか、姉らしくしっかりした育ちのよさを見せなきゃいけないとか・・そのあとは、昔習っていたピアノ教室の新年会へ。留学前にはやめてしまったので、それ以来3年にもなるが、未だに先生とはお付き合いしていただいていて、多くの友人もできた教室。7人余りが集合してときに先生のピアノを聴きながら昔話に花を咲かせた。夜は留学時代のルームメイトのKと新宿のダイニングバーへ。5日お昼は中学からの友人Kを渋谷に訪ねてカフェ飯。最後のご飯は久々に我が家で。トン汁やおばあちゃんの作ったビーフシチューと、さわらの照りやき等・・日本のご飯はおいしいなああ。6日朝5時に起き、両親に成田まで送ってもらう。年始の別れはここ数年の恒例行事となってしまったので、涙ぐむ母親の姿も見ないですむようになったけれど、飛行機に乗り込むころにいつも、なんだかぐったりしたような虚脱感というかぽっかり穴があいてしまうような気持ちを味わってしまう。また夏にでもこちらに来てくれたときには、いろいろと楽しませてあげよう。また会えるときまで、両親も弟もおばあちゃんもおじいちゃんも鳥のファイちゃんも元気でありますように。エコノミークラスが満席ということで幸運なことにビジネスクラスでの帰国。幸先よし!!
2004/01/07
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25日のクリスマス。公共交通機関がまったく止まり、アラブ系の店を除いて店が閉まり、眠ってしまったかのようなロンドンの街をあとに、日本へ帰国。定時を2時間ほど遅れて出発したJAL便の席はガラガラ。これから待っているであろう、多忙な日々の前に少しでも体を休めようと、3席つなげて爆睡するうちに日本に到着。成田に到着したのが5時。リムジンに乗って駆け抜ける久々の東京の街は7時に近いというのにまだオフィスの電気も煌々と着いていて、「今年何回私は7時まで働いただろうか・・・」と振り返ると、少し罪悪感らしきものを感じてしまう。新宿について満員電車に大きなスーツケースを抱えて申し訳なく思いながら、駅の改札にやっと到着すると、成田からも電話すらしなかったのに、母が待っていてくれた。「そろそろ」と見当をつけて40分ほど待っていてくれたみたいで、とてもありがたく思う。家に入りささっとお風呂に入って30分で再び外出。会社時代の友人S嬢と下北沢の魚系居酒屋へ。久々のおいしい日本酒を飲むうちに時差ぼけもないまま酔っ払って帰宅・・・そしてそれからの日々は27日 お昼は三軒茶屋でパートナーとその友人と洋食ランチ。夜は大学時代のクラス会を銀座の炭焼き系居酒屋で。28日 午前中は新婚の従姉妹がだんなさんと挨拶に。その後都立大学に住む高校時代の友人の家に。お昼にはスパゲッティランチ。夜は実家に帰りおでんを食す。29日 朝はお世話になっていたヘッドハンターへご挨拶に行った後、昔の会社の上司の方と先輩とうなぎの昼食。その後懐かしき元の会社に立ち寄らせていただく。何度か転職を重ねるうち、それぞれの会社との縁が希薄になってしまうのもしょうがないことだが、こうして立ち寄らせていただける会社があることはとてもありがたいこと。その後は秋葉原へパソコンを買いに。DynabookとIpodを購入して20万以下とは!!夜は留学時代の友人と恵比寿のアジアン和食へ。そのあとは九十九ラーメンをぺろり。30日 3年前にすんでいた懐かしい麻布十番へ。人はさらに増えていたが、素朴な商店街はそのまま。大学時代(バイト先)の友人と更科でてんぷらそばを食べて、六本木ヒルズまで散歩。便利なアイディア商品から、海外の専門ブランドまで日本で買えないものはない。プラハで嬉々として買った木のぶらさがり人形まで売っていて、少し複雑な気分に・・夜はその友人のだんなも交えて、新宿でイタリア料理。そして31日 昼は新宿でイギリスでの友人を介して昨年知り合った友人とツバメグリルでハンバーグ。ぶらりと本屋に寄った後帰宅をして、夜は年越しそば。新しいパソコンとIpodをいじっているうちに年越し。
2003/12/31
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ここ数日会社はすっかりクリスマスムード。昼を過ぎると顔を赤らめた人がそこかしこなので、自然と仕事をする気もなくなり、Webサーフィンの毎日・・・加えて本日は従業員の子供達によるパパママ参観の日で、会社からもらった風船を手にした小さな子供達が机の間すりぬけ追いかけっこをしたり、コンピューターに手を出してはパパママが冷や冷やするという光景がそこかしこに見られる。我々にとっては飽き飽きするくらい日常的であるOfficeも、子供にとっては非日常の世界であるため、エレベーターに乗った段階から超興奮状態にある子供達に朝から出合うと会社という場も何だか新鮮に感じる。どこまで認識でき、記憶に残るかはわからないけれど、「こんなところでパパママは1日を過ごしているんだ!働いているんだ!」と漠然とした印象を子供達に持ってもらうには、とても雄弁な一日かも。今年はクリスマスデイに東京へ帰るのだが、クリスマスイブは新婚さんのC&Jカップルのおうちにお呼ばれしている。彼らの家族も集まり、ローストターキーやクリスマスプディングのTypical クリスマスコースを作ってくれるとのことで(通常はクリスマスだが1日繰り上げてくれた)、ロンドンで過ごす4年目の冬にして初めての「British Christmas」を味わうことができそう。
2003/12/23
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2003年自分的総まとめ<心に残る 観た・聴いた・読んだ>映画: Talk To Her、The Pianist音楽: ミハイル・プレトネフのラフマニ、Ego Wrappin’(日本にもこんな凄いグループが!と感嘆させてくれた)のCD、ゲルギエフの火の鳥本:須賀敦子(各種エッセイ)、恩田陸(木曜組曲など)、佐藤賢一(王妃の離婚)、塩野七生、水村美苗(本格小説・Left To Right)<したこと みたこと>・ 10KMマラソン2回(2004年はハーフに挑戦!!)・ Walking を数回・ CFAチャーターをついにGet!・ コペンハーゲン、パリ、ストラスブール、リモージュ、コスタ・デル・ソル、モロッコ、スイス、ミラノ、アルザスワイン街道、トスカーナ地方、イタリア南部、アルバニア、ギリシャ、プラハ、ミュンヘン、ハンブルグ ♪2003年も旅行がいっぱい!・ 初めてのBritish Wedding・ Royal Ascot
2003/12/22
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「Nomcombat Troops = 戦争をしない兵隊」すなわち非戦闘員のことだ。今日の朝のCNBCでこのテロップが速報として流れたとき、妙な違和感を覚えた。非戦闘員という言葉はカンボジアなどの件で見慣れていたので違和感はないけれど、「Noncombat Troops」と報じられたとたんに、「ギャンブルをしない投機家」みたいなイカガワシサを感じてしまった。派兵決定のニュースの英国での取り上げ方はまだ社説等を読んでいないので、ニュース速報の段階での印象だが、やはり「The biggest deployment of Japanese troops overseas since World War II」のように、WW2後節目となる決定という取り上げ方をしている。「Noncombat Troopsだから隊員は戦闘地域には赴かない。ただし派兵によるテロの可能性の高まりは否定できない」。確かにテロリストはNoncombatだかCombatだかなんて、区別しない。TroopsはTroops。軍人なのに軍人ではない人々が戦闘地域を避けて活動を行う一方、テロリストの「戦闘地域」はますます拡大するだろう。イラク全域へ、日本へも。そして本当に軍人ではない文民への攻撃の可能性が高まる。何かしら矛盾してないだろうか?「独仏ロシアは文民しか送っていないのに。」という批判は、彼我の立場上の違い、すなわち国土の位置的問題を考えれば、簡単に比較対照できないことはよくわかる。北朝鮮問題に自国だけで対応ができない日本としては、Tacticalに米国との関係を強化しておくための尻尾振りしておきたいというのは合点がいく解だからだ。「そこにある危機」に先手を打つための第一歩だ。既に500人の軍隊を送っている韓国だって似たような理由によるのだろう。つまり、今回の小泉首相の発表の背後にあるのは上述したような「本当の理由」を表立って言えないために美辞麗句(国際社会とか何とか)を連ねているため、違和感やらイカガワシサやら矛盾やらの匂いがしてしまい、どうしても反発してしまう。もちろん「本当の理由」なんて言えるわけはない。でも首相そして政府が、国際情勢における日本の位置付け、全体的な世界観をもっと言葉を尽くして語ってきたならば、こうしたうやむやさも多少薄れるのに、と思う。そしてWW2以降の大転換となる決断を、「一刻を急ぐ」ための緊急決定という名目で、世界観なしに突っ走ってしまうことに一番納得がいかない・・・
2003/12/09
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久々に予定のあまり立てこまない週末。金曜日はW関係のGirls Night。皆それぞれがご飯を持ち寄り我が家に集合。私も会社から帰宅して1時間で太巻き、から揚げのねぎソース、パスタサラダ、アボガドディップを製作。親元離れてからはたったの4年間。従って自炊年数4年間だけれど、こちらは何かと人を呼んだり呼ばれたりの機会が多いので、短時間で大量の料理を作るのには慣れた。でもいつも外人を呼ぶことが多いせいか、「とりあえずの日本風料理」を適当に作るようになってしまったので、あまり質的には向上しない。今回は集まってくれた人々の料理のレベルがとても高く、とくにS姉御はおでん、ほうれん草とエノキの和え物、タイ風サラダ、レンコン肉団子、そしてなんと手作りキムチ!を作ってもってきてくれた。このキムチが甘くてそれでいて辛くてとってーもおいしい。そんなこんなで、「外交官事件」について論争したり、「女の子会話」を楽しんだりして夜中の2時まで夜更かしをした。土曜日は昨日から続けて泊まってくれた友人と、昨晩の残り物で朝から豪勢なご飯。彼女が帰ってからは、久々に家中をみがきあげて年末(繰り上げ)大掃除。夜は今年で3度目の会社のクリスマスパーティー。こちらで勤めはじめて一番最初に参加したときは、イブニングドレスとボウタイの紳士淑女、イタリア料理からローストビーフ、Asian Tasteまで様々なビュッフェテーブル、カジノや占い、ダンスフロアから屋内サーキットなどの娯楽の様々・・・・と海外の会社のパーティーはなんと豪勢なものかと目を見張ったものだった。でも3度目ともなると、毎年同じような趣向であるため、ちょっと飽きて、もっぱら飲みと食べに集中。今年のテーマは「Hero」で会場中チャップリンやらシュワちゃん人形が置いてあり、ベッカムのそっくりさん(サングラスをかけているとクリソツ)とマリリン、スーパーマンもどきが会場を歩き回ったりしていた(ベッカムは皆に引っ張りだこだったけれど、似てないスーパーマンは声もかからず暇そうであった)。翌日は二日酔いにて起床。ぶらぶら歩いてFinchly Roadの日本食品店にいくうちにあっという間に日も沈み(最近の日没は4時頃)夕方。シンガポール人の友人を招いていたので、ベジタリアンの彼女に合わせて、もやしナムルやらインゲン炒めやらインド風豆カレーを作る。留学していた頃から知っている彼女は私よりも10歳も年下なのだが、とても大人びていて、一緒にアフリカ旅行にいった仲。彼女は今ShellのITコンサルタントだが、実は写真や絵やデザインを嗜むちょっと芸術家肌の人で、「あなたの顔を描いてあげる」といってチャコールを持ってやってきた。料理の手を休めてささっと描いてくれたが、目の描き方や陰影の付け方がさすが普通の人と違う。久々に(高校生以来かも)私もちょっと絵を描いてみたくなり、今度は彼女を描いてみたが、鼻の穴や耳、目や輪郭をどう描いていいのやら・・・でも彼女曰く「ちゃんと特徴は掴んでいるから素質はあるとのこと」。美術は3以下しか取ったことがないので、ちょっと嬉しいコメントだった。夕食の最中は、音楽の趣味が全く異なるパートナーと私で替わりばんこに、彼女が好きそうな曲を選び、どちらが好きか採点してもらう、というゲーム。我々はライバル意識剥き出しに楽しんでいたけれど、うるさいのやら静かなのやらいろんな音楽を次々に聴かされた彼女は迷惑だっただろうなあ・・・
2003/12/08
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亡くなった外交官お二人のご遺体は、ご家族の付き添いのもと、イラク→クウェート→ロンドン→日本の長い道程を経て、やっと日本に帰国された。ロンドンの日本大使館へは有志の方々と火曜日に弔問記帳に伺った。テーブルに記帳台帳が二つ置いてあるのみ。これでは誰にむかった言葉をしたためているのだか分からなくなってしまう。せめてスナップ写真でもお二人のお名前を記した額のようなものでも用意できなかったものだろうか。そして、さらなる憤りは政府の対応に対して。本日の日経朝刊の社説欄にも「せめて政府専用機を飛ばすべきではなかったか」と書かれていたが、なんとご遺族の方々は民間機の「エコノミークラス」でロンドンから日本へ帰られたそうだ。国葬ではなく外務省とご遺族の合同葬になってしまったとか、自衛隊儀杖隊や音楽隊が出迎えなかったとか、そうした批判もでているが、それに関しては「いかに儀式を執り行うか」的なことであるので、私自身としてはあまり意に介さない。それよりも、航空客が少ないクリスマス前のこの時期においてご遺族をエコノミーに座らせるとはなんということだろう!!!聞いた話によると、小さいため席で騒いでしまった井上一等書記官のご子息をどなりつける客までいて、傷心の奥様に伝えるのも忍びなく、事情をその客に話したところ「オレの知ったことか」の一言だったとか。。。まあ、この話は個人的なこの客の資質の問題であるので、どうでもいいが、要はエコノミークラスではそのように多くの一般客と乗り合わせなければならないということだ。たとえビジネスクラスが満席だったとしても、事情を話せば理解のある客も多くいるだろうに・・・とにかく、ご遺族にとって今一番必要なのは、「2階級特進」でも「小泉総理の葬儀参加」でもなく、こうした当たり前の心遣いなのではないだろうか。極限の疲労と精神的な苦痛の状況にあって、やっと日本の地を踏んでも、次々に「何とか次官」だとか「何とか大臣」のお悔やみに対応せねばならない、そうした方々にとってフライトの12時間、少しでも人から離れた場所でそっとしてあげることが一番大切だろうに。なぜこんなことになったのかは分からない。一番くだらないのは、どこの会社でも最近あるとおり、「ビジネスクラス使用基準」のようなものがありそれに当てはまらなかったためか・・・より好意的に解釈して、急なことで飛行機側の対応ができなかったためか・・・いずれにせよ、そんな基本規則などは柔軟に適応するための「基本」であり、また、どんなに緊急事態であっても3日間(事件以降ご家族がロンドンをたつまでの期間)もあれば、何とかしようが必ずあるということだ。そして、今回のような状況はどうしても「何とかすべき」ことなのだ、と思う。ああ、「杓子定規」な日本に腹が立つ。
2003/12/04
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金曜日に大成功のうちに終わった英国稲門会総会。そのメンバーのお一人であった、外務省の奥参事官がイラクで凶弾に倒れたというどうしようもないくらいの沈痛なニュース。お仕事がらお忙しいようで、なかなかいらしていただける機会はなかった。それでも今年の2月のパブでの会には、同じく稲門出身の奥様とお二人でいらしていただいたり(本当にお美しく、上品で、それでいて気さくな方で「外交官夫人というのはこういう方なのか」とつくづく感心してしまったことを覚えている)、昨年の早稲田ラグビー部とオックスフォード大学対抗戦の激励会などでは先頭を切ってスピーチをしてくださったり。お顔を拝見し、またご家族の方にもお会いしたその御方があのような事件の犠牲になられる、ということに言葉を失ってしまう。9.11事件以来、多くの人間が亡くなり(テロによる死、戦死全てを含め)、特に最近の頻発によりテロは半日常的な事件となっていた。しかし、私にとってのこうした事件はやはり新聞上での事件に過ぎなかった。でも今回の奥参事官の事件により、初めてこうした「半日常」が自分の近くにも降りてきてしまったことを認識せざるを得なくなったことが恐ろしくてしょうがない。そうした中、首相が繰り返す「テロには屈しない」というお決まりのコメント、なぜか遠く遠く離れた、浮世離れした場所からの発言に思えて、「こうした事件が日本へのイラク関与を妨げないよう」という米高官のコメントに行き場のない憤りを感じてしまう。考えがまとまらないし、心が痛む。奥参事官のご冥福を心からお祈りしたい。
2003/12/01
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金曜日は英国稲門会の年次総会。CityのD社のシャンデリア灯る(バッキンガムの次に大きいシャンデリアだそう)ロビーが会場。1ヶ月以上も前から幹事団ではりきって人集めなどをした成果か、90人近くが集まる盛大な会となった。新しい会員の人々も多く、中には溶け込めずに早めに退出なさる方もいて、少し気になってしまったが、こうした大きな会では「皆の満足がいく」会を運営することなどは不可。受付業務を殆どせずに会場にいる機会が多かったため、いろいろな人と言葉を交わすことができた。年代も職業も様々、もっと落ち着いていろいろとお話したい方が多いものの、「質より量(?)」で次々と新しいかたとご対面するので、「英国には何年?」など多少表面的な会話に終始してしまったことは残念。幹事をしていると、いろいろと面倒なことが多い反面(会費の設定やら、様々な質問への対処など)、非常に多く方々と積極的に知り合うことができ、また老若男女の幹事団と一緒に「どうすればもっと会を盛り上げられるか」などと討論すると、ナンだか高校生時代の文化祭企画の頃を思い出したりもして、プラスマイナス、少しプラスかな、と思う。とにかく、人の出入りの激しいロンドン、こうして常にいろいろな人との交流を増やせる場にあるのはいいことだ。
2003/11/28
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火曜日からのブッシュ訪英につき、最近ロンドンはモノモノしい。常に上空のどこかではヘリコプターが舞っている。水曜日の朝の出勤時には近衛兵の行進と出会い、なかなか道を横断できなかった。連日のように大規模なストが集結しているようで(警察報道は5万人、主催者側発表は20万人。はて?)、昨日は会社で午後の1時間ほど、ずっとシュプレヒコールを聞きながらの仕事。帰宅時にはストで使われた「Stop Bush」のポスターやのぼりの残骸が電車や駅で見られたりする。その一方でイスタンブールでの英領事館、HSBC自爆テロやイラクのロケット弾攻撃、と攻撃・テロが相次ぎ、このモノモノしい雰囲気は、何もブッシュの周りだけではないようだ。東西文化の交差点、イスタンブールで立て続けに2度もテロがあったということに、悪意に満ちた恣意性と同時に歴史の循環を感じたりもする。オスマントルコという国の権力については、今年の夏の旅行でまざまざと見せ付けられた(ギリシャ・アルバニアはその支配が長い)。ギリシャ、ローマ、ハプスブルグ家という文明を飲み込み、様々な地域を何百年という単位で支配していたこの帝国。WW1で滅亡(だったよね?)し現在の小国となってしまうまで、イスラム文化が西欧文化にひけを取るどころか、凌駕するほどの存在だったのはひとえにオスマントルコの権力あってのことだ。つまりオスマン滅亡は、西欧文明>イスラム文明の始まりだったのかもしれない。かつてのイスラム大帝国の都をかかえるトルコが、EU加盟だイラク派兵だと「西側」に尻尾を振ってきたことへの不満の蓄積が、まさしくその地で再び爆発する。「そして今度はイスラム>西欧の一歩となりうる」というメビウスの輪までは当然想像しないものの、エルサレムにせよイスタンブールにせよ、因果な土地というのはあるものだ。さてこのBush訪英についての記事をいくつか読んだが、Kings Collegeの教授の書いていた記事が印象に残った。彼は、イギリスをまずは「Junior Partner」、ブレアを「ブッシュのプードル犬」として、対等ではないパートナーシップについて説いている。ブレアが中東ロードマップについて米国に進言しているといっているが、米国が考えを変えるのは、米国がそう考えたからであって、ブレアにプッシュされたからではない。そして実際の行動を取っているのは米国なのだ。では、それでもブッシュにくっつく理由はなにか。米国に「英国はNo1の同盟国だ」と言われる「特権」だけなのか?特権を失うという選択肢が無い(あまりにもリスクが大きすぎる)以上、この特権にしがみつくしかない。そしてその特権のためにトルコの英国機関が標的となる・・・
2003/11/21
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恐ろしい番組を見た。「Dowry Cop」というBBCのドキュメンタリー。舞台はインドのデリー。Dowryというのは花嫁の持参金を指す。インドでは花嫁がお輿入れの際に、平均2000ポンド相当(インド経済の規模から考えると相当な額に違いない)の花嫁道具やキャッシュを花婿側に差し出すらしい。このため娘が生まれた時点から、父親はDowry貯蓄を積立始めるとのこと。男尊女卑が以前根深いインドならではの風習だ。そして、このDowryに絡んで1年間に公式記録だけでも6000人、非公式なものも含めると2万人もの殺人が起こっているのだ。たとえばこんな風に・・・(1)大学を卒業間近の優秀な娘の結婚話がまとまる。相手はさほど裕福ではないが、カースト上位の家系。この婿側は結婚に際してなんと1万5千ポンドものDowryを求め、契約書を交わすよう圧力をかける。娘の父親は残り一生働かなくては返せないほどの借金を作ってまで何とかこの縁談をまとめようとする。欲深な婿家系はさらに車を一台寄越せという、「そこまではできない」と突っぱね、何とか結婚までこぎつける。美しく若く、みやびやかに飾った花嫁と同じく若い花婿。贅の限りを尽くした華燭の典が催され、花嫁は無事大学に戻る。ところが大学の試験を無事終え、婿の家庭に入った花嫁はたびたび「車をいつ用意するのか」と圧力をかけられる。そしてある日突然花嫁の実家に「おまえの娘が4時間前に自殺を図った」との報。駆けつけると医者も呼ばれず警察も呼ばれず、娘の亡骸が残されているのみ。婿側は遺書(筆跡が全く異なる)を指し、自殺を主張。一時は警察に拘束されるものの、その後の裁判では遺書の是非も全く問われることもなく、自殺として処理をされ、Dowryも返却されないまま。(2)とある病院。全身火傷の女が運び込まれる。重症の彼女がぽつぽつと語るには、姑と小姑に台所で油をかけられ、火を放たれたとのこと。やはり充分ではないDowryが原因だ。しかし、彼女につききりで看病する父親は「ことを大きくしたくない」という理由で警察にも訴えないまま、彼女は2週間後に死亡する。Dowry殺人の殆どは「台所」が原因。そして「食事の支度の最中に火が引火した」のが花嫁死亡理由のトップである。殺人の証拠が不十分であること、警察への報告が後れる事、警察側の怠慢、花嫁側の事なかれ主義など様々な要因で、Dowry殺人が充分に審議・調査されるケースは少ない。また婿家庭のDowry殺人の動機としては、殺してしまえば、どうせ不起訴になり、再び別の結婚、つまり別のDowryにありつけるというわけだ。幸せの絶頂期にあるべき娘がこんな理不尽な死に方をすることへの憤り、結婚ということが持つべき意味の余りにも軽薄な取り扱われ方、充分に公平を期して職務を全うしようという気が全くない警察への絶望、自分の母親が殺したことを知りながらシャーシャーと自殺説を主張する不実な婿への怒り・・・一言でいうと「理不尽」なのだが、こうした「理不尽」がインドのしかも中上流階級でまかり通ってしまっているとは。最も哀しかったのは(1)の花嫁の父が、裁判に敗れた後、「これからも引き続き戦う」と言っていたときに、「何のために戦うのですか?」というリポーターの問いに対して「お金を取り戻すために」と答えていたことだ。ここでは花嫁の命があまりにも軽い。
2003/11/16
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イギリスに男女の恋愛模様系の番組が多い。今思いつくだけでも1) Perfect Match:何人かの候補者を集め友人などがアドバイスをしながらRight Oneを探す。2) Temptation Island:男女カップルが男組、女組で別れ、別々の南の島にしばらく滞在。滞在地にはよりすぐりの美女美男がカップルを壊そうと待ち構えている。誘惑されてその気になるパートナーの振る舞いを隠しカメラで見て、自分もまた別の人に走ったり、男女関係はもつれていく・・・3) そしてJoe Millionaire!最近はまって見ていたJoe Millionaireは、フランスに城をもつ超金持ちのまさしく「白馬の王子」を巡って、繰り広げられる王子争奪戦。何十人もの候補者からほぼ第一印象で10人以下に絞り込まれたあとは、王子様とパリでタンゴデートをしたり、乗馬デートをしたりして、毎週毎週一人一人が脱落していく。そして昨夜はその最終回。最後に残った二人は一人が超ナイスボディーの気の強そうな自分に自信がありそうな美女。そしてもう一人は綺麗だけれど、お城でもジーンズをはくなど気取らないナチュラル派。さて、王子様 With 百万ドルを手に入れるのはどっち??と盛り上がったところで、いきなり大どんでん返し。なんとこの王子は偽王子で、実は年収19Kドルの建設作業者。王子は「純粋さと読めないところに惹かれたと」ナチュラル派を選び、この衝撃の告白。選ばれなかったナイスバディは、この事実を知らされるやいなや、それまでの上品ぶりはどこへやら、いきなり蓮っ葉な一面を出して、さばさばした表情。さて、ナチュラル派はお金がなくても彼の愛を受け入れるのか??結末はよくできたシンデレラストーリー。「信頼できる人と思っていたのに嘘をつかれていたのは残念。でもあなたにはお金よりももっともっと素敵な面がある。だから付き合いを始めましょう」と答えるナチュラル派、感無量と抱きしめる偽王子。そこに王子の恋の行方を見守ってきた偽執事が差し出すのは、百万ドルの小切手。。。。2重のどんでん返しに驚き再びかたく抱き合う二人・・・・ああ出来すぎた話。王子とは知らずに乞食を助け、結局王妃になる御伽噺がどこかにあったけれど、そのまんまじゃないかあ!来週は番外編ということで、百万ドルを手に入れたこのカップルの後日談。均等に分割してハイさよならなんてことになってなきゃいいけど。
2003/11/13
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がーん。昨日からパソコンの調子がおかしい。スクリーンよりも一回り小さい画面で立ち上がり、しかもマウスが効かない!というかマウスが見当たらない!!98年に購入したからそろそろ寿命かとは思っていたけれど、Emailくらいしか最近使わないからいいか~!と甘く見ていたらいきなり。どうしよう皆のメールアドレスも涙の結晶卒業論文も出してはボツになったCVもみんな入ってるのに。気分は非常に鬱。夜は「セレブリティ・スワップ」を見た。この番組は最近愛見している「Wife Swap」の特別版。2家族のWifeをスワップして1週間それぞれの家庭のそれぞれのマニュアルに従って、妻(お母さん)が入れ替わって、家族生活を送るというもの。典型的労働者階級にインテリ妻が入って「夜は詩を読むのよ」と指導したり、何でも家事をやってくれる夫に甘やかされた妻が何もやらない夫のところにいってぶち切れる、とか。そして1週間の後 Reunionした家族は、お互いの重要さ、いとしさを再確認したり、家事をさぼっていた妻は自分を反省したりする。確かに自分の日常を反省したり再確認したりするには、赤の他人を入れてみるのが一番かも。そして、セレブリティ版の今回は、昨年の「Big Brother」(この番組については今度説明)で一躍スターダムにのしあがったJadeのカップルとこれまた昨年TV界で大スキャンダルとなった「Who Wants To Be A Millionaire」の「咳してズル」カップルがスワップ。スワップ生活自体はまあいつもに比べるとそれぞれが任務に忠実で刺激やいさかいにかけたが、このカップルをスワップしてしまうところがすごい。特に法のお咎めはなかったといえ、明らかにDoubtfulなミリオネイアカップルがしらじらと「我々はズルなどしていない」「お父さんたちは正しいもん!」と家族総出でシラを切っているのはいかがなものか。こうした企画に代表されるように、イギリスのテレビは結構「恥も外聞もない」系の番組がおおい。特に日本のようにタレントの恥をさらすだけではなく、一般民衆の恥やあからさまな欲望を克明に捉える番組が多いので、Peeping Tom精神旺盛な人々(あたし?)にはたまらないものがある。
2003/11/11
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この秋から毎週国際関係論を聴講しに行っている。ロンドンにはいわゆるアダルトスクールが一杯あって、Hot Course等英国版「けいことまなぶ」にはそれはいろいろなコースが花盛り。音楽やLanguage、リフレクソロジーや「自叙伝の書き方」、プレゼンテーション講座までビジネス、余暇、ライフワークなどいろんな講座を比較的安価に受講することが可能だ(私の場合週一回2時間、半年の講座で170ポンド 3万円程度)。かくいう私もこの2年間で、「Jazz Piano(クラビノーバ20台を並べて皆で思い思いに弾くというのがいまいちで、断念)」や「最近の経済情勢(Cityのビジネスマンが議論を戦わせる場所と思ったら、GDPが何かを知らない人もいるようなコースでこれもいまいち)」「BBC交響楽団の裏側(楽団の人が来て話しに来たりして、なかなか面白かったが、忙しくなってしまい断念)」などいくつか通っては、そこはかとなく消えていった講座がいっぱい。そこで今回こそ!はとこのコース。本当は歴史を学びたかったのだけれど、「イギリス王朝」「メディチ家の歴史」など的を絞りすぎたマニアックなコースで、「漠然と何か歴史を」と思う私はまたしても断念してしまいそうで、やめにした。現代史や、せっかく欧州にいるのだからEU関連を学びたいと思い、選んだのが国際関係論。今回の「Historical Introduction Of International Relationship」を含め、4つのコースをエッセイ提出、試験などを経て修了すれば、DiplomaのCertificateももらえるというのもいい。将来おばあちゃんになって、突然勉強を思い立ったときに、ファイナンスだけではなく「国際関係」の学位も持っていれば、多少コースの選択肢が広がりそうだし。また、遊んで暮らした大学時代に専攻した「国際機構法」。今ではすべての勉強が遠い彼方。語るのも恥ずかしい過去になっているので、そのメモリーをブラッシュアップするためにも。そんな野望も胸に10月以降、4回程出席したが、最初の3回はLSEでも教鞭を取る講師の専門分野である「米ソ関連」を学んだ。一番興味深く思ったのは、ソ連側の「東」と米国側の「西」に世界が分割される中、それぞれの集団の性格が異なった点だ。つまりはソ連アメリカのそれぞれのリーダーシップが取った行動戦略が異なっていたということだ。国際機関や国家間の条約関係を巧みに使い西側結束力を高めていった米国。一方スターリンの強権政治に代表されるように、権力の押し付けや強制的統制といった「警察」政治を使うことで、東側諸国を傘下に収めていったソ連。アルバニアに今年行った時、スターリンが攻めてくるときに備えた「トーチカ」が国のあらゆる場所で見られた光景を思い出した。国際的にソ連の監視下におかれ、国内の反動分子も警察的強権で押さえ込まねばならなかった東側社会主義諸国。そうしたシステムを考えると、彼らが長くそのシステムを存続できなかったことは不思議ではない。「社会主義は滅び、資本主義がより良いシステムとして残った」と私は単純に考えていたが、もしもこうした強権的ではない社会主義が可能であるとすれば、この社会主義・資本主義比較論もまた別の方面から考えることができるのではないか。それとも強権的ではない社会主義など存在しないのか。まだまだ勉強不足。レポートのテーマとして選ぶには抽象的かつ深い命題すぎるだろうか。
2003/11/04
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土曜日は友人の引越し手伝いで1日中てんてこ舞い。イギリスではフラットが家具つきであることが多く、引越しといっても業者を雇わず、バンだけを借りて、友人を集めてすませる人が多い。とはいっても、カップルで2年も住めば、何やかんやモノは溜まるもので、5時間ほど重い荷物を抱えて階段ののぼりくだり。いや~タフな運動だった。留学時代の1年間一緒に暮らしたルームメートが日本からロンドンに遊びにきているので、夜は皆でいきつけのモロッコレストランへ。留学時代の彼女は、舌を巻いてしまうくらい、勉強熱心だった。悪友のルームメートの「コンサートいこうよー」「おでかけしようよお」の甘い声にも全く動じず、常に淡々と己を律して勉強する姿に刺激されたものだ。そんな彼女にとってロンドンは「憂鬱な」国であり、「もうしばらくは遊びにこないわ」といって帰国していったが、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」(適切な表現ではないような・・)のか、去年そして今年と長い休暇にはこちらにふらっと遊びにきて、特に観光もしないまま旧友と飲んではのんびり過ごして帰っていく。今日も留学時代、大学院が始まる前のプレセッショナル(留学生が院を始める前の準備英語コース)で一緒のW(現在はLSEでドクターコース)も交えて会った。この英語コースで一緒であった仲間20人あまりのうち今だに、半数以上とは連絡を取り合い、ロンドンや日本やドイツや香港で再会を祝している。たった1ヵ月半のコースであったのに4年以上経つ今もこうして変わらぬ付き合いができるとは。既に英国での生活を確立してしまった生徒(英国人や大学をロンドンで過ごしている人)が多い1年間のマスター時代よりも、初めてこの国にやってきて右も左もわからないなかいっしょに英語を勉強した仲間とその時期の記憶は鮮明で、いかに自分が緊張して、また張り切って過ごしていたのかを、とてもほのぼのと思い出す。世界のあちらこちらに友人がいるっていいものだ。ふふ。
2003/11/01
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イギリスのインド人コミュニティーにアフリカ起源が多いということは、彼の友人TJから聞いた話。1900年代以降アフリカを統治していったイギリスは、現地の統治管理のため、多くのインド人を本国からアフリカに移住させたということ。しかしアフリカでの生活は困窮を極めウガンダ出身TJのファミリーも現地ではかなりの苦労をしたとのこと。そんなTJに誘われ、彼と3人でインド人フォークダンス大会へ。まずは最近リファブリッシュしているTJのフラットを見て、彼の車でエッジウェアーのインド料理屋へ。普段ブリックレーンなどのB級インド料理を愛好している我々に、「あれはバングラデッシュ料理であってAuthenticインド料理ではない。いつか本物のガジャラディ(地域名)料理を食べにいこう」といってくれていたので、その機会がやっと出てきた。料理は確かにおいしかったが、やはりバングラ料理との違いは私にはまだわからない。そして、フォークダンス会場へ。公民館のような場所にインド人がいっぱい。TJ自身はこのようなパーティーに参加することは不本意らしく、我々が見たいというから、いやいや連れてきたという感じ。このためTJのお母さんやお姉さんに「よくぞTJを連れてきてくれた!」と感謝されてしまった。インド人はとても家族の絆が強いようで、30歳を越えたTJは母親の近くに住み、夕食はいつも母親のところで食べているそう。お姉さんたちも既に嫁いではいるものの、やはり近くに住み、何かといえばすぐ集まるらしい。さて、そのフォークダンス。棒を2本振り回して2列になって次々にパートナーがかわって踊る。比較的簡単な所作なので、すぐに覚えられたが、皆が木の棒を結構な力で振り回すからちょっと怖い。1時間近くもくるくる踊っていたら、さすがに疲れてしまい、マサラティーを飲んで落ち着いてから帰宅。ここロンドンにはインドコミュニティーや香港コミュニティーがしっかり根付いている。「My Big Fat Wedding」で揶揄されたギリシャコミュニティーのように、時に彼らはどぎついほどに、自国伝統・カルチャーを他国でもなお維持している。仕事や学校などの公共の場では英語を難なく操り、同化しながら。。。なんともたくましい。
2003/10/04
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映画「フォーウェディング」を見て以来憧れていた英国風ウェディングにやっと参加する機会が巡ってきた!20代の頃はそれこそ1年に何件ものウェディングに出席していたけれど、30代になってから初めて、ひさびさの式ということで靴からスーツからバッグから衣装もすべてリフレッシュ。そしてアスコット競馬で使った帽子の再登場。朝は2時間以上前に起きて支度をしたにもかかわらず、待ち合わせ時刻ぎりぎり。今回はパートナーが運転する車に新婦のサンフランシスコ時代の友人(初対面 サントス)を乗っけてあげて3人で10時にロンドンを出発。高速を使っていくのだから、余裕で2時の式には間に合うだろうと思ったのが、大間違い。事故により珍しいほどの大渋滞に巻きこまれ、刻々と時は過ぎていく・・・Usher(教会での案内人)を頼まれていたにもかかわらず、1時になってもまだ大渋滞の中。いや~ひさびさにあせった。途中で高速を降りて、公道をびゅんびゅん飛ばしたのが大正解で、元レーシングをやっていたパートナーの腕も光り、何とか5分遅れで教会に到着。しんと静まる教会にあわただしく入ると、ちょうど牧師さんが「異議のあるものは手を上げよ、さもなくば永遠に沈黙を」の個所に差し掛かったところで、ちょっとひやり。いえいえ、異議などございません。この教会は新郎の家族が3代式を挙げたという由緒あるHenfield教会で、ゴシックかつ素朴な石の教会。花嫁と花婿がお互いに誓いの言葉を述べ、リングの交換、賛美歌、少し壇上から離れての事務的な書類記名。全部で1時間弱の式を終え、幸せそうな新夫婦二人がおそろいのドレスを着たブライズ・メイドを従え入り口から出て行くのを待ち構えて鐘が鳴り渡る。紙ふぶきを渡され、外に出て写真撮影を終えたカップルがリボンつきのキャデラックに向かうのを皆で祝福。あわただしく車で去るカップルを見送り、ゲストは数キロはなれたレセプション会場へと。先ほどは極度に慌てた状態にあったため、ろくに景色も見ていなかったが、新郎の故郷でもあるブライトンに近いここWest Sussexは柔らかな緑に囲まれた典型的なカントリーサイド。ここ数日イギリスを覆う熱波のせいもあり、おニューのスーツもすこしムシムシして不快指数は高いけれど、雲ひとつない青空。そんな空の下、(今度は)、心穏やかにドライブをしてレセプション会場であるWinston Houseに向かった。これが素晴らしいマナーハウス。羊が草を食む丘をいくつか越えると、そこにはマナーハウスというよりも城のようなHouseが聳えており、そのHouseと付属の教会以外周りには何もない。こんな場所で披露宴をそれこそ日付が変わるまで1日中親しい人々とゆっくり楽しめるなんて。このHouseは宿泊施設も併設しているため、多くの参加者(我々は3Kmくらい離れた牧場ホテルNash Hotelに宿を取ったが)はそのまま宿泊できるから、惜しむことなく飲み騒ぎつづけられる。なんとゆったりした記念すべき日の楽しみ方なんだろう。到着してしばらくは、飲み物片手に数部屋あるリビングルームや陽光あふれるガーデンで参加者たちと気軽におしゃべり。すでに先週のヘンナイトで知り合った人たちやそのパートナーたち、その他誰とでも気軽に声を掛け合い、自己紹介をし合う光景はやはり外国のパーティーならでは。その後、新夫婦、そのファミリーが立ち並ぶ通路を一人一人声かけて(この光景は極めて日本的)、ダイニングルームへ。我々9人テーブルのメンバーの国籍は様々で、ドイツ、メキシコ、タイ、タヒチ、インドネシア、アメリカ、そして日本。しかもうちゲイカップルが2組。さすが新郎新婦の出会いの地がサンフランシスコだけある。それぞれ自己紹介をし、思い思いにおしゃべりしながら楽しい会食。「Britonと間違えてBristol」にいってしまったゲイの人たちの話、それぞれと新郎新婦とのなれ初め等など。しばらくして、新婦のお父様のスピーチが始まった。まずは英語。一度も海外に出たことはないと聞いていたので、きっとこのスピーチを作るのにどれだけ大変だっただろう。言葉が通じない中、挨拶をして回るのがどれだけ大変だろう。でも、途中で英語のできる友人が通訳していたものの、お父様の言葉は言語の壁なんかを全く越えていて、皆に届くだけの深さと暖かさを伴ったものだった。「英語が不得手なので」と詩吟で娘さんへ向けた歌を歌われたときには、なんだかじんわりきてしまった。そして、新郎のスピーチも日本語で始まった。知っている限りのJamesの日本語は挨拶程度だったのに、たどたどしいながら一生懸命「自分のせいで、お父さんお母さんが日本でちあきに会えずに寂しい思いをしてしまってすまない。でも自分にとって彼女はなくてはならない人なので、そんなご両親のさびしい思いの分も、彼女を大切にしたいと思っています」と伝えたときには、お母様も目を覆っていらっしゃった。そしてそのあとは、英国人らしいユーモアを含めたスピーチ(マッチョな彼がいた彼女を、ちょっとなよっとした自分がいかに落としたかなどなど)。そしてベストマンのこれまた楽しいスピーチ。こうしたスピーチも終わり、会食も終えたあとは、また再びリビングに戻り、新婦の作ったケーキを切り分けて食べたりしながら延々とおしゃべりは続く。途中、バンドが入り、新郎新婦をはじめダンスが始まったり、パーティーだけ出席という新たな友人が加わったりして夜は更けていった。2時に式が始まって、レセプションが始まったのが4時過ぎ。ホテルに帰る12時までいろいろな人々と話し合ったり、ダンスしたり、アットホームなホームパーティーの延長線上にあるような心くつろぐ1日だった。新婦とは1年半前くらいにロンドンで出会ったけれど、早稲女にしては(偏見!)綺麗な女らしい外見とは一転、抜群のバイタリティーとクリエイティブなスピリットをもった人。人柄がまっすぐでいっしょにいてとても気持ちの良い人だ。今回の式はドレスからケーキからカードからすべて二人の手作り。そして会食の席には小さな子供のためかしゃぼん玉を置いたり、「写るんです」を各テーブルに置いたりする心配り。完全に脱帽!!心優しさが顔にあふれるらくだ似のジェームスといつまでも幸せな家庭を、この緑あふれるイギリスで築いていってほしい。幸せに!!おめでとうちあきちゃん!
2003/08/08
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ここのところ、イギリスではHeat Waveの毎日。「今日は34度を越えるのではないか」「冷房のない地下鉄地獄!」などここのところイギリス紙の1面はこの話題で持ち切り。そんな珍しいばかりの好天の中、この金曜日には初めてのイギリス風結婚式参列。2日土曜日はその前哨戦「Hen Night」の一夜だった。イギリスでは結婚前の一夜を女子同士、男子同士で「Hen Night」「Stag Night」と称して馬鹿騒ぎをする恒例。昔は本当に結婚前夜に行って、二日酔いで式にぎりぎり間に合うなんて話もよくあったそうだけれど、善良な友人であるわれわれは1週間前に行うことにした。実はやったこともないのに、私は幹事を頼まれてしまい、ここ数週間は「Hen Night」ウェブサイトをサーフィンする毎日。それにしてもこのウェブサイトの「Hen Night Goods」コーナーはかなり過激で、それこそあれの大きな模型やら様様な過激衣装がてんこもり。しかしDecentなわれわれは、おとなしくSalsa Nightとすることに。7時半からOxford Circus近くのクラブBar Madridにて9人の彼女の友人が集合。彼女は日本人だけれど、外資の建築会社に勤めていることもあり、友人は超インターナショナル。まずは軽くレッスンをして、フロアに出たけれど、あちらにもこちらにも、牛の角をつけたり、ブーケをつけたりした「クレージー Hen Night」ご一同様がいっぱい。何も変装グッズを買わないなんて、おとなしすぎたかな・・・とちょっと反省してしまった。席に戻って、Tapasをつまみながら、ワインを飲んだりして、またもやフロアに出るけれど、そこはおやじの宝庫。明らかにギラギラしたおやじが、「日本人好きなんだよねー」とかいいながらしつこく腰を押し付けて踊ってくる。まあ、Hen Nightだし、花嫁も羽目はずしてるし、ということで、硬くならずに踊ろうとするけど、はっきりいって不快!!曲も南米系というよりは、結構ミーハーディスコ系でだった。1時過ぎまで踊り、その後はメンバーの一人のおうちに。天井が通常の2倍もあるようなモダンなフラット(さすが建築家!)でご馳走になったスコッチ、タリスカがとてもおいしかった。はじめての経験ということで、あれもできた、これもしたかった、とあとは反省ばかりだけれど、花嫁の彼女も楽しかったということで喜んでくれたので、とりあえずはよかった!ちなみに男子はドッグレース&ストリップ&クラブという3連荘だったそう。ああ、結婚式が楽しみだなー!
2003/08/02
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前夜のアスコットとカジノの疲れがたまっていて、朝起きたときに雨がぱらぱら降っているのを見たときには、「さぼり」という誘惑ももちろんあった。でも、せっかく初めてロンドンで申し込んだ大会だし、最初の一歩で挫いては、と思い、重い腰を上げウィンブルドンへ。高級住宅地なのだけれど、Richmondのようなこじんまりとまとまった雰囲気を持たず、二子多摩川的新興高級住宅地という雰囲気の街。駅前のスタバでコーヒーをゆっくりすすり、バス停へ行くが、なかなかバスが来ない!間に合わない!!会場のウィンブルドンコモンについたときは、すでにスタート7分前で、やる気漲る選手達がスタートラインの周囲で筋肉をほぐしている。でも荷物を置きにいかなくちゃいけない!!5分くらい歩いた場所にある集合地点に荷物を置いて戻ってくるとすでに、スタート10分後。いきなりやる気なーし。でも明らかに遅れている我々を見ても、主催者側は「急いで!」とせかすでもなく、また上には上がいるもので、荷物を置いてスタート地点に向かう我々に、「You Are Not The Last~」とのんびりと声をかけるさらなる遅刻者も。10分も遅れてはすっかり追いつく気も失せ、何とか完走!を目標にゆっくりと走った。結果は59分という惨憺たるものだったけれど、ひさびさのジョグだったことや、前日の疲れが残っていた事も勘案して、よしとしよう。途中片足のない松葉杖の人が賢明に歩を進めるのを見たときは、さすがに「よし私もやらなくっちゃ」という気にはなったけれど。次回はロンドン市内での10Kレースが7月中旬。そのときはもっとタイムを縮めるぞ。ああ、どうやらまたジョギングに嵌ってしまったみたいだ・・
2003/06/22
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6時に会社を退社後一目散に家に帰る。Tシャツと短パンに着替えて昨日も走ったRegent Parkへ。昨日は4Km走った後、美術館を巡ったり、河沿いをさらに散歩したので、足が全体的にまだダルい。でも日曜日が本番で、しかも10Kmも走らなきゃいけないときては、トレーニングをしないわけにもいかない。夜7時のRegent Park。といってもまだお日様が燦燦と差し込む。仕事を終えた後のランナー達に、散歩する社会人カップル。ウイークデーといってもオフタイムを充分楽しめる季節だ。遅くとも7時には日の暮れた日本に育った私としては、夜10時まで夕方にならない夏のヨーロッパにまだ慣れなくて、過剰に張り切ってしまったり、もてあましてしまったりする。5年くらい前までは、毎年10Kmくらいのレースには出ていたので、“軽い!”と思っていたけれど、やはり体力の衰えがあるのか、2日連続で走っただけで体が本当に重い。サボって途中で歩きたくなるのもやまやまだけれど、今回のレースには嫌がる彼を無理やり誘ってしまい、練習にもつき合わせている手前、私だけサボるわけにもいかない。それでも、ホウホウの体で、1周を終えて集合場所に帰ってきて息を整えながら芝生に寝転び、空を見上げるといまだ夏の光がまぶしくって、ああ充実の月曜日。そのあと、お気に入りの池までいって、鴨やらアヒルやらを眺めて帰宅。それでもまだ8時半、日はあと1時間半落ちない。もてあますくらいの日中を抱える幸せのイギリスの夏。
2003/06/16
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朝から来週の10Kレースに備えてRegentパークを一周。相棒とRegent外周道路左回りと右回りに分かれて走る。4K強のコースだったけれど、猛烈に疲れてしまって、さてさて来週はちゃんと走れるのだろうか・・その後さっぱりシャワーを浴び、Tate Britainへ久々に。ターナーコーナーのみに終始してしまったけれど、今まで好きだと思っていたあのぼんやりとしたターナーも楽しんだが(特に彼の黄色とブルーの混合度合いがすきだ)、今日は水彩画や線画の繊細な描写にも目が奪われた。抽象画のピカソにしてもぼんやりした絵の評価が高いターナーにしても、彼ら独自のスタイル以前のデッサン力もたいしたものだ(当たり前か・・)。イギリスやベニスの景色を驚くほど丁寧に精密に描写しながら、最後に行き着くのがあの色の混じりあいで日暮れや夜明けを表現するという手法。美術オンチで未だに「あの絵教科書で見た事が!」のコメントの域を越えない私だけれど、こうして画家のプロセスを見ていけば、もっと自分なりに楽しめる道が開けるかもしれない。その後河沿いをチェルシーまで歩き、Made In Italyで遅めのランチ。ここのItalyは安いイタリア料理の中では一番ロンドンで気に入っていたのに、ランチでコックが違うのか、かなりいまいち。そしてピカデリーに出て久々の日本映画。楽しめるはずなのに、なんだこれは!日本の恥!「Dark Water 仄暗い水の底から」。鈴木光司のホラーの映画化というところから気が進まないが、久々の日本語♪ということで相棒に無理やり連れて行かれたところ、ああ見なければ良かった。こちらの映画評では評判よかったけれどなあ。豊島園のお化け屋敷のノリだった。イギリスメディアも妙に異文化に関しては評が甘くなってしまうということかな。
2003/06/15
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天気のよい週末今年のロンドンは本当に天気がよい。土曜日は朝からマーケットに買出しに行き、帰ってきて早速料理。というのも午後から訪ねる友人の家では、5月中旬に赤ちゃんが誕生したばかり。旦那がイギリス人で、料理を作ってくれるとはいっても、手の込んだ日本食が恋しかろうと、張り切って作った日本食!(といっても巻寿司とから揚げとひじき・・・)去年まで私も住んでいたHammersmithの庭付きフラットで、庭に机を出して、日差しを浴びながらのお弁当タイム。残念ながら「えみりちゃん」はずっとお昼寝中だったけれども。その後夜は、バービカンでのYo-Yo-Maのコンサート。4月のクラッシックとは違い、今回は彼の「南米音楽プロジェクト」の一環とかで、ブラジルのヴィラ・ロボスやアルゼンチンのピアソラの音楽を、ギター二人組み、チェロ、ピアノ、パーッカッション、クラリネットの様々な取り合わせで奏でるという趣旨だった。今回の目玉はチェロというよりもブラジル出身のギター二人組みとキューバ出身のクラリネット奏者Paquito。兄弟ギター奏者の演奏は、フラメンコギターのようだが、そのアクの強さと押しが抜けて、いい感じで“ブラジルな音楽”だ。そして癖のある英語スピーチの時からやたらと目立っていたクラリネット奏者の明るいこと明るいこと。キューバ音楽というと、「ブエナビスタソシアルクラブ」の路地裏音楽を思い浮かべる私に、空の下の「南国キューバ」音楽をたんまり楽しませてくれた彼の存在感は図抜けていた。おかげで、ピアノ、特にスタンウェイピアノのもつ音色の堅さが浮き彫りとなってしまったり、Yo-Yo-Maのお洒落といえばお洒落でもちょっと「香水臭さ」の漂う音楽が妙ににおってしまったくらいだった。
2003/06/14
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本日金曜日、National Theatreに友人のJazzフリーライブを聞きに行き、その後はリバプールストリート近くのパブで友人の誕生日パーティ。ピアニストのAnthony率いるジャズグループVenus Edgeのサックスとドラムが変わってしまうということで、昨年から何度か通ったこのメンバーでの演奏は最後になってしまう。Anthonyが友人の旦那ということで知ったこのグループだけれど、吹き抜けのガラス張りのフロアでの演奏が一番似合う風通しのいいフュージョングループだ。そして、そこに向かう途中。ぶらぶらと会社からミレニアムブリッジを渡りきったところで私の名前を呼ぶ声が。見ると、東京から旅行で訪れた大学時代の友人ではないか!なんと言う偶然。彼とは何かしら縁がある。ゼミの仲間ということで東京に居た時もたびたび集まる仲間だったが、英国留学を考え始めたころ、ブリティッシュ・カウンシルの留学フェアに秘密裏にいったところ、なんと彼とばったり!「おまえも留学?」「あんたも!!」と、ビックリしあった1年後彼が留学、そのまた1年後私も留学。ところが彼は英国が嫌いだったらしく、期待に胸膨らませロンドンに到着した私に、勉強に疲れきった様相を見せ、「最悪の1年間。この地は二度と踏みたくない。おまえも1年後にはすっかり萎むさ」と不吉な預言を残して帰国していった。預言に反し、私は英国大好き人間となり、ここに今暮らしている。そして、そう豪語した彼も懐かしくなって久しぶりの休暇をロンドンに遊びに来ている。留学後住所がたびたび変わる慌しい生活となったせいか、彼とは連絡も途絶えていた。でも4年後に、こうして不吉な預言を残され、気分を害されてしまったロンドンでばったり再会するとは。偶然っていうのはいつも人の想念を日常生活の横道にはみ出させてくれる。私はロンドンでの生活が始まった頃を思い始めていた。「河の向こうのフェスティバル」このホームページのタイトル。実は結構考えて付けたもの。もちろん、コンサート記録にするという目的が第一義であるため、「ロイヤルフェスティバルホール」からの連想でもある。でももっと大きな意味としては、このロンドン生活自体を「河向こうでフェスティバル」があるかのように過ごしているのだ。4年前期待一杯張り切ってこの地に立ったとき、そしてそれからの留学時代の1年は今思っても私にとっての人生のフェスティバルだった。初めての海外一人暮らし。何を求めればいいのか戸惑ったのも当初だけ。とにかく何にでもくびを突っ込んでみよう、誰とでも一生懸命話してみよう、とハイテンションで突っ走った日々。それだけに今でもどんな時期を思っても胸が熱くなることが一杯だ。帰国後1年の後の2001年10月、この地に社会人として再び戻ってきたとき、「またフェスティバルが始まると考えるのは止めよう。留学生時代は“ハレ”の毎日だったけれど、今回は“ケ”のロンドンを過ごしてみよう」と思っていた。でも、暮らして3年を経て、明らかにあの留学生の頃とは違うものの、ここロンドンにはやはり私にとっての“フェスティバル”が多い。“ケ”の日常から“ハレ”に簡単に心の橋を渡れる出来事がコンサートや旅だけではなく、日々の中にもちりばめられている。そんな気持ちを表したのがこのタイトル。自画自賛だが我ながらかなり気に入っている。
2003/06/13
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R STRAUSS Also Sprach ZarathustraBRAHMS Piano Concerto No 2André Previn conductorEmanuel Ax piano「ツァラトゥストラはかく語りき」「2001年宇宙の旅」の冒頭音楽。Rシュトラウス作曲の大交響詩。ご存知ニーチェへのオマージュ曲らしいが、ツァラトゥストラとはドイツ語の「ゾロアスター」なんだって。ゾロアスター教とニーチェ??。ブードゥー教のような怪しい宗教と思っていたけれど、何でまたニーチェが??などと考え始めると深みに入り込みそうな想念は排除して、曲に向かうと、これはなんともおもしろい曲だった。そう、「幻想即興曲」に通ずるような「聞くたびに発見!」の曲。「自然のテーマ」「夜のテーマ」などのモチーフが各所に現れながら、一応それぞれのパートに分かれるものの、盛り上がったり萎んだりしながら45分間殆ど空白なく曲は進行。二つの調性が混在して中途半端に終わるエンディングは、人間と自然の永遠の対立を示しているんだって。言われてみてやっと「はあ なるほど」としか俗物は感想できないものの、音の散らばりで宇宙観を語ることは確かに可能なのだろう。音楽も思想も科学もやはり渾然一体。Rシュトラウスは、最近読んでいる本「交響曲 不滅」に出てくるが、彼はWW2の時ユダヤ人であったため追放された指揮者ブルーノワルターにかわり、棒を振ったことで「ナチの犬」と揶揄されてしまったらしい。この本には、ナチスにより「ユダヤ人の音楽しか演奏してはいけない」などの制限を加えられ、じわじわと忍び寄る戦争の影に怯えながらも、音楽を追求する熱い魂が多く描かれている。まだ読み途中だけれど、「たかが音楽」では決してない、「歴史の流れ」を堰き止めようとする「音楽」という存在がひしと伝わる。そして、大好きな曲ブラ2協奏曲。エマニュエルAxの大味なピアノはブラームス、特にオケに負けちゃいけないこの協奏曲にぴったりだとも思うが、少し雑な部分や気分が先走りすぎた部分が見えてしまった。昨年11月に聞いたバレンボイムの質実さと絢爛さという二つが混在した演奏に比べれば、無難とはいえインパクトに欠けるかな。プレビンも年老いたものだ。小さくってどちらかというと小振りな指揮だけれど、シュトラウスの啓示的音楽に合わせると、「天井の音楽」という雰囲気を充分味わえた。
2003/06/12
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Royal Ballet Romio&Julliet プロコフィエフ一度見てみたかったバレエのロミジュリ。今回はジュリエットを演じて十数年というベテランジュリエットFerriを迎えての会。顔の半分を占めるとも形容される目の大きさとスリムな長い手足が印象的だ。このプロコの曲自体私は結構好きなので、それが踊りとどう合わせられるのかも楽しみにしていたのだけれど、あいかわらずの下手さのオケと、いくつかのテーマがいろんな場面で繰り返し使われてしまうため、少し飽き飽きという感も。踊り自体も、ジャンプや回転が多用される振り付けというよりは、動作が派手な無言劇といった趣向で、Ferri演じるジュリエットの初々しさや女らしさは楽しめたが、ロミオがいまいちそれに共鳴していなかった。どちらかというと静かな情熱の高まりが炎となり、一瞬で焼き尽くされてしまった恋を描くのに、バレエは不向きなのかもしれない。
2003/06/09
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