おさんぽ日和
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まずは・・・2011年3月11日に発生した東北関東大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします・・・。一気にいろんなことが起きすぎて、整理できない状態でしたが。少しずつ、少しずつなんとか持ち直しつつあります。あれから18日経っているのですがそれでも時間の流れの感覚が未だ狂っている感じが残っています。それほど慌ただしい日々のなかちびロクは無事年中さんを終え、4月から年長さん。次男坊は今日付けで保育園退園、4月からちびロクと同じ幼稚園に入園します。何から書いていいのかわかりませんが・・・想像以上の被害、宮城にいる友人と連絡が取れてほっとしたのもつかの間。義姉の身内が岩手の久慈市で未だに連絡が取れないそうで・・・でも信じてます。きっと連絡が取れないだけ。ガソリンの行列。買占めの後のがらんとした棚。買物に行くたびに気が滅入りました。自転車を使えばいいし。歩けばいいし。紙おむつがないなら布おむつに切り替えればいいしそろそろ本格的におむつトレーニングに取りかかるからちょうどよい機会だな。ヨーグルトがないならないで困らないし牛乳がなくても死ぬわけじゃなし。米がなくても野菜とか生鮮物は豊富に売っているんだからそれで十分お腹は満たせるんだし。電気がなくてもガスは使えるんだし。停電している間はガスを使って下ごしらえしたりして時間をつぶしたり。その分被災地に送ってあげようという思いで過ごしてきています。何度も計画停電になっているわが地域。なっていない地域があるけれど不公平とか思わずに、その分節電に励んでくれていると信じて。停電した夜は本当に寒さを通り越して凍える思いでした。厚手の靴下2足はいてジャージも2着重ね着で。色々といっぱいでうまく書けないけれど。やっぱり意識は変わりました。特に外出時。絶対連絡とれるのが一番安心だと思い・・・ソーラー充電器を持ち歩くようになりました。 職場に持っていくお弁当と水筒を入れたバッグに取りつけて、常に充電状態になるように。ダンナにも同じものを買い通勤用かばんに取りつけておきました。あの日。私は保育園を休ませた次男坊と共にちびロクを幼稚園から迎えにいって帰宅しました。ちび達が昼寝して、ホッとしつつお茶にしようと思ってお湯を沸かそうとした瞬間。ぐらり。よろめいて、床に手をついたほどよろめきました。メニエール病を持っている私ですが最初はめまい?と思っていたのがそのよろめきで、「地震だ!」と気がついたときすごく揺れ続けました。真っ先に、寝ているちび達の近くにあるテレビを押さえていました。ずっと押さえたまま、なかなかおさまらない揺れに覚悟しました。やっとおさまったと思い、テレビから離れたら・・・2度目の揺れ。再びテレビを押さえてひたすら無事おさまるのを祈る気持ちでいました。その間、ちび達は熟睡中。ちっとも起きやしねえ。次男坊なんて起こされてると思ったらしく寝ながら「起こさないでよ」と言わんばかりに手を払っていたし。なんとか大きな揺れもおさまりテレビをつけてみたら・・・宮城や岩手の惨状が。絶句・・・でした。そして福島の原発までが。ちなみにダンナは仕事中、ビルが揺れて壊れて停電かつ断水したため近くの子会社のビルが無事だったので避難してそのまま一泊。帰宅困難者になりました。次の日の午前10時に無事帰宅した時は本当にホッとしました。家族そろって無事でいられて・・・。寝ている間も強い余震があるうちはすぐ目が覚めてしまったり。そして実はダンナは地震のあった次の日からリフレッシュ休暇で休みを1週間頂いていました。ビルは破損しているし、どうなるかなと思っていたらそのまま予定通りの休暇となったそうで結局、予定通り旅行へ行ってきました。私は「こんなときに旅行なんて・・・」と反対しましたがダンナが大丈夫!ときかなかったのとちび達が「しんかんせん♪しんかんせんにのるんだ♪」とすごく楽しみにしていたのもあって・・・結局、決行。大阪、USJ、京都への旅行でした。やっぱり、私は旅行先でもつねに地震のことが頭にあり、余り眠れませんでした。無事帰宅した夜も、予定より2時間早めての帰宅でした。もし予定通り帰宅していたら、静岡での強い地震で、静岡辺りでストップして新幹線の中で車内泊していたかもしれません。幼稚園が再開して皆が集まって、ママ友達と会えたのもとてもホッとしました。やっぱり人と話すと安心しますね。ダンナも一日だけ臨時で出勤要請があり出勤しましたがあとはずっと休暇だったのでこれも心強かったです。帰宅難民になった時やっぱり連絡取れるのって安心だと強く感じたのでソーラー充電器を買ってバッグに取り付けるきっかけとなりました。地震も原発も忘れてはいけない出来事となったけど。10日後にはサリン事件16年目でした。この日も忘れてはいけない日です。私も、出るのがあと少し早かったら巻き込まれていた事件。色々な出来ごとがありすぎて。いっぱいいっぱい状態でした。でも、つぎに書くブログは明るく行きたいと思います。まとまりのないブログを長々読んでくださって有難うございました。一刻も早く、原発の作業が終焉に向かうことを祈り一刻も早く復旧と復興できることを祈ります。義援金もしっかり事実を確認して募金も続けていきます。お互い、頑張ろう!日本、そして私たち!!と書きあげたら、強めの余震が来ました・・・(滝汗)。
2011年03月30日
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