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過去日記 2008年7月21日。 入院当日のお話の後編です。この日は、朝から大忙し(一つ前のブログ)でした。18:00 夕食が配膳されると、お見舞いに来てくれていた、 主人 と 友人なあ~さん は帰りました。 寂しいけど、「やれやれ」と思い食事。 調度、半分位 食べたとき・・・・・「のあねこ! のあねこ!」と、カーテンの向こうから声がする。「ん? なあ~さんの声?」と、思うと同時、彼女が顔を出した。「あれ? さっき、帰ったばかりなのに・・・忘れ物?」かな?でも、彼女。顔色悪い! 汗を異常にかいている! 息もあがっている!ま・まさか、具合悪い?????そして、なあ~さんから衝撃の言葉が・・・・ 「さ・さ・財布がない!」 「えええ~~~~~~!!」えらいこっちゃ!!!!!お財布には、運転免許証・キャッシュカード・現金・診察券・ポイントカード などなど大切なものが入っているとのこと。食事どころではない! 一人入院はダメといって、わざわざ、早い時間から付き合ってくれたのに。こ・こんな仕打ち! 申し訳ない! 捜索開始!まずは、なあ~さんの荷物。中身を全部だして。 なあ~さんの洋服のポケット。・・・・ な・い ・・・・では、私の荷物。ロッカーの中。 引き出し。 布団をめくって。 ベットの下・横。・・・・ な・い ・・・・おそらく、病室にはない!ということで、昼間、お散歩した病院内を歩くことに。 <--かなり焦っているので、看護師さんや警備室、事務所への連絡に気づいていない。3機あるエレベーターに手分けして乗る。道順を思い出しながら歩く。 途中にあるゴミ箱&いすの下をのぞく。祝日だったので、外来患者さんが少なかったけど、入院着を着用しての捜索。かなり「変なやつ!」ですよね。。。さて・・・この時。 もうひとつ事件が起こっていた。原因は、わ・た・し。その事件とは。。。一つ前のブログにも書いたとおり、私、夕方の検温で熱があった。自覚症状はない!けれど、明日の手術に影響があってはいけない!と、看護師さん達は、心配していたんです。で、日勤の看護師さんが、様子を見に来てくれていた。 <---- ありがとうございます。でも・・・・私、いないのね~。食事が、半分食べ残した状態で、そのまま放置されている。 (残しても、自分で片付けていれば、よかったのですけど、そのまま放置ですから・・)ベットは、もぬけの殻。「のあねこさん。具合悪くなってしまったんだ!」「大変だ!のあねこさんを探せ!」日勤看護師さんは男性だったので、夜勤の女性看護師さんも巻き込まれ、外科病棟を探してくれたみたいなんです。 <----- これまた、失礼いたしました。そのころ、私達は・・・・お散歩コースにも、お財布がなかった事で、さらに、焦り興奮状態!とりあえず、落ち着くために外科病棟の談話コーナーに戻り、作戦会議。自分達では、どうにもならん! 迷惑かけちゃうけど看護師さんに協力を要請することに。お財布の特徴と、なあ~さんの名前・連絡先を書いて・・・・ナースステーションへ。ナースステーションへ行こうとしたら、「あっ! のあねこさん ここにいたの?」の声。男性看護師さん。 「よかったよお~~~」って、何もよくないんですけど・・・お互いの事情を説明。 お互いに びっくり!看護師さんの協力で、病院全体での「お財布 捜索」が始まった。私達は、警察に電話して、カード類を使用できない様にすることに。電話で事情説明をしているうちに・・・・「あった あった よお~~~」男性看護師さんが走ってきた!「えっ! あった!」 ブチ!「警察との電話、切っちゃった~~~~」警察の方、失礼しました。そして、無事・・・なあ~さんは、帰っていきました。そして・・・・問題の私の熱。さらに、上昇! 37.8℃ <----- そりゃそうだ~「もお~ 水枕して、おとなしく寝ててくださいね」「す・すみません」「38℃超えたら、北島ウルトラマン医師に連絡しますからね・・・」「じっとしてます!」明日の手術で必要となる、点滴ラインが左腕に確保され・・・こうなると、いよいよ、病人らしくなってきた。明日は、私も含め、「乳がん」手術予定者が4人いるとのこと。先生・・・忙しいね~~~。こんな感じで、私の入院生活はスタートしました。
2009年04月25日
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過去日記 2008年7月21日。いよいよ、入院当日です。実は、この日。 ダブルブッキングスケジュールで、大忙し。タイムスケジュールにのって、がんがん動く! 間違いをおこしたら大変! な日でした。入院当日と重なってしまった用事とは・・・・ なんと 私の父の一周忌なんでまた、こんな事になったか・・・というと。問題になったのは、私の退院予定日。我が御主人様は、家の用事であっても、会社を休むことを気持ちよく承諾しない。「あ~休めたらな」と、いつも答える。これって、結構不安でしょ。でも、私の退院予定日には、息子の学校の個人面談が重なっており、主人が有給休暇をとって、面談に行く!という。ならば、この日に退院すれば、気持ちよく迎えにきてくれるかも・・・ということ。入院当日の事情を知っている、執刀医 北島ウルトラマン医師は、「無理しないでいいですよ。手術の日、変更しましょうよ」と言ってくれましたが、「頑張ります!」で、入院の日が決定しました。さあ~当時の朝は、大騒ぎ!なんせ、一応主婦ですから。 何か遣り残して入院するのは気持ち悪い。5:30 超~早起きして、洗濯&朝食準備。 お風呂掃除。 一段落したところで、自分の入院セット確認 と 身支度。 (今は、髪の毛セットの時間必要ないけど、当時はね、髪の毛ありますから 大変!) 最大の難関 子供達を起こして。 朝食の後片付け、洗濯干し などなど・・・8:30 ドタバタ騒ぎながら、無事に出発! 9:30 お寺に着いたら、また、ひと仕事。 それは、私の入院を知る親族の皆様とご対面! 皆さんは、私が、さぞかし落ち込み、ショック状態にあるだろうと 心配していた様です。 ですが!落ち込んでいる場合じゃない! スケジュールをこなすことで頭いっぱい! テンション高い高い! お優しい親族の皆さま。びっくりさせてしまって、ごめんなさい。10:00 お経が始まる。(お坊さんのお経の後の話が長い・・・)11:00 お墓参り。 (ものすごく暑い。私の父は、暑いの大好き! でも、ここまで、頑張らなくても・・・・) この後は、精進おとしで、皆さんはお食事タイム。でも、私は、ここで皆さんにご挨拶。一人自宅へ帰り病院へ行きます!最寄駅まで、歩いている途中に、高校時代の友達 なあ~さん から電話。「夕方、お見舞いに来てくれるという・・・」「これから、一人で入院するから、嬉しいよ」と伝えると・・・ ば・か・も・の!一人で入院なんて、とんでもない!私が、一緒に行ってやる! 14:00に待ち合わせだ!一方的に、言われてしまい・・・でも、心強い! ありがと~す!12:30 自宅に到着。 お風呂タイム & お昼ごはん13:40 入院セットを担いで、自宅出発! 途中、ご近所さんに会ってしまい、どう~答えようか?と思っていたら、 「あら~旅行! いいわね~ 気をつけていってらっしゃい!」 「はあ~い! いってきます!」 結構、笑える 14:00 なあ~さんと会う14:30 病院到着 ものすごく暑い日で、お風呂入ったけど・・・汗びっしょりなあ~さんは、同じ病院で婦人科系の手術を受けたことがある、先輩患者でもあり、彼女が、看護師さんに ゴリ押し してくれて、夕方、シャワーに入れることに。ありがたい!です。そして、北島ウルトラマン医師の下っ端で勉強中(?)のN医師が診察に・・・手術の説明をしながら、なあ~さんと一緒に、私のお胸を散々触診していました。ま~ ここまでくれば、度胸も据わっているので、どうぞお勉強してください 状態。そして、なあ~さんに「君の御主人様は・・・いつ病院にくるの?」と言われ、「明日の手術の時間には、来ると思うけど・・・・わからん!」と答えた。なあ~さん 呆れ顔シャワーまで、時間があるので、病院施設をあちこち歩きまわり、お散歩。夕方、私がシャワーからもどってみたら・・・主人がいる!「来てくれたんだあ~」と思ったら、なあ~さんが呼び出しだらしい。17:00 夕方の検温。 な・なんと! 37.5℃。 私に自覚症状なし! 看護師さんが、慌てていました。 38℃を超えてくると、手術ができない!場合があるとか・・・18:00 夕食。 なあ~さん と 主人が帰っていきました。やれやれ・・・色々あったけど、無事、入院できてよかったテレビ観ながら、食事をしていると・・・・またまた、 大事件勃発!・・・・つづきは、過去日記 ~入院初日 後編~ で。
2009年04月24日
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過去日記。2008年7月18日。(入院3日前)6月末に「乳がん」の告知をうけてから、約1ヶ月。色々、ありました。。。。そして、今日、悩みきった術式の決定です。病院に無理いって、執刀医の北島ウルトラマン医師の予約をとりました。10:00きっちりに呼んでいただけて・・・診察室へ。恐る恐る・・・「術式のことで、ご相談したのですが・・」と切り出すと。「いやあ~よかった。 僕も、もう一度お話したかったんですよ。 あれから、ずっと考えていました。 よかったです」だって。 びっくりです。 落ち着いて考えれば、手術まで数日の患者ですから、執刀医が色々考えていて、 当たり前のことですが・・・ 前日の一件(1つ前のブログ)のこともあり、嬉しいお言葉 <--- 私、単純!思い切って・・・「手術中の判断で全摘出になってしまうことは承知してます。 万が一、温存の場合、術後のお胸はどうなる?」・・・聞いたぞ! 北島ウルトラマン医師は「大切な事ですよね。」だって。。。。 いやいや。。。。嬉しいお言葉 <--- 私、単純! 丁寧に図を描いて、色々教えて頂きました。 やっぱりな! おそらく、そうなるだろうとは、想像していましたが・・・・ 結果として、ブルトーザーで工事した! 状態になる可能性が高いとのこと。 私が、だんだん固まっていくのを感じとられたのでしょう。 北島ウルトラマン医師は、再建手術のことも説明してくれました。 どのくらいの時間、お話していたのか、よく覚えていませんが、 今現在(2009年4月)で考えても、この時が、一番ゆっくりと先生と話たと思います。 北島ウルトラマン医師の説明で、すべて納得できました。 この先生に、すべてを託そう! 全摘出でお願いします! 自分で言いました。 家族が、そうしよう!と言ったからではなく、自分の意思で決めました。 お胸がなくなってしまうのは、やっぱり寂しいです。 その後の生活を考えたら、悲しいですよ。 でも、温存か! 全摘出か! なんてことを悩めるのは、幸せなことですよね。 命が緊迫している状態だったら、こんな事、考えていられませんものね。 これで、よかったんです。今(2009年4月)も、お風呂についている鏡に写る、自分の姿は・・・完全に受け入れるには、いたっていませんし、悲しくなっちゃうこともあるけれど、つながった命を大切にしなければいけませんよね。そして、手術に耐えてくれた、自分の体を大切にしなくちゃ!です。さあ~て、次回、過去日記は、入院・手術編です。これは、笑えるよお~~~
2009年04月16日
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過去日記。2008年7月17日。(入院4日前)この日、南青山にある「VOL-NEXT」で、曽我千春さんとお話をして、術式について悩んでいた気持ちが、少し晴れました。そんな日の夕方。事件勃発です。・・・・・家族の恥をさらすようで、大変恐縮でございます。 ・・・・・・・・・・この事件をブログに書くか、結構考えたのですが、 ・・・・・・・・・・やっぱり、書くことにします。 ・・・・・・・・・・ただ、私にとっては、かなり腹立たしい事件であり、・・・・・・・・・・キーボードを打つ指に力がこもってしまいそう。 ・・・・・・・・・・この後、大事な用事を控えている方は、 ・・・・・・・・・・どうか、気をつけて、お読みください。 ・・・・・この日、珍しく主人が早く帰宅。我が家では、主人が一緒に夕食を食べるというは、「明日は雪!」くらい珍しいこと。よくご近所さんが「今晩は主人が夕食たべないから、手抜きでラーメンよ」なあ~んて会話してますが、我が家がこれを実行すると、子供達は、「夕食といえばラーメン。これ常識!」っていう大人になってしまう話が横道にそれました。(失礼)で、早速。夕食を作りながらだけど、今日、南青山に行ってきた話しをしたい。ところが、主人は、着替えもしないで、何かゴゾゴゾと鞄の中を捜索中。・・・・・さて、ここからは、主人と私の会話を、そのまま書きます。・・・・・・・・・・ 「 」は、実際の会話。 ・・・・・・・・・・ ( )は、私の心の叫びです。 ・・・・・ 主人 : 「南青山どうだった?」・・・依然、ゴゾゴゾやりながら。 私 : 「行ってきたよ。でね、明日、病院行ってさ~」 (おい!ぜんぜん聞いてないでしょ。) 「病院で、温存か、全摘出か もう一度相談してくる」 (あの~聞いてます?私の話・・・・)主人 : 「あったーーーー!」 「そうそう、今日な。生命保険会社に電話したんだよ」 (ちょっと!南青山の話をふってきたのは、あなたよ。) (なんで、保険会社の話になるんだよお~~~) 「でな。」・・・・・さて、いよいよ事件の核心になります。 ・・・・・・・・・・まずは、想像してみてください。 ・・・・・・・・・・主人。「でな。」の言葉のあとに。 ・・・・・・・・・・自分の右手を、自分の右胸にあてる格好をしました。・・・・・・・・・・私の「が~~ん」は右です。 ・・・・・・・・・・主人の格好。想像できましたでしょうか? ・・・・・・・・・・そのまま、次を読んでください。 ・・・・・主人 : 「生命保険会社に電話したらさ。 がん診断のときに、一時金として***円でるだろ。 その金がさ、再発のときは出ないんだってよ。 だからさ、全摘出!したほうがいいな。」 そして、右胸にあてていた手を、洋服に何かが着いていた時みたいに、 下に払ったんです。。。。 そして、キッチンのカウンターに、保険の内容がかかれている冊子を ポンとおいたんです。。。。 どお~思われますか?この状態! (許せない! 私が術式のことで悩んでいたこと知っているのに。 なぜ?今?保険の一時金の話をするんだ。 再発のときは、一時金がでないから、全摘出しろ!だと。 私は、いったいなんなんだあ~~~~~) 一気に血圧上昇です。 お皿を持っていた手に力が入ってきました。 お皿・・・叩き割ってやる! その寸前で、息子かめすけが・・・「お腹すいたあ~」 あと、ちょっとのところで、お気に入りのお皿とお別れするところでした。 私 : 「そうだね。ご飯にしよ・・・」主人は、自分が伝えようとしていたことを言葉にしたので、上機嫌。いつもそう。一方的。食卓では、晩酌よ!箸が進まない私に、「もうすぐ手術なんだから。食べなきゃだめだぞ」だって。夕食が終わると、さっさとお風呂。その後、一応、明日病院に行くことを話したんですけど、主人は新聞を読みながら・・・でね。この状況に対して、なぜ、私がこだわり、怒りが頂点になってしまうかといいますと。2回目なんです。生命保険がらみ・・・さかのぼること3年前。2005年の2月。初めて、お胸に異常を感じ、一人で病院へ行った時。(この時は良性でした)「XX月XX日に結果でるからね」と報告。その時も・・今、「がん」の確定はまずいな。。。お前の保険かけなおししちゃったからさ。保険金が、まったくでないな。。。と。。。。結婚当初から、自分の考えや思いを人に伝えるのが下手な人だと感じていました。大事なところで、私と感覚が違うという違和感もありました。だから、主人の言葉をストレートに受け止めるのではなく、私の中で、少し変換をする。すると、主人が本当に伝えたいことが見えてくる。結婚以来、そうやってきたんです。だから、この事件だって・・・「安全第一の手術を選択しよう。放射線治療だって、どんな副作用があるか分からない。 だから、決心しよう」ってことだと思うんです。その決心の材料の一つが、一時金なんです。でもね。。。自分に余裕がないときは、結構きついですよ。主人だって、頑張っているのは分かります。仕事、忙しいのに、わざわざ保険会社と連絡とっているんですから。。。私も悪いんですよね。怒り心頭であること。すごく傷ついていること。もう、主人には届かない・・・と思って伝えないから。入院4日前の大事件でした。
2009年04月15日
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全摘出か。 温存か。 2008年の7月は、頭いっぱいの毎日。母・妹・主人は、口を揃えて「全摘出せよ!」皆は、意地悪で言っているわけではなく、すべては、私の命を思ってのこと。そして、容姿が変わっても、構わない!大丈夫だよ!って言ってくれていること。十分、伝わっていました。私も、全摘出でも構わない。。。。と結論をだしたはず。なのに・・・なぜか。すっきりしない。決めたはずなのに、「よ~しゃ~。頑張るぞ!」という気持ちにならない。なぜ・・・・・考えても、答えがでてこない。でも、手術の日は決まっている。早く、早く、気持ちを前進させたいのに。何をとまどっているのか?そして、2008年7月17日。入院4日前。ホームページ「TODAY」を開設している「VOL-NEXT 青山ステーション」へ。そこで、出会ったのが「VOL-NEXTの曽我千春さん」。曽我さんは、同じ病気の大先輩。 病気をきっかけに会社を起業されたという、素晴らしい方。たくさんの苦しみを味わって、乗り越えてきた方。そんな方だから・・・彼女の優しい笑顔が、心に響き、挨拶しかしていなくても、「ここへ来てよかった」と気持ちに・・・・「がん治療講習会 手術と放射線治療」という講習を受けました。そして、本題。 全摘出か。 温存か。医療的にどうのこうの・・・という話ではなく、手術後の生活での、メリット・デメリットを、女性として、経験者としての立場から話てくれました。その言葉を聞いているうちに・・・涙が。。。病気を疑って、病院へ行き。告知を受け。検査。主治医交代。術式の迷い。この1ヶ月のうちに、たくさんのことが起こり。夢中で駆け抜けてきました。告知を受けてから、初めて「涙」がでました。自分でも、びっくりするくらい。一緒にいた母も、驚いていました。曽我さんは、その場を取り繕うとする母を制し。私の気持ちを思いっきり解放させてくれました。その時、気づきました。全摘出にとまどっていた理由。「やっぱり、お胸残したい!」家族全員が「全摘出!」と言っているなか、自分勝手でわがままで・・・。局所再発したときに、家族に申し訳ないとか・・・そんな、ことがひっかかり、無理やり「全摘出しよう!」と思っていました。でも、本心は・・・中学生に負けると、自他とも認める「チビお胸」でも、やっぱり、残したい!とまどっていた理由が分かったとき、とてもすっきりしました。快晴の空みたいに、気持ちが ぐ~~と楽になりました。曽我さん ありがとう。すっきり!して、考えてみた。でも・・・まてよ・・・私の「が~~ん」を摘出した場合、残されたお胸は、いったいどんな形になるんだろう?「サイズが小さくなった」って感じ?それとも、ブルトーザーが削りとったみたいに・・・なる?術後のお胸を受け入れられる?でも、この答えは、私一人では、絶対にでてこない。北島ウルトラマン医師の力を借りよう。先生に会いに行こう!2008年7月18日。入院3日前。北島ウルトラマン医師の診察予約をとりました。さて・・・夕方。珍しく、主人が夕飯に間に合う時間に帰宅。今日一日のこと。気持ちが落ち着いたこと。明日、病院で相談してくること。話たいことが、たくさん。。。。ところが・・・・・この後、大事件勃発!続きは・・・また後日。
2009年04月14日
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超~驚きの主治医交代。その日のうちに、手術の日程・術式の決定がされました。術式は、「乳房温存。場合によっては全摘出」。つまり、最終判断は、手術執刀医である北島ウルトラマンに託されることに。。。。2~3日経ってくると、気持ちが落ち着いてくる。すると・・・「こんなの嫌だあ~」いくら、中学生に負けると自他共に認めるチビお胸でも、会ったばかりの医師に、すべてを託すなんて・・・出来ない。ド素人が生意気!って思われたって出来ない。それに・・・手術終わって「全部ない!」となれば。きっと、ショックだし。病状も、進んでいたことになるし。さあ~気合入りました乳がん本を読みまくり、インターネット フル活用!その時、初めて「術前抗がん剤治療」を知りました。こんなことも出来るんだあ~!!!って感じ。実母の意見。 あなたは、母親なんだから。 子供のためにも、生きなきゃいけないのよ。 だから! 全部、取らなきゃだめよ。 ~~子供のために生きろだと!! 全部、取っちゃえなんて、簡単に言わないで~~妹の意見。 姉ちゃん。これまでの人生の中で、そのチビ胸で「いいこと!」あったかい? 私なら、全摘出して、その傷の上に「薔薇の刺青する!」。 安全第一。 摘出しても、リハビリすれば生活に支障ないなら、取ってしまいなさい。 ~~おいおい。君は、いつでも、カッ飛んでいるなあ~~私自身も、全摘出に傾きつつあった。・・・っていうのも。まずは、放射線治療が怖かった。 散々、父親が苦労したので・・・・あと、チビ胸なので、どんな形になるのか。手術後のお胸の形を受け入れることができるのか。サイズが小さくなるだけなら・・・これ以上、小さいサイズになんてならないよなあ~。ってことは、ブルトーザーで削られた崖みたいになるのかな?考えれば、考えるほど、温存のお胸を受け入れられない様な気持ちに・・・でもでも!何かが引っかかっていて。。。「レッツゴー!全摘出」の気分になれない。 何を迷っているんだ。何が問題なのか。考えれば、考えるほど、分からなくなってきて・・・そんな時、インターネットで知った「TODAY」というホームページ。乳がん患者さんが運営する会社(VOL-NEXT)で、初心者患者のために、自分達が本当に必要だった情報を提供してくれるところ。治療の方法など、難しい言葉を翻訳?してくれて、私達に教えてくれる。気持ちの整理も、手伝ってくれる。「藁をもつかむ思い」で、行ってみよう!自分の気持ちをぶつけてみよう!何かが、動き出す様な・・・そんな予感がしました。そして、2008年7月17日。南青山。(株)VOL-NEXTの社長「曽我千春さん」に出会いました。
2009年04月03日
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過去日記。北島ウルトラマン医師との出会い。2005年2月に、右胸に良性腫瘍が発見されてから、定期的な検査を続けて、2008年6月に、悪性腫瘍(乳が~~ん)と告知を受けました。さて、2008年6月に、ムーミン医師より告知を受けて、CT・MRIなどなど精密検査を受け、7月4日・病状説明と治療方針の説明を受けました。ムーミン医師によると・・・腫瘍は、2cmを超えているので、初期とはいえません。転移はなし。手術で十分取り除くことが出来ます。・・・とのこと。手術できる!と聞いて、一安心。ところが・・・・大どんでん返し「僕は、今、他の病院へも出向しているので、手術をすることができません。」「え~~~~」「信頼できる医師を紹介しますので、待合い室で待っていてください。」「え~~~~」なんだ! なんだ! 聞いてないぞ! ムーミン医師を信じていたのにい~。突然の主治医交代!バトンタッチされた医師は、北島ウルトラマン。2005年2月。私のお胸に最初に針を刺した医師。めぐりめぐって、「ただいまあ~よろしく!」と、なりました。確かに・・・北島ウルトラマン医師の印象が良くて、このS総合病院にお世話になろうと決心したんだし。北島ウルトラマン医師に、不満があるわけではありませんが・・・・病気の告知を受けて、超パニック状態のこの時!あんまり・・・ですよね。ムーミン医師は、S総合病院では「乳がん」のトップのお方。なぜなぜ・・・の状態のまま。北島ウルトラマン医師の診察と手術日程・手術方法等の説明を受けました。・・・・続きは、また今度。
2009年03月26日
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