♪ るんるん日記 ♪

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フラワーエッセンス実感レポート<日記方式>



自分自身がこれから他者とセッションするのに、また、他の方が私のような方とセッションする時に、ご参考にして頂ければと思い、自ら実感したエネルギーの変化をレポートします。

私は、結婚という生活の変化と流産手術を同時期に経験し対応しきれなかったという出来事をきっかけに、”これが鬱か~!”と初めて実感した状態に陥りました。その時に、フラワーエッセンスと、他者からエネルギーを送ってもらうこと、印や祈りでエネルギーを高めたことで、あっという間に立ち直りました。エネルギーを高めるというのはどういうことかを体で実感しました。そこに至るまでの、自分のエネルギー状態をまとめます。

経過:============================================================================
5/7(土) 彼の家に引越し。

私が一人暮らししていた部屋から歩いて30分程度の距離に、
私の地元の岡山の旧来の友人Aが偶然住んでおり、引っ越す前に、彼女にだけは、
引っ越すことを連絡しないといけないと思い、彼女に引っ越す旨と、結婚が決まった旨を
引越し日にメールする。同時に、彼女と同じ友人グループの地元の友人たちB,C,Dにも
同じ内容をメールする。

披露宴は小規模にしたかったので、招待客は最少人数にしたかった。そのため、地元の
友人たちを招待するかどうかは悩んでいたため、披露宴についてはノーコメントで
連絡する。

GWのため、友人Aは、実家に帰省しており、その時はたまたま友人Bとドライブして
いた。そのため、友人A,Bは、私のメールを同時受信した。友人Bからは、「披露宴の
招待状が来るのを楽しみにしている!」と期待いっぱいの返信が来る。友人Aは、
披露宴についての記述がなかったので、そのことに気をまわし、友人Bに「でも、
披露宴のことは何も書いていないし、もしかしたらしないのかもしれないし、たとえ
あっても、招待してくれるかどうか分からないよ」と友人Bを制止したが、友人Bは
すっかりその気で聞かなかったと私に後でメールをくれる。

友人Bは、自分自身を閉じ込めがちな性質であり、なかなか本音が聞きだせない。
本人自身も自分の本音が分かっていないようなところもある。また、お互いの変化のため、
考え方や感じ方が余りにも変わってきているのもあり、距離を感じ、また、気をつかい
すぎて疲れてしまう。遠隔地の友人でもあるので、披露宴に招待せずにおこうと思いつつあった
ので、友人Bの返信を読んで、どうしようかとかなり迷う。

※ なお、この前後辺りから、これまで行っていたフラワーエッセンスのモニターさんとのセッションで、エネルギーを感じ取れなくなり(これまでは、モニターさんと正面から全力で接すると、エネルギーが自動的に流れ込んできて、モニターさんが何を伝えたいのか、また、何を感じているか伝わってきた)、自分自身が動揺したので、自分の生活と精神状態が落ち着くまでセッションはするべきではないと感じ、ストップしていた。

5/11(水) 友人と主催しているシェアリングの会の日。

参加して下さった知り合いのレイキヒーラーAさんに、「天使がるんるんさんに入りたいと、るんるんさんの周りを飛んでいる」と言われる。この頃の私は、長期間一人暮らしに慣れきっていたため、誰かと暮らすという新しい環境に多少ストレスを感じつつ、新しい生活に慣れようと努力しているとともに、3日後に迫った結納と、約3週間後の結婚式と披露宴の準備で頭が一杯だったので、このことを軽く受け流すしかできなかった。

5/14(土) 岡山の私の実家で結納。

彼と実家に向かう車の中で、地元の友人Cから電話が入る。なんと、友人Bの母親が亡くなり、今日の昼からお葬式というのだ。友人Bは、母親の体調が悪かったことも、そして、母親が亡くなったことも誰にも知らせず、ひっそりと葬儀をしようとしていたが、たまたまこの時に、友人Cが、遊びに誘おうと友人Bに電話した。さすがに、友人Bも隠せず、「明日は母のお葬式だから。」と友人Cに話したという。しかし、お葬式も密葬にしようとしていたので、詳しいことは何も言わずに、友人Bは電話を切ってしまった。心配になった友人Cが今日、友人Bの家まで様子を見に行くと、家には「忌中」との張り紙があり、誰もいなかったので、どうしようかと途方にくれていたら、近所の人がお葬式について教えてくれたという。そして、友人Cは急いで、地元の友人グループのメンバー全員に連絡してくれていた。

私は、この日の昼から結納で、鹿児島の彼の実家のご両親が、この日に岡山空港に到着し、それをピックアップして、実家に行き、そして、またこの日のうちにご両親が鹿児島に帰る日帰りなので、この日はさすがに時間がとれない。私が今日結納と友人たちは知っていたので、友人Cは香典を立て替えておこうか?と言ってくれる。私は、明日友人B宅にお見舞いに行く。その時に、立て替えたもらった分を返しに行くと伝え、立て替えをお願いする。

5/15(日)

友人Cが岡山市内まで私を迎えに来てくれ、友人B宅まで送ってくれると言う。結納のためだけに帰省したので、私は華やかな服と靴しか持って帰っていなかったため、地味な服と靴を準備するのに慌しかった。

友人B宅に向かう前に、友人Cと昼食を食べたが、友人Cも実は来週結納で、彼のご両親が
自分の両親に会いに来るのだが、結婚に対して自分がどう感じているのか分からないと相談を受ける。

友人B宅に、お見舞いに行くと、友人Bは高校時代に父親も亡くし、姉妹関係もうまくいっておらず、表面上は元気そうに見せていたが、気丈に頑張って心身ともにエネルギーダウンしているのは明らかだった。友人Bはそんな中、私の結婚式だけが楽しみだと私に訴えるので、彼女を含め、地元の友人グループを披露宴に招待しようとこの場で決めた。

~5/17(火) パソコンのセッティングを行うため、しばらく実家にいる。

結納の日の夜から、父と顔を合わす度に、議論となる。父の言い方や、父のネガティブ一辺倒の情報から、どのくらいエネルギーが奪われるか切々と訴えながら、コーチングスキルや、言霊について話していると、それに同調した母が、これまで父から受けた精神的苦痛についてうらみつらみを叫び始めた。その前の時点で、私がかなり深いところまで、掘り下げてしまっていたので、母の思いは、かなり深いところから出ているようで、今までのように軽く流せないのを感じた。落ち着かせるところに落ち着かせないと、修復できない傷となって残りそうな感覚があったので、そこまで行き着くまで、逃げてはいけない感じがあった。

友人Cの相談を聞いている時にも感じたが、私はこういう時、フラワーエッセンスのモニターさんとセッションをしている時と同じモードに自動的に切り替わっていた。相手の言葉ではなく、相手の思いや、言いたいことを感じ取れるよう、自分の能力全てを総動員するのだが、前述のように、私は、エネルギーと繋がれず、感じ取れなくなっていた。そんな状態で、相手を感じ取るには、自分の持っているエネルギーを総動員して立ち上げなければできない。できても、少ない有限の資源から搾り出している状態なので、どんどん疲労してくる。

そんなこんなで、大阪に戻る頃には、精神的疲労がピークに達して、へろへろだった。

5/18(水)
帰省した足でまっすぐコスモスに向かい、Wさんに個人セッションをお願いする。あまりにも、エネルギーが枯渇して、どうしようもなくなったため、本気で危機感を感じ、Wさんに相談し、エネルギーを補充する。たまたまこの日の午前中に、Wさんが空いていたのは、本当にラッキーだった。

昼から、初めて、結婚式および披露宴の衣装合わせに行く。この日に生理が予定通り
始まったと思ったが、出血が止まったり、あっても少量だったりといつもと様子が違う。
ただ、いつものように、1週間程で終わる。不思議に思うが、この日から、結婚式と披露宴準備で心身ともにいっぱいいっぱいになり始めたため、深く考える余裕がなかった。

5/21(土) 以前からお世話になっていたヒーリングサロンの体験会イベントに、フラワーエッセンスで参加する(この参加は、かなり前から決まっていたので、今更断れなかった)。

ただし、セッションできるほどの自分にエネルギーがないのが分かっていたので、セッションはせず、資料を渡し、興味のある方は、どれを飲みたいかを私に伝えてもらうだけの形式にする。同時に、様々あるヒーリングを私も体験してみようと思い(私自身が「それぞれのヒーリングの前にフラワーエッセンスを飲むと、フラワーエッセンスで心身ともに、リラックスするので、効果が受け取りやすくなりますよ」とエッセンスを勧めていたので、私もそれぞれのヒーリングを知っていたほうがよいだろうと思った)、二つのヒーリングを体験する。

そのうち、一人のヒーラーから、「赤ちゃんが来てます。すでに魂があなたのお腹のところにいて、自分の存在を主張してますが、心当たりは?」と言われ、もう一人のヒーラーからは、「お腹のエネルギーが充実している。子供がすでに来ているか、すぐ来るかだと思いますよ」と言われる。

最後のヒーラーに、「なぜ、前もってそんなメッセージを私に伝えようとするのでしょうか?そんなことを言われても、どうしようもないのではないですか?どうしろと言うのですか?」と聞くと、「さあ、私にはどういう意味かはわかりませんが、前もって心構えをしてほしいとのメッセージなのかもしれませんね。」と返事があった。

私は、まだ新しい生活に心身ともにとまどっていて、自分だけでいっぱいいっぱいだった。”今は勘弁してよ~、もうちょっと先にして!”が正直な感想だった。とりあえず、生理らしきものは数日前から来ていたので、それを口実にして、この事をはっきりさせる事からは逃げた。

5/26(木) 一人暮らししていた部屋を完全に引き払う。

仕事も3月いっぱいで辞めていたし、住む家も引き払ったことで、「住む場所もあり、私は一人で自立して生きている」という【私は一人でも大丈夫】という自分が持っていた安心感がなくなり、どこか不安を感じた。

これ以後、結婚式と披露宴準備でますます慌しくなる。私は、興味ある勉強会やセミナーに行って、新しい人や知識や世界を知るのが何より楽しかったので、興味のあることは、心のおもむくままにすぐに参加していたが、この頃から、そちらは行きたいが、無理なのであきらめ、準備に専念することにした。興味のあることを我慢するのは、これまでの私にはありえないことで、この頃から元気がなくなってくる。

6/18(土) 無事、結婚式終了

6/20(日)頃 次の生理予定日だが、生理が来ないのでしばらく様子を見る。

この頃から、体調がおかしい。妙に疲れるし、だるいし、特に原因がないのに、一晩中嘔吐して寝られない日がある。結婚式後の疲れなのか、この頃気候が一気に暑くなったので、暑さでばてたのか、妊娠からなのかが判断がつかない。

6/27(月) 友人と主催しているシェアリングの会の6月の会の打合せ。

最初に、「赤ちゃんが来ている」と言ったヒーラーAが、会でぜひクリスタルチルドレンをテーマにやりたいと立候補があったので、会としては初めて、立候補者にリードを任せ、主催している友人と私は、彼をサポートする形で実施することに決定。3人で打合せをする。ヒーラーAは、「るんるんさんには来年赤ちゃんが来ます!」と何度も断言するが、私は聞きたくないので聞き流していた。妊娠しているかもしれないことは、はっきりするまではヒーラーAには伝えないことにする。

夕方、産婦人科に行く。妊娠確定。最後の生理日が5月だったかどうか、はっきりしないので、周期はどこから計算するか確定できないが、どちらで計算したとしても、この大きさだと胎児に心拍が見られるはずだが確認できない。ただ、今回が初めての検診のため、様子をみないとなんとも言えない。一週間様子を見ましょうと言われる。

この結果に、赤ちゃんを受け入れようとしなかった自分の姿勢を反省し、次の検査の日によい結果が出ることを信じて、毎日印を組んで祈り始めた。


7/3(日) ヒーラーAが、ご両親が住んでいた家をヒーリングハウスとしてオープン。オープン記念イベントに参加する。

ヒーラーAは、今後クリスタルチルドレンのサポートをしたいので、これからは母親と子供に関わりたいとの想いがある。

結婚式後、しなければいけないことが減っていくにつれ、家にじっとしていることがストレスになりはじめる。笑顔がなくなり、無表情になっていく自分と、彼に優しく接する余裕がなくなっていく自分を自覚していた。自分自身のエネルギー不足を切実に感じ、なんとかしなければ!というあせりが生じ始めていた。(この頃から、夜彼が寝静まった後、一人で泣くようになる。)自分にとって、何がエネルギー源なのか探っていく中、このオープニングイベントに参加したことで、【外に出て、いろんな人に会い、新しい世界を広げていくこと】が自分にとってはエネルギー源なのを自覚する。自分自身のバランスを取るためには、意識的に外に出て、たくさんの人に会うしかないと自覚する。

7/4(月) この日はオーラ写真の日なので、コスモスに行く。

朝、彼から出かけることを快く思わない言い方をされて、自分の唯一のバランスを取る手段を否定され、禁止されたように感じ、今から思い返すと、絶望を感じたのだと思う。一気にエネルギーダウンする。コスモスでオーラ写真を撮ると、弱弱しい一面緑のオーラが写る。この日の夕方に、婦人科に再検診に行くつもりだったが、彼の言葉に腹が立ったので、取りやめる。

自分のバランスが崩れ始める。帰宅した途端、一気にエネルギーがなくなり、小さな低い声でしか話せなくなって、体が異様に疲れていて、起きていられない。

彼がその様子にびっくりして、「不満があるなら言え」と話し合いに来てくれるが、このころからすでに本格的な鬱状態に入ったのだと思う。彼の提案する普通のことも、全て自分を責めているようにしか聞こえないので、それを聞きたくないがために、何も話せず、「何でもない」と繰り返し、最後には背を向けて泣き出してしまった。彼も動揺して、「何か話せよ~、俺たち夫婦になったんだぞ!分かってるのか?」と必死で言うのだが、私も、すでに自分ではどうしていいのか分からない。その後も夜中に一人で泣いてた。

7/5(火) 産婦人科再検診。最初の病院に不安があったので、隣の奥さんに紹介された別の病院に行く。

胎児の成長が止まっているのは確実で、すでにとまってからかなり経つので早いうちに手術した方がよいと言われる。1週間、真剣に祈り、よい結果を信じていたので、ショックだった。人工的に胎児を掻きだすのは忍びなかったので、自然流産をしたいと医者に言うと、「効果があるかどうかは分からないし、かなり大きくなっているので、流れる時は痛いと思うけれど、自然に流れるように子宮を収縮させる薬を出しますから、1週間飲んでみて下さい。その間に自然に流れたら、手術は止めましょう」と言われ、その日から薬を飲み始める。いつ、流れるか分からないし、出血もあると言われるので、外出は控えたほうがよさそうだった。

しかし、翌日の7/6(水)は、友人と主催しているシェアリングの会。私にとって、大切にしている会なので、友人が一緒にやる限りは、何があってもやり通したい会なので、無理してでも行きたい。しかも、今回は初めて、立候補のヒーラーAのリードをサポートしなければならない。しかし、会は、夜数時間だけとは言え、薬を飲み始めた以上、いつ流産するか分からないので、万一の場合、迷惑をかける恐れがある。また、自分自身、エネルギーをあまりにも消費しすぎていて、行って帰ってくるだけでもできるかどうか不安だった。一緒に主催している友人と、ヒーラーAに、今までの経緯と事情を全てメールで伝え、相談する。そして、二人とも、レイキヒーラーでもあるので、今回のことを乗り越えるには、今の自分のエネルギーでは到底足りないと感じたので、「できれば流産手術はしたくないと思っている。自然流産できるように、私にエネルギーを送って欲しい」と依頼する。

ヒーラーAから、「やはり、私の思った通りでしたか!あなたは妊娠しているのですか!嫌な事(流産手術のこと)でも、それも受入れなければなりません。わたしには、そのような遠隔ヒーリングは出来ません。あなたに必要な事が起こるようにだったら出来ます。それは余りにもあなたの身勝手というものでしょう!自分の都合でしか考えていません。ちょっと待っては何故でしたか?何故、まだ早いのですか?エンジェルは凄く待ちました。待って、待って、やっとその時が来たと思ったのでしょう!ちょっと待っては、あなたの都合じゃないでしょうか?あかちゃんのことを考えたことはありますか?」とメールで即答があった。まさか、エネルギーが弱りきっている自分に、ヒーラーと自称する人からこのような言葉を投げつけられるとは、予想外すぎて、大きなダメージになった。そんなことは言われなくても、本人が痛いほどよく分かっている。
反省しても仕切れないのは十分感じている。崖っぷちから落ちかかって、必死で落ちまいとつかまっている手を払い落とされた気がした。最後の気力まで奪われてしまった。行き帰りどころか、会の運営自体ができる状態ではなく、自分自身を維持するのでさえ不可能な状態に陥ってしまった。

会の前日に、無責任にも責任を放棄すること自体、自分自身許せないことでもあり、また、この会は私には特別で大切な会であり、自分が参加しないことは考えられない。今の自分の状態では、仕方のないことだと分かっていても、自分自身を責める気持ちも生まれてしまった。

あまりにもダメージが大きく、自分を維持するのもギリギリの状態になってしまった。人生のパートナーである彼に助けを求めて、「このようなことを言われてショックだった」と話すと、「主催者の一人でありながら放棄したのだから、そんなことを言われても仕方ない。それは甘えやろ」と返される。

その時、私は、自分自身でも痛いほど分かっていて、反省してもしきれないことは十分感じていたし、自分の行動が許せなくて責めていたが、自分自身の力ではどうしようもない。いったいどうしたらいいのかと混乱していた。それでも、前に進まなければならないと気力をつないでいた状態だった。ギリギリの状態だった。

ヒーラーAと、人生のパートナーという最も信頼していたはずの相手から、突然崖に突き落とされたように感じた。

ヒーラーという存在とは何か? 自分自身、ヒーラーをどのように捉えているのか? (ヒーラーAがしているように)直感を正しいと信じて、深く考えることなく相手にぶつけることの危険性、正しいことでも相手に伝える時期を選ばないと危険なこと etc. を肌で感じた。

この日も、夜に一人で寝ながら涙が止まらない。頭は真っ白で、魂が抜けたような感覚で、自分自身の感情が、悲しいのかどうなのかも分からないが、涙だけ出る感じだ。

(ちなみに、ヒーラーAは、母親とクリスタルチルドレンを助けるヒーラーとして活動していきたいといっていたので、彼のメールの内容にショックを受けるとともに、この状態の私にとどめを刺した形の彼に、女性と子供たちをサポートしようとするのは許せない!と怒りも沸いてきた。彼のメールを読むとともに、私が彼のメールを受け取って感じたことをそのまま返信すると、彼自身もショックを受け、「私よりも、あなたの方が、ずっと分かっていて、私は何も分かっていなかった。私はなんということをしたのだろう。取り返しのつかないことをしてしまった。今となっては、あなたに何を伝えたくて、あのメールを書いたのかも分からなくなってしまった。ヒーラーとして失格だ。ヒーラーとしての自分を問い直してみたい。」と返事があった。彼自身も、ヒーリングサロンをオープンした直後でもあり、ヒーラーとしての自分を見つめなおす必要があったのだろうと思う。ちなみに、この時私が彼に送ったメールの内容を読み返してみると、そんな状態であったにも関わらず、感情的にならずに、理路整然と説明するとともに、女性の性と体と、社会的に受身の立場になりやすい女性の立場と、真理を伝えるタイミングの大切さや、現実生活に真理をいかに結び付けていくかが大切なのであって、真理を言い放ち、相手を批判する危険性を一生懸命訴えていた。あの時は、そんな余裕がなかったと思うので、よくこんなのを書いたなと自分でも不思議に感じたので、もしかしたら、私は単なる彼に対するメッセンジャーとなったのかもしれない。)

7/6(水) この頃から、結婚報告ハガキを送った友人から、おめでとうメールが届くようになる。

お祝いの言葉は嬉しいが、お礼のメールを書くのに、現在の状況は到底相手に言えるものではなく、幸せいっぱい!という雰囲気の適当な内容を書くのにエネルギーを消費して疲れる。今の状況をそのまま話せる、自分が本当に信頼している友人は誰なのかを、この時に自分でもはっきり認識した。

「水曜日にまたコスモスに行く」と7/4のオーラ写真の日にUさんに伝えておいたので、Uさんに事情説明とともに、本日行けない旨のメールを打つ。Uさんは、私のためにエネルギーを送ってくれると返事がある。とても嬉しい。

この日も、自分の感情が死んでしまったようで、まるで魂が抜けたような状態。考える気力も、行動する気力もないが、ただ、何もしない状態ができると、ほんのわずかな瞬間でも、ヒーラーAのメールの内容が思い浮かんできて、頭から離れず、涙がこみ上げてきて止まらない。そうならないように、体を動かして何も考えなくていいようにするが、長くは続かない。

気がつくと、このような自分の重苦しい意識状態が、自分の体を痛めつけているのをひしひし感じる。体の細胞が苦しんでいるのを感じ、”このままでは、体が病気になってしまう!大変だ!この状態で、体までおかしくなってしまったらヤバイ!”と危機感を感じる。どうにかしないと!と思うが、自らのエネルギーが弱っているので、どうしたらいいのか分からない。

その時に、フラワーエッセンスだけが頭に浮かんだが、エネルギー状態が落ち込んでいるため、どのエッセンスがいいのか自分では分からない(直感が働かなくなっているのと、冷静に分析できる余裕もないため)。エッセンスが選べないことにあせりながら、”涙が止まらないのは悲しいからだろう”と適当に、ボラージュ、ブリーディングハート、そして、自然流産を願って、マグワートのコンビネーションボトルを調合し、急いで飲む。

飲用後、我慢しようとしても涙を止められない状態だったのが、我慢すると、多少涙を抑えられ、体の細胞を痛めつけている感情の強さが緩和される。しかし、やはり、重苦しい心境と、何も考えられない脱力状態はなくならない。エッセンスは、一時的に緩和するために役立ったが、根本的なところを解放してくれるエッセンスはこれではないと感じるが、エネルギーレベルが下がっているため、エッセンスを選ぶパワーが足りない。また、体を痛めつけている危機感を感じた時は、本能的に体が勝手に行動起こしたが、そこを抜け出ると、やはり気力がないため、何もできない。体も心も重く、何もしたくなく、何も話したくなく、誰にも会いたくなく、ひたすら自分の殻に閉じこもっていたい。

そんな状態を見ていた彼に、「るんるん、鬱なんちゃうか」と言われる。この時、無意識だったが、本能的に、かなり弱まったエネルギーをこれ以上奪われないように、全てをシャットアウトしようとしていたように思う。彼に対しても同様だったので、彼の言うことはどれも受け入れたくなかった。”違う、私のことはほっといて!”と思い、排除した。

“自分の状態をどうにかしないといけない”と感じていたが、どうにかできるエネルギーもなく、何をしたらいいかも考える気力もなく、どうしていいのか自分でも分からない。夢遊病のような感じで、かろうじて動いている感じだ。おそらく、この時は、本能でしか動いていなかったと思う。こんな時、昔詰め込んだ知識が頭に次々と浮かんでくる。それを学んでいた時のように、その意味や活用法を考えて理論的に使うのではなく、ただ、ランダムに走馬灯のように頭に浮かんでくるだけだ。これをするとどうなる、どんな効果があるというように、整理して浮かんでくる訳ではない。“こんなことして、本当に効果があるのかな?”と考える余裕もなく、ひたすら”助けてください!”と祈り、何も考えずに、そうして浮かんできたことにすがっていた。フラワーエッセンスを飲んだのもこのレベルだ。

次に、頭に浮かんだのは、「エッセンスをお風呂に入れる」こと。”ぴったり適切なエッセンスはこれではない”と思いながらも、どうすることもできないので、とりあえず、先ほど作ったエッセンスを湯船に入れてつかる。自分のエネルギーレベルが下がりすぎて、自らの力ではどうすることもできないのを感じ、自分でもどうしていいのか途方にくれていた。何もできないので、祈るしかできない。

私はこれまで、効果のある祈りの言葉について、本で読んだり、聞いたり、教えてもらったりしたので、多くの有益な知識を持っているはずだが、それらを、自分の知識から探り出すエネルギーもない。こんな時、その資料を探して、書いてある祈りの言葉を読むのは不可能であるし、かといって、明確に記憶に残っている訳ではない。苦労して思い出すのは、エネルギーをかなり消費するので、今の自分にはできない。全く役に立たないのを実感した。

この状態でできるのは、【自分の体が覚えていて、考えなくても勝手に体が動いてできること】。
この条件に一致するのは、私には唯一、「世界平和の祈り」と「光明思想の言葉」、「印」しかなかった。思いつく限りの祈りの言葉を湯船につかりながら繰り返す。ふと気がつくと、祈りの言葉は、いつの間にか「守護霊様、私にエネルギーを与えて下さい。」と繰り返すだけになっているのに気づくと同時に、ふっと、先ほど彼に言われたセリフを思い出した。その瞬間、“私は明らかに鬱だ。鬱治療をしよう。”と思う冷静な自分が戻ってきた。先ほどまでとは明らかに違う。自分がどうするべきか分かるほど、エネルギーが増したのを感じる。これは、明らかに自分から生まれたエネルギーではない。フラワーエッセンス、他者から送ってもらったエネルギー、祈りの言葉、そのいずれかなのか、その全てなのかは分からないが、明らかに、自分ではない別の存在からエネルギーを注入してもらったことを実感する。このエネルギーで勢いがついて、自らのエンジンがかかりはじめたのを感じる。

この日の夜、自分の鬱を治すため、どうしたらいいか頭に次々と浮かんできた。これまで学んできた知識、セラピスト講座で教えてもらったことが、パズルを組み立てるように頭の中で組み立てられる。私に不足しているものは緑、そして、鬱を治すために今しないといけないのは、しっかりと大地につながるための散歩。

私が現在住んでいるところは、まだ住んでから日が浅いのもあるが、近くに緑や、よい散歩道が見つけられず、それもストレスになっていた。

ちょうどその頃、彼は、しばらく客先に仕事で通っていたのだが、そこは私がかつて住んでいたところの近くで、かつ、広大な鶴見緑地公園まで続く、素晴らしい散歩道が完備されており、私もよく知っているところである。翌日は、彼が仕事に行く時に、一緒に乗せて行ってもらい、最初の鬱治療として、そこを散歩をしようと決意する。

7/7(木) 朝、車で移動する間に、彼に自分の状態を冷静に話す。

彼自身もかなりショックだったらしく、「なんでうつになったんだ?」と聞いてくるので、きっかけとなったことを話した。「出かけるなとは言っていない。やることやったら出かけていいって言ってるやろ!」「他の人はできてるのに、なんでできないんだ?」、「そんなに精神的に弱いんか。海外とか行って順応性があると言っていたのに。」と、自分のショックを私にそのままぶつけてくる。そのたびに追い詰められた気持ちになるが、そういう状態を説明するとともに、彼に、「鬱とはどういう状態か?」と説明しながら伝えることができるようになっている。もちろん、彼のなにげない言葉一つ一つに追い詰められ、自分でもなぜか分らないまま涙が出て止まらない状態には変わりはないが、昨日まではそれに飲み込まれ、殻に閉じこもるしかできなかったが、この日は、そんな自分の状態を愛しみながら、また、ショックを受けている彼をも気遣いながら、自分の状態を簡潔にまとめて伝えられる自分もいる。昨日までの自分の状態からでは考えられないことだ。

「自分でも分かっているけれど、しかし、それができない状態なので、そう言われると責められているようにしか聞こえないからつらい。今は、今までの自分の生活と180度変わって、自分のバランスが崩れている。普通の状態ではないので、自分がバランスを取れるための方法を必死になって試行錯誤している時だから、理屈とか常識とは今の時点では要求しないで欲しい。とりあえず、私はどうしたらいいかも、ツールも知っているので、しばらく放っておいてくれ」と説明する。彼は、「ほっとけない。しんどいなら、力にならないといけない。夫婦なんだから。思っていることを言いなさい!」と言うが、「鬱の時は、ほんとうにささいな当たり前の事で深く傷つく。そういった言葉やセリフを全て言わないで欲しいなんて言ったら、今度はあなたの方が何も言えなくなって参ってしまうから言わない。とりあえず、私は自分で回復するための努力を始めたところだから、私が死なない程度に見守っていて欲しい。」と彼に伝える。彼は、分からないまでも、今私がやろうとしていることは理解しようと努力してくれた。

散歩道は、公園まで徒歩で1時間強の距離。緑や花が植えられ、手入れが行き届いた美しい散歩専用の道だ。公園に着くまでの道では、緑のエネルギーを意識しながら歩く。

公園に着く。池に美しい蓮の花が咲いている。しようと意識するまでもなく、自然に、花と繋がるワークを行った。前回の講座でやった内容だ。まだまだエネルギーが足りないため、思考も意識も働かない。何も考えられない状態だ。花を擬人化するような意識も働かせる余裕もない。何も考えず(考えられず)、ひたすら蓮の花をぼんやり見つめ、花を感じる。そんなことを3時間くらいしていたと思う。そのうち、真っ白だった頭がクリアに、かつ、思考と意識が甦ってきた。ボーっとしていても、泣かなくなった。笑顔も戻ってきた。

薬を飲み続けていたが、自然流産しそうな気配は全くなく、そのことが気にかかっていたが、手術を受けてもいいやという気になってきた。

この日は久しぶりに朝まで熟睡できた。

7/8(金) 朝、Wさんから電話がある。

昨日行った七夕コンサートで、私を知る人がいたので、そのことを私に伝えたくて電話をくれたと言うのだ。私は、自分から電話をかけるほどの元気がなかったので、機会がある相手にしか自分の状況を伝えていなかった。というか、〔誰かに電話したり、会ったりして、エネルギーをもらおう!〕と発想するパワーもなかったのだ。そのため、このタイミングで、たまたまWさんが電話をくれなければ、この時期にWさんから助言をもらうことができなかった。この時、Wさんに言われたことは、(他にもたくさん、言葉をもらったが、一番印象に残ったのは)「”いのち”を実感する機会」ということだった。この直後に、まさしくそのことを考えさせられたので、本当になんとすごいタイミングだったのだろうと思う。

最初に行った病院に、子宮ガン検診の結果を聞いて、手術する病院の次の診察日に報告しなければいけない。病院を勝手に変わった手前行きにくい。ズルズル口実をつけて行くのを延ばしており、この日もわざと用事を入れ、”この用事が終わって行ってみて、午前の受付時間に間に合ったら行こう”と行くと、なんと、受付時間締め切りの2分前に着いてしまう。あきらめて、病院に行き、医師にそのまま正直に話す。手術を受ける病院での診断や手術について、現在自然流産を促す薬を飲んでいることを話すと、医師がけげんな顔をする。なぜなら、現在日本には自然流産を促す薬は、死者が出たため、禁止されていること。今の胎児の大きさで、自然流産は普通、勧めないこと(結構大きいので、流れても組織が一部残り、それが次回の妊娠に悪影響を及ぼす可能性が高く、リスクが大きい)。出血がかなりあるだろうし、痛みもかなりあると思われる。最悪の場合、病院に担ぎ込まれることも想定しておかなければならない。そのことも全て聞いた上で、あなたが自然流産を望んだというのなら、それはそれでいいですが。と言われる。

私は、そこまで聞いておらず、ここで初めて聞いた。流産する時も、「ちょっと痛くて出血があるかもしれないが、病院にかつぎこまれるほどではないですから。」としか言われなかった。

もしかしたら、医師に、私が病院を移ったことに対する憤りがあった上での発言かもしれないが、この言葉にショックを受ける。

結局、インターネットで調べてみた結果、その医師が言うような薬ではなさそうだが、数例ではあるが、確かに、副作用による心不全でなくなっている方はいた。医師は、流産を促すためにと処方した薬だったが、実際は、分娩や流産手術後に、子宮を収縮させて速やかに出血を止めるために使用する薬で、流産を促すための薬ではないようだ。

胎児が成長を止めたのに、自然流産できない私の体自体が既に自然ではないではないか。薬で流産させること自体が、すでに自然とは言わないのではないか? 自然ならなんでもいいのか?何が「自然」なのか、何が「人工」なのか。何がよいのか、正しいのか。分からなくなってきた。

医師によって言うことが違う。どちらをとるべきなのか分からない。薬を飲み続けるべきなのか? 再び、エネルギーレベルが落ちる。

しかし、この頃、実感したのは、何かで悩んでいる時に印を組むと、そのことがどうでもよく思えてきて、悩んでいたことが馬鹿らしくなって笑い飛ばせるようになるということだった。これがエネルギーレベルが上がるということなんだな。常にエネルギーを高く持っておけば、どうでもよいことで、いつまでも悩まず、ぴしっと腹が決めることができるんだな。と分かったので、印を組んだ。

7/9(土)

翌日は、セラピスト講座の日。私はこれまで何がなんでも絶対に参加してきた。この講座だけは、絶対に休まない!と決めていたが、時々おなかが痛くなったりしていたので、不安もあり、今回は参加をあきらめようと思う。これまで、〔何が何でも講座が最優先!〕という姿勢で、結婚式の日取りも譲らなかった私なので、彼はそのたびに、「また講座かい!」と半分ふてくされていた。今の状態で講座に行くと言うと、彼も怒るだろうと思ったのもある。しかし、欠席するかもしれないと言うと、「行きなさい。自分で行くと決めた講座だろう?それを貫き通しなさい。」と正反対のことを言われ、こちらがびっくりする。

7/10(日) セラピスト講座の日。

朝の状態を見て、講座に行くか行かないかを決めようと思ったが、結局、体調というより、自分自身がまだ、しっかり立っていない感覚があったので、今自分に起こっていることを受け止めきれていない状態で、講座に集中できないと思ったので、欠席することにした。迷いはなかった。

7/14(木)に、私自らがお願いして、H先生と鞍馬寺ツアーが決まっていた。私は、行く気満々だったので、その日は手術翌日にも関わらず、行けるのでは?とギリギリまで期待していた。しかし、慌しく動きまわるのではなく、自分の体をじっくりと感じる時間をとろうと腹を決めることができ、こちらも欠席しようと決心する。中絶についても、「私は流産手術を受け入れる!」と決意し、薬も飲むのをきっぱり止めることにした。

7/11(月)

午前中に、H先生に鞍馬寺ツアーを欠席させて頂く旨を電話しようと決めていたら、なんと、H先生から朝に中止連絡のメールが入る。これには本当に驚いた。奥様が事故に会われ手術のためということだったが、その手術日が私の手術日と同じだったのだ。奥様は、昼からだということだった(私の手術時間は前日まで決まらないので分からなかったが、結局私も昼からの手術だった)。

H先生からも、「これも何かの縁ですね。一緒に頑張りましょう」という嬉しいお言葉と、エネルギーを送っていただけるとの返信を頂き、私も頑張ろうと思う。

7/12(火) 手術直前のプレ処置

念のため、再検査をするが、胎児の状態は変わっていない。翌日、手術しやすいように、子宮口を広げるための器具をつける。心は落ち着いていて、平和だ。

7/13(水) 手術当日。

時間通りになかなか手術が始まらず、待たされる。待たされれば待たされるほど、不安になるが、印の宣言文、光明思想の言葉を唱え、落ち着く。

手術は数分で終わったが、その間に診療時間も終わり、フロア中の電気が消され、人の気配も消えている。いるのは私と、世話をしてくれる看護婦さんだけだ。回復室に連れていかれ、そこでしばらく休むように言われ、看護婦さんもいなくなると、そのフロアにいるのは私一人だけのようで、物音も人の気配も全くなくなった。ゆっくり休めるのはいいが、診察の時も、処置の時も、病院は、心のケアは全くないのだなとしみじみ思う。私はエッセンスというツールがあったから大丈夫だったが、流産したり、子供を失ったりした妊婦は、この状態でどうやって立ち直るのだろう?と思う。この時の思いから、この後の1週間の自宅安静の間に、病院でのショックや手術で受けた心の痛みを癒すための、サポートがエッセンスでできたらいいなと思うようになった。

この後の一週間の自宅安静期間にも、いろいろ揺さぶりがあり、心のアップダウンや気づきはありましたが、省略します。手術後は、印も組んでいなかったし、エッセンスも飲んでいませんでしたが、西中先生の講演会の資料を読んだり、サトルレベルでのアロマセラピーについての本、自然療法の本を読んでいました。

安静期間が終わる頃になると、エネルギーは満たされすぎて、GOサインが出たら、すぐにでも走り出すくらい、ウズウズしていました。

安静期間の間に、結婚祝のお返しに手配したものが、次々に先方に届き始め、受け取ったという連絡とともに「落ち着いた?元気にやってる?体調は崩してない?」という電話が次々にかかってきました。さすがに、手術後は、気力体力が落ちていたので、その様子がなんとなく相手にも伝わってしまうため、相手に心配かけないよう、ごまかすのに気をつかい、エネルギーを消耗しました。それに疲れてきたので、友人には(さすがに人工流産したと言うと、向こうに気を使わせてしまうからと思い、)「ちょっと婦人科系の手術してね」とだけ言うようにしたら、「えっ!そうなの?大変だったね。実は私も、、、」と話はじめた内容が、私よりもっと大変な手術だったという人が二人現れたので、申し訳なくなって、「実は、私は流産手術だったけど、日帰り手術ですんだので、結構ラクだったの」と後から説明しました。彼女たちの大変だった手術を聞くと、私はこの程度で済んで恵まれていたんだなとますます感謝する気持ちが生まれてきました。(子宮にポリープも発見されたのですが、子宮口だったので、中絶手術のついでにとってもらえましたから。)また、自分から表現すると、相手も表現してもらえることも実感しました。私が手術したと話さなければ、彼女たちもつらい手術をしたとは話さなかったでしょう。「愛を送ると愛がもらえる」これも同じ法則なのかもしれません。

そこから、面倒くさくなって、あっさりと「流産手術だったのだけど、もう立ち直ったから元気いっぱい!」と伝えるようにしたら、そのまま受け止めてくれる人と「大変だったね、、、元気を出して」(←元気だと伝えたにも関わらず、こう言われるので、もっと詳細に、私が大丈夫なことを説明することになった。)という二種類に分かれました。

後者のように言われると、実は嫌な気持ちになります。頑張って乗り越えて、もう元気いっぱいなのに、ネガティブな方にひっぱり戻される感じがして嫌なのです。無意識のうちに、”こんな体験したら、もっと落ち込まないといけないのかな?こんなにあっさり立ち直ったらアカンのかな?”と感じてしまうからです。

しかし、こう思った時、自分はどうだったのだろう?と思い出しました。流産したと言っていた友人に、後者のように返したのではないか? 流産=落ち込んでいる、励まさないと。と決め付けていなかったか? 反省しました。一般的に、不幸と思われていることに出会った人が全て落ち込んでいる訳ではなく、それさえも楽しんでいる人もいる。落ち込んでいても、一緒に落ち込み感を共有してくれる人を望まない人もいる。前向きなエネルギーだけを望んでいる人がいる。そんな人に、ネガティブな言葉をかけるべきではないと、自分の体験を通して実感し、反省しました。自分にいかに先入観があるか、また、相手そのものを見ていなかったか思い知りました。

もしかしたら、人によっては、私が元気いっぱいに「流産手術をしたの」と笑いながら話すと、「そんなにあっさり話せるなんて、信じられない!生命を軽く考えているのではないか?もっと、真摯にとらえるべきだ!」と非難するかもしれない(実際、ヒーラーAのメールはそんな感じでした)。なので、私は、この体験を話す時には、そんな事も言わせないほど超越して、聞いた人が”なぜそんなに元気なの?”と秘訣を知りたがるほどのパワーで話したいものだと思っています。

今回は、安全な環境で、かつ、リーズナブル(笑)に、サポートもあり、課題も易しい、内容の濃い短期集中の強化合宿で鍛えてもらったような感じで、本当にありがたかったと思います。ちなみに、今回私を訪れて気づかせてくれた魂に敬意を払って、今回の手術で降りた保険金は、(必要経費以外は)全てフラワーエッセンスや、それに関連することに使い、私と同じようにエネルギーが枯渇した人に会った時に、すぐにサポートできるように準備しようと思います。

こうして、書いてみると、絶妙のタイミングでサポートが入り、偶然ではないことが起こり、本当に、「人生ってよく出来てる!」と思いました。人生って楽しいですね。

以上

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