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夏祭りシーズン真っ盛りの下町は週末になると大勢の人で賑わい、これぞザ・下町という空気に包まれる。神輿、山車、盆踊り、縁日などなど、楽しみは尽きない。僕も先週末は、私的なサークル「浴衣倶楽部」の仲間と深川に繰り出し、下町の賑わいを堪能してきた。賑やかな掛け声と共に神輿が威勢良く通り過ぎ、「ドンドン!カッカッカ!」と太鼓の音を響かせて山車が路地を練り歩いている場面に出くわすと、子供のころからその響きが身体に沁み込んでいるだけになんとも堪らないワクワク感がある。そんな祭りで賑わうこの季節に、僕の友人、といっても大先輩格の和太鼓「和魂」代表 宮内千博(みやうちゆきひろ)さんが、なんと両国で和太鼓教室をオープンしたというのだ。これはお祝いの言葉を直接伝えなければ!もしかしたら両国発信で国際交流がより一層進むかもしれない。そんな期待を持ってさっそく宮内さんを訪ねた。宮内さんと知り合ったのは、今から2年半前、両国ジャズの活動の流れでのこと。その後意気投合し機会があるといろいろ語り合うようになった。その宮内さんが和太鼓人生の集大成として「和太鼓教室 和魂」を開塾したというのだからじっとしていられない!(宮内さんの和太鼓の奥儀や哲学を学ぶことができるという期待を込めて僕はあえて「開塾」と表現してみた。)「和太鼓教室 和魂」は、両国駅の東口のすぐ目の前にある白井ビル4階にある。教室のある4階外壁にはピカピカの大きなサインがでているので、両国駅を利用している方はすでに両国駅1番線ホームから観たことがあるのではないだろうか?まず教室のドアを開けて目を見張るのは、まっ白い壁の広い室内にずらりと並んだ和太鼓だ。大きな和太鼓がこれだけ整然と並んでいる姿は「壮観!」の一言に尽きる。代表の宮内さんの本気度が伝わってくる。宮内さんは、和魂を結成して以来23年間にわたり数多くのコンサートやフェスティバルに出演するかたわら、国内外におけるワークショップやツアーなどで和太鼓を指導してきた。その数はなんと5000人を超えるという。アメリカのヒップホップのグループ、THE BLACK EYED PEASのメンバーに和太鼓の演奏、指導を行い雑誌記事になったこともある。宮内さんの魅力は、和太鼓だけにとどまらず、1990年には邦楽囃子方、望月流家元、十一代目 望月 太左衛門(現・人間国宝 望月流宗家、四代目、望月 朴清)より、望月太和守を許されたことからもわかるように小鼓・大鼓・締太鼓・能管・篠笛、さらに津軽三味線等多くを使いこなすその技能だ。さらに、海外での公演や指導を通じて独学で身につけた英語力により国籍を問わずコミュニケーションが図れるという国際感覚も。現在、生徒は国籍・年齢を問わず総勢40名ほどというのもうなずける。今回、稽古開始時間前にお邪魔し、稽古準備中の宮内さんのお仕事を拝見しながらいろいろとお話を伺った。レッスン時間が近づいた頃、教室のドアが開き生徒さんが入ってきた。すると宮内さんの口からいきなり英語の挨拶が飛び出した。エッと思って入ってきた方をみたら外国人の女性だ。僕も条件反射的に英語で挨拶をかわし、いろいろと尋ねてみた。彼女は、オーストラリアから1ヶ月間だけ仕事のために来日しているという。せっかく日本に来たので日本の文化を学びたいと思っていたところ、数日前に街で日本の少女が和太鼓を叩いている姿を見たことから、ネットで検索し「和太鼓教室 和魂」を訪れたという。今日が2日目で、帰国までの残り2週間のウィークデーに毎日通うつもりだという。せっかくなので稽古を見学させてもらった。和太鼓の魅力満載の稽古が始まった。はじめに構え、そして基本のリズムを繰り返し覚えるまで熱心に指導する。稽古の合間には邦楽囃子や和太鼓の楽しさ、妙技を披露。また稽古の締めに必ず和太鼓への感謝の気持ちを込めて黙とうをするのが宮内流だ。それにしても、宮内さんは何の抵抗もなく英語で稽古をつけている。その姿があまりに自然体なので観ていて爽快だ、いや痛快というべきか。和太鼓という極めてトラディショナルなテーマでありながら、一瞬にして国際的な文化に昇華する現場に居合わせたことが「痛快」という感覚を得た所以だ。「和太鼓教室 和魂」に来ると、和太鼓により日本の歴史ある文化を学べるだけでなく国際交流も体験できる?!そんな一粒で2度おいしい時空をも超越したインターナショナルな稽古空間は希少だ!稽古は月謝制であるが、今回お話を伺ったところお試し特典として初回月のみ1回1時間半の稽古を二千円/1回で受けることができるので気軽に始めることができる。稽古のあとは階下の居酒屋で語り合い、気がついたら午前0時をまわっていた!宮内さんの「和太鼓教室 和魂」について、詳しくは下記のオフィシャル・ホームページで!! http://www.wakon.biz/index.html
August 21, 2009
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本所七不思議の話題にもどりましょう。両国ゆかりの有名人、作家芥川龍之介の小説『少年』(大正13年(1924)4月の作品)から。。。「二 道の上の秘密」「保吉(やすきち)の四歳(しさい)の時である。彼は鶴(つる)と云う女中と一しょに大溝の往来へ通りかかった。黒ぐろと湛(たた)えた大溝(おおどぶ)の向うは後に両国の停車場になった、名高い御竹倉(おたけぐら)の竹藪(たけやぶ)である。本所七不思議の一つに当る狸(たぬき)の莫迦囃子(ばかばやし)と云うものはこの藪の中から聞えるらしい。少くとも保吉は誰に聞いたのか、狸の莫迦囃子の聞えるのは勿論、おいてき堀や片葉(かたは)の葭(よし)も御竹倉にあるものと確信していた。が、今はこの気味の悪い藪も狸などはどこかへ逐(お)い払ったように、日の光の澄(す)んだ風の中に黄ばんだ竹の秀(ほ)をそよがせている。」芥川龍之介が32歳の時に書いた小説「少年」にも登場する「狸(たぬき)の莫迦囃子(ばかばやし)」。芥川龍之介は、お竹倉と書いている(もちろん小説の中の少年の記憶として)。お竹倉は、「御竹蔵」のことで、いまの両国駅北側、両国国技館、江戸東京博物館や日大三高、両国中学校、第一ホテルなど広範囲な一帯を指します。昔は、このあたりは水路(割堀)がめぐり、木々が鬱蒼と茂る淋しい場所であったようです。他方、備前国平戸藩松浦家下屋敷(現駒形三丁目、本所中学校辺り)であったという説もあるようです。両国橋より隅田川上流にある駒形橋東側の近くです。【(狸の)馬鹿囃子(ばかばやし)】「夜中にフト目をさますとどこかでハヤシている。遠くなったり近くなったり、どこでやっているのかそれが判らない。」いまならさしずめ酔っ払いとーさん、が飲んで騒いでいたという落ちになったかもしれませんが。。。
August 9, 2006
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芥川龍之介の「少年」には、狸の莫迦囃子だけでなく、おいてき堀や片葉(かたは)の葭(よし)という七不思議も登場しますが、そのなかで「片葉(かたは)の葭(よし)」と紹介され、お竹倉にあると少年が回想している「片葉の芦(かたばのあし)」は、現在の両国橋の東詰の南方すぐの辺りと考えられています。当時の両国橋は、現在の橋より南に約50mほど下った辺りと考えられますが、その北側、回向院参道の傍に「駒止橋」という割堀をわたる小さな橋があります。その駒止橋の下の堀の名は、「片葉堀」と呼ばれていました。駒止橋は、この付近に両国東広小路を訪れた人々が馬を繋ぎ止めた場所であったことに由来すると言われています。そして、「片葉堀」は、本所七不思議の「片葉の芦(かたばのあし)」が茂っていた割堀の名残りと考えられます。「片葉の芦(かたばのあし)」両国橋の南詰めに芦が沢山はえていたが、一本も両方に芽が出ていない。片方だけである。
August 10, 2006
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