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食通の神髄とは、産地直送 旬 の新鮮な物だと思います。本当に新鮮なものなら、手の込んだ調理は無用。素材の持ち味で十分です。 読書の秋です。灯ともした岩塩ランプを 舐め舐め PCや書籍に親しむ方もいます。 岩塩は数億年前の海の化石とも言われています。古代の塩分やミネラル分が多量に含まれているはずです。これを味わうのはグルメの神髄に達した人です。地球の歴史と広がりを体験できるからです。ただし味のほうは保障の限りではありません。
2006年09月22日
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これから越えてゆかねばならぬ山を見上げている時よりも、いかに険しくとも、山道を歩き始めるほうが、気楽だ。
2006年09月20日
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パソコン操作の習得を始めると、単なる情報のやり取りや検索ではなく、趣味活用の興味がますます増大して、世界が広く深くなる。そればかりでなく、加齢によって兎角 疎遠 になりがちなトレンディな世界に自然に接触することができる。
2006年09月14日
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大阪の人は たこ焼き、東京人は お好み焼き。広島焼きというのもあるそうな。 和洋中華 世界中の料理がそろっている世の中なのに、この素朴な嗜好が衰ないのは何故だろか。みんな揃ってわいわいガヤガヤの 温かみ が味のうちなのだ。
2006年09月12日
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月食は太陽と月の間に地球が入って、地球の影が、月面に投影される。 天体の運行は分秒の正確さで、観測されている。計算が精緻なのか運行が規則正しいのか、私にとって天文学は掴みどころのない世界だ。
2006年09月09日
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長年使っている湯呑は、威勢のよい筆勢で、裸馬が描いてある。東北地方旅行のお土産に頂戴したものだ。 地味な色調ではあるが、口当たりが好く、大きさが手ごろで、美しさを感じる。 “美は機能に由来する”
2006年09月02日
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アルプス ツェルマット村
2006年08月29日
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定刻AM6時になると護国寺でつく鐘の音が かすかに町々を渡る。“祇園精舎の鐘の声 ”と表現するのはすこし大げさだが、一日中騒音に満ちている都会に、毎朝一刻の落ち着きを与える。“諸行無常の響き”は、季節の移り替わりをも告げて・・・音羽 護国寺(Google イメージより)
2006年08月24日
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怒涛が防波堤に押し寄せて、勢いよくしぶきをあげる。千切れ雲が低い空を疾風に流されて飛んで行く。 TV放映が台風襲来を伝えて「夏の終わり」を告げる定型である。 土用波にのって水母が押し寄せて、海水浴の季節は終わり、 子供達は宿題を気にしながら、残り少ない夏休みを嘆く。京都の夏は祇園の宵祭に始まって大文字焼きで終わる。 東京の街も お盆休み が終わった、人や自動車が戻っ てきて、日常の混雑が始まった。 未だ炎暑は続いているが、なんとなく秋の気配を感じるのは、気のせいだろうか・・・
2006年08月21日
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盛んに「海へ・山へ」を聞く時期にななった。「お金がかかって、使用期間が少ないのに 老朽化 が早く、 陳腐化しやすいものは、別荘・ヨット・二号さんである」 という言葉を思い出す。所詮 小生にはどれにも縁がないから、どうでもいいようなものだ・・・ それよりも、夕方 隣家の欅に来て、懸命に鳴く蝉の声を聞きながら、冷たいものを一気に飲み干す一瞬が大切で、これこそ 私の夏に 相応しい。
2006年08月16日
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帰省ラッシュ 嬉々として下り列車で親子ずれが行く。“兎追いし かの山”や“小鮒釣りし かの川”の 思い出 を持たない都会生まれの私にとって 羨ましい情景だ。 炎暑を抜け出して 旅に出れば お囃子の音が遠く幽かに夜空を渡ってくる。 “遠い他国の夏祭り”、なんとなく もの寂しい。
2006年08月12日
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内臓CDドライブが故障したらしく開かなくなった。翌朝 昨日の通り操作してみると、なんなく作動した。どう考えても原因不明である。PCには時々このようなことがあるらしい。
2006年08月07日
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土用の入り 、この時期“鰻” をブログのネタにするのは、当たり前すぎて いかにも野暮だ。かといって 気温三十数度では書きとめておかねばなるまい。来年の読み返しのために。
2006年08月04日
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近年頭髪とみに衰えた。 ひとかわ並べ状 で、あたかもバーコードである。試みに頭上にてケイタイのバーコードリードをトライしてみる。結果は“読み取り不能error”と出た。「コンニャロウ」
2006年07月23日
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鑑賞・教習には絵画・書や音楽がある。 鑑賞・教習は面白くなければ、長続きはしない。“面白さ”とは“落とし話を聞いてゲタゲタ笑う”という性質のものではなく、経験・学習によって実力・素養の知的向上と共に、興味が次々に湧きあがってくる“面白さ”という意味である。 スポーツやPC演習は、まさにそれである。
2006年07月20日
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旧友の訃報に接す。中等学校入学以来 半世紀の付き合いであった。数年前 小生 療養所退院の際に、「今度入ったら最後だと思えよ」と寒たく言い放った彼だが、眼は暖かった。 今年の梅雨は冷たい。
2006年07月18日
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虚礼廃止などという。本来礼とは虚なるものであろう。しかし礼を重ねることで、実が生まれる。誠実表明は、繰り返しで、時間がかかる。
2006年07月15日
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梅雨の切れ間の夜空を見上げる。 天文に興味のある人は星座が自然に浮かび上がる。知識がないと満天の星々は無作為にちりばめられているようで、ただひたすら悠久の宇宙に感じ入るだけである。 古来より星座をきめた人は、どのような想像力を働かせて さそり座 とか 小熊座 とか命名したのだろうか。
2006年07月08日
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大地震の前駆症状としてのP波があってから、10秒後にS波がくる。この後からやってくる横波 は実際に災害をもたらす。しかし“このわずかな時間にどのような行動をとるべきか”思いつかない。ただ言える事は・・・
2006年07月06日
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“漢詩”を英訳すると、チャイニーズ ポエム となる。なんとなく間が抜けて、平仄・脚韻の格調高い響きが伝わってこない。私にとっては、昔の流行り歌“ワンさん 待ってて ちょうだいね” が聞こえてしまうのだ。 「教養なき人間の哀れさよ」
2006年07月04日
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1)理解しようとする。 2)理解しつつあると思う。 3)理解できない。 4)お互いに理解できないことを、理解する。 PC演習と結婚は似ている。
2006年06月25日
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人生の挫折は、若いうちに多く経験したほうがよい。 甘い成功は、とかく浮かれて無為に過ごしてしまうが、 苦い失敗は反省を呼び、将来に資するところが多い。 "物事は失敗に終わっても、人は失敗に終わらない" byウィリアム・D・ブラウン
2006年06月23日
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友より久しぶりの来信 早速返信と思えども、手紙を出すのに、封筒・便箋・ボールペンや文例集・辞書まで用意しなければならない。要するにこの作業が億劫でツイ返信、を不義理する結果になってしまう。それなのに受信は嬉しい。 気取りや見栄が邪魔をしているわけだ。その点PCを使えば、メッセージを作成して送信すればよいから簡単だ。
2006年06月20日
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クラシックなものを理解するには、ある年齢を必要とする。 オーソドックスな芸術や衣食住の価値判断には、経験や思慮がいるからだ。 現代では古くさいと思われがちなJ.S.バッハの曲も、18世紀では現代音楽であった。 価値判断はのそ時代の人々の受け取り方によるところが多い。 芸術鑑賞に判断の基準はない。;他人や大衆の意見 ; はこの際二の次だ。自分自身にとって感動を与えられればいい作品と考えればよいのではないか。
2006年06月14日
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毎年訪れる季節はそれぞれに移り変わる、年々歳々その一瞬の感慨を大切に保存したい。 又誰しもある年齢になると頻りに過去を思い出すようになる。そして将来に思いを致す。 ブログとして書き残す理由である。
2006年05月29日
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日本の人々は三・四日だけしか咲いていない桜を賛美します。情緒的であるといわれる所以です。 欧米人は論理的といわれます。目の色や毛色が異なる人々の集まりでは、顔つきや言葉まで同じでツーといえばカーと反応する日本人同士と違って、何から何まで克明に説明しないと納得がいかないのでしょう。
2006年05月28日
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駅のホームで電車を待つ間、傘を逆さに握って、振り回している人がいます、仮想ゴルフスィングです。 いい大人がまじめな顔をして、あほらしいとも思われますが、趣味を持っていることは幸せです。 PC演習と同じように・・・
2006年05月25日
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YAHOOの株価が29¥から40¥になった。 急騰の理由は広告収入の増大にあるという。過去長い間TV・ラジオ放送や新聞・雑誌等が広告の主体であったが、時代の流れは “ネットが 最もポピュラーな広告媒体” に向かっているようだ。 仕事・勉強・研究の分野ばかりでなく実生活にまでネット閲覧の習慣が必要不可欠になった。
2006年05月23日
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大相撲夏場所 酣である。TV実況放送に出てくる関取は蒙古勢が断然多い。日本料理店で成吉思汗鍋が出てきたようで、違和感をぬぐい得ない。ブルガリヤもヨーグルトだけでよい。“国技大相撲”はすでに死語になったのか?
2006年05月19日
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図らずも一ヶ月余の入院を余儀なくされた。たいした自覚症状もなく、検査以外には、病室の白々とした壁や天井をひたすら眺める毎日であった。その間娑婆では 今年の 桜が咲いて 満開になって 散った。入院中の毎日が“退屈無意味”が感想である。煩わしいと思っていた、”日常の雑事”は生きる証として必要なものなのだ。 青い鳥は身近にいる。
2006年05月18日
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わたしは 常時左手が痺れている という障害を持っている。キーボード上のJの位置は取れても、Fの位置に左人差し指は置けない。右手五本指だけでのタッチである。 練達の師は水面上のミズスマシのようにスイスイと滑らかに両手の指をボード上に走らせる、目はモニター画面を睨んだままだ。私はPC演習の当初より憧憬の まなこ をもって眺めてきた。 この際 「ジッと手を見る」とか、「多勢に無勢」とぼやいてみても万事はじまらない。何とか わたし流 のブラインドタッッチを編み出そうと種々トライしているのだが・・・。
2006年03月25日
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春風と共に旅立ちの季節となった。 山村を訪ねる。 頂に残雪を残した連山を背景に、草原が広がり、“千里鶯啼いて緑 紅に映ず、水村山郭酒旗の凧” 苔の付いた水車は、雪解けの水を含んで、重々しげに回る。
2006年03月24日
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クシャミ連発、吾も“花粉症なり”と人並みを自覚す。やがて耳鼻咽喉全体に 発症、 発熱 急ぎ安静に。 夜半風雨の声、季節の 移り替わり を告げる。隣家の桜 ピンク色に蕾み満開まであと数日。 咲いてよし 散る姿よし となるとやはり桜だ。咲きそろったこの花には、優雅と頽廃との神秘な調和がある。
2006年03月23日
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ゴルフの理論はスポーツ雑誌・新聞等に盛んに掲載されている。そこで頭でっかちなゴルファーが出来上がる。 スイングのトップからフィニッシュまでわずか0.5秒、この間に“肩を十分に回せ・頭を動かすな・左手を伸ばせ・コックに気をつけろ・一気にフォローまでもってゆけ・・・” を考え・実践する のは どだい無理な話だ。 スポーツとは頭で覚えるのではなく、反復の練習を重ねて体に覚えさすのだ、だから若干の 腰痛・肩の痛み はやむをえない。
2006年03月16日
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春眠 暁を憶えて、早朝に目覚める 習慣が付いてしまった。“早起きは、人を健康に、富裕に、そして賢明にする” フランクリンだが意思に関係なく、春が来ると梢に新しい芽が吹き出るように、自然に目覚めてしまう私は植物的すぎる。 明日からは早寝をするのはやめて 遅寝遅起き を心掛けよう。
2006年03月08日
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久方ぶりに暖かく風もない日の午後、西八王子に“パンプキン油彩会展”をみる。会員は年配者のアマチュア、創作出品はそれぞれ数点。 会場全体には、長い人生経験を持った人々が余生を、上質・上品な趣味に没頭している雰囲気がある。 畏友W氏の作品は5点、勢いある筆遣い、共に旅した地のスケッチもあって懐かしく、写真とは違った趣あり。令夫人の作品は、お人柄そのままのロマンチック・メルヘンチックな静物である。上等なひとときを過ごすことができて充実した一日。
2006年03月04日
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“月も朧に白魚の、篝もかすむ春の空・・・”旧暦とはいえ江戸時代のほのぼのとした感じが出ている。今年の三月三日は春まだ浅い。 明かりを 点けましょ 雪洞に ...~♪ この歌を聴くと数十年の時間が一気に逆転する。
2006年03月03日
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2月21日 西に向かって還る。 機窓の後ろに流れゆく雲を見送りながら、 “何とか参加できてよかった” 私にとって旅行とは目的地にあるのではない、出掛ける事に意義がある。無為に日々を過ごしてしまうのでなく前向きな意欲・姿勢がなによりも大切だ。 所詮“人生は年月を旅すること” なのだ。
2006年02月21日
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2月20日 一日自由行動 ホノルルは観光の町である。観る・食べる、それにもまして買う ところ はホテル内外のアーケードやアラモアナショッピングセンター・・・枚挙に暇がない。 溌剌として店店を覘くご婦人方のあとから、黙然と付いて行く殿方、いずこも同じである。 男は黙ってビールでも飲んでいるより仕方があるまい。 当方も例外でなく、往きの荷物よりも帰りの荷物の方が増えてしまった。 ホノルル夜景
2006年02月20日
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2月19日 マウイからオアフに空路、機種は国内線用のDH500型。徐々に高度が下ると、真珠湾・ホノルルの街が 雲の隙間から浮かび上がってくる。十年以上の 空白の記憶が一足飛びに甦る。 部屋はワイキキ シェラトン ホテル 30F オーシャンビュー である。 ビーチからダイヤモンドヘッドまで一望の内。
2006年02月19日
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2月18日 テデスキーナ ワイナリーへ、往路は さとうきび列車。 明治期 以来の 邦人移民 苦闘の跡を偲ぶ。ラハイナのレストランにて初めての ポリネシアン料理 調理・盛り付けは、洗練からは遠いものだが、味は素朴・自然そのまま。
2006年02月18日
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2月17日 ナリタ 定刻 22:00 満天の星空に向かって離陸。 ハワイ東方 機上にて黎明をみる。雲海東の端より徐々に明るくなり、針の様な光芒一閃ピカリと天空を突き刺す。地球の自転を眼前にして感動 “声なし” オアフ島ホノルル着後 直ちに空路マウイ島へ。 ウエスティンホテルでは レイ飾り で歓迎。
2006年02月17日
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帰宅してふとテーブルの上を見ると、可愛い小箱がオジイチャンを呼んでいました。中味は チョコレートケーキ 、温かみが伝わってきました。 ハート型切抜きのメッセージにお返事します。 「聡美さん大好き」 オジイチャンより
2006年02月15日
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冬季オリンピックは たけなわ である。日本では選手団を「ガンバレ必勝」の声で送り出す。 困難な予選をクリヤーして日の丸を背負ったアスリート達である、「ガンバレ必勝」よりも もっと適切なエールはないものか。 精神的な負担を増すような応援はかえって逆効果である。 最高に実力発揮できるのは、リラックスが一番必要なのに。
2006年02月14日
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「二日酔い には、コーヒーが好い」「いや紅茶だ」「水をガブガブ飲むべきだ」・・・積年の 体験 から、皆さん 痛恨の想いをこめた意見 を寄せてくれる。 なかにはヤケクソ気味に「いや 酒を飲んでしまえばよいのだ」などいう迎え酒説 まで飛び出してくる。 「二日酔いに 特効薬 はない、あるとすれば 時間 だけである」 残念ながらこれが 私の結論である。
2006年02月12日
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昨年は縁あって東南アジア方面に出かけることが多かった。シンガポール・バンコック・広東・・・夕刻の街角を見下ろすと、涼みがてらかそぞろ歩きの大群集が行く。ぞろゝ肩も触れあわんばかり。大人口は高温・多湿・米食・椰子油の臭い の単純・悲惨の結果だ。 今年は間もなくハワイへ行く、カラカウラ大通りは何故かおおらかな気分になるはずだ。のんびりしているのは観光客だけだからか。 googleより
2006年02月10日
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立春とはいえ未だ厳冬の最中だ。寒さにかまけて全く手入れもしなかったのに、ささやかな露地植えや鉢物の桜草が ちらほら 咲き出して、季節の変遷 が自然と共に身近になった。
2006年02月08日
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メールやブログの文章を考えることは、創造である。 言葉の引き出し を沢山持っていると、クリエイティブな、センテンスを生み出したり フレーズを思い浮かべることができる。 “無から有は生まれない” のだ。
2006年02月07日
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いつの間にか本棚がいっぱいになってしまった。それは善書や悪書であったり、昔は感動した実はくだらないオーディオディスクであったりする。 当時、衝撃を受けた本やCDを数年後・数十年後・読み返してみたり、聴きなおしたりしてみると、大抵は感想が一変してしまい、なぜ そんなに感動したのか解らなくなる。 ただ過去の自身の姿が甦ってくるので、簡単に整理処分してしまうわけにはいかない。
2006年02月04日
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フランス料理店に入ると、先ず黒服が席に案内して、メニューを突きつける。少年がお仕着せの制服を着せられるときのように、堅苦しい。 その点すし屋では、付け台の前に座って、勝手気ままに注文する、 威勢のいい 「オマチ!」 のこえ。忽ち眼前に お好み が並ぶ。なんとなく古風な感動である。
2006年01月31日
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