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先日道場の稽古後にみんなで少し話していたのですが、一般部の大人に、30代後半の緑帯に昇級した人がいて最近、稽古で見かけないのですが、どうしたのだろうかと道場の支部長や先輩に聞いてみたのですが、退会したとのことでした。小柄ながらボクシング経験者で、なかなか真面目に稽古に来ていたのですが、退会の理由を聞いて愕然!。ここからはその緑帯さんの言い分です。空手は無差別で、組手で大きな人と当たるのは不公平だ、毎回大きな人にやられるのは納得がいかない、空手の道場の稽古も体重(体格)で分けるべきではないか、だから空手はおもしろくない、辞める。というのが主な理由でした。空手は競技としては、ウエイト制もあり公平性がありますが、本来は無差別であり、武道は競技が第一ではないので、自分自身のハンデキャップや自分の弱さを克服するものであり、武道としての考えとしては、現代を生き抜く術かもしれない。道場は自分の弱さを打破する道を追求する場である。試合もその一部分であり、ルールなども実戦の一部でありそのあたりを自覚し稽古していかないと、ただのスポーツ空手であり点取り空手になり、年齢を経て体力が無くなれば、道場を去ることになる。そんなことを考えていると、辞めた緑帯さんに伝えられなかったのがちょっと、寂しい気がしたが、わからない人間には仕方がないことなのかもしれない。
2005/10/31
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S市の小学校の学童保育の生徒が集まり、毎年1回の大運動会が開催されていることを初めて知り参加しました。昨年は生憎の雨で中止であったとのこと。36校のS市の小学校の学童保育の生徒約2000人が参加し、それに父兄を加えるとざっとその倍以上の数に驚いてしまいます。朝早く起きて、また弁当を作り待ち合わせ場所の最寄の駅に駆け込むように到着し、なんとか集合時間に間にあったというギリギリの朝の時間の中なんとか皆さんと現地へ到着。なんせ2000人ですから、子供が参加した種目も遠くて見えないし次の出番の種目の間の待ち時間も長くて、見ている私は息子と遊んだりしたもののかなり退屈でしんどい時間を過ごしました。やはりというべきか進行もうまくいかず、時間は延びていく一方でした。来年、娘が3年生になり学童保育は最終の年ですが来年はちょっと、自宅で留守番していたい気分です。
2005/10/30
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久々に時間ができて、壁紙職人出動です。現在、我が社が受注した200軒の新築マンションに私は初めて行きました。本職の職人達は、10月の中旬から工事の着工していて既に、14軒の住戸が仕上がりました。私が加わり、2軒完了しましたので、全部で16軒完了。まだまだ、始まったばかりで、3月の竣工までにこれからの約3ヶ月の工事期間で、あと184軒、かなり地獄の工程になることは間違いありません。今だかつてこんなことはなかったのですが、今回は年末年始不休ということが起こるのかもしれません。物件が大きいだけに今回ばかりは相当な覚悟が必要かもしれません。
2005/10/29
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私の会社の業務は金融業なんで債権回収が主な仕事となるのですが、私の場合は別件で全く関係ない仕事を雇い主である破産管財人より指示される場合が多々あります。以前の日記でも書きました、不動産会社所有の建物の処分の一環として今日はそのうちの物件の内覧会に立ち会ってきました。どんなことをするかと言いますと、不動産物件に買取希望の不動産業社数社を現地へ集め直に物件を見ていただき、値段をつけてもらうオークションと同じで、高い入札金額をつけた業者が落札ということになりますが、さすが不動産です、最低入札価格は数百万からのスタートになります。私は、今回の内覧会は初めてなので、管財人の事務所の方が今回のみ同行してくれることになりました。現地でただ業社の名刺を貰うことと、物件の鍵の開け閉めだけが仕事です。物件内部を見た業者は、入札締め切り日までにFAXで値段を入札するだけなのです。こんな業務がこれから年内いっぱいありまして、約20物件ほどの内覧会をおこなうことになります。気晴らしに外に出れるし、不動産業者と話なんてできて、私にとっては楽しい仕事です。
2005/10/28
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稽古に行ってきました。本日は更に人数が少ない、有段者は私合わせて3名全員で13名の参加でした。今日は自分の稽古より指導の方が多くてなんかストレスが溜まりそうです。私ごとでは、左中段回し蹴りの軌道についてまたもや指摘を受けてしまいました。本来、脚が横から回ってくる軌道が回し蹴りなんですが回ってないと、すりあげるような感じになってると、ご指摘ありがとうございました。モーションを小さくを心がけるあまり、別の蹴りになっていたようで、元々回し蹴りは得意ではなく来週からは意識的に大きく回して蹴るよう意識してみます。自宅へ帰って、夕飯を食べる前に体重計に乗りました。道着の下にはサウナスーツを着て、ひたすら汗を流す事を重点に稽古していますが、体重はなんと80キロ!全然変化がないことに、唖然としました。私のダイエット空手の修行の道は果てしなく続くのでした。
2005/10/28
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昨日の夜、ケーブルテレビで新空手交流大会を放送していたので見てみましたが、キックでもない純粋(何が純粋かわかりませんが)空手でもない。K-2、K-3、K-4などの年齢やルールなどでクラスを分けた試合でした。見た目は道着を着たキックという感じです。キック系団体が新空手の道場を運営しているケースも多いみたいです。打撃のみ限定すれば、寸止め、顔面無しフルコン、各種防具そしてこの新空手=グローブ空手の4つのルールが主流です。(大道塾空道は寝技や投げもあるのでちょっとおいておきます)私自身、3年ほどグローブ空手の経験があり、何回か大会にも出たことがあります。私の感じたことは、安全の面は少し考えるところを感じますが実戦性は一番感じる稽古方法でありルールであると思います。一部の団体では、このグローブ空手をオリンピック競技にと推進している団体もあると聞きます。今後、私が書く小説「日々研鑚」にもグローブ空手が登場します。これから世界的に延びていくルールで、ますますメジャーになり、キックやその他の格闘技で活躍しそうな選手が出現しそうな予感が、昨日の新空手交流大会から感じました。
2005/10/27
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本日ついに住宅ローンの借換えが完了しました。住宅金融公庫窓口銀行に司法書士と出向き、抵当権の抹消書類と抹消に係わる委任状、そして、約4年前にマンション購入の時の住宅金融公庫の融資の契約書を返却されました。今日の通帳の動きを見ていたら一瞬なんですがたいへんな金額が通帳間を移動していました。まず、借換え融資を受けた銀行の通帳に融資が実行され、そしてその通帳から住宅金融公庫窓口銀行へ決済金としてお金が移動し、全額返済が確認できての完済でした。おまけに購入時に35年分の保証料を支払っているので残りの期間30年に対して保証料の払い戻しもある。それは、来月の中頃にはいくらかは返金される、当たり前だけど、なんか得した気分。住宅ローンも返済期間が10年短縮されて来月から気持ちも新たに返済が始まる。3年固定なので3年後の金利変動は気になるがなるようになるさ!。今はそんな気持ちです。さぁ、頑張るぞ!。
2005/10/26
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銀行の住宅ローンの借り換え手続きも無事終わり。(このこといついては後ほど書きます。)私も妻も今日は勤めは休んでいますので、慰労も兼ねて、ちょっとだけ豪華なランチへと行きました。ついでに、私の母も誘い、3人での珍しい食事会となりました。メニューはといいますと、コース料理で、前菜盛り合わせ蟹肉入りふかひれスープ(本物の蟹が入っていたペキンダック(初めて見たし、食べました牛肉とホタテの季節野菜炒め物(牛肉がやわらかい海老と文甲イカのマヨネーズ炒め物(意外とこってりしてない麻婆豆腐(辛いけど後に残らない辛さご飯とザーサイ果実入り杏仁豆腐そして、飲み物(青島ビール、酎ハイりんご、烏龍茶)コーヒーを飲みました。料理は順番にちょっと少なめに出てきましたが、デザートを食べ終える頃には満腹で満足。普段よく食べる「O将」とは味は全然違いました。今度いつ行けるかわかりませんので、味を覚えておきたいと思います。お店の外観ですが、中国料理店に見えない外観と内装でした。いつの日にかまた行きたいです。
2005/10/26
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「敗戦そして」負けた、うまさに翻弄され完膚なきまでに負けた。何もできなかった、1回戦敗退、これが結果だ。超新星、逮捕術全国チャンピオンのNさんと対戦し何もできないまま、終わってしまった。優勝した弟子の前で、不甲斐無い、恥ずかしさでいっぱいで、その場から逃げ出したかった。会場の隅で、大会を見学していた時に話しかけてくる初老の男性がいた。「私は病院を経営していて、看護学校の理事長でもあるE先生の認可を受けて看護学校で同好会を作ることになって、指導員としてお願いしたい。」同好会の指導員の要請でしたが、大会中のため返事は保留することになり、E先生の了承が必要であったが、同好会の認可済みなら引き受けていいかと思った。白熱の大会は、他流派フルコンタクト空手の師範代のKMさんの怒涛の快進撃で大会は盛り上がった。誰もがKMさんの優勝を疑わず、最後の決勝戦は逮捕術Nさんと他流派KMさんの戦いとなった。団体の威信をかけた死闘は、逮捕術Nさんがタイトル流失を阻止し第2回選手権のチャンピオンとなり、神秘のベールに包まれた逮捕術の実戦性が初めて世間の目に触れた瞬間でした。(Nさんは新拳法団体の所属です)そしてこの逮捕術をベースに新格闘技が誕生することになるのでした。逮捕術は、日本拳法をベースにした徒手格闘技に合気道や武器術(長短棒)を加えた実戦武道でした。警察が採用している格闘技です。
2005/10/26
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明日はいよいよ住宅ローン借換えの決済の日です。住宅金融公庫から現在借入を受けていまして、明日、その金融公庫窓口銀行へ、今度の住宅ローンの借換え先銀行の担当者と抵当権抹消及び設定を依頼している司法書士と行くことになります。この機会に繰り上げ返済の名目で今日の昼に銀行へ行き指定口座へ1○○万ほど入金しました。保証料、登記費用、手数料、印紙代と借換え初回の毎月のローン返済金と残りは元金に充当され、ちょうどキリがよい残高になる計算です。お金を引き出した某銀行より、借換え先銀行までの間自転車で移動しましたが、なれない大金の所持に緊張してしまいました。明日、このいろいろな手続きに時間がかかる住宅ローンの借換えが完了するのです。
2005/10/25
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今日、会社に先日の健康診断の結果が郵送されました。結果の通知表には前回の検査比も記載されており前回検査よりどれだけ悪くなったのかが比較されます。結果から言いますと、いわゆる生活習慣病ですね、脂質と肝機能でひっかかりました。中性脂肪、高脂血症で正常値149以下のところが860、異常な数値で要治療の結果肝機能障害で要精密検査。最後通告をされたみたいな結果に、今までの暴飲暴食を改めて、本格的なダイエットに着手しなければいけない時期に来ました。もう、崖っぷちなのです。とりあえずどうなるのかはわかりませんが、様子を見ながら、トレーニングでダイエットします。以前も厳しいトレーニングでかなり減量しましたがその後サボったためリバウンドしてしまい意志の弱さを露見してしまいました。今回は、健康で長生きするため、頑張ります。ダイエットの経過なども載せていきますので皆さん応援してください。
2005/10/24
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支部長宅から帰宅したのは、AM2時でした。帰りにお腹が減ったので、ラーメン食べましたが低炭水化物ダイエットの禁を破ってしまいました。この世は誰もが、人を出し抜こうと虎視眈々とその機会をうかがっている、油断も隙も無い出し抜くためには他人に主導権を握られないよう自分のペースに強引に持っていく、そうでないと割をくうからである、駆け引きや裏工作や裏切りなどを駆使し、なんとしても自分のペースで主導権を握らないと自分の思惑どうりにはいかないものだ。少しぐらい相手を踏みにじってもよい、口で攻撃する分には合法である、その作戦に相手が乗って強硬手段にでも出ればこちらの思う壺なんだから。まずはゴマをすり、ご機嫌取りし、お世辞を言い上に気に入られればいい、相手より気に入られたらいいんだから。(上記の文章は渦中の相手側の考えではないかということをこちら側がこう捉えているというイメージです。)なんてことが昨日の会合の話の一部です。こんな人間はどこにでもいますが、男っぽい世界の武道の世界です。利益を追求した企業ではないのです。昨日はいろいろな問題点聞きましたが、相手側のことですが、こちら側が100%正当かと言うとそうでもないようなどっちもどっちかな、そんな気がしました。来年には波乱が待ってそうです。
2005/10/23
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今晩、もう少ししたら空手道場の支部長のお宅へお伺いします。定期的に指導員や、他の直系支部長が集まっていろいろなことを話し合います。今後の稽古のことや、道場の方針やまた、空手に関係ないことなど。空手のビデオなど見ながら、ざっくばらんに。3ヶ月に1度くらいの集まりですが、人数も全員で5人ほど、こじんまりとしてるでしょ。いろいろ話してきて、書けることは、また後ほど日記に書きたいと思います。
2005/10/22
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消費者金融会社に入社し2ヶ月が過ぎた頃、大幅な人事異動があり、かなりの社員が転勤で支店を移動することになりました。そんな中に私も含まれていて、大型支店からローカル支店に転勤になることになりましたが、私が当時住んでいた地元への転勤が、これからは自転車で10分のところになり満員電車に乗らなくてよいだけでもかなり満足でした。そんな、楽と思われた小型ローカル支店も家から近いこともその後、実際に転勤になりその支店に勤めると、思いのほか、地元であることには不都合がありました。世の中はわからないもので、お客さんの中には、私がよく知る人々がかなりいて、近所の散髪屋の人や中学の友達の奥さんや、いつもマイカーのガソリンを給油していたガソリンスタンドの所長や、よく飲みに連れていってもらった町内のおっちゃん等等、非常にお互い気まずい思いをたくさんしました。しかし、庶民的なこの小さなローカル支店の業務は私にはかなり楽しく感じ、そこの支店長とも仲良くなりその後、現在まで付き合いは続くのでした。そして、大型支店での転勤前の最後の勤務の日に、これぞサラ金という、トラブルがおこり、今後もその数々のトラブルを経験していくことになるのでした。次回、取立訪問回収編へと続く。サブタイトル(仁義なき戦い大阪戦争金融地獄編へと続く)
2005/10/21
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本日の稽古を振り返って、今日は昇級審査があり二人受験し無事全員黄色帯に昇級できました。おめでとうございます。(何級になったかは不明)通常の稽古の中で、審査は始まり、基本からコンビネイションそしてミット、組手となります。ミットでは、30秒間各蹴り、突きを連打で時間内で打てるだけ打つという練習でしたが、40を過ぎた私には連打はきつかった。スタミナが切れそうになって、どうしても蹴り突きを早く打とうとするあまり軽く腰が入っていないような打ち方になってしまいました。体がついてこない、組手では連打を主にはできないです。そして、組手ですがまず昇級の2人組手がおこなわれ受験者の相手は黒帯が務めましたが、なんとか二人とも最後まで立っていて合格しました。引き続き稽古が続行され、順番に組手をしていき最後にデビルさんとあたりました。さすが重い突き蹴りに押され気味になり、相手の得意の左上段回し蹴りを警戒するあまり膝蹴りを2発も貰ってしまいました。上段を意識するあまり、中段が開いてたみたいです。それと、下突きの引きが遅いことも、デビルさんには指摘され、何年やってても課題は常に持って、改善する余地はあることを実感しました。
2005/10/20
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今、家に帰りました。体調はまだ万全とは言えませんが、今日は、空手の稽古に今から行きます。週1回のノルマが目標なので、今週もクリアです。忙しい毎日ですが、時間が有れば極力稽古に行く。今日は支部長にちょっと頼みごとがあります。それでは、行ってきますので、後ほど、稽古日記と併せて書きたいと思います。
2005/10/20
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「師弟」私が支部長を務める、T支部が開設されて初めての自派の大会第2回選手権大会が開催され、私と門下生のK君が出場することになり、これが初めての師弟での出場に感慨深いものを感じ、「これからも強い弟子を育てて、支部を大きくしていきたい。」そんな野望がフツフツと沸いて来るのを感じながら、会場へ到着しました。まず、K君が出場する新設の段外の部から大会は開始されました。体格に勝り、闘志満点のK君は破竹の勢いで決勝まで勝ちあがり1回戦から準決勝まで全て圧勝しました。しかし、もうひとつのブロックから勝ち上がったW君も同じように一方的に相手を倒し、破壊し勝ち上がりました。このW君は、新拳法団体期待のホープで、元K会館1級で実力は既に有段者クラスで、新拳法有段者でも彼のぶち壊し組手に逃げ腰で稽古にならない始末です。予想はしていた相手ですが、私の目から見てもK君よりはかなり実力が上に見え、不安に思いながらも、開始の掛け声が宣せられた。開始早々から、Wの猛攻が始まりK君は防戦一方で誰からもK君の負けは見えているように思えました。バックハンド、ローキック、横蹴りが得意のWの攻撃が連続して襲い、本戦終了間際勝負を賭けた横蹴りがK君目掛けて飛んで来ましたが、咄嗟に出したK君の前蹴りが相打ちとなりましたが、Wがバランスを崩し倒れた所に、K君が上からの突きで1本を先取したところで、試合終了!、K君が初優勝したのでした。支部の全員での胴上げという祝福にK君の感激の涙。そして波乱の有段者の部を迎えようとしていました。剣道4段で逮捕術全国チャンピオン、某有名フルコンタクト空手団体師範代が出場した有段者の部が始まろうとしていた。
2005/10/19
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ついに息子までが風邪をひいてしまいました。夕方から妻が勤務で夜中に帰宅しますが、私は午前中で会社を早退し、妻と入れ替わるわけです。夕方、いつもの近所の病院に息子を連れて行く予定でしたが、つい昼寝をしてしまい、17時までの診察時間を過ぎてしまい、仕方なく車で遠くの病院へと行きました。風邪が最近は流行っているのか、病院は、たくさんの子供達がいました。38度の高熱が出ているにもかかわらず意外と子供は元気なのですが、そんな病人がたくさんいる病院に一緒に行きますと、なんとなく、こちらの体の調子も悪くなって来た様に思えてきました。自宅へと帰った頃、それは思い過ごしではなく現実に襲ってきました。どうやら風邪をひいたみたいで、体がしんどい。今日は早く寝ないといけないみたいです。
2005/10/18
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我が家では毎週の月曜日にコープ生活協同組合(以下生協)から、事前に注文をし食材などの配達をしてもらっています。配達の品々の中に、大量の広告が入っていますが。その中に、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(以下USJ)のハッピー・クリスマス・パスの予約販売の広告があり通常価格大人¥5,500→¥4,500に子供が¥3,700→¥3,300になるということで早速、注文をしました。有効期限は11/3~12/25まで。入場料が高いUSJが少しだけ安くなりました。去年の年末に行った以来です。楽しみができました。このUSJなんですが、建設中に私の副業である壁紙職人として、我が社がUSJ内の某建物の内装工事を請け負ったことがありました。ですから、建設からテストオープンまでの期間を近くで見ることになりました。建設会社50社超が参入したこのUSJの工事の一部分に携われたのは良い経験でした。
2005/10/17
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夕方より、私の実家の地域の秋祭りへと行きました。私も子供の時は、この秋祭りを楽しみにしていまして、この地域の道路を規制しての、8台のだんじりの行進は迫力満点です。息子もこのだんじりには興奮気味で、だんじりの後を追いかけようとしていました。 そして、夜店で弟の家族と両親と私と子供二人でゲーム、綿菓子など楽しめました。(子供だけですが)地元の祭りの楽しみは、私が子供の時の友達などに会えることもあります。何人か懐かしい顔にも会えました。みんな家族連れで、どこも同じなんですね。娘の金魚すくいですが、そこで娘の快進撃が始まるのでした。すくう、すくう、金魚すくいの紙が破れるまで約30匹あまりをすくい上げました。しかし、せこいことにここの店は金魚はくれません。どうしても欲しがる娘に、4匹100円で金魚を買ったのでした。
2005/10/16
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消費者金融の会社に入社し、1週間が過ぎまして、新人の私も他の社員と同じ扱いになってきました。私が配属された支店は、全支店の中でも大きい方で、何を基準で大きいと言うのか、店の敷地が大きい、支店の人員が多い、立地が良い。どれも違いまして、貸付残高が多いところが大きい支店と判断されるところです。支店の中では、ある程度業務が分業されていて支店長は融資の決済と、全体的な統括責任を、女性は完全に事務や電話応対そしてサブと呼ばれる補佐の男性は、訪問回収をいわゆる集金、いわゆる取立て。そして新人の私は、朝から晩まで延滞顧客への支払い督促の電話をかけることが仕事でした。支払い督促こそがサラ金業務の基本であり真髄なのでした。ここで、使える人間か、使えない人間か判断され、できない人間は、試用期間の3ヶ月以内に容赦なく、首をちょん切られてしまうのです。できる人間とできない人間がはっきりする業界、判断は早いほうが良いのかもしれません。知ってるからできる!、そんなことは世の中では通用しないのです。なにかしら、私が若いときより経験した、二つの世界に共通するものを感じました。次回、転勤の話を書きたいと思います。
2005/10/16
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保育園の運動会も早く終わり、昼からは時間がありました。以前より約束していた、空手の道場の人が通っている柔術の稽古を見学に行こうと思いましたが昼寝をしてしまったため、行けませんでした。代わりに、竜武館に行きました。今日は合気道部の稽古日ですが、合気道のY師範にお願いし、道場の隅で自主トレをしました。と言っても、道場はかなり広いので、私がいても影響は全然ありませんが。なんかうまくいかない、落ち着かない、人間関係が円滑にいかない、そんな気分での一人稽古、終わってみたら、やっぱり何も変わらない。時間が解決するしかないのか。
2005/10/15
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午前中息子が通う保育園の運動会に行ってきました。この保育園少し普通の保育園とは違い、某病院の保育園であり、看護師の子供しか入園することはできないのです。その特殊性が園児減少の理由なのか、現在廃園の危機を創設31年目にして迎えています。園児9人での運動会、生憎の外は雨でしたが園内での運動会開催になりました。運動会は約1時間半で終わりましたが常に息子が出ていて、父兄など参加の種目が多くて、なかなか見所満載でした。2歳になった息子の、はつらつとした動きに感心しながら、ビデオカメラを構えるバカ親、、、いや親ばかなのでした。娘もお世話になった保育園、来年の3月で息子も卒園、最後の卒園生になるのか、無くなるのは、少し寂しい気分です。
2005/10/15
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12日に竜武館の事務所に集まった時のその後です。会合が終わり、皆さんで喫茶店へ行きました。皆さんのその時の話題は、ありきたりですが、仕事の話しから入っていきますが、皆さん社長さんで会社を経営したりと、多方面で活躍されていますので、話してる内容もサラリーマンの私と師範はもちろんついて行けません。少し話題が変わって、小説の話しなんかになりこれも共通の話題でよくこの展開になりますが、この中の数名が、作家で故三島由紀夫さんに詳しい方がいらっしゃいまして、よくその話題になります。私も何作品か読みましたが、なんとも深いです。喫茶店に皆さんと行きましても、やはり話題にはついていくことはできませんでした。薔薇とペルソナ三島由紀夫未発表書簡私の遍歴時代若きサムライのために
2005/10/14
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本日は、空手の道場に稽古に行きましたが、今日は特に参加者が少ないです。有段者は支部長、Iさん、私の3人でした。あとは最近入門した白帯の大人が2人と中学生が10人くらいです。大人の白帯の一人のRさんなんですが、今日新しい道着が届きました。今まではジャージとかではなく、普段着でした。フルコンタクト空手の道着は最初何回か洗濯しないとかなり大きいです、洗うとかなり縮みます。Rさんは初めて着る道着に戸惑いながらもなんとか着れましたが、ズボンの裾はかなり折り曲げてました。着方を説明する時に彼が中国からの留学生であることがわかりました。まだまだたどたどしい日本語で半分くらいしかこちらの話してることがわからないみたいです。Rさんには日本にいる間になんとか黒帯になっていただきたいと思います。我が道場の海外進出の鍵を握る男かもしれません。
2005/10/13
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ただいま、ある会合へ勝手に参加しております。日増しに暇になる私の身辺ですが、逆に新しいことへの発見などもあり忙しくもあります。(どっちやねん、と大阪の突っ込みは置いといて)目の前には、私が頭の上がらない偉い方々がいます。竜武館館長の事務所に訪問したところ、主席師範、師範と顧問が集まっておりました。そんなところにのこのこ訪問してしまった館長付師範代の私は、なんか難しそうな話に入っていけず、ただただ早く終わらないかとそれだけを待っています。早く終わっても、館長と喫茶店行くだけなんですが、手持ちぶたさで、事務所のパソコンで遊んでいます。あと、1時間ほどで終わるらしいです。実況生放送でした。
2005/10/12
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なんとか午前中に健康診断が終わりました。 検査の結果は約1ヶ月後になる見込みですが、やはりと言うか、視力です。 昨年の検査より下がっていました。 左右とも0,4でした、いよいよ眼鏡のお世話になるときが来そうです。 検査結果非常に気になります。 昼からは普通に仕事で簡易裁判所で訴訟の申立に行き、あとは終業を待つばかりです。
2005/10/12
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明日は年1回の健康診断へ行きます。前回の結果は、概ね健康ということですが、高コレステロール血症高脂血症、が要観察という結果でした。いわゆる、少し太ってるということで、食事療法や運動などが必要ということでした。そして視力が左右0.6でした。これは数年前まで左右2.0だったのでかなり視力が低下しているということです。視力がいいのが自慢だったのに。健康診断も年々結果が怖くなってきていますがどんな診断結果になるか少し心配です。
2005/10/11
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「道場開き」ついにこの日がやって来たのでした。道場開きの日が、若干19歳の支部長にどれだけできるか自分自身も不安と迷いがいっぱいですが、「選ばれし者の恍惚と不安、両方我に有り」の心境でした。開設の1ヶ月前に、スポンサーである着物学校のオーナーである校長に挨拶に行きました。いわゆる面接ですが、校長はわりと私を気にいった様子でこの日の道場開きまでの準備はトントン拍子で進み、事前にこの地区に配達される新聞の折込広告に道場の案内チラシを費用がかかりましたが、撒いたおかげで道場初日には4人の入門者がいました。当日はE先生と以前少林寺系団体の大会に組演武の相方で出場し私と同じように新拳法団体へ移った、沖本さん(以前はOさんと言ってた)も手伝いに来ていただき我が道場の前途を祝っていただきました。中学生が2人、大学生が1人、大人が1人でしたが、入門願書を書く大学生の国籍が日本ではありませんでしたが私は気になりませんでしたが、E先生がその大学生に人種差別とも取れる言葉を発した時には、周りの沖本さんも私もなんと言えばよいかわからず、ただ黙るより仕方がありませんでした。そして、私と4人の門下生と沖本さんとの稽古が始まり私達の門下生が上達していくのを日増しに感じながら第2回の自派の大会を間近に控え、有段者の部で私が新設の級の部で大学生のK君が出場することになり道場の稽古にも一層の熱を帯びてきました。そんな時総本部から大会開催の寄付を全門下生より集めるよう指示があり、その金額を門下生に負担させず私と沖本さんとで総本部に納金したことがE先生の怒りをかうことになり、またもゴタゴタの予感を感じるには充分すぎるくらいの険悪な雰囲気になりました。そんな険悪な雰囲気のまま、第2回選手権大会は大荒れの嵐のような大会になったのでした。
2005/10/11
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なんとか午前中に健康診断が終わりました。 検査の結果は約1ヶ月後になる見込みですが、やはりと言うか、視力です。 昨年の検査より下がっていました。 左右とも0,4でした、いよいよ眼鏡のお世話になるときが来そうです。 検査結果非常に気になります。 昼からは普通に仕事で簡易裁判所で訴訟の申立に行き、あとは終業を待つばかりです。 初めてのメール更新うまくいったかな。うまくいってませんやん、なんででしょうかこれは10月12日の日記です。どうも不慣れですいません。
2005/10/10
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久しぶりに竜武館館長より電話がかかってきて、「今度の土曜日にゴルフ行かないか」という誘いでした。(いつも急なんですから)今度の土曜日は息子の運動会なので今回は辞退しましたが、内心は練習不足なので、ホッとした部分もありました。前回は、昨年の12月末、3年ぶりにゴルフに行きましたがスコアは散々でした。館長、顧問の建設会社社長、そして門下生の警官と館長は月に7~10回もゴルフに行くシングルプレーヤー他の人もそれなりにいいスコアでしたが私は初めて館長と行くことの緊張感とブランクで1○0打も打ってしまい、OBも連発の有様。帰りに館長からも「もう少し練習してくるように。」とのお言葉も頂戴し意気消沈で帰路につきました。一時期、ゴルフ教室にも通い、打ちっぱなしにも週1回は行ったりし、スコア100を切りそうだったのですが、ブランクはさすがに埋めれませんでした。練習しもう少しマシになったらまた行きたいな。
2005/10/10
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消費者金融会社に入社が決まり、早速面接翌日からが初出社となりました。2週間前まで悪徳?不動産会社に勤めていて、些細なことから先輩社員の胸倉を掴んで壁に押し付けたことが原因で、限りなくクビに近い形で退職することになりました。勤めた期間は2週間、なんとも後味悪い辞め方でした。この不動産会社とは退職後も3ヶ月間闘うことになり二重で嫌な思いをしました。この闘いの模様は次週に書きたい、、、、またの機会に。話は戻り、初出社です。当日は本社に出社し、その後配属先の支店が決まります。最初は支店勤務なんですね、本社では営業部の本部長と話をしましたが、本部長は「最初は誰でも支店だから、そこで力つけて本社に帰って来てや。」なんて調子がいいこと言いましたが、支店から本社勤務になった者はいませんでした。そしてすぐに配属支店が決まり、その支店の社員が本社まで迎えに来まして、支店までの道中にいろいろな話をすることが習慣化されていました。支店は繁華街の駅前のビルの中にありましたが、まず自己紹介をしましたが、次に言われた言葉は「次行こうか」でした。上の階に階段を登ると、2件の消費者金融の会社が並んでいました。そうです、この2社ともが同じ系列の会社だったのです。同じビルに3社のグループ会社があることが、あの有名な言葉、「雪だるま式」で借金を増やしお客が借金地獄へと堕ちていく構図を作っているのでした。そして、業務の詳しい内容は後日としまして、最初の1週間は支店長より「新人は19時の営業終了時間がくれば帰っていいよ」と言われていたので迷わず帰りましたが、ふと、私が帰る時に皆さん仕事をしていますが、支店長や他の男性社員は何時に帰るのか気になりました。こっそりとタイムカードを見ると、21時より皆さん早く退社していないではないですか。そして1週間が過ぎ、私も同じように21時退社になりました。過酷な長時間労働は、まだまだ序の口で、もっときつい事は、もっと待っていました。次回業務編に続く。 かな?。
2005/10/09
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妻が仕事で私と二人の子供で過ごす1日になりそうですが、今日は一番下の弟が引越しすると言うことで、手伝いに行こうかなと思っていますが、弟が主将をする野球チームのメンバーが手伝いに来るらしいので、部屋の片づけを子供達と手伝います。築23年のマンションを35年ローンを組んで購入した弟夫婦は、家賃を払うよりローンの返済額が安いということで購入に踏み切ったみたいです。そのマンションには私の実家もあり、全500戸のマンモスマンションです。結婚後も浪費を重ねてきた弟夫婦ですが、ローンを背負い、子供も二人いて、これからの生活基盤を作り生活を立て直して欲しいと思います。家が近所になった私の両親は、毎日弟の息子である悪ガキに家に来られないか心配しています。年寄りが世話をするには厳しいくらいの悪ガキなのです。私も少し両親が心配になってきました。
2005/10/09
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週末の今日は、先週から行ってます、新大阪のマンションの工事に行きました。本来9月末から工事を着工するはずだった現場が工事の遅れのため、臨時でこの現場で仕事をしていました。工事の流れとしては、基礎→躯体→造作→仕上げ(大きく分けて)という工程で建物は立ち上がります。私の本職である壁紙職人は仕上げの部分に属します。そうです、造作が完成しないと壁紙の工事はできません。(空中に壁紙は貼れないのです)本来の現場、○○市にある200戸のマンションなんですが、まだ造作完了が10件ですが、来週からこの現場に乗り込んで本格的な工事が始まります。話は戻りまして、新大阪の話ですが、今日はかなりの雨が降りましたが、雨の中資材の搬入は強行されました。建物内部で大工が使用する石膏ボードをクレーンで吊るして上階へ搬入していましたが、石膏ボードが雨の中シートなど被せておらず、ずぶ濡れでした。石膏ボードは水分に弱いのです。濡れた石膏ボードを新築現場で使う、建設業界のずさんな体質を見た瞬間でした。
2005/10/08
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空手の稽古に行って、空手仲間と飲みに行きました。空手談義に花が咲き楽しいお酒が飲めました。今日は良い稽古ができました。気分が良いので飲みすぎました、少し酔っています。空手仲間と切磋琢磨し自分を磨きたいと思います。押忍!。
2005/10/08
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以前日記にも書きました、住宅ローンの借り換えの契約のため本日は会社を休み、まず、住宅金融公庫の窓口銀行であるM銀行へ行き、一括返済の手続きへ行き、そして借り換え先の、義弟が勤めるK銀行へ融資の契約書を書きに行きました。今月末には融資が実行され、来月からK銀行へローンの支払いをすることになります。利率が現状より3年間は1.7%下がります。返済期間も試算では30年から20年へと10年も短縮されることになり、毎月の返済額も1万円だけ下がり、少し楽になるかもしれません。変動金利なので3年後の変動時期には金利どうなっているのかは気になるところですが、先のことより今が大事、ひとつの賭けかもしれません。
2005/10/07
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「支部長」因縁の対決、準決勝が始まり、以前とは違うことをTさんに見せつけるため、攻め続けた。上中下へ攻撃を分散していったが、ハイキックを蹴った時にバランスを崩し、しかも相手の攻撃を受け倒れてしまった、しかしこれが勝負の世界、倒れた私にTさんは上から決めの下段突きを落としてきた。それが私のスーパーセーフの上から叩き落され1本を先取されてしまった。ダメージは有ったが立つことはできた、まだできるそんな気持ちもスーパーセーフの隙間からの大量の出血に、主審は慌てて試合を止めた。決めの突きで、奥歯が折れてしまったための出血。準決勝で敗退。そして決勝はTさんとクセ者Iさんの戦いも激闘の末Tさんが勝利し第1回大会の覇者となった。3位決定戦は無かったので私は二人いるうちの3位になれた。そして翌年の大会は他流派解禁になり某有名空手団体より大物が参戦し大暴れをするのであった。大会も終わり、私に支部長昇格の話が来て、あるスポンサーを紹介していただいた。着物着付けの学校がスポンサーになり南大阪の一等地で支部を開設することができた。後にこの支部と着物学校と確執が生まれ、私は支部を追われ支部は閉鎖になることになるのであった。私の前途多難な支部活動が始まろうとしていた。
2005/10/07
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仕事が終わり、急いで自宅へ帰った。今日は空手の稽古に行く事になっているからだ。先週は私の誕生日を家族に祝ってもらい、その結果、空手の稽古には行けなかった。子供の指導なんかをしているので、あまり休んではいけない。しかも、指導を手伝う代わりに月謝免除の恩恵まで受けているのだ。しかし、妻の残業で遅くなるの電話1本で今日の稽古は行けなかった。仕方がないので明日は、他の支部に出稽古に行こうと思っている。明日は会社を休んで、住宅ローンの借り換えの手続きで朝から銀行へ行きます。ローンの審査も通過し、これから大金持ちへの1歩を踏み出そうとして。。。。。そんな、大袈裟なことは無いのですが、少しでも財政が良くなればいいかなと思っている。
2005/10/06
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今から9年前の今頃、私は現在の業界である消費者金融の会社に入社することになりましたが、私の漫画好きがこの世界に入るきっかけでした。その漫画とは、故青木雄二先生の「ナニワ金融道」でした。実写版でスマップの中居君が演じていますがやはり漫画の方がはるかにおもしろいです。そして求人雑誌でこの金融会社K社へ面接へ行くことになりました。市内に本社ビルを構えるこの会社は、お決まりの金融、不動産、パチンコなどを展開する会社でした。立派なビルと従業員400名に圧倒され、私みたいな者が採用はされないやろなと、半分諦め。面接が始まり、面接の人事の課長さんが、「金融ほど楽な仕事は無い、寝てても金利が入るから」この言葉を聞き、今まで職人一筋でがむしゃらに体を動かしてきましたが、世の中にはこんな楽なことがあるところにはあるのやと感心しました。面接はすぐに終わり、結果は3日後くらいに連絡するとのこと、帰りにミナミでお好み焼きを食べて家に帰るとK社から電話が「いつから来れますか?」私「採用されたんですか?」「明日から行きます」こんなやりとりで、電話をきりました。明日から第一歩で気合が入ったことを思い出します。入社しこの会社の恐ろしい事実がわかり、楽してなんて甘い考えは吹き飛んでしまいました。ここは採用率が100%の会社だったのです。年間100人採用し、社員が100人辞める過酷な労働の中で常に人員の補充を余儀なくされていて消費者金融業界、残酷物語が始まるのでした。次回続く。
2005/10/06
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「再戦」季節も秋にさしかかり、私も19歳になったばかりでした。そして、新拳法団体念願の第1回選手権大会が開催されることになり、新しい団体の方向として、初めての大会はスーパーセーフ着用の硬式空手ルールでの大会になり、自流派のみの参加で、約20人ほどの有段者が出場しました。ポイント制の3本勝負で体重は無差別で争われ、先の昇段審査のTさん、関西日本拳法界で全日本の常連Iさん、総本部指導員の90キロの巨漢が優勝候補でした。記念すべき大会に私の天敵の池本さんは出場できず、病気のため実質退会状態でした。まだまだ発展途上の選手が多い中、激戦は続き、ベスト4を目指し私の試合となりました。総本部指導員山岡(2段)VS私(3段)試合開始とともに90キロの巨体が突っ込んでくる、押さえきれず当時63キロの私は場外に押し出されるまた相手は押してくるが相手の甘いガードにカウンターで上段突きが決まる、2本目もまた巨体で前進してくるが場外間際でまたも上段突きが決まり、難敵にストレートで勝ち、準決勝へ進出。もう一方のブロックはI選手の決勝進出が決まった。このI選手、この大会から約10年常に上位に登り優勝もその間3回し、私も1度も勝てなかった相手でこれから話が進むなか、数回登場することになる。そしてもうひとつの準決勝、宿敵の相手、T選手 VS 私の対戦です。そしてこの試合は不完全燃焼で終わる、アクシデントが起こってしまうのです。
2005/10/06
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今日仕事中に高校時代の友人の北本君から電話があり、「今度の金曜日飲みに行こうや、小林も来るし。」というお誘いを受けましたが、金曜日は私に用事があるのでまた今度と断りました。北本君はなごり惜しそうにしていたので、来月予定が合えば行こうと、その場限りの約束をしました。これで今日は終わりです。と言いたい所ですが、過去に書いた日記を引用し親友の北本君の人物像を少しだけ紹介します。以下過去の日記を少し編集してます。北本はお見合いパーティで知り合った奥さんとの間に双子の男の子がいます。思い出すのは、高校時代北本が交通事故にあったことがありまして、1ヶ月ほど入院しておりました。たいした怪我では、いやそんなことはなく、下半身の一部分に大きな怪我をしました。クラスのみんなでお見舞いに行きましたが、大量のエロ本をみんなで買い込んでそれを段ボールの箱に入れて病院へ行ったときには本気で怒られましたが、後年、あの時は楽しかったし本当は怒ってなかったと聞かされた時は、もっときつい、いたずらしてたら良かったなんて思いました。「キンイチ」なんてありがたくないあだ名を付けられた北本は、そのあだ名ゆえ不遇の人生を歩むことになる。高校を卒業した北本は某大手軽自動車会社に整備士として就職したのだが、異常なまでの女性への執着心を見せる。毎週土曜の夜には当時のディスコなんかに通いつめナンパに精を出すが、ついにやってしまった。些細なことで店の黒服(当時のまま)とトラブルを起こし警察の世話になってしまうが当時はまだ未成年であったためさして問題にはならなかった。その後もある短大の門の前でナンパを繰り返すがことごとく失敗を繰り返すが、次に目をつけたのはお見合いパーティであった。大体1回の参加費が6000円~8000円でけっして安くはなかったが彼は毎週のように参加していた。2回に1回は私達友人達も付き合わされたが、当時みんな彼女もいないのでそれなりには楽しんでいた。女性はタイプがいろいろいて普通っぽい人が多かったが、男性はというと暗そうでブサイクでリクルートスーツなんか着てくるなんともいけてない男達が全体の90%以上は占めていた。当然、上記条件に当て嵌まってしまう北本は多額のお金を、ドブに捨ててしまうことになる。途中からは友達が誰もついて行かなくなり一人で行くことになったが、約30回目の参加で奇跡が起こった。そこに参加していた保母さんとお付き合いしゴールインすることができた、結婚式には私も友人代表で挨拶をさせていただいた。北本からは固く二人の出会いはお見合いパーティだったとは言わないで欲しいとひつこいぐらいに言われていたが、ついスピーチで口が滑ってしまいしゃべってしまった。かなり寒い雰囲気が北本との間に流れ、新婚旅行のお土産も、私には無かった。そんなことがあっても私達の友情は堅い?と思う。このまま一生の付き合いになればいいと思う。現在の北本は双子の父親にもかかわらず、相変わらず出会い系サイトで新たなる獲物を探す日々を続けている。北本家に禍なく幸せあれ!、心のなかでそう叫ばずにはいられなかった。なんて日記を以前書いていました。今日はかなり手抜きでした。
2005/10/05
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「三段」残暑がまだまだ厳しい9月、19歳の誕生日の少し前に、新拳法団体の初めての三段の昇段試験が総本部でおこなわれE先生の従兄弟のTさんと私が受験しました。本家の日本拳法なら勝ち抜き方式の審査ですが、新拳法団体はその勝ち抜き方式に人数を科していました。初めての挑戦は、日本拳法の重い防具を付けての3分×13人組手でした。相手は、初段に二段が相手でした。打たれて蹴られても、それ以上に相手に突き蹴りで攻めていく、E先生の考えは防具を付けていても、クリーンヒットされれば効く、攻撃を軽くても受け続けたらスタミナが無くなる、13人こなせる事は防御ができなければいけない、防御だけでは相手に攻められる、したがって攻撃をしないと相手を制することはできない。13人相手できることは、この攻撃と防御の要素をある程度身に付けていないとできないという考えでした。この当時はスタミナも有り余るほどありましたから快調に人数をこなしていきました。特に相手に押されることもなく、ほぼ全ての相手に優勢勝ちか、または引き分けに近い結果のどちらかでした。その中の相手に将来独立し、プロ、アマ格闘技の世界で活躍し、プロレスのリングにも上がったほどの二段の後輩がいましたが、当時は体も細く現在とは容貌が全然違いました。そして最後の1人は受験者同士の対戦です。相手のTさんとの一騎打ちです。打ち合いの中、私の膝蹴りが相手の顔面を捉えましたがこの攻撃で逆に膝を痛めてしまい、足が使えなくなり最後はTさんに一方的に打ち込まれてしまい、終了しました。結果Tさんも私も無事三段へ昇段できましたが、この年の秋の第1回新拳法大会で再びTさんと激突するのでした。
2005/10/05
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昨日は会社を休んでいたので、今日からが実質10月の仕事のスタートです。今年もあと3ヶ月、今年はいろいろあったな、1年が過ぎるのは本当に早いものです。今年はなんと言ってもはまりまくったのはブログです。最初はMSNで空手をテーマに、ライブドアで壁紙職人のブログを同時に作りましたが、なんとなくしっくりこなくて両方とも閉鎖しました。そして2/16から楽天で始めましたが、一時閉鎖したり改名したりと波乱万丈でした。夢中になりすぎて、仕事の方も。。。。。年内残り3ヶ月ちょっと本気出して仕事しないと給料○棒なんて言われそうなので、頑張って取立てます。(なんかイメージ悪いね)
2005/10/04
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予定通り会社を休みまして、今朝は娘と病院へと行きました。徒歩5分のところに小児科の病院があるので便利です。診察の結果は、風邪ということでしたが、土曜日の昼から何も食べていないということで、点滴を2本打ちました。時間にして約50分ほどでしたか、ベッドに横になっている娘といろいろ話しながら、いつしか寝てしまってました。まだ体調が思わしくないため、明日も様子をみて学校は休むつもりです。
2005/10/03
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「別れ」少林寺系拳法の総裁死去の知らせが届いた時には私の中で複雑な思いが駆け巡りました。E先生についていき脱退したことへの迷い、E先生より「今後少林寺系拳法の関係者と交際した者は処罰する。」こんな通達も流れていましたが、武道は政治なのか、企業なのかそんなことを自問自答しつつ総裁の葬儀には出席できず、今でも私の後悔のひとつです。総裁は遠い地の弟子の私を可愛がってくれ、総本部への1週間の稽古の時には指導していただき今度は総裁の家へ泊めていただく話もありました。人間的にも優れた総裁の死去と所属支部の離脱18歳の私には何もできませんでした。総裁も本家少林寺拳法から独立したと聞きました、その独立はけっして円満ではないとも聞いたことがあります。今回のE先生の離脱はどう考えていたのか、今は知ることはできません。ぷっつりと縁が切れたこの団体と20数年の時が過ぎインターネットを通して交流することができました。昔から変わらず、常識人、人格者が多いと感じていましたがやはりその団体のカラーが変わらずに保たれていたことに安心と懐かしさを感じずにはいられませんでした。そして、新拳法団体で年少部の指導が始まりました。技術の変換もあり、少林寺系拳法のカラーは排除され完全に日本拳法へとスタイルは変わり、防具組手が稽古の中心になっていました。独立の際に、硬式空手や関東系日本拳法団体への加盟申請をしましたが加盟却下の結果に新拳法団体は独自の道を歩んでいくことになりました。その年の夏、初めての昇段審査会がおこなわれ私と、E先生の従兄弟であるT先生が受験をすることになり、独自の審査科目である日本拳法ルールによる三段の審査を受験することになりました。炎天下の中おこなわれた審査は今までの日本拳法にないフルコンタクト空手のような審査内容でした。
2005/10/03
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せっかくの休日でしたが、体調不良で、今日はどこへも行かず家でごろごろです。私ではなく、娘の体調が悪くて、昼から嘔吐を繰り返しています。明日になっても具合が悪ければ病院へ行きます。幸い、明日は先日の運動会の振り替え休日です。ガリ勉しなくていいけど、学校は休んで欲しくない、それが我が家の考えなのかもしれません。なんせ「継続こそ力なり!」ですから。そうゆうことで明日は、貯まってる有給休暇の消化で私が会社を休むことにします。幼児の頃は娘もよく熱を出していましたが、現在ではかなり体も丈夫になりました。抵抗力が付いてきたということでしょう、健康に大きくなって欲しいですね。下の息子は健康優良児、全然病気しません。私が子供の頃病弱だったので、健康は気になりますし、子供達も健康でいて欲しいのが願いです。妻は看護師で独自の健康論を持っていますが、看護師の視点も興味深いので、いつか書きたいと思います。
2005/10/02
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「離脱」私も高校3年生に進級し、今後は進路のことなど考えなければならない時期になってきましたが、少林寺系拳法大阪道場には不穏な空気が流れてきていました。それは私も高校卒業直前の正月あけの稽古初めの時に起こりました。師範、幹部、有段者全員が集合し、道場近くの神社に新年のお参りに行くのですが、帯に異変がありました。通常、帯には個人の名前、そして道場名もしくは団体名などを刺繍しているもので、少林寺系拳法も例外ではありませんでした。しかし、新年初めて集まったE先生はじめ他の師範や幹部数人の道着とその帯の団体名が変わっていました。稽古後有段者は全員集められ、E先生より少林寺系団体からの脱退を聞きました。そして、有段者はE先生以下、実弟先生や幹部達から長時間の説得を受け、そのE先生が宗家となった新拳法団体への参加を約束させられました。その日から、新拳法団体での稽古と普及活動が始まり団体内では私が高校を卒業すれば、指導員への昇格も打診があり、年齢も若いことからまずは新拳法団体の総本部の年少部の指導員を務めることになりました。私が教えた年少部に将来の格闘技界で世界を相手に戦う選手が出現しますが、この当時の私は彼の素質どころか記憶もありません。(小学生でしたし)そんな彼も当時は大勢の一人にすぎなかったのです。脱退し2ヶ月が過ぎた頃、少林寺系拳法の創始者である総裁死去の連絡が耳に飛び込んできたのでした。
2005/10/02
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目覚まし時計の音で飛び起きた、時間は5時半。運動会まではあと3時間。炊飯器のスイッチを入れて、少し時間も早いかと思い、二度寝してしいました。1時間ほど寝て、さぁ大人6人子供2人の弁当を運動会の開会式の途中までかけて作りました。私は遅刻したということです。娘の最初の種目は50メートル走です。緊張の一瞬はあっけなく終わりました。スタートのピストルの音、娘はフライングでやり直しと思ったらしいですが、他の三人は走り出していました。娘が気がついて走り出した時には、みんなは約半分近くまで走っていました。当然、最下位です。去年に続いての最下位にも、本人はケロッとしています。そして次はリレーに出たのですが、これもチームはダントツの最下位でしたが、ここでビデオ撮影の私にハプニング発生、ビデオカメラのスイッチが入ってないことに気づいてしまいました。昼ご飯食べ終わるまで、私の気分は自己嫌悪のためスッキリとしませんでした。そして気を取り直して最後の種目は2年生合同の「マジレンジャー」の音楽に合わせた踊りです。娘もこうゆのだけは得意みたいで、なんか生き生きしてるように見えました。ビデオも今度はちゃんと撮れなんとか運動会も無事終わりました。考えてみれば、息子もいますから小学校の運動会にはあと10回、10年連続で見ることができます。考えたら少し気が遠くなり、軽い立ち眩みがしました。子供が元気に運動会に10年参加してくれるのはいいんですけどね。それが親の願いなんですけど。。。
2005/10/01
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「研修」季節は秋になり、少林寺系拳法の昇段審査を迎えようとしていて、私も二段を受験することになりました。少し昇段ペースも早く感じましたが、審査と言っても乱捕は審査科目にはありませんし、型ができれば昇段できるということで、昇段審査は簡単に合格しました。このあたりは本家少林寺拳法の昇段システムと似ていると感じたのは、後に30代で本家少林寺拳法の道場に入門した時に思い出しました。それから冬が過ぎ、高校3年に進級する前の春休みにアルバイトで資金を貯めて、かねてから総本部の理事の先生より、休みを利用し総本部で稽古しないかとお誘いを受けていたのが実現することになりました。理事の先生のお宅へ1週間泊り込みで総本部と数ヶ所の支部道場で稽古をするというプランでした。E先生を通さず、理事の先生は私へ直接その総本部での稽古の話をしてきたので、後にその時のことを同じ道場の先輩より聞いたのですが、かなりE先生は気を悪くしたそうでしたが、高校生の私は、そんなE先生の気持ちなど気がつかず、総本部への稽古に行きました。総本部についた私は、総本部の事務の仕事を手伝い、いろいろな支部の先生方とお会いし話を聞きました。そして夕方から総本部及び支部の稽古に参加しました。そこのある支部で私は同級生の男性T君と意気投合しそんなことも良い思い出になりました。それから2ヵ月後何気なくテレビを見ているとなんとT君が出てるではないですか、そうです彼はタレントになったのでした。当時人気絶頂の歌手にそっくりだということが話題になりしばらくはテレビ、雑誌でよく見ましたがそのうち見なくなりましたが、数年前格闘技雑誌でT君を見つけまだ武道を続けていることに嬉しさを感じました。
2005/10/01
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