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貧しさから、心が歪むのは大人も同じであるが、
さらに子供の場合は、揺れ動きが激しいであろう。
私の子供時代は、周りも貧しいかったので
それなりに貧しさの中で、互いに助け合う姿があった。
ただ私の場合は、前にブログに書いたが、
母を小学6年の時に、亡くした事で、子供心に傷つき
父に反抗して、自ら施設を選んだのである。
それは子供として、母を思う気持ちが、父が母を殺したという
気持ちが先立っていたし、自分なりの父に対する
抵抗であったと思う。
だが、子供として生活して行くには、父の側では嫌であり
それが幾度となく家出を繰り返し、生きて食べる為に盗みもした。
厳しい父は、そんな私を死ぬ一歩手前まで殴った。
それも親としての、私に対する躾だったのであろうが
それを理解するだけの力は、子供の私には無かったのである。
その様な事で、私は生きる為に、自ら施設を選んだのであるが
そこには多くの子供たちが生活し、年齢層も幅が広い。
施設からは普通の小中学校に通うのであるが、
そこには別な部分で差別的な部分が出て来るのである。
施設の子と言うレッテルで、他の子供達は私達を見る。
相手の子供たちは、貧しくとも家庭があり親兄弟があるが
私達には、それが無い劣等感を感じていた。
その劣等感が、多くの施設の子からすれば、
力で対抗する事になって行き、それが番長グループを形成する。
同時に私達は、学校が終わっても施設の中で、規則で縛られて
自由が無い状況も重なり、その捌け口として力を行使する。
私は学校でも劣等感があったが、たま、たま成績が良かったので
周りの生徒から一目置かれる立場に成り、それが私の優越感を
芽生えさせて、学級委員を3年間行う事に成ったが
それは学校内だけであり、施設では逆転するのである。
子供とは、目立ち過ぎると別な部分で、相手を刺激する事に
なるものである。
イジメとは、私が思うには劣等感と優越感のせめぎ合いであり
それは、力でねじ伏せて優越感を得るか、対抗して相手を
諦めさせるかにあると感じる。
大人の世界も同じであり、差別を持つ事は、それは部分的に
優越感を感じているのであろう。
それ行動は、自然に子に繋がるし、子供は、そこから新たな物を
学ぶのであるが、それが極端な考えや行動を起こす親であれば
子供も、それが当たり前になる事を気が付かない親が多い様に
思える。
人は誰しもが優越感と劣等感を持っていると私は考えている。
その強弱によって、子供の心理状態も変わる部分は大きい。
こんな生意気な事を書くが、私は劣等感の固まりであり
そこから這い上がる為に自分は生きて来たと思っている。
ただ、這い上がり方が、人とは違った部分が
多かっただけかも?
子供の中で育った、私の経験を少年育成に生かせたらと
思って取り組んで行こう。