ワルディーの京都案内

ワルディーの京都案内

2015/08/02
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テーマ: 京都。(6371)
■私の解答 正解の場合は◎、不正解または部分的に正解の場合は正解を【正解】に記載

◆は関連する「お勉強」

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【問題2】( )に入れる最も適当な語句を書きなさい。
                               (10問×2点=20点)

(11)熊野神社は、弘仁2年(811)、修験道の始祖役行者の十世僧( )が紀州熊野大神を
  当地に勧請したのが始まりといわれている。


■??? 【正解】日圓

◆熊野神社
・弘仁2年(811)に修験道の始祖役行者の10世僧日圓が紀州熊野大神を勧請したのが始まり。
・寛文6年(1666)に聖護院宮道寛法親王によって再興
・本殿は下鴨神社旧本殿を移築。
・聖護院の鎮守社。天台宗本山修験道の守護神として崇敬された。




(12)牛若丸(源義経)が奥州に出発する時に道中の安全を祈願したと伝わることから、
  (  )は、旅行安全の信仰を集める。


■首途八幡宮 ◎
・内野八幡宮とも呼ばれた
・金売吉次の屋敷があった場所で、その鎮守社と伝える。
源義経
・源義朝の9男。平治の乱で捕われたが、助命され。鞍馬寺に入る。
 奥州に赴き、兄・頼朝の挙兵に馳せ参じ、木曽義仲、平氏を討つ。
 頼朝と対立、追求を受け奥州衣川で敗死。
・鞍馬山に「牛若丸背比べ石」「義経息次の水」などがある。
・北区紫竹牛若町は父・義朝別業の地で母・常盤が住したところという。
・神泉苑は義経と静御前が出会ったところともいわれる。
・五條天神社(天使の宮)も、「義経記」では義経が弁慶と出会った場所という。





(13)松尾大杜の境外摂社の月読神杜には、安産石の名で知られる(  )がある。

■月読石 【正解】月延石

◆月読神社
・疱瘡の神ともされる。
松尾大社
・賀茂の厳神、松尾の猛霊といわれる。

・秦忌寸都里(はたのいみきとり)が社殿を造営したという。




(14)親鸞聖人の教えに対し、さまざまな異説が現れたことを嘆き、弟子の唯円が師から聞いた
  教えを記したとされる書物は(  )である。


■教行信証 【正解】歎異抄

◆親鸞
・「報恩講」~親鸞を偲ぶ
・法然の流罪(承元の法難)に連座、越後の流された。越後で恵心尼と結婚。
・安楽寺~親鸞の笠と杖
・岡崎別院~庵を結んだ。「鏡池」or「姿見の池」
・本願寺北山別院~六角堂百日参籠のとき水で身を清めたという「御聖水」
・月輪寺~時雨桜は親鸞が流罪になるとくき植えた
・了徳寺~すすき塚
・光圓寺~晩年を過ごした
・興正寺~40歳の姿を刻した真影
・西本願寺~紙本墨画親鸞聖人像(国宝)
・青蓮院~17歳のときの「お得度の間」 楠は親鸞お手植え
・東本願寺~絹本著色親鸞聖人像
・常楽台~親鸞の遺骨を宝塔に納めたという江戸期の墨書が見つかる。
・大谷本廟(西大谷)、大谷粗廟(東大谷)
・日野誕生院~歌碑「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
      産湯の井戸、胞衣塚




(15)室町幕町8代将軍の足利義政が造営した東山殿(後の銀閣寺)の建物や庭園は、夢窓疎石
  が再興した臨済宗寺院の(  )をモデルとしたものである。


■西芳寺 ◎

◆西芳寺
・前身は西方寺。行基が聖武天皇の命で行基が建立した49院の一つ。
・建武の兵乱で荒廃
・藤原親秀(松尾大社宮司)が夢窓疎石を住持に迎えて再興。
・茶室湘南亭。千利休息男の少庵が構えたもの。
・庭園は向上関を境に洪隠山枯山水石垣を中心にした上段の庭園と、黄金池を中心にした下段の
 庭園とに分かれる。







(16)妙心寺塔頭の退蔵院が所蔵する「瓢鮎図」(国宝)は、わが国水墨画の創始者の一人であ
  る(  )の代表作として知られている。


■如拙 ◎

◆退蔵院
・波多野出雲守重道が千本松原に建立。
 開山は無因宗因。
・妙心寺の亀年禅愉が現在地に復興。
・狩野元信作庭の「元信の庭」
・中根金作作庭の池泉回遊式庭園「余香苑(よこうえん)」
・陰陽の庭



(17)「日野薬師・乳薬師」の通称で知られる(  )は、本尊の薬師如来に安産、授乳のご
  利益かあることから、古くから多くの女性の信仰を集めている。

■法界寺 ◎

◆法界寺
・真言宗醍醐派
・日野資業(すけなり)が日野家の山荘を寺に改めた。日野家の菩提寺。
・親鸞は資業から4代目の日野有範を父、吉光女を母に当寺で誕生
・創建時の本尊(薬師仏)は最澄作と伝える
 藤原時代のさや仏の胎内に納められていた。
・重要文化財の本堂は奈良県の伝燈寺本堂を明治期に移築。
・阿弥陀堂は、阿弥陀如来坐像とともに国宝




(18)嵯峨の本山寺院の(  )は、元治元年(1864)の「蛤御門の変」の際、長州軍か本陣
  として駐留したため、薩摩藩兵の攻撃で焼かれ、多くの堂舎を焼失する被害を受けた。


■天龍寺 ◎

◆・八月十八日の政変・七郷落ち→池田屋事件→禁門の変
 ・禁門の変での長州藩布陣
  ・益田親施、久坂玄瑞らは山崎天王山、宝山
  ・国司親相、来島又兵衛らは嵯峨天龍寺
  ・福原元たけ(人偏に間)は伏見長州屋敷
  ・石清水八幡宮で軍議




(19)梨木神社には日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹のほか、「雨月物語」の著者
  である(  )の歌碑か立っている。


■上田秋成 ◎

◆上田秋成
・60歳を過ぎて京都へ移住、知恩院門前袋町や、南禅寺山内の小庵(現在の旅館八千代)など
 に住む。
・「雨月物語」「春雨物語」「胆大小心録」など。
・岸派の画家岸駒(がんく)を「山師のような男だ」と評した。
・梨木神社に「上田秋成翁終焉地」の石標。
・上田秋成歌碑「ふみよめば絵を巻きみればかにかくに 昔の人のしのばるるかな」
その他梨木神社
・湯川秀樹歌碑「千年の昔の園もかくやありし木の下かげに乱れさく萩」
・染井




(20)大文字山を借景とした池泉回遊式庭園が広がる(  )は、日本画家の橋本関雪が造営
  したものであり、庭園や茶室、同画伯の作品などを公開している。


■白沙村荘 ◎

◆白沙村荘
・存古楼(ぞんころう)~屏風の制作を行っていたと画室
・茶室~憩寂庵(けいじゃくあん)、倚翠亭(いすいてい)、
    如舫亭(にょほうてい)<誤って問魚亭(もんぎょてい)と呼称されている>
    憩寂庵は高台寺圓徳院写しの茶室となって


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推定得点 20点中 14点

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最終更新日  2018/05/09 05:42:17 AM
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