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今回の第5クール後の入院は、左手薬指の傷の治療も兼ねている。原因は、4月26日(日)に、庭いじりをしたことにある。昨年の暑さで枯れてしまった低木を花壇から取り去る作業をした。その作業中は、ゴム手袋をしていたので、そのときは大丈夫だったと思うが、取り去った後、ゴミ袋に入れるとき、手袋を外した状態でやってしまったのだろう。そのとき、小さな枝が指に刺さったのだと思う。それが、翌々日には大きく腫れ上がり、39度を超える熱まで出てしまった。普通なら、こんなにはならないのだろうけれど、白血球、血小板が、第5クール治療で大幅に下がったので、こうなってしまったのだろう。4月28日から、形成外科の先生に来てもらって治療してもらうと同時に、毎日、看護師さんに消毒剤を交換してもらっている。下記、写真は今日(5月1日)、治療開始4日目の消毒剤交換時の写真である。こんな、ひどい手足の傷は私も初めてである。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/05/01
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第5クール退院後1週間経過しても、食欲不振・味覚異常が戻らない。散歩もちょっとした坂道がしんどい。過去自宅療養中は旧東海道歩きもしていたし、美食を求めて有馬温泉旅行をしたり、娘家族たちとも会食したりしていたのに、雲泥の差である。このままでは快復しないと思ったので、K病院に電話して4月27日(月)急遽診察してもらった。血液検査でとんでもない異常が出た。白血球数は3300/μℓ下限に対して210、ヘモグロビンは下限13.7g/dℓに対して6.6、血小板数が下限15.8x10^4/μℓに対して4.1とズタズタの状態だった。急遽、白血球を増やすための注射と、赤血球(ヘモグロビン)を増やすための輸血をしてもらった。輸血を受けるのは人生初めての経験。その後、CT(造影剤なしの単純CT)撮影。もともとCT撮影は次の第6クール直後に行う予定だったが、第6クールを実施しても同じように血液が危険状態になる可能性も高く、腫瘍を小さくする効果も限られているであろうから、現時点で見極めておこうとのY先生の判断。これには私も賛同。翌日4月28日(火)もK病院に出頭、再度血液検査。ヘモグロビンは若干増えたものの、血小板はさらに減少し、そのうえ、この血小板減少が災いしてか、4月26日(日)の庭いじりで左手薬指にできた傷がひどい状態になっており、形成外科による治療も必要とのことで急遽入院となった。この傷のためであろう、39度を超える体温となっていた。自分では感じてなかったけど。昨晩それほど寒くもないのに、ガタガタ震えたり、ファンヒーターを点けてみたりしたのはそのためだったのだ。前日に撮ったCTの結果だが、「気持ち小さくなっているかな」という程度とのことだった。ショックだが、そんなものかもと思っていたので、あまり気持ちにダメージはなかった。白血球増量の注射を1回、赤血球輸血を1回、血小板輸血を2回してもらった。また形成外科の先生に左手薬指の治療をしてもらった。4月29日(祝)になって、今の血液状態では免疫力が極端に低く、4人部屋では色んな感染リスクが高いので、1人部屋に移りなさいとの指示があり、1人部屋に移った。好中球(白血球の大部分)増量注射、抗生剤の点滴1h×2。左手指の消毒治療があった。4月30日(水)朝採血。その結果を見て、Y先生が来てくださり、血液検査では危険水域は脱したとのこと(下記グラフ参照。でもまだ低い)。で、再び4人部屋に戻った。形成外科の先生による、左手薬指の治療があった。抗生剤の点滴1h×2。夕刻にようやく平熱に戻った。2週間の抗生剤点滴が必要とのことで、5月12日退院の予定。それまで、毎日抗生剤点滴午前中1回、夜1回、左手薬指の消毒剤交換が続く。退院直前に造影CTを撮影し、外科の先生と手術での摘出の可能性も含めて検討するとY先生。でも、手術での摘出は多層腫瘍が小さくなっても臓器に近接していてむつかしいと思う。粒子線治療も消化器に近接していてむつかしい。果たして、どんな解があるのだろうか。食欲や味覚異常は、少しずつ改善している気がするが、まだ、しんどい。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/04/30
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抗がん剤治療の自宅療養期間を利用して、映画を観に行ってきました。自宅療養中の劇場での映画鑑賞は2回めです。1回目の「国宝」は、私一人での鑑賞でしたが、今回の「ソング・サング・ブルー」は2人での鑑賞でした。監督·脚本:クレイグ・ブリュワー主演:ヒュー・ジャックマン ケイト・ハドソンアメリカの国民的歌手ニール・ダイアモンドのトリビュートバンドとして活動し、互いを信じ続けたあるミュージシャン夫婦の愛と再生の実話を描いた音楽ドラマ。展開もテンポよく、随所に散りばめられたニール・ダイヤモンドの楽曲も楽しめて、私には花マルの映画でした。
2026/04/26
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左目手術後、3回目のA眼科診察でした。手術後の経過は特に問題なし。4月末に止める目薬と続ける目薬の指示がありました。左目術後の3種の目薬。1,2は4月末で終了、3のみ合計3ヵ月継続とのことで、3を2ケ処方してもらいました。右目は、緑内障対応ブリモ二ジン2回/日継続、エイベリスは中止継続です。次回診察は、6月4日の右目手術の後でOKとのこと←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/04/23
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抗がん剤治療第5クールを退院して、まだ2日目でしんどかったですが、近くのシネコンが映画「国宝」を、4月23日まで1上映/日やっているというので、観に行ってきました。家内はすでに観ているので、1人ぼっちでの鑑賞となりました。久しぶりの映画館での映画鑑賞です。国宝監督 李相日脚本 奥寺佐渡子原作 吉田修一製作 村田千恵子・松橋真三音楽 原摩利彦主題歌 原摩利彦 feat. 井口理「Luminance」撮影 ソフィアン・エル・ファニ編集 今井剛制作会社 CREDEUS製作会社 映画「国宝」製作委員会配給 東宝公開 日本の旗 2025年6月6日上映時間 174分製作国 日本言語 日本語製作費 12億円興行収入 日本207.2億円(2026年4月時点)世界 $134,421,151【出演者】立花喜久雄(花井東一郎→三代目 花井半二郎):吉沢亮大垣俊介(花井半弥):横浜流星[60]福田春江:高畑充希大垣幸子:寺島しのぶ彰子:森七菜竹野:三浦貴大藤駒:見上愛少年・喜久雄:黒川想矢少年・俊介:越山敬達少女・春江:根本真陽徳次:下川恭平立花権五郎:永瀬正敏梅木:嶋田久作多野源吉:芹澤興人生田庄左衛門:大沢健立花マツ:宮澤エマ吾妻千五郎:中村鴈治郎小野川万菊:田中泯二代目 花井半二郎→四代目 花井白虎:渡辺謙[綾乃:瀧内公美京都での主要撮影ロケ地先斗町歌舞練場、南座、上七軒歌舞練場、光盛大明神、今宮神社、ウェスティン都ホテル京都11月24日までの公開172日間で173億7739万4500円となり、『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』が『南極物語』を抜いた2003年8月20日以来、22年と97日(8133日)ぶりに実写日本映画興収1位を更新しました。その実績が示すように、本当に見ごたえのある映画でした。
2026/04/22
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昨日4月20日朝の血液検査で白血球、血小板の量は、退院に問題ない量とのことで、予定通り4月20日に退院。体重変化は、利尿剤フロセミド注射なしでスタートしたところ、第4クールより、第1・第2クールに近い状態で「むくみ」も相当だったので、既報のように抗がん剤3日目から、フロセミド注射をしてもらった。ただ、今までは自宅療養中も、錠剤フロセミドをしばらく服用したが、今回はなしでやってみる予定だ。一番つらいのが、味覚障害、食欲不振である。コンビニで買っての「持ち込み食」にしてもらったが、みそ汁など濃い味しか味を感じず、食欲も出ないし、吐き気も催す。クールを重ねるごとに酷くなっている。ドキソルビシンもイホマイドも今回増量してもらったので、その影響もあろう。この状態がいつまで続くかが心配である。食事が美味しく食べられるかどうかというのは大きい。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/04/21
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第5クール途中経過。ドキソルビシン+イホマイド2日、イホマイド2日の4日が終わりました。あと、明日、日曜日にイホマイドを残すのみ。手術用着圧ソックスの「むくみ」への効果が大きいと思い、今回から利尿剤のフロセミド注射を止めてもらったのだが、第1クールほどではないが、「むくみ」が大きくなった。l抗がん剤開始後3日目の今日、朝から利尿剤フロセミド注射を打ってもらうことにした。トイレに頻繁に行く。よく効いている。治療中の工夫3つを紹介。1つは行き先表示を置いたこと。第2クールからやっている、M病院のときもいやっていた。看護師さんや主治医が来た時、どこにいるか分かれば、携帯で呼んでもらうか、その場所に来ていただいて話ができる。何人かの看護師さんが「これ、ええわ」と言ってくれた。白のマグネットの下に名前、携帯番号を書いてある。2つ目は、「背中こすり紙タオル」。K病院点滴プログラムは、朝の早い時間に点滴が繋がらない時間帯があるので、その時間を使ってウォーキング(8000歩)と着替えをしている。この時間帯にシャワーができればいいが、この時間帯はシャワーは使えない。シャワー可能な時間に、点滴を一時中断して、シャワーをする手はある。でも看護師さんに、付け外しをお願いしなければならない。看護師さんも人手不足だ。ある看護師さんは、昔の3倍くらい忙しくなったと言っていた。シャワーはお願いしにくい。そこで、この朝の時間帯に、ホット濡れタオルを数本ナースステーションでもらって体を拭いている。通常は背中は自分では葺けないので、看護師さんにお願いして拭いていただくのだが、やはり看護師さんの負担を考えるとお願いしずらい。そこで、体を拭く虹かなホット濡れタオルを4本繋いで、それを使って自分で背中を拭いている。下は、それを点滴機にぶら下げた写真。3つ目は、小型の「ろうと」。何のためか。考えてみてください。体験者でしかも男性でないと分からないであろう。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/04/18
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昨日4月13日にK病院に入院し、第5クールの抗がん剤治療に入った。第4クールからの変化点は、Y先生とも相談し、次のようにした。① イホマイドもドキソルビシンも増量する。ドキソルビシンは生涯で使える量が決まっており、過去のM病院でも使っていたので、第5クール、第6クールで使い切る量まで上げる。もちろん1回の量は基準量以内で。イホマイドは通常治療の100%の量になってくると思われる。② 利尿剤を最初から注射するのを止めること。クールが進むにつれて、普段の状態では、ふくらはぎの「むくみ」はほとんどなくなってきたし、抗がん剤治療中の「むくみ」改善は手術用圧着ソックスの効果が大きいと思われるし、利尿剤注射は頻繁にトイレに行くことになり、それも嫌だから。③ 抗がん剤治療中は、クールが進むに連れて、徐々に食欲が落ちてきた。病院食は常に完食してきたが、第4クールになると無理やり食べている感じであった。苦しみは少しでも減らしたいので、病院食を止め、院内のコンビニ食で食事を採ることにしたい(病院では「持ち込み食」と呼んでいる)とY先生に申し出たところ、OKがいただけた。何を食べたかは記録に残すに必要があるとのことで、記録用シートに記入している。病院食代は請求されない。コンビニの方が高価になますが、止むを得ない。気持ち的に相当楽になった。今日は次のような食事になった。今日の朝食今日の昼食今日の夕食野菜はできるだけとるようにしています。それから腫瘍の関係ないですが、困ったことが起こりました。入院中のやるための必要なデータをUSBメモリーに入れているのですが、アクセスできなくなってしまいました。ここにしかないデータもあるので、退院したらまたデータ修復サービスに修復する必要があります。一部データは、もう1つのPCにつけあるハードディスクにある可能性があり、家内に持ってきてもらえないか検討中です。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/04/15
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K病院での抗がん剤治療が第4クールまで終了した。明日から第5クールだ。第6クールで一旦終了予定。果たして、腫瘍の大きさは小さくなっているのだろうか。M病院の治療のときには、2クール終わるごとにCTをとってくれたので、だんだんと小さくなっているのが、データとして分かった。しかし、K病院では4クール終わっているがまだCTを撮ったことがない。第4クールのとき、主治医のY先生に伺ったら、第6クールまで終わってから、CTを撮るとのこと。データとして把握できるのは、5月中旬以降になりそうだ。M病院のときは、腫瘍の場所は残存腎臓の後ろの背中部だったし、体の中に向かって成長するかっこうだったので、腫瘍が大きくなっているか、小さくなっているかは、自分で触って確かめることができなかった。しかし、今回は前腹部で外、内両方に向かって成長するかっこうなので触って感触を確かめることができる。触った感じでは、ピーク時より小さくなっていそうな気がするし、ズボンのベルト部とお腹の間隔が広くなったような気もする。下記に腫瘍発覚時と各クール治療開始時の体重を示す。腫瘍発覚時から第1クール開始時に向け、体重が約5kgも増えている。前にも書いたが、この増加は、急に運動不足になって太ったこと、腫瘍で血流が悪くなっていたところに運動不足で「むくみ」が発生したことが大きな要因として考えられるが、腫瘍が大きくなった分も幾分か含まれるかもしれない。その後、体重が漸減し、腫瘍発覚時レベルに戻っている。これは、第1クール前からウォーキングを開始して運動不足を解消したこと、それにより「むくみ」が解消したことが大きいと思うが、「むくみ」が解消した要素として、腫瘍が小さくなって血流がよくなったこともる理由として考えられないことはない。また、腫瘍自体が小さくなって、体重が減った分もあるかもしれない。希望的観測かもしれないが。いずれにしても明日から第5クール、終盤にかかる。もうひと頑張り。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/04/13
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今日は、長女家族、次女家族を招いての「すき焼きパーティー」でした。なかなか皆の都合が合わず、延び延びになって今日になってしまいした。久しぶりに孫たちと近くの公園で遊ぶこともできました。楽しい一日でした。私の癌のことがあるので、こうやって楽しく、3家族が集まれるのはこれが最後かもしれません。色々準備してくれた家内に感謝。
2026/04/12
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K病院での抗がん剤治療の第3クールと第4クールの間にインフルに罹ってしまったことは別の記事に書いた。第4クールの後、今度はお腹の不調。4月5日に、お腹に違和感を感じ、食欲不振。6日に下痢でやはり食欲なし。うどんを食べたり、家内に「おかゆ」を作ってもらったり(感謝)してしのぎ、8日ごろにだいぶ快復。でも、味覚異常は続き、完全に快復となったのは、翌日に娘家族を呼んでの「すき焼きパーティ」を控えた、今日11日になってしまった。10年ほどの前のM病院での6クールにわたる抗がん剤治療のときには、途中で体調不良になることはなかったと記憶しているが、今回はすでに2回も体調不良を経験。やはり年をとって、病気にかかりやすくなっているのだろうか。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/04/11
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以前の記事にも書きましたが、首から下のシャワーは可、白内障手術翌日(4月3日)から可能、入浴(首から下)と上を向いての洗髪は、4月5日から可能洗面・下を向いての洗髪は、4月9日から可能との医者からの指導です。上を向いての洗髪はなかなか難しいし、どうせ抗がん剤治療の副作用で、頭髪がほんどないのでスルーしました。そして今日は4月11日、シャワーを浴びるときに、洗面・下を向いての洗髪をしました。ただ、手術をした左目の上瞼は、優しくさわるよう気をつけました。9日ぶりの洗髪・洗顔となりました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/04/11
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今朝の読売新聞にショッキングなニュースが掲載されていました。粒子線医療の「先駆者」兵庫県立粒子線医療センターが来年度末で廃止されるとのこと。私は前の脂肪肉腫のとき、セカンドオピニオンで粒子線治療のことを知り、ここで治療をしてもらい、片方しか残っていない腎臓を温存したまま完治させることができました。この記事にコメントを寄せている沖本院長は、2015年に私がここで治療を受けたとき院長になられ、大変お世話になりました。退院してからも10年間にわたり経過観察を送り続け、いつも的確なフィードバックをいただきました。今回の脂肪肉腫の抗がん剤治療6クールが、5月中旬に終わり、K病院の主治医から次の治療方針が出たら、2箇所セカンドオピニオンを聞きに行こうと思っていたうちの一つがここです。今は、大阪などでも治療ができるようになりましたが、兵庫県立粒子線医療センターは歴史が長く知見が豊富だと思うからです。沖本院長に前もって手紙を出して事前にセカンドオピニオンを聞きに行く旨、伝えておきたいなぁと思っています。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/04/10
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左目、白内障手術後、2回目のA眼科診察でした。左目の白内障手術後の経過は特に異常なしとのこと。緑内障の方も、眼圧は特に問題ないとのこと。白内障の3種の目薬のうち、2つは今月いっぱいまでだが、1つはその後も続けるとのこと。次回診察は、抗がん剤治療5クール目後の、4月23日となりました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/04/07
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4月2日の左目白内障手術から2日経過。白内障手術からしばらくやらなければならないことは、昨日も書いた、3種の目薬を、上瞼をさわらないようにして、5分間以上を間をかけて、点眼すること。あと注意しなければならないのは、首から下のシャワーは、手術翌日から可能ですが、首から下の入浴や、上を向いての洗髪(すなわち、シャンプーや湯水が手術した目に入らない洗髪)は、手術の3日後(4月5日)からしかダメなこと。また、洗面や、下を向いての洗髪(シャンプーや湯水が手術した瞼を濡らす)は手術から1週間後(4月9日)からでないとダメ。もう1つ、寝ている間、どうしても上瞼を無意識にこすってしまう可能性があるので、寝るときは写真のような透明眼帯を着けて寝ること(手術翌日の診察まではガーゼがしてありましたが、それを取り去ってっ透明にはなっています。)5月3日までですので、約1ヵ月続けなければなりません。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/04/04
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別の記事に書いたように、今日は左目白内障手術の翌日で、K病院で眼帯を外してもらった。まだメガネは合わしてないけど前よりよく見えるようになった。天気もいいし、桜も満開に近いだろうということで、午後、二人でお花見を兼ねてご近所散歩。二人でご近所を散歩するのは、本当に久しぶりだ。がん治療の合間の楽しいひとときだった。感謝。ジューン・ベリー
2026/04/03
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昨日(4月2日)、K病院眼科で左目の白内障手術を行ったが、その日は左目は眼帯をしているので、どれくいらい見えやすくなっているかは分からなかった。翌日、9時半から術後の経過をみるとのことで、家内に車で付き添ってもらってK病院眼科へ。 すぐに看護師さんに呼ばれ、眼帯を外して薬を洗い流してもらって、簡単な検査を受けた。驚いた。輪郭がはっきり見えると同時にコントラストも格段にいい。ただ、びっくり。ここまで効果があろうとは。ハッキリまだ見えると思っていた右目も、左目と比べると格段の差。当面は手術をするつもりでなかった右目もすぐ手術したいと思った。 すぐ主治医のK先生の診察があったので、検査を受けた後、「右目もできるだけ早く手術をお願いしたい。」と申し出た。「えらい早い決断ですねぇ。」と言いながらも、日程を検討いただいた。抗がん剤治療の次の第5クールと第6クールの間か、第6クール直後がベストだが、なかなか都合よく空いておらず、6月4日の手術となった。左目の手術を経験しているので、今度は事前説明はなく、次の来院は手術の日となる。 左目の術後の目薬の差し方の指導を看護師さんから受けた。上瞼を押しては駄目、爪が目にかかってもいけない、目薬の先が睫についてもいけない(雑菌があるので)ので、左手の人差し指の根元で下瞼を押し下げ、握った左手の上に右手を置いて、かなりの距離から点眼すしなければならない。だから点眼薬の先を目の真上に持ってくるのがコツ。3種の目薬は各5分間以上間を空けないといけないので、それも含めて点眼の練習をした。比較的うまくできた。問題なし。左目術後の3種の目薬。 右目の手術前の目薬の処方と、通常の主治医A眼科へのレターをいただいたうえ、目薬を薬局で手に入れ、帰宅した。A眼科に行くのは、1週間以内でいいとのことだったが、今日、行っておいた。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/04/03
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3月9日に、手術の事前説明を受け、4月2日に手術を受ける予定でした、ところが、インフルに罹ってしまい、抗がん剤治療の開始が1週間遅れてしまいました。もともとは退院後11日目に手術の予定でしたが、退院後3日という日程になってしましました。 しかし、病院側からは、遅らせましょうとかいう話もなく、私も退院後3日目であれば、問題ないと思い、予定通り、本日(4月2日)手術実施しました。 帰りが左目に眼帯を付けて片目になるので、車で往復はできません。家内に車で送ってもらって、8時半にK病院眼科へ。簡単な検査を受け、手術後の注意事項を看護師さんに聞きながら、ときどき手術前の目薬点眼を受けて待機。 手術予定は10時半でしたが、予定より早く10時に手術室に呼ばれました。手術着を羽織り、歯医者さんのような治療椅子に座って、手術開始。部分麻酔なので意識はあり、目に執刀していることは自覚できます。何をやっているかまでは分かりません、執刀医は主治医のK先生でしたが、「これから~をします。」という説明もなかったので。途中で看護師さんの「次の患者さん呼んでください。」という声が聞こえたので、手術が順調に進んでいることとと、流れ作業のように手術が行われるのだということが分かりました。 手術時間は、約30分。予定通り、無事終わりました。 診察室に戻り、手術の翌日から点眼する目薬の処方箋を作ってもらって、今日のところは終了。薬局で薬をもらって、家内に迎えに来てもらって帰宅しました。 一つ関所を通過しました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/04/02
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前回記したように「闘病記」でインフル罹患により、K病院抗がん剤治療第4クールは1週間延期し、3月23日(月)入院、3月30日(月)退院予定としてもらった。いつもより1日長いが、点滴プログラムはいつもと同じだ。3月21日には平熱に戻ったが、風邪の症状は残り、完全に治ったなぁと感じたのは、入院後の3月25日だった。発症から12日かかってしまった。第3クールでドキソルビシンは増量してにもらったが、イホマイドはどうかとY先生に尋ねたら、第3クールは第2クールと同じだったとのことだったので、イホマイドを今回増量してもらった。それ以外のプログラムは第3クールと全く同じ。ただ、ドキソルビシンもイホマイドもまだフルではない。第3クール同様、手術用圧着ソックスをはいて治療に臨んだ。体重変化は第3クールと同様で、「むくみ」の問題はなかった。3月25日に泌尿器科の診察を受けてエコーで腎臓を診てもらったが特に異常はなし。イホマイド増量のせいか、食欲があまりなかった。病院食を無理矢理食べた感じだったが、全部完食はできた。いつものように入院日と退院日に血液検査と尿検査があった。大きな問題はなし。予定通り3月30日に退院した。第5クール入院は、4月14日(火)となった。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/03/30
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2017年度から、某大学で京都の歴史・文化についての、客員研究員を務めさせていただいています。報酬が出るわけでなく、趣味の一環でやっています。1年目は指導教授がつき、年度末に研究発表会があったのですが、2年目からは指導教授もつかず、一人で研究して、年度末に研究成果報告書を提出するというかたちです。最初決めたテーマは、ずっと変えることはできません。私のテーマは「伏見稲荷大社の不思議研究」です。過去、次のような小テーマを設定して研究して、毎年2ページほどの研究成果報告書を書いて、現在に至ります。◆平成29年度(2017年度) 『お滝』の成立過程と現状◆平成30年度(2018年度) 『お滝』の成立過程と現状 その2◆令和元年度(2019年度) 「あなたの知らない伏見稲荷大社」研究とフィールドワーク設計・実施◆令和2年度(2020年度) 『伊勢國一身田』の刻字のあるお塚◆令和3年度(2021年度) 「熊鷹社」の「お塚」研究◆令和4年度(2022年度) 「清めの滝」の「お塚」研究◆令和5年度(2023年度) 「権太夫の滝」の「お塚」研究◆令和6年度(2024年度) 「八嶋の滝」の「お塚」研究ここ4年は稲荷山の麓にある、「お塚」について、お塚の数、お塚に刻まれた神名、神名に使われている漢字などについて、現地調査で確認し、各「お塚」の特徴の究明、比較をしてきました。今年度は、ちょっと横道にそれて千本鳥居について、研究成果報告書を作成しました。私は伏見稲荷大社の講員になっており、今まで講員大祭に参加したことがなかったので、昨年10月12日に講員大祭への参加を兼ねて現地調査にいきました。千本鳥居には寄進者と建立年月が鳥居背面に刻んであります。これが研究対象の重要部分なのですが、筆記で書きうつすのは大変なので、スマホで適切な本数ごとに全部写真に収めました。しかし、その後忙しく、その写真を利用して集計を開始したのは、1ヵ月以上経った11月26日からになってしまいました。11月21日の癌発覚で、入っているガイドの勤務を他の方に代わっていただいたので時間がとれるようになったという事情もあります。怪我の巧妙です。そして12月12日に写真を利用した集計は終わったのですが、写真で捉え切れてない部分が多くあったので、根拠データをできるだけ完璧にするため、12月14日と15日に、それぞれ2、回目3回目の現地調査に行きました。1回目の現地調査で、不明な部分はごくわずかだったので、12月16日から集計作業を進め、翌日には集計を完了することができました。成果報告書作成にとりかかったのは、年が明けて、1月10日からになりました。いつ完成できたのか記録が見つからないので断定できないですが、いつもは2月上旬が締切りなので、1月下旬には完成していたと思います。今年は大学での手続きに時間がかかったようで、締切り日程の連絡がきたのは、2月16日になり(いつもより半月遅れ)、締め切りは3月6日となっていました。すでに成果報告書は完成していたので、連絡がきたその日、2月16日に成果報告書を提出しました。そして、今日、3月28日に成果報告書に基づき、来年度も客員研究員の資格を継続することが可である旨の連絡がありました。下記が成果報告書です。【研究テーマ】伏見稲荷大社とその周辺の不思議研究【研究報告】 小テーマ:「千本鳥居」の研究1.はじめに 私の体調面の問題もあり、「お塚」の継続研究に替え、平坦地で現地調査が取り組みやすい「千本鳥居」に小テーマを変更した。千本鳥居は伏見稲荷大社(以下、大社)で最もよく知られた景観である。それ以外に「お山巡り」の参道には、より大きな鳥居群もあるが、今回は「千本鳥居」に絞った。2.千本鳥居の歴史 大社の創建には諸説あるが、山城国風土記逸文の和銅4年(711年)の創建説がよく知られる。当然その頃から鳥居は存在したと思われるが、現在の千本鳥居のように夥しい数が連続して建つようになったのは比較的新しい。安土桃山時代の「伏見稲荷大社絵図」には表参道・裏参道に鳥居が各1基ずつしか描かれていない。一方、1780年(安永9年)の「都名所図会」、1864年(元治元年)の「花洛名勝図会」には連続する鳥居群が描かれており、江戸時代以降に鳥居の奉納が盛んになったと考えられる。大社はもともとは農耕の神であった。しかし、今や商売繁盛の神の方が一般大衆にはよく知られている。応仁の乱で社殿のほとんどが焼失し、本願所(後の愛染寺)が再建のための浄財を全国から集める一環として、稲荷社の勧請を全国に広める活動を積極的に行った。その一つが江戸の「三囲稲荷社」(みめぐりいなり)であった。江戸時代初期、名前の類似性もあり、呉服屋三井家が熱心に参拝し、その結果商売が大繁盛したことが全国に広まり、商人による大社への鳥居奉納が盛んになったという説が濃厚である。鳥居には奉納者名が字刻されるので、当時は、格好の宣伝方法という側面もあったかもしれない。3.千本鳥居のかたち 稲荷社の鳥居の形は島木と柱の接合部に「台輪」と呼ばれる輪が付いている「台輪鳥居」が特徴といわれるが、大社では、実際にはこの台輪鳥居は、ごく少数に過ぎず、千本鳥居も含め、台輪を省略した明神鳥居がほとんどを占める。また、一部石鳥居が残っているが、大部分が木製である。大社境内では、石の鳥居の建造は昭和20年以降禁止され、木製のみが認められている。理由はよく分からないが、石造は地震時に危険ということもあると思うし、石造は耐用年数が長く、耐用年数の短いものにして、より多くの人に建てていただくためということかも知れない。適切な表現ではないかも知れないが、大社側にとっては、回転が早くより多くの浄財を集めるためということがあるかも知れない。4.千本鳥居の大きさと初穂料 大社に奉納する鳥居の大きさは、柱の上端部直径を基準にして号数で表わされる。人が潜れる鳥居として最も小さいのが5号で直径は15cm。これが千本鳥居の大きさである。初穂料は大社ホームページでは、5号30万円、10号(直径30cm)189万円~となっている。2020年時点の初穂料は、5号175,000円、10号1,302,000円~だったので、それぞれ71%、45%の高騰である。世の中の物価上昇率より、大きな上昇と考えられる。特に千本鳥居の上昇率が高い。千本鳥居は立錐の余地がないほど建っており、かつ初穂料も非常に高額という訳ではないので人気が高く、建てるには長いときには、4~5年待ちともいわれるほどである。 建立申込みは、伏見稲荷大社や「お山巡り」神蹟の茶店でできる。「長谷川工務店」(ゼネコンの会社とは別)など鳥居製作会社に発注される。筆者の過去の調査では、5、6社が請け負う。鳥居に刻まれた、建立年の字形を見ると、明らかに自体や字間の異なるものがあり、複数の製作会社が製作していることを示している。5.千本鳥居の基数 千本鳥居の基数については、文献上及びネット上では色々な基数が登場する。2025年10月12日から12月14日かけて筆者が現地調査をした。結果は、南側392基、北側391基、合計783基であった。経年劣化による撤去を経て抜けている部分も含め新造が行える場所は、多く見積もっても15箇所程度であり、全部そこに建造したとしても800基には届かない。現状を普遍的に表現するとすると、「800基をやや下回る基数」という表現が妥当な線かと思われる。「千本」は単に多いことを表す数字であると示す文献ももあるが、「昭30年代には本当に千本と数本しか違わなかったらしいが、現在は太さが太くなった関係で800本程度になったようである。」とする情報もある。6.千本鳥居の耐用年数 千本鳥居は木製であり、耐用年数は4~5年とも言われる。実際にどうか調べた文献、ネット記事はみかけない。鳥居には、創建年月も字刻されており、これも調査可能である。何年に何基建てられたかまでは分からないので、断定できないが、2018年に大きな落ち込みがあるのと、2014年以前の基数が年を遡るとともに漸減しているところから見て、平均的な耐用年数は、7年~11年といえよう。因みに現存する一番古い建立年は、2005年で21年経過したものであった。7.千本鳥居の奉納者全国分布 千本鳥居に字刻されるている住所を都道府県別に集計した。第1位は東京都、大阪府同数で、それぞれ130基、3位は地元京都府の108基、以下4位兵庫県48基、5位愛知県47基、神奈川県40基と続く。産業が盛んな関東、関西、東海地方が上位を占める。全く奉納がなかったのが、宮城・鹿児島・沖縄の3県であった。いずれも遠方であることが大きな理由であろうが、都道府県別の全神社数の統計では、沖縄の神社数は他の都道府県に比べて極端に低く(他都道府県最低447社に対して沖縄県15社)、琉球王国と呼ばれていたように、古くは別国で宗教文化も違うということことも沖縄県の特殊事情としてあるであろう。それ以外の都道府県は、1基から20基の間に分散している。 都道府県別の人口100万人当たりの基数でみてみると、地元京都が42.9基と群を抜いて1位であり、2位は大阪府、和歌山県それぞれ14.8基、4位は12.6基の山梨県、5位は10.8基の福井県と続く。山梨県が遠隔地であるにも拘わらす4位に位置している。理由は今のところ不明である。8.千本鳥居の建立月 千本鳥居は建立日も鳥居裏面に字刻されている。1位は2月で12.5%、2位は5月の12.1%、3位は3月の9.6%、4位は1月の8.6%であった。2月に多いのは、初午大祭があるからであろう。2月分のうち「二月吉日」とせず「二月初午」としたものが29%にものぼった。一月に多いのは暦上の年初月であるからであろう。1月分のうち、67%の鳥居で字刻が「1月吉日」ではなく、「一月元旦」となっていた。3月に多いのは。会社の新決算期に向けた奉納、8月に多いのは夏休みであることが主な理由ではないだろうか。 近年外国人観光客が多く、ご朱印の授与を受ける外国人も多くなっているが、今回の調査では、千本鳥居の外国人奉納者は見つからなかった。支払いや修繕、取り壊しなど、将来のコミュニケーションが取りにくいため奉納を認めていないのかもしれない。そのハードルがなくなって、外国人が奉納を始めると、こういった季節性の特徴はなくなっていくのだろう。9.千本鳥居奉納者の職業 千本鳥居裏面左側には、奉納者の氏名、会社名などが字刻されている。それらから職業別の統計をとった。形態が分からない場合はネット検索し、有限会社、株式会社などの表記がない場合は、「個人事業者」とした。また「個人」としたものでも「個人事業者」の場合があるなど、必ずしも正確ではない部分があることはお断りしておきたい。不明2基を除き、「株式会社」347基、「個人」231基、「有限会社」96基、「その他法人・団体」33基、「個人事業者」59基、「信者団体」15基であった。何らかの形の事業者が全体の68.3%を占め、今や商売繁盛の神としての方が有名になった大社の面目躍如というところであろうか。千本鳥居前に続く、大きな鳥居群には、花王、電通などのよく知られた会社名も多いが、千本鳥居の企業・団体名には筆者の知ったものは、ほとんどなく、有限会社の比率も多いことから、非上場の中小企業がほとんどであろう。初穂料の面からも身の丈にあった奉納ということになろう。個人による奉納分が29.5%と多く個人崇拝も活発であることが分かる。また、稲荷講など信者団体の奉納も一部ある。また中には同じ奉納者が2基以上建立しているものも10事象近く見られ、最大では、東京都港区のあるご家族が11基も奉納されていた。10.最後に 千本鳥居について、その歴史、初穂料などを文献・ネット情報から整理し、現地調査で、基数、建立年読み取りによる耐用年数の推定や建立月の特徴、奉納者の生業などを、詳らかにすることができた。 以上成果報告書には掲載していないが、分析結果をグラフにしたものがあるので添付しておきます。
2026/03/28
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K病院の第4クール入院予定は本日3月17日(火)の予定でした。ところが体調をくずしてしまいました。3月13日にちょっとしんどいなぁと思っていたら、翌朝37.0度の微熱。ちょっと早いお彼岸の三重へのお墓参りに2人で行く予定だったけど翌日に延期。でも翌日3月15日になると37.5度の熱。もう一度お墓参りは延期。その後も37.0度程度の微熱は続き、お墓参りは、3月16日に家内に一人で行ってもらった。感謝。3月17日に、Y医院に行って診てもらったが、多分インフルだろうとのこと。検査はしてもらえなかった。発症から時間が経つとインフルだとしても検査結果に出ないそうだ。今年の大人のかかるインフルは熱は上がらず、風邪の症状が長く続くそうだ。第4クール開始までに治るかもしれないが、長引くといけないので、第4クールの延期を決め、K病院に電話。約1週間遅らせて、3月23日(月)入院、泌尿器科診察は3月25日に延期してもらった。これで4月2日の白内障手術が、第4クール退院後3日目になってしまったが、過去の経験から退院後3日目であれば、体調的には問題ないと考え、白内障手術の日程はそのままとした。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/03/17
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東海道歩きの5日目です。今日も2人旅です。感謝。JR線草津線は、三雲から、旧東海道を離れ、南東の拓植(つげ)に向かいます。鉄道の乗り換えでは帰路が成り立たず、終着予定の土山からはバスで貴生川まで行き、そこでJRに乗り換える必要があります。バスの本数は多くないので、バスダイヤを調べたうえで出かけました。雨や雪は降らなかったけれど、風が強く、寒い天気でした。ルート概略 水口~土山 9:20~16:00(6時間40分)15km 26,700歩JR貴生川駅で近江鉄道に乗り換え、水口石橋駅へ近江鉄道内 内装貴生川から2駅で、水口石橋駅着 前回の帰り道はPITAPAが使えなかったのですが、使えるようになっていました・安藤広重 水口宿名物の干瓢を栽培してそれを干して食べられるように加工している様子が描きこまれています。近江鉄道駅の駅名の由来になった「石橋」石橋 駒札街道は三筋に分かれますが、真ん中の道を行きました。三筋に分かれた道は、先の方で合流します。水口の町並み曳山の模型問屋場跡水口の町並み高札場跡高札場跡 駒札旧水口宿脇本陣水口は今は甲賀市に属しますが、2004年10月1日に土山町、甲賀町、甲南町、信楽町との新設合併までは甲賀郡水口町でした。マンホールもその水口のときのデザインです。町の花「サツキ」と、水口曳山祭の「曳山の車輪」がデザインされています。水口宿 東見附(江戸)跡東見付跡冠門のモニュメントがある。天和2年(1682)、水口が水口藩の城下町になると枡形土居がめぐらされ、木戸や番所が置かれた。東海道の松並木かつては松並木があった。八幡神社 祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと) 本殿は一間社流造り。今郷の一里塚。日本橋より112里目。復元されたもの。一里塚説明板甲賀市土山に入ります、」山燈籠。東海道今宿碑石仏甲賀市土山町のマンホール旧甲賀郡土山町町時代のものです。町の木「スギ」と町の鳥「キジ」、町の花「茶」が描かれています。旅籠 東屋跡三好赤甫旧跡句碑「ほととぎす 早苗にかげを 残し行く」京に上り東福寺の虚白に俳諧を学び、幕末から明治にかけて活躍し、この地方の俳諧の基礎を築いた。旅籠 田畑屋跡明治天皇聖跡碑間の宿(あいのしゅく)大野防火水槽大野の旅籠跡など昼食は Hygee Cafe & Garden という街道沿いの小洒落たCafeでパスタをいただきました。花枝神社鳥居創祀は嘉祥3年(1699)、坂本日吉本社八王子社を分霊し、勧請したもの。東海道反畷碑従是淀領碑淀藩領界石。淀藩の飛び地があった。大野の旧東海道の松並木(一部しか残っていない)東海道反野畷碑大日川堀割跡大日川は野洲川の支流で、大雨が降ると氾濫し市場村や大野村は大きな被害を被った。そこで大野村は市場村との境に堤を築いたが、今度は市場村が被害を受けました。そこで元禄12年(1696)領主堀田筑前守に願い出て、総延長504間(約907m)掘割を築きました。市場の一里塚跡 日本橋より111里目諏訪神社天文11年(1542)甲賀三郎兼家が関東から故郷に帰る途次、信濃國諏訪大社より分霊したもの垂水頓宮御殿跡碑垂仁天皇の皇女倭姫命は天照大神の御神体を奉じて鎮座地を巡行し、その際、この地に御殿が造営された。地安禅寺 浄土宗 山門は鐘楼門。境内の御影堂には後水尾上皇の御位牌が安置されている。瀧樹(たぎ)神社 鳥居瀧樹神社由来土山は茶の産地街道沿いの家並大黒天が庇先に祀られている家が多い。京都なら鍾馗さん。本来の街道は、ここで左に折れ、北上し、松尾川の渡し(秋から冬は木橋か土橋。春から夏は徒歩か舟渡し)を渡るが、この松尾川(野洲川は当時は松尾川と称した)の渡しには、今は橋がかかっていないので、このまま真っすぐ進む。国史跡 垂水斎王頓宮跡天皇が即位すると名代として伊勢神宮に派遣される皇女を斎王といい、斎王が宿泊する仮の宮を頓宮といった。京から伊勢からまで、5迫6日の日程で、近江國では、勢多、甲賀、垂水、伊勢國では、鈴鹿、一志に宿泊した。実際の場所は、かなり北に行き、国道1号線を渡った先にある。歌声橋野洲川国道1号線に合流し、少し東に歩いたところから、土山宿に入っていく。万人常夜燈がある。土山宿の家並土山宿陣屋跡代官屋敷跡、寛政12年(1800)、土山宿の大火災で類焼し、以降、陣屋は信楽に移った。高札場跡大黒屋本陣跡土山宿の豪商、大黒屋立岡家が控本陣を務めた。明治天皇聖蹟高桑 闌更(たかくわ らんこう)歌碑前田製茶土山宿の家並土山宿絵地図土山宿本陣跡土山宿本陣は寛永11年(1634)、家光の上洛に際して建てられたもの。明治天皇はここで東行中17歳の誕生日を迎えた。住民には酒肴が振舞われた。問屋場跡、成道学校跡中町の問屋場堤家本陣跡平野屋跡森鴎外が白仙墓参の際に宿泊した旅籠井筒屋跡森鴎外の祖父、白仙は文久元年(1861)、参勤交代に随行し、ここで没した。土山宿 旅籠柏屋跡、旅籠 大工屋跡、旅籠 釣瓶屋跡白川神社本殿は文久3年(1863)の造営。本殿前には「願かけ神石」がある。この神石を撫でると、願い事が叶うと伝わっている。来見橋橋には「土山茶もみ唄」のパネルがはめ込まれている。土山宿の家並上島鬼貫(おにつら)歌碑「吹けばふけ 櫛を買いたり 秋乃風」鬼貫は伊丹生まれの俳人で、東の芭蕉、西の鬼貫ともいわれた。お六櫛お六櫛は土山の名産であった。中山道の奈良井宿を祖とし、薮原宿の名産となり、ここ土山宿にも伝わり、宿内には十数件の櫛屋があった。餅の駅「あいの土山」バスの時間まで、お土産を買おうと思ったが、残念なががら定休日であった。20分ほど待ってバスに乗って、JR貴生川駅へJR貴生川駅今日もよく歩きました。←前回「旧東海道」 次回「旧東海道」→
2026/03/10
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左目の白内障手術4月2日実施が決まりました。手術は日帰りで、家族の同伴は必要ないのですが、事前の説明には家族の同伴が必要とのことで、3月9日指定の日に、家内同でK病院眼科主治医K先生から説明を受けました。説明書の説明がありました。抜粋します。・目的:水晶体の濁り除去・方法: 濁った水晶体を水晶体の被膜だけ残して除去し、残した幕の中に人工眼内レンズを入れる。 手術は局所麻酔で行う。麻酔薬にアレルギーを示す人があり、重篤な合併症を起こすこ が ある。・効果: 視力改善が目標だが、他の部分、たとえば網膜や視神経などに病気がある場合は、視力が 出にくい場合がある。 人口レンズには調節力がないため、見るもの距離に応じて、メガネを使用する。 大まかにいうと ★裸眼で遠方を見えるようにする。通常は裸眼で過ごす。手元は老眼鏡をかける。 ★遠方はメガネをかける。手元はメガネを外して裸眼でみる。 ★保険外診療になるが、多焦点眼内レンもある。デメリットもあるが、選択は可能 私は、普段から近視で遠くを見るのにメガネをかけているので、一番上の方法を選択し、パソコンをよく使うので、40cmくらいの距離に合わせていただくようお願いしました。・副作用と合併症 稀に起こる、様々なリスク(再手術の必要になる場合があること。最悪1000例に1例の割合 で術後感染症が起こり失明に至る場合がある。1万円例に1例、眼内大出血で失明。など) について説明がありました。 それらのリスクを承知のうえ、手術を受けることにしました。 手術前3日から点眼する薬を処方してもらいました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/03/09
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K病院での抗がん剤治療第3クールは、予定通り2月24日に入院し、今日3月2日に退院して終えました。前回の「闘病記」で示した、手術用の圧着ソックスを使ってみることを主治医のY先生が認めてくださったのでトライすることにしました。また、抗がん剤を始める前の利尿剤注射を第2クールではやってなかったことも分かったので、それもお願いすることにしました。また、今回からドキソルビシンの量が増量になりました。M病院の時同様、少な目からスタートしたのですが、重篤な副作用かが見られないのいで、今回から増やしていただきました。圧着ソックスを履いた状態体重変化結果は大成功。第1クール、第2クールはピーク時体重が8kg増えていたのが、M病院の2kgには及ばないものの、4kg程度まで半減することができました。圧着ソックスを「ふくらはぎ」に履いているので、太ももより上に、その反動が出るのですが、ほとんど気にならないレベルでした。腎臓の機能が重粒子線治療で若干落ちているものの、それほどではないので、下半身の血流をちゃんと上半身に戻してやれば、腎臓が排尿をしてくれるようです。食欲も今回も問題なしで完食でした。口内炎も出血性膀胱炎も問題なし。今回も入院時、退院時、血液検査、尿検査をしましたが、問題なしでした。また、入院中の2月26日に泌尿器科の診察でエコーで診ていただきましたが、特に大きな問題はありませんでした。第4クールの入院は、3月17日の予定です。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/03/02
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前回、「脂肪肉腫」の治療優先のため、白内障手術は延期の旨、投稿しました。その後、「脂肪肉腫」の治療は、手術による摘出ではなく、とりあえず抗がん剤治療ということになり、抗がん剤治療の第1クールが1/13から、第2クールが/3から行われました。ここで、各クールは1週間入院で抗がん剤治療をし、2週間自宅療養というサイクルであること、退院後4日くらいすると通常の体調に戻ることが凡そ分かりました。特に見にくい左目だけの手術の予定なので、これなら抗がん剤治療の合間を縫ってできないことはないなぁと思うようになりました。2/24からの第3クールのときに、第4クールが終わった後、左目の白内障手術をしたい旨申し出て、腫瘍内科の主治医Y先生と、眼科の主治医K先生と相談していただきOKが出てました。 3月9日、家族同伴での説明、4月2日、日帰りで左目白内障手術と日程が決まりました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2026/03/02
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K病院での抗がん剤第2クールを2月9日に退院し、確定申告作成にとりかかり、2月19日に完成させ、その日に税務署に提出しました。また、完成していた客員研究員の年次報告書を2月16日に提出しました。すっきりしたところで、2月20日/21日と1泊2日で2人での有馬温泉旅行に出かけました。次のK病院抗がん剤第3クール入院は、2月24日。まだ解決していない「むくみ」問題についてない知恵を絞って考えました。脂肪肉腫が発覚してから、身体に変化が出てきました。しばらくして、体重が急に増えてしまったのです。第1クールの入院をする頃には、64kgとわずか20日間ほどの間に5kgも体重が増えてしまったのです。また、長い間じっとしていると、ふくらはぎに「むくみ」が発生するようになりました。体重の変化脂肪肉腫が発覚した11月21日以降、所属するシニアガイド会に休会届を出して、ガイドをすることがなくなり、外出もなくなり、ほとんど歩くことがなくなったからでしょう。今まで1日9,000歩から1万歩歩いていたのが、急に2000歩台まで落ちました。運動不足で体重が増え、動かないので、じっとしていると、ふくらはぎに「むくみ」が発生したのでしょう。普段なら多少の運動不足でも「むくみ」が発生することはなかったのですが、お腹に大きな腫瘍ができ、血管が圧迫され血流が悪くなったから「むくみ」までいったのでしょう。これは分かりませんが、体重の増加の要因として、腫瘍がこの間に急に大きくなり出したということがあるかもしれません。1日の歩数です。ここで考えたのは、血流が悪くて「むくみ」が発生しているのなら、血流をよくしてやればいいではないかということです。多分2012年に腎臓を片方摘出したときだったと思いますが、長時間の手術でエコノミークラス症候群が起こらないように、手術用の圧着ソックスを買って使い、それを今もしまってあることを思い出しました。これを第3クールで試してみようと考えました。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/02/22
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本当に久しぶりの、泊まりがけの2人での国内旅行。考えてみると、2人だけでの泊まりがけの旅行というのは、新婚当初の信州方面旅行以来かもしれない。今回の行き先は、近場の有馬温泉。感謝。予約してあったバスで有馬温泉に向かいました。宿は「御幸荘花むすび」。ホテルの車で有馬温泉バス停まで迎えに来てもらって、荷物を置いて、街をブラブラしました。妬泉源天神泉源温泉街炭酸煎餅が名物ちょっと分かりにくいけど、足湯につかっています。太閤の泉ねねの像ねね橋から有間川を望むホテルのマイクロバスで迎えに来てもらって、入浴。夕食は自室ででした。お品書きぐっすり寝て、明朝、朝風呂にに入って朝食。西国巡礼の中山寺に寄ろうかという話をしていましたが、疲れを残さないよう真っすぐ帰るこちにしました。マイクロバスでバス停まで送ってもらい、予約してあった三宮行きバスに乗って帰路につきました。袂石古泉閣泉源さて、次は、どこに行こうかなぁ?
2026/02/21
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K病院での抗がん剤治療第2クールは、2月3日(火)入院、2月9日(月)退院で受けました。第1クールは「むくみ」が酷く、2週間入院1週間自宅でしたが、今回は計画通り1週間入院、2週間自宅のサイクルになりました。とはいっても「むくみ」の状況が大幅に改善した訳ではありません。1月29日の腫瘍内科Y先生の診察時に、できるだけゆっくり点滴投与して、排尿が追いつくようにして欲しいと要望しましたが、第2クールで長くなったのは抗がん剤治療後の3回の輸液投与が、90分から180分(下図の赤丸部分)になっただけで、合計で4時間半延びただけでした。ドキソルビシンやイホマイドの投与時間も短いままなので聞いてみたら、この部分は変えられないとのことでした。病院独自の基準があるのでしょう。これ以上のプッシュは止めました。K病院第2クールのプログラム大きな変更はないといえ、下図のようにK病院第2クール抗がん剤投与終了直後の累計投与量はM病院でのそれより小さくなっていますし、勾配はK病院第1クールより弱くなっています。点滴累計投与量の大阪国際がんセンター、K病院第1C、第2Cの比較体重変化の比較体重の増加量は、K病院第1クール、第2クールとも8kgで変わらずです。ただ、出だしの体重が第2クールが2kgほど減っているので、ピーク時の絶対体重も約2kg減り、第1クールよりはだいぶ楽で、又ズレが起こるほどではありませんでした。あと、第1クールからそうなんですが、口内炎予防のために、ドキソルビシンを投与する際は、口の中を冷たく保つために、氷を舐めながら投与を受けることが推奨されています。第1クール同様、コンビニで氷を買って、ナースステーションで預かってもらって、ドキソルビシン投与のときは氷を舐めながら投与を受けました。そのためにもドキソルビシン投与時間は短いほうがいいのかもしれません。M病院での治療では、こういう話は一切ありませんでした。この方法はクライオセラピー(冷却療法)という療法とのこと。公益社団法人日本薬学会 医療薬科学部会によると、薬物投与開始5分前から30分間程度氷片を口に含み、口腔内を冷やす方法で、口腔内を冷却することで末梢血管を収縮させ、抗がん剤が粘膜細胞に達する量を減少させるのだそうです。今回も口内炎、膀胱炎とも問題ありませんでした。また、食欲不振も苦しむことなく、すべての食事を完食でした。まだ「むくみ」がひどかったですが、第1クールで様子が分かっているので、自宅で早く体重が戻せるよう、錠剤のフロセミドを処方してもらって退院しました。入院日と退院日に血液検査と尿検査があり、副作用で心配される白血球数、血小板数とも問題なく良好でした。節分にはちらし寿司と豆がでましたナースステーションにはかわいい鬼が第3クール入院は、2月24日の予定です。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/02/09
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東海道歩きの4日目です。今日も二人旅。感謝。石部~水口 10:40~16:20(5時間半)13.6km 28,600歩ルート概略 石部から水口まで、ほぼ東北東に直進です。JR石部駅 いざ出発 今日も二人旅です。感謝。石部駅前東海道五十三次 石部宿 安藤広重石部は「京立ちお石部宿」といわれ、京を立った旅人の一泊目でした。幕末の最盛期には、商家216軒、旅籠62軒と栄えました。「石部金吉」という言葉jは宿外れの金山から起こったもの。遊女を置かない宿場を揶揄した意味がこめられているといわれています。石部一里塚跡の説明板 日本橋より116里 東海道が整備されたのは慶長9年(1604)石部宿 鉤の手道 確かに2カ所、90度に曲がるところがあります。石部宿 小島本陣跡 慶安3年1650)建設。明治天皇も宿泊しました。小島本陣の説明板石部宿 問屋場跡石部宿 三大寺本陣跡石部宿 安民米倉庫石部宿 お半長右衛門石部宿 高札場跡石部宿 石部城跡石部宿の町並み吉姫神社 この神社は女神社で石部宿西の男神社である吉御子神社と対の関係にあります。吉姫神社 本殿吉姫神社 万病に効能あらたかといわれる湧き水吉姫神社 南北朝時代の狛犬 道標 詳細不明です。八嶋寺への道標か?高木陣屋跡家棟川隧道(やのむねがわずいどう)扁額近くに扁額があったようですが、気付かず写真に収められませんでした。家棟川の橋の袂の常夜燈「奉両宮常夜燈」と刻まれている。伊勢神宮の両宮を指している。國指定天然記念物「うつくしまつ」ちょっと奥まったところにあり、見に行くのをあきらめたので、松の写真はありません。北島酒造 湖南の名酒造です。由良谷川隧道 明治19年(1868)築造 天井川の下に造られたトンネルです。「新田道」道標夏見の一里塚跡 日本橋より115理目夏見の里 藤棚大沙川隧道天井川の下に、明治17年(1884)築造三雲城跡と八丈岩室町後期、三雲典膳が築城。戦国期に落城し。廃城となりました。大沙川隧道 大沙川隧道 説明板弘法杉弘法杉 案内版道標 雲照妙感寺従是十四丁、立志神社、田川葡萄道三雲駅から東に歩き、横田橋で野洲川北岸に渡るのが本来のルートであるが、水量の多いときは舟の渡しが使われました。現在は、その場所には橋がないので、西方の現横田橋で野洲川を北岸に渡ります。国道1号線を少し歩き、県道533号線を行くと、横田の渡しの船着き場跡があって、立派な常夜燈があります。横田渡跡常燈 常は土橋、水嵩増せば舟渡しであった、「横田の渡し」は「東海道十三渡し」の一つでした。常夜燈は万人講のもので、文政5年(1822)の建立。横田橋の歴史ここから野洲川と離れ、東に向かいます。泉の一里塚跡 日本橋より114里目。復元されたもです。泉の一里塚 説明板10年ほど前に買った旧東海道歩き地図では、上記の一里塚付近から「松並木」となっていましたが、全くといっていいほいど松がありませんでした。切り倒してしまったのでしょうか。どんどん東に向かいます。柏木コミュニティーセンターでトイレをお借りして小休憩。そこに鐘楼のモニュメントがありました。柏木コミュニティーセンター 鐘楼のモニュメント水口宿に入っていきます。柏木神社建久年間(1190~1199)源義朝が上洛の際、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧合祀し、以後若宮八幡宮と称され水口城主の祈願所となった。美福酒造山廃仕込みの銘酒「蔵の音」は、水口曳山祭のお囃子や太鼓を聞かせて仕込んだもの。水口一里塚跡 日本橋より113里目百聞長屋跡 下級武士建の棟割長屋があり防御を担いました。水口石 力石とも呼ばれています。浮世絵師国芳が浮世絵の題材にしています。滋賀県発祥といわれるのいわゆる「飛び出し坊や」の女忍者版がそばに立っています。 近江鉄道石橋駅から2駅乗って、貴生川駅で、JR駅で乗り換え、京都方面に帰りました。快い疲れでした。←前回「旧東海道」 次回「旧東海道」→
2026/02/01
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K病院での抗がん剤第1クール退院後、今日は泌尿器科と腫瘍内科の診察でした。泌尿器科では、K先生にエコーで腎臓の様子を診てもらいました。腫瘍が尿管を押しており、腫瘍がさらに大きくなって、尿管が狭まり、尿が流れにくくなると、私は片腎のため、尿が溜まって腎臓がはれ上がり、管を腎臓に通して尿を排出するような手術をしなければなりません。今回、特に異常は見られなかったとのこと。次に腫瘍内科のY先生。今まで説明してきた、抗がん剤投与の各病院の違いのエビデンスを見せ、投与時間が短いことによって、投与量が大きくなる時間帯があり、排尿がそれに追いつかず、「むくみ」が酷くなったのではないか。第2クールからは、もっと投与時間を長くして、ゆっくりと投与できないかとお願いしました。Y先生もある程度納得してくださったようで、「次回入院までに薬剤師と相談しておきます。」とのことでした。もう1つの腫瘍内科の診察の目的は、血液検査と尿検査です。国立がん研究センターのホームページにはAI療法の副作用の一部として次のようなことが書いてあります。AI療法による副作用白血球減少血液中の白血球は、体内へ細菌が入り込まないように守っている血液成分の1つです。一般的にくすりを注射してから1から2週間目に白血球の数が少なくなり、3から4週間目で回復してきます。白血球が減少すると細菌に対する防御能が低下し、感染や発熱を引き起こす可能性があります。この時期の感染予防が大切です。血小板減少血小板は、血液を固まりやすくする働きがあります。血小板の数が少なくなると、出血しやすくなります。出血傾向がみられる場合は、輸血を行う場合もあります。下記に第1クール途中の血液検査、今日の血液検査の結果(太線)を、過去のM病院での治療時の6クールの血液検査の結果(細線)を示しています。白血球、血小板とも問題ありません。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/01/29
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昨日、K病院第1クールと過去のM病院の抗がん剤投与プログラムを比較して、両者に大きな差があることが分かりました。それらが、他の病院と比べてどうなのかを調べるために、ネットで検索して3つの例を拾い出しました。①国立がん研究センター中央病院、②大阪国際がんセンター、③伊那中央病院①②③①②は24時間連続投与しているのに対し、③は17時間程度なので夜は輸液投与を止めていると思われます。K病院の投与時間は10時間なので、止めている時間が非常に長いです。M病院は24時間連続投与ででした。①②③とも、抗がん剤前の長時間輸液投与はありませんが、抗がん剤後は、1~2日の輸液投与が入っています。M病院は、抗がん剤前の輸液投与は半日程度17時間あり、抗がん剤後も3日間の輸液投与がありました。ドキソルビシンの1回の投与時間は、②は不明ですが、①③は2時間で、K病院の15分に比べてかなりゆっくりです。M病院はイホマイドは、①②③とも4時間で、K病院の2時間に比べて倍長いです。M病院は連続投与なので、これらに比べるとかなりゆっくりな投与でした。輸液の量を記してあるのは、①②③のうち②だけです。昨日のK病院とM病院の累計投与量に書き加えました。②大阪国際がんセンターは、K病院やM病院に比べて、投与量が少なく、投与全時間は、K病院に比べ長く、M病院に比べ短いのが分かります。1月29日に、K病院泌尿器科と腫瘍内科の診察があるので、これらエビデンスを腫瘍内科のY先生に示して、「むくみ」対策の検討をお願いしてみます。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/01/27
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前回の「闘病記」で、K病院での第1クールの体重増加は約8kgで、以前のM病院での体重増加は、約2kgであることを示した。この違いはどかから来るのか。M病院での抗がん剤投与プログラムを図式化したデータがあったので、それと同じようにK病院第1クールでの抗がん剤投与プルグラムを図式化してみた。M病院投与プログラムK病院第1クール投与プログラム2つのプログラムの大きな違いを列挙してみる。・M病院の輸液も含めた投与日数は9間であるのに対し、K病院では5日間と短い。 M病院では、抗がん剤投与の前に輸液の投与が16時間程度あるのに対し、K病院では1時間半 しかない。 M病院では抗がん剤投与後、約3日間の輸液投与があるが、K病院では約半日しかない。・M病院では、ドキソルビシン投与時間は1回1時間であるが、K病院では15分と短い M病院では、イホマイドは連続投与で、少しずつ投与するのに対し、K病院では、1日2時間 のみ。・M病院では投与が夜間も含め連続するが、K病院は20:30~10:30は投与はなし。累計投与量の時間推移を比較してみた。M病院の投与時間がK病院に比べ大幅に長いのがこのグラフからも分かるが、K病院の投与期間だけを見ると累計の投与量に大差はない。ただ、M病院は連続投与に対し、K病院は間歇投与なので、M病院はコンスタントに累計投与量が増えていくのに対し、K病院では量が急に増える時間帯が存在する。私はこのK病院の急激な投与量の増加に排尿が追いつかなくて、「むくみ」に繋がっているのではないかと考えた。しかし、脂肪肉腫は希少癌であるため、M病院のときは、ドキソルビシン+イホマイドは初めて使うと言っていた。K病院でも、私がいた病棟では初めて使う抗がん剤だと言っていた。第2クールに向けてK病院に何か提案するにしても、症例の多い病院との比較もしたうえで考察することが必要と考えた。症例の多い病院のプログラムも調べてみる。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/01/26
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抗がん剤の第一クールを終わって2日目。むくみも消えて体力的にも元気だったので、2人で「京の冬の旅」華光寺・光清寺を訪れました。両方のお寺とも、京都全寺社巡りで境内は訪れたことはあるものの、お堂のなかまで入ったことがありませんでした。この2つのお寺は、千本出水を西に入ったところにある近接したお寺です。雪が急に降り出したり、利尿剤や便秘薬を飲んでいるので、急にトイレに行きたくなったり、ちょっと大変でしたが、何とか2つのお寺にお参りすることができました。両方のお寺とも私の仲間が案内をしているので、久しぶりに皆さんと談笑することもできました。皆さん「元気そうで安心しました。身体に気をつけて、またガイドに復帰してくださいね。」とおっしゃってくてました。ありがたいことです。脱毛の副作用が出る前にいったのも幸いしました。久しぶりに仲間とお話ができたかけがえのないひとときでした。
2026/01/25
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K病院での抗がん剤治療第1クールで、最も悩まされたのが、下半身の酷い「むくみ」であった。体重増加が8kgにも及んだ。入院を延長せざるを得なかった。M病院で10年ほど前、同じ抗がん剤で治療を受けたときも、多少の「むくみ」はあったが、ここまで酷くはなかった。体重増加もここまで大きくはなかったと思う。しかし、手元にデータがなかったので、体重増加の差さえも主治医のY先生に説明できなかった。退院して調べてみたら幸いM病院のときのデータが残っていた。下記が体重増加の比較である。M病院は6クールの平均である。M病院での体重増加は2kg程度であった。K病院の第1クールはこの4倍である。これが、「むくみ」によって引き起こされた体重増加である。今後も同じ状態で、今後のクールを続けるのはつらい。主治医のY先生もなにか対策を考えてくれるだろうが、1月29日にk病院での、次のクールに向けた血液検査・尿検査、診察があるので、それまでに自分なりにM病院のときとの違いを分析をして、提案ができればと思う。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/01/24
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1月13日(火)にK病院に入院し、第1クールの抗がん剤治療を受けました2日目火曜日から5日間(18日の日曜日まで)抗がん剤や輸液を点滴投与しましたが、下半にの酷い「むくみ」がでました。兆候が出てから利尿剤フロセミドを連日注射してもらいました。ピーク時には、ふくらはぎだけでなく、太ももまで、パンパンに腫れ上がり、歩けば股ズレを起こすような状態になりました。K病院としては19日の月曜日に血液検査と尿検査をして、その日に退院と目論んでいたようです。錠剤のフロセミドを処方してもらって予定通り退院して、自宅で様子を見るという手もあったのですが、Y先生曰く、「錠剤はだんだん効きにくくなるんですよね。」ということもあり、大事をとって、月曜日の退院をあきらめ、連日利尿剤を打ってもらって、「むくみ」解消を図り、ようやく今日、23日(金)退院となった次第です。抗がん剤はM病院のときと同じドキソルビシンとイホマイドの組合せですが、投与時間などがだいぶ違うという感じでした。ただ、M病院のときのデータを持ってきていなかったので、入院中は比較することができず、これから色々調べることにしました。M病院のときも多少ふくらはぎの「むくみ」がありましたが、今回のように「苦しむ」というレベルではありませんでした、下記が今回の抗がん投与プログラムです。重篤な副作用の口内炎や出血性膀胱炎は起こりませんでした。M病院のときに最も苦しんだのは、食欲不振でした。フリカケやお茶漬けを前もって買っておいて、何とかお腹に入れたという感じでした。それが今回ほとんどなく、あまり苦なく、各食完食でした。同じ抗がん剤でも、副作用の状況が、M病院、K病院では全く異なりました。次回入院は、2月4日(火)からと決まりました。M病院では、4週間サイクルでしたが、3週間サイクルが一般的なようで、K病院では3週間サイクルを採用しているようです。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2026/01/23
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娘夫婦が我々2人を以前から、昨日、今日の予定で旅行に誘ってくれていました。その後、私に癌が見つかったのですが、幸い治療が始まる直前で、身体も元気なので、お言葉に甘えて連れていってもらうことにしました。娘夫婦と孫、我々2人の5人での旅行でした。車の運転は全部、娘の旦那がしてくれて、我々はシートに座っているだけで楽ちんの旅行でした。1日目の行き先は志摩スペイン村。スペイン村はこれで3回目かな。風が強い日で、最大の呼び物ピレネーなどが運休していたのは残念でした。ただ、ピレネーは65歳以上は、どうせ乗車できないので、我々2人には関係なかったけど。小さな子の年齢・身長制限は前からあったけど、高齢者の制限は前はなかったと思う。昔は若かったので、気が付かなかっただけかもしれないけど。でも、年齢制限のないアトラクションにいくつか乗って1日楽しみました。泊りは相差(おうさつ)という町。ホテルの名前は忘れました。お風呂に入って、海の幸をたっぷり楽しんで、お酒もいただいて、楽しいひとときでした。今日の朝ご飯も最高でした。朝ごはんの後、皆は近くの石神さん(神明神社)に行ったのですが、私はちょっと疲れもあって、入院も控えているのでホテルで休んでいました。相差は海女文化で有名なところで、石神さんは海女を守ってくださる神社だとのこと。妻が病気平癒のため、お守りを買ってきてくれました。ご朱印もいただいてきました。 宿を出て伊勢神宮の内宮にお参りし、「おかげ横丁」で食べ歩きして楽しみました。治療開始、入院前の楽しいひとときでした。ひょっとしたら、もうこういう機会は持てないかもしれません。娘夫妻、孫に、ただただ感謝です。
2026/01/12
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義母が天寿を全うし、昨年亡くなりました。新年の挨拶を欠礼させていただきました。
2026/01/08
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今日は、私の実家のある三重県への今年初のお墓参り。2人で行ってきました。抗がん剤治療を控えていますが、お墓参りに行くくらいは体力的に問題ありません。15年にわたって、仏壇に祀っていた分骨でしたが、そろそろ本山に納めようということになり、前もって申し込んであった、納骨式も執り行いました。土地・建物・駐車場用地は、一昨年売却しました。母から引き継いだ銀行、証券会社の口座もすべて解約し、資産はこちらの銀行に移しました。あとは墓じまいだけです。以前だったらお墓参りにいくときは、空き家にしていた実家の様子を見て空気を入れ替えたり、駐車場のへの除草剤散布やゴミ拾いをする時間が必要でしたが、今はそれがなくなり、ずいぶん楽になりました。帰りに初詣で、三重県内の椿大神社に参拝に行きました。帰ってから、昨年義母が亡くなったので、初詣に行ってはいけなかったのではと思ったのですが、ネットで「イオンのお葬式」のサイトを見たら次のように書いてありました。************************************そもそも喪中・忌中とは?期間や意味の違いを解説喪中の初詣について考える上で、まず「喪中」と「忌中」の違いを理解することが不可欠です。この二つは混同されがちですが、その意味合いや過ごし方、期間は異なります。特に神道において、死は「穢れ」と捉えられるため、「忌」の期間中は神社への参拝といった神事を控えるというルールが存在します。忌中がいつまで続くのか、神式の考え方に基づいた期間を把握することが、初詣に行けるかどうかを判断する鍵となります。故人を偲び喪に服す期間が「喪中」喪中とは、近親者が亡くなった際に、故人を偲び、自身の身を慎む期間のことを指します。一般的に、期間は故人が亡くなってから約1年間とされており、この間はお祝い事や派手な行事への参加を控えるのが習わしです。具体的には、結婚式への出席や年賀状の送付、新年の挨拶回りなど、慶事を避けて静かに過ごします。神事への参加を控える期間が「忌中」忌中とは、神道の考え方に基づき、死による穢れを他に移さないようにするため、外部との接触を避け、身を清める期間を指します。この期間は故人が亡くなってから50日間とされており、神棚へのお参りや神社への参拝はいけないこととされています。仏教における四十九日(49日)と期間が近いため混同されやすいですが、意味合いは異なります。神道では死を穢れと捉えるため、忌中の間は神域である神社の鳥居をくぐることも控えるべきとされています。この期間が明けることを「忌明け」と呼び、それ以降は通常の生活に戻ることができるようになります。【結論】喪中の初詣は忌中が明ければ問題ない喪中に初詣へ行けるかという疑問への結論は、忌明けであれば問題ありません。したがって、重要なのは忌中がいつ明けるのかという点になります。喪中であっても、忌明けしてさえいれば初詣に行くことは可能です。神社への初詣は忌明けの50日後からが目安神社への初詣は、神道の教えに則り、忌明け後に行うのが基本です。神道における忌中の期間は、故人が亡くなってから50日間と定められています。この50日目に行われる「五十日祭」という儀式をもって忌明けとなり、それ以降は神社への参拝が可能になります。実際に、全国の神社を包括する神社庁も、忌明け後のお参りであれば差し支えないという見解を示しています。伊勢神宮のような格式高い神宮への参拝も同様です。忌中の間は、神域への入り口である鳥居をくぐることも避けるべきとされているため、初詣は必ず五十日祭を終えてからにしましょう。**************************************義母が亡くなって50日以上は経っているので、初詣してもよかったのです。お守りを授かったりするの問題ないとのこと。椿大神社では私の病気平癒を祈ってお守りをいただき、ご朱印もいただきました。私の病気が平癒しますように、そして家族が健康でありますように。
2026/01/06
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今日は、造影CTの結果などを踏まえて、手術が可能かどうか、可能としたらいつからどんな手術になるのかを聞きにK病院外科を訪れました。結論からいうと「手術はできません。」 ガガーン!!! 「覚悟はいいですか。」とまで言ってくれたので、大変な手術になるかもしれないけれど、手術はできると思っていたので大ショックです。「患部が十二指腸などにくっついていて、癌を完全にとるためには大変な手術になるので、K病院として手術はできない。」とのこと。「何とかなりませんか。」と食い下がりましたがガンとて駄目でした。病院のカンファレンスにかけてくれたのでしょう。「手術はできないからといって、このまま放っておくわけにもいきません。腫瘍内科の先生に繋いであるので、腫瘍内科で診察を受けてください。」ここでセカンドオニオンを聞きにいくために紹介状を書いていただくという方法もあったのですが、私自身もこの患部の大きさでの手術はやはりむつかしいだろう、抗がん剤で小さくできれば以前のように粒子線治療という手も出てくるかもしれないということで、この時点でのセカンドオピニオンはあきらめました。腫瘍内科のY先生に面会し、初回の抗がん剤治療の日程をFIXしました。入院は年明けの1月13日です。M病院での治療と同じように、ドキソルビシンとイホマイドのAI療法になるとのことでした。M病院での治療は2014年ですから、10年強前。にもかかわらず同じ薬。やはり希少癌なので治療方法が進んでないでしょう。でも、前を見て希望をもって治療に臨まないといけません。病は気から。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/12/25
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今日は、脂肪肉腫手術摘出に向けての心エコーと造影CT撮影で、K病院に出向きました。心エコーは、安全に手術できるかどうかの確認、造影CTは血管と幹部の位置関係をできるだけ正確に知るためです。この結果をもって、次回12月25日に外科での診察です。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/12/19
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今日は、外科での初めての診察でした。外科の先生からは、「摘出しようとすると、大きな手術になります。覚悟ができていますか?」と言われ「はい。」と即答しました。苦しいかもしれませんが、手術で摘出きれば、それに越したことはありません。手術に耐えうるかどうかの検査でしょう、12月19日に、心エコーの検査が入りました。また、造影CTの検査も同じ日にするとのこと。既にCT、PET-CT、造影MRIとしてきましたが、さらに造影CTも撮影です。フルコースです。造影CTは血管の位置が分かりやすいとのことです。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/12/11
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今日は、12月1日に行った生検のK病院に結果を聞くにいく日でした。結果はやはり「脂肪肉腫」。もちろん悪性です。病巣の大きさ、大きくなるスピードから悪性腫瘍であることは間違いないと思っていたので、ショックはありませんでした。O先生は、手術で摘出できるようなニュアンスで話していましたが、体にメスを入れなくてすむ抗がん剤治療も方法としてあるので、腫瘍内科の診察をい受けてくださいとのことで、緊急で手配いただき、その日のうちうに腫瘍内科の診察を受けました。手術での摘出が可能というようなニュアンスをO先生から聞いていたし、抗がん剤治療では完治しないと思っていたので、腫瘍内科の先生の話は真剣に聞かなかったし、質問もしませんでした。「あなたの癌は、抗がん剤で完治させるのはむつかしい。手術でとれるならその方がいい。」というようなニュアンスだったと記憶しています。泌尿器科に戻って、そのことを伝え、「手術で摘出できるなら、手術を選択します。」と宣言しました。翌日、外科での診察の予約を入れてくださいました。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/12/10
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12月1日にK病院に入院し、その日に生検でした。O先生の指示のもと、検査が行われました。腸が表面側に回りこんでいる可能性があるので、慎重に場所を探していただき、3箇所から検体が採取されました。局部麻酔による生検でした。痛みを感じることはありませんでした。1時間ほどで終わりました。翌日も経過は順調で、12月2日、予定通り退院しました。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/12/02
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10月29日に、K病院での白内障手術を12月23日にすることに決めましたが、11月21日に、同じK病院でのCTで、腹部に悪性腫瘍があるこが発覚。12/1~12/2は、そのための生検がありました。悪性腫瘍治療優先のため、白内障手術は、延期することにしました。生検を主治した泌尿器科を通じて、眼科に連絡してもらいました。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2025/12/02
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今日は、昨日のPET-CT(Oクリニックにて)に続き造影MRIをK病院で撮りました。MRI(Magnetic Resonance Imaging・磁気共鳴画像法)検査は、強力な磁石と電波を利用して体内の臓器や血管を撮影する精密検査です。造影MRIでは、造影剤(ガドリニウムDTPA)を腕の静脈から注射したうえMRI撮影を行います。 腫瘍等が他の組織とは違った信号を出すので病気の診断に大変役立ちます。少しずつですが、治療前の準備が進んでいきます。しかし、この間にも腫瘍は大きくなっているはずで、早く治療を開始したいものです。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/11/28
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今日は、K病院経由で予約してもらった、PET-CTをOクリニックで受けました。K病院に渡す、画像データをCDに焼いたものを受取りました。PET-CTとは(Medical Note サイトより)***************************************“PET(ペット)”とは、“ポジトロン・エミッション・トモグラフィー(陽電子放出断層撮影)”の略で、主にがんを見つける検査で使用されています。現在では、ほとんどがPET装置とCT装置を一体化させたPET/CT装置で検査が行われ、PET/CT検査と呼ばれます。がん細胞は正常細胞の何倍もブドウ糖を消費します。検査では、ブドウ糖に似た微弱な放射線を出す検査薬“FDG(エフディージー)”を注射し、その集積具合が画像化されます。また同時に、CTによる形態情報(臓器の輪郭)も得られ、両者の融合画像でがんの有無と部位が可視化されます。PET/CT検査では、体の広い範囲を一度に調べ、がんの有無と部位を同時に調べます。通常は、頭部から骨盤までが範囲となります。そしてFDGが多く集まっている部位は、画像で濃く写ります。検査室には、放射線管理区域であることを示す黄色い表示がみられます。FDGは静脈注射されますが、放射線の量はごくわずかです。注射後は1時間ほど安静にしますが、これは注射した薬剤が体内に広がり安定するのを待つためです。撮影台に乗る直前には、排尿して膀胱を空っぽにします。これは尿中に排泄されたFDGで、周辺の画像にゆがみ(アーティファクト)が生じるのを防ぐためです。撮影時間は15~20分です。体を動かすと画像にぶれが生じることがあるので、力を抜いて楽にしています。撮影後のおよそ20分間は、安静室で待機します。体内に残存する薬剤からの放射線が低下するのを待つためです。****************************************K病院宛のCD画像は、自分のPCでも見られるので、見てみました。素人なので、よく分かりませんが、水平方向最大径約15cm、垂直方向最大径約14cmと思われ、前回の脂肪肉腫最大径が約10cmだったのに比べるとかなり大きいです。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/11/27
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脂肪肉腫が見つかって2回目の診察日。生検(患部の一部をメスや針などで取って,顕微鏡などで調べる検査)の日が決まりました。12月1日に入院、生検、2日退院という日程になりました。入院手続きをしました。←前回「闘病記」 次回「闘病記」→
2025/11/26
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後腹悪性腫瘍(軟部肉腫・脂肪肉腫)の経過観察の状況を投稿してきました。しかし、完治であるとの判断と、2024年6月5日の経過観察をもって、経過観察を終了しました。しかし、ここにきて、2度目の脂肪肉腫に罹患してしまいました。脂肪肉腫は希少癌ですが、それに2回も罹るとは・・・・・。癌の罹患は3回目になります。まず、2011年の腎盂がんで、左の腎臓を摘出。片腎でも普通の生活ができました。2014年に残った右の腎臓の後ろに後腹膜悪性腫瘍(種類は脂肪肉腫)ができたのが2回目。抗がん剤で小さくはなりましたが、完治には至らず、透析をできるようにしたうえで、腎臓ごとの全摘を主治医から提案されました。それしかないなぁと思いながら、ダメもとで聞きにいったセカンドオピニオンで粒子線治療に出会い、重粒子線治療を受け、完治しました。今回も腹部にできました。今度は背中側ではなく、お腹側です。経過を記しておきます。10月下旬に右腹部にシコリがあることに気がつきました。10/28に掛かりつけ医のO医院に行って見てもらいましたが、先生はちょっと触っただけで、「様子見でいいんじゃないですか。」との反応でした。O医院にはCTがあることが分かっていたので、「CTで分かりませんか?」と尋ねたら、「分からないでしょうねぇ。」という素気無い返事。「では大きな病院で診てもらいたいので、K病院の消化器内科に紹介状を書いてください。」とお願いしました。一旦帰宅して返事待ち。O医院から「K病院に相談したら消化器内科のA先生に、定期的に診てもらっているようなので、A先生に診ていただくのがいいのではとK病院では言ってます。」という電話がありました。確かに、1年に一度胃カメラでの経過観察をA先生にやっていただいています。また、大腸ポリープの切除もA先生にやってもらったことが複数回かあります。「じゃあ、それでお願いします。」と11月14日に予約を入れてもらって、紹介状を書いてもらいました。予定通り、11月14日にK病院消化器内科のA先生に診てもらったところ、「まずCTを撮ってみましょう。」ということになり、11月17日にCTを撮ってもらい、今日11月21日にその結果を聞きにいきました。ガガガガーン・・・・「多分、脂肪肉腫でしょう。大きさは16センチくらいあります。」もうびっくり。癌が消化器の外であることと、前の脂肪肉湯の経過観察を泌尿器科で診てもらっていた経緯から、泌尿器科での主治医であったO先生に診てもらうことになりました。O先生は管理職になるとおっしゃていたのですが(それが前回の脂肪肉腫の経過観察を打ち切った理由でもあります)、管理職の意味は院長になるということだったようで、K病院の院長になっておられました。院長で忙しいので、すぐに診てもらえないのではと思ったところ、何とか時間の都合がつき、私のかつての主治医だったということもあり、すぐに診てもらえました。O先生のニュアンスでは、手術で摘出できるのではとのことでした。さらに詳しい検査が必要なので、PET-CT(K病院にはないので、11月27日Oクリニックで)と、11月28日K病院での造影MRIの予約を入れてもらい、血液検査と尿検査をしました。次回診察は、11月26日。大変なことになりました。でも、手術でとれれば御の字です。ただ、どのような予定になるか全く予想がつきません。入っているガイドの仕事を全部他の人に代わっていただかなければなりません。関係する人に電話しまくって、交代をお願いしました。しかし、明日の分は急なので、いかんともしがたく、また、体調的には問題ないので、明日だけは出勤することにしました。振り返ってみると、思い当たる節が色々あります。10月24日に、お墓参りに行った朝、経験のないようなしんどさを感じたこと。10月25日、ガイドの下見で山科に行ったとき、後半、疲労感を感じたこと。11月8日も、同様の経験11月19日、常駐ガイドで昼食時、外食するため歩いたとき、極端な疲労感を感じたこと。11月20日、修学旅行ガイドでの疲れ方が、今までないない疲れ方だったこと。これらいつにないないしんどさは大きくなった脂肪肉腫から来ていたのでしょう。次回「闘病記」→
2025/11/21
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9月29日にA眼科に、K病院への紹介状をお願いして、それを次回A眼科診察の10月2日にピックアップし、それを持って今日10月29日にK病院眼科を訪れた。一通り検査を受け、主治医の診察を受けた。12月8日に、家族同伴で事前説明を受け、12月23日に手術と決定。予定通り、まずは左目のみの手術。←前回「白内障手術」 次回「白内障手術」→
2025/10/29
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A眼科に緑内障予備群ということで通って、目薬を処方してもらっているが、併行して白内障も進んでいる。特に左目がひどい。A眼科での診察でも、目の中の写真を撮るの、機械が焦点を合わせることができなくなった。メンタル的に安定しているので、この機会にと思い、白内障の手術を決断し、この日、A眼科を訪問し、A眼科では手術はできないので、K病院への紹介状を書いていただくようお願いした。先生から「とりあえず、左目だけでいいのでは」ということで、そうすることにした。次回「白内障手術」→
2025/09/29
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