ワルディーの京都案内

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2016/08/22
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テーマ: 癌(3527)
カテゴリ: 癌治療情報
朝日新聞「患者を生きる」の記事を引用し、私の意見・感想・気づきなどを述べさせていただいています。

≪2016年8月15日の記事≫ 

(患者を生きる:3115)
仲間と歩む フットサルで:1 必ず戻る、みんなのため


 日本フットサルリーグ(Fリーグ)の湘南ベルマーレに所属する久光重貴(ひさみつしげたか)選手(35)は今年7月、神奈川県寒川町での練習を終えると、電車で千葉市の千葉大学病院に向かった。久光さんは一線で活躍すると同時に、肺がんの治療を受けている。

 千葉大学病院では、同じ肺がんの男性会社員(52)と会うことになっていた。男性は知り合いの医師が担当する患者。フットサルのファンで、プレーもしているということだった。医師を通じてサインを頼まれ、「せっかくの機会だから」と直接話をしてみることにした。

 院内の会議室で2人は向き合った。はじめは湘南ベルマーレの戦績などをしゃべっていたが、やがて男性が病気の悩みを打ち明けた。

 半年ほど前に肺がんがわかった男性は、リンパ節に転移があり、分子標的薬による治療を続けている。「副作用で、下痢が止まらなくて困るんです。5分おきにトイレに駆け込みます。朝に始まると、会社を休まなければならないこともあるんです」

 「僕もありました」と久光さんは答えた。食べたものをすべてノートに記録し、下痢をしやすい食べ物を調べた体験を語った。「僕の場合、無農薬野菜中心の食事にしたらだんだんよくなりました」

 別れ際、持参したチームの公式ボールとクリアファイルにサインをし、男性に手渡した。ファイルには「共に前進しましょう」と書き添えた。

 がん患者にサインするときに、必ず入れる言葉だ。

     ◇

 久光さんが肺がんと診断されたのは13年6月。湘南ベルマーレに入団して6年目の31歳だった。

 開幕前に受けた健康診断がきっかけとなった。トレーナーから「ちょっと気になることがあるので、再検査をしてくれ」と言われた。勧められた大学病院でX線やMRI、PET検査を受けた。

 「肺腺がんです」

 医師に結果を告げられた。肺腺がんは肺がんの一種。肺の末梢(まっしょう)にでき、肺がんの中で日本人にもっとも多い。

 「そう来たか」

 久光さんは最近疲れやすさを感じていたが、年齢のせいだと思っていた。ただ、病院から母親の同席を求められたことから、深刻な病気かもしれないと覚悟もしていた。

 「治療はどのくらいで終わりますか?」。練習を再開できる時期を知りたくて質問した。医師からは、右肺の上葉に3センチほどのがんがあり、リンパ節に転移していて、手術も放射線治療もできないと説明された。「抗がん剤治療が半永久的に続きます」

 そして、「余命の話をしますか?」と尋ねられたので、「聞きたくありません」と断った。たとえば「余命2年」と言われれば、2年間をどう生きるかで頭がいっぱいになってしまい、その先の夢や目標を持つことが難しくなると考えたためだ。

 「いままで通り、Fリーグの頂点を目指して、1日1日の練習を積み重ねながら、人生の夢を追っていこう」

 心の中で誓った。

     ◇

 約1カ月後の13年7月9日、チームのホームページで、久光さんが肺腺がんと診断されたことが発表された。その6日後にあったホーム開幕戦には、病院から外出許可を取って、会場の小田原アリーナであいさつした。

 「チームや選手を、いままで以上に応援し、後押ししてください。その姿を見て、自分もがんばる力をもらいます。必ずここに戻ってくるので、またそのときは笑って会いましょう」

 観客席を埋めた約3千人のサポーターから歓声と拍手がわき上がった。この瞬間、がんを治すことは自分だけの目標から、みんなの目標になったのだと受け止めた。

 「がんは自分一人で向かい合うのではなく、みんなで向かい合う。僕のためだけではなくて、みんなのために、がんと闘おう」

     *

 ひさみつ・しげたか 1981年、横浜市生まれ。ヴェルディ川崎ジュニアユースをへて帝京高校サッカー部に。卒業後、フットサルを始める。2002年に「カスカヴェウ」(現ペスカドーラ町田)に入り、08年に湘南ベルマーレに入団。09年には日本代表に選ばれる。13年6月、肺がんと診断された。現在も現役を続ける。背番号5。ニックネームは「ヒサ」。身長175センチ、体重74キロ。


チームのメンバーと練習に励む久光重貴さん=神奈川県小田原市
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肺がんの男性と語り合う久光さん=今年7月、千葉大学病院
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久光さんが男性に贈ったサイン。「共に前進しましょう」と書かれている
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>「余命の話をしますか?」と尋ねられたので、「聞きたくありません」と断った。

 私が後腹膜悪性腫瘍を宣告されたとき、何もしなければ「余命数週間から数ヵ月」と家族には話がありました。結局、抗がん剤治療しか選択肢はなく、抗がん剤治療をしました。抗がん剤治療をした場合の、余命は聞きもしませんでしたし、主治医からも話はありませんでした。しかし、セカンドオピニオンでの話や、ネットで調べた内容からは、5年のうちに死ぬ確率は非常に高いというのが明白でした。

 最初はショックでしたが、不思議と仕事の引き継ぎや、京都検定の勉強を一生懸命することができました。死ぬなら、発つ鳥あとを濁さずで、ちゃんと引き継ぎをし、京都検定1級を合格したうえで死にたいと、そんな気持ちになっていたような気がします。

 その後、効かないといわれた抗がん剤が効き、腫瘍の大きさが半分近くまで小さくなりました。さらに、残っている片方の腎臓(すでに腎盂がんで片方の腎臓を摘出している)を温存する方法として、粒子線治療を受けました。現在経過観察中で、腫瘍の大きさは、さらに小さくなって安定しており、普通の生活を営めています。

 効かない可能性が大きいと言われた抗がん剤治療を、前向きな気持ちで受けたのがよかったのかもしれません。「病は気から」というのは大いにあるのではと思います。


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最終更新日  2019/04/23 09:13:00 AM
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