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今日パパは仕事で茅ヶ崎に行っているのですが「パパは今日お仕事で海のほうに行ってるんだよ」と言ったら「パパ、つなみこないかなぁ・・・だいじょうぶかなぁ・・・」とさーこ震災はさーこにも少なからず影響を与えていますあんなに大好きだった保育園に行きたがらなくなりました担任の先生に「さーこちゃんの精神状態が心配です」と言われましたあたしは安否確認と被害状況の把握のためテレビPC携帯に張り付いてさーこのケアをしてあげられずさーこなりに非常事態を察し、不安を感じていたようです今はとにかくあたしにべったりスーパーでも遠くから「ままーー!!好きーーーーー!!」と叫ぶほど保育園は25日で最後2年半の大好きな保育園生活が「行きたくない」モードで終わってしまったのは残念です最近さーこが描いた絵「このおうちはじしんでもえちゃったの」「でもひなんしたから大丈夫だったんだよ」そんな絵を描かせてしまってごめん不安な気持ちにさせてごめん被災地の子どもたちのメンタルが心から心配です
2011/03/29
地震からもうすぐ2週間仙台市中心部のママ実家と兄の家では、電気・水道は復旧していて実家ではオール電化のため調理も入浴も可能兄の家もプロパンガスのため調理入浴問題ないようですしかし郊外の住宅地にあるパパ実家では未だにガス水道が使えず不便な生活を送っているようですそれでも命があって住む家も車もある私達の家族は恵まれているんだと思います★兄の友人が震災直後から動いてくれてトラックを手配して被災地へ救援物資を届けてくれています私達も少しでも・・・と思い近所の友人たちに声をかけたところ我が家だけでもワゴン車3台分の物資が集まりましたスーパーに朝から並んでくれた友人仕事場のスタッフみんなに声をかけてくれた友人自分の絵本を提供してくれた子ども達みんな両手に持ちきれないほどの物資を持って集まってくれましたほんとにほんとにありがとうトラックを手配してくれた浅野くんそれを運転して仙台まで運んでくれたエルラインのみんな仙台で物資の置き場所を提供してくれたクラブ関係者のみなさん現地で仕分け作業をしてくれたみんな被災地まで届けに行ってくれたみんなほんとにほんとにありがとう★石巻に住んでいる友人は津波で家が流されました生後4ヶ月の子どもを連れて着のみ着のまま逃げるので精一杯だったとのこと数日間連絡がとれなくて不安で不安で・・・生きててよかった何もできないけど少しでも・・・と思いさーこのおさがりの服や紙オムツを兄に届けてもらいました友人は「なーんにもなくなって途方にくれてたけどたくさんの支援物資と、元気と勇気をもらいました人のつながりと温かさに涙が出ます」とこういう時だからこそ人のつながり、ほんとに大切に感じます仙台のみんなは協力して助け合って強く生きていますその場にいれないことが悔しいぐらい人を元気にできるのは人だけだと思いますだから無事だった私達が元気をださなくちゃもうむやみに不安に思うことはやめます水道水も飲みます洗濯物も外に干しますセンバツ必死で応援します引越しに向けて準備します誰がなんと言おうと一刻も早く仙台に帰るのだ地震の日にさーこが描いた絵少しでも早くみんなで笑いあえる日がきますように
2011/03/24
弟の友人の日記からの転載です被災地のリアル・・・言葉になりませんでも東北は必ず立ち上がるそう信じています----------以下転載----------これから書く日記は全体公開の日記になります。 みなさんに今の仙台のリアルを発信します。 誤字脱字や、誤った表現、文が読みづらい場合があるかと思いますが余震が続くなか書く故何卒ご了承下さい。 地震の被害は本当に恐ろしい。いや、恐ろしいって言葉だけじゃいい表せないほど。恐ろしいって言葉の一万倍。 まず自分のことを話します。一緒に住む家族、身近な仲間はとりあえずは無事でした。職場、自宅共に仙台市宮城野区新田という場所です。 もともと田んぼ、沼地だったので地盤は緩いものの耐震構造の家が多く、古い家では瓦が落ちたり硝子が割れる程度。古いアパートでは二階の階段から廊下が落ちてない状態...。慌てて飛び出した人はいないといいなと願うばかり。 自宅、会社共に物が落ちた程度でまだ超軽症でした。 仙台新港、その近くで働いて間一髪避難でき生還した友人もいました。彼の話を書きます。 避難できた友人は、10メートルの津波が来るとの情報をすぐに入手し、車で逃げましたが車が渋滞で詰まり始め、車を捨て近くにあるJUSCO多賀城店の屋上に走って避難したそうです。その時にはもう二階三階まで水がきていて、屋上から外を見ると目を疑うような光景が。 大型ダンプやトレーラー、タンクローリーなんかの超大型車両がひっくり返り、車は山のように積み重なり、ガレキや船がごちゃごちゃになっていたようです。仏様になった方もあちらこちらに... 石油コンビナートの火事は目の前でおこり、一面火の海。 この世の終わりだと思ったらしいです。彼は3月26日に結婚式を控えていました。彼女の方も彼と連絡が取れず非情に心配したようです。(互いにiPhoneをつかってます) なんとか生き延び、水が引いてから自力で脱出し生還!! また、津波の影響が凄かった亘理の浜吉田でイチゴ農家をしている母の兄も津波に流されました。 みんなの安否が心配で地震が起こりすぐ従兄弟に電話し、何度かかけたら繋がり無事を確認したら叔父だけ不明だと。そこで電話が切れました。。 叔父は他の家族を避難させ自分は畑に残りました。。叔父にとっては財産そのもののイチゴ畑。それを守ろうとしたのでしょう。しかし、その時には目視できる距離に津波が。叔父は人口股関節が入っていて走ることなんてできません。 体育館二階に避難していた従兄弟とも連絡が途絶え1日経ち叔父はもう望みないものだと思ってました。 しかし今日の昼過ぎに生きていて助かったとメールが!!運転中にそれを聞かされ涙がでました。 ヤバイと思いイチゴのハウスにあがりましたが、それごと流されたらしいです。 ずーっと流されましたが幸いにも障害物に当たらなかったらしく、高い建物の上で避難していた若者二人に救出されたらしいです。 津波が引いてから避難所に自力で向かい家族と対面できたようです。 実はまだ矢本に住む、父の弟家族の安否がとれていません。津波が届く距離に住んでいて無事なのかどうか。。そちらの叔父は自衛官なので、大丈夫だとは思うのですがおばあさんや、ガンを患って治療中の叔母が大丈夫なのかとても心配です。。 どうか、無事でいますようにと祈るのみです。 昨夜の原発爆発での放射能の話をきいたり、余震が続くと動機が止まらず気が狂いそうです。生きた心地がしません。 今日の夕方になり、JUSCOに避難し一命をとりとめた友人がうちに来て会うことができました。 ご飯を食べさせ、先ほど書いたリアルな話をきき、本当に生きていて良かったなーと家族で喜び励まし合いました。 本日夕方津波警報が解除され、彼の車を探しがてら津波に襲われた場所に自分と彼の二人で向かいました。 国道45号を松島方面に進みました。 高砂駅を越えた辺りから自衛隊の車が止まってました。 話を聞くとここから先は行けるが自己責任で行ってくださいとのこと。 まずはどうゆう状況なのかと行けるところまでいきました。 すると45号線中野栄で目を疑う光景が...。 車がぐしゃぐしゃになってひっくり返り、店のショールームにも突き刺さり残骸、ガレキ、ヘドロの山。。 そこからなんとか新港方面に曲がることが出来て、すすみました。 産業道路のパチンコひまわりの所まで行き、車を止め外にでました。 まっすぐ先にはニュースになってる石油コンビナートの火災現場が。燃えてます。なんかね、ありゃ消えねーわって位に。 もうね、、言葉にならないほどの光景。デジカメで納めましたがパソコンが使えるようになったら公開します。。 もう言葉じゃ表現できません。 すごい異臭、残骸。 戦争で爆撃にあったの?と思うほど。 ほんとうに同じ国なの?みたいな。 たまたま消防団の見回りの車が通り話を聞くことができました。 指差されたタクシーには運転手さんが仏様になったままだよと。そこの影にも。あとあそこにも、そこにも...。なんとなく見えるが見ないようにしました... 悲惨すぎ見るのも限界で友達の車も諦め、具合悪くなり、引き返してきました。 警察、消防、自衛隊が手が回らないのも分かりました。あれじゃ、、、。しかもすごい範囲で同じ被害でしょ?むりむり。しばらく地獄絵図のままの地域あると思いました。 あれじゃ何千人何万人いても手つけらんないわ。 今も余震が続いています。 2、3日でまたでかい余震起こるんでしょ? 生きた心地がしません。 でも、生きている以上、生きるしかない! 助け合い、情報を共有し合い生きよう! それしかない!! 俺なんか無傷。ビビってるのがバカらしい。 今もどこかで助けを求めている人がいると思うと、やるしかない!って思えました そして、酷い災害に会わなかった地域の皆さんへ幾つかお知らせあります。 まず、絶対に用意すべき物、あったら必ず役立つ物。 1.ポリタンクに飲み水の確保。20リッタータンク10個あっても足りないくらいです。2.乾電池たくさん、ラジオ、懐中電灯。電池式の照明器具。まず手に入りません。 3.缶詰め、カップラーメンなどの非常食。とにかくたくさん。米は精米してあるもの。 4.現金。 おろせない。停電中はもちろん無理。 5.連絡先一覧記載したノート。携帯電話。 6.薬類、他 まだまだありますがこれらは最低限用意してた方が絶対にいいです。 水、食料、は本当に手に入らず支給をもらいに行くのも一苦労です。 募金などこちらに向けての支援も本当にありがたく助かります。 ですが、募金などの前に絶対に上記の物は手に入れる、今すぐに用意すべき!! いつどこで天災が起こるか分かりません!同じ目にあって欲しくないです。必ず用意して。。うちは水以外は奇跡的になんとか蓄えあって本当に助かりました。 あとは身の回りの整理整頓。自分の部屋、リビングには必要以上に物をおかない方がいいです。夜地震がきたら逃げられませんよ。 まじで。タンス等は必ず固定を!!!これはリアルに自分自身感じたことです。 それと、携帯について。 ソフトバンクは見直す必要があります。全く電話もメールもできない。 ドコモが一番調子良く感じました。続いてau。 機能も確かに今の時代大事です。でも、こうゆう時こその携帯だよね? 今のまま変わらないならばソフトバンクは絶対にオススメしません。 ダサいかもしれないが防水携帯は最高です!!そう感じました。 携帯電話会社はこれから、新機種を次々に生み出し売るだけでなく電波のことに金かけて欲しいと本当に思います。 あと、定時あがりする訳の解らないお役所勤めの公務員は必要以上いらない。まじで。 警察、消防、自衛官を増やすべき!本当に警察、消防、自衛官には頭が上がりまさん。 記憶が確かなら阪神大震災は村山総理(たしか社会党)がすぐに自衛隊派遣させないからあんな火災や被害にあった!!! 今回は割かし直ぐの自衛隊派遣でもこの状況です。本 当に日本じゃないみたい。 マンガです、北斗の拳の世紀末状態。想像できないよね。ハッキリ言って荒れ果てた漫画の世界です。 明日も明後日も余震で寝るに寝れません。 でもやるっきゃない!!前向きに!! 一人でも多くの命が助かりますように。そしてこれ以上犠牲者がでないように。 親父が言ってました。生まれて初めてこんな綺麗な星をみたって。 都会なほうなので星なんか普段みれません。自分は乱視の視力0、07ですが一面の星を確認できます。 夢の中にいるようだが悲しい現実。 何もやらないわけにはいかない。明日から会社の片付けをします。 それができることが幸せだよ。 会社もなくなり仕事もなくなった人たくさんいるんだから...仲間でも何人もいます。。 自分は自営業で鈑金塗装してます。社員も抱えています。 ご覧の通り、車のダメージは計り知れなく仕事あるかもしれませんが。 詳しい方に聞きましたが、ほとんど車両保険では適用ならないとの話です。 津波で流されても、ものが落ちガラスが割れても。全損にもならない。ただのゴミ。 結局半端じゃない数だからキリがないんでしょうね。 まずは、会社を元通りの状態まで片付け、すぐに対応できるように勤めます。 社員にも飯を食わせないかんし!まず、先の事はの時にならないと分かりません! ディーラーもダメージでかいですし。 まず、やるっきゃないですね!! マイミクのみんな!マイミク以外のこの日記を読んで下さった方々、頑張るぞ!!!生きるぞ!! 津波被害にあった現場をみて、これは伝えなきゃと思い日記に綴りました。 まず、これか今のリアルな仙台からのメッセージです。 読んで下さった方や、マイメンみんなの安否も知りたい!みたらイイネでもいいから残してくれ!励みになる! 車や服に遊びに楽しかった日々がうそのようだぜ...そんな贅沢もうしなくていい... 明日も明後日も生きるぞ。つーか、生きてやる。地震なんかに負けてたまっか!バカ野郎!! 災害地すべてに、1日も早い笑顔を。 PEACE
2011/03/14
みなさん大丈夫ですか?みなさんご存知のとおりさーこ家は宮城出身です家族・親戚・友人、たくさんの知人が宮城で被災しました未だ安否確認ができていない身内もいますテレビで流れる映像はあまりにショックで・・・涙がとまりませんいつも行っていた荒浜の海が、野蒜の海が、すべて津波にのまれそこには数百人の遺体があるといいます見慣れた石巻の街が水没しています石巻の友人は無事なのか・・・連絡がつきません家族は皆無事でしたがライフラインがストップしているため不便な生活を強いられています家はぐちゃぐちゃです食料・水足りていません寒さをしのぐための暖房もありません友人からは「お風呂に入りたい布団で寝たい」というメールがきましたそれでもまだ仙台市内はましなほうなのかもしれません未だ救助してもらえず孤立している人達がたくさんいます地方の避難所には物資が届いていないといいます現地の状況が明らかになるたび東京でのうのうと暮らしている自分が情けなくなる何もできないことがつらいただただテレビを見て涙することしかできないただただみんなの無事を祈ることしかできない現地の人々は励ましあい助け合いながらがんばっているとのことほんとは一刻も早く現地に行きたい少しでも力になりたい東北出身者みんなが同じ気持ちだと思いますでも交通が麻痺している以上それはできないし現状私たちが現地入りすることは迷惑にしかならないこともわかっていますこんな気持ちでここにいるぐらいなら一緒に被災したかったとすら思ってしまう先ほど津波に巻き込まれ海で漂流していた方が救出されたというニュースを見ましたどうか、一人でも多くの方の命が救われますように被災した皆さんがなんとかこの状況を乗り越えられますようにただただ祈っていますほんとはブログなんて書いてる場合じゃないんだけどこのやりきれない思いをどこかに吐き出したくてごめんなさい
2011/03/13
ちょっと前に新しい長靴買った気がつけば2歳の誕生日にリアンママにもらった長靴を2年近くはいてたさすがに「きつっっっ」って言われたよね近所の靴屋で買ったから選択肢限られてたんだけど軽くてすべりにくそうでかなり気に入ってますさーこに「新しい長靴どうよ?」って聞いたら「いーねー」って言ってたしかしMサイズですってよいつの間にか大きくなったねー
2011/03/07
3月5日友人宅にて泊り込みたこやきパーティーなぜかたこ焼きに人生を見い出すさーこはもちろんりかさんとかいくんと一緒に風呂に入るかわいいかわいいかいくんやはり生後8ヶ月の赤子のママは聖母のようでした姉弟ってこんなかんじ?出産後初めて赤ちゃんが欲しいって思ったかもきっと仕事辞めたからだな翌日みんな集まってくれてさーこ家さよならパーティー初めて達人Jrが集いました りんちゃんと くうちゃんと同じ年の3人肝心な時に熱を出したりで・・・今回初めて対面できたよ自分たちの子ども同士が遊んでる姿は感慨深く・・・10年前こんな姿が想像できた?かわいいかわいいくうちゃん男の子が欲しくなりました達人のみんな今までもこれからもほんとにほんとにありがとうひと足先に仙台に帰って仙台をあっためておきますいつでも帰ってきてね追伸 寺口家の皆様大変お世話になりました東京来たらまた泊まりにいくよー
2011/03/05
3月3日ひな祭りです今年は7段飾るのを断念いたしました・・・来年からは家が狭くなるので7段はしばらく無理だねおひなさまとある日さーこが何やらおひなさまと会話をしていました「おひなさまは何の食べものがすきですか?」「そうだなーオレはカレーが好きだなー」・・・お内裏様庶民的だな・・・さーこ作おひなさま今年はママがんばりました おひなさま寿司 今日はごちそうちがうがんばったのはパパだったパパは常にデコレーション担当ですおひなまつりということでさーこに絵本プレゼントさーこママは絵本が好きで常に本屋で欲しい絵本をチェックしていますが絵本を買ってあげるタイミングがよくわかりません色気より食い気これからも健康で元気に育ってね
2011/03/03
前の日記でもちらっと書いたように今月末、仙台に引っ越します★東京に住んで7年ぐらい?東京に出てきた時からずっと住むつもりはなくて魂は仙台に置いてきたままだったその気持ちはさーこが産まれてからますます強くなって大家族で育った私は子どもを核家族で育てたくなかったし一緒に住むことは無理でもじーじやばぁびぃやバーマやみんなの愛情をいつも感じる距離にいさせてあげたかったそれに田舎で育った私たちには東京のペースが少々しんどくなってきていてどこに行くにも人が多くて渋滞してて都会を避けて海に行くにも山に行くにも渋滞人人人・・・疲れちゃうよねもっと余裕を持って生きていたい朝起きて天気がいいからふらっと海行ってふらっと山にドライブ行って・・・仙台ならそんな生活ができる物も情報も少なくてもいいよ寒いのは・・・ちょっとやだけどみんなのそばでゆったりマイペースに生きていきたいのです★でも今や地元の友達もほとんどが東京にいてこっちでも大切な友達ができて離れるのは寂しい新しい生活への不安もありますでも私達にとっても家族みんなにとってもこれが最善の選択だと信じていますさーこも仙台での生活を楽しみにしてくれてるよさーこが「せんだいの家族はバーマとかっちゃんとりえちゃんととらきとかちゅとひろくんとかおりちゃん!」って言ってた早くみんなのそばで暮らしたいね早くこうちゃん達も来るといいねとりあえず3月29日、引越しがんばります
2011/03/02
さーこママ、2月いっぱいで仕事を辞めました今月末仙台に引っ越しますさーこは今月いっぱい保育園なので数年ぶりの家で一人の時間を過ごしていますが何をしていいものやら仕事してないと1日って長いのね★思えば3年間、フルタイムで働いてとにかく毎日時間に追われて時間がなくて当たり前のことが当たり前にできてなかったんだなって実感します実家も遠く自分とパパ以外誰も頼ることのできない状況の中でフルタイムで働くことは毎日ギリギリの生活でした19時のお迎えに間に合わせるためには絶対に残業はできないどんなに忙しい状況でも時間内に片付けなきゃいけない残業できれば楽なのにって思うこともたくさんありました自分も子供も病気にならないよう体調管理には気をつかって・・・幸いさーこはほとんど病気しない子ですがでもそうして3年間仕事を続けられたことはあたしにとってひとつの自信につながった気がします幸い仕事でも評価してもらうことができました小さい子供がいたってちゃんと働くことができるって実績をつくることができましたこれは次のキャリアのためにも無駄にはならないと思いたい支えてくれた全ての皆さんに感謝します★とりあえず保育園お迎え行ってきます
2011/03/01
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