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今日、突然臨時ボーナスが出た。(^。^)黒字決算だったらしい。5年位前だったろうか。不景気でボーナスが出ない時もあった。儲かるようになったら還元すると言っていたので、まだ良心的な会社かもしれない。思いがけない収入に奥さん大喜び。早速日記に書こうと思ったが、なんとネットにつながらない???何かがこわれた。何?いろいろ調べたが、どうやら電話回線からADSLの信号が来ていないようだ。NTTのサポートセンターは24時間受け付けと書いてあったが、TELしても「大変混み合っています・・・」の連続。くっそー!電話はつながるので、ダイヤルアップ接続に急遽変更。つながったけど、やっぱり遅ーーい。今日は写真は大変そうだ。明日はつながってくれー。(>_
2005/03/31
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メカ好き・車好き・バイク好きの僕はちょくちょくレースを見に行った。ここは新潟県間瀬サーキット場。弥彦山の近く。コース1週約2km。カーブ数22、高低差28.9m。レース場の中では、農家の人達がレース中にもかかわらず、畑仕事をしている。この時はずいぶん修繕され、農家の人達はサーキットの下をくぐり抜けれるようになっていたが、確か1981年にはスタート間近に、ばーさんが野菜をかかえてサーキットを横切っていたのを見た事がある。タイトなコーナーがたくさんあり、ストレートらしいストレートがあまり無かった。にもかかわらず、ゼロヨン大会を見た事がある。ゼロヨン終点近くにコーナーがあり、すげー度胸と技術が必要だと思う。でもここ、草レースみたいなのをよくやってておもしろかった。帰り道、物足りなかったのか、なぜかゼッケンをつけたままの車が何台もカッ飛んでいった。今もやってるんだろうか。久々に見に行きたい。
2005/03/30
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みんなで探していたつぐみちゃんが無事帰宅したそうですー。http://blog.livedoor.jp/haneda2/よかった。よかったー。本当によかったーーー。リンクをはってくださった皆さん、心配していた皆さん、カンパーイ!!
2005/03/29
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レース中盤、トイレの帰りだったか、何やら人だかりが・・・?のぞき込んで見ると、特設ステージでレースクイーン達の紹介をやっていた(^。^)ギャラリーがすごくてよく見えない。でもこの頃はもう望遠レンズを装着した一眼レフに買い換えていた。 硬派な僕にはあまり興味は無かったが、みんなの為に撮って行くことにした。(うそつけっ!)ファインダーを覗いた瞬間から、何かが僕にとりついた?おまけにこの頃になるとカメラも全自動になり、勝手にピントは合うわ、露出は合うわ、本人の意思に関係無く勝手に被写体をとらえ、勝手にシャッターがきれる。恐るべし全自動ハイテクカメラ!(んなわけねーだろっ!)このおねーさん達は今どうしているだろう。いまでもレースクィーンをしているだろうか?(それはねーだろっ!)この輝いていた頃を一生の宝物として、「これ、おかーさんだぞっ」っと子供に自慢していればいいと思う。このレースで撮った写真は300枚以上。一冊のアルバムにしてみんなに焼き増し依頼の回覧をしたところ、ほぼ全員が一冊丸ごと焼き増しした。焼き増しだけで6万円くらいかかった。お店の人がダンボールに入れて運んできた。より分けが大変。みんなじっくり何度も全ページをめくっていたが、しまいにはレースのおねえさんしか見なくなっていた。(バイクも見ろよ~!)ん~、いい夏だった。(^。^)
2005/03/28
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とにかく場所取りが大事。今回は過去に来た者がいたので、助かった。全員がとりあえず座れる場所を確保!入場し、コースの周りを偵察。当然金網が張り巡らされていて、中には入れない。金網には所々、直径10センチ位の穴が空いているところがあった。最初は何の為のいたずらかと思ったが、あとでやっとわかった。レースが始まると、そこからカメラのレンズを突っ込み撮影している人達がいた。なんてマナーの悪い!!と思いつつ、僕も穴を見つけては撮っていた・・・^_^; 暑い!すごく暑かった。まさに過酷なレース。選手達は技術だけでなく、体力もすさまじいだろう。一時間も経つと順位がさっぱりわからない。場内中継がたより。日が落ち、マシンのライトが点灯され、暗闇の中をものすごいスピードで光が走り抜けていった。そしてチェッカーフラッグ。応援していた平選手チームはリタイヤだったと思う。残念(>_
2005/03/27
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バイクに乗るようになってからレースも好きになってきた。今日は友人6人と鈴鹿サーキットに出かけた。この頃、TECH21が流行っていて、僕もこの色が一番好き。詳しくは、またこの次。んで、おまけ。詳しくは、またこの次。
2005/03/26
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今日は晴天。絶好のツーリング日より。バイク仲間3人とツーリングに出かけた。 岐阜県、富山県をまたぐ国道156号線。通称イチコロ線。交通量が少なく、大小さまざまなコーナーが連続して続いたかと思いきや、見通しの良い直線もあり、走り屋に好まれる道。ショップの常連達だが、いつものツーリング仲間とは少し構成が違う。他の三人は何度か来たことがあると聞いていたが、僕は今日がはじめての道。お天気がとっても良く、気持ち良く健全なツーリングを楽しんでいた。・・が、コーナーが連続し出し、先頭が走り屋に変身し始めた。一人が始めるとみんな変身。ヘルメットごしにわずかに見える目が妙にとんがっていた。この頃だったかなー?バリバリ伝説っていうマンガが流行っていたと思う。みんなそれになりきっていた?コーナーリングは楽しいけど、のんびり景色を楽しみながら走りたい。ついていけないし、スピードを落とそうと思った矢先、思ったよりも深ーいブラインド+ヘアピンコーナー!!タイヤ滑ってコケたー!!バイクもろとも完全に反対車線に到着ー。幸いカート用のつなぎを着ていたのでけがは無かったが、車が来ていたらただでは済まなかっただろう。低速コーナーだったのでバイクのダメージも少なかった。よかったー^_^;過去にも似たようなコケ方をしたことがあるが、その時はビニジャンを着ていて、肩から背中までやぶれ、けがをした。今でも傷がくっきり残っている。その教訓を生かし、コケてもけがをしにくい服を着用していたのが幸いした。子供達がバイクに乗るようになったら、こんなところに気をつけてやろう。
2005/03/25
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1000アクセスのお礼に訪問したら大変な記事がありました。アクセスして頂いた方、ここを見て、ご協力願います。http://blog.livedoor.jp/haneda2/
2005/03/24
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おっとうっかり忘れるところだった。最初に乗ったHAWK3のエンジンが調子悪く、しょっちゅう片排になり、安心して乗れなくなってきた。丁度中古車が出てきたので思い切って乗り換えた。またHOWK3! 同じバイクなのに排気音がちがう。ずいぶん軽い音になっていた。少しづついろんな部分が変わってきたのだろう。日帰りだったが、初めてのソロツーリングだったと思う。事故ったらどうしよう、道に迷ったらどうしようの不安と戦いながら海岸線をひた走る。ペース配分が乱れてきてどんどんスピードが上がっていた。休憩のタイミングも自分だけだと思うと、つい、ほとんど取らなくなっていた。何度か危ない思いをした。道も何度か間違えた。頼れるのは自分のみ!ソロツーリングは自分を磨くのに最適だ。子供達もバイクに乗るようになったら、ソロツーリングをたくさんさせよう。
2005/03/23
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1983年佐渡島に親友とツーリング。 俺のFXと親友のCB750F。突然思いつきで、佐渡島へツーリングに行く事にした。直江津港からフェリーで2時間。このツーリングで、初めてフェリーに乗り、フェリーの気持ち良さを知った。波音を聞きながらゆっくり流れる時間が心地よかった。新婚旅行はフェリーでと決めた根源はここにある。今でも大好き。大型客船でカリプに行ってみたい。・・・夢。佐渡のどこへという目的は無かったが、海を見ながらのんびりと走るのが好きだったので、一泊2日で島を一周した。お天気も最高でツーリングの醍醐味を満喫した。僕はこの頃、仕事を変えた。新しい会社に入りこの親友と出会った。どれほど世話になったことか。そのうち親友は会社を辞め、貿易関係の会社を立ち上げた。それからは合う機会も無くなり、年賀状だけの付き合いになってしまったが、ある日突然亡くなったと連絡が入った。持病を持っていたらしいが、悪化したとの事。ショックだった。ちょうどこの頃だったろうか、僕は小さなバイクショップの常連だった。いつものように常連達とはしゃいでいる隅の方に制服姿のおとなしい女子高生が座っていた。このショップ社長の奥さんの妹らしい。家まで帰る足が無いので、奥さんの仕事終わりを待っているらしい。奥さんからバイクの後ろに乗っけて家まで送るよう頼まれたが、硬派の僕は断固拒否!ショップの軽トラで送り届けた。この時、誰が予想しただろうか。この子と北海道新婚キャンプをするなんて!^_^;
2005/03/22
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当時、中型免許しか持っていなかったくせにマルチシリンダーのバイクが欲しくなった。でもその時中型免許で乗れるのはHONNDA CB400FOURとKAWASAKI Z400FXぐらいだった。友達が400FOURに乗っていたのでたまに借りて乗っていた。あれもいいバイクだったが、DOHCエンジンの形が好きで、何とかFXを手に入れた。(中古)当時まわりには暴走族用のイメージがあるようだったが、全然そんなことはない。暇さえあれば磨いていた。磨いている時が楽しくてしょうがなかった。カワサキらしく、他のバイクに比べてごつい造りだった。車重も200kあったと思う。サイドスタンド1つ見ても他のバイクは軽量化の為にパイプの加工品を使ってあったと思うが、重く、ごつい部品が使われていた。フロントフォーク径も同クラスよりも1周り太かった。このあちこちのごつさが気に入った。優等生らしさを感じるHONNDAに対し、荒削りな印象のカワサキだったが、それが好きだった。このバイクでたくさんツーリングに行った。またの機会に綴ろうーと。
2005/03/20
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どさくさにまぎれて25年もさかのぼってしまった。当時の愛車CB400N・通称ホーク3。 当時メカいじりが好きだった僕は車とバイクに夢中になっていた。高校の時、禁止されていた原付免許をこっそり取得し、友人からオフロードバイクを買った。ここから一気に行動範囲が広がり、今となっては考えられない程遠くまで出向くようになった。帰りが遅くなり、多分親はずいぶん心配しただろう。ごめんなさーい。働き出してからはやはりもっと大きなバイクに乗りたくなり、友人から結構ボロなCB400Nを買って自分で塗装し直した。強烈な加速のとりこになり、今から思うとよく死ななかったなと思うことがたくさんある。バイク乗りはきっと誰でもそうだと思う。この時期がきっと一番危ない時期ではないだろうか。でもバイクの良さはいろいろある。次に目覚めたのはツーリングだった。気の合う仲間3~4人でツーリングに行くのがすごく楽しかった。今は全く見かけないが、当時ツーリングバイクがすれ違う時にピースサインを交わしていた。はじめてピースサインを交わした時はすっごくうれしかったのを憶えている。どーして無くなったんだろう。残念・・・あるのかな?知らないだけなのかな?当時、このCB400NとフェアレディZにバイクと車の雑誌、車検代で給料のほとんどが無くなった。若い時はそれでいい!!今でもそう思う。やがて息子達も同じ事を考えるのだろうか。快く理解してやろう。
2005/03/19
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ずっと昔の頃を思い出して綴ろうと思ってはじめたのに、あっという間に現代になってしまった。いかんいかん。はじめてはっきりと将来の夢が芽生えたのは小学校高学年だった。車に乗るのは好きだったが、車自体には興味は無かったと思う。いつものように兄と一緒に銭湯へ行く途中だった。後ろから見た事も無い美しい形の車が横をすり抜けた。目の前のT字路をすごいスピードで直角に曲がっていった。カッコ良かった。体中が熱くなった。目に強烈に焼きついた。その瞬間から大人になったら絶対あれに乗ると決めた。どうやって調べたか憶えていないが、フェアレディーZという車だと知った。超田舎だったので、それっきり当分見ることは無かった。中学生になってからはプラモデルをたくさん買ったのを憶えている。その頃からメカいじりが大好きになり、なんでも分解した。その影響で工業高校へ入学。ますます機械いじりが好きになり、バイクや車に興味を持出した。ここでも夢は変わらず、早く近づきたいと思うようになった。高校卒業後、念願の日産ディーラーに就職。しかし、当時2000ccで2人乗りの車に乗ることは常識から外れていた。親に相談したところで反対されるだろう。でも絶対ほしい!勇気を持って話をしたところ、「自分の給料で買うんだから、好きな車を選べ」(^o^)/遂に中古車を購入。初めて運転した時の感動と充実していた毎日を忘れていない。現在は手放してしまったが、じーさんになる前にもう1度乗ってやる!
2005/03/18
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今日は久しぶりのほんとの休み(^。^)。うれしくてしょうがない。2年前から息子二人にスキーを習わせた。1シーズンに2~3回しか行けないが、現在二人共リフトにのって滑ってこれるようになった。でも自分の体験から、少し滑れるようになった時点でスケートにいけば上達が早いと感じていた。スキーにしろスケートにしろ基本は体の重心移動だ。朝、子供達に「スケートにいくぞー」と言ったら大はしゃぎしていた。僕自身、スケートをするのは、ナ、ナント15年ぶり!当時、はじめたきっかけは忘れたが、動機は不純だったような気がする。しかし滑れるようになってくると夢中になり狂ったように滑りまくったのを覚えている。ちゃんと滑れるかちょっと不安^^;子供達は初めてとあって不安よりも好奇心の方が強いので車で移動中ずーとはしゃいでいた。40分ほどで到着。15年前はわりと綺麗だったが、さすがに古くなっていた。室内はレイアウトすら変わっていない。スケート靴をはかせ、ゴム床で歩く練習をさせた。予想以上にすんなり歩けたのでいよいよスケートリンクへGO!今日は歩けるようになるのが精一杯かなと思っていたが、1時間程で手を離しても滑れるようになってきた。転んでばかりで帰りたいと言うかなと思っていたが、汗だくになりながら転んでも転んでもまだまだ滑りたいと言っていた。スキーもおもしろいと言っていたが、スケートはもっとおもしろいと言われて意外だった。さすがに2時間を過ぎたあたりで足にきたようだ。今日はこれまでにしておく。お父さんの方は、体は忘れないもので、以前とほぼ同じ状態で滑れたと思う。まだまだ若いっ!!3人共大満足でした。お母さんの方も今日は家で自分の時間が持ててうれしいと言っていたが、ちょっぴり寂しそう。今度はお母さんも連れて行く。 そういえば少し思い出した。スケートを始めたきっかけは昔好きな子がいて、自分は滑った事も無いのに「スケートなら俺にまけせとけ!教えてあげるよー」と言ってしまった手前、必死に練習したような気がする。その子が今の奥さんだったような気もしてきた・・・・??^^;
2005/03/13
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今週は、先週仕事を休んで遅れた分を取り戻そうとがんばってはみたものの、やはり簡単には取り戻せない。体がなまったのか夜9時前になると動きが悪くなる。家に帰ってもくたびれて、本でも読もうものなら3ページ読まないうちに眠ってしまう。ホームページの勉強をしようとパソコンに向かっても、1分考え事をすると椅子の上で眠ってしまう。眠れないと言う人がちょっとうらやましい。それでも自由な時間はこの時間しかない。がんばろーっと!今日は僕の1番のお気に入り・オプティマス1200をご紹介(^。^)。灯油ランタンでオールブラス製。磨き込んだ後の様子はほとんど仏具!キャンプ仲間には俺がポックリいったらちょうちんの代わりにこれを燈してくれと言ってある。・・・(これ本心)プレヒート(予熱)してやらないと調子が悪い。プレヒートから本点灯に切り替える時の絶妙なタイミングが好きだ。ガソリンランタンに比べて、少し静か。かすかなコォーという音が好きだ。また、すりガラスに映るわずかな青みを含んだ火の色が好き。中型ランタンのくせにいつのまにかテーブルランタンになっている。それだけ光がやわらかい。僕はこの光にはまってしまった。ずーと一緒に付き合いたいし、子供たちにも受け継いでもらってほしいと思っている。あ~キャンプが待ち遠しい。
2005/03/10
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土曜日にはようやく出勤できるほど体調が回復した。分かってはいたが、会社へ行くとたまった仕事の山・山・山・・・・^^;。とても消化しきれず、日曜出勤(>_
2005/03/08
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昨日の夜は熱が下がって喜んでいたのに、朝起きてみるとなんか体がへん!また38度近くまで熱が上がっていた。もう寝ているのもいや(>_
2005/03/04
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先週の金曜日から家内がインフルエンザにかかり、寝こんでしまった。子供たちへの被害拡大を気遣い、土曜日には入院した。家に残っているのは子供二人とじーさんと僕。なんとか自分達で家事をやりくりしようとがんばってみたが、やはり大変。食器洗いはバーベキューの時などで教えたかいがあり、子供達も喜んでやってくれた。食事が大変でうちの場合、好き嫌いが激しく、一人一人メニューがちがう。親戚から煮しめやみそしるを分けてもらい、助かった。洗濯は出張で鍛えられたのでなんとかなった。そうこうしている間に小学校1年生の次男が日曜日に熱を出した。急いで医者に行ったが廊下まで人があふれている。息子もそうだったが、ほとんどがインフルエンザらしい。こうなると家事のやりくりが一層大変。親戚の応援もあって助かったが、はるかにこれ以上をいつも一人でこなしている家内は本当に大変だと痛感した。職をもっていて働きながらの主婦は想像を絶する大変さに違いない。そして火曜日、まだ回復しきっていない家内だが、退院することになった。とその日になんと今度は僕が熱を出してしまった。小学校5年の長男は家内が熱を出す一週間くらい前に風邪をひき、2日ほど寝こんでいた。それで抗体が出来たのか、今のところインフルエンザにはかかっていない。あと熱を出していないのは80歳のじーさんだけだ。弱そうで強いようだ。僕は二日間寝こむはめになり、また家内はボロボロの体で家事に戻っていた。熱が下がった今、あらためて家内に感謝し、月に1度は家事を一切しなくてもいい日を作ることにした。みなさんインフルエンザには気を付けて下さいね!
2005/03/03
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