星の街仙台★伊達政宗が隠した六芒星

星の街仙台★伊達政宗が隠した六芒星

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

hachiyo

hachiyo

Calendar

Archives

2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2025.12
2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2011.10.15
XML
カテゴリ: 富谷宿




バイパスからほんの少し入ったところにある熊野神社は、現在地よりも東にあったのですが、政宗公の命によって「富谷宿」が開設されたときに富谷の玄関口としてここへ移されたのです。

街道を旅する大勢の人たちが、まずは熊野神社で参拝してから宿場へ入る、ということでしょう。

IMG_0226.jpg

IMG_0236.jpg

熊野神社の前のT字路を右折すると宿場になります。

IMG_0221.jpg

IMG_0224.jpg

―富谷宿は、元和4年(1618)に政宗公によって町場とされ、元和6年(1620)検断や肝入りを務めた内ヶ崎家が本陣を仰せ付けられた―

という説明板が立っています。

―内ヶ崎家の初代・織部は、宿場町「富谷宿」の発展に尽力した人物であり、寛文元年(1661年)に仙台藩の命を受けて酒造を創業し、現存する酒蔵では宮城県最古です―
主力銘柄の「鳳陽」は全国新酒鑑評会で何度も金賞を受賞している宮城の逸品です。

IMG_0220.jpg


ここで私が気になったのは、宿場として開設された年号です。



このころ仙台でもキリシタン弾圧が激化し、遣欧使節が帰国するのはあまりにも危険だと判断した政宗公が、横澤将監を迎えにいかせ、帰路の途中フィリピンに寄って帰国のタイミングを調整していた。

2年後の1620年に常長一行が帰国し、同時に家康の七男忠輝と離縁させられた五郎八姫も仙台入りします。

キリシタンの五郎八姫とローマ帰りの常長キリシタン一行。

五郎八姫はすぐに仙台城本丸の西舘に身を置き、政宗公没(1636年)後すぐに愛子(あやし)の栗生西舘に移りました。


遣欧使節の帰国後の消息は一切不明。

一説では帰国2年後の1622年に常長は病死したことになっていますが、政宗公のはからいで大郷町(富谷町の隣町)に隠れ住み、天寿を全うして84歳で死んだとされます。


イタコ的仮説ですが、富谷宿が遣欧使節を受け入れるために用意された宿場だったとすれば、年号的にはつじつまが合います…












お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.03.31 11:58:34
コメントを書く
[富谷宿] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: