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昨日は午後から喫茶店である人と待ち合わせをしていました。その方はくらさん関係の方で先月一度くらさんの愛知刈谷市での講演会でお会いしたことがあるCさんです。講演会後の懇親会で私が作ったバッグを購入していただき、その後インスタのDMからご連絡をいただいて「もう1つ明るいクリーム色のバッグが欲しいので作って下さい」と頼まれていました。昨日はそのバッグをお渡しするために喫茶店で待ち合わせをしたのです。喫茶店前ですぐにCさんだとわかりさえパパも一緒に3人で喫茶店に入りました。そこで私が作ったカスタードクリーム(鮮やかな黄色)とバニラクリーム(落ち着いたクリーム色)のバッグ2つをお見せしてどちらがいいか選んでもらいました。するとCさんは鮮やかなカスタードクリーム色の方を「可愛い!!」と選んでくれました。明るい色がお好きな方でした。私達は喫茶店で1時間くらい珈琲を飲みながらお話ししました。私は超人見知りなのでほぼ初対面の方を目の前にするとすっごく緊張してしまうんですが、Cさんはとっても話しやすくてお優しい方でした。喫茶店を出てCさんはすぐお近くのご実家へ向かわれ、私達も車に戻って帰ろうとするとき、喫茶店でCさんからさりげなくいただいた封筒の中身を見たらたくさんお札が入っていてビックリΣ(゚Д゚)慌てて走って追いかけてCさんにそのことを伝えると「にじいろ会の活動に役立ててもらいたいので寄付します」と言って下さってまたビックリ\(◎o◎)/!Cさんありがとうございます!!本当に世の中にはお優しい方がたくさんみえることに心から感謝しました!!これもくらさんがライブ配信などでにじいろ会のことや私たちの活動についてよくお話しして下さる事や、講演会の最初ににじいろ会の動画を流して下さってご支援を呼びかけて下さるお蔭様なんだと思います。くらさんが素人の私のバッグを講演会限定で販売しようと提案して下さったのもそのためだと思います。そしてその他にも様々なところからにじいろ会の活動を知って下さって、Amazon「みんなで応援」プログラムでからご支援品を送って下さる方々も最近とくに増えてすっごくありがたくて感謝しています。私はにじいろ会を立ち上げた時は全部自己資金で材料を買い経費も支払って活動を始めました。でもある時ボランティアの先輩から「全部自己資金だと活動は長く続けられないよ!!せっかく社会の為になる良い活動なんだからボランティア活動を長く継続するためには正々堂々と胸を張ってご寄付やご支援を募った方がいいよ」と教えてもらいました。私は人から物やお金を恵んでもらうことに最初はとても抵抗があったのですが、Amazon「みんなで応援」プログラムで材料のご支援や企業などからの助成金などたくさんの方法を知り、皆様からにじいろ会へご支援をいただくことは決して悪いことではないんだと知りました。これは個人的な私利私欲の為ではなく、社会へ交通安全を呼びかけるための必要な活動なんだから!!そして皆様からのあたたかいご支援に支えられて私たちの活動が継続できることは、私達だけではなく皆様からの想いや願いも背負ったかけがえのない活動なんだととても心強く勇気をいただくのです!!だからこれからも頑張ろうと思えるのです。これはご寄付やご支援だけではなくボランティア活動やストラップ作りをお手伝いして下さるメンバーさんや大勢の方々にも私は物凄く助けられて心から感謝しています!!娘を亡くし加害者や司法の理不尽さを恨み生きる希望すら失っていた私達が、勇気を出して一歩踏み出したらそこにはあたたかくて優しい人たちに出会えて支えられて前に進んで来られたことに本当に感謝しています!!波乱万丈の私の人生がこんな風に「感謝でいっぱい!!」の生活になるなんて夢のようです。みなさん本当にありがとうございます!!これからもどうかよろしくお願いいたします!! 今日は午後から安城ボランティア活動を行います。実は今日は4組(5人?)の方々が初めてボランティア体験にみえる日です💦どうなる事かと不安でしたが4人のメンバーさんが参加して下さるので一安心です(^-^)少しづつ少しづつこの活動を知って興味を持ってくださる方が増えることは本当にありがたいことです!!心を込めて対応させていただきたいと思います。そして夕方には京都からたっちゃんご夫婦が名古屋へ用事で来る帰りに、我が家へストラップを作る練習に来てくれます。みなさん本当にありがとう(≧▽≦)(さえりん4歳4カ月 次女の2歳のお誕生日に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月15日
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もうすぐ父の日がきます。私は母の日も父の日も心がとってもナーバスになるので苦手です。記念日反応なのか心がすっごく不安定になって今年の母の日にはさえパパと大喧嘩してしまいました💦父の日は、5年前「父の日にはパパに洋服をたくさん買ってあげるね」と約束していたさえりんはその約10日前に亡くなり、最後の父の日は来なかったという哀しい想い出が蘇るから切なくなるのです・・・(>_<)何年経ったらこの記念日反応の呪縛から逃れることができるのでしょうか??きっと私が死ぬまで一生背負っていく重い十字架のような気がします。 昨日ハピさんのブログにお父様との思い出が書かれていて、私も亡き実家の父を思い出しました。私は実はすごくファザコンでした。というより2歳まで父親がいない生活をしていたので「お父さん」という存在に過剰に憧れていたんだと思います。実の父親はまだ生きていると思いますが私は一度も会った覚えがありません!!私が生まれる前に養子が嫌で母と私を捨てて家を出ていった人ですから。別に恨んではいませんが、だから今でも私は無責任な男が死ぬほど嫌いで軽蔑しています!!その後、私が2歳の時に母と結婚し(実家の養子に入って)私の義理の父親になってくれた人が、今は亡き父なのです。父とは思い出がたくさんあります。私は父親ができたことが嬉しくてべったり甘えていました。すぐに私の3歳下に妹が生まれ、4歳下に弟が生まれると私は父を取られたくなくてわざと気を引くためにいたずらしていました。お給料日になると当時は手渡しのお給料だったので仕事帰りにお給料袋を開けてパチンコでたくさん使ってきて母に酷く叱られていましたが、子どもたちにはパチンコ屋でチョコレートをもらってきてくれるので嬉しかったです。私は父が本当の父親ではなく義理の父だと子供のころから祖母に聞かされて育ったのでちょっと寂しかったですが、父は私のことも他の妹弟と分け隔てなく可愛がってくれたので大好きでした。私が結婚するとき挨拶に来たさえパパに父は「返品は不可だからな!!」と言いました。そのときの様子は今でもさえパパと笑い話になっています(⌒▽⌒)そして私が悩んでいた結婚式の招待状には「養女」ではなく「長女」と書けばいいと言ってくれたことが、本当の娘になれたみたいで嬉しかったです!!一番の感謝は、次女を妊娠中に私の卵巣がんの再発が見つかり嫁ぎ先の義両親やさえパパからも次女を産むことを反対されてすぐに中絶して治療をしなさいという圧力を押し切って次女を無事に出産できたのは、私が家出覚悟で1人でさえりんを育て次女も産もうとしていた時に最初に味方になってくれたのがこの実家の父でした。父は「お前は今までずっと人の意見なんて聞かずに自分が好きなようにやりたいように生きてきただろう。それでいいんだよ!!お前が産みたいと思ったならこの子は産みなさい。娘は好きなように生きればいい。その責任をとっていくのが親だから。もしもお前が病気で死んでしまったら紗愛理と生まれた子は俺が面倒みるから、お前は思ったように生きなさい」と背中を押してくれたのは父でした。それで私は覚悟が決まりました!!今となってはあの時もし次女を産んでいなかったら、さえりんを交通事件で亡くした今私はもう娘たちの後を追いこの世にはいなかったでしょう・・・本当に私が実の父親になんの興味もなく恨んでいないのは、育ての父親がすっごく素敵な人だったからです!!私はこの父に育てられて幸せでした!!父の日が近くなるとさえりんとさえパパのことで哀しく虚しい気持ちになったり、実家の亡き父のことを思い出してほっこりあたたかい気持ちになったり感情が忙しいです。私の人生は山あり谷ありで波乱万丈??ですが💦でも辛い出来事の後には必ず手を差し伸べてくれる優しい人が現れるのです!!本当に「捨てる神あれば拾う神あり」なのです。これが私の人生の教訓です。その通り今もさえりんを亡くした私たちの元にはたくさんの「拾う神」のような優しい方々に支えられて生きているんです。みなさん本当にありがとう(⋈◍>◡<◍)。✧♡(さえりん4歳3カ月 幼稚園の運動会part4)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月14日
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昨日も家でハンドメイドをして過ごしました。外は暑くてお散歩に行く気にもならず最近は家で過ごすことが多いです。さえパパもいつもはパソコンをやっていたりテレビを見ているのですが、昨日は私の助っ人!?をしてくれました。それはクラフトバッグにおまけでつけるチャーム作りを手伝ってくれました。さえパパが最初はボンドが手に付くから嫌だとか文句を言いながらでしたが、そのうち率先して作ってくれたのはクラフトテープで作る薔薇です。この薔薇は簡単で真ん中の芯の部分は私たちがストラップでやっている花編みを長めのクラフトで作って残ったテープを前と後ろに交互に反時計回りと時計回りの順に5回巻いて最後にボンドで止めて、緑色のクラフトで葉っぱを作って紐をつけたら完成です。さえパパは葉っぱの形を工夫してリアルにしたり、薔薇の色を3色で色違いにしたりカチッとしっかり作り最後のあまりのクラフトをカットした部分が目立たないようにと工夫をして作ってくれました。やっぱりさえパパの作業は細かくてこだわりを持っていて男の人だなあっと思います。私はいつもいい加減で大雑把になんとなく手早く作ってしまうんですが、さえパパは丁寧でこだわりを持って作るのでとっても綺麗にできますが時間もかかります。こういうところが私と大きく違います。さえパパのそういうところが心がこもっていてとっても良いところです!!昨日は1日ずっと薔薇を作ってくれました。(さえパパがクラフトテープで作った薔薇のチャーム) 私たち夫婦は性格やタイプが全然違うので、嚙み合わない夫婦です💦だから喧嘩になることも多いし、大きな声で怒鳴り合いになることもあるし、私はどうしてこの人と結婚したのだろうか??と疑問に思うことも時々あります。さえパパはどっしり構えていて慎重で真面目な性格で自分が特に興味があること以外は自分から何かにチャレンジしたりはあまりしません。丁寧できっちりこなすタイプで曖昧やいい加減なのを好みません。完全に守り型のタイプです。奉仕の精神はありよその人に対してはサービス精神が旺盛ですが、家では何もしないので私はそれが不満になり時々「さえパパは外ずらだけが良い人だ!!」と嫌味を言ってしまうんです(^-^;私はメンタル的な浮き沈みはよくありますが基本的には思い立ったらすぐ行動したいせっかちな性格です。やらない後悔よりまずやってみて失敗したらそこから学べばいいと思う性格です。大雑把でいい加減ですがなるべくクオリティを高く素早く生産性を求めるタイプです。人に喜んでもらいたいという奉仕の精神も持っています。本来持っている性格は活動型なのです。メンタル的な問題で落ち込んだり表に出ることが怖くて臆病になることも今ではよくありますが💦こんな噛み合わない夫婦ですが、もう27年間一緒にいます。それはお互いの忍耐あってのことですが、こうしてお互い性格が違うからこそ補い合って助け合えることもあるのです。だから今では「ありがとう」の気持ちで生活できることに感謝しています。まだこれからもいろんな場面でたくさんムカッとしたり喧嘩もすると思いますが、長く楽しく一緒に過ごせたらいいなあ。さえりんも私たち夫婦が仲良くしている姿をきっと望んでくれているよね。(さえりん4歳3カ月 幼稚園の運動会part3)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月13日
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「お天道様に恥じない生き方をしなさい」これは祖母に教えられたこと。子供の頃、両親が共働きだったので私と妹と弟の3人は昼間毎日、祖母に面倒を見てもらった。私はお祖母ちゃんっ子で夜寝る時もいつも祖母と一緒だった。だから、祖母からたくさんの事を教わった。祖母は明治生まれの人で子供のころから片親で苦労して育ち戦争も乗り越え大変な思いもしながら、家族のため強く逞しく生きてきた。祖母の経験豊富な言葉は子供だった私の心にも深く響いたのです。「人間にとって一番大事なものは信用。 人は信用を無くしたらこの世では生きていけないんだよ」「今の状況から逃げても、結局また同じ状況に陥る。 人は嫌なことから逃げる事は出来ないようになっている。 それは人生が修業だから。修業を放棄したらまともな人間になれないよ」「お天道様に恥じない生き方をしなさい。 自分の胸に手を当てて耳を澄まして、良心に尋ねる事。 人に後ろ指を刺されるような、お天道様をまともに 仰げないような生き方だけはしてはいけないよ」祖母の教えは私の心の中にしっかりと根付き、それが生きる指針になっていた。私自身はその教えを守って健全に日向の道を生きてきたつもりだった。だからかわからないけど、今まで出会った方々はほとんど倫理的で素敵な方が多かったと思う。そして、今このブログを通して出会った方々も本当にお優しい立派な方々ばかりです。それなのに・・・突然奈落の底に突き落とされてから理不尽で到底納得なんてできない現実に悩み、苦しんでいる。どうして人は罪を犯すんだろうか??どうして人はついうっかりで簡単に人を殺してしまうんだろうか??どうして人は自分の犯した罪を正直に認めず、保身に走るんだろうか??どうして人は自分が幸せになれれば人を犠牲にしても構わないと 思うのだろうか??どうして人は信用を無くしても生きていけるなんて思うのだろうか??どうして人は悪いことやズルいことをしてもそれを恥ずかしいとも思わず 堂々と生きていくことが出来るんだろうか??どうして人は罪を犯しても自分の良心が痛まないんだろうか??今までの私には理解不能な現実が襲ってくる。私は、こんな酷い目にも、酷い人にも会ったことが無かったから、世間知らずで平和ボケでのうのうと生きていただけだったかも知れない。こんな過酷で厳しい現実を前に、私は未だどうしていいかわからない。いくら自分の胸に手を当てて良心に尋ねてみても、答えは見つからなかった。『絶対に加害者を許すことなんて出来ない!!』『だけど、加害者に復讐したり、一生恨み続けることも出来ない・・・』宙ぶらりんになった、祖母から教わった私の倫理観が今は自分を苦しめている。一層の事、私も相手と同じように非道な人間になってしまえば楽なのに・・・それでも、綺麗ごとだと笑われるかもしれないけど、やっぱり私は「お天道様に恥じない生き方をしたい!」と思ってしまうのです。その心が返って自分をズタズタに傷つけ苦しめる事になると分かっていても・・・それが馬鹿で間抜けでお人好しでも、さえママという人間なんだから仕方ないんです。だって私はいつまでも、さえりんの自慢のママでいたいから・・・いつかあの世に逝ったとき、正々堂々と胸を張ってさえりんと再会するのが、今の私の一番の夢なんだから・・・いつか「ママよく頑張ったね!!」って褒めてくれるかな?さーちゃん(小学校の入学式のさえりん)(6歳のさえりん 海にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。昨日は嬉しいことが3つあった!!1つ目はいつもさえりんを可愛いというコメントを頂戴するシャルルさんとはじめてお電話でお話する事が出来たこと!!緊張してあまりうまく話せなくてごめんなさい(;^ω^)でもとっても嬉しかったです(≧▽≦)これからもよろしくお願いします!!2つ目は、独身時代からの友人Hちゃんがまた我が家を訪ねて来てくれ、一緒にテイクアウトしたお惣菜を食べながら楽しい時間を過ごせたこと。Hちゃんの地元の名物のクルクルパンをたくさんお土産に頂き、三人文殊さんからいただいた文旦をHちゃんと一緒に頂きました。美味しかったです!!三人文殊さんご馳走様でした(*^▽^*)Hちゃん来てくれて嬉しかった!!ありがとうございました。(クルクルパン)3つ目は、「なおみさん」という方から二度目のコメントを頂きmeronさんに「なおみさん」のことを教えて頂いたこと。お会いできる日をとっても楽しみにしています(#^.^#)これからもどうかよろしくお願いいたします!!これも「お天道様に恥じない生き方をしたい」と願う私へのさえりんからのプレゼントなのかな
2020年02月07日
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昨日は夜中に眠剤を飲んでしまった副作用だったのでしょうか💦夕方までずっと身体がドロドロに重たい日で1日中何も出来ませんでした( ;∀;)こんなことなら朝までずっと起きていた方がまだましだったかも。あらためて薬って飲み方を間違えると怖いなあっと実感しました。それでも今の私達には薬は必要不可欠なんです。昨日クリニックへ検査へ行ったさえパパからちょっと良くない症状だったことを聞きショックでした。癌などの最悪な状態ではなかったことだけはほっとしましたが。さえパパも「今年の4月頃に推しのアーティストが突然病気で亡くなった頃からママみたいに落ち込んでやる気も無くなりもうどうでもよくなって無気力になった。その頃から身体の調子も明らかに悪いことはわかっていた」と言いました。きっとこのままの生活を続けていたら大変なことになっていたと思います。今は引っ越しを来月に控えて早めにクリニックで病気が見つかって本当に良かったと思いました。これから新生活を送ることで、生活改善も食の改善も生き方の改善も出来たらいいなあっと希望を膨らませるのです。とにかく私とさえパパと次女が元気に人生を送ることをさえりんが何より望んでいるんだと思うから。 昨日は夕方くらさんが我が家へ来てくれました。くらさんはまた先月と同じ豊明市の住宅退去清掃のお仕事をして、昨日1日目が終わって我が家へ泊まってまた今日も2日目のお仕事へ行かれました。本当にこの暑い中での清掃も大変そうで、昨日の夕方我が家へ来てすぐにシャワーを浴びました。そのあと3人でガストへ晩ごはんを食べに行きました。ガストでは今「ガストの超得半額クーポン祭」をやっていて半額クーポンのメニューをチラシの番号で注文すると半額で食べれるのです。3人でたくさん注文して小皿にとってシェアして食べました。ドリンクバーとチョコバナナパフェも3人分ずつ注文してお腹いっぱいになりましたが1人千円くらいで食べれてとってもお得でした(≧▽≦)くらさんからお掃除の仕事の裏話なども聞けて楽しかったです。(昨日くらさん我が家へ、一緒にガストで晩ごはん) 昨夜くらさんは我が家へ泊まってくれました。朝ご飯にサンドイッチを食べてもらって我が家から豊明市まで約20分なので元気に仕事へ出かけて行かれました。朝くらさんと一緒に朝ごはんを食べている時くらさんに「昨夜はさえりんが出てきましたか??」と聞くと、「昨日は一度も出てこなかったよ」と言われます。最初に泊まってくれた時はきっとさえりんがくらさんに何かを伝えたくて来たのかなっと思いました。今回は2回目だったので安心して出てこなかったのかな。くらさんは私のことを「ママは蓮の花のような人だね」と言ってくれて嬉しかったです。泥沼に咲くピンク色の綺麗な蓮の花、お釈迦様の近くで凛と佇みすべてを受け入れる儚い癒しの花。私もいつかそんな蓮の花のような生き方がしたいなあっと憧れていました。今はまだ泥沼の泥んこまみれになって必死でもがいている様な気もしますが(^-^;蓮の花で思い出すのはさえりんの事故の2ヵ月半前の最後の家族旅行で静岡県伊豆の修善寺へ行ったとき、竹林の小径をお散歩していると何気なく入った画廊の写真展の写真が全部蓮の花でした。さえりんはそのピンク色で可愛らしい蓮の花を気に入ってデジカメで写真をたくさん撮りました。幸せの絶頂だったあの頃には想像も出来なかったのですがその2か月半後にはさえりんは蓮の花のほとりへ逝ってしまいました。これが私の蓮の花の苦い想い出です。でもあれから4年経って私もさえりんがいる場所の蓮の花のような人になりたいと憧れるのです。逆縁という泥沼のようなこんな酷い人生の中でも、一輪の綺麗な花を咲かせられるような人になりたいと思うのです。くらさんは「さえりんが亡くなってこんな悲しいことはないけど、パパとママがネットで発信してくれたからたくさんの人がさえりんを知って、さえりんがこんなに大きな存在になった。それは凄いことだね」と言ってくれます。私は「さえりんが確かにこの世に生きていた事実を無かったことにされることが耐えられなかったから必死でブログを書いていただけ。でもそれがたくさんの方々との出逢いに繋がってそのお蔭で今も生きていられる。本当に不思議なんだけど」と。くらさんと話しているとこのことは決して偶然ではなく必然なんだと思えるから不思議です。我が家はこの1ヵ月くらいの間に大きく変化しようとしています。それもくらさんが来てくれる度に事が動くような感じがしています。もしかしたら霊感が強いくらさんにさえりんからの想いが伝わるのかな??無知で鈍感な私にはよくわかりませんが、我が家は確実に新しい一歩を踏み出そうとしています。さえパパの身体の状態もこれからの私たち夫婦の生き方も、この新生活を機に大きく変わるといいなあっと願っています。きっと良いことばかりではなくまた泥沼が深くなることもあるかもしれませんが、いつかはきっとピンク色の綺麗な蓮の花を咲かせられるような生き方が出来たらいいなあっと心から願って、勇気を出して一歩を踏み出します。きっとさえりんもそう願っていてくれると信じて!!(さえりん生後6カ月半 初節句のお祝いに両方の両親と知多の海の幸を食べに)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年07月11日
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昨日は母の日でしたが、久しぶりに夫婦大喧嘩をしてしまいました(-_-;)それは昨日の夕方の出来事です。午後からお客さんがみえていたので我が家の車は次女の駐車場にとめていました。行きはさえパパがとめに行ってくれたので、帰りは私が車を取りに行きました。私は晩ごはん作るの面倒だなあっと思いながら帰り道のスーパーで割引のお刺身を1パック買って帰りました。あとはお魚を煮てサラダを作ったらいいかなあと晩ごはんを作りました。さえパパはちょっと不機嫌そうにテレビを見ていました。私は晩ごはんを作りながら、ついよその家庭が羨ましくなってしまいました。昨日は母の日だから晩ごはんをご主人が全部作ってくれて奥様はお酒を飲みながら待っているそんな家庭もあるのに、我が家はほんのちょっとお客さん用にワッフルの生地作り(ホットケーキミックスと卵と牛乳を混ぜるだけ)焼くのをやっただけで不機嫌になってテレビを見ながら知らん顔。「は~あ~」とため息が出そうになるのを堪えて「晩ごはん出来たからサラダとりに来て」と言うと、さえパパは「俺はお腹が空いてないから晩ごはんは要らんって言ったじゃん!!」と怒ります。その言葉で私は心の中で何かがプチン!!!と切れましたΣ(・ω・ノ)ノ!「だったらもう食べないで!!私は勝手に食べるから、もう何も作らないから!!」と捨て台詞を吐いて自分の分だけ用意してコタツのテーブルで1人で食べることにしました。するとさえパパは逆切れして怒鳴りました!!「俺は体調が悪いから要らないと言ったんだ!!昼間は生地からワッフルを作ってやったのに何か文句あるか!!」私はその言葉で今まで我慢していた感情のスイッチが入りました。「たかが簡単な生地を作って焼いたくらいで偉そうに言わないでよ!!母の日だから奥さんのために晩ごはん作りも片付けも全部やってくれるご主人を羨ましく思いながら、私はあなたにそれを求めてはいけないと我慢して自分で作ったのに、要らないなら食べるな!!パパはいつも外ずらはいいくせに私には横柄な態度で威張って大事にはしてくれない人だからずっと我慢してきたんだよ!!よその人にはサプライズで誕生日や卒業式にお花を送るのに、私や娘にはお花なんてくれたこともないよね!!!人に花やプレゼントをあげることは良いことだけど、家族は蔑ろにされる事に腹が立つんだよ!!私はずっと心の中であなたの態度にムカついていたんだよ!!」と今まで言わないでおこうと仕舞っておいた感情まで噴き出しました。それからは怒鳴り合い「もう出て行く!!」と立ち上がったさえパパが私の首を掴んできました。私は殴られる!!と思いましたが、殴られたらもう離婚しようと覚悟を決めました。するとさえパパは私を抱きしめて「ごめん、つい売り言葉に買い言葉で言い過ぎた」と言いました。でも私は簡単には赦す気にはなれずしばらくの間、ご飯を1人で食べながらぶつぶつ言いたいことを全部吐き出しました。私は人のことを羨ましがってはいけないと頭では分かっているのに、つい大切にされている奥さんが羨ましくなってそれに比べて外では優しくていい人なのに家では妻を労わってはくれず威張っているさえパパに不満が溜まって爆発してしまったのです。晩ごはんがいらないなら「今日は体調が悪くて食べれないから明日食べるね」と言えばこんなに腹も立たなかったのに。私がさえパパに今まで長年にわたりご飯作りもさせたことはなく甘えさせてきてしまったからでしょうか??これも同居の弊害なのです!!(もちろん子育てでは義両親がいて助かりましたが夫婦の関係を結ぶには弊害が多かったのです)義両親の目があるので主人に家事と育児の一切をやってもらうことなく26年間ずっと生活してきたから、さえパパはこれが当たり前だと思ってしまったのです。しかもさえパパは短気で、少しでも私が意に沿わないことをしたり逆らうとすぐに大きな声で怒鳴るし、夫婦喧嘩の声が聞こえるとすぐに姑が心配して「和彦!!何喧嘩してるの??」と口を挟んでくるので、それが煩わしくて私はさえパパを怒らせないように気を遣いながら我慢してきたのです。これが想像以上に物凄く私のストレスだったのです!!ところが今はようやく結婚27年目にして2人暮らしなのでもう我慢はしません!!言いたいことははっきり言うようになりました。主人が怒鳴って「出て行く!!」と言っても私はもう動じません!!「出て行きたければどうぞ!!私はこの暮らしが気に入ってるので出て行きませんから!!」と開き直れるのです。だってもう嫁という肩身の狭い立場ではなく、夫婦は対等で平等の生活をしているんだから!!昨日は突然感情が噴き出して打ち上げ花火のような夫婦大喧嘩をして、自分の気持ちをはっきり伝えました!!だって言わなくちゃ相手に伝わらないから!!さえパパは私がムカついていたなんて気付かなかったし、私がさえパパの外ずらだけの良さに腹を立てていたことも知りませんでした。長年夫婦をやっていてもこんなものなんです。夫婦は親子と違って所詮他人同士なのだから以心伝心なんて期待しちゃいけないんです。だからお互いに努力と意思の疎通と歩み寄りが必要なんです!!さえパパは本当はとっても優しくていい人なのはわかっています。わかっているけどそれでも時々不満が爆発してしまう私は贅沢で我儘なんでしょうか???これも私が娘が一番大事だった気持ちを切り替えて、これからは夫婦で向き合おうとしたから湧き出た不満のように思えるのです。ちょっと感情的になり過ぎてたくさん泣いて言い過ぎたことは後で反省しました。さえパパだけが悪いわけじゃなく私の態度も悪かったんです。この間も横浜のコンサートと鎌倉旅行についてきてくれたり優しいのはよくわかっていますが、いつも私が要求しなければやってくれません。人にはサプライズできるのにこれももしかしたらヤキモチなのかな💦でもせっかく夫婦2人暮らしのスタートを切った私たちです。時にはこうして不満をぶつけあったり衝突しながら、お互いのより良く快適な生き方と暮らしを見つけていけれたら思っています。さえパパ昨日は言い過ぎてごめん・・・夜寝る前にちょっと冷静になって話し合いました。そしてこれからは週に1回はさえパパがご飯を作って片付ける日を作ろうということに決まりました。これもお互いのことを理解して歩み寄りの第一歩になるといいなあと思います。昨日の夫婦大喧嘩のせいで、今日はちょっと頭痛がして体調もイマイチです💦(実家の外庭には放たらかしの薔薇が咲いていました)(さえりん3歳9カ月 幼稚園入園式part1)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年05月13日
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明日は私が1年で一番憂鬱な日です。それは5年前の明日がさえりんが亡くなった日、5回目の祥月命日だからです。さえりんにはもう二度と会えないもう二度と帰って来ることは無いと頭では理解できていますが、心では決して納得なんてできていません。多分これからも一生。昨日は夜中の3時過ぎまで眠れませんでした・・・何より一番の憂鬱は、さえりんを殺した加害者と向き合わなければいけない事です。前日の今日は加害者が私に、明日何時頃来るのか電話をかけてくる約束になっています。果たして今年も約束通り来るのでしょうか??もう5年経ったから知らん顔をするのでしょうか??それはあの女の人間性が問われるのです。加害者は来たくてくるのではありません。私が「あなたの顔なんて見たくないからもう来なくていい!!」と言えば、喜んでもう二度と来ることもなく顔を合わせることもないでしょう。そうすれば加害者にとってこれほどラッキーなことはありません。自分が犯した罪と向き合わなくても済むんだから!!自分が不注意で殺したよその娘のことなんて早く忘れて何もなかったように生きていけるんだから!!でもそれでは加害者の思うつぼです!!私にとっては一番腹が立つ到底赦せない結果になってしまうんです。だからせめて裁判官に罪を軽くしてもらうために「一生罪を償います」と言った言葉くらいはせめて守らせないといけないのです。1年にたった1度謝罪に来るくらいで「一生罪を償う」ことになんてならないですが!!皆さんは、自分の命より大切なものを奪った相手を赦すことが出来ますか??私は5年経った今でもこれからも多分一生、加害者を赦すことが出来ません!!私が人間ができていないからかもしれません。私自身に危害を加えたのならまだ赦す余地はあるかもしれませんがこの世で一番大切な娘の命を簡単に奪ったあの女をどうしても赦すことはできないのです。交通事故は殺意があったわけではなく過失だから仕方がないという人もいますが、私達遺族にとっては事故ではなく事件であり、交通殺人なのです!!通り魔に無差別殺人をされたのと何も違いません。先日89歳のユーチューばーちゃんのたまちゃんの講演の中で「人を赦す」ことについてのお話がありました。たまちゃんのお話は本当に穏やかで優しくてあったかい気持ちになれます。でも私にはまだまだそんな境地になることが出来ないんです。帰りにたまちゃんに「私はどうしても交通事故が憎い!!娘の命を奪った加害者を赦すことが出来ません!!」と打ち明けたら、たまちゃんは「あなたは今を精一杯生きていけばそれでいいんですよ」と優しく応えてくれました。私もいつかたまちゃんくらい歳を重ねて修業を積み重ねたら、人を赦す境地になれるのかな??この5年間の間に本当に地獄と天国を味わったくらいいろんなことがありました。それでも今ではあたたかい人の輪の中で穏やかに過ごせる日も増えたし、人に感謝したり、人の幸せを心から願えるようにもなれました。ボランティア活動もご協力して下さる方も増えてご支援やご寄付をしてくださる方もみえてお蔭様でコツコツですが順調に少しずつ活動が広がっていることに心から感謝しています。そしてこのにじいろ会は、もう二度と我が娘さえりんのような悲惨な交通被害者を出さないための活動で人々が安心して暮らせる安全な社会になってほしいと、人様の幸せも願うこともできます。それなのに、私にとって一番難しいことは「人を赦す」という行為なのです。これは私の一生の課題であり人生修行なのかもしれません。さえりん、ママはまだまだこの世の修行が終わらないからさえりんのところまで逝くことが出来ません。ごめんね、こんなダメなママで(>_<)でも待っていてね。せめて夢でもいいから、さえりんに会いたいです・・・(さえりん4歳1カ月 家族で海へpart6) 昨日夜、次女にLINEすると4日は仕事だったはずだったのに突然シフトが変わってお休みになっていたことを知りました。次女に「4日はお姉ちゃんの命日なんだけど一緒に現場へお花を供えに行ってくれる??」と聞くと、次女は「不思議だけど仕事だったのに急に休みになっていたんだよ。もちろん行くよ」と言ってくれました。これはさえりんが妹にも来てほしいってことなのかな??そしてあるご家族も来てくれるので次女も一緒に、5年前のあの日さえりんが行きたくても辿り着くことができなかった場所へ行こうと思います。加害者を赦すことが出来ない、人を恨み憎しみから解き放たれることのできない未熟な私ですがこうしてたくさんの味方がいて下さる事が何よりの救いなんです!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月03日
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明るい疫病神!これは私がこの家に嫁いで数年たった頃、父(舅)が私に付けたあだ名です(;^ω^)決して褒められてはいないですが、お騒がせながらもどこか憎めないキャラクターとでもいう意味なんでしょうか??先日の次女のお騒がせ行動があって、次女の事をブログで「我が家のトラブルメーカー、でも憎めない存在」って書いたとき、その元祖はもしや、私なのでは???と思い出したのです(@_@)父は私には直接言いませんでしたが、母(姑)が、「お父さんがママの事『あの子は明るい疫病神だ』って言ってたよ」と、教えてくれた。それは良い意味か、悪い意味なのかよく分かりませんでしたが、母の顔が笑っていたので、あまり嫌な印象は受けなかった。それと、母は人の悪口を言う人ではないので、いい意味に受け取ろうと思った。実は私は主人の両親は好きだけど、父の事は怖い存在だった。無口でお酒が入るとよくしゃべる、会社人間で管理職をしていて細かい、一見温厚そうだけど怒らせるとめちゃくちゃ怖い、息子や嫁に媚びない、自分のやり方を突き通す、九州男児で亭主関白、一家の大黒柱。私は結婚当時から自己主張をしたり、自分らしく暮らしたり、生きていたいと思うタイプなので、度々父と衝突することがあった。その頃は古い家でまるっきりの同居だったので、自分のテリトリーが曖昧で良かれと思って付けたトイレの窓のカフェカーテンや、玄関の置物の移動や、台所のテーブルの上の片付けが、父にとっては気に入らない出来事でよく母に怒りをぶつけていた。あまりに気に入らないと私に直接、激怒された。今となっては嫁の身分で偉そうだったなと思えるのですが、その頃は、散らかっていたり、不便そうだったので気が付いてやってあげたのにどうしてそんなに怒られるの??と疑問いっぱいで、とにかく怖かった。それなのに、娘2人はおじいちゃんの事が大好きだった。特に次女は家族の中でおじいちゃんに一番なついていた。娘たちは、父の無口で怖い人だけど、その中身の武骨な優しさや愛情をちゃんと感じていたのだ。父も娘たちを大変可愛がってくれて、仕事から帰り夜晩酌をするとき、必ず次女を膝に入れて、おかずやつまみを食べさせてくれた。いつの間にか父の膝は次女の特等席になっていた。平日休みの主人に代わって土日にはよく娘たちを遊びに連れていいてくれて、長女はいつも「おじいちゃん今度はどこに連れてってくれるの?」と甘えていた。私はそんな娘たちを見て、ようやく父は本当は優しく愛情深い人なんだと思えた。父は私に「あんたは頑固で親の言うことを聞かない」とよく言う。私はそんなつもりは全くなく、これでも嫁として気を遣って生活していると思っていた。この家に嫁いでから、料理の味付けも母に教わり父好みと主人好みに代えたし、いろいろ怒られてからは玄関やトイレ、お風呂場、台所などの共有スペースは勝手に触ったり変えたり、子どものおもちゃなど私たちの物は置かないように気を付けていた。子ども達にも「ここはおじいちゃんたちと一緒に使う場所だから片付けようね」と言い聞かせて育てた。それでも父にとって私は、今まで静かで平穏に暮らしていた家庭に、私という長男の嫁が突然入り込んできて、わーーっと嵐を巻き起こすトラブルメーカーであり、明るい疫病神だったのである。しかし、家族はこんな厄介な存在を抱えながら、雨降って地固まるかのようにケンカをしたり、仲直りを繰り返しながら絆を深めていったのです。私は今までに一度だけ父の言うことを聞かなくて良かったと思っていることがある。それは、19年前ガンを患いながら次女を出産したこと。主人も父も母もみんな私の体を心配して反対していたが、それでも私は決して、言うことを聞かなかった。だけど、今ならわかる。本当は家族もこれで良かったと思ってくれていたのだと。さえりんが突然交通事故で命を落としてしまった今、もし、次女がいなかったら、我が家にはもう未来も夢も希望も消え失せ、私と母は間違いなく精神病で廃人になっていただろう。父と主人だって病気になったり気がおかしくなってしまったであろう。だから、今や次女が我が家の、2代目「明るい疫病神」厄介で面倒なことばかり引き起こすが、一家に一人なくてはならない貴重で大事な、愛すべき存在。もしかして、父も昔、私の事をそんな風に思っていてくれたのかなって、今ならそう感じられる。父は、さえりんのお骨を早くお墓に入れることを望んでいる。父の考えでは亡くなったのはとても悔しく悲しく辛いことだけど、いつまでもお骨を抱えて苦しむより、ご先祖のお墓に入れてやる方がさえりんのためにも良いことだと思っているみたい。だけど、私は「嫌です。さえりんはまだお墓に入れません!!」とはっきり断った。父は「じゃあもうあんたの気が済むように好きにしろ。俺は知らん!!」とちょっと怒り気味に言った。私は、次女の時以来2度目にきっぱり父に逆らった。でもいつか、父ならそう言いながら、私の気持ちも汲んでくれてこれで良かったと言ってくれる日がきっと来るだろうと思った。さえりんに突然起こってしまった不幸は、家族にとって耐えがたい衝撃となり家族はそれぞれ死ぬほどもがき苦しんだ。父だって私には出さなくても、そうだったに違いない。この上なく愛して、大事に可愛がり育てた初の孫娘だったから・・・苦しいのは私だけじゃない、主人だって、両親だって、次女だって、義弟だってみんな同じである。だからこそ、今、この家族がいてくれたことに心から感謝して、怖かった父の存在の心の奥の優しさが、少しずつ感じられるようになれたことに感謝して、これからもこの家族と共に、さえりんを想いながら、みんなで生きて行こうと思う!!(21年前の12月 生後5か月のさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年12月15日
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昨日は次女と2人福岡旅行の2日目でした。1日目はTREASUREのコンサートでめちゃめちゃ盛り上がって、博多駅でイルミネーションを見て夜11時過ぎにようやく美味しいもつ鍋をいただいて、補綴に着いたのが12時過ぎ、お風呂に入ってブログを書いていたら寝たのが3時過ぎでした(^-^;2日目は朝7時に目が覚めましたが寝不足でレンタカーの運転は心配だったのでもう一度寝て8時半に起きました。身支度を整えて次女は9時過ぎにようやく起きました。9時半過ぎにホテルをチェックアウトしてレンタカーに乗って向かった先は、福岡市内の「NPO法人はぁとスペース」さんです!!実はここで10時にある方と待ち合わせをしていたんです。私たちは少し道に迷いながら15分遅れくらいで到着しました💦待っていて下さっていたのは、交通事故被害者ご遺族でZOOM仲間のSさんです!!私たちは毎月ZOOMでお話ししていましたが、リアルで会うのは初対面でなんだか不思議な気分で感動しました(*^^)vそしてこのはぁとスペースさんへ一度は絶対に行きたくて会いたかった方は、代表の山本美也子さんです!!いつもお忙しい山本さんですが昨日は午前中ならここにいらっしゃるとお聞きして楽しみに来たのです。山本さんとは今年3月名古屋で初めてお会いして以来の再会に感動して、思わずSさんにも山本さんにもハグしちゃいました(≧▽≦)はぁとカフェでとっても美味しい珈琲とトーストをいただいて、楽しい時間を過ごさせていただきました!!お2人にお会い出来て、本当に嬉しかったです!!(福岡県のNPO法人はぁとスペースさんにて) お昼12時頃、はぁとスペースさんで山本さんとSさんとの別れを惜しんで出発して向かった先は、次女の合格祈願のために太宰府天満宮です。ここへは次女がまだ幼稚園の時に親戚のおばさん宅へ来たときに寄って以来約20年ぶりです。次女のナビで40分くらいで到着して、近くの有料駐車場に車を止めると歩いてすぐに太宰府天満宮に着きました。着いてから気が付いたのですが横から入る道だったのでもう一度回って正面の⛩から入りなおしました(*‘∀‘)高校生が学校から団体でで合格祈願に来ていて、他にも月曜日なのに大勢の参拝者が来ていました。次女は初めて絵馬を書いて看護師国家試験の合格祈願をしました!!おみくじをひいたら「努力を怠らなければ受かる」と書いてあり、確かにその通り!!と思いました(⌒▽⌒)アハハ!次女は友達の分も4人分お守りと鉛筆を買いました。お参りしてから参道を歩いて次女がパパと私と紗愛理にお土産に幸せの干支の鈴を買ってくれました。お昼ご飯には博多ラーメンを食べてとっても美味しかったです!!みなさんが教えてくれましたが、福岡は何を食べてもはずれがなくとっても美味しかったです。帰りに梅ケ枝餅を家族のお土産にたくさん買いました!!私はもう神も仏も信じないはずなのに、次女の合格祈願はするなんておかしな話ですが、やっぱり最後は神頼みです(^-^;(昨日次女と2人で太宰府天満宮へ合格祈願に!!)太宰府天満宮で3時間くらい遊んで、次に来るまで向かったのは又も博多駅でした。その様子はまた明日のブログに書きますね。(さえりん20歳の時 最後のお正月part4)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月20日
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昨日は一昨日の久しぶりの夜更かし&明け方帰りがたたってか💦朝は11時まで寝て昼間も眠くなってちょっとソファでウトウトそれで夜また寝れず夜中まで起きての昼夜逆転生活に(^-^;いつもながらお昼寝しても夜いつも通りの時間にすぐに寝られるさえパパが羨ましいです。まあ一昨日はとっても楽しかったのでこれも良いですが。一昨日はくらさん達とたくさん会話する中でこんな話もしました。「大人になってからこんなに深い心の友達ができるなんて思ってもなかった」と。みんなのそんな会話を聞きながら、私にとっては大人になってからというより今お付き合いしている方々はほとんどが被害者遺族になってからできた友達ばかりです。本当に不思議なんですが、どうしてかなっと考えました。 私は子供の頃は極度の引っ込み思案で人見知りでした。自分に自信がなくて人と話す時は物凄く緊張して顔が赤くなって頭が真っ白になって言葉が出てこないんです。自分の気持ちを人に伝えるなんて絶対にできませんでした。だから学校ではなるべく目立たないように気配を消して過ごしました。「こんな子いたっけ??」と思われる様な存在で、クラスの中ではニコニコ愛想笑いと相槌を打つだけが精一杯できっと何を考えているか分からない不気味な子供でした。当然友達も殆どいません💦だから学校なんて大嫌いだったけど、明治生まれの好きだったけど厳しい祖母に育てられたため「学校へ行きたくない」なんて怖くて絶対に言えませんでした。私と正反対で利発で勉強が大好きだったのに家が貧しくて小学5年生までしか学校へ行けなかった祖母に申し訳なくて、家でも自分の気持ちも言えなくなりました。それで仕方なく心を塞いで小中学校時代を過ごしました。高校は家を出て寮生活をしながら通信制高校へ通いましたが、ようやく友達は出来ましたが家庭環境が良くなかったり個性が強い子が多くて高校を卒業すると次第に疎遠になりました(^-^;社会人になり、結婚して子供が生まれるとその時々で友達もできましたが環境や状況が変わるたびに前の友達とは疎遠になり、新しい友達ができての繰り返しでした。何か同じことへ向かっている最中は友達がいるような気がするのですが、果たしてその人たちに私はどれだけ本音を話し心を開いていたのだろうかと考えてしまいます。そんな平凡な生活だったのに、5年前突然長女の紗愛理が亡くなりました。お通夜とお葬儀には紗愛理と私たち家族の友人知人がたくさん参列してくれました。しかしまたも私の悪い癖が出てしまい、その方々と、娘を亡くし逆縁を経験してしまった私とは、もう住む世界が違う別世界の人間になってしまったんだという気持ちが強くなってしまいました。私の変なプライドなのかもしれませんが、娘を亡くした可哀想な母親だと同情されたくなかったのかもしれません。気づけばまた殆どの友人と疎遠になりました。あの当時、絶望のどん底だった私に手を差し伸べてくれた被害者遺族の会やサポートセンターからも今では遠ざかってしましました。本当に自分勝手で申し訳ないのですが、どうしてもそこへは足が向かないのです。そんな私が唯一心を開けた場所がこのブログ「さえりんの部屋」だったのです!!ブログの中では素直にありのままの本音を赤裸々に書けるのです。どうやら私は口下手で自分の気持ちを人に話すことがすごく苦手です。そのうち自分は何がしたいのか、どう思っているのかそれすらもわからなくなってしまうんです。最近気付いたのですが、目には見えない自分の心って言葉や文章にして体から外に出さないと自分でもどんどん本心がわからなくなってしまうんです。ところが私は文章にならどんどん自分の思っていることが書けて、自分自身の本音に気付くことが出来るようになってきました。私ってこう思っていたんだ!!こうしたかったんだ!!私ってこんな人間なんだ!!と、自分自身の心と向き合うきっかけになったのです。そしてこれは暫くしてから遺族の先輩に言われて気付いたのですがブログで本音を書く行為が、実は自分自身のセルフグリーフケアになっていたんです。その辺りから自分で気付かないうちに今までの自分とは変わったんだと思います!!それから私は自分が思った通りに素直に生きていこうと思えたのです。だって人生は1度きりだし、いつ終わりが来るのかなんて誰にもわからなのだから。ある日突然終わりが来てしまった、そんなありえない悪夢のような「まさか!!」を目の当たりに体験してしまったんだから。決してまだ哀しみから立ち直ったわけではないですが、ボランティア活動も立ち上げて、最近ではやりたいと思ったことは挑戦する勇気が湧いてきました。今では私はとっても大切な人たちに支えられて生きているんだという実感があります!!とっても大切な友人もいるんだと胸を張って言えます!!そして今までの自分と大きく変わったところは、こんなダメな私でズタボロな人生ですが、ありのままの今の自分が好きになってきたことです!!最愛のさえりんが大好きになって愛してくれたママの自分を、私自身も好きになり愛することがでるようになってきたのです。ありのままの自分自身を、娘を喪った哀しみと恨み憎しみを一生抱えて生きるところも、人の役に立ちたいという奉仕の精神も、人を好きになって大切に想えるようになった気持ちも、ちょっとわがままで自分勝手なところも、これも良しと思えるようになれたから心の中を自由自在に発信することができて、今までより随分ラクに生きれるようになれた気がします。本当にこれが私の「おまけの人生」に入ったということなのかもしれません。だからでしょうか、私は遺族になってからの方が友達や心から大切だと想える人が増えました!!気付けは周りには本当にこんな私を理解して友達になってくれるあたたかい人の輪の中があったのです!!これは私の努力や私の力なんかではなく、さえりんがそうさせてくれているんだと思っています。だから遺族になってからの友達はかけがえのないご縁をさえりんが繋いでくれた大切な宝物だと心から感謝しています。もちろん、さえりんが生きている頃から今でもこんな私とずっと友達でいてくれる大切な仲間NちゃんとTさんにも心から感謝しています!!思えば私は今まであまり人に興味や関心がなかったから長く付き合える真の友達ができなかったのかもしれません。「自分は自分・人は人」人のことは干渉しないし、人から干渉されたくもないという冷たい個人主義だったのです。そんな私の目を開かせて考え方を変えさせて、自分も大切、でも人のことも同じくらい大切なんだ、世の中には心優しくあったかい人たちも大勢いるんだ、世の中捨てたものではないんだと、さえりんが私に教えてくれたのです。さえりん、パパとママにたくさんの素敵な出逢いとご縁を繋げて心の友達を見つけてくれてありがとう!!ママはそのお蔭でもう少しこの世で生きていこう、もう少し前に進もうと思えることができたよ!!ずーっと付き合いたいと心から想えるかけがえのない仲間たちにもようやく出逢えたよ!!さえりんありがとうね!!これからもお空からパパとママのこと見ていてね🌈(さえりん4歳2カ月 家の近くでおじいちゃんと妹と遊ぶ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月10日
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今日は、曇り雨もパラパラ、昨日までの暑さが、急に秋になったようです。私は秋がちょっと苦手です気温の変化でストーンと気持ちが落ちてしまうからですとはいえ、昨日は初めてのつたないブログなのに、たくさんの方々の応援が心に染みて久しぶりにあったかーい気持ちになれました皆さん優しいですありがとうございます!これもひとえにmeronさんのお陰です!!!これからも手のかかる私ですが、よろしくお願いいたしますうう今日は娘のことをたくさん書きます娘の名前は ″紗愛理” さえりと読みます。よく”さあり”ちゃんと呼ばれ、怒っていましたこの名前を付けた理由は、誰からも愛され、可愛がられる子に育ってほしいと願ったからです!そして、娘が気に入っていたあだ名が、”さえりん”です中学の時先輩につけてもらったそうです。だから、「さえりんの部屋」にしました娘は、自分の名前をとても気に入っていて(あまりいないので)特に真ん中の「愛」という字が大好きでした紗愛理には、二つ年下の妹がいます。紗愛理はとっても優しいお姉ちゃんでした。妹が「お菓子が食べたい」と言えば、ポテチを10袋くらい買ってきてくれます他にも自分が何か買ってくれば、必ず妹の分も買ってきます私にも、「ママ、あまり無理して働かなくてもいいよ」と生活費をくれて、晩ご飯にカレーライスを作ってくれたり、夜、マッサージもしてくれるんですほんとうに名前通りの「愛」ある、優しい娘に育ってくれました私はやっぱり紗愛理のことが、大・大・大好き親バカでごめんなさいもう一度だけでいいから、紗愛理に会いたいです・・・・・・・・変なこと書いて申し訳ないです…紗愛理は目には見えないけれど、いつも私の側にいるから・・・一緒に前を向いていこうと決めたから・・・明日から事故のことを書こうと思います。すごく辛いけど私が逃げていたら、紗愛理の死を無駄にしてしまうような気がするから・・・泣きながらでも、向き合っていこうと思いますどうか温かい目で見守ってください!!温かいコメントもお待ちしております よろしければ応援お願いします。 さえママより 2019年3月 富士急ハイランドにて Photo’s さえパパ
2019年09月18日
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昨日は一昨日(日曜)次女と名古屋へ買いもに行って疲れが出たのか、お天気がどんよりしていたせいなのか、一日ボーっとしてました(-_-;)実は日曜日は、浜松に住んでいる私の妹からも「実家に行くからお姉ちゃんも来ない?」って誘われていました。私は午前中次女がまだ寝ている間に実家に行こうかとも思ったんですが、思いのほか次女が早く起き(いつもはなかなか起きないのに( ゚Д゚))私も実家と、その後次女に付き合うほどの元気がないと判断して妹のお誘いは断ったのです(>_<)ゴメンね・・・妹はそんなこと全然気にしていないですが、夕方ラインが来て「実家の母がサツマイモ採れたからおいでって言ってたよ」と。実家は我が家から車で30分。距離は近いのに、私はあまり行かない、遠い実家です・・・ 何故でしょうか??前に「実家の母の言葉に腹が立った」とブログに書いたことがありますが、実家の母は決して悪い人ではありません。ただ、マイペースで相手がどう思うかとか考えて言葉に出すことが出来ない人。つまりは、どこにでもいる陽気な田舎のおばあちゃんです(-_-;)そして、たぶん私だけが思っていることですが、私と母は相性があまり良くない・・・妹と母は相性がいいんじゃないかな、たぶん。妹に言わせると「お母さんとケンカするのってお姉ちゃんだけだよ」だそうです・・・あとの妹弟は言っても無駄だからと、諦めてるらしいです。母は養女で一人娘。子供の時から実家に住み、父に養子にきてもらい、10年前父が病気で亡くなった今は、まだ独身の弟二人と暮らしています。実家に行くと、母は開口一番「弟二人に誰かお嫁に来てくれないかな」毎回こうです。そんなこと言っても本人たちがその気がなければ仕方ないと思います。まあ母の親心はよくわかりますが・・・帰るとき必ず、畑で採れた野菜や、ご近所さんからのもらい物や自分で作った巾着袋をどっさり車に積んでくれます( ゚Д゚)人にものをあげて喜ぶところ、さえりんはおばあちゃんに似たのかな。母は子供に対して、とても愛情深い人だと思います。ただ、お節介で、自分の気持ちを押し付けてきて、人の話を聞かない人、ちょっとズボラで無神経です(-_-;)そういう所が、私は苦手です・・・昔は母のような母親にはなりたくないって思っていました。しかし、今、書いたことはすべてそっくりそのまま、次女が私に言っていることと一緒なんです!!!と、いうことは次女にとって私は、母と同じ存在・・・(>_<)なりたくないって思いながら、いつの間に、母そっくりな私。ショックです!!!と言いながら、本当は母の有難さは充分わかっています。懐が大きく、肝っ玉母ちゃんの母。なりたくないって思いながら、一方では母をお手本にしている私。矛盾してるなーー(-_-;)一番いけないのは、私が素直になれないからだよね。4人姉弟の一番上で、母に甘えた覚えがない。母は仕事が忙しく、私はずーっとおばあちゃん子だったしね。だけど、私が自分の命に代えても娘たちを守りたいっていう気持ちは、母の無償の愛情からもらったものだって、感謝しています。(母には照れ臭くて、直接言えないけどね・・・)父も母と同じくらいに愛情深い人だった。親ってやっぱりすごいなぁ。どんなに年をとっても、病気になっても、いつまでも親は親。たとえボケたとしても、私は一生、親を超えられない気がする。私もそう思ってもらえるような親になりたかった・・・さえりんは私の事どう思っていたのかな・・・今ではもう聞くことは出来ないけど・・・やっぱり順番が一番だよね。逆縁だけはしたくなかった・・・それは親に素直になれず、心配ばかりかけてきた、私への罰なのかな・・・もう何もかも遅い後の祭りなのかな・・・さえりん、ごめんね・・・今から親孝行なんて何にも出来ない私だけど、たまには、何にもなかったような顔して、実家に行ってみようかな。サツマイモもらいに。サツマイモの天婦羅、さえりんの大好物だったからね。 どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年10月22日
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昨日3月14日は、東京葛飾区の波多野耀子さんの2年目の祥月命日でした。何も出来ませんが昨年、耀子さんと紗愛理を想って植えた沈丁花を眺めて優しい香りに包まれながら、刑事裁判が行われ闘ってみえるご両親に思いを馳せました。(昨日、咲いた我が家の桜と沈丁花 耀子さんと紗愛理へ祈りを込めて) 昨日夜、毎日新聞ネット記事でご両親それぞれの意見陳述が載っているのを見つけ読んでいたら涙が止まらなくなりました。どうしても皆様にも読んでいただきたくて誠に勝手ながら私のブログにも引用させていただきました。(毎日新聞ネット記事より引用)「無差別殺人と変わりない」小5死亡事故、母が命日に意見陳述東京都葛飾区四つ木5の国道6号(水戸街道)で2020年3月14日、近くに住む小学5年の波多野耀子(ようこ)さん(当時11歳)が軽ワゴン車にはねられて死亡した事故で、赤信号を無視したとして自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)に問われた元配送業、高久浩二被告(69)=埼玉県三郷市=の裁判員裁判が14日、東京地裁(西野吾一裁判長)であり、検察側が懲役7年6月を求刑して結審した。判決は22日。 14日の公判では両親が意見陳述した。母親の主な発言内容は以下の通り。 ◇娘も気に入った名前 私は、この事故で亡くなった耀子の母です。夫は重傷を負い、私の人生はあの日から全く違うものになりました。今日は皆さんに、耀子がどれほど私にとって大事な娘だったのか、知っていただきたいと思います。 耀子がおなかにいる間、私はつわりがひどく、切迫早産もありました。子宮を縛る手術をして、何カ月も安静にしてやっと生まれた赤ちゃんでした。小柄でしたが、髪はふさふさして肌がとてもきれいな赤ちゃんでした。 夫婦ともに、「子」の付く名前を考えていました。主人の母がいろいろと案を出してくれて、その中から「耀子」という名前に決めました。私の母の名前の「光」も入っていますし、奇麗な字だと思いました。耀子本人もとても気に入っていました。 ◇毎朝作ったお弁当 夫婦共働きで、耀子が生後8カ月の時から私の母に預けて働き、1歳4カ月で保育園に入りました。小学校に入るまでは、よく熱を出して耳鼻科に毎日通いながらも、会社員と同じような時間帯で月曜から金曜まで頑張って保育園で過ごしてくれました。スイミングスクールにも入り、ピアノを習い始め、夏のお泊まりキャンプにもお友達と参加したり、幼いうちからたくさんの経験をしました。 小学校に入ると、英語や町内会のおはやしも始めました。学童保育は3年生までしか利用できないため、その代わりに3年生の終わりから、中学受験向けの塾に通わせました。できるだけ、1人でのお留守番を少なくしたかったからです。本人が嫌がらなければ、そのまま受験を目指してもいいと、柔軟に考えてのことでした。 塾へはとても楽しく通っていました。お弁当もみんなで楽しく食べていたようですが、私はお弁当のリクエストに応えるのが大変でした。「おかずをたくさん何種類も入れてほしい」「きちんと2段弁当にして」とのことでした。 朝の出勤前の忙しい時間帯ではありましたが、「耀ちゃんが喜ぶなら」と、私は頑張って作りました。冷凍食品は1種類だけ入れていい約束でした。耀子は私の手作りを好みました。5年生からは、週に3回お弁当を持って塾に行き、頑張りました。 ◇目標達成を伝えたい 勉強は、算数が苦手だったので、ストップウオッチを片手にたくさん勉強しました。私はイライラして怒ったことも数多くあり、今では可哀そうなことをしたと悔いています。自ら、個別タイプの塾も併用したいと言い、理科も頑張っていました。 先生とのやり取りが楽しかったようで、亡くなった後にうちに来てくださった学生の先生から、塾での耀子の話をたくさん伺いました。休憩時間に目が合うとにこっと先生に笑いかけて、ドラマの話なども楽しく話していたようです。 先生ご自身も同じ塾のOBだったので、昔のノートをコピーさせていただき、耀子ちゃんの理科の成績を上げるぞ!と頑張ってくださいました。最後のテストは人体の分野で、目標点を掲げて頑張っていました。亡くなった2日後に楽しみにしていた成績が発表されました。目標を達成することができました。耀子に知らせてあげたい気持ちでいっぱいでした。 ◇とにかく優しい子 また、耀子は、リカちゃん人形が大好きでした。ジオラマのような小物も大好きで、それらを使ってリカちゃん人形で遊んでいました。それは5年生になっても変わることはなく、リカちゃんやその他のお人形と一緒によく湯船につかっていました。七五三は、みこさんの格好をした非売品のリカちゃんがもらえることを目当てに、赤坂の日枝神社で2度ともご祈とうしました。東京オリンピックとパラリンピックのリカちゃんも購入し大切にしていました。それらのお人形は全て棺に入れました。 私の作る料理は、ハンバーグやミートソース、ショウガ焼きなどなんでもよく食べてくれました。セロリスープなど香味野菜も好きでした。外食はなんといってもウナギが好きで、祖父母の家にお泊まりに行くたびにウナギ屋さんに出掛けていたようです。 耀子はとにかく優しい子でした。そして明るく前向きです。親である私たちが一番感心していたのは、何事もあきらめずコツコツと続けるすごさです。そんなに負けず嫌いでもなくてひょうひょうとしていましたが、練習を続け、スロースターターでありますが、いつの間にか上達していました。人に気を使わせないところもあり、保護者の方からは「耀子ならいつ遊びに来てもいいよ。どんなに部屋が汚くても耀子なら見せてもいいわ」とよく言ってもらいました。 1年生の頃から親友もできて、今でも親友です。その子はお骨あげもしてくれて、私のことを現在も助けてくれます。耀子は、男女年齢問わず、みんなと仲良くしていたと思います。不器用なところもあり、図工や家庭科などの専科の先生には特にお世話になりました。学校も大好きで、行きたくないと言ったことは一度もありません。そして、どの習い事もやめたがらないので、忙しくなり過ぎてしまい、整理するのが大変でした。 ◇娘がいない世界 耀子がいる時は、全て耀子を中心に、朝から寝る前まで、毎日バタバタと生活をしていました。朝のNHKの連ドラを見ながらご飯を食べて、急いで出かけます。私はベランダから水戸街道へ曲がる道まで、毎朝赤いランドセル姿の耀子を見送っていました。 学校から帰宅したら、私が作り置きをしたお弁当を自分で温めて、それを持ち塾へ行きます。夜は駅までお迎えに行き、小腹をすかせた耀子に、軽食やスープを食べさせて寝かせる毎日でした。 塾の無い日は、いつもお友達と遊ぶ約束をしていました。私は仕事中もキッズケータイのメールでやり取りをして、場所を把握していました。そんな毎日が明日もあさっても当たり前に続くと信じていました。 事故の後、まず目が覚めたら、毎朝耀子がいない世界を感じます。夢を見て、自分の泣き声で目覚めることもあります。子供がいない生活になりました。作る料理も洗濯物の数も、何もかもが変わってしまい毎日が苦しくなります。朝早いお弁当作りも、ベランダからの見送りも、塾のお迎えも、夜の軽食作りも、耀子とのメールのやり取りも、全て無くなってしまいました。 ◇生きていたら…… 小学校を卒業した後は、本人が望む学校へ進ませてあげたかったです。11歳の時点で、スキーやスイミングなど、親の私たちよりもできることが多く、成長がとても楽しみでした。いろいろな困難にぶつかっても、耀子ならあきらめずに乗り越えてくれるだろうと頼もしく思っていました。 子供は4人欲しいと言っていて、保育園に預けてママのように働くのだと話していました。私は、なるべく近くに住んでサポートができればいいな、など漠然と考えていました。毎年の主人の両親との年越し旅行や、夏休みや大型連休の家族旅行をとても楽しみにしていて、これからは外国にも連れていきたいと思っていました。 もし、今耀子が生きていたら、もっと話をたくさん聞いてあげたいです。時間をせかすこともなく、耀子の話をたくさん聞いて、いろいろな希望をかなえてあげたいです。そして以前のように、暖かいベッドで一緒に寝てほおをなで、抱きしめたいです。 耀子の部屋はあの日のままです。今も以前と同じように掃除をしています。耀子の誕生日は、命日よりもきついです。小さなケーキを用意して耀子が喜ぶであろう料理を用意し、私たちが食べます。歌などは歌いません。ただ静かに過ごします。 私は、不十分な母親だったと思います。もっともっと穏やかにおおらかに構えて育てるべきでした。ただ、こんなママですが、耀子はとても素直でいい子に育ってくれていました。いつも家族3人で一緒でした。 耀子との最後のメールのやり取りは「今日はどうしても3人でご飯を食べたいの」だったと思います。遅いからパパと2人で食べてきたら?との私の問いかけへの答えでした。耀子が欠けた今も、私たちは耀子の気持ちを想像して、耀子が嫌がることはしないようになんとか頑張って過ごしています。 ◇「14日」がつらい日に 今日は耀子の命日です。2年前の3月14日から耀子に会えていません。あんなにも毎日一緒だったのに突然の別れとなりました。私は2月14日が誕生日で、主人の誕生日は10月14日です。それなのに、14日という日がとてもつらい日となりました。 耀子は「正義の子」だからと言われたことがあります。悪いことは悪いと言える子、それは違うとはっきり言える子だと言われました。ルールを破ることに抵抗があり、いじめや陰口を最も嫌っていたと思います。事故当日のニュースに、歩行者が青信号で渡っていたとはっきり書かれていたと聞き、耀子の正義が証明されたと、そこだけはほっとしました。 いつも慎重に道路を渡る子でした。踏切も音が鳴り始めたら、絶対に渡りません。前日も事故と同じ横断歩道をピアノのレッスンへ向かうために通りました。心配性の私は、帰りも水戸街道まで耀子を迎えに行きました。自転車に乗り信号待ちをしていた耀子は、青になると首を大きくふり左右を確認し、ニコニコ顔で私のもとに駆け寄りました。 このように大変慎重な子でも、命を奪われました。たまたま耀子たちがひかれてしまいましたが、誰がひかれてもおかしくありません。無差別殺人と何ら変わりないと思っています。 耀子は身長152センチ、体重35キロのきゃしゃな体でした。なぜ少しでもブレーキを踏んでくれなかったのか。大けがで済んだかもしれないのに。毎日そう思い、悔しいです。耀子は、私たち夫婦のたった一人の娘で両祖父母にとってもたった一人の孫でした。最愛の宝物です。耀子を身勝手な運転でひき殺し、私たちの人生も心も殺しました。「娘は理不尽に命を奪われた」父が意見陳述 小5死亡事故東京都葛飾区四つ木5の国道6号(水戸街道)で2020年3月14日、近くに住む小学5年の波多野耀子(ようこ)さん(当時11歳)が軽ワゴン車にはねられて死亡した事故で、赤信号を無視したとして自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)に問われた元配送業、高久浩二被告(69)=埼玉県三郷市=の裁判員裁判が14日、東京地裁(西野吾一裁判長)であり、検察側が懲役7年6月を求刑して結審した。判決は22日。 14日の公判では両親が意見陳述した。父暁生さん(44)の主な発言内容は以下の通り。 ◇受験勉強を楽しみに 私たち夫婦にとって、この世で最も大切に思い、愛していたのが、一人娘の耀子でした。耀子も私たち両親のことをとても愛してくれていたと思います。 耀子は幼い頃から、のんびり屋でマイペースな子でしたが、「継続は力なり」を地でいく子で、何事にも根気強く取り組む子でした。 水泳、ピアノ、お囃子(はやし)、英語といろいろな習い事をしました。どれもできるようになるまでには時間がかかりましたが、出来る様になるまで、諦めることを嫌う子でした。 その、ひたむきな姿と、持ち前のマイペース屋さんからくるほんわかした様子が相まってか、習い事の先生方にもとても可愛がっていただきました。親の欲目かもしれませんが、多くの人から愛されるキャラクターを持った子でした。 小学3年生から中学受験のための塾に通い始め、夜の8時または9時まで塾で勉強をしていました。当初は慣れるまでに少し時間がかかりましたが、習い事で培ってきた継続する力を発揮して、徐々に学力を付けていきました。 そのかいあって塾でも最上位のクラスに所属していました。私に似て国語が得意だったので、やっぱり親子なのだなとうれしく思ったことをよく覚えています。小学5年生になってからは受験勉強を楽しみにするまでに成長し、志望校を決めるためにいろいろな学校の見学会にも行きました。 見学の際は在校生から声をかけられると照れくさそうにしていましたが、後でこっそり、「この学校は気に入った」とか「この学校はイマイチだった」などと感想を教えてくれて、志望校を真剣に考えている姿に大きな成長を感じ、ほほ笑ましく思いました。 耀子の部屋には、勉強のメモや私たち両親が作った勉強のスケジュール表などが至る所に張ってありました。正にこれから6年生になって、いよいよ受験勉強本番となる矢先に、今回の事件に遭いました。 ◇ホワイトデーのお返しできず 事件当日は19時から私の美容室の予約が入っていました。当初は耀子を連れて行く予定はありませんでしたが、ちょうど、妻が外出しており、耀子を一人で留守番にさせておくのも可哀そうに思い、「美容室についてくるか?」と聞くと、彼女は「ついてくる」と言いました。 私は、耀子と2人で近所のスーパーに出かけたり、ちょっとした散歩がてらの外出をするのが、プチデートのようで楽しみでした。ですから、その日の美容室もそんな気持ちで一緒に出掛けることにしました。 この時に、一緒に連れて行かずにおけば、耀子は事件に巻き込まれなかったのだと、今は悔やんでも悔やみきれない思いです。 美容室に着くと耀子は持ってきたゲーム機でゲームをしながら、私を待っていました。私の前の予約のお客さんの立ち話が長引いて、19時からの予約でしたが、私が髪を切り始めたのは19時15分くらいでした。それでも、耀子はおとなしく待ちながら、時々妻とメールで状況報告のやり取りをしているようでした。 美容室の鏡越しに耀子の様子を見ていましたが、お店の方に話しかけられて世間話をする様子などは、もはや幼児ではなく、しっかりとした少女になっていました。なじみがない大人ともにこやかに話せるようになり、随分と成長したものだなと、思ったのを覚えています。 美容室は予定より遅くに終わり、20時30分ごろに店を出発しました。どこかで妻も合流して外食でもしようかという話にもなりましたが、耀子と妻は携帯電話のメールで連絡を取り合っており、妻が家で夕食を用意して待っているとのことだったので、家に帰ることにしました。 その日はホワイトデーだったので、まだお返しを渡していなかった私は、帰りにコンビニで何でも好きなものを買ってあげようかなどと、のんきに考えながら、耀子とたわいもない会話をし、歩いて家に向かいました。雨は降っていなかったと思います。 あともう少しで家に着く場所にある、事件現場の四つ木5丁目交差点に差し掛かりました。歩行者の信号は赤だったので、青に変わるのを2人で待ちました。 水戸街道は車が結構な速度を出して走っていました。金町方面から向島方面への上り車線を走る車が、信号待ちをしている私たちからみて右から左へと走り抜けるので、私はあえて、私の体が盾になるように耀子の右側に立って信号が青になるのを待ちました。後でこのことが耀子を左側からの車の衝突から守る上であだになるとは、この時は思いもしませんでした。 程なくして、信号は青に変わりました。しかし私は耀子に「まだ渡るな」と言いました。向島方面から金町方面への下り車線を暴走族風のバイクが信号を無視してわざとエンジン音をうならせながら低速で横断歩道を横切って行ったのです。私たちはそのバイクが走り去るのを待ち、横断歩道から離れて行ったのを確認して、耀子に「どうしようもないやつらだな、渡ろう」と一言言ってから、青になった横断歩道を渡り始めました。それが、耀子と私との最後の会話になりました。 耀子は私と並んで、私の左側を歩いていました。横断歩道中ほどの中央分離帯を越えたあたりで、私は我々の右側を走り抜けて、同じく横断歩道を渡る自転車を目視しました。 そこで、私の記憶はぷつりと飛んでいます。気が付いた時は、救急車に乗せられているらしいことが分かりました。車にひかれた衝撃で気を失ったようで、ひかれた瞬間のことは全く覚えていません。 訳が分からなかった私は、何か言葉を発しようとしたと思いますが、会話をする力がありませんでした。救急隊員が大声で「車にひかれたんだ」と叫ぶようにして教えてくれました。私は状況がよくのみ込めませんでしたが、何とか力を振り絞って、「娘は?」と救急隊員に尋ねました。 救急隊員は「別の救急車で運ばれている。それ以上の状況は分からない」と言いました。そして、サイレンを鳴らしながら激しく揺れる救急車の中で、私は酸素マスクをつけられ、自力では全く体を動かすことができず、左足に激痛を感じながら意識が途切れ途切れになっていきました。 次に覚えているのは、病院らしきところで、強いライトの下でたくさんの医者に囲まれている光景でした。私は「娘は?」と聞きました。医者は、「娘さんの状況は分からない。手術することを了解してほしい」と言いました。 意識がもうろうとするなか、耀子はきっと別の病院で処置を受けているのだ、多分軽傷だろうと思い、医者に手術を了解する旨を伝えました。この時私は、なぜ車にひかれたのか全く見当もつきませんでした。このまま自分は死ぬのかもしれないと思いました。麻酔をされて、また記憶はそこでぷつりと飛びました。 ◇「ごめんな耀子」 次に気が付いた時には、私は集中治療室にいました。恐らく事件当日の2日後だったと思います。体は相変わらずほとんど動かず、意識ももうろうとしていました。左足には手術した形跡がありましたが、足の感覚はありませんでした。 徐々に意識がはっきりとしてくる中、病院の看護師や医者に耀子のことを聞いても、みな一様に、娘さんは別の病院に運ばれていて状況は分からないと言いました。 病室には妻と私の両親も来ていました。妻に耀子の様子を聞きましたが、妻は苦しそうに口ごもるだけで何も言いませんでした。私は何か皆が隠していると思い、父に「耀子はどうした」と聞きました。すると、父から「耀ちゃんはダメだったよ」と伝えられました。 にわかには信じられませんでした。あの耀子が死んでしまった? なんで? 状況が理解できず混乱した私は、妻を呼びました。妻も当然取り乱していて「一緒に私たちも耀子の後を追おう」と涙ながらに言いました。何をばかなことを言っているんだと思いましたが、憔悴(しょうすい)しきっている妻にかける言葉は見つかりませんでした。 その瞬間を境に、私の人生は終わったも同然になりました。 耀子の死を伝えられても、私は依然としてそのことが信じられませんでした。なぜこんなことになってしまったのか? そのことばかりを頭の中でグルグルと考えていました。 その後、病院の計らいで耀子の遺体を、墨東病院から私が入院している日本医科大学付属病院に移送してもらい、私が耀子と対面する機会を作ってもらいました。 耀子の遺体が安置されている場所に車いすで行きました。そして、横たわる耀子を見た瞬間私は、「ごめんな耀子」と声をあげてしまいました。あまりのショックに号泣することもできませんでした。耀子の体は信じられないほど冷たく、硬くなっていました。大事な大事な一人娘がこんなことになるなんて、私は冷たい耀子の体をなでながら、二度と元気な耀子に会うことができなくなってしまったことに、底知れぬ絶望を感じました。 耀子との対面を終え病室に戻ると、医師から今後のことについて説明がありました。できる限りのことはするが、今の容体では通夜と葬儀に参列するのは難しいという説明でした。私は、参列しないことはあり得ないと伝え、何とか葬儀だけは参列することを許してもらいました。 葬儀の前日、病室で喪主のあいさつを考え、メモにしたためました。 車椅子で介護タクシーに乗って、葬儀場に着くと、耀子は棺の中にいました。私は改めて耀子の冷たく硬い体に触れ、号泣しました。棺の中で花に埋もれる我が子の姿を見て、一体これは何なのだ、なぜこんな光景を目にしなくてはいけないのかと、悲しみと怒りと絶望が入り交じった気持ちになりました。 葬儀には300人を超す方々が参列してくださいました。 ◇地獄のような日々 葬儀を終えた翌週に、病室に警察の方が来ました。私は、明らかに青信号を横断していたのに、こんなことになるのは全く意味が分からないと話しました。警察の方は、車が赤信号を無視していて、我々に全く落ち度はない、極めて悪質な事件だと言っていました。後々聞いた話では、耀子は車と私の体に挟まれる形になってしまったため、ダメージが大きかったそうです。私はそれを聞いて、なぜ耀子を救うことができなかったのか、私と耀子が左右逆に並んでいれば耀子は助かったかもしれないと思いました。今でもそれが苦しくて仕方がありません。 令和2(2020)年4月10日に退院しました。自宅に戻り、耀子の部屋で、彼女がもうこの世にいないことを改めて突き付けられ号泣しました。 それからは、地獄のような日々でした。なぜこんなことに巻き込まれてしまったのか、なぜ耀子は死んでしまったのか、毎日、毎日、考えても考えても、救いは無く、また今日も耀子がいない一日が始まるのかと苦しくなるばかりでした。 当時、唯一の外出はリハビリでした。松葉づえでの歩行訓練のために自宅近くの整形外科に通いました。病院では、耀子と同じ年ごろの女の子がリハビリに励む姿を目にする機会がありました。耀子も骨折程度で済めばせめてもの救いだったのに、なぜ死んでしまうほどの事件に巻き込まれたのかと、ここでも苦しくてたまらなくなりました。 リハビリを続け、松葉づえからつえ1本で歩けるようになったので、6月から仕事に復帰しました。復帰後は、事件で暗転してしまった自分の人生と、今まで通り何も変わることなく回っていく職場との落差に大変苦しみました。同僚の変わらぬ日常の話題や、お子さんのイベントの話が耳に入ってくる度に涙があふれ、トイレなどでこっそり泣きました。それでも、顧客の前では何事もなかったかのように笑顔で話さなくてはなりませんでした。 そんな毎日を過ごす中で、明らかに精神的に異常をきたしていると感じたので、被害者支援都民センターのカウンセリングの際に相談すると、重い抑うつ状態にあると思われるので直ちに精神科へ行くように勧められ、紹介状を書いてもらいました。心療内科での診断は抑うつとPTSD(心的外傷後ストレス障害)でした。私は、睡眠導入剤や抗うつ剤を服用しながら何とか仕事を続けましたが、その年の年末ごろから限界を感じ、令和3(2021)年4月末で会社を退職しました。本当に人生がめちゃくちゃになりました。 ◇初公判前日に娘のビデオ 私たち親子は慎重に青信号を横断していただけで何の落ち度もありません。 娘の耀子は、6年生に進級することを楽しみに、中学受験に向けて正に本腰を入れようとしている真っ最中でした。 「大学生になったらピアスをしてもいい?」 「テレビが大好きだから将来はテレビ関係の仕事をしてみたいな」 「なるべく早く結婚して、子供は4人ぐらい産みたいな」 そんなことをよく話していました。さまざまな可能性を持った未来がたくさんある娘でした。私たち夫婦にとって、ただ一人の子供であり、両祖父母にとってもただ一人の孫でした。そんな大事な娘が、このように理不尽な形で大切な命を奪われました。 初公判の前日、妻が検察官との打ち合わせで不在の時に、私一人で過去に撮った耀子のビデオを見ました。 事件以来、耀子が映ったビデオをきちんと見るのは初めてでした。それまでは、つらすぎて映像を見ることが難しかったのです。しかし、裁判に臨むにあたって、きちんと耀子の動く姿と声を目と耳に焼き付けなくてはいけないと思い、意を決して見ました。動く耀子の姿を目にし、声を耳にして、ただただ、失ったものの大きさに、一人で震えながら大声で泣きました。 当たり前ですが、耀子は生きたかったと思います。本当に悔しがっていると思います。一番怖かったのは耀子です。青信号を守っていたのに、赤信号無視の大きな車に時速57キロで衝突され、どれほど怖かったか、痛かったか。 愚かな運転により、命を奪われた娘の無念さ、苦しさ、そして我々遺族の悲しみと絶望をご想像いただき、今後、このような事件を再発させてはならない、という予防的な意味も込めて、過去の判例や量刑相場にとらわれることなく、現行法上の最大限の刑罰、すなわち懲役20年に処していただきますようにお願いいたします。波多野耀子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。(さえりん14歳の時 中学校の校外学習電車でお出かけpart8)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館安城市民活動センターオンライン団体交流会2021応援のコメント終了しました!!皆様たくさんのコメントありがとうございました!!会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年03月15日
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昨日は朝から雨が降っていて寒かったです。雨のせいなのか自主隔離生活のせいなのかよくわかりませんが、やる気が全然出てきません。雨が降っていたので洗濯物をする気力も湧かずダラダラ過ごしていました。ところが11時ごろから急に外が明るくなって雨が上がったようでした。ようやく重い腰をあげて洗濯機を回そうと階段を降りると踊り場に茶封筒が置いてありました。差出人は山梨県警本部、犯罪被害者支援係の方からでした。それは11月28日山梨県富士北稜高等学校で「命の大切さを学ぶ授業」として講演をさせていただいたときの生徒さんからの感想文が約60名分が入っていました。A4用紙にたくさん感想を書いてくださった生徒さん達の中で、きっと先生が選んで良かった人の感想文をコピーして送って頂いたのです。山梨県警本部の犯罪被害者支援係の方からもこんなお手紙も添えてあり、本当に嬉しかったです!!生徒さんの感想文は載せることは出来ませんので一部抜粋させていただきます今日の講演を聞いて命の大切さをあらためて考えさせられました。今日お話ししてくれた方は残酷な交通事故で娘さんの命が奪われてしまったにもかかわらず、私たちのために命の大切さについてお話ししてくれて感謝しかないと思いました。坂田さんの話を聞いて突然交通事故で大切な人を失う悲しさを知ることができました。朝出かけて帰ってこないという想像もしないことが訪れるという酷さがどれだけ辛いのか知ることができました。この話を聞く前は「自分は交通事故にあうことはない」と心の隅で思っていました。けど命を喪うことはほんの一瞬で突然訪れると知りました。事故は誰にも予想できず、とても怖いことです。今回のように安全でも安全ではない事があるので気を付けようと改めて思いました。自転車で登校しているので今回の話を聞いて改めて気を付けようと思った。青信号はずっと安全だと思っていたので、日本の信号の落とし穴を聞いたときは驚いた。青信号でも左右をよく確認してから渡ることを忘れないようにする。どう見てもトラックが悪いと思うところを被害者が悪いという人がいるなんてビックリした。自分がどう思ってもそれを被害者や家族に向けて言うことではないとあらためて学んだ。娘さんはメッセンジャーとして(パネルの姿で)活動している。娘さんの死を悲しく重く受け止めるだけでなく、メッセンジャーとして、命の大切さをたくさんの人に教えていることを知り娘さんの偉大な姿がこの世にあることが凄いなあっと思った。講師の方はこのようなボランティア活動をしていてそのお蔭であらためて気持ちが引き締まったしもっと命の尊さや大切さが多くの人に広まってほしいと思いました。今まで交通事故のニュースを見ても他人事のように感じていました。あまり被害者遺族のことまで考えていなかったです。でも、初めて交通事故での被害者遺族の方のお話を聞いて交通事故というものを改めて知ることができました。私はこの講演を聞き心がとても痛いです。理由は私もこのようなことがあったからです。約5年前私が小学生の頃、当時19歳の親戚の兄が死にました。坂田さんも話していましたが、「自分の家族、兄弟、恋人、親友が死んだら」と想像して欲しいです。一度命が亡くなったらもう戻らないのです。信号が青だったから渡ったのにまさか事故に遭うなんて悲惨だし、紗愛理さんが乗っていた自転車を見て衝撃を受けました。妹に事故の報告がLAINになってしまったところを聞いて涙が出ました。私は命は自分だけのものだと思っていました。ですが今回この講話を聞いて、命は自分だけのものではないのだと思いました。遺された人の気持ちを考えてとても心が痛くなりました。実際に経験された方からの話を聞いて、命の大切さがとても伝わってきました。また経験された方だからこそ言葉の重みが違うなと思いました。中学、高校とで命の授業を何度か学んできたが、今日聞いた講習が特に心に刺さる感じがした。自分にも兄と弟がいて兄弟が突然亡くなることを想像すると誰でも正気ではいられない。今日の講演を聞いて自分が毎日楽しく平和に生きていられる環境は当たり前ではないこと、命の尊さについて学ぶことができました。自分の家族や、友人など身近な人が亡くなってしまうことを想像した時とても怖かったです。命は自分1人だけのものではなく、私は命は「みんなのもの」だと思いました。今回の授業で坂田さんも苦しいはずなのにこうやって講話をしていただき、私たちに想いを伝えて事故が起きないように活動されることが凄いことだと思った。二次被害の話を聞いて、人の死に誰かがものを言ってはいけない。娘さんもご家族も何も悪くないし、娘さんの死を無駄にせず、私たちに命の重みを伝えて下さる坂田さんも素敵だと思う。私ももうすぐ車を運転できるので交通事故の被害に苦しむ方がいることを肝に命じ安全運転に注意する。自分ひとりの命でないことを重んじて生活します。大事なことを教えてくれてありがとうございました。トラックの下敷きになった話は聞いているだけでもつらいのにその話を私たちに伝えることはすごくありがたくて心が苦しくなった。第三者が遺族や亡くなった人に対して悪いコメントを書く人がいてまだそんなことをやっているんだと思いました。インターネットが普及されどんな人でも誰かを傷つけられる時代でとても残酷だなと思いました。感謝や思いやり助け合いの気持ちを持って人と関わっていきたいです。被害者の家族がどうして苦しめられるのか「仕方がない」「当然だ」なんてひどいことをなぜ言われなきゃいけないのか意味がわからなかった。亡くなってから気付くのでは遅い。事故を防ぐためにも今回の講話やメッセンジャーの存在について忘れずに教習所に通っていきたい。青信号がすべて安全なわけではなく、こちら側がしっかり見ていても相手側の車が少しでもよそ見をしていたら交通事故になってしまうこともあるのだと知りました。一人一人の意識を変えていくことで交通事故を減らせるのだという意見にとても共感しました。毎日の当たり前が幸せであることを実感しました。 ついたくさん書いてしまいましたが、本当にとっても素敵な感想文を書いてくださいました!!殆どの生徒さんが「命の大切さに気付いた」「交通事故は絶対に起きてはいけない事」「二次被害の心無い誹謗中傷は酷いと思う」「もうすぐ車の免許をとっても必ず被害者にも加害者にもならない気を付ける」など書いてくださいました。私は昨日の朝まではやる気がなくてメンタルが下がりそうだったのですが、生徒さん達がしっかり想いを受け取って下さったことが何より嬉しく感謝に思いました!!今回高校での素晴らしい講演の機会をくださいました、富士北稜高校の先生方、山梨県警の被害者支援係の方、山梨県被害者支援センターの方、いのちのミュージアムのTさん、本当にありがとうございました!!実は今年最後に12月16日(金)に名古屋市犯罪被害者等支援入門講座で講演させていただきます。とっても緊張ですが高校生の生徒さん達の感想文に勇気をいただいてこんなダメダメな私にでも出来る限り精一杯頑張りたいと思いました!!(さえパパのTwitter友達のかなかなさんがツイートして下さいました!!)(くらランドのMちゃんクラフトテープのご支援ありがとうございました!!)(さえりん20歳の時 成人式前撮り撮影part2)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月14日
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昨日はさえパパが前日に腰痛になるというハプニングから始まって、たくさんのハプニングの連続でした\(◎o◎)/!でも、とっても良かったこともたくさんあった、次女と2人で福岡珍道中の1日目です!!まずは朝9時に我が家を車で出発して、高速道路で常滑の中部国際空港セントレアへ向かいました。何とか次女のナビで第2ターミナルの近くの駐車場へ車を止めて搭乗手続きを済ませてから、カフェでホットドッグの朝ごはんを食べました。少し早めに搭乗ゲートを通ると第1のハプニングが・・・私の荷物が検査に引っ掛かりましたΣ(゚Д゚)なんと洗面所のハサミを持ってきてしまったのです。朝慌てて支度していたのでくしなどと一緒にいれてしまいました。このハサミは持ち込めないということでなんと!?没収されてしまいました( ;∀;)続いて第2のハプニングが・・・私たちは格安で飛行機とホテルの予約をしたので「ジェットスター」という航空会社でした。本当ならば12時出発の福岡空港行きの便だったのに、時間が過ぎてもまだ飛行機が戻って来ていなくて、私たちは搭乗口前のロビーで長く待たされて結局1時間半も遅れて出発し、13時半到着予定が15時過ぎに到着になってしまいましたΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン第3のハプニングは・・・福岡空港に着いたらなんと!?粉雪⛄が舞っているではありませんかΣ(゚Д゚)私たちは福岡県は九州なので愛知より暖かいと思っていたら、北風が吹いて粉雪が舞いとっても寒くてビックリしました!!そしてレンタカーを予約したお店まで見えているのに大通りのため横断歩道がある場所まで大回りして歩いてとっても寒かったです(^-^;しかもこんな雪の日に私が初めてのレンタカーを運転できるのかまた不安に襲われるのです。借りた車は「トヨタのライズ」でした。それでももうここまで来たら私が運転するしかない!!しかも悩んでいる時間もない!!次女にスマホでナビをさせて何とか30分くらいで目的地のマリンメッセ福岡の第3駐車場に到着しました(^-^)途中コンビニでおにぎりを買って遅いお昼ご飯を車の中で食べました。第4のハプニングは・・・コンサートが終わってから、もつ鍋が食べたくなって博多駅の方まで車で行ってコインパーキングに車を止めてお店を探したら、なんと!?晩ごはん難民にΣ(・ω・ノ)ノ!有名なもつ鍋屋さんには人がたくさん並んでいました。3件探したのですが2件は行列、最後の1件は予約のみの営業ということで断られてしまいました。もうこうなったら博多ラーメンでもいいかと探したのですがもうその時点で夜の10時半過ぎ・・・オーダーストップの店も多くて食べるお店が見つかりません!?お腹が空いて寒くて足も痛くて泣きたくなりました(´;ω;`)ウッ…次女もお互いイライラして喧嘩になるし散々でした💦以上がハプニングでした!! ここからは良かったことです!!良かったことその1は・・・次女の中学の時のお友達が今福岡に大学へ通っているので、わざわざマリンメッセ福岡まで会いに来てくれました!!コンサートが始まる前の30分ぐらいしか時間がありませんでしたが粉雪の舞う中外で立ち話をして次女はとっても嬉しそうでした(*^^*)良かったことその2は・・・TREASUREのコンサートはもうめちゃくちゃ良かったのです✨💎✨日本人メンバー3人のうちの1人が福岡出身なのでもうめちゃくちゃ盛り上がりました!!しかも福岡2日目で第2公演で最終日だったので、今までのセットリストより2曲も多くアンコールで歌ってくれてとっても感動(≧▽≦)12月6日の愛知公演の時も普段もそうですがだいたい2時間半のところ、昨日は2曲プラスとトークも長くて3時間もやってくれました!!そして会場の雰囲気もとってもアットホームで今回はアリーナではなくスタンドだったから余計にそう思えたのですがみんなの一体感がとっても良くって大盛り上がりで素晴らしいコンサートでした!!最後に韓国人のリーダーが日本語で「もつ鍋がとっても美味しかったー!!」と言っていたので私たちももつ鍋を食べてみたくなったのです。大変な思いをしてでも福岡まで来た甲斐がありました(⋈◍>◡<◍)。✧♡良かったことその3は・・・博多駅のイルミネーションがとっても綺麗で賑わっていました✨🎄✨おしゃれな雑貨やクリスマス飾りやアクセサリーの露店が出ていて、手作りのピアスがとっても可愛かったので福岡旅行の想い出の記念に次女に1つ買ってあげました。次女がとっても喜んでくれたので私も嬉しかったです♡良かったことその4は・・・最終的に博多駅前をウロウロして最終的に12時までやっているラーメン屋さんを次女が見つけてそこへ行こうとしたらまたも行列Σ( ̄ロ ̄lll)ガーンもうコンビニでおにぎりを買うしかないかと諦めかけていた時、ラーメン屋さんの少し奥にちょっと雰囲気の良い居酒屋さんがあり、店内に入ると10時50分「あと10分でオーダーストップですがいいですか??」と言われてもう何でも食べれればいいとやけくそだったので入りました。ところがこのお店が大正解だったのです(≧▽≦)まるで逆転ホームランです!!もつ鍋がお1人様1200円で2人分頼んで、焼き鳥セットと水餃子とソフトドリンクを2人で計4杯を頼みました。するとお料理がどれもすっごく美味しかったんです✨✨私と次女はもつ鍋を初めて食べたんですが、もつが柔らかくてジューシーでキャベツとニラはいっぱい入って野菜も甘くてめちゃくちゃ美味しかった!!焼き鳥も水餃子も全部美味しかった!!有名店のもつ鍋は1人前4000円とかしていたのでこの居酒屋で本当に良かったです!!会計はこれだけ食べて2人分で6500円でした!!店員さんも優しかったし、次女と2人で大満足でした!!良かったことその5は・・・博多駅から車で10分くらいでホテルに着いたのがもう深夜0時を回っていました。しかし思ったよりホテルが立派でまたビックリ!!しかもホテルの1階にコンビニがあり便利でした。コンビニでお茶を買って、お風呂に入ると今日一日の疲れが取れた気がしました。そして夜中の3時までこのブログを書いています。次女は疲れて寝てしまいました( ˘ω˘)スヤァ(昨日の福岡旅行1日目の様子) こんなハプニングと良かったことの福岡珍道中の1日目でした。福岡2日目の今日はまたどんな日になるでしょうか??皆様のブログにお邪魔できなくてごめんなさい。(さえりん20歳の時 最後のお正月part3)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月19日
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昨日は朝から一日中雨の100%の日でした。小雨でしたが外に出るのも面倒なので一日中家で過ごしました。昨日は金曜日のボランティア活動で社協での嫌な出来事をブログに書いたので、朝知立市議会議員Nさんから電話がかかってきました。Nさんは先日東京国会での生命のメッセージ展に一緒に行って下さった私たちが一番信頼している市議会議員さんです。「さっきブログ読んで、大丈夫。その職員の対応は問題です。そういう人とわかっていながら窓口対応にしている社協もよくないです。市役所の担当課に対処するように伝えますね。何よりボランティア活動で無償で交通事故を減らすためにやっている配布活動を理解していないことが一番悔しいですね。今後このようなことがないようにしっかり働きかけますからね!!」とおっしゃられました。私は今回の件は市議会議員さんにまで言わなかったのですがこうしてブログを読んですぐに動いてくださる味方がいて下さる事が何より心強いです!!やっぱりすべての人に理解してもらおうなんて無理です。こうして一部の人が批判的でも、理解して協力して味方になって下さる方々や仲間が私の周りには大勢いて下さる事が活動の原動力になるのです!!昨日はそんなことをまた再確認して元気が出てきました。ありがとうございます!! 5月と6月はさえりんの祥月命日も近づいてくるし梅雨前後は雨の日も多く、メンタル的にも落ち込みやすい嫌な季節ですが昨日の私は家でやることがあったので良かったです。それはクラフト紙バンドでバッグ作りのハンドメイドです!!もちろんにじいろ会にご支援でいただいたカラフルなクラフトテープは大切なストラップ用なので使いません。私が趣味で使うのは前から持っていた自分で買ったクラフトテープと「バッグやカゴ作りに使ってもいいよ」と言っていただいた物だけです。先日Aさんがダンボール箱に入れてたくさんのライトタイプのクラフト紙バンドを「ライトタイプは柔らかくて編みやすいので石畳み折り(四つ畳み折り)バッグに使ってもいいよ」くださったので、私はとっても嬉しくなってそれを使ってバッグ作りをしました。Aさんありがとうございます(≧▽≦)少し前から前に頂いたクラフト紙バンドを使って少しづつバッグを作っていました。特に落ち込みやすいこの季節ですが、ハンドメイドをしている時は夢中になれて余計なことは考えずに落ち込まずに済むのです。それに何より紙バンドは牛乳パックの再生紙なのですが元は木からできているので触っているとすっごく落ち着いて心が癒されるんです。きっとさえりんも同じ気持ちだったのかなと思います。学校や仕事でのストレスをカゴ作りに夢中になることで癒されてストレス解消していたのかな。もちろん細かい作業が苦手な人には逆にストレスになってしまうかもしれませんが。(最近作ったクラフト紙バンドのカゴ) 私はまだ初心者なので最初はSさんに四つ畳折りのバックの作り方を教わって、それからはYouTube動画を見てちょっと参考にしたりサイズを計算して少し大きめや小さめのバッグを作ったりいろいろ試行錯誤しています。飾りに薔薇の花が作れるようになりました。向日葵はまだ練習中ですがこうした小物を作るのもまた楽しいです。バッグも今は四つ畳み折りしか出来ませんがもっといろんな編み方が出来たらいいなあと思います。持ち手のアレンジは昔さえりんに教わったカゴの持ち手の編み方を応用してみました。昨日は一日中ハンドメイドの時間で、指はちょっと痛くなりますが全然飽きません。夢中になれることが幸せを感じられるのです。Aさんが教室を開かれたら、習いに行く日を楽しみにしています。今は時々NさんやSさんが我が家へ遊びに来て一緒にハンドメイド出来ることが楽しいです。何よりこれといった趣味が無かった私には何かやりたいことが見つかったことが嬉しいです。もっと上手にセンス良く作れたらいいなあ。ストラップ作りも最初はさえりんが遺してくれたクラフトテープがたくさんあったから始まった活動なんです。さえりん、ママをクラフトテープに出会わせてくれてありがとうね!!さえりんもきっとお空で私と一緒に作っているのかな。(さえりん3歳9カ月 知立まつりpart5)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年05月20日
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一年前の今頃は何をしていたんだろうって思う。昨日は、土曜日は朝始発から帰りは終電まで一日中遊びに行っていた次女が「そろそろ1月末のテストに向けて本気出して勉強しなくちゃ」と言うので隣の市の図書館へ送り迎えした。次女は家より図書館やファミレスの方が勉強に集中出来るらしい。私が車で送り向かえをしながら、次女が「そういえば一年前の今頃は受験間近で追い込まれてたね」と懐かしそうに話す。確かにそうだった。次女は高校からは塾に行かず、入試も推薦に頼らず一般入試でと決めて、12月くらいから毎日学校帰りに近くのファミレスで夜遅くまで、土日は隣の市の図書館の自習スペースで友達と2人で一生懸命頑張っていたことを懐かしく思い出した。まだ一年前の事なのに・・・もう一年前かもしれない・・・私はというと、一年前の今頃は次女の大学の学費を稼ぐため仕事に精を出していた。一年間で100万円貯めて学費の足しにしようと。私立大学なのでもっと学費はかかるけれど、私は扶養家族なので税金のかからない103万円以内に収入を抑えないといけなかったから。でも去年の1月のお給料は10万以上。これではペースを考えないと超えてしまうので、ちょっと仕事を抑えないといけないと思っていた。とにかく次女が自分のなりたい夢に向かって、大学受験を頑張るなら、私は仕事を頑張って次女の助けになってやりたいと思っていた。主人は、相変わらずいつもと変わらず仕事をしてくれていた。「俺のお給料では次女の学費までは厳しいから、ママが頑張って働いて」と私を応援し、疲れて家事がおろそかになったり、晩ごはんが手抜きになっても文句も言わず許してくれていた。さえりんは、職場での人間関係に悩みながら一生懸命に働いていた。そして、私の体を一番心配してくれていた。私は大きな病気(ガン)を2回もやっているし、盲腸の手術をしたり、原因不明の足の痛みで数か月寝込んでいたこともある。他にも慢性の寝不足や、血液検査の数値が良くないなど、心配な要素をたくさん抱えている。だから、さえりんは私が風邪やインフルエンザで寝込んだり、体調を悪くすると物凄く心配してくれた。私が疲れた顔をしていると、さえりんはよく見ていて決まって「マッサージしてあげようか?」と言ってくれる。仕事から帰り疲れて居眠りしてたりすると、さえりんは「ママ仕事大変だったらもうやめていいよ。妹の学費は私が働いたお給料から助けるから、あんまりしないで!!」って、心配してくれるんです。本当にさえりんは親思いで、妹思いで、とっても優しい娘でした・・・家族を思いやれる、こんなにいい娘に育ったのに・・・一年前までの私はどれほどさえりんに感謝して、大切にしていたのでしょうか??どれほど、さえりんの思いに答えてあげられたんでしょうか??どれほど、さえりんに心から「愛してる」って伝えてあげられていたんでしょうか??一年前の今頃、さえりんとの時間があと5ヵ月足らずだとわかっていたのなら、仕事なんてすぐにやめて、もっともっと旅行に行ったり、美味しいものをたくさん食べたり、ゲームを一緒にやったり、さえりんとの貴重な時間をもっと大事に過ごせばよかった・・・さえりんに心配なんてかけずに、もっともっとさえりんを安心させて喜ばせてあげれば良かった・・・「ママはもう大丈夫だよ」って。もちろん生きていく上でお金は大事だけど、お金では買えないもっともっと大事なものがあると、さえりんは教えてくれたんだと思う・・・さえりんは精一杯私たちに「愛」をくれたんだと思う・・・一年前のママはあまり気付いてあげられなくてゴメンね・・・もう遅いかも知れないけど、今はしっかり受け取っているよ!さえりんからの最高の「愛のプレゼント」を!!本当にありがとう、さえりん絶対に忘れたりしないからね!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。一昨日、かずまるさんがコメントで「いつもより少し強い表現でコメントを書いたらコメントがリセットされて消された。2回もそういうことがあった。さえりんの意思で修正を求められたような気がした」と書いて下さった。かずまるさん教えてくださり、ありがとうございました!!かずまるさんは霊感がお強そうなので、もしかしたら本当にそうだったらすごーく嬉しいなぁと思いました!!さえりんはこの『さえりんの部屋』をいつも見ていてくれる。いつもママのことを気にかけて守ってくれてるんだと。だとしたら、ママはこれからもずっと毎日、毎日このブログに書くよ!さえりんへの愛と感謝の気持ちを!!Jamoniaさんへコメントありがとうございます。過去のブログも見て下さり、ありがとうございました!!Jamoniaさんはもしかして楽天ブログ以外でブログやってみえますか?私ブログ初心者なのでよくわからないんですが、もしやってみえたら伺いたいです。教えていただけたら嬉しいです!!シャルルさんへコメントありがとうございます。はじめましてさえママと申します。娘さんの成人式のご様子、悲しい思い出教えて頂きありがとうございました。亡き叔母様の振袖を着て、亡くなられたお友達を偲ばれ参加した成人式は娘さんの心に切なく残りましたね。うちの次女もそうなるのかなと思いました。でもきっと娘さんはとってもお優しいお嬢さんになられたはずですね。娘の事ばかりのブログですが、これからもどうかよろしくお願いいたします!!
2020年01月13日
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5月に入って真夏みたいな晴天が続く今日☀私たちの市では、本当なら5月3日は地元の神社へからくりの山車が集まる祭りの日。3年前、ユネスコの無形文化遺産に登録された江戸時代から毎年行われる伝統の祭りです。神社に近い我が家の周りは人通りも多くなり、5つの町内の山車のお囃子の音色や子供たちの声、神社には露店が並び、人々のざわめきで賑わうはずだった・・・それなのに今年は、コロナの影響で中止になりました。人々の歓声も姿もないひっそりとした、寂しいゴールデンウィーク・・・去年は仕事でお祭りに行けなかったさえりんが、「来年こそは絶対に休みをとるから、ママ一緒に神社に行こうね!!」と約束していたのに・・・(>_<)一年後、さえりんはこの世からいなって、お祭りはコロナで中止になるなんて、いったい誰が想像できたでしょうか????誰も想像すら出来ないこと、これが現実・・・・未だ認めたくない辛い現実・・・昨日は、私の独身時代からの職場の同僚だった友人Hちゃんが来てくれました。2人でさっと買い物をして、うちでお昼ご飯を食べながらゆっくり過ごした。昔の話をたくさんして、久しぶりにお腹から笑った!!楽しかった!!こんな風に笑って過ごせる日が来るなんて思わなかった。だけど、夜になり一人で料理を作ってたら、急に寂しくなった・・・急に自分だけ取り残されたような気がした・・・また我に返ると「どうしてここにさえりんだけがいないんだろう・・・」って思ってしまう。少し楽しいことがあると、その後すぐに悲しみが襲ってくる、その繰り返し、未だ悲しみのループから抜け出せない私・・・でも仕方ない!!これが今の私の現実なんだから・・・この悲しみのループを繰り返しながら、少しずつでも強くなるしかない!!それしか抜け出す道は見つからないんだから・・・こうなったら、開き直って競争しようかな???コロナが終息するのと、私が悲しみを乗り越えて強く生きるのとどっちが早いか???どっちも目に見えないからわかりにくいよね(;'∀')「もうママったら、バカなこと言って(≧▽≦)」って今までみたいに、さえりんの笑った顔が見たいよ!!私が望むことはただそれだけなのに・・・明日はさえりんの11回目の月命日。またさえりんへお手紙を書こうと思います。(さえりん3歳 お祭りへ神社にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年05月03日
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昨日は家の中にいても底冷えするような寒い日でした。そんな中さえパパと私と次女は11時に家を出て、まずは次女をスタバで降ろしました。次女は国家試験勉強を家ではなかなか本腰が入らないためスタバでするんだとか(^-^;そういえば大学受験の時もよく図書館やファミレスや喫茶店などでやっていたことを思い出しました。私たちはそのまま名古屋市のなごや人権啓発センターソレイユプラザなごやへ向かいました。そこで「令和4年度犯罪被害者等支援入門講座」が行われていて、午後1時から「犯罪被害者遺族の思い」として講演させて頂くからです。12時半到着予定でしたが少し早く12時10分頃到着しました。すると被害者サポートセンターあいちの支援員さん達が外で私たちが来るのを待っていて下さいました。私たちは駐車場に車を止めて早速12階の会場へ向かいました。ここで行われている講座は昨日から2日目で私たちが着いた時間は受講者がお昼休みの時間でした。その間に会場にメッセンジャーさえりんを設置しました。そしてさえパパはパソコンを接続してモニターに映す準備とビデオカメラの設置をしました。午後1時近くになると受講者が戻ってみえました。私たちも前の席に座ってスタンバイです。さえパパが私の席の隣でパソコン操作だったのでちょっとやりにくかったです💦1人の方が気楽です。受講者と支援員さん方は全員で30名くらいでした。午後1時、講演が始まりました!!私は昨日原稿を読む拒否反応が出て途中で出来なくなったのですが、その後夜かなり言葉を削って表現を柔らかくしたことで原稿そのものも少し短くなり、講演予定時間の40分でちょうど納まる形に仕上がりました。朝出かける前に1回だけ読む練習をしてあとはもうぶっつけ本番です。でも始まってみれば思ったより落ち着いて最後までしっかり話すことができました!!自分でもびっくりです(´▽`) ホッ原稿を読むのが嫌になる理由は自分でもよく分かっています。それは緊張するからではなく自分が書いた文章が読むことで自分自身の心にも突き刺さるからなんです!それは相手に突き刺さるように書いているからその反動を自分も受けてしまうんです。なぜこんな風に書くかというと講演を聞いた人に交通事故被害者遺族の実情を知ってもらうことで交通事故を少しでも減らせたらと強く願うからこんな風になるのです。それが私のやり方なんです。相手の心に突き刺さらないような甘く生ぬるい内容では意味がないんです!!それが交通事故被害者遺族から直接話を聞くということだと思うんです。だから聞いてくださる相手によって原稿の内容を変えています。学生さん向けならそれほど強いショックを与えずに「命の大切さ」を中心に話をしますので「母の愛」を語ります。だからまだあったかい気持ちにもなれるのです。でも一般向けや企業向け運送会社向けなら、しっかり遺族の思いや実情をありのまま語ります。だから自分自身もとってもきつく苦しくなってしまうんです。それでもやっぱりどちらも呼んでいただけるのなら、これからもやっていきたいと思ってしまうんです。たとえきつい思いをしたとしてもそれでもやるんです!!それは知ることから交通安全への意識を高めてもらうためだから!!一人でも多くの人に聞いてもらい、さえりんみたいな哀しい被害者をもうこれ以上出したくないからです。それがせめてもの私にできる、さえりんへの償いだから・・・だから今のところは苦しくても講演依頼をいただいたら断らずにやるのです(^-^;きっとこれからもさえパパや周りの人が被害を被ると思いますが💦ゴメンね💦昨日は講演が終わって午後2時ごろ名古屋を出ました。そのまま車で知立のスタバで次女を拾って午後3時遅いお昼ご飯を3人で食べに行きました。昨日は次女もお寿司が食べたいというので、はま寿司へ行きました。最近恒例になっていることは、講演をした後は必ず美味しいものをお腹いっぱい食べること!!自分へのご褒美です✨そうすることで少しでも講演後の心のダメージを減らすための最大限の工夫です。私は食べ物で簡単につられるちょろい女ですから(≧▽≦)講演前はいろいろな心の葛藤で苦しかったのですが終わってしまえば後の聞いた人の反応は気にしない。ただそこに家族がいてくれる、一緒に美味しいものを食べられる幸せ、それだけであったかくなり心の傷を埋めていくようにしなければと思います。(昨日の講演の様子、受講者は規則があり撮影することは出来ませんでした) 昨日12月16日付けの公明新聞に私の記事を載せていただきました。先日我が家へ取材に来てくれたさえりんと同級生になる若い記者Tさんの記事です。「ひと百景」というコーナーで、さえりんの交通死亡事故の事、ボランティア活動のことなどを簡潔にわかりやすくまとめて書いて下さいました!!公明新聞のTさん本当にありがとうございました!! いろんな思いでやっと今年最後の講演を終えて、ボランティア活動も今年は今日の役員会で活動納めです。やれやれあとはお楽しみが待っています(´∀`*)ウフフ12月18日(日)・19日(月)は九州の福岡県へ家族旅行に行ってきまーす!!そして18日の夜には、推しのTREASUREのコンサート福岡公演です✨✨私はこれを励みに頑張ったと言っても過言ではない(⌒▽⌒)アハハ!もちろんさえりんも一緒に行こうね!!(さえりん20歳の時 最後のお正月・・・)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月17日
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昨日は朝から一日しとしと雨が降っていて、私は喧嘩の後だったので体調も気分も滅入っていました。久しぶりにたくさん泣いた後だったので目は腫れるし頭痛もしていました。そんな状態なので殆ど用事以外は家から出ずにベッドで寝たり起きたりして過ごしました。洗濯物はさえパパが和室に紐を張って干してくれました。一日中ぼーっとしながら喧嘩のことを考えると、やっぱり「私の愛されたい病」だったのかなと思えたり、さえパパに「求める気持ちが強くなっていた」のかなと思えたり、とにかく私が発端だったことに違いありません💦でもさえパパはただの被害者かと言えば原因を担っていたことに間違いはありません。どちらも悪いところはあったのです(^-^;喧嘩両成敗です。私は記念日反応は自分の思い方次第で少しは緩和されたんだと安易に思っていましたがやっぱり記念日になると心がナーバスに敏感になりやすく寂しくなったり虚しくなったり、それを補いたくて誰かに何かを求めたくなってしまうのかもと思いました。今回の喧嘩もその根底には「母の日」という記念日が影響していたのです。自分では花を買って植えたり、次女の彼氏から思いがけずブリザーブドフラワーのプレゼントが届いたり、次女も本当は私のことも想ってくれる気持ちがあることを知れたりでそれで満足だと思っていたはずなのに、やっぱりさえりんからもらっていた大きな愛がぽっかり空いてしまった穴は埋まらなかったのです。それを求める矛先が主人に向いてしまったんではないかと、もちろんただの八つ当たりではなく長年も不満があったからそれが噴き出したのですが、やっぱり「愛されたい病」なのかな??昨日は私が家事を殆どやらないので、さえパパがせっせと動いてくれました。晩ごはんももう要らないかなと思い何もしなかったら、さえパパが「チャーハンなら作るけどいる??」と言ってくれたのでお願いました。さえパパはネットで作り方を見て私のとは違うチャーハンを作ってくれて美味しかったです。私は前の日にたくさん残ってしまった煮魚と一緒に食べました。さえパパは「今は魚の匂いが凄く嫌で気持ち悪くなってあまり食べれないんだ」と言います。薬をたくさん飲んでいるのでその影響もあるのかもしれませんがそれが原因で「晩ごはんはいらない!!」と怒りだしたのならもっと早く魚が食べれなくなったことを私に伝えればよかったのにと思いました。こういう意思の疎通の足りなさも夫婦喧嘩の要因なのです。さえパパは私に気を遣ってたくさん動いてくれます。いつまで続くのかなとも思いながら、あまり甘え過ぎてもいけないなあといろんなことを考えます。でもこうやってちょうどいい加減を見つけて新しい夫婦の形を見つけていくときなのだと思っています。熟年夫婦のより良い関係を試行錯誤中です💦昨日食後には美味しいデザートのいただきものがありました。それは2日前に下の階の若いママさんからもらった赤福餅の「白餅 黒餅」です。私はこの新しい赤福餅を初めて見てびっくり。でもネットで調べたら伊勢の本店や数店舗と名古屋と大阪のデパートなど数カ所のみで販売されているようです。さえパパが美味しいお茶を淹れてくれて食べてみたら白餅は白小豆餡で、黒餅は黒糖餡でとっても美味しかったです(≧▽≦)もっと早く知っていたら6日に横浜桜木町でお会いしたブロ友さんに買っていってあげたかったなあっと思いました。まあとにかく喧嘩は納まり「仲直りの餅」ってことにしようと思います(*´艸`*)私はいつもそうですが美味しいものを食べると大抵機嫌が治ります💦数年前の夫婦大喧嘩の時も「仲直りのブロンコビリー」でした💦とっても単純バカでちょろいオバサンです(⌒▽⌒)でもまあその方が扱いやすいのでは。(お土産にもらった赤福餅の白餅 黒餅を食べて仲直り) 今日も特に予定はないので家でのんびり過ごそうと思います。実は木曜日にはまた新幹線で日帰りで遠出することが決まっているので、それまでに心と身体の調子を整えておこうと思います。(さえりん3歳9カ月 幼稚園の入園式part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年05月14日
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一昨日の台風みたいなお天気が嘘のように昨日はとっても良いお天気でした。風は少し強かったですが台風が過ぎ去った後のような爽やかさでした。昨日の朝、夜勤明けの次女に頼まれて次女のアパートへ迎えに行き実家(元の自宅)へ行くことになりました。次女は大学の時最寄り駅に置いて通学用に使っていた自転車をアパートの駐輪場に置いてあるんですが、「この前乗ろうと思ったら空気がなくて乗れなかったからおじいちゃんに見てもらいたい」と頼まれたからです。次女は学生時代も自転車がパンクしたり空気が抜けるとおじいちゃんに修理してもらっていました。義父で直せない時は近くの自転車屋さんで直してもらっていました。それで昨日は私の車に次女の自転車を積んで自宅へ、途中で夜勤の仕事上がりで腹ペコの次女と一緒に朝昼ごはんを食べてからお昼頃着くと、義父と義弟が買い物から帰ってきたところでちょうどタイミングが良かったです。次女が「おじいちゃん、自転車の空気がないんだけど見てほしいなあ」と頼むと義父はニコニコしながら次女の自転車に空気を入れて錆びたチェーンに油もさしてくれました。私が次女に雑巾を渡すと次女は久しぶりに自転車を拭きました。義父は次女に「温かくなってきたから自転車で通勤するのか??」と聞きました。次女は「通勤はバスだよ。その方が疲れないしバス賃は全額通勤費でもらえるから自転車は休みの日に買い物へ行ったりするときに使おうと思って」と話していました。私はそんな祖父と孫娘の様子を少しは慣れた場所から微笑ましく見ながら、心の中では次女に「自転車通勤だけはやめて欲しい!!」と強く願っていました。それはさえりんみたいに交通事故に遭って欲しくないからです!!このうえ、次女まで亡くしたらと思うだけで怖くてたまらなくなるのです(>_<)完全にトラウマです。今でも時々さえりんが乗っていたのと同じピンク色の自転車を見かけたり、お店の駐輪場にとめてあったりすると、もしかしたらさえりんかもしれないと思ってしまうんです・・・そんなはずないのにこれが子供を亡くした親のサガなのです。昨日は家の中に入って、次女は昔私が使っていて今は誰も使っていないハンドミキサーと、体重計が2つあるから1つをちゃっかりもらって、義父から何か食品ももらっていました。義母に挨拶しましたが昨日はあまり調子が良くなさそうでした。私は先に駐車場へ行き、義父と楽しそうに話をしている次女を待っていました。暫くすると次女と義父と犬のマロンが庭に出てきました。マロンはもうすぐ16歳の老犬で耳も聞こえず目も殆ど見えません。でも次女のことが大好きなので庭で嬉しそうに走っていました。私たちが帰る時には義父に抱っこされたマロンが悲しそうにクンクン泣くのです。目が見えなくても耳が聞こえなくてもしゃべることはできなくても、大好きだった人のことはよくわかるんだと思ったらとっても切ない気持ちになりました。そういえばマロンは、さえりんが亡くなってからずっと夕方になると玄関のマットの上に座ってさえりんが帰って来るのを待っていたことを思い出します。私は家族が大好きなマロンに「また来るからそれまで元気でいてね!!」と声をかけて頭を撫でました。次女も「マロンバイバイ!!また来るからね」と撫でていました。次女と私は自転車を車に積んで帰ってきました。私は心の中で「家族って、ただ生きていてくれるだけでそれでいいんだ」と心から思いました!!元気に「ただいまー!!」って帰ってきてくれるだけでどれだけ幸せだったかと、マロンの姿を見ながらまたそんな気持ちになりました。これは私の願望で無いものねだりなのかもしれませんが、たとえさえりんが事故に遭ってもう歩けなくなっても寝たきりでも生きていてほしかったとどれだけ思ったことでしょうか!!もし本当にさえりんが車椅子や寝たきりになったらその時は大変だと愚痴をこぼし加害者を恨むのかもしれませんが、今の私にはたとえ不注意で轢いたとしてもせめて殺さないで生きたまま返して欲しかったとどうしても思わずにはいられないのです(>_<)こう思ってしまうことも贅沢な事なのでしょうか??庭の水道近くの花壇にはもう全部綺麗に掘りおこして撤去して人工芝も敷いたのに隙間からクレマチスのツルが伸びてきて1輪だけ青紫色の花が咲いていました。このクレマチスはずっと前に私が義母へ母の日のプレゼントに買って少し玄関に飾った後でこの花壇の端っこに植えたものです。何のお世話もしていないのに、殆ど全部撤去したはずなのに本当に植物のたくましさには驚かされます。私も娘がもう二度と帰って来なくてもどんな逆境でも、たとえ刈り取られてもこうして植物のようにたくましく生きなければいけないのかなっとそう思えました。(昨日実家の庭でマロンと次女) 今日はくらさんとちーさんの愛知県刈谷市アイリスホールでの講演会です!!懇親会もそのホール内のレストランを貸切で予約してあります。今回は場所の予約など関わらせていただいたので本当に予定通りうまくいくのだろうかと、私が講演するわけでもないのにちょっとドキドキしています(^-^;そしてもう1つ心配なのは私の体調とメンタルです💦この時期は心も身体も浮き沈みが激しいので大丈夫かなっと不安になります。さえパパには「私のメンタルがヤバくなったら車で先に帰るからね」とは伝えてあります。さてどうなるのかな??(さえりん4歳1カ月 家族で海水浴part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年05月30日
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昨日は特に何の用事もなく家で過ごしました。といってものんびりではなく、一日中クラフトバッグを作っていました。夢中になって無心でハンドメイドの手作業することはストレス解消やメンタルの安定にちょうど良いのです。ソファに座って時々横を見るとさえりんの仏壇前のたくさんのお花とにこにこ笑っている遺影がまるで見守ってくれているかのように見えます。外は暑そうでしたが爽やかな風が入ってきて穏やかな時間が流れています。ふと今の私って幸せなんだろうか??それとも不幸のどん底なのだろうか??と考えてしまうことがあります。でも答えは出ずに今の私はそのどちらでもないし、どちらにも当てはまるし一概に幸せとか不幸では言い表せない状況な気がします。「たられば」を言ったらキリがありませんが、もしもあの日さえりんがあの女が運転するトラックに出遭わなかったら、さえりんは来月で26歳になり元気に生きていました。仕事は転職したのかな??好きな人はできたのかな??趣味や楽しいことはたくさんやれたかな??たくさん旅行にも行けたかな??美味しいものをたくさん食べているのかな??そして私は今でもずっとあの家で義両親と同居してパートの仕事もして今もバタバタ忙しく暮らしていたのかな??さえりんは「ずっとこの家に暮らしてパパとママが歳をとったら私が面倒みるからね」と言ってくれた言葉通りになったのかな??我が家は今とは全く違う暮らしだったのかな??きっと何事もなかったらそれが普通で当たり前だから別に、その生活がどんなに幸せだったかなんて考えもしなかった気がします。さえりんがいてくれることは当たり前だったんだから。でも人間愚かなことに喪って初めて家族のありがたさや、娘の存在が私にとってどれほど大きかったのかを痛いほど思い知らされるのです・・・さえりんに二度と会えなくなって抱きしめて「大好きだよ」って言えなくなって、初めてどれほどかけがえのない存在だったか、今までの私はどれほど幸せだったかと気付かされるのです。本当に感謝が足りなかった私だったと歯がゆくて悔しくなります・・・実は6月4日のさえりんの祥月命日の日は、さえりんが最後の母の日にプレゼントしてくれた服を着ていました。きっとこれから先も毎年この時期になると、さえりんがいなくなってしまった存在の大きさと心にぽっかり空いた穴が何年経っても埋まらない虚無感と寂しい気持ちになるのだと思います。今年の母の日にちょっとしたことでさえパパに八つ当たりしてしまったのもそのせいだと思います。私にとって5月と6月はとっても憂鬱でナーバスになる季節なのです。 だからといって、今の私が不幸のどん底かというとそうでもありません!!今の私はさえパパと自由気ままな生活をさせてもらって、仲間や友人にも恵まれてブロ友さんやたくさんのあたたかい人たちがいて下さって、ボランティア活動もさせてもらって、次女も近くに住んでいて時々すねをかじられたり頼られる幸せも感じられるし、好きなこともできたり、ささやかですが何不自由なく生活できることが感謝です。時々旅行へ行ったり、県外まで生命のメッセージ展に参加したり、美味しいものを食べたり、行ったことのない場所へ行けたり、おまけの人生を楽しめるようになってきました。傍からみたら自由で贅沢で幸せに見えると思います。なによりこうして私が今も生きていられることもさえパパや次女がいてくれて、さえりんがきっと今でもすぐ近くにいて見守ってくれる安心感があるからです。昨日はハンドメイドの時間を楽しみながらすぐ隣の仏壇の遺影のさえりんを眺めながらそんなことを考えていました。やっぱりさえりんに何か言おうと思ったら愚痴や泣き言ではなく、「さえりんありがとう!!ずーっとずっと大好きだよ!!」と感謝しか出てこないのです。これって不幸のどん底はもう通り過ぎて、今は幸せってことなのかな??今日は午後から知立ボランティア活動へ行ってきます!!(さえりん4歳1カ月 電車に乗ってハム太郎のイベントへpart3)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月07日
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昨日は月命日昨日の4回目の月命日には、義母(同居の姑)が2階のさえりんの仏壇をお参りして、一緒に泣いてくれました義母は「ごめんね、私はなんにもできなくて・・・」って言ってくれましたが、私には一緒に泣いてくれることこそ、一番嬉しかった!!遺品の自転車娘の遺品の中で、唯一持って帰れなかったのが、さえりんと最後まで一緒にいてくれた、お気に入りのピンク色の自転車。この自転車は高校を卒業し就職が決まった時、私と一緒に近くのイ〇ンサイクルで、さえりんが一目で気に入って買ったものです。家族からの就職祝いでした!!自転車での通勤がはじまり、毎日元気にさえりんと一緒に走る相棒でした。警察から遺品を引き取るとき、「自転車はどうしますか?」と聞かれ、一緒に大型トラックの下敷きになったのでかなり変形していると聞いていたので、とてもその時は見ることが出来ず、暫く警察で預かってもらうことにしたのです・・・その後も自転車のことはずっと気になっていました。さえりんの大事な愛車号だったから・・・気になりながらもどうすることも出来ずに3ヵ月が経ったある日、ふと思ったのです。9月11日(水)はさえりんの100か日。その時に自転車も一緒に自宅で、住職にお参りしてもらえないかと・・・そして、警察に電話をかけると、その日にすぐO警部が警察のワゴン車に自転車を積んで我が家まで運んでくれたのですしかし、私はやっぱり自転車を見ることが出来ず、駐車場で父と主人が自転車カバーとブルーシートで見えないように包んでくれました100か日当日、自転車の件は主人から住職にお願いしてもらいましたが、出来ないとお断りされてしまいました・・・どこにいけば事故に遭った自転車をお祓いしてくれるのか、未だにわかりませんが、100か日のとき、仏間のすぐ向こうのウッドデッキに自転車をおいて、私の心の中では自転車に「さえりんと一緒に成仏してね」とお祈りすることが出来ました!自転車は今もまだブルーシートに包んで我が家の自転車置き場に置いたままです。さえりんがいつも自転車を置いていた時と同じ位置に・・・裁判が全て終わるまでは、大事な証拠品になるかも知れないからです・・・さえりんと最後まで一緒にいてくれたピンク色の自転車。私の知らないことまで、ぜーんぶ見届けてくれた自転車に・・・「ありがとう痛かったね。お疲れさま」って言ってあげました どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。昨日の月命日は、朝、ユーチューブでお経を流して教本を辿って何とかお参りすることが出来ました昨日の午後は、私の友人のNちゃんが、「今日はさえちゃんの月命日だよね」ってタイ焼きを4個持ってお参りに来てくれました。覚えていてくれただけでも嬉しいに、仏壇の前で「さえちゃんの顔見たらまた泣けてきた。まるで自分の子供のように悲しかった」って言って泣いてくれたことが、一番嬉しかったよ!!Nちゃん、ほんとにありがとう
2019年10月05日
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私が娘のために、してあげられる事ってなんだろうって考える。次女とはまだまだいろいろ世話やいたり、一緒に楽しんだり、笑ったりできる。でも、さえりんには・・・もう大好物のおかずを作っても、食べられない・・・大好きなお寿司も、ステーキも、とんかつも、食べに行けない・・・家族旅行も、ドライブも、遊園地も行くことが出来ない・・・一緒にテレビを見たり、ゲームをしたり、マッサージしてもらうことも、一緒に楽しんだり、笑ったり、おしゃべりしたり、時々ケンカをしたり、ぎゅっと抱きしめることも出来ない・・・私はこれから、さえりんに何をしてあげられるんだろうか・・・さえりんには、たくさんたくさん〝愛” をもらったのに・・・ もしかしたら、その答えが見つかるかもしれない・・・そんな期待も持ちながら、昨日は、東京へ昨日の珍道中です!!朝、駅でメロンさんと待ち合わせ、新幹線こだまに乗って出発!!約2時間東京品川駅に着き、平日なのにたくさんの人に圧倒される私・・・メロンさんとはぐれない様に小走りで必死でついて行き(>_<)、満員の電車を乗り継いで、降りたのは高幡不動駅。そこでお昼ご飯におそば屋さんに入って、その後タクシーに乗り、着いた場所は百草台コミュニティーセンター。廃校になった小学校の3階フロアの、いのちのミュージアム!!メロンさんに連れられてまずスタッフのみなさんにご挨拶。緊張して、何も言えず頭だけ下げる私・・・(>_<)次にメッセンジャーのみなさんとご対面。等身大の真っ白なパネル・・・胸には赤いハートと写真とメッセージ、足元には生前の靴が。おひとりおひとりの命を刻む秒針が、心臓の鼓動のように感じられた・・・おひとりおひとりのメッセージを真剣に読みながら、一生懸命に生きてこられた人生を感じさせていただく・・・なんで、どうして、こんなことに・・・と、感情が込み上げる。小さいお子さん、10代、20代、30代の若者、大人の方、みなさんまだまだこれからご活躍されるはずの、希望を持った素晴らしい方ばかりなのに・・・ほんとうに悔しい・・・やるせない・・・理不尽・・・辛い・・・心が揺れる、震える・・・つながれ つながれ いのちみなさんが結ばれた赤い毛糸玉がこんなに大きく!!いのちのミュージアム、いつでもメッセンジャーと出逢える、メッセンジャーさんたちの大切な居場所。とても悲しく、だけど温かい、そう感じられる場所。はじめて来たのに、なぜか懐かしい・・・なんて言ったら失礼かも・・・(>_<)ゴメンナサイ。廊下にはこんな展示とグッズ販売が。事務所に戻るとコーヒーを淹れてくださった。私はここへ来てから確信していた言葉がやっと出た・・・「娘もみなさんのお仲間に入れてもらえませんか??」はじめてお目にかかった代表の鈴木共子さんが優しく、「ここは来るものは拒まず、去る者は追わずの会だから、ご主人とよく相談して、娘さんをメッセンジャーとして誕生させるならご家族で一緒にのほうがいいわよ」と言って下さった。「はいっ!!」思わず声がうわずってしまいました(≧▽≦)帰る前、鈴木共子さんからミュージアムの本を2冊いただいて、ブログのnaominさんから手作りの素敵なプレゼントをいただきました本当に本当に嬉しかったです!!ありがとうございました!!メロンさんと帰宅ラッシュになる前に、ミュージアムを後に帰路に・・・帰りはわりとスムーズに雨にも降られることなく新幹線に。そして愛知県へ、駅でメロンさんとお別れ。メロンさん今日は本当にありがとうございました!!メロンさんがいなかったら、メロンさんと出逢っていなかったら、絶対に一人では辿り着けなかった場所です。そして、いつかさえりんがみなさんのお仲間に入れてもらえるかもという希望をあたえて下さって、心から感謝します!!!娘のためにしてあげられること、ひとつ見つかった気がしました。さえりんの居場所を作ってあげること、お友達や仲間を作ってあげること。そしていつかメッセンジャーとして誕生し、魂を吹き込み、命の大切さを伝える、そんな大事なお仕事をさせてあげられたら・・・さえりんが生きていた、これからも生き続ける証となれる!!さえりんが亡くなって、落ちた奈落の底の真っ暗闇のトンネルの中から、はじめて夢と希望の光が、少しずつ見えてきたような気がしました。まだまだ道のりは長く、果てしなく、過酷で、さらなる試練も待ち受けているとは思いますが、この光を頼りに、一歩ずつゆっくりと歩いていきます!!さえりんと家族とともに・・・ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいしますいつも『さえりんの部屋』へ来てくださるみなさんの応援、本当に心から感謝しています!!この先まだまだどうなっていくのか、私にもわかりませんが、これからもどうかよろしくお願いいたします!!
2019年10月19日
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今日は午後1時から名古屋市で今年最後の講演です。考えてみたらこんな講師でもなんでもなく資格もノウハウもないただの普通の主婦のオバサンだから仕方がないことですが、昨日から心がストライキを起こして自暴自棄になっています(´;ω;`)ウッ…実はここ数日毎日めげずにトライして原稿は数日前には書けました。さえパパにパワーポイントで写真のスライドショーを作ってもらわないといけないからです。でもせっかく書いたのに原稿を読む気が全く起きません💦それでも昨日の夕方とうとう時間を計るために読んでみました。ところがストップウォッチをかけて時間を計っているのに、途中で電話がかかってきたり邪魔が入ります( ;∀;)そのうち何度もやり直していたら、だんだん読むことが苦しくなって嫌になってきました!!そしてどうやら講演予定の40分より長いようでカットしなくてはいけなさそうです💦そうなるともうキーーっとなって何もかも投げ出したくなってしまいました!!!あーーもうやめた!!!やめた!!!心がストライキです(>_<)私の現実逃避癖は今に始まったことではありません・・・今までにも何度も何度もあり、この先も起こりうる現象です。こんな風になるのはきっと私だけでしょうか??昨日は朝からさえパパに愚痴をこぼしたり、うだうだダルがらみや八つ当たりをしたり、今までのさえパパだったらきっとキレています。でも最近のさえパパは仕事を辞めて心のゆとりがあるからか受け止めたり、軽く受け流してくれます。今までだったら「そんなに嫌なら講演なんて引き受けるな!!もうやめちまえ!!俺に文句言うな」と逆に叱られたと思います。それは私自身もそう思っています💦でもこうなることがわかっていてもやめることは出来ないんです。それはさえりんのことを世間から忘れられないようにすることが今の私の使命だからです。「人の記憶から消えた時第二の死を迎える」それだけは回避したいんです!!それなのに講演の前日や当日になると、急に原稿を読むことすら嫌になってしまうんです。書く時は思いを込めて赤裸々に書けるんですが、いざ読むとその思いが自分の心に深く突き刺さって苦しくて前に進めなくなるんです(>_<)学生さんに向けての原稿は「命の大切さと交通事故」の両面から書くからまだ良いのですが、一般の特に企業や行政向けだと「被害者遺族の実情」を伝えなくてはという気持ちが強くなりよりリアルにありのままを書くから余計にこの拒否症状が酷く出てしまうのです。これってわがままなんでしょうか??それともまだ時期が早いってことでしょうか??または私には身の丈に合わない活動だからでしょうか??私には無理なのかな??これも私の私利私欲なのかな??いろんなことを考えてしまいます。とにかく果てしない喪失感とプレッシャーに押しつぶされそうです💦させてもらいたい自分と出来ない自分とが闘い葛藤しているのです(>_<)(さえりん20歳の時 成人式前撮り撮影part4)それでも今日の講演はきっと何とか逃げずにやるとは思います。ドタキャンしたら相手に迷惑をかけて、自分の信用を失うだけだから( ;∀;)昨日の夜遅くまでかかって原稿を見直して少し感情を抑えてスリムな表現に変えました。そうでなければ自分の身が持たないから。でも直前で私が原稿を直したことで迷惑をこうむるのはさえパパです💦パワーポイントの写真を出すタイミングがずれて見直しが必要になってしまったのです(^-^;少し怒りながら夜中に直してくれました。さえパパいつも巻き込んでゴメンね・・・さえりん、弱虫のダメなママでゴメンね・・・さえりんに早く逢いたいよー(´;ω;`)ウッ…きっと終われば開き直ってケロっとしているのかもしれないし、うまくいかなくて余計に落ち込むかもしれません。私って本当にとっても面倒くさい人間です💦最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月16日
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春は別れと出逢いの季節です。私はこのちょっとセンチメンタルで物悲しくなる春がメンタル的にも体調的にも苦手な季節です。昨日私の恩人でブログの師匠が、18年間続けてこられたブログを閉じられるとお聞きして驚きましたΣ(゚Д゚)その方は交通事故被害者ご遺族としての講演活動も終わりにされてきっと新しいスタートを切られるのだと思います。そして私も今は講演活動は一時休止中で、いつか遠い将来にはブログを閉じる日もくるのかもしれないなあっとその方のずーっと後ろから背中を追いながらそう思うのです。その方と出逢ったのは今から4年半前の2019年9月のことです。その年の6月4日に突然長女の紗愛理を交通事故で亡くして私は世界が怖くて外にも出られず奈落のどん底に落ちて家で引きこもり生きているのか死んでいるのか分からないような生活をしていました。そんな中交通事故被害者ご遺族が子供を亡くした後どうやって生きていくのか知りたくて慣れないパソコンで必死で検索して出会ったのが「息子とともに…」というブログでした。必死で読み進めていくうちにその方は同じ愛知県の方だと知り藁をもつかむ思いで勇気を出してメールをしてみました。私は今までネットに疎くネットで知り合う人なんて信用できないと思う頭の固い昔人間でした。それなのにその時ばかりはとにかく必死で哀しみで気が狂いそうなこの状況を何とかしたくてメールのやりとりをしてたった3日で気付けばその方のお宅へ主人のお古の重たいノートパソコンを持って電車に乗り向かっていました。その方に教わって楽天ブログ「さえりんの部屋」を始めたのが2019年9月17日のことです。それからとにかく毎日ブログを書き続けました。最初は自分の想いを上手く書くことが出来ずにさえりんへの想いもどう書いていいか分からず試行錯誤。でも日記のように書き続けるうちに気が付けば1年2年と歳月がたっていました。それである時ふと気づいたのです。私は今の苦しい状況から何とか脱したい、ある日突然交通事故で子供の命を奪われた親がその後どうやって生きていくのかをリアル中継のように書いていこう、さえりんのことを世の中からなかったことになんてされたくないと必死で書いていたこのブログが実は私自身のセルフグリーフケアになっていたことに気付いたのです。ブログを書くことは人の為ではなく、自分自身の心の傷を癒すための大切な作業になっていたのです。実際にもしも私があの時あの方に出逢っていなかったら、さえりんは生命のメッセージ展のメッセンジャーになることもなく、私はブログの世界なんて縁もなく知らないままでブロ友さん方にも出逢うことはなかったのです。ということは刑事裁判の判決に不服でも署名活動もする勇気もなく何も出来ないまま泣き寝入りだったし、事故現場の交差点を歩車分離信号機に変更なんて到底無理だと諦めていただろうし、ボランティア活動なんて私になんて絶対にできないとしようともしなかったでしょう。そして私がブログを始めなかったらさえパパも絶対にブログなんて書くような人ではなかったしむしろ自分の生活をさらけ出すことに批判的な人間でした。だからくらさん、ちーさんとも出逢うことはありませんでした。もしもそうだったら今とは全然違う人生で私はもっともっと心を病んで加害者への復讐に走るか、自分が病気になって早死にしてさえりんの後追いか、どちらかだったでしょう。さえパパともたぶん喧嘩ばかりで離婚していたかもしれませんし、さえパパも心を病んで廃人同然になっていたかもしれません。大袈裟に思われるかも知れませんが私があの方と出逢ったことはそれくらい大きな人生の転機になったのです!!だからあの方は我が家の恩人なのです。子どもを先に亡くした私たちもそこで人生が終わりではなくおまけの人生があると教えてくれたのもそうでした。meronさん今まで本当にありがとうございました!!難しいかもしれないけど私もいつかmeronさんのように誰かの役に立てたらいいなあと思いながら、もう少しセルフグリーフケアのブログを続けていこうと思います。いつか今の貴女のようにまた新しい次の一歩を踏み出すその時までは。(5年前の今日2019年3月28日富士急ハイランドにてさえりんと次女) 5年前の今日、2019年3月28日は我が家の「最後の家族旅行」2日目でさえりん念願の富士急ハイランドで遊んだ日でした。次女の大学合格祝いに春休みの間にみんなの予定を合わせて計画して行った久しぶりの旅行が我が家の最後の家族4人での家族旅行になってしまいました。この旅行中ずっと次女よりも姉のさえりんが大はしゃぎで1日目の沼津港でもいちご狩りでも温泉旅館でも、2日目の富士急ハイランドでもめちゃくちゃ喜んで遊んでいたさえりんを見て「今回はまるで紗愛理が主役の旅行だったね。楽しめて良かったね」と話していたことが昨日のことの様です。強引に全員の予定を合わせてきて良かったと心から思いました。まさかこの2ヵ月と数日後にさえりんが突然この世からいなくなるなんて夢にも思いませんでした(>_<)ブロ友さんのブログではありませんが「たかが5年、されど5年」です。この5年間の間に我が家の運命は大きく大きく変わってしまったのです・・・人生先のことなんて誰にも分からないんだと思い知らされたのです。あの日に戻ってもう一度人生をやり直したい!!さえりんが死なない人生を!!この時の様子は・・・最後の家族旅行2020年1月11日ブログ(さえりん3歳3カ月 愛知県西尾市幡豆町の愛知こどもの国part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年03月28日
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今日は、朝いつものように休みの主人とお墓参りに行こうとしたら、軽自動車同士でもすり替わりがしにくい狭い道を、大型トラック(10トンくらい)がスピードも緩めず、しかも運転手の若い男性は携帯電話をいじりながら、私たちが端に寄って止まっているのも全く気付かずに走り去っていきました。主人は腹を立てクラクションを何度か鳴らしました。私も無性に腹が立ち「こんなトラック運転手がいるから、さえりんは殺されたんだ!!」と叫びたくなりました。娘の事故の事を書こうと思いました・・・ 令和1年6月4日(火)この日我が家の運命は大きく変わってしまいました・・・朝8時55分、私は知人と約束があり娘より先に家を出ました。「ママは今から出かけるけど、紗愛理も時間になったら気を付けて仕事に行ってきてね」というと、自分の部屋で寝転がってゲームをしていた娘は「うん。わかった。ママいってらっしゃい」と笑顔で答えてくれました。まさか、これが紗愛理との最後のお別れになってしまうとは、思いもよりませんでした・・・9時15分いつもの出勤時間、「さえちゃん、いってらっしゃい。車に気を付けてねー」と見送る祖母(姑)に「いってきます」と元気に、愛用のピンク色の自転車に乗り、職場に向かったのです。職場は家から自転車で15分の、市内のチェーン店の衣料品店。13時15分、久しぶりの早上がりの勤務を終え、職場の人に「お疲れさまでした」と元気に挨拶して、自転車で帰っていきました。途中、近くのローソンで絆創膏を買い店内で一枚指に貼って(後にこのカメラ映像が本人確認となる)たぶんお昼ご飯を回転寿司に食べに行こうと思ったのでしょう、事故現場へと走って行ったのです・・・13時36分、国道〇〇号線バイパスの〇〇〇インターを降りた交差点で、娘は青信号の横断歩道を自転車で横断中に、左折してきた10トントラックの前方不注意で、自転車ごと下敷きになり、即死しました・・・一瞬のできごとでした・・・トラックの運転手は私と同じくらいの年齢の女性でした。救急車は来ましたが、頭が潰れ損傷が酷かったため、病院には搬送してもらえませんでした。そのまま警察の遺体安置所に運ばれたのです。15時30分頃、突然、警察から私の携帯に電話があり「娘さんが事故に遭いました」と。私は気が動転して「娘はいまどこですか?病院ですか?怪我の具合はどうなんですか?」と尋ねると、警察官は言いにくそうに「娘さんはお亡くなりになりました。いま警察で大切にお預かりしています」と。私は何が何だか全く理解できず、パニックになり、「嘘です!嘘です!嘘です!・・・・・」と何度も何度も叫んでいました。異変を感じた父(舅)が電話を代わり、すぐに主人に連絡をして30分後に主人が職場から帰ってきました。17時30分、主人の車に乗り二人で警察署へ。体がガタガタ震え現実を認めるのが怖くて怖くてしかたありませんでした。信じたくない・・・きっと何かの間違いだ・・・娘は一日中仕事で夜帰って来るんだ!!と、ずっとずっと、頭の中でグルグル思いが巡っていました。警察署に着き、見せられた所持品のピンク色のリュックサック、携帯電話、靴は、無情にも娘の物に間違いありませんでした。娘さんかどうか確認をと言われましたが、私は怖くて認めたくなくて見ることが出来ませんでした。確認した主人が「頭は潰れていて目も両方無くて、顔はよくわからなかったけど、体はきれいで紗愛理に間違いなかった・・・」と・・・私は最後の望みが断たれて、その場に泣き崩れ、思考回路が壊れました。暫くして、主人が「紗愛理の最後の姿をお前も見てやれ」と私を抱えて、遺体安置室へと連れていきました。私は母親なのにやっぱり怖くて怖くて、全身を見ることが出来ませんでした。かぶせてあるシートを半分だけ開けて、鼻から胸までを見るのが精一杯でした・・・警察官は当初、DNA鑑定の結果が出るまで一週間は返せないと言われたのですが、私が「早く娘を返してください!!!」と発狂したためか、リュックの中の絆創膏とレシートをもとにローソンの防犯カメラ映像を取り、私たちが娘に間違いないと確認できたので、ようやく帰宅の許可が出ました。21時頃、警察から「娘さんを連れて帰っていいですよ」と言われたものの、壊れそうな娘をまさか車に乗せて帰るわけにも行かず、困っていたら「葬儀屋に連絡してください」と言われました。私たちはまさかこんなことになるなんて思いもよらず、何の準備もしてないので葬儀屋に取引もなく、思い浮かんだのは、イ〇モ葬祭で働く私の友人Tさんでした。Tさんに電話すると、ちょうど仕事が終わり帰るところだったようで、「紗愛理が交通事故で死んじゃった・・・」の言葉に、Tさんはとってもびっくりして「なんで、どうして・・・」と一緒に泣いてくれました。Tさんの手配で警察署に霊柩車が娘を迎えに来てくれました。私たちも一緒にイ〇モ葬祭へ行き、係の方と、通夜と葬儀の日取りだけ決めて今日は帰れることに。「娘さんはエンバーミングのため一日だけ預かります」とのこと。私は娘と一緒に居たいと懇願しましたが、「明日綺麗になったら必ずお家に連れていきます」と言われ、主人に抱えられて外にでました。駐車場の車のところでTさんが待っていていてくれて、抱き合って泣きました。Tさんは、何も食べていないだろうからと、お弁当とお茶を買って渡してくれました。Tさんの心遣いが本当に心に染みました・・・これから私たち家族はいったいどうなちゃうんだろう・・・と、突然、別の世界に放り込まれたみたいで、怖くて、不安で、絶望の淵に立たされたのです・・・ つづく・・・・ どうか温かい目で見守って下さい! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。スマホ機種変しました!またアンドロイドですが、まだ使い方がわかりません・・・ゆっくり慣れていきます( ^ω^)・・・今日のブログ最後のほうで間違えてぜーんぶ消えてしまい、半日かかって泣きながら書きました・・・
2019年09月25日
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昨日は結婚記念日でしたが特に行くところもなく、朝はストラップのお届けと、銀行へ行き、そのまま私の実家へ行きました。というのも母から電話で「Hちゃんがみかんを持って来てくれたから取りにおいで!!」と連絡があったからです。実家へは暫くずっと忙しくて行けないままだったのでちょうど良かったです。母に11月は県外へ行くことが多くて忙しかったと言うと「栄子はそんなに出かけてばかりで家のこともしないと離婚されちゃうよ」と心配していました(^-^; 母にさえパパが仕事を辞めたこともまだ話していませんでしたので、今の我が家の状況を話しました。母は「それでお父さんお母さんは心配していないの??ちゃんとやっていけるの??」など、もう55歳にもなった娘の心配をいつまでもしているのです。親っていくつになっても娘のことが心配なんだなっと、そんな母が煩わしくもありあたたかくも感じるのです。母は「Aちゃん(次女)にお小遣いをあげるね」と銀行の封筒を預けてくれました。もうこちらがお小遣いをあげないといけないくらいの年齢なのにいつもいつも与えてくれる母なのです。お母さんいつもありがとう!!ちょうどお昼時になって、母は「みんなで一緒に何か食べに行く??」と聞いてくれましたが、昨日は結婚記念日でさえパパにお肉を奢ってもらいたかったので母の誘いは断ってしまいました(;´・ω・)母は歯がないのでお肉は食べられないからです。母とは今度うどんでも一緒に食べ来行こうと思います。実家を出てネットで調べて西尾市の「本気ステーキ&ランチ」というお店に初めて行きました。まだ今年の4月にオープンしたばかりのお店でした。午後1時前でしたが車が数台しかとまっていなくてもしかしたらあまりおいしくないのかなと不安でしたが店内に入るとお客さんが2組いました。「本日のランチは牛タンハンバーグと和風チキンステーキで、ランチセットにするとご飯・スープ・キャベツがついてお替り自由です」と店員さんがいうのでまずはこの本日のランチを頼んでみました。味試しです。暫くして運ばれてきたお膳には何やら下に火がついた黒い物体が!?店員さんに「これなんですか??」と聞くと「ハンバーグが中が半生の状態でくるのでこれでお好みに合わせて焼いてからお召し上がりください」と言われました。なるほど!!とっても親切なサービスだなっと思いました。先日行った静岡県の「さわやか」のときは私は半生でも平気ですが、さえパパは半生がとても気になったようでした。鉄板にのった牛タンハンバーグと和風チキンステーキが運ばれてきました。早速半分に切って中の半生の面を下にして焼きながら食べました。美味しい!!そしてキャベツのドレッシングも美味しくて私はキャベツを2杯スープを1杯、さえパパはキャベツ・スープ・ご飯を1杯ずつお代わりしちゃいました。これで1人前1000円です!!大学へ行っていた次女には、特上ビーフハンバーグ幕の内弁当をお土産にテイクアウトしました!!今度はハラミステーキを食べにきたいなあっと思いました。ネットでたまたま見つけたお店でしたが実家からも近かったし味も大正解でした!!さえパパも気に入ったようでした。また実家へ来たときに寄りたいなっと思いました。さえパパ、結婚記念日ランチご馳走さまでした(≧▽≦)(昨日さえパパに奢ってもらったランチ) 夕方家に帰るとご近所のYさんがストラップの材料を取りに来てくれました。メンバーさんですがお仕事が忙しいためボランティア活動への参加は出来ませんが、ご自宅でストラップを作って職場の病院の受付に置いてくださって配布してくれています。「患者さん方が喜んでもらってくれて、さえちゃんの交通事故を知っている方も多くみなさんが『交通事故に気を付けるね』って言ってくれるよ」と教えてくれました。こうした方々も大切なボランティアメンバーさんです!!本当に交通事故撲滅活動にご協力して下さるそのお気持ちがあったかいなあっと嬉しくなりました!!Yさんいつもありがとうございます(*^^*) そして夕方暗くなった頃次女を駅まで迎えに行こうと玄関を出たら、置き配が2箱ありました。Amazonからです。次女を迎えに行って戻ってからさえパパと一緒に開けてみたら、2箱ともクラフトテープのギフトでした!!1箱はメッセージが入っていました。「子供達の未来のためにささやかながら贈らせていただきます。景虎」と書かれていてクラフトテープが6巻入っていました。もう1箱には名前もメッセージもありませんでしたがクラフトテープが3巻入っていました。きっと別々の方なのかなっと思いました。どなたかわかりませんが、にじいろ会へのご支援本当にありがとうございました!!心を込めてストラップに形を変えて、一人でも多くの方に交通安全への啓発としてお届けしたいと強く心に誓うのです。(昨日届いたクラフトテープのクリスマスギフト、ありがとうございました!!) 寒くなってきたこの季節、本当なら私は寒い冬が嫌いで心も体も寂しくなるこの季節が1年の内で一番苦手なのですが、今年はなぜか不思議なことにメンタル的にもあまり辛くはないんです。もちろん娘を亡くした絶望と悲嘆は抱えたままですが。それは人の心のあたたかさを、いっぱい感じられるからだと思います!!たくさんの方々がさえりんストラップを通して交通安全啓発活動にご支援ごご協力くださる事、いつも快く手伝って下さるボランティアメンバーさん方がいて下さる事、こんな私たち夫婦を優しく受け入れて下さるくらさんご夫婦とくらランドのメンバーさん方仲間の存在、ご遺族の方々やブロ友さん方の励まし、そして今の私の心の癒し推しのTREASURE、喧嘩しながらもいつも傍にいてくれる家族、そうした様々な方々が私の心の支えになって下さっているからなのです!!本当にたくさんの人の心のあたたかさに救われている様な今年の冬です。これもきっと、さえりんからのギフトだね♡(さえりん20歳の時 大好きなステーキガストで食後の幸せなひととき)最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてねさえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月09日
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昨日我が家に、ちょっとしたハプニングが!?まずは一昨日の夕方の事、名古屋の講演を終えて遅いお昼ご飯を食べて家に帰ってから、とっても疲れて私はベッドに横になりついウトウト、さえパパはソファでテレビを見ていたはずでしたが気が付けばお昼寝していました。夕方私は寒くて目が覚めました。さえパパも寒そうだったので毛布をかけました。暫くしてさえパパが起きて夜になって「体中が怠い」と言います(;´・ω・)もしかしたらコロナ⁉と心配になりましたが、熱は微熱、喉も痛くないと言うのできっとただの風邪だと判明してちょっと一安心。それでも念のため隔離して私はまたリビングに布団を敷いて寝ました。ところが昨日朝になってなんと!?さえパパは腰が痛くて動けませんΣ( ̄□ ̄|||)翌日(今日)には福岡旅行が控えているのにどうしよう???さえパパは元々ヘルニアで腰痛もちです。この頃は仕事もしていないので良かったのですが、ここ最近の長距離運転や疲れが溜まったのだと思います💦もしかして私が八つ当たりしたり精神的なストレスを与えているせいでこうなったのかも(>_<)さえパパは「俺は家で寝てるから次女と2人で福岡へ行っておいでよ!!」と言ってくれました。私は動けないさえパパを置いていくのは心が痛みましたが、チケットも取ってあるし次女は物凄くTREASUREのコンサートをモチベーションにして国試の勉強を頑張っているのでいかないわけにはいきません。それでさえパパにパンやカップ麺などの食料や薬や飲み物などをたくさん買ってベットの隣の机に置いて、私たちがいなくても飢え死にしないように用意しました💦そして昨日は午後からメープルけやきで今年最後のにじいろ会役員会をしました。春日井支部のOさんにも来てもらい、1月7日の来年活動始めの「則竹さんの講演会」の段取りもみんなで決めました。久しぶりにリーダーさん達とランチを食べながらゆっくり話が出来たことも嬉しかったです。とっても有意義な時間を過ごし夕方4時に解散しました。本当にみなさんにたくさん支えてもらいながら1年間ボランティア活動をして来れたことに心から感謝しました!!私はそのまま、朝から勉強をしに行っていた次女を迎えに安城市の図書館アンフォーレに向かいました。いつの間にか夕方真っ暗になり道も混んできました。帰りにスーパーに寄ってさえパパが簡単に食べれるものとお惣菜やおにぎりも買ってきました。 ところが家に帰ってくると急に心配になり不安に襲われるのです(´;ω;`)ウッ…飛行機会社とホテルに電話をかけて3人予約したのが2人になってしまったことを伝えましたが、格安で予約をとっている前日には料金の払い戻しは無理でした💦レンタカーはさえパパが運転手で予約をとっていたので私に変更してもらうように連絡しました。これで一通りの確認はできたのですが、それでも私の不安な気持ちはますます強まるのです。私の心は焦るばかりで、夜にはプチパニックに・・・( ;∀;)今までさえパパが一緒だからと安心していたのに、急に次女と2人だとこんなに不安になるのかとあらためて普段なんでもさえパパ任せだった自分が情けなくなりました💦次女は「福岡県は日本なんだからわからなかったら聞けばいいし、レンタカーの運転だって私がナビするから何とかなるよ!!ここまで来たら2人で行くしかないんだからね!!」と強気で背中を押してくれますが、私は次女と2人で旅行へ行くことも凄く不安なのですが、家に帰ってきたらもしかしたらさえパパが一人で死んでたらどうしようとそれも不安の原因でした💦それは数日前嫌な夢を見たから、まさか正夢にはならないよね(>_<)いろいろ考えていたら頭がパンクしそうでした💦ところが夜遅くなるとさえパパがだんだん元気になってきました!!買ってきた薬を飲んだので少し効いてきたみたいです。私のプチパニックも少しずつ治まりました。さえパパが元気になってきたので安心したのです(´▽`) ホッ結局さえパパはもしものことがあるといけないので、旅行へは行かないことに決めましたが、私はようやく次女と2人で行くんだと腹が決まりました!!(さえりん20歳の時 知立神社へ初詣part1) 今日は飛行機がお昼の12時発なので、ちょっと早めに朝9時ごろセントレア空港まで車で出発します!!そして福岡空港についたらレンタカーを借りて、マリンメッセ福岡まで行って来ます!!今朝の天気予報で福岡は雪マークが出ていてまた不安になりましたが💦もう何があっても行くしかありません(≧▽≦)そして夜にはいよいよ推しの、TREASUREのコンサート福岡公演へ参戦です✨💎✨きっとハプニングだらけのドキドキハラハラの珍道中になると思いますが💦あとで思い返してみたらこれもきっと母娘2人旅の楽しい想い出になるはずです!!せっかくだから思いっきり楽しんできまーす!!さえパパお留守番でゴメンね!!さえりんはママたちと一緒に行こうね(⋈◍>◡<◍)。✧♡最後までお読みいただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいしますさえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2022年12月18日
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それは一昨日3月11日(月)の朝のことです。こんなLINEが来ました。「さえパパ、さえママおはよー。今日何してる?私達これから刈谷ハイウェイオアシスに行ってジャズドリーム長島に行って和食みのりに行くんだけどパパたちも来ない?」と。思いがけないお誘いでしたが💦特に用事がなかった私たちは「行くーー」と返事をして、刈谷ハイウェイオアシスで待ち合わせをしました。午前11時過ぎに産直市場のおあしすファームで合流しました。くらさんたちは滋賀県から高速道路を走ってここまでお買い物に来たようです。くらさんたちは野菜やきらず揚げなどを買っていました。私は前の日に名古屋市農業センターで野菜をたくさん買ったので特に買うものはなかったです。その後くらさんの車の後ろについて三重県長島インターまで高速道路を走り「和食みのり」という夜は居酒屋さん昼は定食屋さんへ行きました。このお店の方はくらさんのお掃除のお客様だそうです。居酒屋さんのカウンター席に座り私とくらさんはお刺身定食を、さえパパはトンテキ定食を、ちーさんはチキン南蛮定食を注文しました。そしてご飯の量が多くてビックリΣ(゚Д゚)普通盛りだと450gだそうで、私とさえパパは少なめにしてもらいましたが小どんぶり一杯はありそうな量でした。くらさんとーちーさんは2人で普通盛りを半分ずつ食べていました。お刺身も小鉢もとっても美味しかったので全部食べれちゃいました(≧▽≦)カキフライと新じゃがの煮物も出していただいてシェアして食べてとっても美味しかったです!!お店の方にさえりんストラップももらって頂きお客さんにも車の運転に気を付けていただくように配っていただく用にお渡ししました。誘ってもらって良かったです!!(思いがけないお誘い&お出かけpart1「和食みのり」さんでランチ) 和食みのりさんでランチをいただいてから、くらさんの車について行きジャズドリームナガシマのアウトレットモールへ行きました。目的はちーさんがくらさんの誕プレを買うためだそうです。私たちは急遽ついて来ちゃいました💦ナガシマへ行ったのはもう年々ぶりでしょうか??さえりんと最後の家族旅行へ行ったときに「次はまずナガシマの遊園地に行こうね!!」と指切りして約束したのに行けずじまいに終わってしまい、その後初めてこの地へ来れました。今回は遊園地ではなく隣のアウトレットでしたが。入り口でみんなで写真を撮ったときちょっと思い出して悲しくなりそうでしたが切り替えました。いろんなお店をぶらぶらとウインドショッピングしながら、疲れたのでちょっとお茶をして休憩しようと2階のお店に入ろうとしたら、目の前のお店が気になってちょっと入ってみました。そのお店は「BRUNO」というお店でキッチン用品や旅行カバンなどを売っていました。するととっても可愛らしいホットプレートが気になりました。それは2~3人用の小さめなホットプレートで平らな鉄板とたこ焼きプレートがセットで付いていました。そしてペールグリーンの色とデザインがとっても気にってしまったのです。しかも数量限定で50%オフで6050円でした!!さえパパにネットで価格を調べてもらったらアマゾンで10800円の商品でした。すごく迷いましたがとりあえず一度保留にしてお茶を飲みに喫茶店へ入りました。プリンアラモードをくらさんちーさんで半分こ、さえパパと私で半分こ、あとはみんなそれぞれ飲み物を飲みました。プリンアラモードなんて食べたの何年ぶりでしょうか(^-^;くらさんとーちーさんが仲良しすぎて微笑ましかったです!!(思いがけないお誘い&お出かけpart2 ジャズドリームナガシマ) 喫茶店を出てからもう一度「BRUNO」のお店へ。実はこのマンションに引っ越してからずっとホットプレートを買おうか迷っても買えずにいたのですごく迷っていました。さえパパはいつもですが「欲しかったら買えば」と言います。もしかしたらあまり使わないかもしれないし、たこ焼きも焼くかどうか分からないし、でも次女がたこ焼き好きだから一緒に焼いたり次女に貸したりできるかもしれないし、私たちがあまり使わなければ次女にあげてもいいしと散々迷って悩んだ挙句、せっかく安くなっているからと思い切って買っちゃいました(≧▽≦)実はジャズドリームは1店舗で3000円以上買い物をすると駐車料金で支払った1000円が精算機で返金されるシステムなのだそうです。ということは1000円戻って来るので実質は5050円ってことで、とっても得した気分になりました!!くらさんは誕プレでウエストポーチを買おうか迷っていましたが最終的に買わずに帰ることに。結局私だけが買い物してしまい申し訳なかったような気分でした💦(思いがけないお誘い&お出かけpart3 思いがけないお買い物💦) ジャズドリームナガシマを出たのは午後5時半頃でした。すぐ近くの駐車場でくらさん達とお別れしてそれぞれ高速道路を走って帰路につきました。ところがここからまた思いがけず行くところがあり、結局家に帰ったのは夜の9時半過ぎになってしまいました💦本当にこの日は、思いがけない出来事の連続でした!?その様子はまた明日のブログで!!(さえりん3歳1カ月 香嵐渓で川遊び)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年03月13日
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一昨日お会いした東北のSさんから山形県の美味しいサクランボ🍒が届きました♡Sさんいつも本当にありがとうございます!!サクランボ🍒はさえりんの大好物なので早速仏壇に供えて私たちもいただくととっても甘くて美味しかったです!!ご馳走さまでした!!昨日は次女が夜勤明けで「用事もあるので実家に帰る」とLINEがきたので午前中に迎えに行くと「お友達からプラムをたくさんとトウモロコシを1本もらったからあげる」と言います。家に帰って、プラムとトウモロコシもさえりんにお供えしました。さえりんの遺影もニコニコ嬉しそうに見えました(*‘∀‘)そしてサクランボ🍒とプラムを半分ずつ、昨日も近くの豊明市でお仕事をしていたくらさんにもらってもらおうと思いました。Sさんからも「滋賀県のくらさんがこちらにいるならサクランボ分けてあげて」と言われていたので。LINEするとくらさんは仕事が終わってご自宅へ帰る前に我が家へ寄ってくれました。くらさんからは美味しいアイスクリームをいただいてかえって気を遣わせてしまいました💦くらさんご馳走さまでした!!我が家へ来てくれてありがとう✨みなさんからの優しさが身に染みて心があたたかくなりました♡(昨日Sさんから送っていただいたサクランボ🍒とくらさんと一緒に) 昨日は次女は夜勤明けだったので我が家の自分の部屋でぐっすり寝て夕方ご飯を食べて夜は一緒にドラマを見て今日は仕事が休みなので泊りました。夜寝る前に次女が「そういえばおじいちゃんたちとその後どうなったの??」と聞いてくれたので、先日義母に私の想いをやっと話すことが出来たことと義母との話の内容を次女にも伝えました。すると次女は「まずはあーちゃんにママの気持ちをわかってもらえて良かったね。でもおじいちゃんはママのことを恨むのはおかしいよ。お姉ちゃんを轢いた犯人が悪いんでしょ!!それをいつまでもママのせいにして辛く当たるのは絶対に理不尽な逆恨みだよ。だってママは全然悪くないじゃん!!おかしいよ!!私とお姉ちゃんには優しいおじいちゃんなのにどうしてなんだろうね」と言いました。私は次女に「おじいちゃんだってやり場のない深い悲しみと喪失感の持って行き場がなくて苦しんで立ち直れなくて私を悪者にするしか仕方なかったんだよ。ママはね、ただお姉ちゃんとあなたを守りたかっただけだったんだ!!きっとおじいちゃんも自分の命より大切で世界一可愛い孫のさえりんとあなたを守りたいだけだったんだよ。お互いに同じ想いだったのにどうしてこんな風にいがみ合わなければいけなくなっちゃったのかな??おじいちゃんもあーちゃんもパパもママも今でもさえりんの事故のことは自分を責めて悔やんで苦しくて辛い気持ちでいっぱいなのに分かり合えないのが一番悲しいね。だから今は一時的に距離をおいて暮らすしかないってあーちゃんも理解してくれた。でも『いつか私たちが死んでからでも必ずこの家に戻って来てね』とあーちゃんにお願いされたよ。だから数年間だけ別居することにいたからね。あなたがおじいちゃんたちに会いたいときはいつでも実家に連れてくるからね。ちょっとだけ寂しい想いをさせてゴメンね」と話しました。次女も私たちの別居には賛成してくれていますが、私は次女にもいろんな思いをさせて心配かけて申し訳なかったなあっと反省しました。次女ごめんね。と同時に私たちも義両親も、ただただかけがえのない2人の娘たちを守りたかっただけなのに・・・どうしてこんな風に擦れ違って壊れてしまったんだろうかと、虚しさがやみませんでした(´;ω;`)ウッ…これが交通事故被害者遺族その後の家族の実情なのです!!加害者が「ついうっかり」で奪ってしまったたった一人の命は、その家族を一生哀しみのどん底に突き落とし死ぬまで苦しみ続けるのです・・・(>_<)(さえりん生後5カ月半 おじいちゃんの隣でお座り)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年06月28日
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昨日は午後から安城ボランティア活動がありました。昨日凄く久しぶりにDさんが来て下さって嬉しかったです!!TさんとSさんと、先月に続いて高校生のSちゃんが2度目の参加してくれました。昨日はクラフトテープをカットして3本に割いて花編みまでの手作り体験用をみんなで作りました。Sちゃんは2度目でしたが最初は作り方をうろ覚えでしたが少し教えたらすぐに作れるようになりました。Sちゃんはこんなオバサン達の中にも入って来てくれてとってもしっかりした娘さんです。そして安城リーダーTさんがSちゃんに「ボランティアメンバーになってくれるの??」と聞いたら「はい!!」と快く仲間に入ってくれました。若い娘さんがメンバーに加わってくれてとっても嬉しいです!!(昨日の安城ボランティア活動) 昨日安城ボランティアセンターを出て帰る途中で、出かけていた次女から「名鉄電車の最寄り駅からバスに乗って帰ったんだけど乗り間違えて別の方向へきちゃったから○○バス停まで迎えに来て!!」とLINEが入りました。すぐに迎えに行くとバス停の近くのドラッグストアで待っていました。次女を車に乗せて我が家へ一緒に帰ってきました。すると次女から「これT君からママにだって!!」と紙袋を渡されて中には可愛らしいブリザーブドフラワーのプレゼントがΣ(゚Д゚)思いがけないプレゼントにビックリしました!!!T君は次女の年上彼氏です。そう言えば昨年の母の日も彼氏にお花のプレゼントをもらいました。T君ありがとうね!!次女は昨日休みだったので昼間だけ彼氏とデートで、夕方から彼氏が職場の別の部署のお手伝いで愛知県尾張のI駅で母の日のプレゼントにブリザーブドフラワーの販売をする仕事があったようでそこで彼氏が私に買ってくれたのだそうです。次女も自分用に1つ買ってきました。こういうところは私にそっくり💦次女は私に母の日のプレゼントを買おうと思ったけど彼氏が買ってくれたから2つも要らないかなと思って自分用にしたんだと合理主義で次女らしくて笑っちゃいました(⌒▽⌒)それでも次女の彼氏がプレゼントしてくれてとっても嬉しかったし、次女も私のことを思ってくれた気持ちだけでも嬉しかったです!!2人ともありがとうね!!(思いがけず娘の彼氏から母の日のプレゼントをもらいました(≧▽≦)) 昨日は次女が夕方我が家に来たので一緒にラーメンでも食べに行こうと誘いましたが、次女は「お昼もパスタを食べたから麺類はいらないかな」と言うので、我が家でまたたこ焼きを焼いて食べました。次女はとっても上手にたこ焼きを焼いてくれるので美味しくてたくさん食べすぎちゃいました(≧▽≦)(昨日の晩ごはんは次女と我が家でたこ焼きパーティーに) 食後に次女が買って来てくれたミニカヌレと紅茶を入れてみんなでいただきました。次女がお土産を買って来るなんて珍しいなあっと思ったらどうやら先日の横浜のコンサートと鎌倉旅行へ一緒に行けなかった事の次女なりのお詫びの気持ちだったようです。私は大人げなく次女に愚痴をこぼしたり当てつけに写真を送ったりして反省したのですがそれでも自分の気持ちを素直に次女に伝えたことはこれで良かったんだと思いました。次女なりに親も1人の人間なんだ親だってショックなことはショックなんだと理解してくれたようです。私もですがきっと次女も今回のことで一つ成長したのかも。昨日は美味しいカヌレをいただきながらそう思えました。(次女が買って来てくれたカヌレを食後のデザートに) 今日は母の日、私はさえりんが亡くなってから母の日が憂鬱で大嫌いでした!!もう私を気にかけてくれる優しい娘がいなくなってしまった…決して物やプレゼントが欲しいからではありません。さえりんの親想いの気持ちが嬉しかったから。でも今年は誰かに何かしてほしいと期待するから虚しくなるんだと気付いて「誰も何もくれなくてもいい、欲しかったら自分で買えばいいんだ!!」と気持ちを切り替えることができて心の中のモヤモヤが少しは晴れた気持ちになっていました。そして先日の山登りハイキングの帰りの道の駅藤川宿でまたも可愛らしいピンク色の紫陽花に一目ぼれして自分用のプレゼントに買ってきちゃいました(*^^)vそしたら昨日は思いがけない次女の彼氏からプレゼントをもらったり、次女も私に対して申し訳ない気持ちを持っていてくれたことを知り、私の「母の日は大嫌い!!」という頑なで凍り付いた心は少しずつあたたかく溶けていくような気がしました。人ってどんなに悲嘆にくれて傷ついて一生立ち直れそうにないと絶望しても、いつかはきっと変われるんです!!さえりんが亡くなってしまった哀しみは一生変わらないけど、そのことに付随する記念日反応などは時の流れや人の心のあたたかさを感じることで少しずつ緩和されていくんだと気付かされたのです。もしかしたらこの気付きも、さえりんの魔法なの??さえりんからママへの母の日のプレゼントなのかな??(山登りハイキングの帰りに道の駅藤川宿で買った紫陽花)(さえりん3歳9カ月 お友達と公園で遊ぶ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年05月12日
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今日6月4日はさえりんの5年目の祥月命日です。毎年そうなのですがこの祥月命日前後は心がおかしくなって正常ではいられなくなるのです。昨日も一日中ずっとモヤモヤしていましたが結局加害者から電話はありませんでした!!もう知らん顔するつもりなんだと腹が立ちます!!最初っからあの女に誠意の欠片なんてこれっぽっちもなかったのです!!少し我が家に来たことも謝罪の気持ちなんかではなく裁判を有利に進めるためだったんです!!そんなことわかっていたのに、少しでも期待した私が馬鹿だったんです!!もう何のためらいもなく躊躇することもなく赦すという選択肢など全くなく「地獄へ落ちろ!!」と一生恨み続けるだけです!!もうこれ以上あの女に私の心をかき乱されたくないので切り離します!! 今日は次女も一緒にお昼にさえりんの現場へお花を供えに行きます。昨日は遺族仲間の福島のSさんと、豊橋のIさんと、春日井支部のOさんと、熊本のSちゃんからお花を送っていただきました!!Sちゃんは知立の自宅へ送って下さったので今日持ってきます。いちママさんのお花もまだ元気です。みなさんさえりんの為にお花を送っていただき本当にありがとうございました!!綺麗なお花に癒されて少しでも気持ちを切り替えれたらいいなあ。他にも「現場には今日はいけないけどその時間さえりんのことを想って過ごします」とLINEを下さったAさんやブロ友さん、昨晩「明日は娘さんのご命日ですね」とお電話を下さった元刈谷署警務課の警察官のSさん、他にも何人ものご遺族の方々が「さえママは独りじゃないよ!!」って声をかけて下さいました。さえりん亡きあとに出会った方々は本当にお優しくて素敵な方々ばかりなのです!!みなさんに支えられて何とか今日も乗り切れそうです。(みなさま素敵なお花やお心遣い本当にありがとうございます✨)今日はさえりんへの手紙を書きます。さえりんへ今日でさえりんが亡くなってから5年が経ちました。ママにはさえりんに会えなくなって悲しくて苦しくて地獄のような日々でした。でもさえりんはママにたくさんのことを遺してくれました。こんなママとパパに手を差し伸べてくれる心優しい人たちと大勢出逢わせてくれたよね。ママは決して独りじゃないんだと励まされて前を向いて生きていられるんだよ。さえりんが繋いでくれるご縁は本当に優しくてあったかい人ばかりで本当にママは不思議な力に導かれている様な気がしてなりません。ママを助けてくれてありがとうね。そしてもう一つさえりんが遺してくれたものは、クラフトテープです。最初の頃はさえりんのカゴを見よう見まねで作りながら泣いてばかりだったママだけど、さえりんが遺してくれたクラフトテープのお蔭でさえりんストラップを作ることが出来て、にじいろ会のボランティア活動を始めることが出来たんだよ。今はパパもママもにじいろ会の活動があるから元気でいられるんだよ。もしもボランティア活動をやっていなかったら、何もすることがなくて抜け殻のようになって生きる意味が見つけられなかったと思います。ママはさえりんが生きている時に教えてもらわず後悔していましたが、最近クラフトテープでバッグを作れるようになり、心がザワザワして落ち込みそうな時には無我夢中で作っています。すると不思議なことにすごく心が穏やかに優しい気持ちになってなって落ち着くのです。これもさえりんが、ママの心が病んで壊れてしまわないために導いてくれたんだよね、きっと。最近はさえりんって私の娘だったっけ??それとも私の母親だっけ??と思うほどさえりんに守られながら生きている様な気持ちになるのです。にじいろであたたかくて柔らかくて光り輝くオーラに包まれている様な感覚になることがあります。ママは早くさえりんに会いたいですが、まだママの修業は終わりません💦ママはさえりんみたいに優しくないし、心が綺麗で浄化されてもないからです。ドロドロと醜く汚い感情が渦巻いてしまうこともあるんです。世の中でたった1人だけ、どうしても赦すことのできないヤツもいます。まだ良い人にはなれないんです。こんなママでゴメンね。本当はさえりんの自慢のママになりたいのに・・・いつかママが人生を終える時までには、さえりんみたいになれるかな??「人を呪わば穴二つ」今のままでは私も地獄行きかもしれないけど・・・できることなら紗愛理と同じように綺麗なお花が咲く場所に逝けたらいいなあ。それまでもう少しこの人生を精一杯頑張るから、待っててね。さえりんもいろいろ忙しいと思うけど、たまにはママの夢にも出て来てね!!ママより(さえりん4歳1カ月 知立よいとこまつりへ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月04日
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昨日は午後から滋賀県のくらさんのお宅へ行きました。それは5月30日のくらさん講演会in愛知県刈谷市の最後の役員お疲れ様会の時に、たっちゃんが「次の東京コラボ講演会のときは特別バージョンのさえりんストラップを参加された方限定で配りたいから作り方を教えてほしい」と提案してくれて、6月8日の夜にくらさん宅に集まってストラップ作り会をすることになったのです。ところが昨日の朝くらさんちーさんからLINEで、もうすぐたっちゃんのお誕生日だったことを当日の朝に知ったからと急遽ストラップ作り会&たっちゃんのサプライズお誕生日会をすることになったんです!!くらさん達から私達が「滋賀県のくらさん宅へ向かう途中で2家族合同ということでどこかでケーキを買って来てほしい」と頼まれて、さえパパがせっかくならちーさんも大好きな我が家のすぐ近くのパリジャンというケーキ屋さんのケーキを食べてもらいたいと朝10時の開店と同時に名古屋市のパリジャンで一番大きいホールのケーキを買いました。滋賀県大津市のくらさんのお宅まで高速道路を走って約2時間、炎天下の車内でケーキが解けないようにさえパパが保冷剤をたくさん入れてプチプチのシートでぐるぐる巻きにして保冷バッグへ入れて完全防備しました。私はみんなに食べてもらいたくて手羽先と手羽中を全部で33本揚げて、特にくらさんの娘ちゃんが大好きな手羽先のから揚げを作りました。午後1時前準備が全部整ったので車で高速道路を走って滋賀県のくらさん宅へ向かいました。昨日は土曜日でしたが渋滞もなく順調に午後3時前には到着しました。心配していたケーキはちゃんと保冷が効いていて大丈夫でした!!くらさんのお宅をお誕生日会用に飾りつけをして、みんなでお茶をしながら夕方5時過ぎにみえるたっちゃんご夫婦の到着を待ちました。夕方たっちゃんご夫婦が到着すると、みんなでクラッカーを鳴らしてたっちゃんをお迎えしてお誕生日プレゼントを渡しました。たっちゃんはにじいろ会の活動に天然石ブレスレットを販売したお金をたくさんご寄付して頂いたりにじいろ会の活動にとってもご協力いただいてもうにじいろ会の仲間なので、私達はにじいろTシャツをプレゼントしました。早速みんなでにじいろTシャツを着て、まずは晩ごはんにちーさんが心を込めて作ってくれた無水カレーやサラダや手羽元のマーマレード煮など美味しいご馳走をたくさん頂きました!!とってもお腹いっぱいで幸せ気分になりました。それから、たっちゃんがネットで購入して持って来てくれた虹色のクラフトテープでみんなでストラップ作りをしました。この特別仕様の虹色のストラップはくらさんとたっちゃんの講演会参加者限定のプレミアムストラップです✨たっちゃんと奥さんは初めてでしたがすぐに作り方を覚えてたくさん作ってくれて、くらさんも久しぶりでしたが上手に作ってくれました。ちーさんは作り方をちゃんと覚えているのでさえパパと私と一緒にみんなに教えてくれました。みんなで1時間半くらいで約50個のストラップが完成しました✨✨(昨日くらさんのお宅で7人でストラップ作り会)ストラップ作りが終わった後はたっちゃんのお誕生日ケーキをみんなで食べました。フルーツがたくさんのってさっぱりした甘さのパリジャンのケーキをみんなが美味しい!!と食べてくれたので良かったです(≧▽≦)(昨日のたっちゃんお誕生日会の様子)その後くらさん・たっちゃん・さえパパの3人はインスタライブ配信をしていました。ちーさんはせっせと食器のお片付けをしてくれて本当にありがとう!!私はのんびりクラフトバック作りをさせてもらいました。たっちゃんの奥さんとは初対面でしたが私が作っている「クラフトバックを可愛い」と褒めてくれたのでとっても嬉しくなりました。実は私達はたっちゃんから天然石の虹色のブレスレットをさえパパとさえりんの分と私もいただいていて何かお返しできないかと考えていたのです。しかし素人の私が作ったクラフトバッグなんてきっと要らないだろうと思ってお返しできずにいたのです。でも昨日奥さんが褒めてくれたので「もし良かったら使ってもらえますか??」と持ってきた赤と白の格子柄のクラフトバックを差し上げたら、とっても喜んでもらってくれたのですごく嬉しかったです(*^^)vたっちゃんからも「緑色で作ってほしい」と注文いただいて、またハンドメイドの制作意欲とやる気が湧いてきました!!(昨日のご馳走とライブ配信の様子)インスタライブ配信が終わるともう夜中の12時でした。しかし、そこで解散ではないのがくらさんちーさんなのですΣ(゚Д゚)くらさんちーさん特性の美味しいうどんを作ってもらいみんなで〆のうどんを美味しく頂きました!!みんなもうお腹いっぱいのはずなのに(^-^;楽しい時間はあっという間に過ぎて気が付けばもう夜中の2時近く💦とっても名残惜しかったですがたっちゃんご夫婦は京都のご自宅へ、私達は愛知県へと帰路につきました。本当に楽しい機会を作ってくれてありがとうございました!!くらさん、ちーさん、娘ちゃん夜遅くまで大変お世話になりました!! くらさんのお宅を出て高速道路を走って途中甲賀土山SAでトイレ休憩をして、家に帰り着いたのは明け方の4時でした💦東の空が少し明るくなっていました(^-^;それで今朝起きたらもう午前11時近くてビックリでした(⌒▽⌒)昨日はとっても楽しいストラップ作り会とたっちゃんのお誕生日会に参加させていただいて本当にありがとうございました!!さえりんが繋いでくれた尊いご縁に感謝!!(さえりん4歳1カ月 電車に乗ってハム太郎のイベントへpart5)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月09日
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昨日は特に何も用事がなく家でハンドメイドをして過ごしました。次女は夜勤明けで午前10時過ぎに仕事が終わったとLINEがきたので、私が「たまにはラーメンでも食べに行く??」と誘ったら断られ、一緒に夜勤だった同僚とランチを食べに行ったようでした。まあ同僚と仲良くしていて良かったです。すると午後4時頃次女からLINEが「夜ママの家に行こうかなと思って」と。次女なりにラーメンの誘いを断って悪かったかなっと思ったようです。私が何故次女にラーメンを誘ったかというと、それは先週の土曜日の夕方に次女から「日勤の仕事が早めに終わったから今からラーメン食べに行かない??」と誘いが来たのに、私達は滋賀県のくらさんのお宅に来ていたので次女の誘いを断ってしまい申し訳なかったからです。やっぱり私と次女は親子だから似てるなあっと愛おしくなりました(^-^)それで昨日は次女がお風呂に入ってもう寝るだけの状態になってから我が家へ来て、たまには次女と2人で家飲みをしました!!コンビニでおつまみとお酒を買って、私が晩ごはんのおかずに作ったむね肉の海苔巻きから揚げとポテトと焼きネギとバンバンジーサラダと奴豆腐とリッツなどをおつまみにしました。といっても私はあまりお酒が飲めないのでアルコール3%のほろよい1缶で酔っぱらって眠くなってしまうんですが💦次女は私よりお酒には強いですがそれでもアルコール9%のチューハイ1缶で満足なようです。昨日はお酒を飲んで饒舌になった次女の話をたくさん聞きながら、私は最近殆ど飲まないのでさらに弱くなっていますが💦次女もすっかり社会人になってこうして一緒に飲めるようになれたことがすっごく倖せに感じました。次女は女の子にしてはクールで普段はあまりしゃべらない方ですが、お酒を飲むと饒舌になってそこが可愛いのです。そういうところが義父(おじいちゃん)によく似ています。昨日も仕事の話や推しの先生の話や海外旅行へ行きたい話などたくさんの話を聞きながら次女が楽しそうで良かったと思いました。次女はしっかり青春を楽しんでいて未来に希望があってやりたいことも行きたい場所へもいつでもできるチャンスがあるのです。まだ23歳、人生はまだまだこれからですから。そんな楽しそうな次女を見ていたら、できればここにさえりんも一緒にいたらもっともっと楽しかったのになあっとまたタラレバが頭に浮かんでくるのです。さえりんは多分体質が私とさえパパに似ているのでお酒は弱い方だと思います。次女はどうやらおじいちゃん似のような気がします。そういえば次女とはライブに行った後や仕事の後に何度か居酒屋さんにも行くのですが(私は運転手なので食事だけでお酒は飲みません)、結局さえりんとは一度もお酒を飲んだことがありませんでした。さえりんが酔っぱらったらどんな感じになったのかな??きっと可愛かっただろうなと想像することしかもうできません。たった20歳、まだまだこの世には楽しいことや美味しいものや、明るい未来がたくさんあったのに・・・全部断ち切られて可哀想だったと、私はそんな切ない想いをきっと一生抱えていくのだろうと思います。そんな私の複雑な気持ちは次女には決して悟られてはいけません。さえりんの人生はもう終わってしまいましたが、次女にはまだ人生が続いていくのです。それを全力で応援して見守ることが母親としての私の役目ですから。昨日は次女の未来の姿を想像しながらそんなことを考えていました。こうしてさえりんを喪った私に、まだ未来への希望を持たせてくれる次女に心から感謝しながら・・・次女は夜中12時過ぎにさえパパに車でアパートへ送ってもらいました。私は片付けをして夜中1時頃には寝たのですが、夜中に何度も目が覚めてのどがカラカラに乾いて水をガブ飲みしてトイレに行ってと4回くらい繰り返して今日はお昼前にやっと起きました💦本当にお酒が弱い私だなあっと情けないです(^-^;(さえりん4歳3カ月 幼稚園の運動会part1)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月11日
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昨日夜のくらさんのインスタライブ配信の中で私のクラフトバッグ作りについて話してくれていました。その中で「さえママがどうしてこのクラフトバッグを作るのかその想いを聞かせてほしい」という声があったので、自分自身の気持ちを再確認するためにも今日はこのテーマでブログを書こうと思いました。簡単に今の想いを一言でいえば「新しい目標ができたからです!!」 私達は5年前に長女紗愛理が交通事件の被害者になり突然亡くしました。それからというもの私たち家族の人生は大きく変わってしまいました。平凡で幸せだった私たち家族は奈落の底の地獄へ突き落されました。私は家に引き籠り毎日娘の仏壇の前で泣いて暮らしました。そんな時、紗愛理の部屋にはダンボール箱2箱以上の大量のカラフルなクラフトテープが遺されていました。私は最初は触ることもできず、このクラフトテープを使って何か社会貢献ができないかと考えていた優しい紗愛理がいなくなってしまったことにただただ絶望していました。そんな時さえパパが「紗愛理が遺したこのクラフトテープを生かすことができるのはママだけだよ!!」と言いました。それから数ヵ月経ってから私は恐る恐る娘の部屋のクラフトテープの箱を開けてみました。すると紗愛理とのやり取りが蘇ってくるのです!!紗愛理は「ママ、私はこのカゴをたくさん作るからこれで何か人の役に立つことができないかな??例えばどこかで売ってそのお金を障害者の施設に寄付するとか??ママは販売ルートを見つけてくれないかな??」と言いました。私はさえパパに相談して紗愛理のブランドを作ってネットで販売するとか、フリーマーケットで売るとか、障害者就労施設のメープルけやきで販売してもらい売上は寄付するとか、いろんな可能性を考えていました。まずは紗愛理の名前の可愛らしいシールや台紙を作ってブランド化できないだろうかとさえパパと2人で思案していました。紗愛理は大量のカゴを作るためネットで大量のクラフトテープを注文して準備に取り掛かっていました。そんな矢先の突然の紗愛理の死でした・・・私は感情がぐちゃぐちゃになりながらもクラフトテープで見よう見まねで紗愛理が作っていたカゴのレシピを見ながら作ってみました。細かい作業で不器用な私には難しかったですが紗愛理の想いを感じて泣きながら作りました。そんなある日、雨が降る中ひたすら紗愛理のカゴを作っていたら外から小学生が「虹が出てるよ!!」という声が聞こえて家の庭に出てみました。すると雨上がりの夕方の東の空には大きな虹が出ていました!!その虹は我が家の屋根を大きく囲んでまるで包み込むように掛かっていました。私は虹を眺めていたら紗愛理が虹の上から「ママー!!私はここから見てるからママも頑張ってね!!」と笑っているように感じました。それからも理不尽で納得のいかない刑事裁判や民事裁判や誠意のない加害者との葛藤やいわれのない誹謗中傷など様々な苦悩がありましたが、私はさえりんがお空の虹の上から見守っていてくれるんだと思い歯を食いしばって堪えました。そして娘が亡くなってから2年1カ月後の2021年7月5日、紗愛理の23歳の誕生日に「あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会」を理解ある仲間と共に立ち上げ交通安全啓発のため、さえりんストラップを作り配布する活動を始めました。「にじいろ会」という名前にしたのはあの時大きな虹に励まされたからです。それから約3年が経ちにじいろ会の活動は草の根運動ですが順調に続いています。今ではご支援のクラフトテープや材料もAmazon「みんなで応援」プログラムで全国の有志の方々から送っていただいて心から感謝しています!!そのお蔭様で活動が継続できるのです。もちろんこれからもにじいろ会の活動は長く続けていきます!!だからご支援でいただいたクラフトテープはクラフトバッグには使いません!!大切にストラップに使わせていただきます。ところが私の中で原点に戻った時、何かまだやりたいことがあったような気がするのです。それはさえりんが作っていたカゴ作りはやめて交通安全啓発のストラップへと形を変えて無料は配布しているんですが、さえりんが望んであの時やろうとしていたことはまだできていないからです。そんな時、紙バンドクラフト協会でバッグを作っていた方から「もう要らなくなったから何かに役立ててほしい」とたくさんのクラフトテープをもらいました。明るい色でストラップに使えそうなものはもちろん使いましたが、バッグ用の地味な色のクラフトテープがたくさん残りました。その地味な色のクラフトテープをあげたボランティアメンバーのSさんが「YouTube動画を見ながらこんなバッグを作ったよ」と見せてくれて、私に作り方を教えに来てくれました。私はそれから何かに取り憑かれたように夢中になってクラフトバッグを作りました!!今ではいただいた地味な色だけではなく自分で買ったさえりんに似合うカラフルなクラフトテープも使っています。気付けば10個以上のクラフトバッグができていてこれをどうしたらいいかなと思っていた時、ゴールデンウイークにくらさんご家族が我が家へ遊びに来てくれたので、ちーさんと娘ちゃんに似合いそうなバッグをあげるととっても喜んでくれました!!私もすっごく嬉しくなりました!!するとくらさんが「このバッグはきっと欲しい人がいるから今度の刈谷の講演会で限定販売したらどうかな??」と提案してくれたのです。私は迷いました。こんな素人が作ったバッグを果たしてお金を出して買ってくれる人なんているのかなと??ととても不安でした。ところがくらさんがインスタライブなどで私が作るクラフトバッグのことを話してくれると、ボランティアメンバーで友人のYちゃんがくらさんの講演会に初めて参加するので「私、黄色のバッグが欲しいから買うよ。友達は緑色が好きだからプレゼント用に2つ欲しいなあ」と言ってくれて、勇気を出して刈谷講演会の後の懇親会でくらさんに安く販売してもらいました。もちろんすべてにじいろ会の活動資金にするために!!くらさんのお蔭で持って行ったクラフトバッグはほとんど買って頂けました。私は買って頂いたみなさんがご自身のインスタなどで投稿してくれて喜んでくださったことが、何よりすっごく嬉しく励みになりました!!その時ハッと思ったのです!!あの時出来なかったさえりんのカゴのブランド化を、いつか私がもっと上手にクラフトバッグが作れるようになったら、さえりんの名前で出来ないかと!!それはさえりんが亡くなる直前にやろうとして、叶えられなかった夢だから!!それが私の新しい目標になったのです!!私はさえりん亡きあと本当にたくさんの方々に支えられてここまで生きてこれました。それはすべて亡きさえりんがお空から繋いでくれたかけがえのない尊いご縁です。私の力では何1つ叶えられず前に進むこともできなかったと思います。だからこそこんな被害者遺族の逆縁の親にでも、亡き娘のためにできる事があると夢を叶えられたらいいなあっと思うのです。それが私が今も生きる理由だから!!(最近作ったクラフトバッグ)(さえりん4歳3カ月 幼稚園の運動会part2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月12日
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昨日は休みの主人が珍しいものを作った。主人は今まで、あまり家事をしない人だった。というのは、両親と同居ということもあり、私があもり頼んだことがなかったから。昨日作っていたのは、なんと、レアチーズケーキ!!急に??どうしたの??って思った・・・(;^ω^)主人は「さえりんの作っていたチーズケーキが食べたくなったから」と。さえりんは食べることが大好きで、自分で作って人に食べてもらうことも、大好きだった。「美味しい」って喜ぶと、さえりんもニコニコ笑顔で喜んでいた。小さい頃から、おこしもの(米粉を蒸した餅のようなお菓子)やメロンパン、ケーキ、溶かし固めたチョコなどいろいろ作ってくれた。中でも、一番のお得意お菓子は、苺のレアチーズケーキ!!中学1年生のとき、特別支援学級で先生に教わり、とっても気に入って、生徒手帳にレシピを書いてきて、今でもその生徒手帳を見ながら作っていた。さえりんはその苺のレアチーズケーキを、家族の誕生日、母の日、父の日、記念日、クリスマスに、いつもいつも作ってくれた。「ありがとう。美味しい!!」っていつも食べてたけど、今思えば、当たり前になっていて、なんて感謝が足りなかったんだろって、もっともっと、味わって、大事に食べればよかった・・・って思った。もう二度と食べられない日が来るんなんて、思ってもなかったから・・・さえりんの苺のレアチーズケーキはとっても美味しくて、綺麗だった。クリームチーズを溶かして、ヨーグルトとゼライスを混ぜ合わせ、ビスケットと砕いてバターで固めてケーキ型に敷き詰め、型の側面に半分に切ったイチゴを一周並べて、クリームチーズを流し込む。冷蔵庫で冷やし固まったら、型から出して、薄く切った苺を上に丁寧に飾る。もう一度、食べたいな・・・叶うことなら・・・叶わないけど・・・・・それで主人は自分で作ったんだと思う・・・主人は簡単に、ビスケットを砕いてバターで固め型に入れて、レアチーズケーキのもとをレンジで溶かして流し入れ、苺はなしで。冷蔵庫で冷やし固めて出来上がり。見た目は、さえりんのと似ていたけど、味は全然違っていた・・・これはこれで美味しかったけど・・・そういえば、さえりんは亡くなる少し前、次女に作り方を教えていた。でも次女はいい加減にしか聞いていなくてあまり覚えていないらしい(>_<)さえりんはゼライスや材料もたくさん買って置いてあった・・・もっともっとたくさん作って、私たちに食べさせてあげようとして・・・私も、主人も、次女も、さえりん自身だって・・・こんなことになるなんて、夢にも思っていなかったから・・・さえりんがこの世から、いなくなる日が来るなんて・・・それがこんなに早く、突然、やってくるなんて・・・誰にも・・・さえりん、今はまだ無理だけど、いつかママが作ってみるよ。生徒手帳を見ながら・・・さえりんの姿を思い描きながら・・・次女の誕生日にさえりんが作ったレアチーズケーキ!!クリスマスにさえりんが作ったレアチーズケーキ、チーズケーキ、生クリームケーキ(3日間くらいかけて食べました(;^ω^))昨日主人が作ったレアチーズケーキ どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年11月01日
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池袋の事故のこと、加害者のインタビュー見てたら気分が悪くなった・・・吐き気と脱力感で何もかもどうでもいいとさえ感じる激しい嫌悪感・・・どんな人でも失敗や間違いがあるのは仕方のないことかもしれない。でも、そのあと、どうやって責任を取っていくのかで、その人の人間性が問われるんじゃないかと思う!!!足の調子が悪い、年のせい、体力を過信していた、車の性能が・・・それで、あなた自身責任はどう取られるおつもりですか???あなたのその言い訳で亡くなった方とご遺族は、果たして許してくれるんでしょうか???もう二度と帰ってこない2人の命は・・・一体どうなるの???他人事ではない・・・自分の娘 さえりんと重なり心が乱れる・・・さえりんは、青信号の横断歩道を渡っていただけなのに・・・ちゃんと交通ルール守っていたのに・・・悪いことなんて何にもしていないのに・・・どうして、あんな悲惨な最後を遂げなきゃいけなかったの???最近ではさえりんは横断歩道を渡っていなければ助かったんではないかとさえ思えてしまう・・・うちの娘だけじゃない、横断歩道上の交通事故なんと多いことか!!横断歩道は決して安全なんかじゃない!!!自分が安全を確認して渡っていても、車が、運転手がついうっかりすれば簡単に命が奪われてしまう・・・もしルールを無視して横断歩道以外を渡っていたら、直進の車しか来ないから、直進車は前方を見ているから、自転車の存在に気付いて止まる。クラクション鳴らされて、怒られるかも知れないけれど、ついうっかりした左折車や、右折車に轢かれるよりその方がよっぽどいいんじゃないかとさえ思ってしまう・・・さえりんの事故の加害者女性トラックドライバーが言った言葉が・・・「ついうっかりして、ごめんなさい・・・」ついうっかりで大事な娘を殺されてはたまったものじゃない!!!こんな言葉で自分の大切な大切な家族が殺されて、許せる人がどこにいるんだろうか???そんな神様のような人なら・・・罪を憎んで人を憎まず・・・そう言って加害者を許してあげられるんだろうか???残念ながら私はそんなに人間が出来ていない・・・神様にはなれないし、なりたくもないと思っている・・・自分がこうなるまでわからなかった、激しい感情・・・怒り、憎しみ、悔しさ、絶望、復讐、戦う心、報復・・・こんなにも汚い嫌な心が出てくるんだって、自分が嫌になる・・・でも、これが変えようのない現実・・・こんな私を見て人はなんて思うんだろう・・・「可哀そうに」「そこまでしなくても許してあげれば」「だって相手だってわざとじゃないんだから」「誰だっていつ加害者になるかわからないんだから」「あなたみたいにはなりたくない」「哀れね」「悲惨だね」「ご愁傷様」「あなたの行いが悪いからじゃないの」こんな風に思われているのかな?他人事だから、言える言葉・・・もし、自分がその立場だったらと、考えたことありますか???と、問いたくなる・・・書類送致。検察庁に書類が送られ、これから起訴されるか、簡単に略式起訴で罰金で済まされてしまうのか、不起訴で無罪になるのかが決まる。娘の事故もまさにこの段階。9月初めに書類送致されて、検察庁からは今だ何の返答もない。弁護士さんを通して確認してもらっても、まだ担当検事が決まらず検察庁から連絡が来るまで待って下さいとのこと。事故は6月、もう5ヵ月過ぎた。送致されてからでも2か月過ぎた。いったいいつまで待たされるんだろうか???待たされた挙句、不起訴、略式起訴で簡単に済まされてしまうんだろうか・・・本当は毎日毎日、不安で不安で仕方がないんです・・・怖くて怖くて、泣きたくて泣きたくて、倒れそうなんです・・・普段は心の奥に締まっている感情が、急に噴出して収集がつかない・・・これは残念だけど当事者でないとわからない・・・私だってこんな当事者になんてなりたくはなかった・・・だけど、さえりんだって被害者になんてなりたくはなかった・・・誰が何の理由でこんな現実にしたのかわからない・・・もう誰を恨んでいいかさえわからない・・・だけど、ひとつだけ言えること、それはもうこんな思いをする人が増えてはいけない!!!こんな悲しい、やり場のない怒りはもういらない!!!もうこんな被害者や遺族にならないために、増やさないために、車の運転をするときは、ハンドルを握る者の責任として、ついうっかりは追放してもらいたい!!!いつ誰が、被害者になるか、加害者になるのか分からないんだから・・・これがさえりんと、私たち家族からのせめてもの願いです・・・17歳の時のさえりんと私 伊勢神宮にてどうか温かい目で見守ってください!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。昨日は友達のHちゃんが来てくれて午後まで楽しく過ごせました。しかし夕方、急に激しい感情が私の中に沸き起こってしまい情緒不安定に、こんな感情的なブログになってしまいました(>_<)Hちゃんとの事は次のブログで書きます。Hちゃんゴメンね・・・みなさんへ昨日は喪中はがきの件で、みなさんの貴重なご意見ありがとうございました。みなさんのご意見を参考に、主人と検討して決めたいと思います。本当にありがとうございました!!宝ママさんへ喪中はがき送られてからのこと教えていただきありがとうございました。そうやって連絡くださったり交流ができればいいですね。それは娘さんと宝ママさんのお人柄です。そんな関係を今まで築いて来られたからですね!!宝ママさんが言われるように、交通事故と知って車の運転に気を付けて下さる方がみえたら、そんな嬉しいことはありませんね。ミヤちゃんさんへそうですね。QRコードに一言添えることもいい考えですね。もし私が喪中はがきもらっても直接聞くの躊躇しますから。次女の誕生日はたとえ喪中だからといっても祝ってやりたいのが親心です。「おめでとう」と言ってくださり嬉しかったです!!次女にも、あなたの知らないところで「おめでとう」って言ってくれた人が何人もいるんだよって言ったら、喜んでいました。ありがとうございました!!
2019年11月10日
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ここ数日私のメンタルは急激に下がっていて何もやる気になれず悶々と過ごしていました。どうしてこうなるのか何が原因なのかさっぱりわかりませんでした。ただ虚しくて寂しくて憂鬱だったんです。こんな私はもう誰からも必要とされていないような気がしてここからいなくなりたいような気持だったんです(-_-;) ところが昨日の午前中はある報道関係の方が我が家へさえりんのエンバーミングの話を聞きに来られました。最初はこのブログのメール蘭にご連絡を頂て我が家へ来ていただいたのです。詳しいことはまだ書けませんが、私がブログに書いたエンバーミングについて調べてみえる方でした。私たちはご協力出来ることなら何でもお話ししたいと思っています。というのは、私のように交通事故や不慮の事故またはご病気で大切なご家族を亡くされて、その大切な家族とのお別れの時間を少しでも長く持てたことや生前通りの綺麗な姿で最後に送ってあげられたのは、エンバーミングのお蔭だと心から感謝しているからです。そしてこのエンバーミングはもちろんお金もかかりますし何より施行できる専門技術を持ったエンバーマーが日本にはまだ少なくなかなか受けられない現状があるからです。私はたまたま友人Tさんがお勤めの葬儀会社がエンバーマーを雇ってみえる数少ない葬儀会社だったので、その点では運が良かったのです。もしかしたらこの葬儀会社とのご縁もさえりんが繋いだかもしれません。昨日来られた報道関係の方は若い女性で、年をお聞きしたらさえりんより一つ上の方でした。そしてにじいろ会のストラップを渡したらある警察署で見かけたことがありこれについてもいつか取材したいと思ってみえたそうです。その方と話をする中で私の気持ちは少し明るくなり前を向こうという気持ちになってきたのです。お天気も朝は小雨から曇りになりだんだん晴れてきたころでした。 午後からは冷蔵庫の中身が空っぽだったので久しぶりに買い出しに行けました。そしてブロ友さんが今の私の状態を心配してLINEを送って下さいました。そのLINEを読んでいたら私の不安定な心の状態の正体が分かったような気がしました!!それは「空の巣症候群」ではないかと書いてくださったのです。私も名前は聞いた事はありましたがよくわからなかったのでGoogleで調べてみました。「子どもが成長し巣立って、巣(家)が空っぽになってしまったことが、一種の喪失体験となり、寂しさなどを感じることを空の巣症候群と言います。精神医学的にはうつ状態の一種であることが多いものです。特に内向的で人付き合いが苦手、外出より家にいる方が好きで、子育てを生きがいにしてきた専業主婦に多く見られます」「長い子育てを終えてやっと一人の時間が出来るそんな風に、子育てを終えた解放感を味わう人もいるでしょう。ですがその反面、強い喪失感や虚無感に苦しむ方も存在します。自分の手から、子どもが外の世界に巣立つ。子どもの自立を考えると喜ばしいことなのですが、自分の役割がなくなってしまったと強い寂しさを感じる場合があるのです。これが空の巣症候群とも呼ばれる、子育て終了後の心身の不調です。子どもの自立によって『自分の役割が喪失した』と感じ、空虚感や喪失感が強まっている状態のことです。主に子育てを終えた40代~50代の母親に多く見られる状態で適応障害の一種であることが多いです。更年期障害と重なることで、症状はさらに重くなることも少なくありません。このような状況が続く中で、そのままうつ病を発症してしまう方も存在します」(東京横浜TMSクリニックネット記事より引用) これを読んでいたらまさに私に当てはまることばかりでしたΣ( ̄□ ̄|||)私の場合は4年前に突然さえりんを交通事故で亡くして、その後は次女のために次女の成長を生きがいに精一杯生きてこられました。ところがこの春大学を卒業し就職とと共に1人暮らしをはじめた次女は、最初こそ引っ越しや手続きなどに私も世話を焼いて手がかかりましたが、今ではすっかり落ち着いて自分のペースを見つけながら仕事や生活を送っているのです。そうなるともう私は母親として必要なくなったような錯覚が生じてきてとっても虚しく寂しい気持ちになってくるのです。次女の成長は本当に喜ばしいことだし、いつかは自立してもらわないと困ることはよく分かっているのに・・・これが「空の巣症候群」の原因だったのですΣ(゚Д゚) 実は自分でも今回こうなってしまったことに心当たりが見つかりました。それは13日(土)に次女は仕事が休みだったので一緒にニトリへ夏用の布団やシーツを買いに行きました。そしてレンタルで借りた漫画本を返しに行って、夜は珍しく次女が「初任給が出たから」と私にご飯を奢ってくれたのです。本当はもっと高いお店にお寿司を食べに行こうと誘ってくれたのですが申し訳なくて回転ずしに2人で行きました。それでも私はとっても嬉しくてたくさん食べました。会計をする次女を見ながら、大人になってきたことが誇らしくて心から喜びました。その後次女のアパートに戻って、さえパパが昼間買って持たせてくれたケーキを一緒に食べました。たったそれだけの事ですがとっても幸せを感じました。ところが私のメンタルが急降下したのは、その直後だったのです!?今まで私が次女のために車で迎えに行ったら買い物や食事をしてもお金を払っていた時にはまだ私は次女にやってあげれたから良かったのかもしれません。ところが今回は次女が私に奢ってくれたことでとっても嬉しかったのですが、その反面もう母親を必要とされなくなったような気がして寂しくなって「空の巣症候群」の症状がでてしまったような気がするのです。本当に次女がいてくれるだけで幸せなはずなのに贅沢な悩みだと思います💦たまたまお天気も雨が続いてお散歩にも行けず憂鬱で、庭の花に水をやる必要なかったので余計に自分が必要とされない様な気持ちになってしまったのだと思います。(13日土曜日の夜、次女が奢ってくれた回転ずしと、さえパパが買ってくれたケーキを次女と一緒に食べた時、この時は食欲もあり楽しかったのに・・・) 空の巣症候群の「からだ」の変化(身体症状)は・食欲不振 ・動悸、息切れ ・強い倦怠感、疲労感 ・吐き気 ・頭痛「こころ」の変化(精神症状)は・胸にぽっかり穴があいたような喪失感、虚無感 ・何事もやる気が出ない、無気力な状態が続いている ・ふとした時に涙が流れる ・強い孤独を感じる ・「自分はもう不要な人間だ」と思ってしまう ・この先自分が何をしたらいいのわからない予防策としては、家庭と切り離された趣味の場を持つ。好きだったものを紙に書きだす。子どもに関わる仕事やボランティアを始める。ハートナーと話し合う。ご自身やご家庭の状態と「空の巣症候群かな?」と感じたら、早めに医療機関に相談して下さい。と書いてありました。ここに書いてある身体と心の症状はまさにここ最近の私の症状でした(-_-;)きっと本当は早く医療機関に相談に行った方が良いのでしょうね💦 それでも、昨日は報道機関の若い女性にエンバーミングやボランティア活動の話をしたことと、午後からコアラドライブへストラップをお届けしたことで、またボランティア活動への意欲が少し湧いてきて気持ちも少し前向きになれたような気がしたのです。在庫が少なくなり久しぶりにストラップを作ろうという気力も出てきました。きっとボランティア活動は今の私の心のリハビリなんだと思います。ついつい母の病気のことなどですっかり気持ちが疎かになっていたことも「空の巣症候群」の引き金になったのでしょうか?とにかくもう少し様子を見てこの症状がもっと長く続いて酷くなるようなら精神科へ相談に行こうと思います。皆様ご心配をおかけしました。(コアラドライブのストラップと昨日作った50個まだ袋詰め前です) それにしてもいつまでたってもいつもいつも悔しいのは「今ここにさえりんがいてくれたら・・・」と思ってしまうことです。さえりんがいてくれたら私はここまで次女に依存することはなくもっと普通に子離れできたと思います。やっぱり私にとって一番の心の支えを喪ったことがこの空の巣症候群やメンタル崩壊の大きな原因です。これはもうどうすることもできないんです・・・だからまたいつ落ち込んでメンタルが急降下するか自分でも分からないくらい情緒不安定なのです。特にさえりんの祥月命日とさえりんの誕生日が近づくこの季節は(´;ω;`)ウッ…(さえりん生後3カ月半)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年05月16日
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まだまだ昼間は暑いけど、風や空気はすっかり秋ですね今日はまた長女、紗愛理(さえり)のこと書きます「広汎性発達障害」って聞いたことありますか⁇広汎性発達障害とは、対人関係の困難、パターン化した行動や強いこだわりの症状がみられる障害の総称です。脳の機能障害を原因とする先天性のものですが、大人になってから症状に気づく場合もあります。いわゆる自閉症スペクトラム障害とほぼ同じです。娘の症状に最初に気づいたのは同居の主人の母でした。「紗愛理と目が合わないんだけど・・・」って、まだ1歳前だったかなそれから、こだわり行動や、独り言、多動と様々な症状が出て、幼稚園に入園する直前に、「広汎性発達障害」の診断が出ました。娘は比較的症状が軽く見た目、普通の子となんら変わりありませんでした。知的障害も軽度でちょっと人より遅れているくらいで、小学校までは普通クラスで過ごしました。中学校は地元の中学校の特別支援学級、そこで折り紙やクラフトテープのカゴ作りを覚えました。高校は、隣の市の特別支援学校へ一人で電車に乗り通学していた。卒業後は、衣料品のチェーン店に就職し、まじめに毎日働いていました。娘はその時々で、いい人にたくさん出会い励まされたり、心をかけてもらい、可愛がってもらい成長しました。娘は自分の興味のあることはどんどん吸収しゲームが大好き、ピンク色が好き、キャラクターのシナモンが大好き。趣味のクラフトテープのカゴを作り、苺のレアチーズケーキを作ってはみんなにあげて、相手が喜ぶ顔を見るのを楽しみにしていました。一般的に自閉症というと人との関わりが苦手というイメージですが、紗愛理は全く違いました。人が好きで、自分から積極的に関わり(関わり方が少し変わっていましたが…)素直で純粋で裏表がなくとっても優しい、私たちにとって自慢の娘でした紗愛理が小さかった頃、よく勝手に家を飛び出し一人で居なくなってしまうことがあり(本人は迷子ではなくただ遊びたいから出かけただけ)私はその度に、必死になって娘を探しました。心も中ではいつも「もうこの子には二度と会えなくなってしまうかもしれない・・・」という予感がいつも渦巻きとにかく必死でしたそして、無事見つかった時には、娘を抱きしめて泣きながら「ホントに良かった」と胸を撫でおろしたのですいま思えば、心の奥底で『いつかこの子とは早くお別れが来てしまうのかも知れない』って予感がしていたのかも知れません・・・それでも、就職してからの紗愛理は、家族思いで、妹に優しく、自分のことはきちんとできる、しっかり者のお姉ちゃんになっていて、私は紗愛理はもう心配ないと安心しきっていました。知らない人は、障害があるから事故に遭ったのではないかと思われるかも知れませんが、それは大きな大きな間違いです!!!彼女たちは決められたことはしっかり守り、間違ったことを嫌います。ズルいことや、いい加減なことをするのは健常者のほうです。私も車に乗ってついスピードを出しすぎたり、信号を黄色で渡ってしまうと、いつも娘に「ママ危ないよ!!」って怒られていました・それなのに、こんなに優しいいい子がどうして、交通事故で即死しなければいけな かったのでしょうか?????・娘はあの日もしっかり交通ルールを守り、青信号の横断歩道を自転車で渡っていただけなのに・・・・もう少しで渡り切るよころだったのに・・・・仕事帰りに、ささやかな楽しみのお昼ご飯を回転寿司に、一人で食べに行こうとしていただけなのに・・・・娘がなにか悪いことをしたんでしょうか?????以前、次女とこんな話をしたことがあります。「お姉ちゃんにはどうして障害があるの?」って次女に聞かれたとき、「お姉ちゃんはとっても優しい子だから、神様からだれか荷物を持ってこの世に生まれてくれないかなと頼まれて『いいよ』って快く引き受けてくれたから、障害という荷物を持って生まれてきたんだよ。妹のあなたに持たせちゃ可哀そうだからね」と言いました。次女は「やっぱりお姉ちゃんはすごいね!」ってますます尊敬していましたそれなのに、もしかしたら『短命』という宿命まで、紗愛理が引き受けてくれたんでしょうか誰かが早く死ななければいけないんなら、私が死ねばよかった代われるものなら、代わってあげたかったいまでもどんなに悔やんでも悔やみきれません・・・たったひとつ良かったことは、いつも「紗愛理のことが一番大好きだよ」って言ってきたこと。紗愛理も「わたしもママが一番大好きだよ」って言ってくれたことです!!紗愛理忘れないよ!!いつかママがそっちに行くまで必ず待っていてね!!!それまでママはどんなに悲しくても辛くても、頑張って生きていくからね。ちゃんと見ていてね どうか温かい目で見守ってください! 温かいコメントもお待ちしておりますよろしければ応援お願いします。
2019年09月20日
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昨日はさえりんの5年目の祥月命日でした。結局加害者からは何の連絡もなく自宅へも訪ねてくることもなくいつものようにショボい花が現場に置いてあるだけでした。この日が祥月命日なんてまるで気にもしていないかのようにただ義務的にいつものルーティンをこなしているだけです。私はもっと感情的になって加害者に電話をかけて怒鳴ってやろうか、それとも家まで乗り込むか、自分が怒り狂って正気を失いそうな気がしていましたが、不思議なことに案外客観的に冷静でいられました。加害者は所詮その程度の人間だから簡単によその娘を轢き殺したのです。もっと常識的で正常な判断ができるようなまともな人間ならたとえうっかりぶつかってしまったとしてもとっさに急ブレーキを踏んで車をすぐに止めていればさえりんはトラックの下でまだかすり傷だけで生きていたのです!!こんな女だから少しでも謝罪を期待した私が馬鹿だったんです!!そう思ったら腹を立てて怒りまくる自分がアホらしく思えてきたのです!! そして昨日の私が意外にも冷静に穏やかにいられたのは・・・次女とくらさんご家族が私たちと一緒に過ごしてくれたからです!!昨日は午前11時過ぎに我が家を出て次女をアパートまで迎えに行き一緒に知立市のアピタ知立店でお花を買いました。いつもの店員さんだったのでお花をラッピングしてもらうときに「今日は娘の5年目の祥月命日なんです」と話しました。すると店員さんは「少しお花を足しておきました」と綺麗にピンク色でラッピングして下さいました。そして先日さえりんの高校の担任だったK先生から頂いた「花とみどりのギフト券」で可愛らしい胡蝶蘭を買いました。胡蝶蘭は昨年のも二度目の花を咲かせてつい最近まで楽しむことが出来たからです。そこへくらさんご家族がお花屋さんへ来てくれました!!くらさん達もこの花屋さんでお花を買ってさえりんにお供えしてくれると言ってくれたので、お昼12時にアピタ知立店で待ち合わせしていたのです。くらさんとちーさんと娘ちゃんは3人で選んだお花をオレンジ色のラッピング紙で包んでもらっていました。店員さんはこちらにもおまけしてお花を増やしてくださいました。私たちは車2台でさえりんの現場へ向いました。現場に着くとジュースが1本お供えしてありました。お手紙が添えられていて、それはさえりんの高校の同級生Kちゃんからでした。さえりんの命日を覚えてくれて本当に嬉しかったです。Kちゃんありがとうね!!現場に置いておくと誰かに持って行かれちゃうので我が家へ持ち帰りさえりんの仏壇に供えました。みんなでお花を供えてから、横断歩道に向かって手を合わせました。私は手を合わせながら私は独りじゃないし、さえりんも決して独りじゃないんだと思いました!!こうして遠く滋賀県からわざわざこの日にさえりんに会いに来てくれる家族同然の人たちがいるんだから!!と心があったかくなりました。(昨日、くらさんご家族がさえりんの祥月命日を一緒に過ごしてくれました)お参りを終えてローソンの駐車場から次に向かったのは、あの日さえりんが行こうとしてあの場所であの女に轢かれて、辿り着くことが出来なかったあの場所・・・それはスシロー知立店です!!2019年6月4日(火)午後1時36分にあの場所で轢かれなかったら、さえりんは仕事帰りに大好きなお寿司をお腹いっぱいに食べたかったのです!!!私たちはさえりんのその無念を叶えるために、昨日はみんなでスシローでさえりんの代わりにお腹いっぱいにお寿司を食べました!!途中で午後1時36分には、全員で手を合わせてさえりんを想って黙祷しました。さえパパがネットで呼びかけて全国各地でたくさんの方が黙祷して下さいました。みんなは「さえりんは何が好きだったの??」と聞いてくれて、さえりんが大好きだったサーモンとハマチとエビとうどんをたくさん食べてくれました。これも私たち流のさえりんの供養なんです!!私はシナモンのぬいぐるみをさえりんの代わりにしてテーブルいっぱいのお寿司と一緒に写真を撮りデザートのパフェも食べさせました。もちろんさえりんにはテイクアウトして仏壇に供えました。(さえりんが行きたかったスシローでみんなでお寿司を、その時間には黙祷を)お腹いっぱいにお寿司を食べた後はシャトレーゼに寄りました。それはさえりんがシャトレーゼのスフレチーズケーキが大好きでよく食べていたからです。お供え用とみんなも好きなケーキを買いました。シャトレーゼを出てからさえパパはくらさんの車に乗せてもらい我が家へ帰りました。私と次女は別行動で実家(知立市の自宅)へ行きこちらに届いていたお花を持って帰りました。それから帰り道のビッグ刈谷店でさえりんが好きなスイカやブドウやお菓子を買いました。次女も食品の買い物をしました。私は次女をアパートへ送ってから次女の駐車場に車を置かせてもらい、歩いて我が家へ帰りました。さえパパとくらさんご一家はリビングで寛いでいました。娘ちゃんもまるで自分の家のように安心して寛いでくれることが嬉しいです。くらさんちーさんとはこれからのお互いの活動のことや目標などたくさんお話しすることが出来ました。くらさんご家族はソファで気持ちよさそうにお昼寝してくれた娘ちゃんが起きてから、デザートのケーキとスイカもさえりんと一緒に食べて仏壇をお参りして、夕方6時ごろ我が家を出て安城市の岩盤浴へ行かれました。 昨日もし次女の仕事が休みにならず、くらさんご一家も来られなかったら、私は知らん顔の加害者への憎しみで怒り狂っていたでしょう!!!さえりんのことなんてもう誰にも気付いてもらえず無かったことにされる様な孤独感で自暴自棄になって荒れ苦いおかしくなっていたかもしれません(>_<)でもそんな風にならずに穏やかな気持ちでさえりんの供養を心の中で出来たのも、こんな心がダメになりそうな辛い時に一緒に傍にいて共感してさえりんを偲んで過ごしてくれる家族と仲間がいてくれたからです!!そしてたくさんのお花を送って下さった方々、LINEや電話をかけて下さった方々、みんながさえりんのことを大切に想い気にかけて心をかけて下さったからなのです!!本当に昨日はまたあらためて皆さんが寄り添って下さることに、感謝の気持ちでいっぱいになりました!!そしてくらさんご家族と次女、一緒に過ごしてくれてありがとうね(≧▽≦)さえりんもみんなが傍にいて一緒に過ごせたことをきっと喜んでいるよね!!(5回目の祥月命日をくらさんご家族と次女と一緒に過ごせて本当に感謝!!) 昨日は朝出かける前にも、にじいろ会春日井支部のOさんが可愛らしい淡いピンク色のお花を送って下さいました!!Oさんいつもありがとう!!そしてなんと!?たっちゃんから可愛らしいカラフルなカスミソウの花束が贈られてきました!!とっても細やかなお心使いがすごくありがたかったです。元M新聞社にお勤めの時大変お世話になった女性新聞記者Nさんからも、とっても立派なお花を自宅へ送っていただきました!!本当にいつまでもさえりんのことを忘れないでいて下さってありがとうございます!!夕方さえパパがくらさん達を見送ったあとで自宅へ取りに行ってくれました。皆様本当にありがとうございました!!心より感謝いたします!!お蔭様でさえりんの周りにはお花がいっぱいになり寂しくなくなりました!!(みなさんが送って下さったお花に心癒されました!!ありがとう!!)(さえりん4歳1カ月 電車に乗ってお出かけpart1)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月05日
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私は「逆縁」という言葉の意味ををはじめて知りました「逆縁」とは、順当に反した法事。年長者が年少者の、親が子の供養をすること。何事もなく人生を過ごせたのであれば、親が先に亡くなり、その後に子が亡くなるというのが一般的な順序、その順番が逆になるということ。こんな言葉は一生、知らないままでよかった・・・こんなふうにだけはなりたくなかった・・・娘がお世話になったイ〇モ葬祭は我が家の近くの国道沿いにあるきれいな建物です。そこは数年前まではチャペルがある結婚式場でした。まだ娘が小さかった頃たまたまそこを通りかかると、結婚式が行われており、チャペルの階段から降りてくるウエディングドレスの花嫁を見た娘は「きれいー」って喜んでいました。それで、いつか娘が大人になったらこんなふうに結婚式が挙げられたらいいなって憧れていました。そこが葬儀場になり娘がこんなに早くお世話になると決まった時、主人が「葬儀ではなく結婚式のように見送ってやろう」って言ってくれたんです。私たちがムービーシアターや写真をパネルに飾ったのもそのためです。私たちはこんな辛く悲しい現実をいきなり突き付けられて、何かしていないと正常ではいられない、気が狂いそうだったのです・・・娘の葬儀・告別式6月8日(土)11時から12時9時半 家族、親戚が式場へ到着昨夜あまりのショックから体調が悪くなり通夜には出席できなかった母(姑)も今日は頑張ってきてくれた。10時 さえりん、主人、私スタンバイ!昨日に引き続き受付をやってくれる友人3人もスタンバイ!主人と私は昨夜同様に玄関ロビーでご挨拶をしお出迎え。さえりんの後輩の男の子Y君が一番のりで自転車に乗ってスーツでびしっと決めて一人で香典持ってやってきた。中学生の時から知っている子なので、随分おとなになったなぁって微笑ましく思った。続々と参列してくださる方々がみえた。もう一人の後輩Tくんのお母さんが「さえりんはおり紙がとっても上手でいつも折っていたから」とおり紙を持ってきて、ロビーで待っていた人たちにも勧めてみんなで折鶴を折ってくれた。小学校のときの友達が大きな花束やさえりんの大好きなシナモンのぬいぐるみを持ってきてくれて祭壇に飾る。11時 告別式がはじまる、席は満席、後ろにも立っている人がいっぱいに。静粛で泣いている人がたくさんいるのに、どこか温かい感じを受けたのはさえりんの人柄だったんだろうか・・・主人が最後に喪主の挨拶をする。カンペを見ながらだったけど、感情がこもっていてみんな号泣に通夜・告別式の様子はぜーんぶ私の弟がデジカメの動画で撮影してくれた。お疲れさまー・・・12時 出棺 最後にみんながお花と折鶴を棺に入れてくれたさえりんはまるで眠っているようだったけど、お花や折り紙でいっぱいになりなんだか照れ臭そうで、嬉しそうに感じた・・・主人が位牌、私が遺影、次女が骨壺を持って先に、そのあとをさえりんの棺が家族と親戚の男の人たちに担いでもらい式場の外へ(かなり重かったらしい・・・)車が出発するとき、「さえちゃんありがとー」ってみんなで言ってくれた主人と私はさえりんと一緒に霊柩車へ、あとの家族と親戚はバスに乗って火葬場へ。12時30分 火葬場到着 職員の方たちが外で立って待っていてくれた。いよいよさえりんと最後のお別れになったとき、クラクラして立っていられなくなった・・・ほんとうに最後のお別れなんだって厳しい現実が急に押し寄せてきた・・・私たちの市の火葬場には待合室がないので一度葬儀場へ戻った。Tさんたちスタッフがお昼の準備をして待っていてくれた。Tさんの顔を見たらほっとして我に帰り、ご飯を食べることが出来た。そして、再び火葬場へお骨を拾いに行った。さえりんの骨は大きくてとってもしっかりしていた。10年前の実家の父のときの病死で小さくなった骨とは全く違っていた。さえりんはまだまだ死んではいけなかったんだと強く思った!!持ってきた骨壺はすぐにいっぱいになり、終了となった。私は「この残った骨はどうするんですか?」と訊ねた。すると職員が「こちらで葬ります」と言われ、私は「嫌です!全部持って帰ります!!」と駄々をこねた。仕方なく職員が予備の骨箱を持ってきて全部残らず拾って入れてくれた。大きな骨壺が2つと喉仏1つの計3つになった。私は、こんなところにさえりんを一人で置いていくなんて、絶対に我慢できなかった・・・15時頃 葬儀場で初七日法要~精進落としすべて終わったのは17時頃最後までスタッフの方々は丁寧で心を込めて送って下さいました。私は全く何もわからず、突然で不安しかなかったんですが、Tさんが優しく側にいてくれて、ほんとうに心強くて助かりました・・・イ〇モ葬祭でさえりんのお別れが出来て本当に良かったです!!参列してくださった大勢のみなさんにもありがとうございましたと心からお礼が言いたいです!! どうか温かい目で見守ってください! いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。今日ははじめて、大学のレポートを書く次女と一緒に、隣の市の図書館でブログ書きました。外で書くと集中できていつもより早く書けました出勤前の忙しい時間にネットの接続の仕方を教えてくれた主人に感謝です
2019年09月28日
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N弁護士が依頼してくださった、刑事裁判の判決分のコピーが昨日やっと届きました。私はあらためてこの判決文を読んで、震えるほど驚愕したのです。この文章をそのまま出すことは出来ませんが、私があまりにも酷いと思ったところだけ、抜粋します。被告人を禁錮3年に処し、情状によりこの裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予することとする。<量刑の理由> 本件は、被害者を死亡させた交通死亡事故の事案であり、生じた結果はもとより重大である。被害者は20歳と若く、突如としてその後の人生を閉ざされてしまったものであり、その無念は察するに余りある。被告人において、加害者遺族に対して適切な対応をとっているとは言いがたいことも併せ、同人らが被告人に対して峻烈な処罰感情を表わしていることも十分に理解できる。 本件のような左折時の交通事故は、過失による交通事故の類型の中でも過失の程度が比較的重い類型といえる。本件では、被告人は、被害者と実際に衝突した横断歩道内へ自車を進行させる前に、横断歩道上の歩行者の有無に加え、横断歩道を進行しようとしている歩行者等の有無についても十分に確認すべきであり、これを怠った過失は小さいとはいえないが一方で、被告人は安全確認を完全に怠ったわけではなく、左折をするために交差点内に進入するにあたっては、横断歩道上の歩行等の有無を確認している。本件では、被告人が左折進行するために交差点内に進入した時点では、被害者は未だ横断歩道上まで進入しておらず、歩道上にいたことから、被告人はその存在を見落としたものと考えられる。結局、被告人はその後横断歩道上を進行するに当たって、横断歩道左方から横断者等の有無を十分に注意しなかったことから、横断歩道上左折中に自車左側面を被害者に衝突させる本件事故を起こしたものであるが、被告人が大型貨物自動車を運転する職業運転手であるという点を考慮しても、左折進行時の交差点左折先で出口での横断歩道上の交通事故という類型の中でその過失の程度が特に重いものであるとまでいえない。 その他の事情として、本件車両には対人賠償無制限の自動車保険が付されていること、被告人は事実を認めるとともに、今後は運転を一切と述べて反省の態度を示していること、被告人の夫が運転をさせず監督する旨述べていること、被告人に前科前歴はないことなどの被告人のための酌量できる事情も認められる。 以上の諸事情に加え、本件と同種の過失運転致死事案との刑の均衡という点も、被告人に対して、直ちに実刑をもって臨むことが相当であるとはいえない。これが、裁判官が下した判決の内容です!!!皆さまこれを読んでどう思われましたか????私には不服と疑問でいっぱいです!!!!!!まず、減刑の理由として、被告人が横断歩道に進入しようとしたとき、娘は横断歩道にいなかったと言いましたが、私はそれは嘘だと思います。遠くからの見えずらい中古車車販売店の防犯カメラの映像がついていましたが私が見てもよく確認は出来ません。加害者が左折するときにすでに確認を怠っていたのに何故、娘は未だ横断歩道上に進入していなかったと言えるのか???さえりんはトラックが曲がろうとしているのに横断歩道に突っ込んでいくほどバカではありません!!!!もしそうだったとしたらトラックにぶつかった場所はもっと手前の横断歩道入り口のはずです!!横断歩道を6メートルも渡っていてぶつかったのは、さえりんはもうすでに横断歩道上を渡っていた証拠です!!!裁判官はそんなこともわからないんでしょうか????最初から加害者の刑を軽くするために取って付けた理由としか思えません!!!!次に、加害者は職業運転手なのだから、歩行者を見逃して左折した罪は非常に重くしかし「過失の程度が特に重いものであるとまでいえない」という裁判官の認識の方が余程おかしいと言えます!!皆さんはどう思われますか???その他のところで「本件車両には対人賠償無制限の自動車保険が付されている」とありましたが、それは最低限度の常識であり、運送会社として当然なのでこれが酌量の余地というのはおかしい。「被告人は事実を認め、反省の態度を示している」?????????????「夫が運転させないように監督すると言っている」?????????????「被告人は前科前例がないから酌量の余地がある」?????????????この3点においては、裁判官の目は節穴ですかと訴えたいです!!!全く反省も誠意の欠片もない加害者と、一般常識に欠けたやくざのような夫のどこにこのような酌量の余地があると言うんでしょうか?????「被告人に前科前歴がないことが量刑の余地」になるというのなら、1人なら殺しても許されて、2人目からはダメという事になりますよね??これも本当におかしな話です!!今までがいくら無事故無違反であっても一方的に人を轢き殺したら、これは罪を償い刑に服さなければおかしいのです。裁判官へ、あなたは人を見る目が全くないんですか???それとも、書面上の判断でしか出来ない堅物なんでしょうか???人として正しく公平な目で見たら、加害者の態度に反省が全くないことなんて誰が見ても、一目瞭然ですよ!!!それほどまでに、過去の判例ばかりに頑なにこだわって、情状酌量の要素を探し、執行猶予を無理やりつけて、罪を軽くしたい理由は何ですか????重い罪を言い渡して自分が後で叩かれることが怖いんでしょうか??????そんな保守的で心無い裁判官なら、もう裁判なんてする必要はありません!!!全ては過去の判例にならってというのなら、ただ内容をデータ入力するだけで裁判なんてパソコンでも出来るじゃないですか!!!!なんのための裁判であって、裁判官なんでしょうか?????皆さんならこんな交通事故の刑事裁判の現実をどう思われますか???裁判では生きている加害者の人権ばかりが主張されて情状酌量の要素を探して、理不尽に突然命を奪われてしまった被害者の人権はもうありません!!!死人に口なしです!!!!さえりんがもしも生きていたら、絶対にこう言います!!「私は自分からトラックに突っ込んでいったりするはずがないよ!!!横断歩道を渡っていたら突然右側からトラックが突っ込んできて、倒されてキャーーーって叫んだのに、トラックは止まってくれなかったんだよ!!そのまま下敷きにされて頭を踏み潰された!!私は絶対に悪くなんかないよ!!」私はさえりんの想いを信じます!!さえりんの無念は必ずママが晴らすからね!!!ママは絶対に諦めないから!!!さえりんに落ち度なんて、なんにもないんだから!!!さえりんの命がこのように軽視されることを私は絶対に許せません!!!こんな理不尽な判決が当たり前のようにまかり通るような司法ならば、もうこの国の法律は終わりで、無法地帯です!!!私たち国民の正しい判断とご意見で、今までの裁判の悪判例を変えていかなければいけないのではないでしょうか??そうでなければ、次もまた次も、理不尽な裁判の判例に、悔し涙を流す遺族は増える一方で、何一つ変わっていかないのです!!(さえりん5歳 自宅にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございます!!よろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年07月25日
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昨日は午前中2年4ヵ月ぶりに懐かしい場所で懐かしい方々にお会いしました。それは、さえりんが亡くなる前日まで、約18年間ごく当たり前のように通っていた場所でした。子育てに悩んだ私に、同じ年頃の子を持つ仲間が出来て、少し先を行く先輩や、ずっと先を行く先輩がいて、後輩がいてくれました。私はその小さいコニュニティーの中で、今までもこれから先も、ごく当たり前のようにずっと過ごして生きてゆくのだと思っていました。それは愛する紗愛理のために!愛する次女のために!ところがあの日、突然のさえりんの死に・・・私の時間も一緒に止まりました。そして、今までの当たり前だった日常は見事に崩れ落ちました(>_<)私はもう今までの幸せだった母親ではなくなってしまいました。子どもを先に亡くした逆縁の親になってしまい、私は別世界の人になってしまったんだから。そのままもうここへは行けなくなってしまったのです。そして2年の月日が・・・昨日は久しぶりの場を設けて下さったのは、ボランティアメンバーでもあるTさんとNちゃんです。しかも、にじいろ会🌈のストラップをみんなで作るという場。昨日私たち3人以外に5名の方が来て下さいました。8人でストラップを作りながら、みなさんのお子さんの話や近況を確かめ合いました。たった2年4ヵ月それでもお子さんたちの成長は早くて不思議な感じがしました。隣に座ったOさんが、「さえちゃんのことを思い出すと今でも悲しくなる・・・」と言われました。さえりんが小さい頃からOさんにとっても懐いていたからです。このメンバーは殆どの方が、紗愛理を3歳くらいの時からよく知ってくれています。だからこそ、紗愛理亡き後、もういけなくなってしまったのです。あまりにも思い出がたくさん在り過ぎるから・・・昨日は久しぶりにお会いできた元仲間だった方々は、こんな私をあたたかく迎え入れて下さいました。本当に穏やかな守られた優しい時間を過ごせました。TさんとNちゃんお気遣いいただいて本当にありがとう!!みなさんありがとうございました!!約1時間半のストラップ作りが終わり、帰るとき先輩に言われました。「また戻っておいでよ」と。私は「ごめんなさい、都合が合えば・・・」と苦笑い。きっと先輩も私がもうここへ戻ってくることはないとわかっていたと思います。それでもそう言って下さったのはただ優しさだと思います。私の心はもうここへは戻れないんです!!どんなに願ってもさえりんは二度と還ってこれないから。私ももうさえりんがいた頃には、二度と戻れないんです(>_<)でも長い年月をかけて頂いた心は決して忘れることはありません!!私の身体に沁み込んで、私の考え方や行動言動に生かされています!!今こうして毎日ブログで発信できることも、書くという行為も全て教えて頂いたことです。今こうして、にじいろ会🌈のボランティア活動を立ち上げられた原動力も、皆さんから教わったことだと心から感謝しています!!私はもう二度と古巣には戻ることはないと思いますが、学んだことを生かしてボランティア活動という新しいステージで、さえりんの想いと共に生きてゆきます!!今まで長年、本当にお世話になりました!!昨日はそんな懐かしい方々と古巣に感謝の気持ちでいっぱいになりました(*^^*)(さえりん12歳の時 修学旅行へ) 様々な人とのご縁から学ぶこと・・・この頃にじいろ会🌈の活動を通して、たくさんの方々とお出会いする機会がめちゃくちゃ増えました!!それはもちろん素敵なお互いを高め合えるように出逢いが殆どですが、時として「人のふり見て我がふり直せ」と思うような出会いもあるのです。人を見た目や外見で判断することは、もちろんいけません。人間は中身が大切です。しかし、そう思ってもどうしても相容れないと思うような方も中にはいらっしゃるのです。自分では負のオーラを出しているという事は、なかなか気付きにくいかも知れません。そう思ったら私も、もしかしたら今まで負のオーラをいっぱい出していたのではと我を振り返るのです。自分では知らず知らずのうちに、相手を重たく憂鬱にさせてはいなかったかと、人は鏡だと昨日は急にそう思ってしまいました(-_-;)こういう風に人の姿を見て自分を振り返ることができるようになれたことも、もしかしたら今までより少しは前に進めているからかもしれません。それは、一昨日お出会いした霊感のある方から「さえりんは私たちの活動を喜んでいる」とお聞きしたからかもしれません。私はまだまだ一進一退を繰り返すと思いますが、確実に前へ前へと少しずつ進めているから、いろんな方々が私の先生になって見せてくれているのかなと思います。そして、大勢のみなさんの善意とあたたかいお気持ちで励まされ支えられているにじいろ会🌈であり、私なんだと感謝の気持ちだけは決して忘れてはならないんだと強く心に刻むのです!!さえりんがいつでも喜んでくれるように!!さえりんの自慢のママになれますように♡ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館会の活動内容をお知らせするのにあたり、LINEの公式アカウントを作りました。よろしければ以下のリンクから友達登録してね❗https://lit.link/aichinijiirokai
2021年10月15日
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このブログを通して仲良くなった交通事故被害者ご遺族のSさんと昨日LINEをしていた時の事です。Sさんも私と同じくさえりんと同い年の娘さんを交通事故で亡くされたお母様です。昨日12日は娘さんの月命日でお墓参りに行かれたそうで「月命日の日は複雑な思いです。花を供えるのも親として亡くなった娘にできるせめてもの供養だから。生命のメッセージ展の参加家族の方はどんな思いで乗り越えてきたのでしょうか??」とLINEを送って下さいました。私も全くその通りだと思いました!!というのは本来ならば順番に私たち親が先に死んで子供に供養されるはずなのにそれが逆になってしまったんです。だから子供を先に亡くしたことを逆縁というのです。これは仏教用語であり四苦八苦の中の愛別離苦という苦行なのだそうです。どうして私たちの娘がこういう目に遭わなくてはならなかったのでしょうか??さえりんだってSさんの娘さんだって本当に優しく良い娘さんだったんです。そんな娘たちが夢半ばで若くして殺されなければならないほどの悪いことでもしたというのでしょうか??それとも私やSさんが悪いことをしたから逆縁の苦しみの修業を与えられることになったのでしょうか??その理由は未だに理解できません!!ただ私に分かることは最愛の我が子が先に死んでしまったという「重い十字架」を背負ってこの先ずっと生きていかなければならなくなったということだけです。よくテレビドラマや映画などで罪を犯して人を殺めた人のことを「重い十字架を背負う」と言いますが、現実にはその逆だと思います。罪を犯してついうっかり人の娘を殺めた加害者は形ばかりの質素な花を義務感で供えるだけで後は知らん顔です。とても「重い十字架」を背負って罪の意識に苛まれている人間の行動には思えません!!ただ義務的に被害者遺族を怒らせないように体裁を整えているとしか思えません!!中には本当に罪の意識に苛まれて重い十字架を背負って誠心誠意の償いをしている加害者もいるかもしれませんが、私の知る限りそういう人は稀です。そして我が子を殺された被害者遺族はそんな加害者にさらに煮え湯を飲まされて復讐したい衝動に駆られ「重い重い十字架」を一生背負って、それでも亡き我が子とこの世にいる我が子のために衝動を抑えて真っ当に生きてゆくのです。だから「おまけの人生を楽しもう」とする行為はその重い十字架を背負いながらでもどうやって生きてゆくのかが問われている様な気がするのです。それで私達がマンションに引っ越して新しい生活をして楽しく暮らしても、ボランティア活動をして仲間と楽しく有意義に過ごしたとしても決して何の憂いもなくただ純粋に楽しんでいるわけではないんです!!やっぱりさえりんが亡くなってしまったという「重い十字架」と深い悲しみを背負ったまま、それでも少しでも楽しむという究極の行為なんです。一生その十字架は下ろすことなんて出来ないんです!!それが逆縁の親の宿命なんだと思っています。私たちだけでなくそういう人生を送ってみえる方はこの世に大勢いると思います。そしてSさんにLINEでお返事しました。「多分逆縁を経験された親は形は違えどいつまで経っても複雑な気持ちは変わらないと思います。きっと乗り越えることなんてできないからせめてもの想いで亡きお子さんをメッセンジャーにされているんではと思うんです。姿形は無くとも我が子はまだこの世の役に立って、その魂はまだ生きているんだと思いたくて」と。私はまだまだ死別4年ですので、10年20年30年経たれた方のお気持ちが分かるわけではありません。時と共に人によって思い方は様々ですから。でも今の私はそう思うんです。もしこれから先自分自身の気持ちが変わってきたら、その時の心境をこのブログに素直に書き綴っていきたいと思います。心が変化するということもまた生きているということですから。(さえりん生後9カ月 初めての知立まつりpart2) 昨日の朝さえパパが「新しく出るN-BOXが安城市のホンダのディーラーに展示してあるから見に行こう」と言うので一緒にドライブしながら見に行きました。家を出る直前にちょうど安城警察署から「ストラップが少なくなったから届けてほしい」とお電話をいただいてグッドタイミングだったのでついでに安城警察署へ200個ストラップを届けに行きました。ディーラーには鮮やかな真っ赤な新N-BOXが正面に展示していました。さえパパは座席に乗ったりトランクやエンジンルームを開けて見ていました。買うわけではないんですが自分が好きな車なので新型はどう変わったのか見ておきたいんだと思います。見終わっていつものピンク色のN-BOXに乗った時、この車は乗れるだけずっと大切に乗ろうという思いが強く湧いてきました。だってこの車はさえりんが高校3年生(18歳)の時にいつか免許をとったらさえりんと共用で乗ろうと思ってさえりんが好きなピンク色を選んだ想い出の車だからです!!その時私は思いました。私たちは愛娘の死という「重い十字架」を背負ってしまったのですが、それと同様に「娘とのかけがえのない大切な想い出」も背負って生きているんだと。このかけがえのない想い出こそが私の大切な宝物なのですから。お昼はさえパパが「お寿司食べていこうか」と近くの回転ずしに入りました。お寿司はさえりんが大好きだった食べ物です。その後は岡崎市までお土産を買いに行って我が家に戻りました。夜、テレビ台と共に注文していた間接照明のフロアスタンドが届きました。さえりんのお仏壇のライトと間接照明がとってもいい感じになりました。やっぱり私はさえりんとずっといつも一緒に生きているんだと実感しています。(ディーラーで新型N-BOXを見て、お寿司を食べて、間接照明が届いた)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2023年09月13日
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昨日は豊明市議会議員Tさんに声をかけていただいて豊明市八ツ屋老人憩いの家で「カフェ・ひまわり」(ご年配の方々の集まり)でストラップ作りをしてきました。前にも一度呼んでいただいてその時は知立リーダーのNちゃんと一緒に参加しました。今回はさえパパと、先日ボランティアメンバーに加わって下さったNさんと一緒に参加しました。Nさんは地元の方なので市議会議員Tさんたちと一緒にもっとこの地にも普及していただけたらと願っています。昨日は朝10時に豊明市の三崎水辺前のコンビニの駐車場でNさんと待ち合わせして車2台で八ツ屋老人憩いの家へ行きました。中へ入ると健康体操が始まっていました。その間に私たちはストラップの材料と道具を分ける作業をし準備しました。健康体操が終わると机を真ん中にその周りに椅子を並べて机の上にはストラップの材料を並べてストラップ作り開始です。Tさんのお母様が「先回来ていなかった方もみえるのでまずはさえママからこのにじいろ会のストラップの経緯を説明して下さい」と言われて、さえりんのこと、ストラップ作りを始めた経緯と交通安全啓発活動のことなど5分くらいで簡単にお話しさせてもらい、それから皆さんで作り始めました。最初から作るのは難しいので先回の安城と知立のボランティア活動の時みんなで作った花編みまで編んだものを200個持ってきて、ボンド付けから袋詰めまでをご年配の皆さんと一緒にやりました。ご年配の方々の中にもとっても器用な方もみえてどんどん作って下さいます。中には爪が長くて細かい作業が苦手な方もみえましたが楽しくお喋りしながら、1時間ちょっとで110個のストラップが完成しました!!オバサマ方の元気とパワーのお蔭です!!Nさんとさえパパも皆さんに優しく作り方を教えてくれました。95歳のおばあちゃんもお元気でまたお会いできて元気をもらいました!!昨日皆さんに作っていただいた完成品は市議会議員Tさんに預かってもらい豊明市役所と社協と商工会議所に補充してもらいます。あと残った材料90個分もTさんにお願いして預けました。とっても和気あいあいと有意義な時間でした!!(昨日豊明市八ツ屋老人憩の家でオバサマ方とストラップ作りの様子) 昨日はストラップを作りながら、皆さんが聞いてくださったのでつい理不尽な交通死亡事件の現実をお話ししました。皆さんは「人を轢き殺しても刑務所にも入らずに普通にのうのうと暮らせるなんて知らなかった!!」「事故の実況見分で自分有利な言動で調書ができるなんて知らなかった。まさに死人に口なしなんだね」「ついうっかり娘さんを轢き殺してもろくに謝罪にも来ない加害者なんて信じられない」「警察も検察も加害者を優遇して被害者の味方ではないんだね」と口々に驚いてみえました。私も娘がこんな目に遭うまでは皆さんと同じでまさに「信じられない現実!?」だったのです。でもこれが今の日本の現実なんです!!市議会議員Tさんも本当に信じられない「市議会議員の公務視察後の飲酒運転の実態とその後の議会でその議員に対しての恩情な対応」を赤裸々に話して下さいました。その結果、その議員に厳しい処分を求めた正義感溢れる議員が批判されひどい扱いを受けるという信じられない現実を聞いて、司法だけでなく政治の世界でもこういう理不尽がまかり通る、まさに長いものに蒔かれろ主義が当たり前の日本なんだと愕然としました。本当に今までは何も知らずにのほほんと生きていたのに、この社会に自由平等といいながらも実は理不尽さや差別や贔屓がまだまだ根強くはびこっているんだと知って、心がズンと重たくなりました。そんな中で私に何ができるのだろうかとあらためて深く考えさせられました。私には何の力も能力も権力もお金もないので、法律やこの社会を変えるなんて大きなことは到底できません。でもこのまま何も出来ないまま泣き寝入りもしたくありません!!それではあまりにもさえりんが可哀そうすぎるから!!そう思うとやっぱり私にはこうした地道な草の根運動しか出来ないんだと結論はそこに至るのです。気が遠くなるようないつ実るかもわからず果てしない種まきですが、やっぱりストラップを配布して交通事故が起きない社会を願って啓発活動をするしか方法がないのです。何人かのオバサマから「娘さんを若くして亡くされて、よくこの活動を始められてこうして笑えるまでになれてすごいね」と声をかけられました。自分では今もまだ決して立ち直ったわけではなく悲しみは消えていません。でもここまでくるまでが本当に身を切る様な思いをして大変だったことをあらためて思い返します。そして反省もしていない加害者とこの理不尽な社会に対する強い怒りと見返してやりたい悔しさが私の活動への原動力になっていることも確かです。そして何より「最愛のさえりんのことを無かったことにされたくない!!」という強い想いが私を突き動かして今も生きている一番の理由なのです。本当に立ち直ったときは、もう何の活動もブログもしなくなる時です。 昨日はそんなことを頭の中でぐるぐる考えながら老人憩いの家をあとにしました。帰りにイオンビッグ刈谷店で食品の買い物をして、黄色いレシートキャンペーンでいただいた残りの金額でボランティアメンバーさん用のお茶とドリンクを5ケース買って報告書を提出してきました。昨日は我が家用の2ℓの水とお茶も2ケース買ったのでキャスターに7ケースのドリンクをマンションに運んでいたらひっくり返って大変なことになるし買った物の荷物運びもとっても疲れました💦家に帰り食品は冷蔵庫に、大量の飲み物の箱買いを納戸に整理して片付け終わると午後4時過ぎで、なんだかとっても疲れて気が付けばソファで久しぶりに夕方暗くなるまで爆睡しちゃいました(^-^;本当にとっても充実しましたが、あらためていろいろ考えさせられた1日でした。(さえりん3歳10カ月 子供の日)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年05月21日
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昨日はにじいろ会メンバーのNちゃんとSさんが我が家へ来てくれて一緒にクラフトのバッグ作りをしました。朝10時半に我が家近くの水広公園の駐車場に集合してそこに車を置かせてもらって私の車に乗って我が家へ。Nちゃんは初めての四つ畳み折りバック作りをしてSさんはお孫さんへのお誕生日プレゼントにクラフトボックス作りをされました。Nちゃんはとっても器用なので四つ畳み折りもすぐに覚えてしかもとっても綺麗に編んでいました。私はというと手は早いのですが性格が大雑把なので💦気をつけながら編みました。昨日はボランティアメンバーOさんに頼まれた茶色とベージュ色のバッグを編みました。注文品なので雑にならないように特に慎重に気を遣いました。お昼ご飯はみんなそれぞれおにぎりやパンを持ってきてさえパパがコーヒーを淹れてくれました。Nちゃんが知立名物大あんまきを買って来てくれたのでさえりんにお供えしてみんなでいただきました。さえりんや次女も大好きだった懐かしい味です。みんなでお喋りしながら作業しているとあっという間に時間が過ぎて、午後4時には水広公園駐車場へ2人を送って帰って行かれました。昨日はNちゃんがまだ途中までなので次回もまた集まって続きをやろうと約束しました。昨日6月5日はさえりんの祥月命日の翌日だったので、自分でもどういう精神状態でいられるのかとっても不安でしたが、祥月命日にはくらさんご家族が一緒に過ごしてくれたことと、昨日友人2人が我が家へ来てくれたことでとっても穏やかに優しい気持ちで過ごすことが出来て本当にホッとしました(´▽`) ホッ(昨日友人2人と一緒に我が家でクラフトバック作り) 実は6月3日にリビングのソファの位置を変え部屋の模様替えをしました。今までは細長いリビングスペースの真ん中を分断するようにテレビの真正面に大きなソファを置いてその背中側に食卓テーブルを置いていました。しかしお客様がみえると食卓テーブルに座るさえパパとソファに座った人とが後ろ向きになってしまうため会話がしにくい位置関係でした。それで思い切って大掃除をして長方形の大きいジュータンを縦長に敷き直して、大きなソファはテレビとは垂直の位置に和室を背にして窓の方向を向いて置きました。その位置に置いていたローソファを窓側へ移動しました。すると真ん中に大きな空間ができてコタツテーブルを縦向きに置いて、さえパパがいつも座る食卓テーブルとも顔を合わせて会話することが出来るようになりました。そしてこの位置の方がお客様が多くみえても皆で広く有効に座れるのです。ほんのちょっと模様替えしただけですがなんとなく新鮮な気持ちになれるのです。たったそれだけのことですが、もうすぐ梅雨入りしたり何かと憂鬱な気分になりやすいこの時期に思い切って変えて良かったと思いました。そしてこれから先どうなるのかまだわかりませんが、今はクラフトバック作りという夢中になれることが見つかって本当に良かったです!!なんでもいいのです夢中になってできることが、今の私には物凄く精神的安定と心の支えになっているんです!!それがなければ昔みたいに心が病んで外にも出られず人にも会えず心閉ざしで引きこもりになっていたと思います。これもさえりんが私に遺してくれたクラフトテープから繋がった出会いなのです。さえりんが私をこれからもこの世で生かすために!!(最近作ったクラフトバッグ)(さえりん4歳1カ月 電車に乗ってハム太郎のイベントへpart2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館にじいろ会公式ホームページが完成しました!!よろしければ以下のリンクからご覧下さい。https://saerinsaeri.wixsite.com/aichinijiirokai
2024年06月06日
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