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第3巻 『販売戦略・市場戦略』



開拓営業は社長の役割

日本航空電子は、昭和28年、沼本 実によって創立された会社である。

創立当初は社長以下3名で、日本電気の事務所の一隅に間借りしての発足で、工場も
設備も従業員もいなかった。

沼本社長は、極東空軍の立川基地へ、1年間も雨の日も風の日もかかさず日参して、
修理品の受注活動を続けた。この当時のことを、当の沼本社長は『あるのは熱意と
根性だけ』と述懐している。その熱意には、相手になる係官が悲鳴をあげ、一計を
案じて沼本社長閉め出しをしようとした。

それは1個のトランスで、新しい樹脂でかためてあり、内部が故障していたのである。
日本の大会社を全部持ち回っても、どこでも直せなかったという札付きの難物だった。

沼本社長は持前の熱意でこれと取組み、ついにこの樹脂を溶かして修理に成功した。
しかし、もと通りに固める樹脂が日本にはない。立川基地の係官のところに、アメリカ
から取りよせてくれるよう依頼した。これには係官がビックリすると同時に、沼本社長に
惚れ込んでしまった。早速樹脂を取りよせてくれただけでなく、大切な製造技術書まで
貸してくれたのである。

この時の受注価格は5ドルだったのである。これを機に、その係官の口コミによって、
責任者に会うことができ、ついに極東空軍の修理とオーバー・ホールの年度契約に
成功したのである。

この契約をベースにして、コネクターの製造を始めた。これは、米国最大のプラグメーカー
であるキャノン社との技術提携によるものである。この提携の成功は、日本航空電子に
絶対的な信頼をおいていた極東空軍の側面援助があったからである。

昭和34年、ハネウエル社と、ジャイロの技術提携を企図した。当時従業員200人
足らずの小企業が、従業員5万人のマンモス企業に狙いをつけたのである。

沼本社長は自らアメリカに飛び、ハネウエル社に提携を申し入れた。その時には既に
日本の大企業13社が申し入れをしていたのである。

ハネウエル社の社長と会った時に、先方の質問は「あなたの経営理念は何ですか」
「あなたの人生哲学はどうなんですか」ということだけで、会社の規模や受注能力などの
質問は全然なかったという。

月とスッポンでは話にならない。どうせダメだろうと、工場見学をさせてもらったのを
土産に日本へ帰るつもりの沼本社長は、帰国のあいさつにハネウエル社社長を訪問した
ところ、社長はその場に国際部長を呼び、『現在日本の13社が交渉に来ているが、
ハネウエル社は日本航空電子工業にだけライセンスの交渉に入る。他社は断わってくれ』
と命じたのである。

これには沼本社長がびっくり仰天しただけでなく、国際部長もびっくりして、
『日本航空電子なんて会社は聞いたことがない』と大反対であった。
社長は『私も日本航空電子なんて会社は知らなかった。しかし、このヌモトという男は
知っている。日本航空電子にでなく、この男にやるのだ。会社なんてものは社長で
決まるものだ』と。

会社は社長で決まる。日本航空電子の発展は、文字通り沼本社長で決まったのである。

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会社の発展の最も大きな要素は、優れた商品、優れた顧客である。当然のこととして、
それらの開拓は社長の役割であって、他の誰でもないのだ。企業の運命をきめる最重要事項
なればこそ、社長がやるのであって、この最重要事項を社員に任せるのは、明らかに
社長の重大な怠慢である。

  (中略)

優れた会社の社長は、自ら先頭に立って奮闘し、ボロ会社の社長は自らは何もせずに
社員の能力や熱意に期待する。この期待が満たされないと、社員を批判することしか
しない。こういう社長は、事業経営の資格がないのである。
                           (おわり)

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