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「商人とは、経営者とは」第4回


トップに立った驕りが怖い

伊藤が商売の道に入ったのは終戦直後、母ゆきと兄、譲が東京・千住に
開いた2坪(6.6m2)の店に転がり込んだ時である。千住は当時、
東京下町の商業地として、2等地以下の場所だった。それが幸いした。

千住は菓子や履物、雑貨などの町工場が集まった、職人、工員の多い町で、
戦後の復興期に次第に活気を帯び、続く大衆社会の勃興により、一気に
消費が伸びる地域になったからである。

譲は昭和23(1948)年、合資会社羊華堂を設立した。「仕入れと
勘定は他人に任せるな」というのが譲の方針で、伊藤がその役目を
負わされた。当時は小売店より問屋の方が力を持っていて、卸して
もらえるとは限らない。電話帳であらかじめ売ってくれる店を調べ、
浅草橋や横山町の問屋に自転車で仕入れに行った。

取引は現金限り。売れた分だけ仕入れる一日一回転の商売だった。
後に車で通うようになり、大阪辺りまで仕入れに行くようにもなる。
商人宿に泊まって、各地からやってくる同業者と情報交換した。
多店舗展開していない頃だから、互いに競合する場面はなく、やがて
各地の一番店として頭角を現す商店主と本音で語り合ったものだ。

昭和30年に年商1億円を達成。商売が軌道に乗りかかった翌31年、
譲が持病の喘息で急逝した。

昭和21年には、東京の闇市には6万店がひしめいていたとされる。
そんな中で、羊草堂は正札販売を貫いた。譲は「お客様あっての商売」
という信念を曲げなかった。その信念を伊藤は引き継いだ。
ヤミでぼろ儲けした人は結局、多くが消えていった。

千住の土地柄から、大晦日の店頭はお客でごった返す。雇い主が従業員
に身の回りのものを買い与える「お仕着せ」の習慣が残っていて、
大晦日に買いにくるのである。伊藤はいくら売り上げがあったか覚えて
いないが、多過ぎて途中でお札を数えるのが嫌になった。徹夜するほど
ではなかったが、何時間も数え続けた。そんな経験のできる商人は
そう多くあるまい。

譲の死後、事業を誰が継承するか、親族でもめたが、昭和33年、
株式会社ヨーカ堂を設立、伊藤が社長に就任した。店舗は増築して
256m2に拡張、従業員70人。洋品店から衣料ディスカウント店
に転換し、キンカ堂、赤札堂と共に“安売り三堂”と称され、繁盛店
として名を売った。

「売上高1000億円へ」
生涯一度の大言壮語

昭和36年、伊藤は初の海外視察に出掛け、百貨店経営の夢を
チェーンストア経営に切り替える。早速2号店を東京・赤羽に開き、
チェーン展開に乗り出した。2号店はなかなか軌道に乗らず、苦労した。
その後、毎年1、2店舗ずつ出店したものの、いずれもそう簡単に
利益は出なかった。昭和40年頃まで、会社全体の利益のほとんどを
千住店一店で賄っていた。

資金がなくてやむを得ず店を出した千住が伸び盛りの立地点になり、
本当に大きな幸運をもたらした。千住自体の市場も急速に厚みを増した
が、交通の結節点という優位性が生きて、千住店は近辺ばかりでなく、
千葉県松戸市辺りまで商圏にするほど、広い範囲で集客力を発揮したの
である。

店舗数が8店にまで増えた昭和40年、売上高が100億円を突破した。
大言壮語を嫌う伊藤が多分生涯でただ一度、大言壮語めいた言葉を
発した。

「売上高1000億円を目指す」

社員もその他の関係者も、誰一人本気には受け止めなかった。

だが、伊藤はこの時、そう遠くない先に、1000億円を達成した
イトーヨーカ堂をまざまざと思い描くことができた。伊藤にとっては
大言壮語ではなく、間違いなく訪れる将来の姿だった。恐らく伊藤は、
イトーヨーカ堂自体の成長性もさることながら、大衆消費時代への
世の中の流れを読み切っていたのであろう。イトーヨーカ堂の売り上げ
が1000億円を超えたのは、わずか5年後のことである。

それからイトーヨーカ堂は売上高でも利益額でも、節目になる数字を
次々に達成していくが、不思議なことに、それを記念する行事のような
ことは何一つ行っていない。組合も特別のボーナスなどを要求したこと
がない。

売り上げが5000億円になろうと、1兆円を達成しようと、すべて
途中経過にすぎない。「ゴールと言うわけじゃありませんから」と伊藤は
言う。「そんなことを考えるより、夢中で駆け抜けてきた」。そういう
企業であり、そういう労使なのである。

「黒字倒産」の恐怖

昭和48(1973)年はイトーヨーカ堂が忙しく動き回った年だった。
東京証券取引所第一部に上場した。米国サウスランド社と
セブン-イレブンのライセンス契約で合意、ヨークセブン(現セブン-
イレブン・ジャパン)を設立した。レストランのデニーズジャパンを
設立。福島県のスーパー、紅丸商事(現ヨークベニマル)と業務提携した
のもこの年である。この年にまいた種はいずれも大きな花を咲かせた。

昭和63年、売上高が1兆円を超えた。昭和時代のイトーヨーカ堂の
足跡を駆け足で辿ると、売り上げ100億円から1兆円までに23年間
しか掛かっていない。細かい失敗はあったにしても、順風に乗ってきた
と言っていい。

ただ一度、伊藤が「倒産もあり得る」と覚悟したことがあった。
昭和48年、第一次石油危機が起きた。流通業界は大混乱に陥った。
要点は二つあった。

一つは「モノ不足」である。「買い占め」の動きが起き、トイレット
ペーパーや洗剤には開店前から主婦の行列が出来た。「千載一遇の
チャンス」と捉えた業界もあった。小売業も「売り惜しみ」していると
言われ、悪玉にされた。

メーカーも問屋も小売業も、買い占めや売り惜しみなどしなかった。
消費者が普段の2倍の商品を買えば、店頭在庫があっという間に底を突き、
品切れになるのは当然だ。需要が数%増えれば価格は数割上がり、
数%減れば数割下がる。当然の市場原理である。

もう一つは融資規制。石油危機で火がついた狂乱インフレを押さえ込もう
と、政府・日銀は猛烈に金融を締めた。銀行局長通達で不要不急の融資
を規制する選別融資が強化され、小売業は銀行融資を完全に止められて
しまった。

イトーヨーカ堂は創業以来、取引先を大事にする考えから、商品仕入れに
手形を切ったことがない。伊藤が密かに誇りにしていることである。
しかし、店舗の建築資金だけは手形を振り出していた。店舗への設備投資は
昭和30年代には年間20億円で済んだが、40年代になると200億円へ
と跳ね上がった。その手形が落とせず、「黒字倒産」を覚悟するまでに
追い込まれた。

伊藤は資金手当てに奔走した。生命保険会社、信用金庫、信用組合、農協、
郵政互助会など、あらゆるところに頭を下げて回った。日本不動産銀行
(日本債券信用銀行を経て現あおぞら銀行)が融資に応じ、やっとの思い
で乗り切った。企業経営に失敗したわけではないのに、倒産に追い込まれる
場合もある……。怖さを思い知らされた。

価格志向と決別
「価値志向」ヘ

イトーヨーカ堂の唯一、最大の危機だった。もっとも伊藤に言わせれば、
イトーヨーカ堂は今現在、最大の危機を迎えているのだと言う。
イオングループと共に“流通業界の二強”と呼ばれる今こそが、
一番危ない。

「成功は失敗のもと」

伊藤はそう言う。成功体験が身に染み付いてしまった状態が危ない。
トップに立った気の緩み、驕りが怖い。

経済全体の動きも決して安心できる状況ではない。米国の景気が
上向いて、日本も本格的に回復に向かうなどと、安易な見通しを
持っていると危ない。

イトーヨーカ堂は平成15(2003)年10月から11月にかけて、
4つの店舗を開いた。拝島(東京都昭島市、東大和(同東大和市)、
錦町(埼玉県蕨市)、立場(横浜市)の各店である。売り場面積は
それぞれ1万4000m2程だ。イトーヨーカ堂の新しい販売哲学と
販売技術を世に問う店舗である。

小売り業界はここ数年、価格志向を強めてきた。世界最大の企業と
なった米国ウォルマートのキャッチフレーズは「エブリデイ・
ロープライス」。スーパーも専門店も、少しでも売り値を引き下げる
ことにしのぎを削ってきた。

イトーヨーカ堂はこの4店で、その大潮流と決別する。チェーンストア
のこれまでの思想ともおさらばした。4店はチェーンストアであり
ながら、一つのタイプに枠をはめられていない。それぞれが地域に
最もふさわしい売り場を作ることを目指す。

価格志向ではなく、「価値志向」である。安さでは競争しない。
消費者が本当に欲しがっているものを売り場に並べるというのだ。
その裏付けになるのが、膨大な売れ行きデータの分析から得られる
情報である。

イオングループとも違う、日本に上陸したウォルマートとも違う、
イトーヨーカ堂がセブン-イレブンの経験を生かしながら独自に
切り開き、ただ一社で進もうとしている道なのだ。

伊藤の後継者達はトップの座に安住せず、次の目標に挑んでいる。
局面は変わっても、「基本の徹底」と「変化への対応」という根本
は何ら変わらない。この軸足がぶれない限り、イトーヨーカ堂は
着実に前へ進むだろう。だが、伊藤の心配の種は尽きない。
自分の手の届かないところで大きな変化が起きていることに、
一抹の寂しさも感じているように見える。 (文中敬称略)

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昭和47(1972)年、
東京証券取引所第二部に上場、
1400円の値を付けた。
翌年には同第一部に上場した

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日経ベンチャー2004年1月号より

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