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街角のばら。5月の日記に書いたのと同じばらの木ですが秋にも花咲かせて私どもの目をたのしませてくれます💗。春夏も、秋冬にも咲くばら。うつくしいのみならず強靭な生命力、ヒトもみならいたいですね😊。薔薇の木に薔薇の花咲く何事の不思議なけれど・・・北原白秋「薔薇二曲」北原白秋「薔薇ノ木二・・・」ちからのある言葉人気ブログランキングにほんブログ村にほんブログ村
2024.11.16
・・・といっても、信仰があるわけでもないので、どうということもないのですが。なんだかびみょうに、ちょっとした物事がうまくゆかない日でした😅。(遅きに失した感はありますが、なんとかマイナポイント登録設定済みました。ぜいぜい・・・)夜はゆっくり世界の昔話や怪談の古本をあさって、怪奇と幻想の世界に魅せられてみたいです😊。人気ブログランキング本・書籍ランキングにほんブログ村
2023.01.13
ついに、結論がでたようです。長年、教育学・発達心理学の分野で教材やエピソードとして活用されてきた『狼に育てられた少女』、捏造つまり作り話、詐話だったという論証。・・・このファンタジーじみたロマン、しかも大昔の伝説ではなく、20世紀前半の出来事で写真までのこされている、なんともうさんくさい魅力にみちたお話は、なぜか人の心をつかんで離しませんね!・・・英米のメディアに発表された当時(初出は1926年?)から、内容の真実性を疑う声も大きかったにもかかわらず、当時の著名な研究者、心理学者の多数が真に受けた・・・、逆にこのこと自体が、「心理学の命題」になりうると思います。興味を持ってくださったかたは、拙ブログの過去日記もみていただけたらうれしいです・・・。「インドで狼に育てられたふたりの少女」に関する、私の知るかぎり最近の著書に『オオカミ少女はいなかった』があります。残念ながらカマラとアマラについての論考は本書の第1章のみですが、著者の鈴木光太郎氏は、例の有名な証拠写真が、撮影された日時がバラバラとされているのにそれぞれ背景が酷似していること(背景の家具の配置、テーブルセンターのギャザーの寄り具合、いっしょに写り込んでいる施設のこどもたちも同一人物でしかも同じ服装! ! )から、「写真はヤラセくさい」と断言しておられます。(当時の心理学者たちはなぜ見落としたのでしょうか? (@_@;))上記の最新版ウィキの、セルジュ・アロール氏の検証本、邦訳が待たれます。・・・もっとも、この「オオカミがヒトの赤ちゃんを育てる」お話は特にわが国では好まれるようで、いまも授業や教材、教育論に引用されているのでびみょうに圧力がかかるかも・・・、そして、「ウソからでたマコト」、「だまされても信じたいと願う」ひと本来の人情によって、有名な神話・伝説は伝承されてゆくのでしょうか。うーんこわいけどおもしろい、おもしろいけどこわい・・・。
2009.09.27
NOAHの小橋建太選手がみごとに復帰戦をかざりました!がん手術と闘病、リハビリを経てのマットへの復帰。なにも、言葉がありません。魂をわしづかみされているようなおののき。小橋選手自身の、強靭な意志と、プロレスへの熱愛。嫌な事件の多い世相のなか、真摯な生きざまに自分自身生き方を正される気がします。同世代の者としても、おのずから応援したくなりますね。まさに、ミスター・プロレス。小橋選手には、パーフェクトに健康本復してもらって、末永くリングで活躍してほしいです。そうすることで、ファンや闘病中の多くのかたはもちろん、老若男女がどれほど励まされ勇気づけられるか、いうまでもありません。プロレスはくわしくないのですが、真剣に祈っています。天に選ばれし者に、天の厚きご加護がありますように!がんばれ小橋!!!
2007.12.10
きょう、黒川紀章氏の突然の訃報にびっくりしました。世界的な建築家でありながら、都知事選・参院選と選挙に茶目っ気? をだしておられた黒川紀章氏、洒落なのか、本気で政界に色気を感じておられたのかわかりませんが、一視聴者にとっては「つねに笑かしてくれる、おもろいひと」(←大阪弁で強調)として、稀有な存在でしたね。次の衆院選も出馬なさるんだろうなと期待していただけに残念です。(本来なら『政治』をお笑いの道具にしてはいけないのですが・・・、不謹慎でもうしわけない)氏と同年代の私の実父が、「・・・昔の芸人はニコリともせずにたくみな『芸』で客を笑わせたもんだが、 いまどきの芸人はこっちは面白くもなんとも無い事を言ったりやったりしながら 自分が笑い転げている(-_-;)」となげいておりましたが、そのデンでゆくとまさに黒川氏こそは、『最後の芸人』ともいえるかも。高学歴・高キャリアで知的で品格もあるのに真面目な口調で突拍子もないことを語る、そのギャップにTVで拝見するたび大いに笑わせていただいたものです。(選挙中のパフォーマンス、まだ記憶に新しい。)・・・と、失礼なことを書き連ねてしまいましたが、建築・設計における氏の業績はまことに多彩で、まさに『天才』の面目躍如ですね!・・・大阪では、万博記念公園の国立民族学博物館、国立文楽劇場も氏の手がけた作品といまさら知って驚嘆。まちがいなく建築史に名声の残るおひとりですね。ご冥福をおいのりします。
2007.10.12
母校の有名な後輩がとんでもない不祥事をやってくれた(@_@;)。悲惨な事故が相次いだりして、飲酒運転の罰則強化(当然のぞましいことだが)されつつある今、知名度のある選手がこんなことを引き起こしてはいけない。天の配剤というか、自他共にまきこむ事故を起こす前にばれたのは不幸中のさいわいだった。どれくらいのペナルティが課されるかはわからないけれど、少なくとも1シーズン棒にふるのは覚悟の上で、じゅうぶん反省してほしいです。個人的にはずっと応援していきたいし、くだらないことで自分もサポートしてくれる周囲もファンも傷つけるような愚かなマネは今後絶対にしないでほしい・・・と願います。(ほんとに、「若いから」なんていいわけは残念ながら通用させちゃいけない。)ファンサイトの掲示板も、現在封印されている。(当然ながら、管理人さんを筆頭にファンサイトに参加なさっている多くのかたにも不要な迷惑、心配をかけているわけで。)会見で徒らに涙するだけに終わらず、生まれ変わるぐらいのつもりで自己克服・鍛錬に励んでほしい。(口はばったいけど)後悔して泣くんじゃなくて、表彰台でとびきりの嬉し泣きを見たいんです。ね、織田くん。フィギュア・織田、酒気帯び運転で涙の謝罪 (読売新聞)
2007.07.27
歴史はくりかえす。というけど、性懲りも無くこんな事件が頻発することに憤りを禁じえない!!若気のいたりではすまされない。一部の馬鹿者のために、組織全体が同一視されてしまう。チームに所属する者は、一軍か否かにかかわらず、チームを背負っている責任がある。対外的にもおもんぱかって、自ら律せねばならない。管理責任あるチームスタッフ一同にも猛省をのぞみたい。・・・結果として女性に致命的な被害行為がなかったのは不幸中の幸いだけど、そもそも真夜中になにをふらふら遊んでるのか(ーー;)。自覚が足りなさすぎる。本当に嘆かわしい。わいせつ略取未遂>同志社大ラグビー部員3人逮捕 京都
2007.05.14
東京都知事をつとめるなどTV界にとどまらず多才な活躍された青島幸男氏、女優の岸田今日子さんが相次いで亡くなりました。いずれも70代。現役として第一線で活動中の惜しまれる訃報ですね。おふたかたとも多彩な活躍なさっていますが、私の年代(笑)だとやはり、『意地悪ばあさん』、アニメ『ムーミン』の印象が強いです(^^)。どちらの役も、いま一度、拝見したかった・・・というのが率直な感想ですね。・・・偶然でしょうが、岸田今日子さんは、元夫の仲谷昇氏の訃報からわずか1ヶ月で亡くなったそうです。天国では、マンガ原作者の長谷川町子さんやトーべ、ラルス・ヤンソンさん姉弟もまじえて皆さんで和気あいあいと楽しくやってらっしゃるかしらと、おたくっぽい(爆)空想するのもマンガ世代(笑)のサガかもしれません。ご冥福をお祈りします。
2006.12.21
で有名な、俳優・丹波哲郎さんがお亡くなりになりました。私が最近丹波さんを拝見したのは、去年のNHK大河ドラマ『義経』でしたが、滝沢くん扮する主人公・義経と接点がないのは残念だったのですが、鵺退治で有名な、源三位頼政がよくキマっておられました(^^)。鋭い弓のように研ぎ澄まされたイメージの頼政で、精悍ですてきでしたが、いっぽうで丹波さんずいぶんお痩せになられたなと、ちょっと心配でもありました。私の丹波さんの最初のイメージは、こどもの頃見たTV『Gメン75』です(^^)。(トシがばれるね?(^v^))こどもながら、クールでダンディなお姿にうっとりしていました。そして、80年の東映の大作『二百三高地』。丹波さん扮する、児玉源太郎大将の鮮烈なかっこよさにいたくしびれました(^◇^)。残念ながら芸能にうといので、その他無数にあるはずの代表作は、あまり存じ上げないのですが(^_^;)。84才。提唱しておられた『大霊界』に、ついに到達なさったのかな?一時代を築きあげた大スターとのお別れは、末端ファンとしても寂しいですね。ご冥福をお祈りいたします。
2006.09.26
ネットの大切な友人から、一方的に別れを通告されました。この件に関して私もいいたいことはたくさんありますが、今は、敢えていわないことにします。とても悲しいですが、悲しみのなかに半分くらいむなしさがあります。なにを言っても受け入れてもらえない、どこまでも平行線のつらさ。なんとか励ましたい一心でなにか言えば言うほど彼女をかえって苦しめる、おのれのふがいなさ、無能力への自己嫌悪。思い上がり・・・不徳のいたすところ・・・身から出たさび。こんな思いが頭の中で堂々めぐりしています。愚痴はこのくらいにして。動機はなんであれ彼女を傷つけたことは心からあやまりたいです。彼女には、元気になってほしい。いつも幸せであってほしい。と願っています。
2006.09.18
最近、彼女の愚痴のテンションがいちだんとあがってきたので、思ってることストレートに伝えました。※すぐ、ご両親に連絡して、助けにきてもらいなさい。※介護負担以外にも、貴女は『共依存』におちいってる可能性がある。これは貴女のみならず、旦那さんもいっしょにカウンセリングをうけるべき問題なので、そのためにも信頼できる肉親にそばでサポートしてもらったほうがいい(下記のサイトもはりつけました)。しかし。私の書き方が悪かったのか、外野の意見を受け入れないのが「共依存」の特徴なのか、みごとに逆ギレされてしまいました。私の意見の冒頭に、「・・・失礼とわかってていうけど、実の娘が何年も姑の介護で過重な負担に苦しんでるのに、平気でスルーできるご両親の冷酷さが理解できない。旦那さんをご両親が気に入らないのどうのという以前の問題。根気良く旦那さんを説得してもらうとか、良質な施設の情報調べて教えてくれるとか、手伝いにきてもらうとか、助けてもらう方法はいくらでもあるはず」という意味のこと書いたのですが、言葉じりが彼女の心の琴線にいたくふれてしまったみたいで。「Sさんへ(なぜか、敢えてイニシャル、ふだんのように「猿さん」とかかない(*_*;)。私の両親は60代でもう今は年金生活に入っており、自分にきびしく他人に優しい誠実な人たちです。まだ元気とはいえ、あまりじょうぶでない両親に片道2時間かけて『娘の夫の親の世話をしにこい』なんて非道なことは、いくら私が疲れていてもいえません!!それぞれの家庭の事情というものがあります。ご理解ください!大切な両親を、『冷酷な親』はやめてください!!よけいに落ち込みます!!!」いえ、言いたいことの本質はそんな末節のことじゃないんだけど(@_@;)。よく読んで(>___
2006.09.13
※この記事は、いずれ削除させていただきます。 暫定的に載せます。ネットで知り合い、もう数年越しのやりとりさせてもらっている彼女がいます。既婚の同年代(30代後半)で、珍しくも介護経験してる共通点もあり、長いおつきあいになればいいなと始めはうれしかったのですが・・・。彼女はホームページ、ブログを運営していて、家庭のプライベートなことも細かく掲載しているのですが、あまりに悲惨な状況です。☆ほぼ同年代の旦那さんとは20代で結婚したので、結婚生活はすでに10数年。☆新婚2年め、家庭にお姑さんが転がり込んできて、窮屈な日々になる。☆旦那さんに強要され、家計援助のため派遣社員として働く(稼いだぶんはそっくり旦那にとられて彼女の貯金は全然ない、らしい)。☆3年前、お姑さんが脳梗塞で倒れる。生命はとりとめたものの要介護5の寝たきり状態。彼女は施設入居を主張するも旦那さんは承諾せず、強引に在宅介護を決行。結果、介護負担の大部分は彼女が負うことになる。☆現在、介護ヘルパー等の福祉サービスを利用しながら、姑の介護と派遣の仕事をこなすフル回転。夜勤の旦那さんとは時間のすれちがい。しばしば鬱状態におちいる。はたから見てどんな旦那さんであろうと、ご本人どうしが満足しているなら余計なお世話ですが、決してそうではなさそうで、ブログでほぼ毎日、旦那への不満や悪口、愚痴をつづっています。それをみて心あるひとが、「離婚してまともな世界へ戻っておいで」とコメントすると、たちまち態度が変わります。「・・・あんな旦那さんなのに、どうして別れないの~、なんで一緒にいるの~。そう思われても、二人の間に別れられない絆があるのは確かなのです(キッパリ)」・・・なら、誰が見てるかわからないネットで旦那の愚痴を毎日こぼさないほうが良いと思うのですが、外野のコメントの余波がおさまると、また旦那への恨み節の連続。はっきりいって誰がどうみても、彼女の不幸は全部、旦那さんとセットになってるわけで、非常にわかりやすいのですが、彼女本人は(たえまなく自身の不幸を嘆きながらも)旦那と別れるつもりはまったくないようで、不幸な組み合わせとしかいいようがありません。旦那さんが無謀ともいえるお姑さんの在宅介護を見切り発車させたとき、彼女に、いったん実家に戻るようにすすめました。ご両親や兄弟もまじえて旦那さん側ともきっちりした話し合いをして、全員、特に彼女にとって最良の解決をみるまで実家にとどまったほうがいい、と。しかし、身の不運を嘆きつつも「実家から今の職場に通える距離でないから・・・」と拒絶されました。彼女のご両親は・・・当然ながら離婚して実家に戻ってくるように、と勧告しておられるそうです。ちなみに『共依存』で検索してみると、書かれていることほぼ全部彼女にあてはまるので、恐ろしくなりました。
2006.09.13
秋篠宮妃紀子さま、親王殿下ご誕生おめでとうございます!
2006.09.06
残念なことに、野生児とみなされて有名になったこどもたちの多くは長生きしません。急激な環境の変化に対応出来ない、とも解釈されますが、少女アマラとカマラの場合、孤児院の待遇が意外にも、劣悪だったのかもしれません。(オグバーンはカマラとアマラが常にがつがつしていたという関係者の証言から、彼女たちが充分な食事を与えられていなかった可能性を示唆しています。)また、よつんばいで移動したり、犬のように皿をなめている有名な写真が残されていますが、現代なら障害児差別で問題視されそうですね。そして、マクリーンの著述には次々気になる事柄がでてきます。孤児院は財政的に逼迫していた。(その理由は不詳とされていますが、運営がかなり困難だったと述べています。)シング牧師は「オオカミ少女」を見に来る客の寄付は拒まなかった。(家族で「オオカミ少女」を見に行って、牧師にお茶の接待をうけた人の証言が載っています。)少女カマラが推定17歳で逝去した後、孤児院の経済危機はますます深刻化した。アメリカのジング博士らから「狼に育てられた子」の手記公刊の要請をうけたことは、孤児院を救う起死回生の機会であった。しかし、シング牧師は完成した手記のアメリカでの出版に先立ち、なかば失意のうちに亡くなった。戦後、インド独立の激変の中で孤児院は閉鎖され、そこにいた人々はちりぢりばらばらになった。 最後まで孤児院を守ったシング夫人は飢餓のため亡くなった。シング夫妻とアマラ、カマラの墓には今日(1975年現在)まで墓標が建てられていない。少女カマラが有名なアヴェロンの野生児ほどに長生きしていたら、欧米の学者・研究者の知遇をえて、より多くの事実が明らかになっていたかもしれませんね。動物行動学の大御所・デズモンド・モリス氏あたりが彼女たちに関して仔細な検証本を出してくれないかな?と期待します。あるいは、世界史にくわしい桐生操さんが『20世紀の嘘』とかのテーマでこの件について書いてくれると興味深いのですけれども。真偽はともかく(くりかえしますが、私は「嘘」と思っています)、「人間ってなんだろう?」とつくづく思わせるエピソードですね。
2006.08.29
「オオカミに育てられた」という歴史上の神話伝説は世界中にあり、物語としては魅力的でロマンティックですらありますが、実話?となると検証されれば首をひねることのほうが多くて、「心身に障害があるために遺棄された不幸な子が、偶然発見されると (障害からくる)ふつうの人間らしからぬ振舞いのために、 発見者に『野生児』だとかんちがいされる」というのがやはり、いちばん妥当な解釈と考えられます。それにしても、作り話とすればシング牧師夫妻がなぜ、そんな作り話をでっちあげたのかが気になりますね。「オオカミに育てられた」肯定派であるマクリーンの著書『ウルフチャイルド』には、このことを読み解く手がかりになりそうな情報がいくつか散見されます。シング牧師が自著『狼に育てられた子』のなかで、少女たちを発見した自らの冒険を記載しているにもかかわらず、マクリーンが採集した現地の情報ではくいちがう談話がいくつか出てきたこと。村人が発見したオオカミ少女を現地に布教にきたシング牧師にゆだねた、というたぐいのもので、先人のオグバーンらの調査のときも同類の記録があります。・・・あるいは、現地人が牧師を騙したのかもしれません。健常児と異なるこどもたちを「世にもめずらしいオオカミに育てられた子でござい」とかなんとかいって、宣教にきた牧師に押し付けた、牧師も崇高な宗教心?から本気でそう信じ込んだという仮説もなりたちそうですね。施設に収容するために誰かがそういう話をつくったということもありそうです。人権意識も児童福祉の概念も未発達だった今世紀初頭の未開地域で、障害その他の事情で生き延びられないと判断されたこどもたちが無数に棄てられ、その大部分が自然淘汰されたであろう歴史的現実を思えば暗澹とした気分になります。「オオカミ少女」というたてまえで孤児院に収容されたこどもたちは、その中では不幸中の幸いかもしれませんが、その短い生涯はやはり不幸に相違ないですね。・・・マクリーンの著書によれば、彼女たちが孤児院に収容された当初、尋常でない風変わりな子がきた、ということで物見高い見物人が孤児院におしかけてきたとき、牧師は野生児だということを否定し、「この子たちは、乞食の親にすてられた知的障害児」と言いつくろったそうです(非常に的をえているというか、言い訳とされているこちらのほうが真実味があるので驚きます(~_~;))。しかし、こどもたちが病気になったとき往診した医師には「真実」を隠しきれず、ついに彼女たちが「オオカミ少女」だと世間に知られることになったとか。
2006.08.29
1920年代のシング牧師とオオカミ少女・カマラの出来事について、参考になる本があります。『野生児と自閉症児』ベッテルハイム他・中野善達編訳『ウルフチャイルド』C・マクリーン・中野善達編訳福村出版刊・残念ながら2冊とも現在は絶版(私は図書館で借りて読みました)。いずれも一読の価値があります。『野生児と自閉症児』は1950年代のオグバーン教授による現地調査報告をふくむ、批判的な論説をまとめて翻訳したアンソロジー。『ウルフチャイルド』は1975年に著者のマクリーンがやはり現地調査・取材を軸に著した伝記ふうドキュメンタリー。オグバーンやベッテルハイムがオオカミ少女の実在に否定的なのに対してマクリーンは「オオカミに育てられた子」肯定派の立場です。『ウルフチャイルド』を読むと、著者が動物学・心理学および自閉症児に関して専門外で、知識を持たないことがわかります。それゆえにいっそう、ハッとする記述があります。カマラが日中はお気に入りの片隅で長時間じっとしていて、そのあいだはいっさい他者に関心をもたなかったこと。雷鳴や嵐にも平気なのに、一定の物音にだけ敏感に反応したこと。ひとつの単語を口にすると、それからしばらくその言葉ばかりくりかえしていたこと。何かを聞かれると、黙りこくったまま、聞かれた対象の物を指さすことで簡単なコミュニケーションをとれたこと。赤い色に執着したこと。ほかに、常人には理解不能な奇声を発したり、自分の行動を制御できずよつんばいでとびはねたりすることは、自閉症の症例として一貫して説明がつくそうです。また、牧師がおおげさな表現を好んだことや、オオカミ少女に関する手記が日記の体裁をとっているけれどちゃんと時系列にそって書かれたかあやしいこと。ゲゼル博士は牧師夫妻の愛情とたゆまぬ努力によって少女カマラがオオカミから脱して人間のことば、行動様式を身につけ成長する人間性回復の過程を感動的に書いていますが、彼女が存命中の新聞記事や彼女をおぼえている内外の孤児院関係者へのインタビューなどから検証すると、どうやら彼女の本質は孤児院に来てから亡くなるまであまり変わらなかったであろうこと。こうした点で、否定派と肯定派の差はあってもオグバーンらとマクリーンの記述に共通項がみられるのは注目にあたいします。
2006.08.29
きのう、NHKでオオカミがテーマの番組をやっていました。カナダの森で、オオカミの生態を見守り続ける山番の男性が案内役で、ひさしぶりに良質な番組を見ることができました。一般にオオカミは子煩悩な動物とされていますが、家族の中にも優先順位があり、自然界の厳しい掟のなかで生きているさまは感動的でした。オオカミの家族愛の強さは、人間の子供ですら育てることがある、という伝説をともなっていますね。かつて、小学校~高校、あるいは大学の心理学等の授業で、「オオカミに育てられた子」のエピソードを聞いたことのある人は多いと思います。オオカミが愛情深い動物であることはそのとおりだと思いますが、残念ながら「オオカミに育てられた子」は伝説・・・、作り話の範疇だと現代の認識は納得しつつあるようですね。実は私も、オオカミに育てられた=詐話。を支持しています。詳しくは、こちら。他に、否定的かつ論理的な論考されてるサイトです。ほかには、こちらも。オオカミに育てられたとされる少女を養育したのがキリスト教の牧師だったこと。(聖書の「ライオンの穴にほうりこまれたダニエル」をほうふつとさせるというか、そう思ってみればいかにも宗教家が好きそうなお話に思えてきますね。主なる神の恩恵により、獰猛な野獣が赤子を歯牙にかけることなく、いつくしみはぐくんだ・・・)教科書にのってるくらいだから実話だろう、と思う、いわゆるハロー・エフェクト。(じつは学生時代の私も、そうだった・・・)「オオカミに育てられた少女」は、教育の重要性を強調する典型例として、教育・発達心理学の分野で題材とされてきましたが(いまも題材になさってる先生・学校もあるらしい)・・・、ストーリー自体が作り話という前提にたてば、なにやらまた別の心理学的側面?がみえてきて興味深いところです。(人は真実でなく、「真実である」と信じたいことを信じる)うーむ(~_~;)。
2006.08.28
関西大学名誉教授の網干善教先生がお亡くなりになりました。 国宝・高松塚古墳壁画発見者として知られ、考古学ブームの体現者であられた網干先生。私が在学していたのは、藤の木古墳発掘に沸いていた時代でしたが、太陽のように明朗でエネルギッシュなかただなという印象でした。博物館実習の授業でつかの間お世話になっただけの、軽微な接点ではありましたが、そのころ文学部は女子学生が増えて発掘の人手が足りないことを嘆いておられましたね。 当時は本当にお元気で、学術調査で何回もインドに行かれたり、ばりばり活動なさっていました。 78歳。いまの時代なら70~80代なんてまだまだお若いだけに、本当に残念です。先生が発見された高松塚壁画の維持・存続がカビによる腐食等で危機にさらされている現状を思えばなんだか暗示的・・・。関西大学橿原考古学研究所には、網干先生のご遺志をついでぜひ、がんばっていただきたいですね。 ご冥福を心からお祈りします。
2006.07.31
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