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ダースベイダーは伊達政宗のかぶとをモデルに制作された・・・?
2007.01.31
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(以下、「森林の100不思議」社団法人日本林業技術協会編 東京書籍から)スギの根元部分の断面は植えた当初は円形ですが数年立つと斜面の方向が狭い楕円になり、雪圧に対して曲がりやすい形になります。そしてある年数までは雪圧に耐えられるようにさらに狭い楕円形になりながら太ってゆきますが、今度は逆に次第に円形に戻り、さらにその後は斜面の方向が、広くなった楕円形になり、雪圧に対する抵抗性を高めることができるようになります。雪圧は、数百Kg~数トンにも達する。ところで、スギを始め雪国に生育する木には、直径が大きくなるにつれて、いったん形成された根元曲がりが小さくなるという傾向が見られます。これは樹体の重量の増加に伴い、湾曲した幹の一部が接地あるいは地下にもぐったときに、その部分を埋めてしまうからです。つまり、この根と根元部分の幹との共同作業によって谷側方向へ偏った旺盛な成長が行われるようになり、曲がった根元部分に曲がりをなくすように新しい年輪が加わっていきます。ついには、外見的に曲がりが回復したようになります。このような状態になると、根元はよりいっそうしっかりと固定されるので、その後の安定した成長をするための基礎ができあがります。(以下、略)昨年、まだ残雪の残る桧枝岐に出かけてきたが、ここのブナは谷沿いであっても比較的曲がりが少なく素直に育っているようにみえた。わたしの知っている越後のブナは、きつい斜面の雪の動きに合わせるように曲がりを作っているものが多く見られた。そして、越後のクマザサは前方が見えなくなるほど、背が高く、前進を妨げる。いじめにおいては、まともにぶつかるだけではなく、受け流すことも身に着けることが必要かと思います。
2007.01.30
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中西悟堂著「野鳥と環境」から(一部不正確な部分あり)ヒューマニズムとかヒューマニティという言葉はわが国ではかなり古くから、漠然と使われてきた。ただ言葉として日常会話の中で手軽に使われていたというだけではなく、人道主義とか、人間性とか訳されて、どうやら私どもの道徳観、倫理観を支える一つの視点、もしくは原点として使われてきたことは、あたかも生物としての「人類」を、文化を支える「人間」と区別せずに、証拠にはアポロ11号が月に到達したとき、はじめて月の肌を踏んだ飛行士の言葉通りに、人類は複数、人間は単数だとすべての新聞が解説していたことでもわかる。長年の間に染み付いた西洋的汚点は容易には落とせぬもので、西洋なら何でもいいと考えてきた日本人の批判欠如と不明との致すところと言うしかない。ヒューマニズムという言葉は前述したルネサンスが生んだ鬼っこであり、デカルトの自然征服の二元思想の中でいわゆる「人本主義」として温存されて近代思潮と共に育成された人間関係のみの倫理観念であった。だとすると、この言葉はもっと厳しく吟味されなければならぬものだと思う。したがってシュバイツァーがいみじくも言った「倫理とは生きとし生けるものに対する、無限に拡大された責任である」という高次の倫理観念とはおよそ似つかぬものだと言える。さすが、「野鳥」という言葉を生み出した人の言葉です。
2007.01.29
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この季節、夜空の星やイルミネーションもきれいですが、自然の中で見せる野鳥のしぐさや姿を観察するバードウォッチングなどはいかがでしょうか。出歩かなくとも、それぞれの庭先で餌付けして楽しんでいるご家庭も多いのではないでしょうか。埼玉県の県の鳥は、シラコバト。そしてマスコットは、コバトンです。埼玉新聞社が出していた野鳥の本はボリュームはありませんが写真と文章がなかなか良くまとまっていました。その本も、もう十数年前にその他の野鳥に関する書籍・資料とともに、どこかへ行ってしまいました。確率・統計に関するエピソードを集めたノートも。日本野鳥の会創設者中西悟堂さんは、江戸時代のむかしから見沼地区にあったシラサギのコロニーについてもかなりの思い入れがあったように思います。詳しくは、全集等でお確かめください。
2007.01.28
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制御対象の応答をそのまま為替市場の値動きととらえ、外乱としてそのほかの通貨の値動きを考えると、今までの値動きと応答からパラメータを同定し、これからの現実の値動きに対するその系の応答を求めることができるのです。これが成功したら大金持ち間違いなし。17年前の新年会かで披露したのですが、まともには取り上げてもらえませんでした。10年後に、その時のことを聞いてみたのですが皆さん覚えておられませんでした。そうです、その後金融工学という分野の基となるデリバティブの理論でノーベル賞をいただいた人もいましたので、改めてみなさんに確認したわけです。このノーベル賞の評価式を使うのも手です。そして同様にテレビで紹介された破産投資家の弟さんのコンピュータを使った市場監視装置は、市場の変動を監視して投資シグナルを出し、そこに人の判断を入れて投資するシステムです。これは、まったくわたしのアイデアと同様のものと思われます。みなさん、まだまだやれることが、いっぱいあります。
2007.01.27
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昨日は、動吸振器を取り上げ、動力が要らないと言いましたが、動力を使う動吸振器も考えられました。アクティブ動吸振器といわれるものです。これは、不規則な外乱に対応するために使われ、動力が必要になり、除振台などに使われています。一質点系ならこれで終わりです。さてさて、お話はこれで終わりません。宇宙に広げたクモの巣のようなアンテナの振動対策や柔構造の超高層ビルの地震応答と制御など、一箇所だけを所定の位置に制御するだけでなく、全体最適で制御するにはどうするか。建物に地震動が入力された場合のアクティブ動吸振器での制御を考えてみます。頭頂部を固定されたようにすることは先にも言ったように簡単ですが、まともにやると多くの動力が必要になります。建物が地震動にどのように応答するか、どのように制御するか。これ以上の説明は、ここでは無理がありますので、みなさんで調べてください。ただいくつかのヒントと別世界に発展するような結論めいたことを述べて終わりにしたいと思います。制御遅れに対応する予測制御、フィードフォワード制御は、地震入力に対する建物コントロールに適応できる。制御の精度を高めるため、そしてパラメータを同定するために観測器を設ける。そうです現代制御理論のお話です。なお、可観測・可制御については、てこの原理で考えればわかりが早いのではないでしょうか。当然、観測は動くところを観て、制御は、支点にいくら力を加えてもダメな訳で、利くところで行う必要があります。そして、わたしはこの理論を為替や株式市場などへの資産投資に利用できないか考えたのです。
2007.01.26
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F1に動吸振器の考え方をプラスしたら、すごいことになる。この技術は、乗用車では当たり前のようにして使われている。昔は、振動源のエンジンまわりでの適用が多かったわけですが、バランサーから始まって、今では車全体での考え方になっている。先のF1レースでは、これが優勝の決め手になったといわれている。動吸振器といえば、寺○さん、F1レースで決めてみたかったですね。動吸振器は動力不要でありながら、振動を打ち消すようによく効きます。この振動打消しのメカニズム、よくよく観察すると、そこにエネルギーのやり取りや複素数の意味すらも見えてきます。しかし、F1での適用までは考えてもみませんでしたが。
2007.01.25
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本日は、液晶テレビの購入を決めて銀行振込みを行いました。それと、担当しているホームページの更新を2本行いました。ところで、岸信介と我妻栄の関係は、中村善之助と宮本常一との関係は。そして最後に、宮本常一と岸信介との関係は、どうなるのでしょうか。
2007.01.24
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昨日は、「くもの糸」についてお話しましたが、これはそのまま20日の「地震と超高層」の地震対策のヒントになっています。そして新幹線の乗り心地を改善するためのヒントにもなっています。このままでは、何のことがわからないかもしれませんが、ゆれの原因が何であるのか考えれば、その影響を減衰させたり、遮断する方法も思い浮かぶのではないでしょうか。浮かぶといえば、水による遮断も一つの回答かもしれません。スロッシングや波浪による船の揺れも問題ですが、水に浮かんだ船は少なくとも地震の影響は受けません。ただし津波などは別問題ですが。そして、もう一つの解答は、「くもの糸」のように空から建物をつり浮かべてしまうというスカイフックと云われる考え方です。これは比較的簡単なフィードバック制御で実現できます。これは新幹線の乗り心地改善のためのサスペンション制御の考え方にも使われています。これを積極的に制御しようとすると大きな動力が必要になり、また逆に悪さを増大することもありえるため、あまり動力を使わないように、外力を利用して制振を実現するセミアクティブ制御も検討されています。1月5日(金)、着工から7年を経て、待望の「台湾高速鉄道」がついに開業しました。台湾の二大都市・台北と高雄を結ぶこの鉄道には、日本の新幹線技術が使われています。
2007.01.23
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「くもの糸」と聞いて、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い浮かべる人も多いだろう。極楽の蓮池からお釈迦様がくもの糸を垂らして、地獄におちた悪人を救おうとする物語で、一度はどこかで聞いたお話だろうと思う。ところで、高層エレベータは何メータまで実現可能なのでしょうか。これはどこまでもとは行かないのです。当然ワイヤーも重さを持っていますので、長くなれば重くなり、あまり長くなるとその自重を支えられなくなり切れてしまいます。しかし、くもの糸のように軽くて強いもの、または自重を打ち消すようにして作られたワイヤーがあれば、宇宙ステーションとエレベータでつなぐことも可能となるかと思います。これは「軌道エレベーター」と呼ばれ、NASAも真剣に検討しているといわれています。あなたのアイデアでこれが実現できたら、それこそノーベル賞ものと思われます。挑戦してみませんか。しかし、蜘蛛は自らそのくもの糸を風に乗せ、風任せで自分自身を飛ばしてしまうというのですからすごいですね。海に飛ばされたらどうなるのでしょうか。其の逝くところを知らず(1/8参照)命綱をつけて作業するとき、怖さのあまり片方の手で何かを掴んでいないと安心できない人がいますが、こんなときは逆さになっても命綱に身を預けてしまったほうが、両手があき作業は楽に早くできます。お試しあれ。もう、十年以上前から実用化されていますから特に新しい話ではありませんが、エレベータの行き先ボタンは、連続で押すと取り消しできるものがあります。他の乗客に迷惑を掛けないようにしてお試しあれ。
2007.01.22
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先週の成田線経由の銚子へ旅は、すばらしい天気といくつもの風力発電の大きな風車が迎えてくれました。銚子駅の電鉄側の駅舎は、手入れもされず老朽化が目立ちました。駅舎の風車の羽根はありませんでした。他の駅舎も同様で、枕木を見ると軌道の保守も十分でないことがわかります。最初は「外川」まで行って、港でカモメとたわむれ、魚市場でキンメダイ用のえさ作りなどを見ました。「犬吠」では、丘の上の展望台にのぼり360度の景色を楽しみました。風力発電の風車や屏風ヶ浦も見えました。太平洋の大海原は陽を浴びて輝いておりました。屏風ヶ浦では、天藤真のブルーのスカイラインが思い出されます。たしか題名は「死角に消えた殺人者」か、在ったはずの文庫本がどこかに行って戻っていないようです。改めてみると犬吠埼のサキは、崎ではなく埼玉のサキですね。しかし、犬吠埼はあの「八犬伝」には登場しないようですね。当時はまだ犬吠埼という呼び名はなかったのだろうか。ところで、JRでは2月1日から「房総発見伝」と銘打ってキャンペーンが始まるようです。楽しみですね。昨日は、中山競馬場前を通って稲毛海岸近くまで行き、帰りは国府台側を通って帰ってきました。深い意味はありません。これらの場所については、前の日記など参照願います。
2007.01.21
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地震計について、かつて「昔であればとても捉えることができないひげと呼ばれるピークも捕らえることがでいるようになりました。」(12/11)と述べました。そして、その進歩は長周期成分についてもより正確に捉えることができるようになりました。なお、通常の地震計は加速度タイプであり、加速度は速度の変化率、つまり高周波成分が効いてくるため、低周波(長周期成分)はフィルターをかけたように捕らえにくいものになります。逆に、加速度計は高周波成分をよく拾うため、ヒゲも多くなります。超高層ビルや免震ビルは、この高周波成分に共振しないようになっている。ただし、長周期成分の多い地震動や励起されやすい場所では、注意しなければならない。特に、軟弱地盤では、長周期のほか、引き抜きや液状化についても注意が必要です。そして、地震が起きて建物が大丈夫であっても、超高層ではエレベータが止まったり、水などの供給が停止することも考えておかなければなりません。住宅のCMで制振をアピールしているものがあります。超高層ビルでは、そのままでは地震の後揺れがいつまでも続くことになります。最上階では、船酔いを起こすのではないでしょうか。これを防ぐためには、ビルの減衰を上げる必要があり、この揺れのエネルギーをどこかで吸収する装置(ダンパー)を設置します。これが制振です。一般住宅や低層ビルでは、この後揺れがないため、制振を行ってもほとんど意味を持ちません。つまり制振装置をつけても、地震時は地震動を抑えることができず、建物は地盤の地震動と同じように動き、地震が収まれば制振装置があってもなくとも速やかに揺れが収束します。第一に、まず各自地震時にそれぞれの生命や財産が守れれるように、日ごろから準備と心がけをしておいてください。
2007.01.20
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家族を失い、水も電気もガスも交通手段も失い、頼みとする地方公共団体も機能せず、今まで地震については諸外国に比べ、十分安全と云われていた日本の社会インフラがもろくも崩れた。それまでそれらを支えた日本の土木・建築技術者の地震に対する絶対の自信も崩れ去った。前提とするものが違った。予想だにしなかったことだ。災害は忘れた頃にやって来る。
2007.01.19
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1995年1月17日5時46分未明の都市を突然襲った地震は、神戸などに大きな爪痕を残し、多くの尊い人命を奪った。・・・情報が途絶え、家屋が倒壊し、生活環境が破壊され、依るべきものが失われた。動画
2007.01.18
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今日は、阪神大震災から12年目にあたる。日本の土木・建築の専門家でも想像しえなかった災害が未明の神戸を襲った。この地震については、後日に改めて言及したいと思います。昨年6月都内のマンションで、ドビラが開いたままエレベータのカゴが上昇し、この床部分と建物側にはさまれ高校生が死亡する事故が発生しました。安全・快適な乗り物として毎日のように利用していたエレベータで、このような事故が起こることは、誰も考えてもみなかったことです。まず、吊りワイヤーの切断などは考えられないことですが、あったとしても、カゴの速度超過を検出してガイドレールをはさみつけるようにして停止するので、アクション映画のようなことは残念ながら起こり得ない。今回の事故を受けて、メーカーのS社は、他でも同様の不具合が多発していたとして、批判を浴びました。また、事故の原因についてさまざまな検討がされました。私は、当初この事故はシーケンス制御のロジック誤りや誤動作ではなかったかと考えました。このシーケンス制御は、スイッチとリレーを組み合わせて電気を点けることに相当する、いわば今日のコンピュータ内部のAND・ORを組み合わせたロジックとまったく同じ考え方です。これらロジック、そしてソフトウェアについても構造的に作られるのが今では基本となっています。事故を起こしたエレベータのロジックでは、その構造的構成が守られていなかったのではないかと考えられました。日本のエレベータメーカーのシーケンスを見れば、そのすばらしさはまさにそのまま教科書になるものです。それが守られなかったのではないかと感じたのです。具体的には、電池と電球をスパゲッティのように、さまざまなスイッチを介してつないだもので、予期せぬスイッチがオンになることで回路が閉じれば電球が点くような、そんな何を考えているのか判らなくなるような素人回路ではなかったのかと思えたのです。電球の一方の端子が、電池の+側だったり-側だったりした統一のない回路もありました。それにしても、これまで、生活基盤を支えるこのシーケンス制御も、あまりまともな学問の対象とはされていなかったのでないかと思えるのです。たぶん技術者もその具体的技術は、実社会に出てから習得したものではないかと考えられるのです。さて、この事故の原因については、どのような結論が出ているのか知りませんが、もし云われているようにブレーキの問題であれば、これを点検した人間はとても技術者ではないでしょう。かごの落下は考慮しても、上昇は考慮していない、かごを止めているのはモータではなくブレーキです。そのブレーキ調整を手抜きしては、初めからこのシステムは成り立ちません。
2007.01.17
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むかし、子供たちのものづくりといえば、小刀などを使って遊び道具を作ったりしたものです。完全手作りのパチンコ、竹細工の弓矢や竹とんぼから始まって、ヒゴなども手作りしていた紙飛行機や模型飛行機も次第に市販品を組み立てるようになっていきました。そして、プラモデルに至っては、すべて市販品となり、手作りは夏休みの工作ぐらいになってしまいました。そんなことで、遊びといっても、手作り品で遊ぶことは少なくなり、漫画やテレビゲームなどが主役になってきました。そんな状態が長く続いてきていましたが、このところこれに一部で変化が現れてきているように思えます。それは、ロボットなどかなり高度なものにチャレンジする子供たちが増えてきているのではないかと思えるのです。それだけ豊かになったこともあるかもしれませんが、鉄道模型などとは違った楽しみ方ではないかと考えられるのですが、如何でしょうか。そのうち、本当の意味での二足歩行や跳躍にも挑戦するようになるのではないかと考えられる。楽しみなことです。今までは、大学でも時間がなく職場に出てからの教育や学習を待っていてものが、趣味のようにして多くのものが学習するようななったらすばらしいことです。メカニズムや材料選定などだけではなく、新しい制御理論やプログラミングにも挑戦してみてください。
2007.01.16
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テレビ朝日系列で「大改造劇的ビフォーアフター」という番組をやっておりましたが、今日はスペシャル番組でやっているようです。「匠」が、どうにもできそうにない多くの制約条件の中で、多くのアイデアを盛り込んで、仕上げていく。そこには、使用者にどのように使われるか、どのような材料を使うか、どのように施工するかまで考えてた、最終結果が盛り込まれている。業者任せなどには、しない。今日もバタバタ、あっという間に夕方になり、図書館に急行。そのあとパソコンショップへ。クラブの写真整理もできませんでした。口直しで、金目鯛の煮つけをいただきました。
2007.01.14
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詳しい話は、また後ほどにしたいと思います。(参考:先々日11日をご覧ください)天気もよく、とにかく今日の「銚子電鉄」はたくさんのお客さんで一杯でした。車内でのボランティアさんの説明などを聞きながら、いい旅行ができました。当初、帰りは松尾へ足を伸ばそうと考えておりましたが、「でんでん酒」の石上酒造さんにお邪魔して終わりました。ただいま、関東の駅百選にもなった「犬吠」駅売店で買い求めましたその「でんでん酒」をいただいております。まだまだ、銚子は元気です。地元はできれば地元で支えられるようになることを祈っております。ですが、キンメダイには、正直、裏切られました。(参考:12月11日をご覧ください)
2007.01.13
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日本テレビ系列で「DASH村」という番組をやっておりますが、ここでは、TOKIOのメンバーが中心になってものづくりの原点や自然との共生などに挑みつつ、村づくりを行っている。ものづくりは、土作りから始まる食料確保のための畑や水田作りだけではなく、建築、陶器、金属加工など多岐にわたり、すべて自ら専門家の手ほどきを受けながら実践している。もの作りの原点を見る思いがします。昨年はそのひとつとして、鍛冶を体験しておりましたが、これもすばらしいものでした。温度の見分け方、地金の見分け方、タイミングの紹介等々、できれば経験として身に付けておきたい生活の知恵があふれています。もの作りの原点も判らず、ものづくりを紹介する「・・・X」よりすばらしいと思われます。酒造りはやはり十分にはできなかったですが、焼き物(陶磁器)などもすばらしもので、このような経験型の番組は、テレビを見ている人にも大変勉強になるものと思います。こんな教科書、今までなかったでしょう。迷える若人の何人かは、これで救われるのでないかと思います。勉強は学校だけでするものではないことを実感するページをもう一つを紹介します。ここでは、科学技術の基礎学習から、湯川秀樹博士のノーベル賞受賞論文も見ることができます。独立行政法人 科学技術振興機構Journal@rchiveWebラーニングプラザ それにしても、ビルの地下などに置かれたポンプの配管などでも、キャビテーションも考慮していない、これが専門家が設計・施工したものかと思えるものがあります。「かっこうだけか!!」
2007.01.12
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「ぬれ煎餅」といえば銚子電鉄、ただいま、非常事態宣言中です。何しろ、年末になって車両検査のための資金がない、場合によっては元旦の運転もできない。それで、煎餅でも買ってほしいとのこと。もう副業などとはいっておられません。これを聞いたファンは、注文するは注文するは、あっという間に一万件を超える注文があり製造が間に合わなくなり、今度は注文ストップ。ありがたいですね、ファンは。おかげで何とか車両検査はパスしたようです。そして今度は、CDを買ってほしいとのことです。まあ、形は多少似ておりますが、なかなか一人で何枚もとはいきませんので、どうなることか。なんかこのままだと、副業が本業になりそうですが、大丈夫なのでしょうか。保線のよしあしは乗ってみるとすぐわかります。毎日乗っていると、ああ、昨夜マルチプルタイタンパー(通称マルタイ)を掛けたなと判ります。走行抵抗や勾配の大小は、そのまま正直に使用電気量に利いてきます。もちろん乗客を含めた重量も。それと、ガウスメーターを持っていると、線路から離れていてもノッチの入れ具合までも分かります。綺麗に保線されたレールは、見た目だけではなく、乗っていてもすばらしいものです。保線は、お金を掛けても乗り心地がよくなる程度だけだと、往々にして手が抜かれるようです。特にローカル線では、でこぼこの線路が当たり前のようになっています。JRさんも保線業務は地味かもしれませんが、今後ともしっかりやってほしいと思います。 上野駅
2007.01.11
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世界に目を向けると、そこには自国の安全と利益だけを最優先し、それが脅かされると判断されれば、他国に与える迷惑など顧みずあらゆる手段を持って攻撃または破壊しようとする国がある。自国の利益のためなら、武力も使えば、産業スパイのように盗聴も行う。その昔、その圧倒的物量と情報力を持って、精神力と神風だけに頼る国を打ち負かしたことがあった。赤子のようにまる裸されたこの国に対して、この戦勝国はどのようにもできたが、すべてを手に入れた今となっては、この手の中の弱々しい赤子を育てるために、まさに神にも近い理想を持って指導しなければならなかった。そのおかげで、その後この赤子は戦力を持たず、ひたすら平和を享受することとなる。
2007.01.10
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きずなを信頼の輪と云ったことがあるが、今の皆さんの関心は信頼ではなく信用と謂う言葉に代わってしまったのかもしれない。その昔も現代もみんなが求めていたのは、本当の意味での信頼ではなく地位やお金に裏付けられた信用と謂うものかもしれない。そして地位に基づく信用や役割は法律や規則で守られてきたところがある。しかし、この守られてきたものを当たり前のように悪用するものがいる。あたかもそれらの信用や地位がそのひとの属人的徳性によるもと取り違えて。公務員、代議士、経営者だけでなく技術者までも、その多くが何が正しく、何をしなければならないか判断できなくなっている。中でも公務員は、もはや自浄能力を失っている。正論や負託された責務はとうの昔に忘れ去られている。いや、元々ない。多少ともまともなことを言えば無視を含めたいじめに遭うのがおちである。それにしても、激動の時代、もはや性善説に基づいた決まりごとだけでは問題は解決できないような議論もある。ましてや、成果主義の時代、結果がすべてとなれば手段はどうでもよくなる。それではどんどん規則だけを増やしていけば問題は解決するものだろうか。法令遵守、最高。何が正で、何が邪で、何が悪であるか、今ある規則なりをしっかりと運用するだけでも自覚させる効果があると思うのだが、どうもマンネリだけが罷り通る。代議士は、自分たちの地位保全のための議論に終始している。何のための政党助成金なのか。馬鹿にするにもほどがある。タバコの害についても判断できないばか者ども。美しい日本を言うのであれば、汚いこと不善をなす公務員、代議士などはおのずから処分すべきである。飲酒運転を取り締まり、違法駐車を摘発し、払うべきものも払わないものへの徴収を行い、その他当たり前のことを当たり前にしっかり実施していただきたい。そして多くの経営者は経営の答えを自分で出せない、答えは自分のところではなく欧米や政府や他社にあり、ほとんど思考停止状態に陥っている。確かに社会は予想を上回るようは変化をしているかもしれないが、本物と偽者の区別も出来ないものは、当然経営判断も出来ない。本物と偽者の区別を身に付けるようにするが教育であり、それを伝え残していくことが教育にかかわるものの責務と考えられる。あたかも自分で計画し、実行してきたと勘違いしている組織の中で指導的な立場にあった人々が、これから大量に地域社会などに進出してきて、あたりまえのようにそうでない人を使役する。わたしは正しいことをやろうとしている、そしてそれに協力するのは当たり前だと考えている。それにしても、手っ取り早い地位獲得はやはりお金ですか。いい国です、日本は。これについては、いやでも徹底して教え込まれ、学習しているのでしょう。下手をすると、すべての価値判断の基準をお金ですることになる。何とか、それだけではないと気づいてほしいものだと思うのですが、無理でしょうか。そういえば、コンプライアンスというのが流行り言葉のように云われておりますね。コンプライアンス:もしかしたら追随性ですか。どの企業も口にしています。確か単位は。
2007.01.09
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常盤平にある「子和清水」にいってきました。むかし、この近くに酒好きな老人が住んでいた。貧しい暮らしなのに、外から帰るときには、酒に酔っている。息子がいぶかって父のあとをつけてみるとこんこんと湧き出る泉を手で掬って、さもうまそうに「ああうまい酒だ」といって飲んでいた。父が去ったあと息子が飲んでみると、ただの清水であった。その話を聞いた人々が「親はうま酒、子は清水」というようになった。各地にある子和清水、古和清水などはこうした伝説による泉です。母馬が 番して飲ます 清水かな 一茶(現地にある碑と句碑から)里見公園のとなりのお寺にある里見甫のお墓も確認することができました。周りのお墓にはいくつものお線香が供えられており、清浄な雰囲気でした。里見甫昭和四十年三月二十一日没行年六十八歳凡俗に堕ちて 凡俗を超え名刹を追って 名刹を絶つ流れに従って 波を掲げその逝く処を知らず(墓碑銘より)去年の高校サッカーの決勝戦も晴天でした。ただかなりの強風で、私は吹きつける風の中、寅さんの堤防上で野洲高校の優勝を聞きました。今年は矢切の堤防に上るところで、盛岡商の勝利を聞きました。みな技術レベルもチームワークもすばらしいものになっていますね。きょうもめんこい「天の戸」を、おいしくいただきました。
2007.01.08
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本日、平成18年全国新酒鑑評会金賞受賞酒「大吟醸 天の戸」をおいしくいただきました。香り穏やかに、そのふんわりとたおやかな味わいは、まさにかの小野小町をも彷彿とさせるものでした。夕食は鯛めしをおいしくいただきました。七草との炊き込みでした。
2007.01.07
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この「実記」の中で、わたしの印象にもっとも残った異色の部分を紹介しましょう。多少長くなりますが、できるだけ原文に近い形で味わっていただこうと思います。内容は、ビスマルクから小国日本へのストレートなアドバイスとなっております。「米欧回覧実記」久米邦武編、岩波文庫から(読み下し風に変換)○夜外務宰相「ビスマルク」侯より招宴、 「ビスマルク」侯は、一千八百十五年四月一日ベルリン府の出生なり、「グッチレセン」の学校にて、法律学を学び、又語学、交際学に達す、三十三歳にて、国会の議員に挙られ、三十六歳の時より、仏国の在留公使となり、四十四歳のときより、露国在留公使に転任せり、千八百六十一年、当ゼルマン帝ウリヤム第一世の代となり、再び仏国の在留公使となり、パリに使すること二ケ月、両国の間に往来せるとき、すでに暗に国勢を権衡(けんこう)し、政略を用うるの志謀を回(めぐら)したり、六十二年の九月に、外国事務長官、兼内閣総裁に登用せられ、帝を輔佐して、共志を伸べ、六十四年にデンマークを破り、ドイツの両国を復し、六十六年にオーストリア国を破り、之をドイツの盟会より離し、七十年に仏国を破り、「アルサス」「ロルライン」の地をドイツに復したり、此侯の威名は、方今世界に轟きて知られたるが如し。○本日の享会に於て、侯みずから其幼時よりの実歴を話して言う、方今世界の各国、みな親睦礼儀を以て相交るとはいえども、是全く表面の名義にて、其陰私に於ては、強弱相凌ぎ、大小相侮るの情形なり、予の幼時に於て、我プロシャ国の貧弱なりしは、諸公も知る所なるべし、此時に当り、小国の情態をみずから閲歴し、常に憤懣(ふんまん)を懐きしことは、今に耿耿(こうこう)として脳中を去らず、かのいわゆる公法は、列国の権利を保全する典常とはいえども、大国の利を争うや、おのれに利あれば、公法を執へて動かさず、若し不利なれば、翻すに兵威を以てす、もとより常守あるなし、小国は孜孜(しし)として辞令と公理とを省顧し、敢(あえ)て越えず、以て自主の権を保せんと勉むるも、其簸弄凌侮(ひろうりょうぶ)の政略にあたれば、殆と自主する能わざるに至ること、つねに之あり、是を以て慷慨し、一度は国力を振興し、一国対当の権を以て、外交すべき国とならんと、愛国心を奮励する、数十年を積て、遂に近年に至り、纔(わずか)に其望みを達したるも、只各国自主の権を全くするの志願にすぎざるなり、然るに各国は、みな当国の兵を四境に用いたる跡を以て漫(みだり)に憎悪し、軍略を喜び、人の国権を掠(かす)むるものと、非議すると聞く、是全く我国の志に反せり、我国は、只国権を重んずるにより、各国互に自主し、対当の交りをなし、相侵越せざる公正の域に住せんことを望むものなり、従来の戦いも、皆ゼルマンの国権のため、已むを得ざるに用いたること、幸に世の識者は察する所なるべし、聞く英仏諸国は、海外に属地を貪り、物産を利し、其威力を擅(ほしいまま)にし、諸国みな其所為を憂苦すと、欧洲親睦の交は、未だ信をおくに足らず、諸公も必ず内顧自懼の念を放つことはなかるならん、是予が小国に生し、其情態を親知せるにより、尤も深く諒知する所なり、予が世議を顧みずして、国権を完にせる本心も、亦此に外ならず、故に当時日本に於て、親睦相交るの国多しといえども、国権自主を重んずるゼルマンの如きは、其親睦中の最も親睦なる国なるべしと謂へり、交際の使臣、相宴会する際に、此語は甚だ意味あるものにて、此侯の辞令に嫻(なら)へると、政略に長せるとをよく識認して、玩味すべき言といいつべし。
2007.01.07
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「米欧回覧実記」は、明治4年から、岩倉具視を特命全権大使に、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らが、条約交渉を含めて米欧12ヶ国を632日かけて見聞した内容を久米邦武がまとめたものです。アメリカのサンフランシスコから始まる、政府や市民からの歓迎の嵐は行く先々で続き、ついに世界一周することになります。その結果は、帰国後の日本の政策に大きく影響を与え、西郷など国内組との軋轢を生むことにもなりました。その内容は、文化、芸術から工業技術、はたまた歴史、経済、政治までとても幅広いものです。そして、その観察力たるや今の学生ぐらいではとてもかなわないもので、ただの知識ではなく今でも通用するほどの実績を積んだ人が同行していたものと思われます。それにしても、その土台となる素養の高さはどこから得られたものであろうか。挿絵として使われている銅版画だけでもすばらしいものですが、その心地よい漢文調のリズムを、是非とも一度原文で味わってほしいものです。
2007.01.06
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きずなといえば、地縁、血縁などのえにしにもつながる言葉と思われます。きずなは、いわばそれを因、縁として強く結びつくものかと考えられます。信頼の輪ともいうべききずなの中で暮らすことは心地よいものに違いない。しかし、あるときは誰がなんといおうとも信ずる我慢や頑固さも必要です。中には、その信頼をはじめから利用するようなヒトのよさそうな人もいる。
2007.01.05
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きずなというものがあることに気づき、きずなを大切にすることは、古い考え方だろうか。確かに、今の日本では家族のきずなは、もしかしたらどこよりも濃密なのかもしれない。しかし、それは諸外国のような社会性を持たないように思える。他者や地域、国、はたまた先人も含めた人類だけではなく神々までも含めたところにあるきずなを、理解できていないように思える。そのための教育が、今日本では忘れられているように思える。江戸時代から明治へ変わる時代、世界を理解し自らの生きる道を模索した時代がありました。 西郷隆盛:示子弟詩「書の宇宙24」石川九楊編集、二玄社刊より
2007.01.04
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「義務教育とは生きるためのすべを教えるもの」と、わたしは昔々いったことがある。その思いは今もあまり変わらない。できれば、生きる自信や生きる力を身につけて生きる目標を見つけてほしい。他人を理解し思いやる心と自分を表現する力、物事の理を理解し問題を解決する頭脳、そして物を作ったり動かしたり使いこなすための体、これらを鍛えるための教育の場。その中から、将来の生活や誰かのため何かのための目標を持って生きてほしい。それにしても、社会とのきずなといわれるものが希薄になりつつあると思われる。子供たちは、いつのまにか開かれた社会の子ではなく、密室のような家庭に閉じ込められた。子供たちには、いろんな居場所があったように思うのだが、いまは家と塾だけなのか。それでも、子供たちは健気に生きようとしている。
2007.01.03
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1日、ガンバを破っての、天皇杯獲得おめでとうございます。武南高校も、三重四中工と兵庫滝川第二に勝利、やりますね。それにしても、高校サッカーは魅せてくれる、みな熱くなる。それにしても、それにしても、勝つものあれば、敗者もある。たゆまぬ努力、勝負での勝利だけが、その代償とは限らない。勝つために考え、鍛えて答えを出す、勝利はその身に降りる。
2007.01.02
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本年が、皆様によりよい年になりますように、お祈りいたします。本年も、よろしくお願いいたします。
2007.01.01
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