全279件 (279件中 1-50件目)
ホワイトアウトの中で、9才の娘を身を挺して守り亡くなったお父さんのニュースに胸が熱くなった。ボクだったらはたして同じようにできただろうか…。このお嬢さんは、これからどんな人生を歩くだろうか…。いろんなことが頭をよぎるが、きっと無心で、我が子を守りたい一心で、意識が薄れていったのだろうな。この同世代の男の最期に、男として父としてすごいな、立派な死をされましたねと敬服するばかり。きっと天国で娘が助かったことを知って喜んでおられるでしょうね。どうか安らかに。ご冥福をお祈りします。
2013年03月08日
コメント(4)
天皇陛下の謝罪まで持ち出されてまだ怒ってみせない日本の弱腰外交を悲観し、毒づく韓国にやられっぱなしの昨今を憂いた先人らの怒りか、大荒れの天候のお盆となりました。ボクのココロも同じで晴れ晴れとしません。長男も次男も仕事で、お盆と言えど全員で集まれない家になってしまったのを実感し、寂しさもあります。もはや大勢で先祖の墓を参る形は保てず、家内と二人きりの墓参…。そこへ本家の墓参に来てくれた母の従兄弟の爺様と遭遇した。めったに会わない、会ってもさほど話すこともなかったが、今日は昨今の経済のこと、日本のこと、家族や親戚のつながりを深め、日本を良い国に元気な国にしていかねばならんと熱く強く語られた。お盆ならばこその先祖の叱咤激励と感激した。この人は10年ほど前に祖母方の従兄弟会を開催し、何百人もの末裔を一堂に呼び集めて親戚縁者の連綿たる系譜をみんなに魅せてくれた。いま一度、繋がる力を再確認する場ができないかと言う。あんたが音頭をとってみんなを集めてくれと頼まれた。もちろんそんな力などボクにはないが、こんな立派な人の血がボクの中にも混じっていると思うと嬉しかった。一緒にいた家内が「素晴らしい人やね』と言うので誇らしく清々とした気分になれた。
2012年08月15日
コメント(2)
ちょっと前から息子らと同世代の子らと一緒に、IT絡みのプロデューサー塾に週末通っています。嘘でなく、偶然にも生徒の中に長男と次男の同級生が二人おり、家代表の見栄と面目もあって無理しっぱなしなわけですが、どう踏ん張っても難しいことが頭に入って来ないわけです。「何かを一つ覚えるために、何かを一つ捨てる必要があるのです。」大事な想い出もあるので無理をさせんで欲しいと彼らに伝えてあるのに、言った尻からFacebookを活用したグループワークが始まりました。やむなく昨日本を買ってきて、おそるおそるデビューをしました。さてすでに遅いのか、いやむしろ早いのか、本当に便利なのか、ますます不自由になっているような…、けど、知らないとは言いたくない。使ってみた、ついていける という自信が得たいんだな、自分的には。こうしてまた自分のことをあれこれ知られ、かまえて言葉も選んでしまう…。ソーシャルって他所着やね。
2011年08月22日
コメント(2)
東北の人たちのご苦労を思えば、いまボクらを包む不景気風など小さなものだ。ボクらにはちゃんと家もあるし家族もいる、何も失っちゃいない有り難さ…。それだけで充分!まだ頑張れる、もっとやれる。泥にまみれ、汗をかいて、被災地の涙が乾くまで頑張って、みんなが誇れる「立派な新生日本」を絶対に築いていかないかんです。
2011年04月19日
コメント(1)
京都で次男を見失ってから…あれからのことを、なにからどこまで話せばいいのやら。家が変わったこと。息子の就活のこと。女将の身体のこと。ボクは前にも増して加齢に対し挑戦的。体型と顔のたるみは、認めざる負えないがぶさいくでも素敵に見える親父たらんと努力を惜しまない。仕事と自分に自信が欲しくて、土曜日には学校へも通い始めた。またいろいろと、あれこれと、温かなご意見を宜しくお願いします。
2011年04月12日
コメント(2)
日曜日、女将と次男と僕の3人で京都へ出かけ予備校やら寮やらの手続きを済ませてきた。1年間お世話になる部屋を整理し、中古の自転車を調達するなどしたが、女将の体調が悪いため、必要なことだけして帰ることにした。新風館で遅めの昼食をし、そのまま店の前で別れることになった。買ったばかりなのに、すでに街に馴染んだ風の自転車は、次男を乗せて僕らとは逆の方へと駆けて行き、彼は、一度もこちらを振り返らずに見えなくなった。二人でそれをだまって見おくった。女将はどう感じていたのだろう。僕は、巣立っていったように感じ、置いていかれたようにも思い、もう彼と一緒に住まうことが二度とないのかもしれないとも思い、じわじわと寂しさだけが込み上げてきた。
2007年04月03日
コメント(1)
今回の地震報道で連呼されている輪島市は、輪島塗りと朝市が有名。でも災害が大きかったのは輪島市内からかなり離れた「門前」という町。数年前にはドイツ人の監督が映画を撮り「禅のメッカ」として扱わた。高齢化率だったか過疎化率が石川県一とかで、村の存続のために、村人たちの総意で、都会のごみ処理施設の受け入れを決めたと聞いている。テレビで被害の大きさを見るにつけ、自然の仕業とはいえ、齢もの虐めの不条理さを感じ、ジリジリとした虚しさ、何もできない自分の無力さを痛感する。いち早く現地に自衛隊の皆さんと福井の医療班が入ってくれており、他県からも多くの消防が駆け付けてくれていると聞き嬉しく思う。新潟の山古志村同様、地域民がまず自分等自身の手でと力を合わせている様子が見え「国が、行政が」と、声だかに要求する民衆でないことが、余計に愛おしく早く何とかしてあげたいと思わせる。混乱を避けるためか、輪島市では昨日の夕方迄、他からの一般人の立ち入りを制限していたそうだが、金沢のパチンコ屋さんの駐車場には、今日も日中から多くの車が入っており、同県人の非常識さと人情の薄さを悲しく思う。
2007年03月26日
コメント(1)
すでに大昔の慣習のようだが、金沢では長男が生まれると、実家から五月人形と鯉のぼりの他に「天神堂」というミニチュアの神社がお祝物として贈られた。天神堂は幾つも鳥居が建ち、境内には幟旗や狛犬、灯ろうが並び、大屋根の社には神主さん?が鎮座しており、細部に彫刻が施された木製の精巧なキットだ。ちなみに菅原道真を祭った神社であり、家を継ぐ嫡男は頭の良い子に育てよといった、ちょっと封建的な思考をもった代物と思う。本家の兄(長男)には男の子がおらず、また、正月だからとこれを飾って楽しむ趣向もなく、縁があったか、実家のものを僕の家がいただいたのだ。毎年大晦日の晩に父がやって来て、これを僕と二人で組み立ててからそばと正月料理で一杯やるのが10年程前の我が家の恒例行事だったが…。天神堂は、以前は左義長の1月15日には仕舞っていたが、長男の時と同じく、受験年の今年は無理をしていただいて昨日まで次男のことを見守っていただいた…。結果はともかく、人形や鏡などを一つずつ新聞紙に包みながら必要な人生経験を与えていただいたことにお礼を申し上げた。この天神堂はすでに所々いたみも激しいが機会を見つけて何とか細部を修理しようと思っている。父がそうしてくれたように、いつの日か僕も孫たちに天神堂を造ってあげたいと願っている。
2007年03月19日
コメント(0)
早々に敗北宣言をした次男は、4月から京都の予備校で寮生活をすることが決まった。一緒にわいわい騒いでいた多くの仲間から、難関国大や有名私大に合格を決めたとのメールが次々入り、いまさらながら高校生活を浮かれていたのは自分だけだったか…と、裏切られ、置いてきぼりにされたように感じると言う、みじめで気も抜けた昨今の彼である。京都での決意は?と尋ねたら、「女に目もくれず、一年を坊主頭で頑張る」と言う。言うことが幼稚臭くて、思わず僕は吹き出した。あぁ、本当にほんとうに、素直で可愛い、けど可哀想で、とても残念な立場の彼である。いい薬だなぁ、我ら親子の現実は。母が心配してちょこちょこ様子を見に来てる。自分がスポンサーになって、京都へ行く前の彼に旅をさせたいと言う…。母が彼に行かせたい旅の目的地は、鹿児島「知覧」。もしかすると自分より若かった特攻隊員たちの存在を知り、自由の幸福さ、平和の有難さ、学べることの喜びなど、多くのことを知って欲しいと願っているようだ。母の配慮をいつもありがたく思う。
2007年03月13日
コメント(1)
正装をして女将と共に、次男の高校の卒業式にいってきた。見ていて少し目頭が熱くなってしまった。それは無事、卒業を迎えることができたという家族としての安堵からではない。それはそれで、本当に感謝しないといけないのだけれど。親から見ても羨ましいぐらいの、本当に素晴らしい、恵まれた高校生活を送った彼が、今日は、坊主頭であり、辛く残念な気持ちのまま、心底喜べずにいるのを知っているからだ。実は、前期の合否発表もまだなのに、後期も受けずに早々と敗北宣言をしたのだ。センターで失敗し、翌日には髪を剃り落としてきた。そして挑んだ難関の志望校も、善戦はしたものの数学で点を落としたといい…、諦めた。「嗚呼、あいつでも浪人か、人生って甘くないな。」順風満帆できた彼が体験する、生まれて初めての挫折。挫折は人を強くすると思うが、何もこの局面でなくてもと思い、ここで良かったとも思い…、ただ本当に可哀想と思う。でも、貴重で必要な1年を与えられたと考え、これからの人生に活かしてほしい。答えは不要である。もちろん来年はしっかりリベンジしてほしいが…。無理は言わん。
2007年03月05日
コメント(2)
次男の大学入試が迫っています。先日のセンターで8割確保を狙っていた彼でしたが、結果は大惨敗で志望校の本番一発勝負のみとなりました。この最悪の展開は長男の時と一緒で…、気が重いです。もう1年受験勉強なんて嫌だろ、側にいる者も結構気苦労もあるんだよ、何としても合格して欲しいと毎日祈っています。じつは今日は僕の誕生日。もしも神様が祝福してくださるなら、どうぞプレゼントは、彼を大学合格させていただけると一番嬉しいです。
2007年01月25日
コメント(0)
実はいま、新しく居住スペースも兼ねたオフィスの建設を真剣に考えています。6年前に今の住居を1,600万円もかけて増改したばかりなのに…です。あれこれ相談もし、もう心はほとんど固まっているのですが、ただ一つだけ気掛かりなことがあります。それは、移転先の方角が「北東」であり、入院中に読んだ風水の本によれば、凶角になるようで、……です。すでに用地の取得も終わり、気にはなるが、気にせず前に進みたいと思っています。こんな時に注意すべきことや、良い厄除け方法などあればどなたかお教えくださいませ。
2006年10月03日
コメント(0)
日曜日、毎秋のデザイン展が開催中で今年は母を伴った。春先の仕事が受賞しており、見れば喜んでくれると思ったので。その後、入院中の祖母を見舞い、金沢の奥座敷「深谷温泉の石屋」さんへ行った。前にも日記に書いたが、ここは能舞台のある旅館さんで年に数回、本当に美味しい季節の食事と催しで楽しませてくれる処。今回は伊勢物語から「井筒」を雨中でかがり火をたきながら我々は高みの見物…。僕は食事に満足し、ブランデーの梅酒に酔い、母と二人で最期までいねむりしてた。
2006年10月02日
コメント(1)
いまだ痺れなど残るものの、身体はほぼ全快。仕事のペースも通年物を中心に、ようやく戻りつつあってやっぱり忙しくしてることが気楽。今週も3日ほど無理をし、我ながら良く頑張った。自分の調子を見ながら負荷をかけて、ようやく感覚も戻ってきたようだ。オフィスで迎える朝のこと、明けてくるのがとても遅く感じ、自分の季節の感覚のずれに驚きもした。最近は御無沙汰だった営業さんらもぼちぼちと顔を見せてもくれ、やっぱり人は元気で現役してないと駄目やなって思う。だから今回の松井の復活は他人事だけど本当に嬉しかった。以前にできたことが明日できるか、自分はまだ必要とされているのか、天才で努力家の彼でも、きっと不安はあったと思う。そうした不安を打ち消してくれるものとは、絶対量の練習以外にないと、かねがね思う。でも怪我でそれもまなならない彼にとって唯一「早く身体を治す」ことだけができたわけで、まさに今回の結果は最高で、ツキもあって喜ばしい。さて、少しずつ歳をくっている。持病もある。だからって先窄まりの人生は嫌だな。素晴らしい生き方?完成度を早く見つけたいと願っています。
2006年09月15日
コメント(2)
お蔭様で闘病生活から無事復帰し、元どおりの日々です。ただ、頚椎のヘルニアは無くなりましたが、痺れの症状は後遺症なのか変わらずで、少々がっかりです。養生をしながら経過がよくなることを期待しています。さて、手術中のことか、後のことかも判らない、それが麻酔の覚醒か夢なのかも判らない、ぼぉ~っとした感覚の中で僕は二者選択をする感覚(道)と確かに遭遇しました。「あぁ、こっちにいったら死ぬンや」と漠然と感じ、その狭間が本当にわずかで些細なもののようで、死ぬことと生きることが、とても簡単な選択のようでした。後日、見舞いに来た母にそのことを話すと、「あんた死の縁を歩いたンやねぇ」と言うもので、ちょっと寒々としたのでした。(冷や汗)手術後は医者も驚くほど回復が早く、まだまだ体力はあるなと、少し自信がもてました。退屈で、療養中にたくさんの本を読みました。その中で藤原正彦氏の「国家の品格」があったのですが、勇気と誇りに加え、やる気も貰って感動で涙がでました。日本人であることを本当に嬉しく思えたからです。こうして生かされ、延ばされた命です。大袈裟なことや立派なことなど、できようはずはないですが世のためになることで、一つでも自分にできることがないか…、考えながらこれからを活きて行こうと思っています。
2006年09月01日
コメント(2)
明後日に手術を控え、仕事の残務整理もほぼ終えた。案内も出しており、事務所の電話はもうほとんど鳴らない。たまに知人から激励の連絡が入るのみである。退院してもこのまま仕事の依頼がなかったら嫌だなと、時折、一人で気が萎む。ただ不思議と今は手術への恐さがない。じつに心静かである。家族へ、友へ、我が人生に、未練や憶いはあれこれあるが、仮にそれがここで途切れたとしても、それで善かったんだと受け止めれそうな気もする。8月初旬には退院し、元どおりとはいかなくても新生・真之介として残りの人生を駆け出すつもり。
2006年07月10日
コメント(2)
オープンに関わったホテルの試泊があり七尾で一泊しました。おめでたい華やぎの中で夜を過ごし、深夜にホテルの一室に戻ってからテレビをつけました。気になっていたのはジーコジャパンの帰国のことです。やっぱり…の、うつむいた面々が映り、ホテルの個室で見たせいかよけいに寂しく思えました。落胆もしましたが、私はお疲れさまという気持ちで選手たちをねぎらってやりたいです。ジーコについても同様の思いです。采配について多くの批判があるようですが、それは結果論で、後からとやかく言うのは卑怯です。ましてやJリーグの今日の隆盛とサッカーの楽しさの多くを日本人に教えてくれた彼は恩人であって、お礼を言うべき存在だと思います。
2006年06月25日
コメント(0)
朝の4時から辛い光景を家族全員で受け止めました。TVゲームならリセットしてたことでしょう。ブラジルの攻撃にさらされる日本の姿は、少し前に観た映画「男たちの大和」の戦艦大和のようで集中砲火を浴び続け、やがて沈むのをただ待つだけのように感じました。どこか辱めを受けたような、惨めな気分で心は悔しさで一杯のヒデと一緒で地面に顔を伏せて泣きたい感覚でした。本当に力不足で、最期までそれに気づけなかったということでしょうか…、あぁ残念。何をどこからどうすればよいのか…、課題は多く目標も見つからず、これからを戸惑うばかり。
2006年06月23日
コメント(0)
久しぶりの日記。禁煙はいまも継続中で、家族に留まらず親戚筋からも「立派!」と賞賛の声が出始めている。(笑)タイトルにも書いたが7月12日に入院し、14日に手術と決まった。頚椎のヘルニアを取り除き、チタン合金で固定をするそうで、いよいよ真之介は完全体に近づきつつある。けれど、残念ながら全身を走る痺れは後遺症で取れないかも知れない…らしい。今日は次男の高校の陸上競技の記録会の日で、仕事を中途にしてでも観に来て欲しいと言うので、女将と一緒に出かけた。かといって、両親が来ているなどと周りに知られるのは嫌なようで、こっちも気を遣うわ。彼の出場種目は高飛びで、彼が跳ぶのを三度観た。親ばかだけど、本当に美しい放物線を描いて、その円弧の一番高いところで反り返った身体が瞬間止まったようにみえ、落ちながら遅れた足が胸元を追い掛けていくのだ。思わず我を忘れて拍手してしまった。瞬間しまったと思ったが、周りの連中も拍手をしたので気づかれなかったと思う。なかなかやるじゃん。最期の結果は観ずに競技場を後にした。
2006年06月20日
コメント(2)
禁煙を始めて今日でちょうど10日め。ガムに飴、グミに酢昆布など、あれこれ身の回りに揃え、ちょっとした口寂しさを誤魔化している。でも、思っていたほどのきつさはない…。喫煙は、ただの癖だったのだろうか。かなり年期の入った私の一服習慣、長男がその成り行きを気にしてる。
2006年05月23日
コメント(1)
女将が懸命に160号Pのキャンパスに大桜の絵を描いている。この絵は、中学校をこの春卒業する生徒さんたちが、母校へ寄贈するために依頼してきた思いのこもったもの。この中学に格別の憶いがある校長先生も、今回の絵をとても楽しみにされているご様子。この先生は初新任校がこの中学校であり、ここを最期にこの春、勇退される。実は私は、この校長が初新任の折に国語を教えていただいた最初の生徒でもある。みんなの万感の憶いが込もった絵を、こうして女将が描いている御縁を嬉しく思う。シンプルな木枠の額も昨日届き、最期のサインを入れるまでもう後少し。数日後に控えた卒業式でみんなに喜んでいただけるといいなぁと念じつつ、この絵が長く学校に飾られることを、晴れがましく、とても名誉なことと感じています。
2006年03月08日
コメント(2)
自分を信じてやれないということは、本当に寂しいことだ。僕は自分を、いざとなればやる男。最期の帳じりだけはそこそこ決める奴、と少なからず信頼していた。が、一方、肉体の方は持病があり、最近はいささか心もとない。加えて、相手の顔は浮かんでも名前が出ないことが増え、日中に強烈な睡魔に再三襲われるなど、老化する身体は、そのささやかな自分への信頼感を揺るがすものになってきている。先日、息子たちと「思ったように予定通り動けない」という現実について話し合った。疲れてできなかった、優先順位の見極めが甘かった、後でするつもりだったなど、理由は幾らもある。明日までに絶対にやり遂げないと後がないという状況など皆無の彼らに、自分のことを信頼できるか?という質問は、問いの意味すら理解しがたいものだったかも知れない。「思い通りに動けない」のは、身体に問題があるのか、意志に問題があるのかどっちかだ。どちらにしても、自分で自分を操縦コントロールできず、持て余しているということになる。問答の結論は、思いとは理想であり、本当はかなり低いところに自分の妥協点が用意してあって、最期はそれをもち出してきて「そうそう、後できっとできるから」と、自分を説得し始める。しかし、その今度はニ度とはない。次には次のまた今度が増えるだけ。大きくそれに気づくまで同じことの繰り返し…。だったような気がする。
2006年01月14日
コメント(1)
昨年の暮れ、雪のやり場に困って一人では持ちようもないグレーチングを開けようとし、まんまとそれを自分の足に落としてしまい、実はいまも腫れが残っている。足先がちぎれたかと思うほどの激痛だったが、丈夫な長靴のお蔭で助かった。足が痛かろうが雪は容赦なく積もり、やむなく息子たちを駆り出して雪掻きの手伝いをさせた。家を守るのに「子を使うことをやむないなどと…」当然だろ、思考回路も痛さでどうかしたかと、自分を腹ただしく感じながら。親父の足が痛かろうが、しぶしぶとして彼らは指示がないと動けない。生きる力や大人としての自覚は誠に乏しい。頭はいいのに…。結局、僕もまた長靴をはいて出陣し、彼らの先頭に立って働いた。さすがに大の男が3人がかりだと、みるみる間に庭の雪が用水へと消え、爽快だった。雪掻きも先が見えはじめると、どっと疲れがきてしまい、力が抜けたようになって雪の上に尻餅をついてしまった。次男が駆け寄ってきて僕がなんともないのを確認すると、自分も隣でどっかと雪に座った。先に立ち上がった彼に手をひっぱってもらい立ってみたら、雪の上に尻の形をした2個のベンチができていて、「でっかい尻」と言ってみんなで大笑いした。ふと僕は、女将と二人きりだった頃のことを思いだした。退屈で、監視されているようで、自分の時間がなくて、責任は重くて…。そう感じていた頃の僕は、本当に役立たずのウツケ者だった。ふがいなくても今はこの息子達の存在が、とても頼もしく感じられるのも事実。
2006年01月05日
コメント(0)
ここまでの人生で、多分、一番働いたであろう'05年が終わった。親友を亡くし、身体への自信も無くした一年だった。取引先の未入金も2件あり、一つは裁判を起し、もう一つは分割払いでケリをつけた。東京以外はいまだ不景気なのだと痛感させられた。さて、今年僕は年男になる。運気は2月から最高潮になるらしい。けれどさほど欲はない。オーストラリアへポスターを出品するので好評だといいな…くらい。そうそう、早いもので次男が高3になる。受験をめぐって親子の格闘必至な一年になるに違いない。じつは去年、彼はいい夢を見つけた。大学を出たらそのルックスを活かして(笑)TVのキー局のアナウンサーになりたいと家族に宣言した。勘違いはともかく、TVで彼の姿が見れるなら親としては嬉しいし、友だち達に元気を伝えることもできる。いい仕事だなぁ。どうぞ頑張れ。どうか健やかで幸せな一年をおくれますように。ここを訪問くださる皆様のお幸せもお祈りいたしております。
2006年01月04日
コメント(1)
ホワイトボードをびっちり埋めつくした予定は、僕にとって肉体的な拘束と苦痛を意味する反面、精神的には安らぎである。また、仕事だからと、身の回りのあれこれをおざなりにするのも嫌である。要するに、僕は愚痴をこぼしながら忙しい自分を楽しんでいる。先週、僕は冒険をした。2週間かけて2日間分の空き時間を造り出したのだ。段取りを整え、客先に偽りの途中経過報告をし、事務所を空にした。密かにバスツアーに申し込みをし、この工作には女将が加担してくれた。忙しいはずの平日の昼前に、何と僕は遠く淡路にまできていたのだ。大鳴門橋を渡ったところでお昼を食べ、一人でうず潮を観ながら不思議な気分だった。鳴門から徳島自動車道で四国を横断、ぼちぼちと隣の席の61才のお父さんと話し始め仲良くなれた。高校野球の名門池田高校のあるインターで下道におり、渓谷美が素晴らしい大歩危(おおぼけ)の景色を楽しみ、やがて平家の落人伝説が残る高知県の新祖谷温泉に着いた頃にはすっかり仕事を忘れていた。混浴の露天風呂に先のお父さんとたった二人きり…、やはり現実を実感。(笑)次の日は高松自動車道で四国を縦断し、坂出から瀬戸大橋に乗った。四国も初めてだったが、やはり初めての瀬戸内海の景色は、ぽつりぽつりとほうぼうに島が浮かび、行き交う船も多く絶景だった。隣のお父さんが実に博識で、あれこれ解説してくれ僕は旅が数倍楽しめた。ぼちぼちとこの人が現役時代、この橋の建設に関わったエリートだと判り納得した。バスは橋を渡ってこれも初めての倉敷に入り、僕的には一番の目的だった大原美術館に到着。本物のモネの「睡蓮」、クルーベの「波」、クリストのエスキースなど感激の対面ができた。帰りの車中、お父さんに「睡蓮」のハンカチをプレゼントした。そうしたら僕の写真を撮ってくれた。焼き上がったら送ってくれると言う。誰も知らない、あってはならない空白の旅の証拠写真。多分、誰にも見せることなどないだろう。そっと机の奥にしまって、たまに出しては大切な想い出にしたいと思う。
2005年10月20日
コメント(0)
またぞろ、母と女将を引き連れて?小さな旅に出かけた。今回の目玉は、25年ぶりに大阪芸大を訪れ、母に「あなたが仕送りをして出してくれた大学ですよ」と礼を言うこと。二つめは、公演終了間近のアレグリア2を観て人間の凄さを発見すること。三つめは、大阪ベイタワーホテルの最上階の夜景を楽しみながら3人でお酒を飲むこと。全部ができた。足が痛くなる程歩きもしたが、金沢に戻って体重を計ったら2kgも太っていた。ま、いいか。あと何度、こんな機会がもてるだろうか…。良い想い出はいくつあってもいい。元気でさえいれば、またきっと来れる。そうありたい。
2005年08月30日
コメント(2)
守秘義務があってここでは語れませんが、大きなプロジェクトに加わり謀殺された夏でした。そんな中、誤解が元で何十年も前に疎遠になっていた昔の親友の死と直面しました。葬儀のその日、僕は仕事中に、ふと彼のことを懐かしく思い出していたのです。実は彼の死を知ったのはその後でしたから、驚きとともに、知らせにきてくれたのかと嬉しく感じました。ためらいはありましたが意を決して、あくる日、その後の彼の家を初めて訪ねました。そこには僕のまったく知らない家庭的な彼と、そのご家族がいました。亡くなって会う形になった悔いを遺影の彼に述べ、礼も言いました。奥様から、生前彼が僕との仲たがいを悔いていたこと、けれど意地が邪魔をして素直に謝れなかったことを聞きました。涙がでました。僕は愚かだったと、自分の青さを悔いています。
2005年08月25日
コメント(2)
靖国神社参拝は「不戦の誓いをたて、心ならずも戦争で散った御霊を慰めるため」と言った日本の総理大臣の言葉を軽々に批判する中国は何様のつもりだろう。今日なお、日本から多額な援助を貰っておきながら(なんとODAの規模は7兆円※内3兆円の円借款を含む。北京空港建設費の1/4も日本の援助)、恩を仇で返す内政干渉をし、日本に被害、危害を加えても謝罪もしない。また、国連のオーナーにも等しい日本の常任理事国入りを声だかに阻む。また核を持ち、日本の海域近くで天然ガス掘削をもくろみ、潜水艦で領海を侵犯する乱暴狼藉。 なんと言う無礼で傲慢、「感謝」のない無知な国家だろうか。歴史認識が甘いというなら「文永・弘安の役」の蒙古の来襲も同じだろう。北九州で多くの日本人が蒙古の軍隊によって皆殺しにされた歴史を彼らは学んでいないようだ。高麗(韓国)もこの時1,000隻の船を提供し、先兵を務めて日本を攻めているのだ。彼らの言う歴史問題とは100年弱かも知れないが、いつも都合よく持ち出してきて、一方的に感情的にまくしたてる。隣にいるのが堪らない本当に嫌いな国。
2005年04月12日
コメント(3)
去年、息子達のW受験の合格祝いをした折に、親戚をもてなし玄関先に生けた山桜。庭の隅にその切り枝を差しておいたが、先日から芽を膨らませており嬉しい。それが何の木であるか、どういう意味が有って庭にいるものか、多分、彼らはその存在すら知らないだろう。「願わくば 花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」西行ちょっとだけ心情が判る、いまの僕です。
2005年03月29日
コメント(0)
母と一緒に金沢の奥座敷「深谷温泉」の石屋旅館さんへ行った。ここの温泉は肌に良い。自然の借景を活かしたお庭は、亡き父の作品でもある。古い能舞台を使った催しと絶品のお料理が自慢の宿だ。数えて12回目になるが、今晩は、かがり火を焚いた舞台の暗がりを「越中おわら」がながすという趣向。僕は年に一度のこうした催事を利用して、此処へ遊びに来ている。「津軽三味線」も「狂言」も、実はここで間近に楽しさを知った。お蔭で母孝行もでき、幸せと豊かさを実感できている。
2005年03月27日
コメント(3)
今日、僕はいいことをした。もうどうにも立ち行かなくなり、恥を偲んで僕にすがってきたある会社の危機を救ったのだ。時間がいくらあっても足りない状況だったが、僕はあえて彼らの救済を優先した。ぎりぎりまで自分達で解決しようと試みたことが、かえって時間をなくしてしまっていたが、それゆえ彼らの本気が僕にも伝わった。彼らに手を差し伸べようというスポンサー企業が、彼らの力量を計るため?に彼らにスポンサーメリットを求めた有効な広告の提出を求めたのだ。徹夜の末、ようやく昼に具体的な企画書ができた。夕方のプレゼンに万全を期し、彼らにその中身を把握させ送りだした。夜遅く、心配していた僕の携帯に彼らから吉報が入った。泣いていた…。僕も心底感動した。さて、僕はこの「いいこと」のために、プロとして2つ「駄目なこと」をした。1つは、プロでありながら無償でこの救済を引き受けたこと。2つめは、彼らの中で生み出せないものを創り、スポンサーを騙したこと。僕の手助けは彼らの今を救ったが、それが先々を思うと本当に良かったのかは判らない。今後、彼らに寄り添ってやれる自信?も体力も今の僕にはなく、今回限りのつもりであったからできたとも思う。彼らが歩く道は相変わらずイバラの道であることは間違いない。
2005年03月26日
コメント(1)
昨日、長男が起した交通事故の示談が成立し、早速、警察に連絡した。入院の支払いのこともあり病院にもそれを告げたところ、40万円ほどかかるらしい。仕事に子どもたちのことと、夫婦には余裕のかけらもないが、実は今日は22回めの結婚記念日だった。女将に何かプレゼントでもと、密かに15万円位のへそくりをためていたが、買いに行くチャンスも、そうした気分にもなれなかった。午後、女将がスーパーに買物に行くというので、一緒にでかけた。彼岸なので花も買い、ついでに父のお墓参りもできた。帰り道、寿司屋に寄って、お寿司を馳走した。「…、安くあげてスマン。」
2005年03月20日
コメント(2)
それでなくても年度末の忙しい時期に、長男が先週末にバイク事故を起した。顔を3針、口の中を27針も縫う大怪我だったが、昨日には病院を出て、早速、警察に拠る小雨の中の現場検証となった。腫れがひかぬ顔で足を引きずらせながらの姿は可哀想だったが、単独事故ではないので、自分の蒔いた種の責任を、とことんとらせようと考えている。心配と疲労で僕の体調はいよいよ最悪…。
2005年03月19日
コメント(1)
脳神経外科から神経内科へ、そして内科へ。めぐり辿った僕の痺れの原因を探る検査もいよいよ大詰め。23日に念のため腰のMRIも撮った上で、総合判断がくだされた。結果が見つからないというのが一番嫌だったが、意外にも血液検査でらしき原因が見つかった。血糖値やコレステロール、尿酸値など、血そのものは総べて正常値内で、これには自信があった。僕には難しくて言葉も覚え切らなかったが、簡単に言うと血がサラサラと流れないもので、高脂血症と同様な症状を見せるが、血がドロドロするものではないらしい。切り傷ができると血は肌の表面で乾き「かさぶた」を作って治癒に向うが、どうやら、その固める力が勘違いして血管内で妙な働きをしているらしい。それによって抹消の血管に血が通わず、痺れた感覚になるということらしい。白血病の逆?かとドキドキしたが、医師は「薬を飲むことで改善できる」と言い、原因が見つかったことも僕にとっては精神的にも良かった。さて、お荷物をまた一つ抱え込んだ。こいつとこれからずっと一緒か…。
2005年02月26日
コメント(0)
体のあちこちに配線をつけ、二種の伝導検査を終え脳外科に戻ったが、検査からは異常がみつからないらしく、先生のあてはどうも外れたらしい。やむなく?神経内科の先生にも診てもらおうということになり、脳神経センターに廻った。問診の上、身体のあちこちの反射テストをした。こちらも異常無しと診断されたが、ここの先生は、脳や神経のせいでなく、血管に何かの疾病があり、それが抹消神経に痺れを起しているように思うとおっしゃられた。それを見極めるのは内科ということで、別棟の内科に廻り、また別の先生に診ていただくことになった。僕の不安は、どんどんとつのるばかり。さて、またしても問診。同じ説明を何度することかと思っていたら、先生の方から「医者はまず自分の領域、知識や経験の中からあてはまるケースを捜す習性があります」とニコリとされた。心を見透かされたかとドキッとしつつ、気さくで庶民的な雰囲気に親しみを感じれた。結局、基本通り?ここで血液検査をすることになり採血。次回には三人の先生が全ての検査を元に一つの診たてを出してくれるらしい。23日、ようやく僕の身体の痺れに結論が出る?。
2005年02月09日
コメント(0)
昨日は何を思ったか、朝からいそいそとパチンコに行きました。(笑)お店に着くなり、ばったり中学時代の部活の先輩と出会い、挨拶。何十年を経ていようとも、僕は、先輩をさん付けで呼び、こちらは敬語。先輩はタメ口…。しかも爺さん(彼のお父さん)連れで、親孝行というか微笑ましくも羨ましい。ちょくちょく二人で来るらしく、彼らの選んだ面白いと言う台に向かい、爺さんを挟んで三人並んで打ち始めた。先輩は爺さんのハンドルを固定してあげたり、様子をみながら硬貨を渡してあげたりと、なかなかの接待ぶりで気づかいがあった。僕もお茶やコーヒーをおごり、よい後輩ぶりでポイントは高かったと思う。さて、パチンコの結果は、午後7時まで延々と打って、32回の大当たりを引き大儲けになった。(やったぁ!)女将にマドンナ2本をお土産にし、かつてない財布の厚みに緊張しつつ、ドキドキ、うきうきとしながら家路についたのでR。本当に良い日曜日でした。
2005年02月07日
コメント(0)
朝一の七尾での会議に出るため、通勤車両を避けて能登海浜を走った。道が凍っていないかと、タイヤから伝わる路面の感触に神経を使い果たし、大事な会議の前に、すでに肩がパンパンに張っていた。帰り道は開放感に眠気が加わって、冬道の遠出はきつい。自然の匂いをかぎながら、窓やサンルーフを開け放して走れる季節が待ち遠しい。午後、事務所に戻ると昨日の検査を知った母から何度も電話がはいっていた。心配をかけて申し訳ないと思う。元気な声を聞かせておこうと受話器を握ったとたん、先週の力仕事について客先のディレクターから吉報がはいってきた。コンペ参加15社中ぶっちぎりの採用とのことで、先方の興奮した様子がむしろ嬉しかった。嬉しいままにすぐに母に電話をいれたら「仕事より長生きをしろ」と言われた。まだまだ元気で、細く長く慎重に、ますます頑張らねばならない。
2005年02月03日
コメント(1)
脳から首をMRIで撮り、色んな向きから首のレントゲンも撮った。首の骨は一部に小さなヘルニアが見られるものの、そう悪くないらしい。しかし延髄から続くせき髄の道がやや細いというか、痩せているらしい。生まれつきか後天性かハッキリしないが、今より細くしないようにしましょうと、先生。一因と診ているようだが、釈然としないようで、軽々にこれだと断定できないらしい。来週また別の検査をすることになった。神経伝導速度と体性感覚誘発電位というメニューで、今度は指先からの反応を診る。とにかく、腫瘍や梗塞のようなたぐいのものでなさそうで、少し気が楽になった。
2005年02月02日
コメント(0)
気になる手の痺れの原因を探るべく、明日、脳のMRI検査を受けることになった。幸いなことに、近所の竹馬の友の脳外科の先生が、じきじきに診てくれるらしい。さて、脳への神経系統に異常がなければ、肘から手首にかけての神経を圧迫するブレスレット状の筋が硬化していることが考えられるとのこと。後者の場合、最悪でも手術で治るらしい。シワのないツルツルの脳を見られるのも嫌だが、どちらにしても結果を知るのが恐ろしい。たいしたことでなければよいが、仕事の段取りや家のこともとたんに気になり始めてる…。もはや病気や死が遠い存在ではないと、昨年辺りから自分に言い聞かせてきたつもりだが、未練たっぷりで、何の心の準備もできていない自分である。もう少し元気で生かしておいてほしいと願うばかり。
2005年02月01日
コメント(1)
一つ歳をとりました。鏡の中の自分の顔をまじまじ観ながら、「やっぱり昭和○○製のポンコツか」と呟いて笑えた。最近、運転免許証の書き替えに行ったが、家族にも見せたくない顔写真で…、警察にもきっと提示できない。顔の形成には、その人の人格や人生が関わっていると思っているが、どうも素敵な人生を歩いていないんじゃなぁい、冴えないですからぁ~、「残念」!
2005年01月25日
コメント(1)
明日は、いよいよ金沢にもまとまった雪が降るらしい。徹夜も二日め。土曜日までの急ぎ仕事がかなりのボリュウムでまいった…。雪掻きをしてる暇などないのに間の悪いことだ。僕は「なるようになるさ」と軽く思えないタチで、いつも「どうすればできるか」を考えてしまい、そしてそこからすでに疲れてる…。どうか楽しく心安らぐ週末を迎えておりますように。
2005年01月19日
コメント(0)
今日は久しく良いお天気で心も晴れる。去年の今頃は必死だったろうが、長男はニコニコ顔でスノボーに出かけた。センター試験の準備で大学は休みらしいが、最近、暢気さと浮かれ具合が目に余る…。成長を側で見るのは楽しみなものだが、あれこれ目にとまり、大の大人にいちいち苦言を吐くのも嫌なもので辛い。さて、せっかくの希少な晴れ間、積雪もないのでぼとぼち外歩きをしてこようと思う。
2005年01月14日
コメント(1)
お昼、長男と向い合せでご飯を食べていると、いきなり電話が鳴った。出てみると何と目の前にいる息子の名を語る若者(ばか者)らしき男からで、わざと嗚咽して言葉を曖昧に濁している様子。相手「●●だよう、うっシクシク」(●●は息子の名前) 僕「…はぁ?なんやて、お前誰やねん」相手「●●だってば…、判るでしょ?うっシクシク」僕「えぇ?あほか!お前が話してるこの俺が、その●●なんやけど」相手「あぁ間違えた、本当は○○だよう~、うっシクシク」(○○は僕の名前)僕「ぷぷ、あのな、○○はいま俺の目の前で飯食ッとるぞ」相手「嘘でしょ、本当に○○だよう~うっシクシク」僕「このバカ!電話の着信歴調べて警察に言うぞ」相手「ガチャン、ツー、ツー」息子に会話の内容を話して大笑いした。後になり今日の馬鹿ものが僕の名前を正しく呼んだことが気になった。僕の名前の漢字の読みを普通はまず正確に読めない。息子のことといい、我が家の情報は外に漏れ放題なのだろうかと心配になった。
2005年01月12日
コメント(0)
粉雪が空から舞い降りる露天風呂は、ちょっと感動でした。真っ白に化粧した湯煙の温泉街の朝は格別に綺麗でもありました。WEB制作を中心としたセミナーも、外部の参加者から好評で概ね成功でした。惜しむらくは施設の料理が美味しくなかったこと。刺身も蟹も間違いなく冷凍もの。ご飯さえも満足のいくものでなく、1300年の歴史が泣くぞと…。この僕が温泉の朝ご飯でお代りしなかったのは、多分初めてのこと。なまじ賑わっていただけに、県外の方はさぞがっかりされたことでしょう。せっかく非日常を楽しみに遠方から足を運んでくれているのに、家庭料理以下のもてなしは県民として恥ずかしく、未来はないぞと残念に思いました。
2005年01月09日
コメント(1)
お天気がすぐれないので暫く歩けない日が続き、「今だけですから~」と正月に食べた分の体重が落とせず、残念…!午後、電話もないので早めに仕事を切り上げ、プールに行ってせっせと40分ほど水の中を歩いた。実は、明日から加賀の温泉で勉強を兼ねた一泊二日の新年会があり、少しでもウェートを下げておこうという、浅はかな目論み。
2005年01月08日
コメント(1)
暮れの大晦日、事務所にはやや不似合いな?神棚を祀った。平成元年の独立だから、もっと早くにあってもよかったのだけど、自分の若さと勢いを信じていたし、どこか根拠のない自信みたいなものがあったのだとも思う。女将の古い友人に細木数子みたいな人がいて、去年の秋に「神棚を祀ればもっと幸せになれてるのに」ってボソっと言われたとかで、そう聞くと何やら祀って無いのが手を抜いた商売のようでねぇ。聞いていてそうしないのも嫌で…、年の瀬を節目に買っちゃった。今日も1日宜しくお願いします「パン、パン」と、1礼2柏手をしてスタートする新年です。う~ん、御利益あるといいなぁ。
2005年01月07日
コメント(0)
明けましておめでとうございます。大晦日カウントダウンから帰ってから大急ぎで支度をし、息子らに留守とチャッピーの世話を任せ、お正月休みを利用して沖縄に行っておりました。女将とお袋様の三人旅で、ちゅらさんの住む小浜島のヤマハリゾートホテル「はいむるぶし」を基地にして、西表島、石垣島、竹富島と連日攻略するも、出発前より3kgも体重を増やしての帰還となりました。(苦笑)さあ、明日からスタート、今年を頑張るぞ!
2005年01月05日
コメント(2)
風もなく、暖かでとても良いお天気の一日、すべての窓とドアを全開にして仕事をしていた。数日前から事務所はクリスマスCDがかかりっぱなしだが、季節感は今一つ。お昼、あまりに気持ちよくて近くの公園に行き、ベンチで煙草を一服。そうしたら、大阪時代に嗅いだ記憶のある冬の匂いを感じれた。想い出を含んだ匂いで、懐かしくてクンクンと一杯嗅いだ。憧れていた女の子が大阪に遊びに来ると約束した日、その日に感じたせつない匂い。携帯などない、もどかしい時代の悲しい匂いの記憶。
2004年12月10日
コメント(2)
水曜日に女将は仲間とオーストラリアへ半学半遊の旅に出かけた。留守の食事に充分すぎる程の準備をして行ったが、怠惰な男3人ゆえに、流しはすぐに食器の山になり、洗濯物も脱衣籠の容量を越えた。ここ数日は6時起床し、息子らを送りだし、チャッピーの世話をしてから事務所に向かう形…。いつもは無駄吠えしまくりのチャッピーだが、女将がいないのが判るのか、甘えて吠えてもどうせ誰もかまってくれないと思うのか、あまりやんちゃではない。女将が帰ってきたら、たくさん誉めてやるように言おう。昨晩、食器洗い器を2度回し流しを攻略していたら、次男がそれを見て洗濯物のすべてを片付けた。いいじゃん。ま、朝になってそれを干すのはやっぱり僕なのだけれど。
2004年11月26日
コメント(2)
半年程前から利き手の人さし指の先が痛くなった。それをかばっていると、他の指先も段々痛くなり、最近では手の平全体に鈍い痺れを感じたり、熱っぽさを感じたりとどうもただごとでなさそうな…。恐いが放ってもおけないし、今朝、思いきって仕事を抜け出し近くの神経外科へ行った。結局、原因の特定はできず、気休めの?リハビリをし、薬を貰って帰ってきた。ビタミン系2個、抗生物質1個、アミノ酸10粒、栄養補助サプリ9粒、これが今、僕が1日に飲む薬の全体量だ。歳かなぁ。
2004年11月10日
コメント(1)
全279件 (279件中 1-50件目)


