システムエンジニアの晴耕雨読

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2015.05.30
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カテゴリ: 日本史・世界史



グラフ社

2009年刊



 以前追っかけていた?!、立花宗茂つながりで手に取った本。

 関ヶ原の合戦後、西軍についた大名の多くは、改易・減封されますが、

いったん改易された後、復活を果たした大名が、数少ないもののいました。

 その理由を探っていますが、現代の左遷人事など不遇期の過ごし方の

参考になると思っています。


 立花宗茂の場合・・



 牢人時代の≪この間、彼は単に徳川家に御家再興を懇願するばかりではなく、

 余暇を利用して自分のスキルを、驚くべき速さで向上させていっている。

 宗茂は牢人時代に、中江新八や吉田茂武(しげたけ)から弓術の免許を受けた

 ことがわかっている。

 また、妙心寺の了堂宗歇(りょうどそうけつ)に帰依して、禅の修行にも

 励んだとされる。

 このように、心身ともに鍛え、己を磨いているのである。


 もともと宗茂は、丸目蔵人頭長恵(まるめくろうどのとうながよし)から

 剣術の免許を得ており、剣の達人でもあった。

 さらに後年の記録によれば、連歌や茶道、香道、蹴鞠(けまり)、狂言



 磨きをかけたのは、この牢人時代だったと思われる。


 自暴自棄にならず、心身の鍛錬に励んだ宗茂。

 結果としてそれが彼自身の器を大きくし、将軍秀忠や家光の信頼を

 勝ち得ることになっていくのである。≫


 つまり、「武のスキル」・・宗茂自身、数々の戦いで戦功を挙げ、



 それに加え、「武のスキル」だけでなく、「文のスキル」である連歌や茶道、

 香道、蹴鞠(けまり)、狂言に通じていたことで、

 平時置いても重宝されたといえる。

 さらに、宗茂の性格は、裏表がなく、人に愛される性格であった。

 結果、余人を持ってかえがたい人物となった。

 ・・これが、宗茂復活の秘訣かもしれません。



【中古】 関ヶ原敗者たちの復活戦 /河合敦【著】 【中古】afb

<目次>
いぶし銀の粘り強さ築城の名手 丹羽長重
ナンバーワンに執着した猛将茶人武将 上田重安
武を捨て、風雅に生きる歌人大名 木下勝俊
十数年の努力で復活した粘り勝ちの男 岩城貞隆
旧領を上回る石高で復活した奇跡の男 新庄直頼
三天下人に抜擢されたできる交渉人 滝川雄利
コネに翻弄された水軍の一族 来島康親
己の矜持を貫く不敗の名将 立花宗茂






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最終更新日  2015.05.30 11:59:22
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