9月3日「あめみこ日記」
兎の生肉を食らい、人間の心に戻った李徴の心はいかなるものか。
李徴@万作さんが舞台上にある、草むらの絵が描いてある階段に横たわり、その悲しみを訴えます。
「おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう。
だのに、おれの中の人間は、そのことを、このうえなく恐ろしく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐ろしく、哀しく、切なく思っているだろう! おれが人間だった記憶のなくなることを。
この気持ちはだれにも分からない。だれにも分からない。おれと同じ身の上になった者でなければ。」
このとき、敦たちは袁サンの供の者として、李徴の独白を聞いたり、コロスのような役割を果たします。
李徴が発狂したときに、一緒に月のような形の舞台を掛けたり、動きはかなり多かったと思います。
印象に残ったのは
発狂し、虎の身となった自分の姿を谷川に臨んで映すとき・・・。
これは釣狐の中でもあるような「型」なのかな?などと思っていました
そう、釣狐を観ていない私には、それが全く釣狐の型なのかどうかは判断がつきません・・・が、きっとイメージとしては、そうなのかな?と思うのです。
初日が公演される前に発行された読売新聞の記事には
※この記事について更新したブログ あめみこのつぶやきBlogより
狂言「釣狐」を例に挙げられ、「狐そのものの姿でいるよりも坊さんの姿で現われるほうがより狐らしく見えてしまう、という洗練された様式が狂言にはあり、そういったことを観客の想像力に訴える古典の力を生かしたい・・・
と語られていたのを思い出したからです。
李徴の即席の詩を述べます。袁サンは供(部下)に言いつけて、その詩を書き取らせますが、そのシーンはまさに、郡読またはコロスのような感じです。
朗々と響き渡る狂言師5人の声は世田谷パブリックシアターの青い空が描かれた天井に木魂するようでした。
李徴には自嘲癖がある、と袁サンは昔を思い出します。
「俺はこんなやつだから、獣に身を落とすんだ!」という李徴の心理を表すとき、李徴@万作さんは己を哂うのですが、「笑い」の部分は「狂言の型」のようにも思えましたね。
つまり「笑い」の部分は現代劇風、リアリズムな演技ではない、ということでしょうか。
お能では笑いませんからね、山月記は「お能」を意識されて作られているということですが、狂言的なテイストもふんだんに使われている、という感じです。
「・・・・・・・己は堪(たま)らなくなる。そういう時、己は、向うの山の頂の巖(いわ)に上り、空谷(くうこく)に向って吼(ほ)える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処(あそこ)で月に向って咆(ほ)えた。誰かにこの苦しみが分って貰(もら)えないかと。しかし、獣どもは己の声を聞いて、唯(ただ)、懼(おそ)れ、ひれ伏すばかり。山も樹(き)も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮(たけ)っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易(やす)い内心を誰も理解してくれなかったように。己の毛皮の濡(ぬ)れたのは、夜露のためばかりではない。」
己の毛皮の濡れたのは、
夜露のためばかりではない
この言葉がキュンと胸を貫きました。
どんなに辛い悲しい、孤独な夜を過ごしてきたのかと・・・。
最早、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬ時が、(虎に還らねばならぬ時が)近づいたから、と、李徴の声が言った。
原文についてですが、虎に戻る、ということを「酔う」と表現した中島敦の感性と、また表現がとても巧妙ですね。
敦たちの郡読と李徴の最期。
リアリズムな演技ではない、と先ほど述べましたが、それでも胸を締め付けるような悲しみと切なさが私の心を襲います。
これが、狂言師の、能狂言の持つパワーなのかもしないですね。
袁は叢に向って、懇(ねんご)ろに別れの言葉を述べ、馬に上った。叢の中からは、又、堪(た)え得ざるが如き悲泣(ひきゅう)の声が洩(も)れた。袁も幾度か叢を振返りながら、涙の中に出発した。
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺(なが)めた。忽ち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。
※参考文献
集英社文庫『山月記・李陵』中島敦
まだお目にかかってませんがダイドードリ… 2008年10月14日 コメント(8)
珈琲を飲みながら-ダイドードリンコで野… 2008年10月01日 コメント(12)
「わが魂は輝く水なり」が始まりましたね 2008年05月05日 コメント(14)