青藍(せいらん)な日々

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第75話 あらためて、ヨット入門



自然という簡単な言葉を何気なく使っています。しかし、自然というのはすごいもので、人間がどんなに文明を発達させ、技術を開発したとしても、最終的には自然の法則に従わなければならないという事実があります。これだけは誰にも、どうしようもない。だから、人間は自然に畏敬の念をだく。ところが、実際、日常の生活をしていると、そんなことは忘れてしまいます。我侭放題振舞おうとする。本当は自然の中で生かされているという事実を畏敬の念をもって受け入れなければならない。そうすると、どうなるか。人間は本来の自然な人間になる。自然を通じて、本当の素直な自分自身になれるのではないかと思うのです。

そこで、ヨット入門は、自然を感じる最高の手段のひとつです。それは山に登るとかいう方法とも違ったアプローチの仕方です。人間には何ともしようがない自然の作用を、人間の英知でもって対応するこれは人間にしかできない事です。自然の中で、何のトリックや思惑も無く、自然に最高の自分を表現する。それが素直な自分になるという事ではないでしょうか。だから、自然は人間をいき返らせる。
山に登ると人間は正直になると、聞いた事があります。ヨットも同じ。人は自分に正直になれる。自然になれる。素直になれる。何故なら、自然は人間の思惑でどうにかなるものではないからです。世間の様々な思惑など関係無く、自分自身を発見できる。思惑には関係無く、自然を受け入れなければならない。

そこで、ヨット入門は自然に親しむことです。そして、これが最終目的でもあると思います。そして、ヨットはその手段に過ぎない。ヨットに熟達することによって、自然の奥へ奥へ入っていく事ができる。自然の様々な表現を味わう事ができる。そうすればするほど、自分が自然になれる。自然になれれば、素直に自分を表現できる。素直な自分になれば、楽に生きることができる。ヨットとはそういう素晴らしい体験を全ての人々に与える絶好の手段なのです。人は常に何かを考えています。どうしたら自分に有利になるか、どうしたらもっと儲かるか、どうしたら勝つか、どうしたら手に入れられるか、たくさんあります。でも、自然の中に入ると、そんな事はどうでも良い。とりあえずは、全てを捨てて、目の前の自然に対応しなければなりません。これが人を本来の基本的姿に戻すことになるのではないでしょうか。

つまり、ヨットという手段の最初で、最後の、最大の目的は自然の中に入り、味わう事ではないでしょうか。それさえできれば充分なのではないでしょうか。だから、よく言います。日本一周などしなくて良い、遠くへいかなくても良い。セーリングする事で、全ては達成しているのです。その外はおまけなのです。しても、しなくても良い。ヨット入門は自然に足を踏み入れること、そして、さらに、さらに奥へ入っていけば、行く程そして、何も達成しなければしないほど、良いのです。何かを達成して、それを重要視すると、達成したことは人間の思惑の中にあるから、自然から離れてしまう。だから、何も達成しない方が良い。もし、何かを達成したら、それを重要視しないことです。


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