青藍(せいらん)な日々

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第52話 便利



物理的に便利さを享受すると、今度は違う物がほしくなる。何故なら、便利さでは満たされないからです。普段の生活やビジネスの世界では便利さが追求されてきた。が、しかし、便利さでは満たされなかった。ところが、それでも、どこに行っても便利さを追求するという癖が残っています。便利さが満たされない物であると解っても、人は便利さを知らないうちに求めてしまう。

あの島に渡りたいなら、ボートで行く方が速い。飛行機ならもっと速い。エアコンが効いた快適な高速船、どこにでもすぐに行きたいところに行けます。ところが、便利であればあるほど、心に残る物は無い。それで人は山や海に出かけていく。便利さを基準に考えるなら、こんな不合理な事は無い。誰がきつい思いをして頂上を目指すのか、誰がきつい思いをして海を渡るのか。

不便さの中に人を満たす何物かがある。キャンプをしてランプの灯りで過ごす。満天の星空を見る。狭い思いをしてテントで寝る。家に帰れば快適な部屋があるにも拘わらず。物理的な生活と心の生活とに分けるならば、便利であればある程、物理的生活の比重が重くなり、不便であればある程心の生活の比重が高くなるのではないでしょうか。もちろん、どちらか片方だけが全てを占めるのはバランスが欠けている。この比率をうまく自分に合わせてコントロールするのが良いようです。

ヨットは我々の生活レベルで言えば、不便な物です。不便ですから、心を満たす何かがある。不便さを不便なままで、どこまで受け入れられるかは、心の余裕によるのではないでしょうか。ヨットに便利さを追求していけば、今の技術レベルで考えても、全てオートマチックでも可能でしょう。でも、それで果たして満足感を得られるだろうか。それで、便利な物をひとつひとつはずしていく。ひとつはずすとそれに代わって、自分が何かの工夫を強いられる。でも、それが心の何かを動かすのではないでしょうか。いやあ、あの時は暑かった、と後で語る事はあっても、いやああの時はエアコン効いて快適だったというような話はあまり聞きませんよね。

普段の生活が不便なら、そんな余裕は無い。でも、普段が快適だからこそ、余暇での不便さをそのまま受け入れられれば、心と工夫によって、別の意味をもってくる。便利な物を設置してはいけないというのではありません。便利と不便のバランスをどう取るかです。そして自分が不便さを心から受け入れられれば、その分だけ、不便は楽しみに変わる。エアコンがいけないのではありません。エアコンが無いので暑かった。その暑かったという事実を不快という事だけで受け取るなら、不便さを心から受け入れていないという事です。ですから、つけても、付けなくても良い。

頭で考えますと、あれもこれも必要になります。何故なら、頭は物理的生活のボスです。物理的生活は便利であればある程良い。これがあれば確かに便利である。しかし、本当に必要だろうかと思う。ここで大切な事は自分の心に正直である事です。よし、それなら不便さを受け入れ様と意識しても、心がそれを受け入れていないと不便さに頭にきます。心が受け入れていると、楽しむ事ができる。
それで、意識して不便さを受け入れ様と思ったら、まずは不便からスタートしてはどうでしょう。後で、どうしても駄目なら、その時つければ良い。ちょっと回り道に見えるかもしれません。合理的でもない。これは頭が考えることです。でも、この方が結局自分流を見つけられる。そう思うのですが。

そう思うとあれも要らない、これも要らない。シンプルになります。これが昨今言われる”スロー”なのではないでしょうか。


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