青藍(せいらん)な日々

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第70話 自己責任



アメリカでは免許も無い、誰でもお金さえあれば購入して乗れる。自分の個人的な遊びであれば、政府はとやかく言わない。でも、人を乗せて商売するなら、ちゃんと義務付けがある。自分の身の安全は自分で守りなさい。でも、一旦遭難等に合えば、コーストガードが救助に行く。そして、助かったら、良かったねと言われる。日本では義務付けがあり、もし、海上保安庁に助けられたら、何してんだと怒られる。

この事だけを見るならば、アメリカでは国民を大人扱いしているようで、日本は子供扱いしているように見えます。ああしなさい、こうしなさいと指図する。指図されると、強制されると、人は考えないものです。何かあると政府のせいにする。政府ばかりか、国民性もあるようです。指定された備品さえ備えれば、後は何も考えない。そしていざという時に慌てる事になります。強制する事によって確かに、助かった人達も居るでしょう。でも、自分で自分の命を守る為に何が必要か、自分で考えた方が良い。この点については、自己責任の方が良いと思うのですが。義務を無くすと、危険性が高まるだろうか?免許取得とかの折に、こういうケースがあるので、こういう備品を揃えては?というアドバイスで良いのではないでしょうか。

この前の銀行預金の保証についても、これからは自己責任で銀行を選ぶという話も出ていました。日本ではどうも全体が政府主導のようです。でも、自己責任は情報の開示が必要です。情報を正確に伝えて、そのうえで、各個人の判断に任せる。この情報開示がどうもくせもののような気がします。これをしたくないという意識がどこかに有りそうです。それで、政府主導型社会ができた。これが少しづつ政府管理ができなくなってきた所で、自己責任という言葉が出てくる。

政府主導は情報が充分開示されないかもしれません。一方、国民も政府にあまえがある。もちつ、もたれつ。これからもっと自己責任が出てきそうな気がします。その時、情報開示がセットでなければなりません。社会は情報をオープンにし、国民は判断する。お互いが責任があります。でも、本音と建前、以心伝心、もちつもたれつ、合理性だけではない、日本独特の社会、情というものがあり、どうもアメリカ的な合理性は、今のところ難しそうなな気もします。


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