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タレントの志村けん(70才)が新型コロナウイルスに感染して緊急入院、意識混濁状態の中、集中治療室で重度の肺炎と闘っており早期の復帰は厳しいらしい。愚生と年齢が近く酒好き女好きで知られているところから、明日は我が身かと恐ろしくなってしまいます。フジテレビ系「志村でナイト」は31日放送分まで収録済みで、4月以降は引き続き志村の冠番組で内容をリニューアルして放送する予定だったとか、その収録を今月16日に行うはずだったが、志村が足をけがしたことから中止に。翌17日に体調不良となりその後新型コロナウイルス感染による重度の肺炎で緊急入院したため、今後は未定だそうだ。楽しみにしていた番組だったのに。志村けんと濃厚接触が疑われる「高嶋香帆」との「絡みがミレナイト」実に寂しくなる。何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 27, 2020
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YAHOOニュースを眺めていたら、目から鱗の記事があったので思わず転記してしまいました。お許し下さい。祖父・金日成と父・金正日は女性との“濃厚接触”が格別好きだった。祖父の金日成は精力絶倫で、晩年には金正日の長男・正男と同い年の金賢(キム・ヒョン)という隠し子を直属の看護婦に産ませている。還暦を迎えた金日成と30代の息子・金正日が同じ時期に親子で“不倫”をしていたというわけだ。父・金正日の女性関係は、異常かつ複雑で、正室といえる金英淑のほか同棲した女性だけでも8人に上る。そのほか関係した女性は数え切れないほどで、万寿台芸術団の舞踏家、曲芸組、女優、官邸担当看護婦、執務室のタイピストなどを欲望の赴くままに“濃厚接触”を繰り返した。また、スウェーデンやドイツなど外国から金髪美女を呼び寄せ、“濃厚接触”を持つほどだった。さらには、金正日は街に繰り出し平壌女子高や高等師範の女学生を林道に連れ込んで“濃厚接触”することまでやってのけた。金正日は、道徳など全く持たず、自分の好みの女性を見つければ、人の女房・恋人であろうと奪い取る略奪婚・愛の常習者だった。金正日は、駐チュニジア大使の妻に言い寄り、不倫を遂げた。また、金正日は「ポイ捨て名人」で、弄んだ女性を次々に取り替え、「お手付き」の女性は保衛総局の将校や国家功労者に「払い下げ」られた。 祖父・父と続く“濃厚接触” 嗜好のDNAを持つ金正恩氏はそれを我慢できるだろうか。金正恩氏の周りの女性はもとより、専属の運転手・看護婦や「同じ空気を吸う可能性のある」秘書などの健康管理は、異常なレベルで行われているのは間違いなかろう。そのことが一つの波乱・不安定要因となって、金正恩氏の身辺で激変を引き起こす引き金にもなりかねない。羨ましい・・・異国の地で散々豪遊してきたつもりの愚生は足元にも及ばない。何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 26, 2020
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前のブログで、知識的な努力無しに5択問題の攻略法を実践し、危険物取扱者乙種4類の資格試験に一発合格したとアップした。今月18日に運転免許証サイズの危険物取扱者免状が届いた。その気になってIndeedでセルフガソリンスタンドの求人に応募して20日に面接、23日に仕事始めとんとん拍子に進んだ。高齢者の愚生にとってパートタイマーであれアルバイトであれ、自宅に籠り痴呆老人になるのをできる限り避けて生涯現役を貫くことが大事だ。顧みると、平成元年に日本を脱出して異国暮らしの中で1991年に出逢った1971年生まれの女性との長いお付き合いでも生涯現役で契りを交わし続けた。平成18年に撤退して日本に帰国した後もいわゆる遠距離恋愛しながら生涯現役を続けていたが、前のブログでアップした通り令和元年に医科大学付属病院で大手術を受ける不幸に見舞われ中断した状態だった。世間はコロナショックでリストラの話が出る中で仕事ができることに感謝しなければならない。面接で提出した履歴書のアピールポイントに生涯現役で働きたいと書いたところ、他店で81才の人も働いているとか・・・上には上がある。何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 24, 2020
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新型コロナウィルスに感染しない工夫をして生活している。無症状の感染者が多い中でいつなんどきうつってしまう可能性があり、感染していることに気付かず無意識に他人にうつしてしまっているかも知れない。コロナウィルスを撒き散らすスプレッダーを阻止するのは難しいと思う。写真は韓国の中央日報日本語版からコピーしたものだが、韓国政府が自慢するドライブスルー方式の新型コロナウィルスPCR検査風景である。車に乗ったままで、美人の検査員が1日15,000人も検査できるシステムらしい。日本の報道番組でも散々コメントされているが、検査員が感染防具を都度交換しないと芋づる式感染者を増やしている懸念がある。しかし、写真の美人検査員は全員軽装過ぎて論外である。何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 12, 2020
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3.11東日本大震災から9年も経つが未だに避難している方々が4万人いるとか復興は長期化している。経験した大地震の記憶を辿ると、小学生時代、自宅庭先で遊んでいた時発生し立って居れず座り込んだ。停電が続き石油ランプの火屋(ほや:ガラス)磨きが日課だった。高校時代、教室は古い木造の二階だった。大地震が発生し廊下側に机があった愚生は柱に亀裂が走るのを目撃した。引き戸の出入り口が開かず数人の学生は窓から飛び降りて負傷した。社会人時代、エンジニアだった愚生は製造ラインで大地震の揺れで半田槽から溢れ出る噴流を避けながら計測器が載った台車が疾走しないよう捕まえるのに必死だった。後に競合会社の大きな煙突が倒壊したと風聞を耳にした。四度目が3.11東日本大震災である。自宅は切り土の造成地で高台にあり、団地入口から眺めると高層ビルの上層に位置するため地震により大きな横揺れが数分?続いた。二階にいた愚生は階段の手すりに掴り動けず外へ脱出できなかった。以前に住んでいた団地はいわゆる活断層帯にあり、揺れが相当酷かったようで全壊した家屋もあったが、嘗ての我が家は倒壊を免れたようだった。その活断層帯から外れていた息子の住宅は切り土と盛り土の中間に位置していて、盛り土側に約5cm傾いていわゆる床に置いたゴルフボールが自然に転がるレベルの被害を被った。その前年に小洒落た墓を建てて間もない時期だった。大地震で隣接する立派な墓の石灯篭が当方側に倒れてしまった。墓全体に桜御影石を使い墓石等は黒御影石を貼り合せた渾身のデザインだったので、色彩や柄を合わせての再製作・修理が難しかっただろうと想像するが、完全復元とはならず震災の傷跡が刻まれたままだ。 何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 11, 2020
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3.11東日本大震災から9年も経つが復興が進まない。昨年の台風被害からも学んだことが多い。「自分の命は自分で守れ」というフレーズがいつ頃から定着したのだろうか。昔から大きな地震を感じたら机の下に潜る訓練があり、これまでその様に行動した気がするが、実際に何かの下に退避した記憶は無い。過去の人生で遭遇した4回の大地震の状況は意外と憶えている、忘れられない。幼少の頃から訓練させられている昨今の防災術は役に立つだろうか。更に「自分の命は自分で守れ」と言われても・・・日常的にどんな準備をしてどんな訓練をすれば良いか考えてしまう。新型コロナウィルスがクラスターとか市中感染のレベルを超えてパンデミックに拡大すれば災害級の非常事態になる。学校を休校にしても不要不急の外出を避けても、「自分の命は自分で守れ」なければ意味がないと心得るべきだ。愚生も通院や買い物等で最低限の外出もやむを得ない。遣い回しのマスクと遠近両用眼鏡や防寒用帽子や百均手袋で肌の露出を極力避け、外出先で素手では触らない工夫をして、無意識に手を顔に接触させることを防ぐ効果を期待している。自宅に戻って玄関ドアを開ける時、片側の手袋を外して取っ手にタッチする慎重さも重要だ。もちろん玄関で防具や買い物袋を外し室内にウィルスを持ち込まない。もちろん手洗い・うがい・顔洗いも徹底する。随分前のブログで告知したが、入院した医科大学付属病院のどの看護師さんも常にアルコール消毒ポンプを腰に携帯していた。患者一人一人を処置する度に手をササッと消毒してラテックス手袋を付け替える・・・患者はバイキン扱いなのだ。「自分の命は自分で守れ」を地で行っているが如く。何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 10, 2020
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前のブログで、5択問題の解答攻略法を実践し、知識的な努力をしないで危険物取扱者資格試験に合格したと、受験シーズン真っ只中、不謹慎な内容で更新してしまった。補足すると、ガソリンスタンドの給油ノズルの色は、赤:レギュラーガソリン・黄:ハイオクガソリン・緑:軽油・他に青:灯油と法令で決まっている。物理・化学に係る混合物の代表はガソリンや灯油であり海水は予想外、ひっかけ問題に引っ掛かったと思っていた。冷静に考えると、原油から精製したものは複数の物質から成る混合物であり、海水は水(H2O)と塩化ナトリウム(Nacl)や塩化マグネシウム(Mgcl)等の混合物であろう。試験中にはパッと閃かず最後まで悩むのが当に凡人なのだ。もう一つの資格である運転免許は更に努力なしで取った。16才高校1年の春休みに軽自動車と大型自動二輪の免許を、当時360cc以下の軽免許あるいは250cc以上の二輪免許に合格すると両方の免許が貰えた。倒した自動二輪を起こす実技が体力的に無理なので軽四輪の選択肢しかなかった。既に軽四輪のマツダB2(360cc)やホンダのドリーム(250cc)とベンリィ(125cc)は乗りこなしていた。自動車学校へ行かないで「一発試験」とか「飛び込み試験」が普通だった。しかも、試験用の軽四輪(360cc)の性能が悪く坂道発進テストで2回エンストしたが、助手席の試験官が「もっとフカセ!」と援護してもらって合格した。少し後で軽免許制度が廃止になり、限定解除試験を経て普通免許に、更に現在の中型免許(8t限定)に難なくアップグレードした。最初の免許証は「つづら折り」とか「四つ折り」と呼ばれ、昭和の懐かしい記憶である。今更、このブログのタイトルに「懐かしい記憶」と追加する考えは無い。何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 2, 2020
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お笑い芸人のあばれる君の新しいギャグは「笑いを取るなら資格を取る」とかテレビ番組で盛り上がっていた。高齢者の愚生がほぼ20年振りにブログを始めた理由はボケ防止・認知症防止である。芸人が笑いを取るようにネタの掴みどころや最後の落ちや下げに似たものが表現できれば良い。ブログランキングに挑戦している訳ではないしアクセス数も気にしない。今年に入って、ブログに飽き足らず何某かの資格試験にチャレンジしようと思い立った。資格らしいものは運転免許証だけだ。因みに勉強することや試験を受けることも嫌いで、高校3年の数ⅢBで挫折して未だにトラウマになっている。工学部出身者にとって2月に試験がある危険物取扱者乙種第4類の資格が良いかと考えて実行した。取敢えず解説付きの問題集を1冊準備し、作戦通り問題集の丸暗記を2回繰り返した。老化が進む高齢者の記憶能力は減退していることに気付かされる。例えば信号の色は赤黄青と昔記憶したものであり、ガソリンスタンドの給油ノズルの色が赤黄緑で各々何を示すか新しく記憶するのが難しいのである。試験日まであと1週間に迫り、今更参考書で勉強する時間もないし模擬試験問題集を購入して3回繰り返した。試験問題は5択で3科目合計35問を科目別に60点以上が合格だ。ガチンコで暗記しようとしても無理とすれば100点を取る必要がないと発想を転換し作戦を変えた。5択出題から選択肢ハズレを消していき残り2択にする、よく読んでひっかけ問題を見極める、出題者の目線で考えると五つの文章の意図から選択肢が見えてくる、いわゆる試験の裏ワザ的なテクニックを実践した。試験時間は2時間、一つの試験教室に受験者は50人くらいで、開始30分過ぎから退出する強者もいて1時間半後には愚生一人が残った。慣れないマークシート記入も悪戦苦闘して時間前に諦めの気持ちで退出し試験会場を後にした。このチャレンジが失敗したと感じた理由は35問の出題内容が思い出せないことだ。何問正解したか自己採点ができないことだ。一つだけ記憶にあるのは、物理・化学科目で混合物を択一する解答に「海水」を選んだことだ。模擬問題集から見て明らかにひっかけ問題に引っ掛かったと思った。奇跡的に合格しました。法令(15問)は80点、物理・化学(10問)は何と90点、性質・消火(10問)は80点で、全35問中選択ミス(不正解)が6問あったということです。このブログのオチは落ちなかったことです。何十年か前のわが身を顧みれば日々、挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。
Mar 1, 2020
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