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7月2日発売の7月9日付けニューズウィーク誌で、「世界企業ランキング2008」が発表され、上位500社が掲載されている。 このランキングは、企業を財務(収益性、成長性、安全性)からだけ評価するのではなく、同じ点数配分で社会的責任(CSR)(企業統治、従業員、社会、環境)面からも評価しているのが特徴だ。 うなぎの産地偽装問題は極端な例としても、右肩上がりに利益を出せばどのような手段でも正当化されるようなモラルハザードが一部で進行しているように感じる。営利企業として利潤を追求することは当然だけど、一方で社会的責任もきちんと果たしているかを併せて評価することは、モラルハザードを防止する意味でもとても重要なことだろう。 ランキングの対象になっているのは先進国の企業のみで、今話題のBRICs(ブリックス)は香港を除いて入っていない。BRICsとは、ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字をとった名称で、急成長している国々だ。 気になる総合評価のベスト5を見てみよう。1位 スタトイルハイドロ ノルウェー 石油・ガス 財務55点 CSR56.5点 昨年2位2位 リオ・ティント・グループ イギリス/オーストラリア 金属・鉱業 財務56点 CSR53.8点 昨年17位3位 アストラゼネカ イギリス 医薬・バイオ 財務53点 CSR56.4点 昨年1位4位 ノルスクハイドロ ノルウェー 金属・鉱業 財務53点 CSR52.3点 昨年20位5位 ノボ・ノルディスク デンマーク 医療・バイオ 財務49点 CSR54.9点 昨年3位と、ほとんど馴染みのない企業名が並んでいる。15位までくるとやっとスターバックス(アメリカ)が登場し、以下19位ノキア(フィンランド)、20位BASF(ドイツ)、21位インテル(アメリカ)など聞いたことのある企業が続いている。【スターバックスがアメリカではトップ】 スタバの愛称で親しまれている、スターバックスが15位に入っている。昨年は49位だったのが躍進し、アメリカではトップだ。先日のテレビ番組では、アメリカでの業績不振で店舗が次々閉鎖されている様子が紹介されていたので、意外な印象を持った。上位に入ったのは、CSRが高く評価されているからだ。 コーヒー豆というと、企業が現地で安く買いたたき、利益を上げているような印象があるが、スタバはフェアトレードを積極的に進めていることが評価されている。フェアトレードとは生産者に最低限の価格を保証し、公正な労働環境と持続可能な環境づくりをめざす取り組みを指す(ニューズウィーク誌から)。我々消費者も、単純に少しでも安い店に行くのではなく、どのような姿勢で営業しているのかを理解し、他より多少高くても正当な価格設定を認め応援することも必要なのではないだろうか。 ちなみに、私は台湾の高雄で購入したスタバのご当地タンブラー(蓋付き大型コップ)を持参して、毎朝出勤時にスタバに寄り、ホットコーヒーを容器代として20円引きで購入し、職場で味わっている。【コンプライアンス重視の積水化学工業が健闘】 日本企業の中でニューズウィーク誌が注目しているのは、232位の積水化学工業だ。2005年の352位から躍進している。財務では圏外の509位だけど、CSRでは堂々の103位に入っている。 取り組みで紹介されているのは、約50ページの従業員向けコンプライアンス(法令遵守)マニュアルの作成と活用だ。個人情報保護から公務員接待の防止にいたるまで、幅広い課題を取り上げているそうだ。 牛肉やウナギでの食品偽装問題がまた出てきているけど、法令遵守という当たり前なことが実行できていない企業は、市場から退場させられる時代になったことを、是非自覚してもらいたい。【日本企業のランキング】 日本企業は500社の中に105社入っている。トップはアステラス製薬で最後はソニーだ。 ニューズウィーク誌から日本企業のランキングを少し引用してみる。 [日本での順位][世界での順位][(昨年の順位)][企業名][業種][財務点数(60点満点)][CSR点数(60点満点)][総合点数]の順に記載している。1 35 (10) アステラス製薬 医療・バイオ 56 36.1 92.12 36 (12) 日東電工 科学 44 48.0 92.03 39 (27) キャノン エレクトロニクス 47 44.6 91.64 43 (49) デンソー 自動車部品 43 48.1 91.15 47 (66) 日産自動車 自動車 43 47.9 90.9 日本3位のキャノンは、2005年には世界で17位にいたので、39位に大きく後退している。原因は、企業の社会的責任で、国外調達先に労働基準等を遵守させる体制が不徹底だからだそうだ。厳しい評価だ。 自動車メーカーでは日産がトップだ。それより上に自動車部品のデンソーがいるのがおもしろい。6 47 (51) 花王 家庭用品 44 46.9 90.97 58 (60) エーザイ 医薬・バイオ 49 40.7 89.78 66 (51) 商船三井 海運 38 50.6 88.69 70 (111) トヨタ自動車 自動車 41 46.9 87.910 81 (65) 信越化学工業 化学 48 39.1 87.111 87 (50) 武田薬品工業 医療・バイオ 45 41.9 86.912 89 (136) イオン 小売り 36 50.6 86.6 小売業が苦戦している中で、イオンが前年136位から89位に躍進しているのは、注目に値する。 あまり引用しすぎて、禁止されている「無断転載」にあたるといけないので、この辺で自粛するが、以下独断で目に付いた企業をピックアップして紹介する。25 146 (114) 日本郵船 海運 32 50.4 82.4 8位の商船三井に続き、海運業の日本郵船が顔を出した。原油高騰傾向が続いているが、時間に余裕のある場合には船便での輸送が地球環境にも良いので、今後業績が伸びるかも知れない。64 282 (273) ホンダ 自動車 41 34.7 75.7 私はホンダのオデッセイに乗っているので、紹介した。80 346 (353) 住友林業 建設・建設資材 29 43.9 72.9 我が家は住友林業が建てたので紹介した。86 390 (421) 全日本空輸(ANA) 航空 24 46.7 70.7 航空業界でみると、1位ブリティッシュ・エアウェイズ(イギリス)、2位ルフトハンザドイツ航空(ドイツ)、3位スカンジナビア航空(スウェーデン)、4位エールフランス-KLM(フランス)、5位シンガポール航空(シンガポール)に続く堂々の6位は立派なものだ。 ウナギの産地偽装でボロもうけをする企業がある一方で、自然災害の被災者の支援で大きな力を発揮している企業もある。企業が社会的責任(CSR)を果たしているかどうかの評価が、財務と同等のウエイトを占めているのは、とても大切なことだろう。モラルハザードとしか言えない企業の不祥事が相次いでいるが、過渡期ととらえれば、将来は明るいかも知れない。注 CSR=Corporate Social Responsibility
2008年07月06日
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台湾に行くとき、台湾ドル(NT$)への両替は、どうするのが最も有利で安全なのか悩むところです。これまでは、台湾桃園国際空港についたら空港の台湾銀行の窓口に立ち寄り、旅行期間中必要な金額を一度に現金で両替し、さらに予備の日本円をそれなりに持っていました。週末だと市中の銀行窓口は閉まっており、追加で換金したい場合、結構面倒な思いをしたこともあります。また、現金を持ち歩く不安もありました。市中でよく見かけるATM・CDでNT$が引き出せれば余分な現金を持って行かなくてすむし、予定外に現金が必要になっても対応できるので便利なのにといつも思っていました。今回、三井住友VISAカード(クレジットカード)の海外キャッシングサービス、新生銀行のインターナショナルキャッシュサービス、空港の銀行窓口で現金を両替の3通りを試してみました。NT$10,000を手に入れるのに日本円がいくら必要かで、比較のため換算した結果は、次の通りです。三井住友VISAカード 33,410円空港の台湾銀行及び兆豊国際商業銀行 34,175円新生銀行 34,470円最も有利だったのは、クレジットカードで年利18%のキャッシング(短期の借金)を受けた方法でした。キャッシングはすべての人に開かれた方法ではないので、利用できない、あるいは利用したくない人は、現金と国際キャッシュカードを組み合わせるといいかもしれません。台湾桃園国際空港第2ターミナルでVISAないしPLUSのマークが表示されたATMが見つからなかったので、結果的に現金で2万円ずつ台湾銀行と兆豊国際商業銀行で両替しました。両行は全く同じレートでした。クレジットカードと新生銀行で現金を引き出したのは、3日ほど後だったので、同じ日のレートでの比較になっていません。クレジットカードは最大60日分前後の利息がかかるので19日くらいで繰り上げ返済しました。繰り上げ返済しなければ、34,000円になっていました。空港の銀行の換算式は以下の通りです。レートは0.2932で、手数料がNT$20です。従って、NT$10,020を手に入れるにはNT$10,020÷0.2932=34,175円となります。もちろん、実際には日本円に端数のついた両替はできませんので、念のため。実際の交換実績は次の通りです。三井住友VISAカード(年利18%で19日間くらい借りた。日数は、はっきりしません)NT$1,000を引き出すのに、3,341円かかりました。空港の台湾銀行及び兆豊国際商業銀行(手数料NT$20)それぞれ20,000円両替し、NT$5,844になりました。新生銀行(VISAの交換レートに4%加算)NT$1,000を引き出すのに、3,447円かかりました。スルガ銀行のスルガVISAデビットカードを申し込んでいましたが、出発までに届かず、今回比較実験できませんでした。今回実験できなかったのですが、スルガ銀行VISAデビットカードを使ったら、計算上NT$10,000を引き出すと、\33,894前後になったと思われます。(VISA交換レートに1.63%加算プラス210円)やはり空港で現金を両替するよりも有利です。
2008年02月22日
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現在ネットバンクのスルガ銀行に口座開設申請中ですが、実は一昨日の1月4日に新生銀行の店頭に口座開設の手続きに行きました。もちろん、ネットで手続きし、必要書類を郵送する方法で申請できるのですが、期間がかかります。夜7時まで窓口業務をやっているので、仕事帰りでも十分間に合いました。日本橋三越の近くに営業所があるので、半蔵門線の三越前で下車し、新生銀行へ行きました。入った感じは銀行の窓口というよりも、企業の受付窓口という雰囲気です。新規に口座を開設したいことを告げ、書類を記入し、運転免許証を提示して、手続きは完了です。その場で簡単な手引きと「PowerFlex」のカードを交付してくれました。このカードは、総合口座になっており、海外で現金を引き出すことができます。当日建て替えてたお金が返ってきて、余分な現金が手元にあったので、店頭にあったATMで早速入金をしました。店をでて、今度は銀座線の半蔵門から乗ったのですが、乗り換え時間30分の制限内で乗れました。本日、自宅近くのセブンイレブンで出金と入金を試してみましたが、順調にいきました。ちなみに、セブンイレブンに設置してあるセブン銀行のATMは24時間365日手数料無しで入金、出金ともにできます。これはとても便利です。
2008年01月06日
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。海外旅行をするとき、現地通貨にするのにどうするのが一番安全で有利か、いつも悩みます。年に2~3回台湾に行くのですが、今までは日本円で持って行って、台湾桃園国際空港にある台湾銀行の窓口で、台湾の通貨を手に入れていました。4泊5日なら5日分の経費を見込んで、ちょっと多めに両替します。また、不足することに備えて、日本円も現金で余分に持っていました。クレジットカードを併用することもありますが、やはり現金中心でした。これだと旅行中いつも多めの現金を持ち歩くことになり、不用心です。また、週末だと町中の銀行は閉まっていて、日本円を台湾の通貨に両替したくなったら、ホテルか免税店などで替えてもらうことになり、結構面倒なことが多かったです。台湾はコンビニが多く、日本と同じようにATMが設置してあるところもあります。また、町中でもCD・ATMの機械もよく見かけます。これで台湾の通貨をおろせたら便利なのにと常々思っていました。こんな希望をかなえるのに、VISAデビットカードが便利だと人から教わりました。新生銀行、イーバンク銀行、三井住友銀行、スルガ銀行などのホームページを見たり、ネットバンクの比較をしているページを参考にして、研究しました。それぞれの銀行に特徴があり、その人の目的に合った銀行を選ぶのが良いでしょう。私の場合、ANAマイレージクラブの会員であり、次回台湾へ行くときもANA(エアニッポン)で行きます。いろいろ調べていて、ふと目についたのが「スルガ銀行ANA支店」の文字でした。ここに口座を開設すると、銀行のキャッシュカードにANAマイレージクラブカードと電子マネーのEdyの機能がついてきます。そして、VISAデビットカードも無料で交付してもらえます。VISAデビットカードは海外でも”PLUS”のマークのついたCD・ATMで、現地通貨を現金で引き出すことができます。クレジットカードではないので、預金残高に応じて引き出すことができる仕組みです。どこの銀行でも引き出すには手数料などがかかるのですが、私が調べた限りではスルガ銀行が一番安かったです。今までもANAマイレージクラブの会員でEdy機能付きの会員カードを使っていたのですが、会員番号は変わるけど、今まで貯めたマイルはもちろん引き継がれます。ただし、Edyにチャージしているお金は引き継がれませんので、使い切る必要があります。本日ネットで申し込みをし、郵送で必要書類を送りました。審査が通り、口座が開設できるのを楽しみに待っている状態です。次回台湾に行くまでにVISAデビットカードが手元に来たら、早速使うつもりです。順調にお金が引き出せるようなら、余分な現金を持たずにすみます。使った感想やレートの損得の比較などについて、後日レポートします。
2008年01月03日
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10月27日付けの日記でも触れましたが、航空会社の人材不足は相当深刻なようです。手っ取り早く他社に人材を求めることが横行し、待遇面で他社に比べて不利な中華航空が人材引き抜きの草刈り場にされてしまったのかも知れません。詳しくは、次のフジサンケイ ビジネスアイのページをご覧下さい。http://www.business-i.jp/news/china-page/news/200710230025a.nwc大韓航空、アシアナ航空、エミレーツ航空などが実際に引き抜いてしまったそうです。中華航空の安全運行、本当に大丈夫なのでしょうか。
2007年10月28日
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10月27日付けの週刊ダイヤモンドで、日本に乗り入れている航空会社(エアライン)を独自の評価基準で安全度のランキングをしています。 今年8月に那覇空港で炎上事故を起こした中華航空は、評価した49社中41位という情けない結果でした。 航空業界もご多分に漏れず人材不足になり、飛行機の安全運行に必要な「職人」が確保できなくなっていることが、重大事故が後を絶たない原因ではないかと、心配してます。必要な人材を確保する体力のない航空会社は、安全運行が困難になり、事故は起きるべくして起き続けるのではないでしょうか。 週刊ダイヤモンドでは、日本に乗り入れている62社のうち、調査が可能だった49社について結果を発表していて、台湾に乗り入れているエアラインはすべて評価対象になっています。ただし、日本アジア航空(JAA・EG)とエアーニッポン(ANK・EL)だけの評価はないので、日本航空(JAL・JL)と全日空(ANA・NH) の評価をそれぞれの会社と見なして比べてみました。()内は49社でのランキング。数字は100点満点での点数。1位(9位) 82.8 全日空(ANA・NH)2位(15位) 76.8 キャセイパシフィック航空(CPA・CX)3位(23位) 73.0 エバー航空(EVA・BR)4位(35位) 62.4 日本航空(JAL・JL)5位(38位) 57.1 ノースウエスト航空(NWA・NW)(関空のみ)6位(40位) 56.1 ユナイテッド航空(UAL・UA)(成田のみ)7位(41位) 54.4 中華航空(CAL・CI) ANAの健闘が目立っています。CIはさすがに最下位です。残念なのはJALの評価が低いことです。 評価指標は、「事故率(35%)」「機材年齢(25%)」「保有機材構成(25%)」「売上高営業利益率(15%)」に分け、事故率を重く、利益率を軽く配点し、総合得点をはじき出しています。 気になる「事故率」を見てみましょう。最高を"100"とし、最低は"0"になり、数値が大きいほど事故が少ないことになります。過去12年間の事故発生で評価してます。キャセイ 100JAL 93ANA 92ノースウエスト 91エバー 90ユナイテッド 84中華航空 20 中華航空の低さは際だっていて、「これでもあなたは乗りますか?」という数字です。 事故率の得点を見ると、わずかですがJALはANAを上回っています。しかし、総合得点ではANAに大きく引き離されています。 JALとANAを比較してみます。前に記述してある得点がJALで、後のがANAのです。[総合得点]62.4 82.8[事故率]93 92[機材年齢]39 100[保有機材構成]57 57[売上高営業利益率]40 75事故率と保有機材構成ではほとんど差がないのに、機材年齢では大きな開きがあり、売上高営業利益率でもかなり格差があり、結果として総合得点で大幅な差になっています。「JALは営業不振で機材の更新が遅れており、経営統合の相手である旧日本エアシステム系の古い機材をいまだに抱えている。」という事情があります。最新鋭のボーイング787型機の発注も、JALが35機発注したのに対しANAはいち早く50機発注しており、積極的な機材更新の姿勢がうかがえ、JALが水を開けられた状態は当分解消されそうにありません。 「(中華航空は)機材年齢・保有機材構成の点数はさほど低くないのに、事故率が高い。考え得る理由はパイロットのレベルの低さだ。現在、アジアでは航空需要が飛躍的に伸びている。『60年代頃までの日本がそうだったように、乗員や整備士のレベルが追いついていない』と航空評論家の青木謙知氏は指摘する。チケットの安さだけに飛びつくのはいささか危険かもしれない。」記事は、このように結んでいます。 私の小中学校の同級生が日本の旅客機のパイロットをしているのですが、彼は数年前から「今の日本人の若者はパイロットや整備士など一人前になるのに長い年月がかかる職業に就こうとしない。人材の確保が深刻な問題になってきている。そこで、外国人を採用することになる。外国人の全てが悪いわけではないが、当たり外れが大きく、外れるとやっかいな問題を抱え込むことになる」と言っていました。力のある航空会社なら、外国人を雇ってでも人材を確保できるでしょうが、力がない会社は未熟なパイロットや地上勤務員に頼らざるを得なくなります。特に日本で深刻さを強めているのは、団塊の世代が退職期を迎え、ベテランが第一線から退き始めていることです。航空会社同士で、人材の引き抜き合いが深刻化してくるのではないでしょうか。そうなると、体力のない航空会社は安全運行を確保するのが困難になると考えられます。
2007年10月27日
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日本統治時代日本人専用墓地だったここ、三板橋共同墓地跡地は、こうして緑豊かな康樂公園(康楽公園、林森公園)に生まれ変わっている。でも、元はと言えばお墓。お墓と言えば、幽霊だ。現に、1993年10月31日放送のNHK「世界わが心の旅-台湾疾風録-」(旅人:劇作家唐十郎)で、唐十郎の質問に当時お墓の上にすんでいた住民は、「以前はよく幽霊が出た」と答えている。私は怖がりなので、とてもお墓の上で暮らすことなどできない。夜、外の便所に入るのなんて、到底できた相談ではない。 霊気を全身に感じながら公園を歩いていると、大人3人が手をつないで囲んでやっと届くくらいの立派なガジュマルの木が見えた。木の脇に、きちんと揃えた男物の靴が置いてある。さて、いったいどうしてこんな所に靴が脱いであるのだろう。辺りを見回しても靴の持ち主と思われる人の姿は見あたらない。 最初に思いついたのは、靴の持ち主は、靴を脱いで木に登り、ロープをかけ自分でぶら下がった結果、靴だけが地上に残ってしまった、ということ。しかし、ガジュマルを念入りに見上げたが、不気味な気根が垂れ下がっている以外、人の姿はいくら探しても見つからない。ほっ。 次は、透明人間が立っている可能性。しかし、透明人間が靴を履いているにしては、靴はピクリとも動かない。どうやら、靴の持ち主である「透明人間氏」は、忠烈祠などの衛兵経験者に違いない。それなら微動だにせず立っていることはたやすいだろう。いやまて、パントマイムの芸人も、路上の彫刻のふりをして待ちかまえ、いきなり動いて通る人を脅かしている。パントマイムの芸人にもできるかも知れない。さて、透明人間氏の靴だけ見えているということは、彼は靴だけ身につけ、あとは素っ裸ということになるのだろうか。でも、透明人間であっても、人体の質量はあるわけで、光が体の部分を通過する時屈折するはずだ。ならば、人体の部分に光のゆがみが見えることになる。しかし、どう見ても光が屈折して届いているようには見えないので、透明人間の可能性は否定するしかない。 そうこう考えている内、仲間と朝食を一緒に食べる時間が迫ってきたので、靴の謎が解けないまま、ホテルに戻ることにした。 公園を出て、ホテルに戻るため南京東路を西に向かって歩いていると、瓦屋根の古い日本家屋がビルの間に挟まれて残っているのが見えた。ここらあたりは、日本統治時代日本人が多く住んでいたに違いない。 先に触れた、NHK「世界わが心の旅-台湾疾風録-」によると、唐十郎は1992年にバラック群の脇にあった林森公園にテント掛けをし、「檳榔の封印」という芝居をしたそうだ。公園になる前の日本人墓地の跡は、ゴチャゴチャ建物が建ち並び、その間に市場ができ、食べ物なども商っていた。番組では、唐十郎に導かれるままに、明石総督の墓の前にあった大きな石の鳥居、総督の墓域に建った「中山5号公衆厠所」などを次々映し出していた。さらに奥に進み、普通のお墓の石が、建物の礎石として利用されている様子が見られる。埋葬されていた人の名前もそのまま読める。 とても貴重な映像だけど、2つ間違いを犯している。一つは、「明石総督は台北で亡くなった」と言っているが、実際は福岡で亡くなっている。赴任中、たまたま日本に出張している時に、病に倒れている。石碑にも「在任中福岡にて病歿」と明記されている。もう一つは、農歴7月(鬼月)の中元節で、鬼に拝拝(ぱいぱい)している人に話しかける場面で、「鬼に拝拝してるの」と説明を受け、「拝拝」を「bye-bye」と勘違いして、「鬼と別れるのね」と応じている点だ。思いこみによる勘違いは誰にでもあることで、決して恥ずかしいことではないが、放送するには字幕などで注釈は必要だろう。そうでないと、拝拝の意味を間違えて覚える人がでてしまうからだ。私が初めて「拝拝」という言葉を聞いた時、もっと恥ずかしい思い違いをしたものだ。 明石元二郎(あかしもとじろう)総督の墓の前にあった鳥居は、二二八公園に移設され、保存されている。映像で見た鳥居に間違いないけど、説明版の類は見つからない。場所は、二二八公園の北端になる。大きな鳥居だ。この鳥居の隣にもっと小振りな鳥居も置いてある。これは、どこにあったんだろう。 バラック撤去、公園造成にあわせて掘り出された日本人の遺骨は、台中の寶覺禅寺(宝覚寺)に埋葬されている。寶覺禅寺はメタボ金ピカ大仏で有名だ。宝覚寺には、台湾人戦没者33,000人の慰霊碑「霊安故郷」もある。これは、李登輝氏の揮毫による。どこかで読んだけど、日本の靖国神社に合祀されている台湾人戦没者は28,000人だったと記憶している。ここ、台中の寶覺禅寺では、33,000人の戦没者を慰霊している。靖国神社より5,000人多いのは何故だろう。※ 写真をクリックすると大きいサイズの写真が表示されます。
2007年09月22日
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日本統治時代、多くの日本人が台湾で暮らし、そして亡くなった。そうした日本人を埋葬した日本人専用墓地が、台北にもあった。第7代台湾総督明石元二郎(あかし もとじろう)もそうした台北の日本人専用墓地に埋葬されていた。明石元二郎が埋葬されていた墓は、繁華街の北側、林森北路にあった。 1993年10月31日放送のNHK「世界わが心の旅」で、劇作家唐十郎が旅人として登場し、「台湾疾風録」との副題で当時の様子を紹介している。番組が作られた当時、辺りは「不思議な一帯」と形容され、「およそ1万3千坪の土地に6000軒のバラック群が立ち並んでいる」町だった。番組ではいきさつを「この日本人墓地の上に町を造ったのは、戦後大陸中国から戦火を逃れて海を渡ってきた人々だった。」。「家のない者がここにテントを張り、当座の生活を始めたのだ。それがいつしか、バラックに代わり、マーケットができ、やがて一つの町がうまれた。」と、説明している。 今では、NHKの番組で見られたバラック群は取り壊され、ごらんのような地下に駐車場を備えた広い公園になっている。康樂公園(康楽公園、林森公園)だ。すぐ北側には、DFSが入っているグランド フォルモサ リージェント台北がある。 陳水扁総統が台北市長の頃、バラックを取り壊し、墓を移転させる事業を行った。明石総督の墓も三芝郷に移設された。他の日本人の遺骨は、台中の寶覺禅寺(宝覚寺)に埋葬されている。また、明石総督の墓の前にあった鳥居は、二二八公園に移され保管されている(出典:「台湾と日本・交流秘話」展転社)。明石総督の墓の跡には、写真にある「明石総督旧墓址」の石碑がある。石碑はロゼッタストーンのように、3つの言語で同じ内容が書かれている。中国語、日本語、英語の順で、日本語の記述はこうなっている。「日本明石總督旧墓址 明石元二郎。一八六三年日本九州福岡にて出生される、在任中福岡にて病歿。享年五十六才」。今の私と同じ年齢で亡くなっているのだ。 明石総督旧墓址の近くに、写真にある立派な木が立っている。ガジュマルに似ているけれども別種の雀榕(アコウ)の木だ。力のこもった太い幹に大きな枝を広げ緑の葉を茂らせている。木の説明版を見ると学名が"Ficus superba var. japonica"となっている。最後の"japonica"が気になっていろいろ調べたが、雀榕は特に日本固有種という訳ではなく、暑い地域に広く分布しているそうだ。でも、日本人の明石総督墓跡近くに植えてあるのは、やはり何か関連性を感じるところがある。※ 写真をクリックすると大きいサイズの写真が表示されます。
2007年09月17日
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左の写真何だか分かりますか?そう、世界一を誇る101の89階で見られます。答えは写真をクリックすると分かります。巨大ビルを守る、大切なものだったですね。一般公開されているものとしては、世界最大だそうです。2007年8月26日に台北101(イーリンイー)に行ってきました。今回は天気が良かったので、初めて91階の露天フロアーに行きました。地上390mの圧倒的高さです。9.11で破壊されてしまったニューヨークにあった世界貿易センタービルの屋上に上った時のことを思い出しました。390mから見た、淡水河方面。観音山が見える。390mから見た、台北駅方面。101ができるまでは、高さを誇っていた台北駅前の新光三越が見える。あそこも、結構高かったのに。※ 写真をクリックすると大きいサイズの写真が表示されます。
2007年09月16日
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2007年8月27日に臺鐵に乗って瑞芳駅に出て、駅前のタクシーで九イ分に行った(150元)。多分、今回で4回目なる。九イ分小学校の校庭に入ると、金鉱のトロッコが展示してあり、鉱山の町だったことを今に伝えている。高い場所だけに、基隆方向の景色もきれいだ。悲情城市の場面を思い出す。山の斜面に大きなお寺や大きなお墓も見える。九イ分に行って時間に余裕のある時は、茶芸館に入りお茶を堪能したい。初めて九イ分茶坊に入ったが、九イ分で過去に入ったところに比べ、一番良かった。3人で店にはいると、奥の丸いテーブルに案内された。日本生まれの臺灣人、日本人のハーフだと自己紹介した青年がいるので、日本語が使えて安心だ。外に広いバルコニーもあり、涼しい季節ならそこも良さそうだ。この日はとても暑かったので、室内にした。何しろお茶がおいしい。お店によっては、高い値段で安いお茶を売りつけるところもあるが、ここは十分満足できた。建物や室内の装飾も雰囲気が良い。自家製の素敵な茶器も販売している。バルコニーに出ると、海も見える。今度はもっと涼しくなった時きて、こちらでお茶を堪能したい。※ 写真をクリックすると大きいサイズの写真が表示されます。
2007年09月15日
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2007年8月27日に九イ分へ行ったあと、MRTに乗って淡水駅まで行った。平日ということもあってか、あまり人出はない。老街の坂道をふらふら歩き、川端に出る。天候に恵まれたのはよいが、何しろ暑すぎる。 船の切符売り場へ行ったら、間もなく淡水漁人碼頭へ行く船が出る。片道50元だ。つかの間の船旅を楽しむことにした。左手に観音山を望みながら、小型の船は、引き波を気にしながらゆっくりと川を下る。ディーゼルエンジンの排煙と熱気にうだりながら、漁人碼頭にある白い情人橋に近づいて行く。 真っ白な情人橋(恋人橋)を渡りながら上を見ると、支柱から張られたワイヤが真っ青な空に白い区切り線を入れていた。 太陽はグングン沈んで行く。次第にシルエットが多くなってきた。今日はきれいな夕焼けが楽しめそうだ、と期待しながら待っていたけど、とにかく暑い。結局ここまでで、夕日は断念し、夕日のあと食べに行こうと考えていた、海鮮料理店にも寄らずじまいだった。淡水漁人碼頭で何度か行ったお店は、売っている新鮮な魚介類を買うと、お店で1品100元でとてもおいしく調理してくれる。台湾らしい雰囲気が味わえるけど、暑さに負けてしまった。
2007年09月13日
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台中では、スタバ"Starbucks"のご当地タンブラーを自分用に購入しました。タンブラーが一つあるととても重宝で、20円引きでスタバのコーヒーを購入する本来目的の他、持ち歩いてもこぼれない容器として活躍してます。 特に、今回の台湾の旅で烏龍茶をたくさん購入してきたので、タンブラーにごく少量烏龍茶の茶葉を入れ、熱湯を注いでふたをして、持って出ます。そうすると車の中や行った先で、とてもおいしい烏龍茶を堪能することができます。 もちろん、コーヒーも直接濾紙でドリップして入れることができ、おいしいコーヒーにもありつけます。 注意点は、蓋はかなりしっかりねじ込まないと、熱湯による気圧でお湯がしみ出ることがあることです。これも、慣れれば問題ありません。
2007年09月10日
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8月24日(金)から28日(火)までの台湾旅行、友人と計3人で回り、概ね予定通り無事終了しました。 日程は、概略以下の通りです。【8月24日(金)】 09:40成田発 CI107 12:10台湾桃園国際空港第2ターミナル着 U-BUSで新幹線桃園駅へ移動。所要時間約15分 13:28桃園駅発 14:03新幹線台中駅着 台中の台湾人友人が車で出迎え。「1階で待ち合わせ」だったが、2階で待ってしまった。 台中麗加園邸酒店チェックイン後、マンゴーかき氷を食べ、寶覺禅寺(宝覚寺)へ。 夕食は、公益路にある海鮮料理店で。 SOGO向かいの浦京で全身マッサージ 精明一街散策後ホテルへ【8月25日(土)】 台中の友人の車で移動。 台中のスターバックスで、"Taichung"の入ったタンブラーを購入。 廬山温泉でお茶生産者の友人と「正野味之家飯店」で昼食。総勢8人の賑やかで楽しい食事になった。 埔里酒廠でお土産にお酒を購入。 台中俊美でパイナップルケーキ、松子酥などを購入。 人文茶館無為草堂で夕食。【8月26日(日)】 タクシーで朝馬バスターミナルへ。 和欣バス(e-bus)で台北車站へ。 ホテルに荷物を置いて、康樂公園、DFSなど 鼎泰豊(本店)で遅めの昼食。 101の展望フロアへ。天気が良かったので、91階へも上がる。 迪化街の王瑞珍茶行へ。中元節のためか、お休み。 ベトナム旅行から帰ってきた日本在住の台湾人夫妻と合流。遼寧街の海鮮料理店、鵞肉城活海鮮で夕食。 老爺商務会館泊。窓なしの部屋だったので、窓付きの部屋をリクエストしておけば良かったと反省。【8月27日(月)】 MRTと台鉄を乗り継いで瑞芳へ。タクシーで九イ分まで。九イ分茶房で休憩。 台鉄とMRTを乗り継いで淡水へ。船で淡水碼頭へ。バスとMRTを乗り継いで、忠孝敦化の度小月で夕食。SOGOの日本庭園を見てからホテルへ。【8月28日(火)】 龍山寺、二二八公園、国父史跡記念館見学。 タクシーで桃園国際空港第2ターミナルへ。 14:20桃園国際空港発。CI018 18:30成田着以上です。天気予報では雨続きのはずでしたが、少し降られただけで、傘は使いませんでした。前日まで雨続きだったとのことで、ラッキーでした。追って詳細は報告します。
2007年09月09日
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友人から携帯にメールが入った。「トオサンの桜という本に登場する王海清さんは、何となくバスで会った金物屋のおじさんに似てます」。私は、すぐに返信した。「その本読みました。私も似ていると思いました。その時の写真を探して確認してみます」。 台湾にトオサン(多桑)と呼ばれる人がいる。日本時代に中等教育以上受け、日本語が使え、日本に対し独特の感情を持っている日本語族とも呼ばれている男性を指すとのことだ。 「日本精神」という言葉があり、正直、孝行、勤勉、時間厳守、整理整頓、犠牲的精神などを重んじる精神だそうだ。当時はさらに愛国を教わっていた。 日本の敗戦で戦争が終わり、台湾が中華民国になったとき、大陸からやってきた役人は地位を利用して私服を肥やす人が多く、軍隊もだらしなく見えた。日本精神とは対極にあるように感じたようだ。 台中県霧峰の地震跡地で地震を記録した航空写真を売っている人がいた。ご子息が撮って本にまとめたとかだった。一緒に行った友人が、しつこく値切ったら、その人は「私は日本の教育を受けた人間だから、日本人だから高く売りつけるような商売はしません」と切り返してきた。日本の教育を受けたことを正直な商売をしている証としていた。この人も、ここでいうトオサンの典型的な人だろう。 トオサンは日本に特別な感情を持っているが故に、二・二八事件やそれに続く白色テロで犠牲になったり、収監され自由を奪われた人も少なくない。また、家庭では、子どもの世代は中華民国の教育を受け、日本に対する見方が違い、世代間の断絶も経験することになる。 この本の主人公、王海清さんは、学校に行きたくても両親から行かせてもらえず、ある日畑仕事をしているとき、子どもの学校入学の手続きに向かう親戚が通りかかり、頼み込んで何とか埔里鎮魚池公学校入学できた。その後埔里の学校に転校し、17歳で台中州林業試験場埔里分場種苗科に職を得た。当時の日本は、きれいに咲いて潔く散る桜に特別な思いを込め、台湾でも日本人が桜を植えていた。王さんの中にも、桜は日本を象徴する木として意識付けられたようだ。 霧社を拠点に商売を始め、苦労した末成功し、ある程度財産も残るようになった。王さんは、埔里から霧社に通じる埔霧公路21キロの沿道に桜を植樹する決意をし、1987年から着手し、3千数百本を植えた。すべて私財を投じてのことだ。「公学校での6年間がなければ、現在の自分はない」と語る王海清さん。教育を受けられなかった兄弟は一生貧乏暮らしだったけど、王海清さんは全く違う人生を歩むことができた。王海清さんが桜の植樹を自力でやり遂げた原動力は、桜は日本精神の証を象徴するものだからなのかも知れない。 2001年6月、私たちは埔里から廬山温泉行きのバスに乗り、霧社へ向かっていた。霧社は言うまでもなく、1930年に起きた霧社事件の舞台になった町だ。バスの中は原住民と思われる人々が多く乗っていた。その中で、初老の男性2人が日本語で会話をしていたのが目についた。友人が、「どうして日本語で話しているのですか」と尋ねると、「お互いの言葉では通じないから」という答えが返ってきた。この男性は私たちと一緒に霧社でバスを降りた。この男性はバス停の近くのご子息がやっている商店に来たところだった。「中に入ってお茶でも飲んで行きなさい」と誘ってくれたので、遠慮無くお茶に呼ばれた。物静かに話すこの人との会話の中身は忘れたけど、私たちはとても好印象を持ったことは確かだ。後日再び霧社に行ったとき、そのお店に立ち寄ったら、あの男性は埔里に住んでいて、あのときはたまたま来ただけだったと、ご子息から聞いた。当時撮らせてもらった男性の写真を良く見たら、間違いなく王海清さんだったと確信した。---------------------------------------------「トオサンの桜 散りゆく台湾の中の日本」著者:平野久美子出版社:小学館
2007年04月13日
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台湾彰化県彰化市八卦山にある大仏が、夕日に向かって静かに祈っているように見えた。世界の平和を祈っているのだろうか。
2007年02月12日
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台湾中部の渓頭に台湾大学の実験林を公開し、森林浴を満喫できる空間ができています。圧巻は空中走廊です。地上高くに回廊が巡らされて、歩けるようになっています。はるか下を人が歩いています。床部分は素通しなので、足の下の遙かかなたに地上が見えます。高い杉の木も、普段見られない角度で見ることができます。ここの杉にはヤドリギが寄生しているものが多く見られました。
2006年11月11日
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台北車站のすぐ近くで、懐かしい日本家屋が見られる。孫文が日本時代に台湾を訪れたとき宿泊した旅館「梅屋敷」が保存され、記念館として公開されている。館内は撮影禁止なので紹介できないが、ガラス戸が真鍮製のねじ込み式鍵で戸締まりするようになっており、皆「懐かしい」と感動した面持ちだった。ガラスも今のように精度が良くなく、外の風景がゆがむところが味がある。ちょっと時間が空いたときに訪れるのに好都合なロケーションだ。
2006年10月15日
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2006年9月2日から4泊5日の日程で、台湾へ行きました。今回は初台湾の女性1人を含む4人での旅でした。宿泊は、台中、台中、台北、台北です。概略は以下の通りです。2日(土) 成田/中正国際空港 16:00/18:30 キャセイパシフィック航空 CX451便 中正国際空港/台中 飛狗バス(NT$250) 台中 麗華園邸酒店泊3日(日) 埔里酒廠、廬山温泉、俊美専売店(パイナップルケーキ、松子ケーキ)、無為草堂 台中 麗華園邸酒店泊4日(月) 台中車站/台北車站 国光客運バス(NT$260) 鼎泰豊、故宮博物院、101、知足健康中心(足裏・全身マッサージ)、西門町、阿宗麺線、華西街観光夜市 天成大飯店泊5日(火) 龍山寺、国父史跡記念館、度小月(昼食)、王端珍茶業有限公司、MRTで淡水、バスで淡水漁人碼頭へ(夕食)。食堂の小姐にタクシーを呼んでもらい、MRT淡水車站まで(NT$140)。MRTで帰る。 天成大飯店泊6日(水) 二二八公園と周辺散策。「台北ナビ」で予約をお願いした「大統空港送迎ハイヤー」で台湾桃園国際空港へ(NT$1600) 台湾桃園国際空港/成田 13:05/17:20 CX450便。以前から気になっていた迪化街に初めて行きましたが、歩くのが楽しい場所でした。
2006年10月14日
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東京の後楽園球場が近くにあるJR水道橋駅から、球場と反対側に白山通りを少し進んだ右側の西神田に、その名も「台南担仔麺」というお店があります。夕べ、台湾へ一緒に2回行った仲間3人で、食べに行きました。空芯菜、ゴーヤ、ビーフン、などなど、いろいろ食べました。味は、台湾の味そのものという感じでした。もちろん、最後に台南担仔麺をいただきました。おいしいです。途中で、台湾人とおぼしき20人くらいの団体が入ってきました。幼児をつれた人もいました。おそらく、団体旅行のコースに入っているんではないだろうか、との推測で意見が一致しました。もしかすると、ネイティブも納得する味なのかも知れません。
2006年05月13日
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台北と高雄を1時間半で結ぶ予定の台灣高速鐵路(台灣新幹線)は、今10月開業に向け、着々と準備が進んでいる。今日、東京エリアのテレビ東京(12チャンネル)で1時間近く、台灣高鐵の特集をした。当初、ヨーロッパが受注の主導権を握っていたが、ドイツでの列車事故の発生と、1999年9月21日の九二一台湾大地震が発生した結果、安全への信頼の高さから、日本の新幹線技術を導入するように、逆転勝ちしたそうだ。そのほか、ヨーロッパの列車は、先頭の電気機関車が引っ張る方式で、これだと加速性能、ブレーキ性能で劣ってしまう。これだと、最終的に12駅で営業する計画で、発車、停車を繰り返すことになり、加速性能、ブレーキ性能の善し悪しは大きい。 試験運転の様子では、線路の敷設だけでなく、電気の供給、信号系統など、システム全体が機能していないと走れない。繰り返し、繰り返し走行試験をして、揺れや車体への影響を確認しながら、段階的に速いスピードに上げてゆく。営業速度の300km/hを達成したときは、関係者は皆喜びにあふれていた。試験そうこうとしては、最高315km/hまで出している。 車両は700T型で、12両編成で走る。12両編成の列車を30組、日本の工場で製造して、船で高雄まで運んでいる。車体は、美しいデザインに仕上がっていると思う。 台灣高速鐵路が開業すると、台北国際空港から桃園駅まで移動して、そこで台灣高速鐵路に乗り換え、台中、台南、高雄などへ出ることになる。空港から台中まで、高速バスで2時間半かかっていたけど、高速鐵路だと、どのくらいかかるんだろう。参考ホームページは旅々台北.com「台湾新幹線でGO!」(日本語)台灣高鐵 Taiwan High Speed Rail(繁体中国語Big5又は英語)
2006年05月04日
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台湾中部の町、埔里が受け入れに力を入れている、ロングステイを始めようとしたが、結局期待外れの受け入れ態勢に不満を覚え、早期に退去した中村氏に対し、埔里市民だけでなく、多くの台湾人に反感をもたれてしまった事件について、もう一度考えてみる。 今まで、マスコミを通じた情報が多かったけど、焦点の中村氏ご自身が管理していると思われるホームページが見つかり、中村氏の言い分を読むことができる。 「中村伊東道場のページ」を読むと、埔里へ至った経緯を知ることができる。それによると、中村氏は海外でのロングステイをかなり長い期間考えてきていて、既に十数カ国を訪問して、検討を重ねてきた。台湾も候補の国の一つで、台湾へ行ったら、乗り物に乗るとすぐに席を譲ってくれたり、いろいろな人が声をかけてくれたり、台湾人の温かさに触れ、住みたくなったとのことだ。健康回復の目的もあるので、温泉も多くあり、日本語を話す人も多い台湾にロングステイをしたいと考え、温泉地を中心に現地に足を運んで検討している。そんな中で、埔里の情報を聞き、視察に行くことに決めた。そうしたら、馬市長の歓迎の食事会、マスコミの取材などがあった。いざ入居したら、パンフレットに書いてある備品がなかったり、部屋が湿気ていたり、肝心な温泉が改修中で使えないなどがかさなり、体調を崩してしまったそうだ。改善を要求しても思うようにならず、退去を決めたけど、マスコミを通じ埔里のロングステイの広告塔的役割を果たしていたので、自分の言葉に誘われて日本人が埔里に来ないよう、退去する事情を説明するためにマスコミを通じて報告をしたとのことだ。その報道が問題で、一部が誇張されたり、翻訳されるときに言ってもいない「台湾は人間の住むところではない」といった言葉が一人歩きし、埔里市民、台湾人の強い反感を買うことになってしまったようだ。 3月31日付けの書き込みを見ると、現在台北に滞在している。服装、帽子、バッグなどを変え分かりにくくしても、後ろから突き飛ばされたり、口笛を吹かれ、警笛を鳴らされたりされているとのことだ。中村氏の記述通りのことが行われているとすると、台湾人が中村氏に対し、執拗に暴力を振るっていることになり、人間として許されるはずのないものだ。中村氏は4月14日に台湾から退去することに決めたと書いてあるので、それまでに、埔里鎮当局と和解し、台湾人による暴行が止まるようにしないと、問題を長引かせる可能性がある。私の友人も事態を心配して、4月下旬に埔里に行くことを決めているけど、中村氏が帰国した後では、和解が難しくなるように思う。 李登輝氏クラスの人が仲介をすれば解決するように思うのだけど、無理だろうか。中村道場の掲示板http://8917.teacup.com/thp72602/bbs中村伊東道場のページhttp://www3.tokai.or.jp/n.nakamura.page/index.html「囲碁と健康のページ」#「第3部 台湾でのホームステイ」のところで、考えが見られる。
2006年04月02日
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台湾観光部交通局が2月から、日本のリタイア組を対象としたロングステイ計画を打ち出し、長期滞在ビザも発給を始めたことが、新聞などで報じられた。「な~るほど・ザ・台湾」http://www.naruhodo.com.tw/の2006年2月7日付けの記事によると、早速10組の人が南投県埔里鎮を訪れ、住環境の視察などをしたとのことだ。 ところが、その後の記事で、ロングステイに入ったN氏夫妻が、犬の糞やバイクが多く空気が悪い、また、パンフレットにある置時計や電子レンジなどの備品が備えていなかった、などの不満を訴えて、退去したと報じられている。 当事者の声が直接聞こえる訳ではないので、事実関係が十分把握できてはいないが、日本人夫妻が埔里鎮当局とトラブルになり予定を大幅に繰り上げて退去したとすれば、折角のロングステイ構想が滑り出した矢先の出来事で、非常に残念なことだ。今後は、埔里鎮が受け入れに力を入れている事業が、継続・発展し、再び同じような事態が起きないよう、対策がとられることを強く望んでいる。また、当事者間にわだかまりが残ることの無いよう、退去した夫婦と埔里鎮当局との関係を良好なものに是非修復して頂きたい。 今回の一件の波紋として、台北ナビhttp://www.taipeinavi.com/の口コミでも議論が巻き起こっている。人それぞれに、違った受け止め方があることが分かる。 私は、埔里は再三訪れていて、以前から友人と「退職して長期滞在するなら埔里がいいね」ということで、意見が一致していた。理由として、若干高地にあるので、過ごし易い気候である。廬山温泉や観光農場にも出やすく、いろいろな楽しみ方ができる。中規模の都市で、市内で過ごすにも特に不自由は無い。台中に近く、大きな都会が恋しくなっても、容易に行くことができる。日本語世代の人から声をかけられることが良くあり、比較的日本語が通じやすい(ように感じる)、などが上げられる。それと、埔里鎮の売り込みにもあるように、美人が多いことも実感している(^_^)。埔里鎮がロングステイの受け入れに力を入れている、という記事に接し、私たちの判断が良い線を行っていたことが裏付けられた気がして、友人と喜んでいた。埔里鎮の取り組みを心から応援し、多くの日本人が埔里を訪れるようになれば良いと思っている。 な~るほど・ザ・台湾の記事は、トップページにある「過去記事キーワード検索」で、「埔里」または「ロングステイ」を入力すると、記事を読むことができる。 また、台北ナビの「口コミ」は、トップページから「コミュニティ」「わいわい広場」で「テーマ別掲示板」の選択肢にある「遊ぶ」を選ぶと、スレッドがでてくる。
2006年03月25日
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2006年2月17日から20まで3泊4日の台湾の旅を仲間5人と行ってきた。というか、何で1ヶ月近くもブログで報告しなかったかというと、明日台湾へ出発というタイミングで準備をしているとき、旅行で使う用紙を打ち出した後だったので良かったのだけれども、画面が固まってしまって、Windowsが起動しなくなってしまったのだ。帰ってきてから、ハードディスクを買い、それをCドライブにして、Windowsをインストールし直し、何とかネットが利用できるようにしたところだ。まだ、とても以前のような使い勝手が再現できておらず、日記の更新がおろそかになってしまった。 さて、写真は台北101の89階で見られる風の揺れを防ぐための巨大なダンパーとう装置だ。この日は、天気があまり良くなく、楽しみにしていた台北の夜景は、霧が薄くなったときにちょこっと見えただけだった。 今回は、台中2泊、台北1泊のあわただしい日程だった。それでも、埔里から廬山温泉まで行き、いつもお世話になっている林さんからウーロン茶を買うことができた。定番の無為草堂でお茶も満喫でき、楽しい時間を持てた。
2006年03月12日
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私の家の近くに中国式整体の診療所があります。ここの整体師さん達の出身は吉林省です。日本の歴史では「満州」として登場してくる地域で、今では中国東北部に入ります。旧満州には日本人も大勢入植しましたが、朝鮮半島からも大勢入植しました。戦後、朝鮮半島へ引き上げなかった人々が、中国の中で朝鮮族エスニック・グループを形成しています。整体師さん達は、普段はお互いに朝鮮語(韓国語)で話しているようです。吉林省の朝鮮族の人たちは、言葉がそのまま通じるので韓国に仕事に行く人が多いそうですが、彼らのように日本語を勉強して日本に仕事を求めてやってくる人もいます。私の行っている診療所の整体師さんたちは、上手に日本語を話す人が大勢います。今日は、比較的若い整体師さんが担当してくれました。指圧を受けながら、四方山話をするのも楽しみの一つです。今日は、「寒い」ことが話題になりました。彼らの故郷では、今頃零下20度近くまで下がるそうです。道路は降った雪がアイスバーンになり交通事故も増える。洗濯物は、一度外に干すと固くなってしまい、家の中で干し直すと柔らかくなる。犬は、寒い中裸足で歩いても平気な顔をしている。など、いろいろ寒さにまつわる話しをしました。零下20度にもなるところで生まれ育った彼は、東京の寒さは寒い内に入らないのかと思ったらそうではなく、東京の寒さを「骨に入る」と表現しました。故郷の寒さは、「ただ寒いだけ」だけど、東京の寒さは「骨に入る」ので、苦手だそうです。中国にいたとき風邪なんか滅多に引かないのに、東京に来たら、もう何度も風邪を引いている、ということで、温度計では測れない「寒さ」があることを知りました。「骨に入る」という表現は、体の芯まで冷え込む様子をよく現しています。台湾の事も話題になり、私が「台湾の鉄道の車内放送は、北京語(国語)、台湾語、客家語で、同じ事を3回放送する」と言ったら、「客家」があまり理解されませんでした。漢字を書いて見せたら発音はしてましたが、あまりピンと来ていない様子でした。「日本人には私たちより中国のことに詳しい人がよくいます」と言ってました。ちなみに、客家を百科事典で見ると、「太平天国の洪秀全も客家」とあります。確か、李登輝さんも客家だったと思います。
2006年01月07日
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明けましておめでとうございます みなさん、良いお年をお迎えのことと思います。昨年は台湾へ4回行くことが出来ました。一昨年は一度も行けなかったので、とてもラッキーでした。写真は苗栗の山間にある宿泊施設です。旅も、スケジュールに追われて動くだけではなく、時にはこうした静かな場所で心の癒しをするのもいいものです。 昨年は一生懸命日記の更新に励んだつもりですが、結果を見るとまだまだ少ないレベルで終わりました。今年も無理の無いように自分のペースで更新していこうと思いますので、よろしくご支援をお願いします。 このたび、フォトアルバム機能を利用し、アルバムも作りましたので、騙されたと思って見てやってください。
2006年01月01日
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【11月14日(月)】 朝食後、タクシーで台中駅前にある国光客運バスのターミナルへ向かいました。比較的空いた感じで、喧噪状態ではありませんでした。これから、バスで台北車站西まで行きました。荷物もあるので、鉄道だとどうしても階段の上り下りがあり、大勢人がいるところをウロウロしたくないのが、バスにした理由です。ホテルは台北車站前の天成大飯店なので、国光客運バス降車場から、荷物を引っ張って歩いても、至近距離です。ホテルのフロントで手続きを済ませ、大きな荷物だけ預けて、繰り出しました。11時少し過ぎに小龍包の超有名店、鼎泰豊へ到着しました。鼎泰豊よりももっとおいしい店がある、という話しは聞きますが、初台湾の人もいるし、ここは団体ツアーの定番コースを選択しまいした。平日の早い時間だったためか、全く待たされずにテーブルに案内されました。料理がおいしいだけでなく、店員さんたちの動きがとても無駄が無くてきぱきしているのには、いつも感心させられます。 食後は九分(にんべん付き)行きました。晴天では無かったけど、無事海まで見えました。平日とはいえ、九分は大勢人が出ていました。 初台湾の人は故宮博物院へ行きたいと言っていましたが、台北一泊では九分と両方という訳にいかず、我慢してもらいました。途中で、楽器の胡弓を見かけたとき、「コキュウを見たからもういいよね」と、冗談を飛ばして、ごまかしてしまいました。 夕食は、そのまま天成大飯店の香港飲茶を食べました。【11月15日(火)】 朝食は天成大飯店のバイキングを堪能しました。麺がとてもおいしく、お代わりした人もいました。ホテルのグレードの割に朝食はとても種類が豊富で、おいしいのがうれしいです。朝食後、空港へ向かうまでの間、周辺を散歩しました。映画、悲情城市のモチーフにもなっている二二八事件を記念した二二八公園から、西門町の方へ歩きました。西門町からは、体験も兼ねてMRTで台北車站まで戻りました。 空港まではタクシーを使いました。タクシーの中で、天成大飯店の脇の氷屋さんで、芋団子入りのかき氷を1つ買い、タクシーの中で順番に味見をしました。 帰りの便は、14:20/18:15 台北中正国際空港/成田 中華航空CI018便でした。穏やかな気流の中、快適な空の旅で、無事に成田空港に到着しました。 今回の旅は、台湾人友人の計らいで、随分味わいのあるものになり、皆大満足に終わりました。特に台湾初めての人は、事前に思い描いていた台湾と、印象がかなり違ったようです。
2005年11月27日
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【11月13日(日)】 台湾人の友人が車で私たち4人を鹿港へ連れて行ってくれました。途中、新幹線の台中車站脇を通り、その友人は「台中車站は新幹線の駅の中で、一番りっぱできれいだ」と自慢していました。昼食は「海味珍活海鮮」で堪能しました。野菜を酢漬けしたのが入っている蛤のスープの絶妙な味付けに、一同大満足でした。龍山寺は改修中で、足場のような空中廊下が開放されていて、工事中の建物の骨組みを間近に見ることができました。通路に工事のための障害物がある工事中の現場に、案内も付けずに人を入れるサービスは、日本では考えられず、鷹揚な国民性を感じます。見方を変えれば、自己責任の原則が生きている、と言えるかも知れません。日本は、何かあると厳しく管理責任を問われますので、慎重にならざるを得ない事情があるように思います。 鹿港を歩いていると、自転車に乗ったおじさんが話しかけてきました。昭和3年生まれとのことで、日本語世代の人です。日本のテレビ番組を毎日観て日本語を忘れないようにしているとのことで、とても流ちょうに日本語で話していました。鹿港にいて、日本人と話す機会があまり無いとのことで、私たちとのしばしの会話をとても喜んでくださったようです。左の写真は、鹿港にある天后宮です。以前鹿港に行ったとき、ちょうど天后宮の祭の日で、集団で拝拝するにぎやかな場面に出会いました。その時は、爆竹が激しく鳴り響き、取り巻いて見ている台湾人も爆竹の音を怖がっている姿が見られました。台湾人は、子どもの頃から爆竹に慣れているのかと思っていたら、そうでも無かったんですね。 私たちを案内してくれた人は、小中学校の同級生と偶然出会い、しばし近況を確認し合っていました。「全然変わっていないのですぐに分かった」と言われたと、うれしそうに話していました。 夕方、文心玉市へ行きました。ここは週末のみ開かれます。案内してくれた友人の友人2人と合流して、一緒に見ました。石をあしらったブレスレット、ネックレスなどを買いました。ネックレスは、メインになる石を選ぶと、その場でビーズなどをあしらい、ネックレスに仕上げてくれます。後日私の友人にブレスレットをプレゼントしたら、とても喜んでくれました。 台湾香蕉(バナナ)新楽園へ行き、夕食を食べました。大変な人気で、入店に20分近く待たされました。50年くらい前の台湾を再現していて、私たち日本人にも懐かしいものがたくさん、見られます。 夜は、逢甲夜市へ行きました。台湾の夜市としては、上品な印象です。一緒に行った人は、アクセサリーや下着を買っていました。若い人が大勢出ていて、とてもにぎやかでした。
2005年11月25日
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平成17年11月11日(金)から15日(火)まで4泊5日の日程で、仲間4人で台湾を旅行しました。台中に3泊し、台北は1泊だけの台湾中部中心の旅となりました。特に12、13日の土日は台中の友人が車で案内してくれ、とても充実した2日間となりました。【11月11日(金)】 16:30/19:30 成田/台北中正国際空港 中華航空CI101便 台北中正国際空港/台中 飛狗バス 麗華園邸酒店泊。夕食は公益路沿いの素朴なお店、「阿三哥担仔麺」で食べました。若い人も多く、人気のある店のようで、とてもおいしく皆満足でした。【11月12日(土)】 友人が車で案内してくれました。埔里へ行き埔里酒廠を見物。偶然友人のお茶の売店を見つけました。その友人には後ほど会うことになっていたのです。日月潭の「明湖」という店で昼食を食べました。これまたとてもおいしかったです。日月潭の果物屋さんの前で、子豚が車を押していました。みんなの笑いを誘っています。盧山温泉へ行き、お茶の生産者の友人を訪問。採れたての柿を頂きました。烏龍茶の冬茶を譲ってもらいました。夕食は人文茶館無為草堂でお茶と食事をゆったりした時間の中で過ごしました。土曜日の夜なので中国楽器の生演奏もありました。夜は全身プラス足裏マッサージを受け、体をリフレッシュしました。(つづく)
2005年11月23日
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MRT淡水線の終点、淡水駅からさらに車でしばらく行ったところに、淡水老街がある。ここに、古き時代の台湾の風景を残した一角がある。淡水老街の入り口とも言える所に、廟があり像が安置され、信仰を集めている。古い町並みを歩いて行くと、坂になり、左右の民家の間に、いくつか商店もある。そんな一つに、台湾の伝統芸能、布袋戯の人形を置いてあるところがあった。「布袋戯主題館」の中に足を踏み入れると、かわいらしい指人形が沢山展示してある。ここに置いてある布袋戯の人形は、1体NT$300で、\1,000位だ。西遊記にちなんだ、三蔵法師、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の人形4体を購入した。
2005年10月04日
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台中から少し北に行ったところにある大甲媽祖。日本でも馴染んでいる線香の煙。奥では、カランカラン音を立てて物を落として、結果を見てからおみくじを引いている人が大勢いた。椅子にお年寄りの男性が腰掛けていて、ひいたおみくじを見せると、何やら解説をしてくれている。地下には、金色の像が置いてあり、大勢お参りしていた。
2005年10月01日
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9月18日は中秋の名月。台湾では中秋に家族が集まってバーベキューをするのが流行だそうです。ここ、台中港の売り場には、大勢の人が買い出しに繰り出し、大変なにぎわいでした。私たちも、ある家のバーベキューに呼ばれてご相伴にあずかりました。魚介類同様人々もとても生きが良く元気でした。魚はもちろん、エビ、カニ、貝、海草などが格安で大量に出ています。
2005年09月25日
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17年9月15日の夜便で台湾へ出発しました。中正国際空港から飛狗機場巴士に乗って、台中市台中港路廣三SOGO百貨前まで行きました。台湾時間で深夜の1時を回わってしまいました。バス停に友人が迎えに来てくれて、ホテルまで送って頂きました。左の写真は、付け替えで廃線になった旧山線の勝興駅近くのトンネルです。車で大勢の人が訪れていました。勝興の周辺は客家のお店が多く、客家料理が楽しめます。私たちは客家擂茶(すりちゃ)といういかにも体に良さそうな飲み物を頂きました。写真は、駅で記念撮影しているカップルです。
2005年09月23日
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台湾人若手作家の張家銘氏の作品が日本で何点か展示されています。左の作品は、小牧市総合公園 市民四季の森に展示してある「愛情樹」と名付けられた作品です。公園の一番大きな東駐車場から公園に入るとき左手に大きな石の作品が見られます。成田山公園で見かけた大きな石灯籠を彷彿とさせる、堂々とした大作です。張家銘氏は私たちの友人で、台湾中部の町、埔里で忙しいホテル勤務の傍らで、今でも絵画や彫刻の作品を制作し続けています。今月台湾に行ける見込みになったので、やや強行軍でしたが日帰りで作品を見に行って、写真を撮ってきました。張家銘氏によると、今回紹介したものの外、飛騨高山匠の里にも有るとのことです。今回は時間が取れず、高山までは足を伸ばせませんでした。張氏が留学していた名古屋芸術大学のある愛知県西春町に、2点張氏の作品が展示してあります。左の作品は、「黒いチューリップの香り」と名付けられたものです。西春町のホームページで地図上に作品の展示場所がプロットしてあり、助かりました。役場の駐車場に車を停めて作品を探しに歩きました。地図で見るとすぐ近くに思えましたが、結構歩きました。気付かずに通り過ぎたのかなと思い始め、誰かにお尋ねするか、一旦引き返すか、という時に、左の作品が目に飛び込んできました。しっかりとした作品だと思いました。左の作品は、やはり愛知県西春町にあります。「トルソ」という作品です。作品はいずれもきれいな状態で展示されており、大切に扱われていることが分かります。西春町の皆さんに感謝です。
2005年09月04日
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台北の新しいランドマーク、101が3月1日に本格オープンしました。89階の展望フロアへは高速エレベータで40秒くらいで着いてしまいます。料金はNT$350(約1,200円)です。上昇中何度かつばを飲み込み、耳抜きをしました。101の外観は、左写真の模型のようになっています。 高さ382mからの眺望です。左下の黄色い屋根の建物が国父記念館です。右隅の高い建物の手前が市庁舎になります。 直径5.5m、重さ660トンの風よけダンパーが太いロープでつり下げてあります。大きさは世界一だそうです。一緒に行った人の中には、下に降りたとき、ほっとしている人もいました。高層ビルの上は、地震が来たらどうしようなどと考え、怖いと感じる人も少なくないようです。
2005年04月10日
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2月19日(土)から22日(火)まで3泊4日の日程で、久しぶりに台湾へ行きました。今回も職場の同僚5人と行きました。本当は6人だったのですが、1人は直前にインフルエンザに罹り、涙をのんで参加を断念しました。今回は、その日の内に花蓮へ飛び、初日は花蓮で1泊しました。左の写真は、花蓮からバスで行ける、タロコ渓谷です。渓谷に道路やトンネルを通す難工事で、工事関係者に大勢犠牲者がでて、その人達を祭ってある祠だそうです。険しい崖の中腹に造られていました。 タロコ渓谷には、花蓮駅前に営業所がある花蓮客運の観光バス(1人NT$1,000)に乗って行きました。観光バスは要所要所で降りて歩けるので、大理石で出来た渓谷美をゆっくり堪能することが出来ます。ツアーは昼食付きで、天祥の天祥晶華渡假酒店の昼食ビュッフェを食べました。確かNT$400位したと思いますので、かなりお得なツアーと言えます。 昼食後天祥バス停のすぐ裏にある祥徳寺へ行きました。ただひたすら階段を上るきつい参拝です。やっとの思いで上に出たら、こんなにきれいな仏像が迎えてくれました。 20日(日)に花蓮から台北に自強号で戻る計画でしたが、前日に花蓮車站へ寄って買おうと思ったら、20日の分は完売でした。21日の切符も早い時間帯のは完売状態でした。台北から花蓮には松山空港から国内線で飛んで行ったので、帰りは特急列車でと思っていたのですが、結局国内線で松山空港に戻りました。 台北で世界一の超高層ビル"101"へ行ったのですが、月曜日はエレベータの運行が無く、上には上がれませんでした。まだ試験運転中とかで、本格稼働は3月中旬のようです。 今回の台湾旅行は、寒い日が続き、雨も多く天候には恵まれませんでしたが、いろいろな人との出会いがあり、おいしい食事と楽しいおしゃべりが満喫でき、思いで多い旅となりました。お世話になった皆さん、ありがとうございました。
2005年02月27日
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