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ラッパの先輩が、帰り道に文教堂でシゴフミの1,2巻を発見。自分に連絡済みだったので、代わりに買っていただいたのです。んで、今日の日記はその後の、つまり僕の方の話です。3巻を求めて、本屋に問い合わせの嵐。某本屋の話。自分「探して頂きたい本があるのですが・・・」店員「何という題名の本でしょうか?」自分「電撃文庫の『シゴフミ』という本です。」店員「電撃文庫の『ジゴフミ』ですね?」自分「いえ、『シゴフミ』です。」店員「えー、『ジゴフミ』でよろしいでしょうか?」自分「いえ、『シ』です、『シゴフミ』です。 」店員「失礼致しました。『ジゴフミ』ですね?」~これを5度くらい繰り返す~自分「サシスセソのシです。『シゴフミ』です。」店員「『ジゴフミ』でしょうか?」自分「濁点はいりません・・・」店員「大変失礼致しましたっ。『シゴフミ』ですね。」大丈夫か?www ともあれ、その本屋にあったので、よかった。3月に、2回計7日間東京まで行くことになった。
2008年01月30日
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学校帰り、通り道に唯一つのコンビニ寄った。商品がスーパー並みに安かった上、閑散としていた。店を出てドアに振り返ると「閉店のお知らせ」の貼り紙。なんとなく寂しい気もするけど、それより、アマゾンの支払いはどこでしようか・・・。今日の学校、やけに頭に来た。いつもか。自分のことを棚に上げて、言いがかりとほぼ同様の要求を続けるのは、大変人間として汚いと思うのです。空気を読むとか話を読むとか、そんな能力以前に常識を知りましょうというか、あまりにもアンモラルで、愚劣かつ随分な連中だ。そんな浅薄さで人間を測ろうというのならば・・・。今日は、その場しのぎで机に伏せて耐えてましたが、いつまでこんな日常を送らねばならないのか。ただ、今日はたったひとつ、いいことがありました。自分としては、それでチャラです。こんな日が、またやってくればいいのです。
2008年01月29日
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昨夜(26日夜)の山響は大変面白かった。まさか飯森さんがシャフナーホルンを吹くとは・・・。しかも、その後の「打楽器のうちわ」や「俗称『線路』」「ピストル発砲」と、なかなか面白いプログラムだった。ちなみに解説すると、シャフナー・ホルン → 観光列車打楽器のうちわ → ピツィカート・ポルカ俗称『線路』 → 鍛冶屋のポルカピストル発砲 → ポルカ「狩」鍛冶屋のポルカに至っては、山響の演奏で聴くのは小学生から数えて3回目。もうすっかり馴染んでしまった。とはいえ、ポルカやワルツはこうでもしないと聴かない曲。まして定期で取り上げられることも無く、最初は敬遠していたが、改めて聴くと実に簡素で、楽しい曲。これを何百曲と、しかも毎夜のように書くシュトラウス家には、脱帽。後半は知らぬ人はいないであろう「新世界より」演奏はともかく、この曲はあまり好きなほうではない。というのは、ドヴォルザークだったら6,7,8番が好きだからだ。特に6番と8番が好きだ。んで、今日。部屋の片付けを始めた。近々部屋に旧式だが電子ピアノを置く。これからは、ある程度作曲に力をいれていきたい。本屋に行ったらNAXOSのCDが大量に置かれていた。勢いで黛敏郎と矢代秋雄を買ってしまった。黛は曼荼羅交響曲と舞楽。矢代はピアノ協奏曲と交響曲。黛の舞楽は好きな曲。ただ曼荼羅交響曲よりは、どっちかというと兄弟作品の涅槃交響曲のほうが好きだ。矢代秋雄の作品は、よく知らない。とはいえ、日本現代音楽界の名作曲家であったところとかで、前々から知ろうとはしていたが、なかなか行動できずにいた。だから、勢いででも買ってしまおうと思った。ピアノ協奏曲は、なかなかの名作。もっと演奏されるべきだ。完成度も、邦人作品でトップクラスを誇っている。交響曲は前者とは違い、好きになれなかった。邦人三大交響曲といえば、矢代秋雄の交響曲と、松村禎三の交響曲第1番、黛敏郎の涅槃交響曲と吉松さんは語ったが、それは事実である。しかし3人は、作風も環境も何もかも違う。アカデミズムの矢代秋雄、前衛的な黛敏郎、そして独創的な松村禎三。個人的には黛と松村が好きだ。最も衝撃を受け、しかも存命中に聴けたのは、松村禎三である。結局、昨年8月に亡くなってしまったけれど。しかも、その4ヶ月前にお目にかかれたかもしれなかった・・・。仕方の無いこと。
2008年01月27日
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今日は月曜日。つまり部活もソルフェージュも無い唯一の平日。けれど、今日はレッスン・・・のはずでした。練習室で音だししてれば来るだろうと思ってたら、なかなか来ない。15分過ぎても来ないから研究室に行ってみたけど、いない。んで、30分過ぎても来ないもんで、電話したら、芳樹「今日レッスンなんですけどー・・・」先生「あれ?○○(先輩)に明日に延期ってメールしたけど・・・」・・・という結末。直ぐにでも帰れたのですが、2人分2時間練習できるようになってたので、1時間だけ練習してきました。とはいえ、ハードめの練習ができたので、有意義でした。今日は学校で、センター問題解きをしましたが、数学なんて、僕らの科では全く重視していなかったので、ジグザグにマークしてきたのです。自己採点で、6点。
2008年01月21日
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今日は、講師で来てくださっている先生、つまり山響の先生方による演奏会の裏方、舞台作りに参加。そのため、日曜なのに久々に8時に起きた。ホルン、オーボエ、ピアノという大変珍しい編成での演奏会。話によれば、ライネッケのトリオくらいしか曲がないそうで。内容は、大変素晴らしい。流石プロですね。朝、舞台作りに、会場である近所の議場に行ったら、自分の学校の先輩だけでなく、ラッパの先輩、さらにはラッパの師匠まで・・・。妙な集いでした。そして、終演後も山響の先生方がぞろぞろと・・・。大変妙な集いでした。終了後、出演者に打ち上げに誘われましたが、断ってきました。どうも、打ち上げとかに慣れていないというか、好きじゃないというか・・・。ともかく、そんな一日でした。
2008年01月20日
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ラッパの伴奏を頼んでた人が、ベートーヴェンを、ベートーヴェンのソナタOp.10(!)を無理に弾きこんだらしく、腱鞘炎になったとか・・・。ついでに言えば、コンコーネの伴奏も頼んでいる。何より、ピアノのレッスン室割り当てが一緒なものだから、火の玉のように練習してたのを見てたからか、不思議とこっちまで無念になってくるのです。まあ、再起不能ってわけでもないので、回復すればいいんですけど。そうでないと、僕の伴奏が・・・。そういえば、明らかにおかしいことに気がついた。N響の東北ツアーのプログラムが、何故山形だけ古典派にまとめられたのか。会津若松~仙台~盛岡~秋田はオール・チャイコフスキープログラム。青森でもチャイコ2曲に、アルチュニアンの協奏曲。それなのに、何故山形ばかりがモーツァルト2曲にベト7なのか。明らかにおかしい。というか、不満に思う。・・・山形は、何故こんなに文化水準が上がらないのか。僕は、多分行かない。金も無いし、そこまで聞きたい曲でもないし・・・。
2008年01月18日
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自分の中で、空前の雅楽ブームが起きている。雅楽の時限を卓越した美しさに、心奪われてしまった。徳川幕府が再編するまで、100年ほどの断絶があったものの、それでも平安時代から現代まで、確実に継承され続けている。それは、1000年近くもの時間を超越し、現代まで生きていることであり、西洋音楽では到底不可能とも思える領域を持っている。そして、現代雅楽までも作り出してしまった。その未知数ときたら、どんな音楽も敵わない。雅楽の可能性に、感動した。特に惚れている楽器がある。笙だ。越天楽のあの光のような和音。西洋音楽的に解釈すれば、半音や全音で何箇所もぶつかっている。それなのに、その数が増えれば増えるほど澄んでゆく。その瞬間瞬間の和音が、最も繊細で美しい。ともかく、西洋とは決して融合し得ない神秘に酔っている。和と洋の融合なんて、到底不可能であることを再認識した。
2008年01月15日
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ある時代を境に、音楽界は急激なグローバリズムの波を迎えた。それによって、各国の音楽、楽器は国際化の波によって浸食されていった。つまりは、多くの楽器たちが姿を消した要因へとつながっていくのである。例えば、ウィーン・フィルのフルート。それまでは20世紀までは、黒檀のフルートを全員が使用していた。しかしマーラーが指揮者になると、全てベーム式へと改めてしまったのだ。それどころかウィーン・フィル伝統のヴィブラートを使わない奏法も変化してしまった。それはフルートに限ったことではない。オーボエもであった。「フランス式がウィーンの音を出すことは不可能だが、その逆は容易だ」と、言われるほどの銘機だったウィンナ・オーボエ。そのウィンナ・オーボエも名人芸とは正反対に、廃れていった。しかしその一方で、今でも生き続けている楽器もある。金管セクションだ。ウィンナ・ホルン、ウィーンタイプのトランペット、トロンボーンのウィーンモデル、そして打楽器、工夫し尽されたティンパニ。(※ちなみに、トロンボーンのウィーンモデルとは、YAMAHAが製作したものだ)そして、それらの楽器は伝統的な楽器として、今となっては世界中に愛されている。ちなみに、ウィーン・フィルのクラリネットも生きている。ただ、それらの楽器の演奏は段違いに難しい楽器であるため、演奏者は少ない。そして、音楽にもその流れは戻ってきた。20世紀初頭の民族音楽、東洋音楽ブーム。そして東欧作曲家の台頭。その流派の多くの作曲家は、希少な音楽や自国の音楽を守った。しかし、21世紀。場所は、日本。どうだろう。クラシックの台頭により伝統音楽の命が脅かされている。例えば、雅楽や民族楽器は守る存在が多くいるから、いずれ生き延びるであろう。しかし、そうでない土俗的、民俗的音楽は保護されることがない。それどころか、日本では土俗的音楽を蔑視する傾向が強い。しかし、一方で民族主義的な作曲家もいる。その一人がゴジラの音楽で有名な、伊福部昭大先生だ。もちろん、自分の師匠ではないが、日本の現代音楽を創った存在であるから大先生と呼んでしまった。ともかく、管弦楽法的にも、独自性でも、音楽性でも、日本作曲界の大家だ。伊福部さんの敬愛する作曲家といえば、ラヴェルである。学生時代、ある邸宅で催されたレコード鑑賞会に伊福部さんは行った。伊福部さんはメインプログラムのベートーヴェンの「春」を楽しみにしていったのだが、その直前にはラヴェルの「ボレロ」が予定されていた。当時は初演から間もなかったため、レコードもモノラルSP、伊福部さんも最初は良く思わなかった。しかし、ボレロの持つ執拗なオスティナート(同じ音形の反復)に圧倒され、ベートーヴェンを聞かずして帰ってしまったという。その体験こそが伊福部さんの音楽語法や管弦楽法を決定づけることになった。伊福部さんの音楽的特徴はその当時にすれば独特で、その特徴としてシンプルなモチーフの反復、民族的旋法の使用、リズムやオスティナートの重視が挙げられる。またソナタ形式や三和音の否定にも特徴が見られている。個人的に好きな作品が2つある。動画を発見したのでリンクを貼っておく。シンフォニア・タプカーラ 第3楽章交響譚詩 第1譚詩日本人にとって雅楽などは、実は親しみは薄く、血が騒ぐというものには程遠いのではないだろうか。しかし、シンフォニア・タプカーラを聴いてほしい。民族的、土俗的なものこそが、人間を血を作るということを知れるだろう。ちなみに、ゴジラの音楽では当時、世界的にもあまり有名でなかった前衛的な奏法を駆使したりもした。さりげなく、現代的な作品である。そしてあの有名なフレーズ、実はラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」の第3楽章の第2主題の引用なのだ!こちらも動画を貼っておこう。SF交響シンフォニー(伊福部昭)ピアノ協奏曲(ラヴェル)また、蛇足だが、伊福部さんの弟子には昨年の夏に亡くなられた松村禎三や、芥川龍之介の三男として有名な芥川也寸志がいる。残念ながら、伊福部さんも一昨年に亡くなられている。話は大幅に逸れてしまったが、世界全体が音楽をひとつしようとしている。「音楽に国境はない」ともいわれる。しかし、日本人がベートーヴェンを完全に理解することが困難であるように、また、ドイツ人が雅楽を演奏することができないように、音楽には国境や言葉が確実に存在している。しかし、それは卑下したり諦めてしまうことではない。むしろ、それぞれの民族性や言葉でしかできないことをすればいいだけなのだ。だから、音楽にとって国境とは、最大の文化なのだ。そんななか、外(クラシック)ばかりを追求し、内(日本文化)に見向きもしないようでは、日本人という個性は育たないのではないか?それでは単なる模倣にしかならない。しかも、なりきらない。今こそ、日本の文化や民族色を再評価しなければならない。
2008年01月12日
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どっかの高校の演奏会に行ってきた。ちなみに、バスに3回逃げられて結局歩いていったぞw自宅前のバス停で1回、ラッパの先生の家の前のバス停で2回。30分もかからなかったから、結局100円得したことになる。演奏はそんなに悪くなかったと思う。ただ、あのホールではもう少しアタックを固くすればよかったのかな?アンサンブルは・・・。良くなかった。音楽的な動きが見えてこないかな?フルートのやつは低音のピッチも悪かったし・・・。ただ、ここまでの全体評としては、けっこう良かったと思う。ゲストは、かの有名かつ偉大なる中川英二郎さん!!やられました。負けました。流石です。そして、中川さんのくまんばちを聴けた。生で聴いたのは2回目かな?でも、やっぱり吹奏楽は好きになれないのです。
2008年01月12日
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日本における最も悪い風潮のひとつとして「ドイツの音楽は素晴らしい」「ウィーンの音楽こそ、本物の音楽」的なドイツ・オーストリア崇拝があることだと思う。また音楽教育の多くも「ドイツは音楽史上の重要な位置を占めている」と教えるが、実際はイタリアオペラに大きく遅れをとった上、「ドイツ語でオペラは書けない」とまで言われたほどだった。(モーツァルトはこれに強く反発した。)また、イタリア歌曲古さと重要さを考えれば、実はイタリアの音楽も重要な位置にあって、ドイツ・ウィーンが全てとは言えないのである。しかし、ドイツの作曲家を見てみると、個人的にだが実に豪華なのだ。バロックはバッハ、ヘンデル、テレマン。古典~ロマン派はベートーヴェン、ウェーバー、メンデルスゾーン、ブラームス、シューマン。上述の作曲家は、多く日本の教科書に採用されているのではないだろうか?また採用されていないにせよ、特に有名ではないか。運命や田園、第九はベートーヴェン。また他の作曲家も順に「魔弾の射手」や「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」そして最後の二人は各種ピアノ曲と各種合唱曲、そして4曲の交響曲。他にも有名な作曲家はざらにいる。ワーグナー、フンパーティンク、ブルッフ。そう考えると、悪い風潮というよりは、たまたま多く取り上げられていることが原因ではないだろうか。それだとしても、やっぱりドイツの音楽には特徴もあれば文化もある。だから、否定するには至らず、むしろ文化形成のほうが大きかったが故にこうなったのではないかと思う。もちろん、ドイツの作曲家はとんでもない天才や大家ばかりだ。それで、だ。自分にとってとても印象的なのは近現代におけるドイツの作曲家だ。リヒャルト・シュトラウス、パウル・ヒンデミット、カール・オルフ、カールハインツ・シュトックハウゼン、そしてハンス・ヴェルナー・ヘンツェ。R.シュトラウスは「ドン・ファン」や「英雄の生涯」を始めとした管弦楽法の大家。ヒンデミットは音楽界が無調へと流れるなか、調性を使い続けた作曲家で、管楽器奏者や金管楽器奏者、ヴィオラ奏者なら馴染みの深い作曲家だ。シュトックハウゼンとヘンツェは馴染み無いだろうが、有名人である。さて、これらの作曲家の中で特別好きな作曲家がいる。それがカール・オルフだ。特に有名な作品とえば「カルミナ・ブラーナ」で、テレビでよく耳にしているだろう。この作品の、非常に人間的で、大地のリズムと呼んでもいいエネルギッシュな躍動に感銘を受けた。和音はあまりにもシンプルである。だからこそ、強烈なのだ。残念ながら、オルフの他の作品や教育者としての一面を、私は知らない。しかし、このカルミナ・ブラーナの衝撃は計り知れない。当時小学生だった自分が、初めてN響アワーを見たときに、取り上げていたのだ。その後家にあったCDを見つけ、完全に虜になったことをよく覚えている。よく三大Bを「これぞドイツ」という人がいる。実際そうである。それは決して悪いことではなく、いいことでもある。しかし、オルフはドイツらしくないのだ。国籍はおろか、時代やジャンルを感じさせないもので、古いからこそ新しい音楽で、ずっと生き続けるであろう。その原始的な鼓動と共に。
2008年01月11日
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ずーっと前から、気になっている作曲家がいる。そんなにビッグネームではないし、どこかの音大で教えているわけではないけど、その方の曲に、未だかつてなく素直な感動を覚えたわけだ。自分は作曲家になる、と進路決定したわけではないが、ラッパでもない、教師でもない、講師でもない。そんな目標群のひとつに確実に作曲家があるわけで、いつかは誰かに師事したいと思っていたわけだ。(今でもか。)んで、その前述の方の音の扱い方、素直な音楽性に感銘を受けた。前から、できるものなら師事したいとも思っていた。その方、もしかして山形に住んでる・・・?その方のブログが、「山形県」になってる・・・。もちろん、現実的に行動するのはまだまだ早いからしないけど、いつかは・・・。
2008年01月08日
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ええ、試験は散々でした。いつものこと。学校が終わった後は本屋巡り。昨晩から、秒速5センチメートルの小説を買おうと決めていたのです。しかし、一軒目は無し。二軒目も無し。ようやく三軒目まできて、見つけました。家で読むと絶対集中できないので、学校で読むことにする。昨日から、突如自分に秒速~のブームが到来。今更だけど。なんというか、聖地巡り(=観光地巡り)がしたくなるのです。小田急豪徳寺駅、JR小山駅、JR岩舟駅・・・。小田急小田原線、JR埼京線、JR宇都宮線、JR両毛線・・・。そして、種子島w確かに自分はある種の電車好きですが、それ以上に第2話の種子島が特別印象的です。あー、原付で通学したい、とか。無理か。そんな今日この頃。
2008年01月07日
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今日はgdgdで終了。午前中はアニメ鑑賞(≠観賞)で過ぎる。午後からは隣人とgdgdで終了。ニコニコを観てるうちにどうしてもネタが欲しくなった。くそ真面目に議論を重ねるうちにやっぱりネタが欲しくなった。結論から言えば、投稿できないほどの失敗になった。うまい棒10種を買出しにいく。↓粉状にして練る↓揚げる↓orz題して「うまい棒でうまい棒をつくる」無理でしたね、はい。そういえば冬休み最終日だった。課題は開いてすらいない。
2008年01月06日
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昼まで専らアニメ鑑賞。キミキスビッグローブで無料視聴やってたので、その続き。まあ、それなりに楽しんではみた。以下新アニメロザリオとバンパイアまあ、そんなに悪くなさそうなアニメなので、続けてみる。H2Oもしかしたら名作になるかもしれないアニメ。設定が設定だけに、何かとシリアスなのかな?・・・と思ったら第1話ED直前で開眼覚醒wwwまずい、黒歴史か?w 原作(エロゲ)無視か?wとりあえず、続ける。しかしH2OはテラAIRwwwwww
2008年01月04日
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不定期ではあるが、これから作曲家に関する記事を書いていこうと思う。ということで、今回が初回。-------------------------------------古典派の三大作曲家をご存知だろうか?この3人とは非常に有名で、名前くらいなら聴いたことある方も多いのではないだろうか。「びっくり交響曲」で有名な交響曲の父ハイドン、一昨年に生誕250年を迎えた「神に愛された」モーツァルト、そして「運命」や「第九」で日本中で知らぬ人はいない楽聖ベートーヴェン。この3人こそが、古典派三大作曲家なのである。もちろん、彼らの他にも古典派の作曲家はいる。しかしとてもマイナーで、フンメルやシュターミッツ、プレイエルなどがいる。正直、それぞれ専門の楽器の者くらいしか知らないだろう。(ちなみにフンメルはトランペット、シュターミッツはクラリネット、プレイエルはピアノ)そんな古典派の作曲家を全体的に見て、例の3人が群を抜いて活躍していたというのも「三大」の名を冠するだけに相応しい理由である。というか、そうなのだ。しかしこの3人、一見無関係そうにも見えるが、そんなことは決して無いのだ。まず、ハイドンとモーツァルトは非常に親しかった。謂わば「仲のよいライバル関係」である。実際、モーツァルトには「ハイドンセット」と纏められる弦楽四重奏曲がある。また、ハイドンもハイドンで、モーツァルトの作品に感銘を受け、モーツァルトの得意分野である協奏曲やオペラの作曲をやめてしまった(!)・・・と、ここで話を切らねばきりがつかないほどの関係であった。一方のハイドンとベートーヴェンの関係もあったのだ。しこちらは前述のようなものではなく、師弟関係にあったのだ。しかし、ベートーヴェンは乱筆で有名で・・・。・・・要は、弟子として手伝いにはなかなか使えなかったのだ。ちなみに、モーツァルトとベートーヴェンには「幻の師弟関係」が存在している。というのも、ベートーヴェンはモーツァルトを尊敬していて、弟子入りを申し入れたほどであった。が、その矢先、母が死去。家族の世話のために弟子入りを断念。その後、ハイドンに弟子入りするころにはモーツァルトは既に故人。さて、解説はここらへんにしておく。本題である。自分はこの3人で誰が好きか。正直に言うと、ハイドンである。嘘をついてもハイドンである。それはモーツァルトと親しかったからとか、ベートーヴェンの師匠だったからとか、そんな理由ではない。親しみやすい作風、わかりやすい形式、そして作品の多さ・・・。というイメージが強い。しかし、ハイドンの音楽とは、トリックに満ちている。例えば6や8などの標準的な割り切れる小節数で曲が進むのではなく、7や11などややひっかかる感じのある小節数で展開していく。また実は独創的な作風。それがどうしたのか。彼の職業は楽長、つまり宮廷作曲家。聴かせる相手は貴族。演奏会はおおむね夜。つまりディナーの後。ということは、酔っ払い相手の演奏会になってしまっていたのだ。そんな演奏会は居眠り続出!作曲家にとって、また演奏者にとってとても嫌なことであり、まして自分の新作の発表となると・・・。「びっくり交響曲」「ひっかかる感じ」「独創的」・・・気づいただろうか。実はこれら、居眠りさせまいとの工夫なのだ。指揮者の故・岩城宏之氏がこれらの特徴を持つハイドンの交響曲を「絶対に暗譜では振れない」「難しい」と語っていたように、実はトリックだらけの作曲家だったのだ。また、ラッパ吹きにとっては忘れることのできない「トランペット協奏曲 変ホ長調」の存在もある。また交響曲の地位を確かなものにし、弦楽四重奏を確立させた。自分にとってハイドンとはやはり、バッハ並みの偉大なる「パパ」なのだ。蛇足だが、ハイドンの作曲の弟子はベートーヴェンである。ベートーヴェンの弟子にはツェルニーがいる。そしてツェルニーのピアノの弟子には魔術師リストがいて、リストの娘にはコジマがいる。そしてコジマの後の夫となるのはワーグナーであり、その愛の功績こそ、僕の大好きな曲「ジークフリート牧歌」である。実は、とんでもないつながりがあったりして・・・。
2008年01月03日
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今日は突然の仙台遠征。車でひょーっと行ける距離と運転手(父親)がいたおかげ。まず、名取のイオンモールへ。山形にスタバというものが無いせいか、僕が興味を示したと見て、一服。感想:普通のコーヒーがマック並みに不味い。あれは酷いと思った。何か混ぜてあるやつだったら普通に美味しいのだけど・・・。その後、空港鉄道組と車組(私)に分かれて行動。仙台駅前で合流の後、利久で牛タンを頂く。あんなに旨い牛タンは初めて食べた。それにしても、店の方の対応やらサービスやら言葉遣いやらが大変よろしくて、単なる「食べ物屋」の感覚してないから、いいなーと思った。その後はヤマハへ。ドビュッシーの交響組曲「春」の2台4手版の楽譜が半額の1200円になってたから即購入。この楽譜があるとは微塵も思っていなかった。ドビュッシーのローマ留学時の作品。数年前に山響で聴いた曲。今必死で仏→和訳してるところ。そんな感じで帰宅。二度目だが、ふらっと仙台に行くような家庭でよかった・・・のか?
2008年01月03日
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今年、僕は乱気です。ということで、初日くらいはおとなしくしようと思ったのですが、初詣やら親戚の家回りをしなければならず、そのついでに遠出もしようという話になりました。さて出発という瞬間、父親がギックリ腰(再発)になる。結局親戚の家回りもかなりゆっくりやりました。家に帰ってきたらカヴィラのCDが届いていた。感想。まず、カール・ライスターが人間離れしているのは言うまでもないが、西村朗のセンスに脱帽。雲ともオーロラとも形容し難いあの音の層は、絶品。オーケストラの人間的な(仏教的な意味で)音たちを救済するかのように説く、クラリネットのカヴィラ。微分音やポルタメントを含んだ民族的な旋律は、仏陀の言葉なのか。それとも無そのものなのか。ともかく、「起承転結」などとあまりにも合理的な展開では計り知れない、無限の宗教的宇宙を感じた。感動した。
2008年01月01日
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新年明けましておめでとう御座います。旧年は皆様の御愛顧により、大変快適にブログ管理を進められたこと、誠に感謝申し上げます。また、今年も宜しく御願い致します。さて、ごく個人的な内容を申し上げさせて頂きます。----------------------------------------------えーっと。所謂「新年の抱負」というものを。まず、生活面。夜早く寝るとか、実現不可能なことは言わず、まずは確実に起きれるようになりたいものです。しかしそれより何よりすべきことも多々あります。とりあえず「『できることをする』ということを念頭に置く」ということです。次に音楽面。ラッパやピアノ、歌の目標とは順次進行するものですから、限定はしません。ただ作曲は、いい加減学校に提出できるものを年内に3曲。これは実現したいものです。最後に個人的な話。今年、私、天王星人(-)ということで、乱気です。人間関係に様々あると読み取れます。ですので、忌々しい人間関係ですが、気を配れるようにしたいです。愛するとか労わるとか、それはその先についてくるものでしょう。ちなみに笑われそうな話ですが、冗談ではない話を。今年は、是非お友達を作りたいです。彼氏でも構いません、男の愛人でも構いません。仲のよい男性、男、おとこのこを是非作りたいのです。管理人 芳樹
2008年01月01日
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