不倫日記

不倫日記

2008.05.15
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 けど、それも一年の終わりくらいまでかな。
 どういうシステムかはわからへんけど、お父ちゃんが帰ってくることになった。完治したってことなんかな。
 せやけど、帰ってきてものの一ヵ月もたたんうちに、酒を飲むようになった。タバコも吸うし、痰も吐くし、足も悪い。
 結局、何にも変われへんまま、暇やから生活保護の金でパチンコに行く。金が無くなったら、俺のバイトの金をせびる。
 もう、あかん。
 そう思うたね。その頃は身体も大きくなって、喧嘩したら俺のほうが力強かった。お父ちゃんに親子の愛情も何もない。
 いつも喧嘩ばかりして、冷たい、ただの同居人やった。
 もう、家を出て行くっちゅうたら、何度も向こうから謝ってきた。よほど、俺に出て行かれたくないんやろ、一人ぼっちになってしまうからな。
(ほんなら酒やめえや)

 そこの自動販売機で、ポケットウィスキーやワンカップを買うんや。
 飲んで、瓶は家に持って込んで処分する。けど、臭いとか態度でわかるわな。酒飲んでることくらい。
 高校二年の冬のことやった。
 十一月くらいかな。
 もう、家出たくてどうしようもなかった時、夜寝てたら、急に左足の甲が痛くなって、起き上がって布団から出て、爪を切るときみたいな格好になってみたんや。
 目玉焼きのような火傷の痕にうっすらと顔みたいなんが浮かんでた。
 俺は驚いたよ。それをしばらく見つめてて、お父ちゃんの足に薬を塗ってた時に聞いた言葉を思い出した。
(お前の左足の甲の火傷。
 そいつが俺にしゃべりかけたんや。ほんでどうしたらええか教えてくれたわ。せやから今、お父ちゃんとお前はここで一緒に暮らせてるんやで)
 その時はなんとも思わんかったけど、そういえば西成におるとき、何か友達見たいなんがおったような気がしてた。
 それは姿も形も思い出されへんし、名前もわからんかった。男か女かもわからへん。

 一人ぼっちにされてるとき、よく話してくれたような気がする。
 いろんな事も教えてくれた。
 たまに外に出されて、新世界や動物園に遊びに行ったとき、お父ちゃんからはぐれて道がわからんようになったときも、何でかうまく帰れた。
 しかも、お父ちゃんの場所やなくて、西成のドヤまで、勝手に帰ってた。
 お父ちゃんは怒るより、俺のことを天才やと思ってたみたいや。

 その友達は横にもおらんし、上にもおらん。
 そうや、そん時に初めて気づいた。
 こうやって、爪を切るような格好で、いつも足の甲に喋りかけてたんや。何を喋ったかは忘れたけど、この格好で会話をしてた記憶が甦ってきた。
 ってことはこの火傷は俺の兄弟?
 兄ちゃんか姉ちゃんかはわからんけど、俺が生まれる前、お父ちゃんがお母ちゃんを階段から突き落として流産させたって聞いた。
 足の甲の痛みは、少し落ち着いてきて、そいつは口を開いた。
 ふすまを隔てた向こうにはお父ちゃんが寝てる。その向こうには窓があって、窓の外は大きな国道や。南に行ったら長居公園や大和川があって、松原市に行く。
 俺のいる側の部屋にも窓があるけど、その向こうは住宅街の屋根しかない。まだまだ平屋の多い時代やった。
 お父ちゃんの部屋側からは、車の走る音が聞こえてた。たまに暴走族が通ったら無茶苦茶うるさかった。
 襖閉めてても関係あらへん。
 その時は夜中やったけど、時折、トラックのような爆音が通り過ぎとった。
 火傷のゆうた事は今でもはっきりと覚えてる。
(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)
 警察に捕まったら自由もくそもないやん。言葉を出したんか心の中でゆうたんかようわからんかった。そしたら、(直接、手を下さんかったらええんや)
 そう言って、にやって笑ったように見えた。
 その後は何も話さんかったような気がする。いつの間にか寝てたんや。
 記憶はその一瞬、喋ったことと、夜明け過ぎのぼんやりと明るくなった頃、耳をつんざく車の急ブレーキの音に繋がってた。
 急ブレーキと何かにぶつかる音。
(交通事故や)って思って起きた。
 しかも音の大きさからゆうて、家のすぐ前の横断歩道くらいや。悲惨な状態を見るのも嫌やったから、ゆっくりとしとった。
 ざわめきも聞こえた。
 見てみようかな。
 そう思って立って襖を開けたんや。寝てるはずのお父ちゃんはおらんかった。
 見に行ったんかな?そう思って、部屋を横切って台所の窓に近づいた。
 窓を開けたら冷たい風が入ってきて、横断歩道の所には人だかり。
 車が斜めになってて、自転車が倒れてた。よっぽど時間が早いのか、他に車は走ってなかった。
 その自転車に見覚えがある……
 人だかりが車と自転車を囲んでてどうなってるんか、うまく見えへんかった。
 その中の一人によくしてくれる近所のおっちゃんがおった。
 おっちゃんは窓からぼーっと見てる俺に気づいて叫んだよ。
(おい! お前の父ちゃんや! 父ちゃんが轢かれたぞ!)
 人だかりの視線がこっちに集中した。
 俺は慌てて、階段を下りて、駆け寄る。
(死んでたらええのに)
 何でか、心の中ではそう思ってた。
 近づいていったら、頭から血を流して倒れてるお父ちゃんがおった。
 運転してた気弱そうなおっちゃんは必死に(赤信号で飛び出して来たんや)って言い訳してた。
 それもありうると俺は思ってた。
 多分、酒を買いに出たんやろ。大阪の人間には信号なんてあってないもんや。車が止まってくれると思うとる。
 誰かが持ってきた毛布にお父ちゃんは包まってた。
 まだ死んではなかったろうけど、俺には汚らしい物体に見えてしまった。触ることもでけへんまま、いつの間にか救急車が来て、お父ちゃんも俺も乗せられてた。
 救急車に乗りながら、俺は心の中で言葉を噛み締めてた。
(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)
 一方で冷静に現実を直視する自分がおった。
 これからどうなるんやろ。いっそのこと死んだらええのに。
 そしてまた。
(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)
 言葉が響いた。
(お父ちゃんなんか殺してしまえ。そしたらお前は自由や)
 大きな病院にたどり着くまで、俺の頭の中でぐるぐる言葉が回ってた。
結局、頭から血は流してたけど、命に別状はなかったみたいや。警察の判断も、何でかしらんけど、赤信号やの横断歩道を渡ってきたという見解になった。周りはもしかしたらお金ほしくてぶつかってきたんやないかという意見もあった。
せやけど、死んでしもうたらどうしようもない。
 死んだら、お金はもらえたかもしらんけど、生き延びてしまったから、どこからか出てきた入院費だけですんだ。
 介護の人をつけるわけにもいかず、冬休み中はよかったけど、毎日、看病のために病院へ通ってた。
 仕方なく学校を休んでたけど、二週間くらい休んでたら、もう友達にも会うのがわずらわしくなって、学校に行きたくなくなったんや。
 病院に行ったら、糞尿の世話もせんとあかん。
 吐きそうになるのをこらえながらがんばってたけど、たいして好きでもないお父ちゃんのために、なんでここまでせんとあかんのやろうって思ってた。
 ずっと傍にいるふりをして、病院の近所のゲームセンターとか本屋とかで遊んでた。気が付いたら、勉強とかするのが面倒くさくなって、本当は学校にも行けたんやけど、お父ちゃんの看病を理由に行かんようになった。
 お父ちゃんは最初こそ動かれへんから大人しかったけど、だんだん回復して動けるようになったら、やっぱり酒を求めてきた。
 この時は俺ももう、甘いことはせえへんかった。絶対持ってけえへんかった。
 どうやら病院にいるより、早く家に帰りたいらしく、退院させろ退院させろってうるさくなった。
 どう考えても後、二ヶ月はおらんとあかんて言われてても、家に帰りたいって暴れてた。精神状態がちょっとおかしくなってたんやろな。病院でも持て余してたみたいや。
 ある日の夜、寝てたら下の戸をどんどんと叩く音がした。





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Last updated  2008.05.15 10:38:09
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