しろねこの足跡

しろねこの足跡

墓場の安息14~16


 人数が多いので、全員が参加できるわけではない。メイン曲、サブ曲、共にそれぞれのパートでオーディションがある。シードはない。全員が毎年オーディションを受ける。クドー先輩でさえも。

 課題曲は、演奏会曲目の一節。自由曲は文字通り自由。それぞれがライバルと重ならないように調整する。でも、私はたとえ重なっても調整するつもりはなかった。カナエに墓標を立てたときから自由曲は決めていたのだ。

レクイエム。鎮魂歌。

 私は黙々と練習をした。哀しく、切ない葬送の曲。たっぷりとしたヴィヴラートをかけて情感を高める。
「トモ、レクイエムが自由曲なのか?」
 不意に、モトノ君が声をかけてきた。
「そうだけど・・・。多分フルートでは私だけだと思うけど。」

 一瞬の沈黙。
「カナエが、さっき自由曲をツィゴイネルワイゼンからレクイエムに変えたって訊いたから。」

 息が吸えない、と思った。
 喘息のときの肺の詰まり方に似ている、と思った。膿のような痰が出る、ゼロゼロとした肺の音。昔、医者で背中に聴診器を当てられて、大きく息をすってごらんと、言われても吸えなくてヒョコヒョコとお辞儀みたいに上半身を動かしていた時のよう。

 一番効果的な方法で、カナエは私を傷つける。よく知っている。どんなことをすると私を一番傷つけることができるのか。そういう意味では、カナエは私の近くにいただけのことはあった。私のことをクラスの女子よりも知っていた。

 優越感を得ることに貪欲なのかもしれない。カナエにとって、私は優越感を得るための道具なのかもしれない。そこまでして自分の優位を感じたいなんて、きっとどこかにカナエにも傷を抱えているのだろう。

「どうすんの。バイオリンとフルートとはいえ、比較されるのは当然だぞ。不利になるかもしれないぞ」
「やる。変えない。」

 これだけは、譲れなかった。
 また、カナエに優越感を差し出すことになるかもしれない。3歳からバイオリンを手にしている彼女と、高校生になって初めて楽器をもった自分では違いすぎる。
 でも、逃げ出したくなかった。ここで逃げたら、もうずっとカナエの下敷きになってしまう気がしたのだ。たとえ、比較されてオーディションに落ちても。

「オーソドックスな解釈からちょっと変えたほうがいいかもしれないな。」
 突然、クドー先輩が言い出した。

「テクニカルな問題や、見せ方に関しては、トモはカナエには勝てない。それは時間の差だから埋められない。だとしたら、解釈をかえて、曲に新鮮味を持たせる方が、勝ち目があると思う。」
「今のトモのやり方は間違っていないけど、正統派すぎるな。レクイエムで哀しみを表現するのは、正しいけど正しすぎる。」
「先輩・・・、モトノ君・・・。」

 クドー先輩は、ちょっと挑戦的に笑った。
「別にオンナのつまんない争いに口出すつもりじゃないけど、時間の差を埋めてまで曲にこだわる姿勢は悪くないと思って。バイオリニストとしては遅くから始めた俺にとっては、面白い戦い方かなって。」
「ま、ね。哀しみのレクイエムなんてもう聞き飽きていたところだし。」
 モトノ君がいつもどおりそっけなく言った。

 私の墓場に、わずかに光が差した。

その日から、昼休みの墓場は猛練習の場と化した。クドー先輩からきつい言葉が飛ぶ。
「なんなの?その甘ったるい音。結婚式の曲じゃないんだけど。」
「すいません・・・」
「だからって、そんなにタンキング強めたら、軍歌みたいだろ。トモはまだ自分の解釈が全然つかめていない。」
「すいません・・・」
 私の、レクイエム。誰を葬送する?私の迷いに気づいたようにクドー先輩が言った。

「トモはモトノの音のとり方をどう思う?」
「見た目と全然違う。すごくふり幅激しくて、ネガティブな感じさえする。でも・・・でも時々ものすごく澄み切って繊細な切れそうなピアニッシモを出す。それが、それが、私入学したときから気になっていたんです。」
「どうしてあんな音を出すかわかるか?」
 私はだまって首を振った。

「あのピアニッシモがあいつの本音なんだ。いまにも壊れてしまいそうな薄氷を踏むような音。あいつのあの音を聞くと、いつも思う。ありのままの自分を認めてほしくても、まわりはあいつの見てくれでなにもかも決め付けてかかってくる。抵抗したくても、できないうちに乗り移られたように役を演じさせられる。バイオリンはあいつの叫びに近いと、僕は思っている。」

 叫び。前に人と違うって面倒だっていっていた。彼だって普通の高校生だ。見た目の完璧さと違って、そうじゃない部分だって抱えている。
 なのにまわりは理想を押し付けて認めない。ルックスに魅かれて話したこともないのに告白してくる女子達。モデルのように足が長くても、走るのは好きじゃないことをサボっていると文句をいう男子達。そうやっているうちに、彼は心を閉ざし墓場の住人となっていった。

 自分だけが、絶望にいるなんて奢っている。人はみな虚像と実像の自分と戦っている。モトノ君もそっけなくやりすごしながら、いつもバイオリンで叫んでいる。
 そう思うと、何かが見えた気がした。

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