しろねこの足跡

しろねこの足跡

墓場の安息17~19



「昼間、こってりしぼられたんだって?」
「うん、あそこまでリキいれてくれるなんて思っても見なかった。」
 モトノ君のピアニッシモの真実を聞いてみたかった。
「本当のモトノ君は、あのピアニッシモみたいに壊れそう?」

 そっと顔だけ向けたモトノ君は、西日の効果もあってか、本当に美しかった。男性に美しいなんてあんまり形容しないけど、モトノ君には美しいという表現が合っていた。

「どいつも腹の中には、墓場を持っているんじゃないの?そこに死んでしまった気持ちとか、人間関係とか、埋めていく。そして、満杯になって埋めきれなくなったヤツだけが、キレちゃう。オレの墓場はまだ埋められるよ。」

「カナエにも墓場はあるのかな。あんなに自由奔放で思い通りの人生送ってそうなのに。」
「あいつこそ、埋めきれないモノを持て余してるって感じだけど。」
そうかもしれない。カナエこそ、独りになるのが恐くて、誰かに愛されている証拠がほしくて、自分の居場所を確保したくて必死なのかもしれない。
 そう思うと、一瞬カナエが憐れに思えた。でも私はもうカナエを許すことなんてできなかった。だって、私は自分の墓場にカナエを葬ったのだから。

「クドー先輩がなんでレクイエムの解釈にこだわったかわかる?」
 クドー先輩にモトノ君のことを聞かれたときのように、私はまた首を振った。
「クドー先輩が結構遅くからバイオリン始めたことしっているだろ?」
「小学校5年生だっけ。前に聞いたことある。」

「レクイエムがきっかけなんだ。」
「え?」
モトノ君はそっと自分のバイオリンの弓に松脂を擦り付けていった。
「先輩、お母さんを小学校5年生のときに亡くしているんだ。その葬式でかかったのがレクイエム。とびきりのスタンダードなやつ。」

 その時、音楽室の扉が開いて、クドー先輩が入ってきた。
「悲しみに満ち溢れたやつね。そのとき、僕は変だよって思ったんだ。だって、大切な人を失ったあの時僕は悲しいっていうよりは、怒っていたんだ。何で死んだんだ、って。これから僕はどうするんだよって。現実が受け止められなかったんだ。幻想的な葬儀の世界の中に、現実的な怒り。あまりにもシュールな世界だったよ。」
「それで、バイオリンを・・・?」
「そう、そんなレクイエムなんておかしいから、僕が本当のレクイエムを母親のためにいつか弾こうって決めて始めた。いまは、そんなことは関係なくバイオリンを弾いているけど。」
クドー先輩が珍しく、強引なボーイングでアヴェマリアを弾きだした。
 グノーのアヴェマリアは、全体的に甘く軽やかで女神のように澄んだタッチで青空に向かっている天使をイメージして演奏することが多い。
 でも先輩は違っていた。音色が太い。舞い上がる天使を引きずり落とそうとする悪魔のように、低音に細かくヴィヴラートをかけて不穏な雰囲気をつくりだす。
 堕天使だ・・・堕天使のアヴェマリアなんて、なんてエキセントリックで斬新。

 ふたりとも本格的な練習に入りそうだったので、私は別の部屋に移ろうとした。
不意にクドー先輩が声をかけた。
「トモ、解釈はきまったのか。」
「はい。」
 細かな設定はしていない。でもクドー先輩やモトノ君、カナエ、そして私の抱える墓場を吐き出してみたくなっていた。
「やってみろよ。」

 私は一呼吸おいて、お願いしますといって演奏台にたった。
「私のレクイエムは喪失感から憎しみと安息を得るまでの遺族を表現したいと思います。」

 ゆっくりと楽器を唇に押し当てた。

 突然、愛する人を失った遺族の葬式。ぺったりとその場にいるだけ。悲しみなんてありきたりな感情は湧いてこない。空虚、虚無、2度と開かない瞳を目の前にした喪失感。もう帰ってこない、笑うこともない、温もることも無い細い指へのもどかしさ。
 冷たい床からひたひたと染みあがってくる悪寒。モノクロームの世界で生きているのは揺れている蝋燭の炎だけに思えてくる。

 私は、目を閉じてその情景を思い、息を吸う。

 香りの強い花が撒き散らす芳香が急に現実に引き戻していく。イキモノがいたんだ。
 遺族のモノクロームの世界は急に色をつけ始める。なぜ、なぜ、この花は生きて香を放っているのに、あなたは生きていないの?
 私たちを遺してどこへ行ったのか。ようやく涙がとめどなく出てくる。なぜ死んだ。憎い、ずっと一緒だったのに。
 体中から水分が染み出してくる。憎むと水になるのか。でも人は悲しいのね、なんてありきたりな同情とかすかな優越感を向ける。
 虚無と憎しみで打ちひしがれている遺族に、後ろから抱え込むようにしっかりしなくちゃ、なんてちんけな言葉をかけて善き隣人の役を演じきって満足している。
 憎い、愛している人を失っただけで、こんなに残酷で優越感に満ちた優しさを押し付けられてしまう。
 欺瞞に満ちた優しさ。花粉のたっぷりついたカサブランカを束で投げつけてやりたい衝動。
 愛する人を失った憎しみは、陳腐な同情や自分のための優しさなんて受け付けない。
 そして、生身の死が、かわいたカルシウムに変わり果てたとき遺族は最初の諦めという安息を味わう。

 時間をかけてゆっくりと現実が思い出にかわり、涙の濃度が失った空虚と憎しみから浄化されていく。
 失ったことを悲しみ、憎むことではなく、出会えて時間をすごせたことに感謝できるようになって、遺族は新しい家族の再生を誓い真の安息の地から旅立っていく。
 安息の地は永遠ではない。心が癒えたら、また新しい地へ再生していくための途中の場所。

 演奏し終わったとき、私は泣いていた。涙がとめどなく流れていた。見つけてしまった。私のレクイエム、そして墓場の安息はずっとは続かないことを。

舞台で演奏されるシンフォニーは、限りなく協奏している。全員が仲良しのように、全員が心許しあった親友のように。
 でも実際は全然違う。その席に座るために、どれだけの仲間を蹴落として、嫉妬して、練習しているか。美しいハーモニーの陰に、どれだけのドロドロした感情が渦巻いているか。
 表に見えることなんて、ほんの一部分。

 きっと私たちの日常も同じ。最初、気楽に墓場に遊びに来ていると思っていたクドー先輩とモトノ君だって、違っていた。二人とも見せなかっただけ。自分だけがかわいそうなんて、なんて私は自意識過剰なんだろう。

 ウチダ君の件以来、カナエにも無視されるようになっていた。でもカナエはモトノ君にとりたて近づいている様子でもなかった。カナエだって必死なんだ。

 オーディションは明日に近づいていた。
 「結局、モトノ君、何弾くか教えてくれないんだ。」
 私は、モトノ君が課題曲以外を学校で演奏する姿を見ることができなかった。
 「当日のお楽しみ。」
 といって彼はめずらしく笑った。
 「クドー先輩は、あのアヴェマリア?」
 「うん。」
 「あれは曲が単純だから、まず音がよくないと恥ずかしいし、コテコテの解釈もつまらないし、さすがの選択だよな。自分の音質のよさを最大限にいかせる選択。」
「そうだね、私にはまだ無理。」

 単純なものほど難しい。そして、未熟さを隠すためにいらない装飾を増やしていって事の本質を見失う。人間関係も、音楽も同じ。
 私が、エリたちに無視されていったのだって元をただせば単純だったはずだ。まじめだから一緒にいてもおもしろくない。だったら、聞き役というポジションだってあったのに。今だったら思う。この二人といるとわかる。自分のつまらないプライドを守るために、教室を脱走したのは私。

 自分を守ろうとして、結局みんなから遠ざけられてしまった。自分だけが悲劇のヒロインと気取っていた。努力を諦めと勘違いしていた。
 クドー先輩もモトノ君も、心に墓場を持っている。墓場で安息を得たいなら、そのために何かを差し出さなくてはならないのだ。彼らは、心の平穏と引き換えに、あごの痣と指に胼胝ができるほどのバイオリンへの時間と情熱を差し出しているのだ。

 「何かを強く欲しいと思ったとき、みんな仲良くやりましょうなんて茶番はできないよ。欲しいものを得るためには、犠牲が必要なんだ。俺達は自分を生贄にしてまでいま、演奏会のシートが欲しいんだろ。」
「トモは恵まれていると思えよ。ほしいものは他人を蹴落として、友達を失ってもつかまなくてはいけないことを教えてくれたのは、エリ達だろ。」
「彼女らも今の友達関係を守りたかった。その争いにトモは気づかずに、負けたんだ。カナエだってそうだろう。カナエの優越感に利用されて何もできないままはいやだと宣戦布告したじゃないか。」
「2度と同じ過ちは繰り返すな。次は取れ。」

私は、すこし息をはいた。
「カナエに、勝てるかな・・・」
モトノ君はあの、形の整った唇の端をすこしあげていった。
「カナエと争わなくちゃいけないのは、本当はオレなんだけど。」
「あ、そうか同じパートだし。」
「おれ、初めてあいつに負ける気がしない。トモが昼休みに楽器倉庫にやってきたときからなにかが変わった。お前がへこまされている姿みて客観的にヒトを見られるようになった。トモ見ていると、オレって情けないとよくわかる。」

「ひどすぎ。やっぱりモトノ君って変。・・・それまで、カナエのこと好きだった?」
「正確にいうと好きになりかけていた。顔がよくて、ヴァイオリンもできて、それで自信家で。オレにはもつことのできない物への憧れも、入っていたかもしれない。でも過去完了。だからこそ勝てる気がする。」
私は苦笑いした。やっぱりモトノ君って変。
でも、きらいじゃない。




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