しろねこの足跡

しろねこの足跡

墓場の安息23~最終章


 私はあごが激しい酸味で軋むような感じがした。

 レクイエム、だった。

 そして、圧倒的にうまかった。
 カナエは最後まで手を抜かなかった。自分のプライドを傷つけた者への罰は残酷だった。

 愛する夫を失った未亡人の哀しみ。瑞々しい音から、悲しみへ盛り上げていくその音色は見事というより他は無かった。甘い毒を含む、オンナっぽい音色。カナエのルックスをよく引き立てる音だ。やっぱりこのヒトは自分の見せ方を知っている。どんなときも。誰に対しても。

 ボルドー色のような音色のレクイエムがサビにかかったとき、それは突然おきた。

 バチンっと激しい音がして、A線が切れた。
 切れた弦は、力をこめて弾いていた反動で跳ね返り、カナエの頬に傷をつくった。その傷は浅かったが、細く血が流れていた。

 カナエは、呆然としながら楽器を降ろした。
 他の弦ならともかく、A線を切ってはもう演奏続行は不可能だった。
 あまりの緊張に、だれも動けなくなっていた。

静寂を破ったのはカナエだった。無言で踵をかえすと部屋から出て行った。
 「次、トモ」

 冷静に先生の声が響いた。
 感動と感情は紙一重。カナエは自分の感情のコントロールに負けた。

 私は、譜面台の前に立ち、息を吐いた。
 落ち着け。
 落ち着け。

 一度手を握り締め、そして離した。
 ゆっくりと一礼して、構えた。

 私のレクイエム。安息の地からの旅立ち。逃げずに立ち向かっていく。私への葬送曲になれ。

 「音が若いね。テクニックはまあまあだけど。」
 演奏が終わった瞬間に、先生のきつい一撃がきた。

 「でも解釈は新鮮だ。たてつづけに聞いたレクイエムの中で一番斬新で、でも奇抜ではない。死を受け入れ新たな再生を誓う。希望がみえる。若いヒトの感性が生きた高校生らしい解釈だ。」
 視野の片隅に、モトノ君が口の端だけで笑っているのが見えた。隣のクドー先輩がちょっと澄ました顔をしているのが、泣けてきた。

 その後、沢山のヒトのオーディションを聞いて、感想を言い合った。私たち以外にレクイエムを選択したヒトはいなかった。

 「メイン曲、サブ曲それぞれの奏者は今回のオーディションでの適正をみて、あさって発表する。以上。」

 長かった、一日が終わった。カナエは最後まで姿を見せなかった。

カナエにとっても優しさの代償は大きかった。
 本当は、ウチダ君のこと好きだったに違いない。でもカナエにとってプライドを傷つけられることは、それに変えがたい苦痛だったのだ。だから、プライドを守ることと、感情の間に挟まれて音が荒れた。気持ちが荒れたからだ。

 前にクドー先輩が言っていたことを思い出した。
 カナエは付き合う男によって音が荒れることがある、と。クドー先輩はあの理知的な静かな瞳で見ていたんだ。

 優しさにはたくさんの裏がある。純粋な優しさを浴びることができるのは、うまれたての小さな生き物くらいなのだろうか。
 多くの優しさには代償が伴っている気がする。たいていの代償は、お互いに相殺しながらすこしずつ積み重ねて、友情になっていったり愛情に変化していったりするのだろう。
 でも時に、分不相応の払いきれない代償を要求されるときがある。 
 それは、男女の恋愛から派生するものに多い気がする。ヒトは欲張りだから、愛情に関しては際限なく求めてくる。

 もっと、好きになって、もっとかまって、もっと見て、もっと、もっと・・・
 たくさんの「もっと」が頂点に達したとき、優しさの均衡が崩れる。
 カナエはおそらくすこし、代償を多く求めすぎた。
付き合った男の人たちにも、私にも。

 オーディションの結果発表が出た。

 クドー先輩は当然すべての曲目に合格。そして、3年生で最後の演奏会ということもあって、コンサートマスターの称号を与えられた。
 今の彼ほど、部員のことがわかって全体の音を取れるヒトはいないだろう。
全くの正しい人選だった。

 モトノ君はメイン曲のみ合格した。やっぱり音のふり幅の激しさを安定させることが、残り一年の課題となりそうだ。

そして、カナエ・・・
カナエは退部した。退部届けの理由には音大に進むため本格的に外部講師のレッスンに集中するためとなっていた。

それは、真実と思う。きっと今回のオーディションで彼女もヴァイオリニストとして何かを得たんだ。その結果、この選択をしたのだろう。

 私は・・・私は、サブ曲のみ合格した。
 サブ曲はチャイコフスキーのくるみ割り人形に決まっていたので、ちょっとコケティッシュで斬新な感覚が欲しかったといっていたので、うまくかみ合ったようだった。
メイン曲のシートは来年への野望となってしまった。

 それぞれが、新しい道を歩き始めた。今度は演奏会に向けて、そうとうきつい練習が待っている。

でも、つかみかけた私の安息の地からの旅立ちは、寸前で絶たれた。
 教室での私の立場は、なにも変わってはいなかったのだ。相変わらず、ぼんやりとやり過ごして昼休みに墓場に直行なのだ。

もう迎合する気はなかった。そう意味で自分を賄えるようになったことは、変わったかもしれない。
実際は、問題が山積みなのだが。

「頭痛い。」
「なんでだよ。寝すぎ?」
「先輩、ひどい・・・」
「あいかわず教室で友達いないんだろ。」
「モトノ君まで。ひどすぎる。」
「でも事実だろ。事実は認めなくちゃねー。」

「はいはいはい。あー修学旅行いきたくないよー。また班分けとかで嫌な思いするだろうしさ。もーどこの班も引き取ってくれなかったどーしよー。あまり者の班すらできなかったらどうしよ。はー、頭痛い。」

そう、高校生として生きていくための問題は山積みだった。何も変わっていなかった。
何かが変わるはずがなかった。

「トモ、その鳥のから揚げとおれの梅干交換してやってもいいぞ。」
「・・・・・そんな不当な要求は受けられず。」

でも、何かが・・・・

「じゃあ、ごはん一口付けてやるからさ。」
「モトノ君の価値観ってホント解らない。やっぱり変なヒト・・・」

変わるかもしれない・・・

苦笑いして顔を上げると、クドー先輩の理知的な瞳が笑っていた。

 もう少し、この墓場で死人となって心の痛みを葬り、安息をとって、いつかまた再生しよう。
 私は、大きな口を開けて梅干ごはんを頬張った。<了>


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