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あり え ね え って・・・の に。 ―――【ナノマシンの惑星】みたいだ、 と 思 う―――。 「着色料」かも知れない、 「安定剤」かも知れない。 ......本当を探すための自己の向上、 “加工され、処理され、修正された別物の君” inとout、 と 思 う―――。 わら い そう さ。 (待 た な く て い い 、) 「保冷剤」かも知れない、 「副作用」かも知れない。 ......真実を探すための全体像の補正、 (眠 っ て 、) ...mis tak e、ぞんざい・・ 『心』は言うことをきかない、 『DELETE』..[ENTER KEY] ―――柔らかい紙を散らす、 僕の『全細胞』が抗ってる―――何故だ、 (No matter what dream you wake up from, if you want it ...)
2024年05月28日
速―――くなる・・。 (タンタン...) 速く、なる・・・。 (タンタ... 「 お生憎様、 こっちはこっちで気持ちよくて、 甲斐無き心臓は愛亡き世界へぱれヱド。 気が付いたら眼が合うような、 (な、) 上手く顔が合わせられないような、 (な、) 可能性の中に住みついた檻の中、 箪笥の抽斗が開かない、 生き急ぐスーサイド。 ―――迷い込んだ大草原、 (「いまにも一荒れくるだろ? 「「「自由の女神の下からスカート覗いてやるし 「「「宇宙人とコンビニのアイス語ってやるし ほら、ほら、ほら、ほら、 「内部の闇の不透明な充溢が一瞬さ、」 ほら、 ほら、ほら、ほら、 「地下から湧いて出た沼だって一瞬さ、」 「迷 っ て い る け ど 進 ん だ 、 袋 小 路 だ 、 意 識 が 濡 れ た 紙 だ 、 羅針 盤 は ぶ っ 壊 れ た ま ん ま 断 崖 が 覗 い て る 、 なんじゃこりゃって百回は言った、 中指は本当に千回は立てた、 頭おかしいんじゃないかって一万回は言った、 でも諦めなかった、戦った、そんな想いが吐息になって流れた、 ......多 分 「そ れ も い い だ ろ う っ て 言 っ た 、 「い ち い ち 考 え ん の も 面 倒 く せ え 、 ―――そ れ で い い さ っ て 言 っ た。 遅―――くなる・・。 (タンタウン...) 遅く、なる・・・。 (タンタ...ウン... 「 もう時間終了、 あれやこれやで血迷ったまんま、 ノイズ混じりの警報と白昼夢のぱれヱド。 HPが残り少ないのがいいんだろうな、 (な、) 大欠伸してばっかの一日が突然嫌になるな、 (な、) 虚空の錐で抉った言葉探し、 肝心な差込口に入らない、 生き急ぐシューティングスタアア。 ―――迷い込んだ無能と白痴。 (「絡まったまんまの綻びにシックスナイン? 「「「世界の果てに薔薇の花撒いてやるし 「「「砂漠の海をオアシスに変えてやるし ほら、ほら、ほら、ほら、 「世界をリセットしてもう一度クリア目指そうぜ」 ほら、 ほら、ほら、ほら、 「生けるアンデッド、快楽の亡霊、脳内の内側を攻めて」 「迷 っ て い る け ど 進 ん だ 、 い や 迷 っ て い た か ら 進 ん だ 、 内 部 は 暗 い、 で も 明 る い 内 部 な ん て 、 心 臓 や 脳 に 失 礼 さ 、 生 き て い る 間 に で き る こ と を 考 え て る 、 な右向け右だ、一糸乱れぬてんでばらばらな僕等だ、 なんじゃこりゃって百回は言った、 奴隷なんだろ、中庸じゃないだろってちゃんと言った、 中指は本当に千回は立てた、 億万の昼夜つないで今日もまた胡散臭い袋小路に立ってる、 頭おかしいんじゃないかって一万回は言った、 でも諦めなかった、戦った、そんな想いが吐息になって流れた、 ......多 分 「君はもっと頭が軽いのがいいんだろう? 「一般論とか嘘くさいラブソングがいいんだろう? ―――で も き っ と こ うい う の も 悪 く な い ぜ。
2024年05月27日
窓の向こうには広々としたバルコニイと鉄柵があり、端麗な黒い眼を空中に見出した無意味な焦点にじっと据えていた。いつでもハッハハと笑って、そしてヘラヘラした声で物を言うので、脳に噛みついてくる舞台セットだ。昏むばかりの強い刺戟を眼に覚える。痴呆の無感覚、無意識と意識の境に魔法とかいうものがある。税制。タックスヘイブン・・。沖縄や石垣島、東南アジアの島々・・。そのくせ、地中海式気候の島も捨てがたい・・。その奥に混沌がひそむ穏やかな鏡の表面のような―――平和・・。「(ウエイトレスの緩慢な身体の動きに、ほしいままな親しみをもって見守った)」「(踊り子のヴェールが透けるたびに―――銀色の衣擦れ・・、胸元の柔媚な肉が揺れて、エキゾチックに未来がフェードアウトする、伴奏も唱歌も・・・)」“パラダイス”や“リゾート地”という言葉の甘美な響きより、―――劇的な脚色の問題とは離れて・・。“ユートピア”とか“オリエンタリズム”というイメージ語より、―――電場や磁場、真空や高圧、それら、葛藤という名の美しい感傷的な場面を離れて・・。“避暑地”という謙虚な言葉が耳朶を打つ。―――手軽な冒険、秘境感、そして驚くほどの綺麗な海・・。ラテン語文法の二百十七の動詞の変化を諳んじるように、近景には斜めに傾いて生えているヤシの木。もちろん冷静な判断、正鵠を射た判断、情理兼ね備えた判断をするなら、ありとあらゆるものがイメージにすぎないのだ。生活感のない、つまり非日常体験をする場所・・。木々の間にはカラフルなオウムのようなものがいて、ホテルのエントランスには、外国でチャーターしたツアーバスのようなものが見えていた。ヘッドライトが芝生の一部分だけを照らし出し、その向こうに花壇があったことを記憶の中から呼び起こす。駐車場には、『汝イエスを愛するなら、ホーンを鳴らせ』と、ステッカーが貼ってあった。そしてオープン・カーで走ったら気持ちよさそうな、ドライヴ・ルートを思い浮かべる。目玉焼きにカリカリのベーコン、焼き立てのパン、ホテルに用意されているビュッフェ。メニューは、ほぼ自動的に生まれてきて、“朝食を中心とした一日のリズム”というのに合わせ―――る。スモークド・サーモン。シロップとバターをたっぷりとかけたパンケーキ。何だかペルシャ猫が前脚を伸ばしているような気がする。そして果実をそのまま絞ったオレンジジュース。ウエイトレスがコーヒー・ポットを持ってテーブルへ来てくれたので、コーヒーを飲む。わたしはひどく骨っぽく冷たいようにも見え、またひどく情熱的魅惑的にも見え―――るだろうか・・。もはや斬っても斬れない情熱の力を感じさせる、矛盾の力が―――そこにはあるから・・・。空港で何かぼんやり不安と慰藉につつまれ、席では窓の外が氷の張っているように感じられたのに・・・。―――荷物を多く持っていきがちな上、言語に不安を感じる・・。それにしても子供の微笑みの印象が、ある時は、老人の深い死の悲しみのように見えるのは何故だろ―――う・・。「(水晶質の水面の浮き鳥、揚羽の蝶の朝の舞、わたしは快く甘いその情趣というのを抱き締める・・)」「(海に映った星座、酔いに霞んだ眼で見た宝石を連ねた町、異国の夢がしとやかにわたしの胸をみだらにめぐる・・・)」たぷん、と揺れる音がして匂いが血の中に浸透する。孔雀石と暗い藍いろの縞になっている明け方に砂浜を散策した。誰かが言っていた、週末にはびっくりするような大きさのテントや、トランポリンが出現する、と。南国の木々は植物園を歩いているような不思議な気持ちにさせる。それを揺り起こすのは、上半身裸でランニングしている現地人たち。意味はわかっていてもどう考えても恥ずかしい、アロハとシャカサイン。舳部に砕ける潮の飛沫のように、『南の島』って何だろうかと思ったことがある。―――“温暖な気候”と“美しい自然の景色”を兼ね備えた場所。憧れのデスティネーション、たとえば“ハワイ”だろうか・・。当初は未開性や後進性の言葉だった“南洋幻想”というのも、いまでは“夏の思い出に最適”とか、“ハネムーンに一生の思い出”をというニュアンスを帯びる。遠景には、海辺に散らばった貝殻や海藻のある白い砂浜があり、明るい傷がほっそりと口を開くように、足に触れる熱い砂の感覚と、髪が風に引っ張られるような感覚を思い出す。素晴しく偉大なもの、有りがたいもの、懐しいもの、―――風や波といっしょに次から次へと移って消えて行くもの。恋しいもの、やり切れないもの、恐ろしいようなもの、、、、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、、、闇から抜け出したばかりの光が放つ、不思議な明るさ・・。黙ってじっとしていられない圧迫のようなもの、ここでは嘘偽りなく何処でも花の香りがする―――し、大きな木陰に入るとひんやりと涼しい。カッと怒りたいもの、身ぶるいをして泣き出したいようなもの、ぶつかって破壊し、追いついて行って縋りつきたいようなもの・・・・・・。ヒリヒリと痛む日焼け、風が過ぎると空気はぬる湯のように澱んだ。椅子にべったり坐ってグラスを軽く持ち上げ、ここでは何処でも飲み物のサイズが大きくて、氷も大量に入っている。気の毒なほど新しい無智を食べているシーラカンスの顔をしても、アルカイックスマイルへと移り変わっても、うとうとと昼寝を貪るなまぬるい光、ころころもまろぶ汗の玉を嫌がったりはしな―――い・・。 、、、、、、、、―――夏の海へようこそ。
2024年05月26日
人などの動物が永久に生命活動を停止した状態を死と言い、その状態にある肉体を死体と言う。なお、死体が臭いというのは本当で、チーズや生ごみが腐った臭いがし、大抵は嘔吐してしまう。そしてこれでグロテスクな殺し方をされている、スプラッターともなると、号泣の恐れもあるだろう。全然関係ないけれど、「仲間の死体を見た蠅」が、老化が加速して早死にしてしまうという実験があったが、蠅の脳に蛍光タンパク質を注入し、活性化した部位を、特定できるようにした上で同種の死体にさらしたところ、死体を知覚すると蠅の脳の中心部にある、「楕円体」と呼ばれる領域が活性化することが判明した。人間と蠅は違うけれど、存外幽霊のメカニズムの一つなのかも知れない。さらに楕円体を構成するニューロンを詳しく分析した結果、「R2」「R4」という二種類のニューロンが、死体の知覚に伴う老化現象に関わっていることがわかった。通常は“見る”よりも“嗅ぐ”方が脳にインパクトを与えるが、九十九折りを取った本能の声、一体そこでどんなものが見えたんだろうという興味はある。なお死の匂いは、四〇〇種類以上の揮発性有機物が、複雑に混ざり合ったもので、これは、生き物の身体の組織をガスと塩分に分解する、バクテリアの活動によって生産される。腐敗臭のおもな成分は、カダベリンとプトレシンという分子で、ほとんどの動物が逃げ出すほどの悪臭の原因だ。シュールストレミングほどではないにせよ、記号と記号、混沌と混沌、死後にファブリーズをしまくっていたら死臭はしないのかどうかを、ユーチューバーはどうか実践してみてほしい。消臭剤十個置いていたらどうか、など。あと、どうか苦情はユーチューブドットコムまで。寺山修司の詩に、「ぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかゝって完全な死体となるのである」というのがあるけど、脳の大きさは二十五歳頃がピークで、その後年齢とともに徐々に小さくなっていくというし、前頭前野の働きは、およそ二十歳前後でピークを迎え、加齢とともに低下していく。抽象的な表現でなく死と評してもよい状態が生まれる。まるで焔と影の綾織のような関係。ちなみに一日に失われる細胞は約十万個。一年中、毎日二十四時間、耐えることなく死滅している。これを小さく死んでいく肉体と評してもよいだろう。死んでいくのとは逆に冷凍される場合はどうだろう。エベレストは死体の宝庫という話はあなたもよく知っているだろう。それらの死体のほとんどは標高八〇〇〇メートルを超えた、「デスゾーン」にある。海面と比べて酸素濃度が三分の一という過酷な環境では、どんなトレーニングを積んだとしても、四十八時間以上は耐えられない。平均温度氷点下二十七度、頂上では時速三二〇キロにもなるという、そんな風が吹く中では、あっという間に身体が凍り付く。そしてそのような過酷な環境では、死体の回収を行う余裕など誰にもない。で、何でこの話をしているのかといったら、実は、お葬式の際に遺体を火葬すると、当然ながら二酸化炭素が排出される。そこで、土葬する場合も埋葬するスペースの問題がある。こんな状況を打破するべく、環境に優しい新世代の埋葬方法がある。冷凍睡眠さながらだけど、マイナス一九六度まで、遺体を冷やすために液体窒素を使い、その後遺体を粉々に粉砕する。それから磁石を使って、歯の詰め物や義肢といった金属部分を取り除き、あとには無菌状態の粉が残るという寸法だ。SF映画みたいなことも科学の進歩だね。苦痛と歓喜のおどろくべき豊饒さをアシストし、運命的な暗示にまで置き換える。とはいえ、完全な死体というのは別物だ。通常葬儀が終わるまでに、病院や自宅など死を迎える。死から数秒後、死んだ人の身体に残っていた酸素がなくなり、神経が活動をやめると共に脳はホルモンの分泌をストップする。体内にはエネルギーの放出や貯蔵を担う、化合物のアデノシン三リン酸(ATP)が残留し、このATPを使って筋肉が弛緩する。筋肉が弛緩すると、尿や便・胃液などが体内から排出される。死体は時間の経過とともに変化していき、顔から血の気が引き、体温が降下しはじめる。心臓が拍動をやめたことで血液の循環が止まり、血液は重力により身体の低い位置に沈下する。死斑は死後三十分前後でまばらにでき始め、三時間ほど経つと死斑は一つの死斑へとまとまる。また死後十二時間でもっとも強くあらわれる。さらに二十時間以上経過すれば、死斑は固定される。もちろんさらに死亡して三~六時間経過すれば、ATPが完全になくなり、筋肉は筋収縮に必要な、筋細胞内カルシウムイオン濃度の上昇に伴い、緊張化をコントロールできなくなってしまう。そして、死体の筋肉が硬化する死後硬直という現象が始まり、通常は死後二十四時間~四十八時間続く。もちろん死体は静かなものだ、静かな麻痺状態と激しい興奮とが鬩ぎ合っているような、静謐。遺体の腐敗が進行すると胃や腸などの消化器系から始まり、身体全体へ進行する。 この進行の過程で「腐敗ガス」が発生し、体内に溜まったガスによって身体は膨張を始めます。肉や皮膚が膨張に耐えられなくなると体液(腐敗汁)が、体外へ流れ出し、この状態のことを「身体が溶ける」と表現される。もちろん猛毒と共に知られる世界最悪の麻薬クロコダイルは、その言葉の通り、本当に「身体が溶ける」クロコダイルの活性成分、デソモルヒネはコデインを強力な溶剤に溶かした後、単純だが、危険ないくつもの反応にかけることで製造され、人体組織を速やかに溶かすコデイン塩ができあがる。さて、もっと死体について聞きたいという人が多いようなので、書くけれど、嫌なんだけどね、もう本当に嫌なんだけどね、一兆とも言われる数の微生物が死体の分解を促進し、腸内の嫌気性バクテリアが腹部にある臓器を食べ始める。これが腐敗という段階で、腐敗中にはアミノ酸か分解されることで、強烈な腐敗臭が発生。腐敗臭におびき寄せられた、ダニやクロバエが卵を産み付け、その卵は一日足らずで孵化し、生まれたダニの幼虫やウジ虫が体組織を食べ始める。深い底知れない海のような比喩的ではない死後の世界。さて動物が死体になる過程には「自然死」と「異常死」がある。自然死とは、診療行為の結果の老衰死または病死のこと。異常死とは、その他の突然死や事故死、他殺死など自然死以外のものを指す。 ところでダークなお伽噺みたいな響きがあるが、人間や動物の遺体にできる不思議な鉱物があり、これを「ビビアナイト(藍鉄鉱)」という。濃青色や緑青色が美しい結晶で、「含水リン酸塩鉱物(Fe3(PO4)2・8H2O)」でできた鉱物で、化石や動物の排泄物といった有機物、さらには動物の死体のうえなどで形成される。死体に形成されると言ったが、よく見られるのは骨や朽ち木などの、有機物や鉄分が多く含まれた「堆積物」だ。また「熱水鉱床」やリンが豊かな、「花崗岩ペグマタイト」でも産出する。ビビアナイトのほとんどは、数百年前に埋葬された遺体の骨や歯のうえで見つかるが、もっとずっと古い数千年前のマンモスの牙などで見つかったこともある。さて、人が死亡状態にあると見なされると、医師により「死亡診断書」か「死体検案書」が作成される。前者は医療診断書の一種で、自然死の場合のみ医師あるいは歯科医師により作成される。自然死でないない場合は異常死とされ、医師の検分の後、二十四時間以内に死体検案書が作成されて、死体が発生した場所の所轄警察署へ届出される。この間に死体の身元が明らかになった場合は、その戸籍あるいは住民票がある所轄警察署へ移管される場合がある。死亡診断書と死体検案書は同一書類で、併記された文書名の片方を取消して使用する。また死亡診断書あるいは死体検案書と併せて、医師により「死亡届書」が作成されるので、死亡者の本籍地または住民票のある市区町村役所の戸籍窓口に、七日以内に届け出なければならない。死亡地が旅行先などであった場合は、死亡地の役所へ届け出ることができる。また、死亡届書は、死亡診断書(死体検案書)と、併記された書類である場合がある。死亡届が受理されると戸籍は抹消され、「火埋葬許可証」が交付される。戸籍の抹消を受けて、初めて公的に死が認知されることになる。そういえばウィキペディアというのは素晴らしい蘊蓄があり、僕も重宝しているのだけれど、中にはトンデモないものを載せられていたりすることがある。『珍しい死の一覧』と検索画面に打ち込んでみよう。そこにはちょっと載ってなかったけど、バルコニーにあった死体がハロウィンの飾りと勘違いされ放置される、というのがあった。でもそれもハリウッドの特殊メイクさながら、ゾンビコスのはみ出た腸の作り方講座みたいなものだ。ハロウィンとはいえ、自宅のガレージの前にフェイクの死体を置く、なんていうのは通報されても仕方がないわけで、そちらはアメリカで起きた事件だが、さすがとしか言いようがない。さて、ホラーというか実話系怪談では大半は幽霊という存在で、滅多に死体が出てくることはないが、いわゆるヒト恐怖として、白骨死体や腐乱死体と暮らしているという話がある。稲川淳二師匠の「長い死体」なんか、すごく可愛らしく思える、あれ指折りの怖い話だけどね。昔の怪談はもっとサラッとしていて、おどろおどろしくはなかった、漫画をたまに購入して驚くのは内容がえぐすぎて、どう考えても十八禁にすべき内容なのに普通に売られてるってことだ。インパクト重視はわかるけど、道徳とか、人間生活の影響とか、もっと考慮してもいいのではないかと思う瞬間がある。ちなみに漫画なんかでは可愛らしいゾンビと暮らすという話がある。萌えられるのかなと思ったけれどそこはまあ大丈夫だった。腕がもげたりしない、腐らせない工夫をすることを除けば普通のラブコメだった。ふっとそれを見ている人達って何だろうと思った。海底に横たわるクジラの死体を貪り食う深海の生物たち。ミステリーの場合は死体をどう弄んでやろうかといわんばかりの、登場の仕方をすることもある。横溝正史の『犬神家の一族』がパッと思い浮かぶが、逆立ちとなって上半身が池の中に沈んだ、ある種滑稽とも言えるグロテスクな死体が登場した。ちなみにオーストラリア化石生成実験研究所では、死体は十七カ月経っても死体の腕が動くことが確認されている。こうした死体の動きは、身体の靭帯が乾燥するにつれて収縮した結果である可能性がある。人間の死体は腐敗プロセスを過ぎた死後一年以上経っても、まだ動き続けているのだ。余談だけれど、宇宙空間における宇宙船では死斑が発生しない。死後硬直は身体組織がもたらす結果のため、宇宙空間でも発生する。腸内のバクテリアが軟組織の分解を始める点も同じだが、バクテリアは活動に酸素を必要とするため、酸素のない宇宙空間では分解のプロセスは次第に遅くなる。死体は生きている人間のように見える可能性が高いと考えられるが、状況いかんによっては全然別の結果になるかも知れない。さて、異常死の検案では、死体の状態から「死んでからの時間」外傷などから「死因」着衣の乱れや発見現場から「犯罪に巻き込まれたかどうか」などを確認する。手っ取り早く書いてしまえば、『出血/外傷/骨折/眼球/皮膚/口腔』による、外見と判断である程度のことが推測できる。死体安置所シミュレーター「The Mortuary Assistant 」という、霊障たっぷりのゲームがあるのだけれど、バインダー片手に遺体に来るとぱっちり眼を開けてくれます。ホラーじゃねえかって思いました。けれど実はパリのモルグが人気の観光名所だったという話がある。こいつらマジかと思うけれどギロチンも見世物だったし、コロシアムの殺し合いもそうだった。ただ、新聞報道の視覚的な補足の役割を果たしていたという向きもあるし、殺人者と犠牲者の対面効果を上げるため、明るい電灯を設置し、反省を呼び起こし自白へと導くというような効果もあった。現代の犯罪ドキュメンタリー番組、ポッドキャストの先駆だね。ただ、モルグの外の歩道は大抵、オレンジやクッキー、ココナッツなどを売り歩く、商売人であふれていたらしいけどね。常識って一体何だろうね。さて、死体を解剖し人肉を食べたり臓器を売買したりしながら、ダーク過ぎるスローライフが送れる問題作のゲーム、「Graveyard Keeper」というのがある。解剖をしたこともないのに、人間調理手法を完璧にマスターしていたり、そこからさらにハンバーガーなどの料理を思いつく、あと相棒のしゃれこうべがいるけど、墓穴を勝手に掘ったり、まあ、場所を決めたり好き放題してる。素晴らしくヤバい奴だ。興奮した?ちょっと興奮した。これがゲームの範囲なんだよなあと改めて認識した。漫画やアニメでは遠慮すべきところもゲームなら出来る。さて、生きている時と死んでいる時で、外部からの刺激に対して生物の肉体は全く異なる反応を示す。生存中の傷には瘡蓋ができるが、死後の傷にはできない。死後に首を吊った死体では頭部や顔面の鬱血、頸部の傷の生体反応がない。一酸化炭素中毒やシアン化カリウム(青酸カリ)中毒は、共に静脈血が動脈血よりも明るい明赤色を示す。溺死体の場合は、血液の凝固不良や内臓や皮膚の鬱血、溢血などの症状が顕著だが、死後に水につけてもそれらの特徴はあらわれないなど、明らかな変化の差が生じる。 また、死体の白骨化にも様々な条件がある。摂氏五十度以上で乾燥した場所ではミイラ化し、摂氏五度以下で湿潤な場所では屍脂化したりと、白骨化にも様々なプロセスがある。土中菌の多い林の土に埋めた場合、地表十五センチ以下の温度が十度以上かつ高湿度の環境では、夏季で七〜十日、冬季で三ヶ月以上を要する。ただし常温の大気中でも蝿と共にビニールなどで覆うと、三日ほどで白骨化する。
2024年05月26日
夜、激しい雨が降り出して破れたような草笛の音が聞こえ、彼女は名前や記憶を忘れて、もう一つの世界の扉を開ける。その視線には靴底で音を立てる茨の株がある。 けして見ることのできない雲が通りすぎる。 腐乱して蛆が湧きながら同時に透明なものを誘い出す死というものに稲妻が光る。 敵は姿を潜めて物音も立てない。 不安の濃度は灰色の詰め合わせのなかを移動してゆく。 本能の中で筋肉は躍動し、神経組織は一本の矢や、生存の一振りの如く束ねられて緊張する。 腐蝕とは何だ。幻覚とは何だ。 暗示的な絵画の一場面のようにジリジリ緊迫感が高まる、感受性の乏しい静脈管の中へ、滑らかな皮膚の下で脈打っている、ほんの些細で目立たない心臓の鼓動。 その翳りの中で、風景はまるで意味を変えてしまう。眺め方一つで認識バイアスに影響が出てくる。とりたてて内面に過剰な荷物を持った僕のような人間には。 誰にも希わずに到来する朝を根こそぎ奪ってしまいたくなる瞬間を奏でている市内電車のレール、交通道路。 そのカノン形式が極楽長の剥製や、河童の手や、松の皮を食べて木乃伊となったものに思われてくる。 硝子は美しい、風船は美しい、だってそれはすぐに壊れてしまうから。壊れてしまうがゆえに、印象に残る。それはセンチメンタルな道化に満ちたサーカスへの鄙びた鈍感な応対であるのかも知れない。 顔の陰翳が増し、部屋の照明も仄暗くなったような気がする。感情は繊維を欠落させながらも、自ら拡大し、敷衍する。重心のある微妙な転移を見逃さない。 求められた生の意味の訴求が統一の幻覚を作り出す。 見せかけの風流、気取った文体、かすかな戦き一つで叫びを絞め殺すようにもがく暴力のただ一つも描写せずにはいられないような寝台に声は届かない。 罪というもの、劣等感というもの、差別や迫害というものを観念という名の心の隅で玩弄せぬままの風の底、夢が星屑のように散らばっていることを到底認められない。 されど、それが僕等の時代だ。 気味悪い優しさも、胡散臭いまでのアットホームも、神の声も、政治的救済も、いまでは紙縒りのように痩せ細っている。透かし模様のスクリーンの中で混じり合い、融け合った夜が儀式のように周到に、綿密に、稠密に。 水が斜めに流れている。 隠された爪の鋭さはこれまでになく研ぎ澄まされてゆく。 鰻や蛇のような皺の寄り方をしていたカーテンに手を伸ばして窓を閉じ、その窓を閉じようとした一瞬に雨に濡れたアスファルトの匂いがする。 バックミラーが病気だ。 何も言い出せないまま、袖のボタンを閉める。 物語も歌も絵も一切の何もかもを忘れてゆく類の、それこそ感性などというものとは縁もゆかりもない、醜い脂肪の塊というものがいる。 それがこの上もない怪物であり、情報弱者であり、生存能力に乏しいことを知っている。共感力。常識。それらの言葉すべてが恣意的で、ご都合主義的な女の言葉だ。広告だ。 フェアでいたいとは思う、すべてがフェアになるというのならば。けれどもまるまると太った犬や猫がそろそろと足を伸ばすたびにその間違いに気付く。 繊毛のある、生暖かい犬の腹部は、内部のサイレンを遠ざけてくれる。それは猛々しく高まり、重いうねりを繰り返しながら、眉間に皺を寄せる。 けれど無関心で不勉強で、それこそ呆れ果てて口も利きたくなくなるような人間にどうしてなってしまうのだろう。作法もなく大胆に伸ばした樹木の幹や枝には神経が通っているのに、どうして静寂を焼き切ろうとするのだ。 あなたは一体何を怖がっているのだ。 迷子の写真が仕掛け花火のように、記憶の中の風を作る。無人の街路が虚構の手紙を作るように、夜は日常のすべてのものを道具や部品に変えてしまう。 僕にはわかっている、あなたは空想虚言者にすぎない、と。 地位や名誉やお金如きで才能や現実を胡麻化せると思っている類の、誤った連携、汚された共同生活。 答えなんてわからないけれど耳の奥にちゃんと届く。 卑しさっていうのは日常というものの安心の作用だ。 朝になれば、永遠に続いていくような明るい外界からの光が眼に届くだろう。もう少し蝶や花で賑わう小川のように、幸福な根拠に想い馳せ、貪り、俯き加減に歩いてゆくことができる。だのにどうしてその夜は。 こんなに遠く、遠いのだろう。残酷なまでの朝の可憐さは、数百年の埃を払って、蒐集し、瞞着しかかる事物の多くの存在意義を奪ってしまう。そしてもうそこに君はいない。雨上がりの街には流行歌が流れ、街頭テレビからはアニメーションが流れる。都市圏らしく焼きたてのパンとコーヒーという文明の薫りがし、モーターリゼーションはトランペットやサックスを吹く。精神という鎧が、自尊心という秤が、感受性という存在の形式がいとも容易く仕留められたことを知る。 この何もない朝という花壇の草花ぐらい暗く不吉なものはない、悠っくりと歩こう、引き返せるか、それとも別の道へと行けるか。雨の名残の風の強さは誇らしげに洗濯物を揺らす。 あらわに空気に触れる肌へ久方ぶりののどけさを味わう。 幼い声が途絶えた、もう映像の枠の中へ入り、履歴書や、字幕のような、広告的な表現の中へ呑まれていった。 我、発見せり。 不器用にぶつかってゆく雑踏に誘われながら、絶えず昨日の雨の感覚について考えている。シャワールームには濡れた合羽が湿っている。そして部屋には見えない雨が世界の悲しみや怒りの分だけこぼれて海が誕生する。 真珠貝の中には進化した虫が溺れている。 明るい時代だ。
2024年05月26日
・・・鏡に映った僕は曇らない、明瞭に映った、 撃たれた小鳥のようにも、 病んだ紫陽花のようにも見えた、 僕が―――。 ・・・孤独な動物が眼を開けて、感情に達観した、 蜜蜂や蝶が翔んで行った、遠回りしているみたいだ、 ―――取捨選択の権限を失う、 そしてそれをある時の自分のように眺めていた、 伸びた蔓と日向の藁が―――。 ・・・校庭にある日、見知らぬ銀色の円盤が不時着していた、 城の実体からの城の精神のような、 人間の実体からの人間の精神のような、 僕が―――。 ・・・表現って溺れる人間の腕に似ている、泥酔者の渇きにも。 かすれて小さな寝息を立てている彼女を見ながら、 懸河のように茶色く濁ってゆくのは何で、だ。 ―――はみだした絵の具のような気持ちになるのは何で、だ。 たとえばもしも、名前や言葉も忘れたらどうする、 残酷な星の歴史が降りかかるとしても―――。
2024年05月25日
ファーストコンタクトとは、異なる集団または個人同士の初めての出会いで、知的生命体との最初の接触を意味する。夜空という黒焦げになった花の光の住人、あるいはその海で溺れた象形文字の人々なんてどうだろう。鎖国に黒船、異なる文化が接触した後は、平和的交易か戦争のどちらかが行われる。そしてコロンブスは虐殺し、感染症を持って帰って来た。そういえばアメリカのカリフォルニア大学デービス校の、科学者が率いる研究チームが、水中スピーカーを使って、トウェインと名付けられたザトウクジラとの会話に、成功したと報告した。地球外生命体とのコンタクトにも役立つ可能性があるという。地球外生命体の探索を行っているSETIの科学者らが、この研究に参加しているのは、地球外生命体が地球に送信した信号を検出し、解釈する上で人間とザトウクジラのコミュニケーションが、役立つと考えているためだ。話をきちんと聞かない人が言いがちなことだけど、猫や犬でもよかったんじゃないかという疑問は少し残る。もちろんこれはミスリードだけど、そういう風に考えている人がいてもいいだろうな、と思う。元々は文化人類学の用語で、SFのありふれたテーマの一つといってもいい。マレイ・ラインスター『最初の接触』(First Contact、1945年)がその初期の作品であり、SF作品におけるファーストコンタクトのテーマの始祖とされるが、もちろん一九四〇年五月の新潮に、『走れメロス』が載っているのを考えてみるといい。もちろんこれは論理が低く横切って彼方へ去るところの、煙に巻く手法だ。僕の方針は悪意の手によって投げ込むことに決まっている。碁盤の目の黒い確実な線の交わり、クラークの「幼年期の終わり」ジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」スタニスワフ・レムの「ソラリス」などもこれに含まれる。有名な小説だ。映画でいえば、一九九七年のアメリカ映画である、『コンタクト』とか、他多数ある。列挙法として三つぐらい挙げるのは三段論法を意図して、否、大体三つぐらいが頃合いなのだというのは別として、何故あえて一つだけ紹介するのかという手法はあるだろうか。僕は聞いたことがない。でも僕から言わせればレトリックだって、一瞬ごとに変形する軟体動物だ。先見の明の功徳というのは、復讐と愛情にも似た悪意と相場は決まっている。凶暴な鳴き声の痩せたすらりとした夜の鳥。僕もSFは好きだがSF氷河期を生き残った人における、ライトノベルに物申したい気持ちなどはない。わかる人にはわかる物言いをしている。ジャンルなどすぐに大穴があくナイロンの靴下だ。厳密に定義しようとするとそれは難しいし、中途半端な設定にするとガバガバになってしまう。そしてここで僕は迂回ルートを、ふたたび正規ルートへ戻す。何故って? 簡単なことだ、映像の時代である。僕はいま大変愉快な批評家殺しの領域に達しているが、おちょくっているのではないかといえば親指を立てるわけだが、冬の雪がそのまま残っている状態で春など来るだろうか。「E.T.」だってそうだし、「2001年宇宙の旅」だってそうだ、二〇一六年のアメリカ映画「メッセージ」も示唆に富んでいる。ダリが喜びそうだと何故か思った。わかるだろう、何か違うような気もするけどおおむねそうなのだ、別に小説読んで面白くて映画観て面白かったらいいのに、わざわざ定義づけるなんてそれはもちろん野暮なことだ。もちろんこういう思考自体、日常を取り巻く様々な認知バイアスの一つであるし、共感と洗脳という二つの要素においても、定義づけは欠かせない。新しい切り口とか、新しい見え方。ネット時代にとってピンと張られた、有刺鉄線の上を軽業師するようなもの。SNSにタグ付けは必須である。ヒントという名のピントという上手い言葉で誤魔化したいが、こんなのユーチューブのコメント欄にありそうだ。いいですか、日本語がわからない人におさらいの意味をこめて書いていますが、僕はこれから誇張しますよ。たとえば神や仏との出会いだって、宇宙人みたいなものではないか、かぐや姫だってSF要素があるのではないかといえば、いくらでも引っ張ってこれるが野暮なことはやめよう。ただ、古代文明と宇宙人の接触は半ば盲目的に信じられ、さながら風に揺れている絹のパジャマみたいなものだ。ちなみに僕は心理学者ではないけれど、これについていくらか理解があるので簡単な説明を試みたい。大多数の人は退屈な時に単純な心で、変なことや面白いことに想い耽っていることはないだろうか。僕は歴史とかいうものがその最たるもので、沼のような心の駆け引きを産む装置だと思っている。刃物を思わせる冷たさで考える、ひっそりとを羽根を休めているもう一人の科学者を。あるいは、もう一人の少年というものを。ところで僕はホラー全般に興味があるのだけれど、大抵は嘘か誇張か気のせいであることにとどまらず、心霊現象どころか超能力の事例ではないかということに出くわす。具体的に言うと、蜃気楼のように事故の瞬間を観たりする現象や、明晰夢における現象のことだ。人間というものの理解って十全に達しているように思えるけれど、なんだったら知識というものが百科事典しているように見えるけど、所詮はあなたと同じ人間の猿の手品ぐらいに考えてもよいと思う。劣等感は最悪だし、能力のない勘違い甚だしき愚か者は見ていて面白いが、これは覚えておいても損はない。ただ誤解してはいけない、僕はないとは言っていない。あくまでも、揣摩臆測とか盲滅法という、恍惚だか法悦が気に入らないだけだ。ニコニコしながらピラミッドの前で、宇宙人がいたんですよねって話す、反吐が出そうな奴のことを考えてみたらいい、絶対に宗教だ。そうでなくとも宗教の範囲における利益を知った、だぶついた奴らの顔つきだ。もっと分かり易く言えば、グーグル翻訳によってあたかも言語を話しているという茶番だ。ピラミッドが発泡スチロールで持ち上げられるという可能性について、あなたはきちんと考えてみたことがあるだろうか?また、『旧約聖書』の記事をもとに計算すると、宇宙の始まりは六千年前なのだ。もちろん恐竜好きとしてはちょっと困る。小松左京で一億年生きても今のアイデンティティが維持されるか、みたいなものがあったと思うけれど、どうだろう、時計の時を刻む音がもっと共感覚的になったり、蟋蟀みたいに思えたりするだろうか。そこには説話的要素もあると思うのだけれど、説話にはカルチャーショックとか、アカルチュレーションが内在されている。前提としてあるのは、適応能力といってもいい。ストレスが生み出したハネムーン期間が、究極のシュールレアリスムとして、現実の反対として、嘘を論理という煉瓦で塗り固めた、哲学や科学や宗教といったイメージ群へと到達する。僕の経験上、これは摩擦力だと説明できる。防波堤にぶつかった白兎なんていう比喩はどうだろう。世の中には極限状態にまで持って来ないと、見えてこないものがある。神? いいね、最上の苺だ。宇宙の秘密? いいね、嫉妬と羨望の闊達のしどけなさ。千年続くと思われていたものを変容する、「一千一秒物語」を書いた稲垣足穂の気持ちもわかるだろうか、その蛍石のように青く砕けるものを首飾りにしよう。土着的なもの、伝統的なものを破壊する、これがファーストコンタクトの狙いだ。主人公たちが、相手の存在に気付くまでや、気付いた後に、自分の存在を相手にどう理解させるかなどの、過程を作ってゆく。ここらへんまでいくと、その作家の業の深さや、人間関係の向き合い方まで分析できてしまうところが面白い。しかし知的生命体がソラリスのように巨大な存在や、逆に微生物さながらに小さすぎる存在だと、人類は気がつけずにコンタクトに失敗するように、時間感覚や距離感覚に限らず、様々な意味で人類とかけ離れたスケールの存在の可能性がある、想像してご覧、素晴らしき中二病展覧会だ。二十世紀アートなんかを見ていると宇宙人だなと思えてくる、海に沈む宝、運命の受容。音楽でも揶揄するわけじゃないけど癖が強すぎる人がいる、アートだ。貴種流離に、円環構造。初期では侵略物や、単純な接触による変化を促すものだったが、第二次世界大戦以降はあの手この手を使うようになる。なんというのかこんな話を書くから、二十世紀は精神病が大きな顔をするようになったのではないか、と突っ込みたくなるほど多様にだ。時間が止まって自己との対話が始まるように、暗い夜の廊下の、呻きや叫びとも思えるきしめきを聞く。また僕はSFと同性愛という切り口でクラークのことを考えてみたい。何でこの人こんなわけのわからんもんを書くのかなと、不思議だったのだけど、精神的緊張感が知性に与える影響というものはある。クラークはもとより同性愛を貶めたいわけではないので、話半分に聞いて欲しいけど、この精神的緊張感というものは漫画の世界にもある、豊かで幻想的な心の内的風景も外の世界ではその真逆や対極にあり、それは猛毒に等しい天才として処理される。手塚治虫におけるSFだって、締め切りの現実逃避であったかも知れない。大切なのは事実ではない、蟹の甲羅の隙間からぶつぶつと噴く泡のように、踏板となるべき根拠によってイメージの範囲を拡大することだ。そしてその透明な見解でもって事実をえぐる。たとえば女性遍歴から多元宇宙を考えるようなもの、想いの強さ、印章って不相応な長考の中で逞しくなる。筒井康隆の『幻想の未来』では生命になった、陸と海のファーストコンタクトが行われる。宇宙人がいるかいないかを問題にするのはもちろん野暮なことだ、フェルミのパラドックスは有名だけれど、不可知論になるし、そうでなくとも認識に限界があるのは誰でもわかる。たとえば実は宇宙人が増えているんですよね、いませんか、あなたの街にも何の仕事をしているかわからない外国人。おっとコピーライターの仕事をしてしまった。クラークの『九○億の神の御名』ではないけれど、ラマ僧たちはコンピューターを駆使して、九〇億の御名をすべて書き並べることに成功し、その瞬間、神が人類を創った目的は達成され、人類は存在理由を失い、頭上の星々が、音もなく消えて行くのだ。意味のあるなしって理解度というより受容度だ、僕は同性愛という理解で、クラークの原罪意識がもたらしたものだと理解できたけれど、どうしてそれが、僕に、一九〇二年に公開されたジョルジュ・メリエス監督の、毛を剥いた鳥のうなじのような月に顔つけた、「月世界旅行」を想像させるだろう。ひとつのファーストコンタクトが、どんな終わり方をしているのであれ、ひとつの物語は墓として機能であり、読者は墓守みたいなものだ。それが遠くから見えているのか、それとも近くに見えているのか、執行猶予のように幸福の根拠について考えている、知れば知るほど退屈さは増す、暗澹たる幸福の根拠、それは晴れやかな静謐、草の匂いや木の芽立ちの若樹の匂いだ。目蓋がめりこむほどに眼を閉じながら思う、僕等も宇宙人だ。
2024年05月25日
害虫・害獣駆除という仕事がある。十中八九、心の綺麗な人には向かない、真っ先に折られる類の仕事だ。人間の恐怖、幽霊の恐怖と並んで、昆虫の恐怖、動物の恐怖というのは大きいものだ。蝉に女の子の悲鳴のようなものをあげる彼を知っているけれど、存外、トラウマみたいなものがあるのかなと思った。僕もアシナガグモに真夜中、こんにちはされたことがある。きっと、あやかしの世界へと誘われていた。『ジンメン』や『渋谷金魚』という漫画を読んで、それはちょっと違うけど、こういうことって言い聞かせるウォッカ度数。溶けてゆく、消えてゆく、燃えてゆく、イエス、この三段論法。人間なら法律が味方になってくれる。ストーカーやヤンデレには、警察がいる。幽霊ならお経を唱えれば何とかなるし、リアクション芸人の名をほしいままにする稲川淳二師匠がいる。インチキ霊能力者の代表格の織田無道先生だっている。スピ詐欺のエバラ焼き肉のタレ氏だっている。何の救いにもならないって? 何を仰います、だから世界は平和です。けれど昆虫や動物には言語が通じないので、そのATフィールドをどうにかしなくてはいけない。国家→人類→生命と言うレイヤーが見えてくる。銭湯における裸の付き合いさながらの交渉が無理なら、テレパシー能力という方法がありますです、はい。言うことをきかせるという実力行使。あなたが格闘家なら、ケンシロウのように経絡秘孔をつく。とはいえ、あなたが敵を殺しても罪に問われないが、殺し方で罪に問われるという、グラデーションを知らなくてはいけない。漫画やアニメだったら許されるけど、リアルに無双した場合はただのキチガイである。僕の記憶が正しければ、とある動物番組が終わったのは、そこに出演していた人が、リアルで牛の解体ショーをやって番組を続けられなくなった、とかいうのがある。自給自足もいいけど世間の眼を忘れてはいけない。前に何処かで読んだけど、アメリカのオヤジが、家族にあたりそうなぐらいイライラしていたけど、俺はジェントルメン、家族想いなイケオジ、でもちょっと待って、ストレス発散に、気分を変えてくる、庭で拳銃をぶっぱなし警察に逮捕されたそうだ。アメリカという国の懐の大きさを理解しながら、だって十何時間車で親戚の家まで走るからね、それの一種、銃社会の助長じゃない、ストレス発散。それに比べてわれわれの体たらくはどうだろう、ステルス性の拳銃で撃ちまくるしかない日本人。そこには人間生活という世界と、もう一つの動物側の思考回路の世界、適者生存、生存競争というものがあるのだ。いや、世界は複合的であり多層的なものだ。彼等には天敵がいて、生存の確率を上げるために、そこを巣として選んだのだ。そこに一切の悪意などない。これは通常、仲良く共存できるものだ、テリトリーが違うからね、都会の動物園みたいなものだ。問題は「安定」や「安心」という方向性は分秒刻みの代物で、可及的速やかに処理しなくてはいけないということだ。何しろテリトリーは変わって来る。何処かの商店街だかでフクロウの旦那が、大量発生してうるさいというのがあったけど、いまはどうなっているんだろう。たとえばシカの兄貴が車の前に飛び出して来たらどうだろう、車で一時間にらめっこしていられる余裕があるならそうしたらいい。SAN値が減少する。羊のスウィートダーリンが夢の中で歩き続けている、もこもこしているね、あと耳の形いいね、それときれいな髪しているねって褒めたらその人はゲイだ、おやすみなさい。しかしクマの親分があなたの家に入ってきたらどうだろう、「あ、ちょうどいい肉入ったんですよ、神戸牛食べる?もうまじぶっとぶよ」ってことなら、そうしてあげたらいい。言っておく、あなたは塩味がいい感じにきいている、骨付きカルビの親戚なのだ。生類憐みの令は立派だと思うけれど、野良犬に噛まれてそう思った人はどれぐらいいるだろう。ところで害虫・害獣駆除で辞めてしまう原因となる作業が、害獣の糞や残していった汚物を掃除することだ。もちろんただの糞ではない、山盛りになった糞尿の中に、腐った果実や害獣が狩ってきた鳥、小動物の死骸が混ざっていて、とんでもない悪臭を放っている。その悪臭からは経験の少ないアルバイトスタッフが、音を上げてしまう。人それぞれ考え方はあるけれど、糞には、ウイルスや菌、寄生虫など多くの健康被害につながるものも含まれている。糞に直接触れてしまうと、感染症やアレルギー症状を引き起こす原因にもなるし、逆に糞を放置することでノミ、ダニ、ウジが発生する可能性もある。そんな糞の近くにいるだけでそれらが身体に付着し、皮膚の炎症やかゆみを引き起こす恐れもある。おっと、セールストーク寄りの発言をしてしまった。僕も気を付けているんだ、そこに気を遣って書いている。しかし、こういう仕事もいずれはロボットが仕事をする。嫌な仕事、汚い仕事は、文句を言わないロボットがこなす。そして身震いし吐き気がする神が、コンピューターのように喋っている。あたりに光が満ちて静かな声で僕も改心した、うるさい、黙れ。もちろんみんなわかっている、動物一匹、昆虫一匹ちゃんと生命があって尊い。けれど、生活をする上で、どうしようもなく邪魔なのだ。ホームセンターへ行くと現代技術の粋のように並ぶスプレー。自然保護団体の仕事は偉大だ。環境保全の仕事は偉大だ。動物の動画に癒されるけど悪いブリーダーがいるし、捨て猫カフェや殺処分、密猟の話に胸が痛い想いをしている。通り魔を憎むのは、きっと、何の理由もなくいきなりそんなことをしてはいけないという証拠だ、でも牛や豚は違うのか、そういうあなたはけして間違っているわけじゃない。ムツゴロウ師匠は指をライオンに食われたけど、お腹減ってたんだねって笑ってた。病院へ行け。けれど、それは大義名分であり、上辺や建前であり、実際の被害に遭っている人は絶対にそうは思わない。正義とか悪では単純に分けられないデリケートな問題、あれはいいけど、これは駄目っていう通行手形で、それはもうおかしな具合になっている。ライオンのヒマワリちゃんが動物園から逃げて、あなたの家に入ってくるとする。その時あなたが同じことを言えるなら、それはとてもいいことだと思う。こんなことを言ったら僕もサイコパスって言われるのかも知れないが、そういう人はアフリカのサバンナへ行って餌になってあげたらいい。きれいごとで世界が救われるんじゃない、きれいごとで世界の亀裂が深まっているんだ。生きることから遠く離れているって危険だ。ベジタリアンやヴィーガンの人もそうだけど、何事も正反対の人の意見を封殺してはいけない。何だったら肉食もする、鯨も食べる、でもベジタリアンやヴィーガンの人の支援をしたいという、そういう柔軟な思考の人を窓口に立たせるべきだ。多くのベジタリアンやヴィーガンの人は、誰とでも仲良くしたい人だと思う、なんだったら全員そうだといえるかもしれない。けれど、ほんのちょっとの考え方の違いで対立する。ヤクザだって必要悪とみなす考え方のように、場合によってはいまじゃ一般人の方が邪悪だったりする。世界ってそんな一方通行では絶対に立ち行かない。その先に待ってるのは新しい憎しみの連鎖や、怒りの火種だけだ。こういうのを踏まえて、死ぬのは嫌だけどさ、隕石がぶっ落ちてきて世界が終わってくれたら、せいせいするのにな、というような考えを持つ人もいるだろう。ポイントを抑えてはいるけど、ポイントのあたりや位置関係が、正直あまり呑み込めていない人もいるだろう。仕事場だったら三十回でも五十回でも説明してやりたい。別にいい人間でもない、立派でもない、けれど間違っていることは直した方がいい、よくわからないことは、勉強した方がいい。でも人によってはやっぱりポイントが違う、これが人同士の問題を複雑にさせている要因なんだ。清水の舞台から飛び降りる覚悟で、ゴキブリにスリッパを構えるのは通常運転だが、(飲食店では毎年数回、「アースレッド」か「バルサン」をする、)それがアナフィラキシーショックを起こす、スズメバチだったらどうだろう。手塚治虫の昆虫写生のように、第三十五回青空お絵描き教室を始めるしかない。戦闘意志に変化はないだろうか。家の崩壊の恐れのある、シロアリだったらどうだろう。事前調査や見積もりのあと、床下に薬剤を散布するのだが、部屋の畳を剥がし、板を切り取ってそこから床下へ侵入、場合によってはコンクリートの梁を砕く必要もある。そして縁の下は高くても五〇センチ程度なため、薬剤の散布作業は匍匐前進で行われる。シロアリって一体何なんだ。絶対そう思う、すげーそう思う。バイク走っていて、時々昆虫に出合い頭のラブストーリーを、始めることはやぶさかではないけれどね。蠅があまりにも多すぎて蠅たたきが存在しない国みたいなもの。とはいえ、ネズミを除くほぼ全ての動物は鳥獣保護法により守られ、殺傷はおろか捕獲も許されおらず、いかなる直接的駆除も法律の罰則対象になる。動物愛護法もある、精神的なものも含まれる、普通の飼い主にそれが接触することはないよ。仮に殺傷をするとしても手続きというお役所仕事が存在する。こういう場合は猟師だろうが、先行きは暗い。地域のためと思って要請に従って行う作業なのに、世間の白い目が向けられがちだ。前述したように人との問題はポイントが違うので難しい。また、市街地に出没したクマを人家近くで撃ったために、狩猟免許を剥奪された事件があった。世の中にとって必要とされる仕事が、ダークな響きを持つのは何故だろう、悪役へ立候補するように、「地球の環境を守る仕事」と書かれていることもあるらしい。もう山の中で流しそうめんするしかない。そして猟友会の不祥事は相次いでいるし、またシロアリとかハチなどの詐欺も相次いでいる。現場での強引な請求、必要ない作業費での費用追加、水増し、更には杜撰な駆除作業。そういうわけなのかどうかはわからないが、害虫・害獣駆除の仕事は、給与がとても高く設定されている。ブラックな匂いがプンプンするというが、住めば都で、働けばローマへ通ず、かもしれない、混ざってる、わかってる、ただ求人情報における中小企業あるあるの軽作業詐欺、フレンドリーな職場イジメ横行ということはまあ、四角いところにチェックいれるように知ってるだろうけど、「世間の常識、知らないあなたの世界は平和」という標語でも作りたいこの頃だが、まあ、拘束時間が長いとか、仕事内容が地味にエグいとかもそれはまああるだろう。前にお金や仕事内容じゃない、そこにいる人で仕事は続くんだという意見があったけど、これもおおむね正しい気がする。傍目からはブラック企業体質でも、残業が多くても、職場の人間が素晴らしいということは有り得るからだ。給料が二倍いや四倍ならブラックでもイジメがあっても許せると思えるなら、お金様。仕事内容も、労働時間、休みや発言権など、どれだけ融通がきけば、という風に置き換えて考えてみるといい。一番はみんなにとって普通とか一般論というのが、常識的範囲におさまればいいけど、僕も社会経験を通して、挨拶をしない人、関わり合いになるべきではない人、なんだったら辞めたいなら辞めた方がいいと思えることを学んだ。僕だってもう学校とか、詩の修業時代に培った、まともな常識なんかただの一つも持ち合わせちゃいないさ。車が走っている限り狸や猫は轢かれる。自動運転になれば数は減ると思うけど、なくならないだろう。さて、害獣駆除のハイライトはやはり、トラップを仕掛けて車の中で待機して、とりもちにネズミが引っ掛かって、その場で首の骨を折って仕留めるみたいな仕事だろう。子供時代、公園で弱っていた鳩を自宅に連れ帰ってしまうぐらいの、まあヘタレなので、色々難しいところはある。けど、仕事って割り切れば僕だって殺すだろう。とはいえやっぱり、草を引っこ抜くのとは違う、蚊をパンと叩いて潰すのとはそれはわけが違う。ね、人間ってポイントが違うんだ。蚊が猫のようなフォルムしていたら、血を吸われたっていいかも知れない。そういえば、ユーチューブの企画みたいだけど、ゴキブリ一〇〇匹と一か月間同居できれば三八万円を提供、アメリカ・ノースカロライナ州にある害虫駆除会社の、新開発技術の駆除実験というのがあったな。ぼんやり考えてたんだ、ゴキブリが悪霊化したらみんな霊能力を身に着け、無力化する詠唱呪文を暗記するかも知れない。あとはオニャンコ様にネズミを狩ってもらうという手法もある、インスタグラム脳的な人にとって、オニャンコ様とふれあいの時間に多少の遠慮が出るかも知れないが。ところで害獣動物には区分けがあって、ネズミやアライグマやハクビシンやコウモリやハトやカラスなどを、駆除するのが対象になり、クマやイノシシやシカなど大きな動物の駆除は、猟銃が必要とされるため、猟友会のお仕事。民間企業が運営する一般的な害獣駆除業者は、民家や公共施設に入り込む小型の野生動物を駆除するのが仕事だ。でも殺さない。当たり前だけど、殺さない。天井裏・床下・壁の中などに野生動物が入り込んだ場合、動物の嫌う臭いがする専用の煙である忌避剤を充満させて、炙りだしを行い、害獣に自ら出て行ってもらった上で、戻ってくることの無いように出入口となる穴や隙間を塞ぐ対策を行うのが、一般的な駆除方法だ。いやそれは駆除とは言わない、対策と言うのだ。ヒアリの水際対策のようなものだね。繁殖率が高い生き物にとって、被害を防ぐことは難しい。もちろん、あなた様の、マカデミアナッツを食べたくなる気持ちはわかる。僕だって食べたい。これで解決するのかという問い掛けがあれば解決はしないだろう。だって、殺していないのだ、いたちごっこだ。だが、こういう考えがあります、仕事というのは困っている人を助けるものだ、つまり困っていると言わない人は専門外。あとはどうとでもしちゃってよ、それがキチガイ。しかし専門外ということを改めて考えてみるのもいいことだ、ようは、前述したように当たり前の話になっちゃうけど、動物を殺してはいけないということだ。いや、殺せないし、というそこのあなた、そう、殺さなくていいのだ。侵入経路と塞ぎ方を徹底すれば防げる、窓・網戸をする。玄関の郵便受けは防ぐ、定期的な排水溝や排水ホースの見回り、などなど。そんなんで解決するかって考えてみたらいい、いや、解決させる気なんてさらさらないから書いてる。根本的な解決策は行政とか農家が何とかするしかない。とはいえ、スズメバチの報酬数十万に、クマの報酬が八五〇〇円である。命懸けの仕事に子供のお小遣いというのがXでツイートされ、スターバックスでコーヒーを注文したくなった人もいるだろう。市役所にクマの親分を殺したとかで、泣きながら苦情を入れてくる人もいる。優しいのはいいことだ。ただ、優しいことを他人に強要するのはやめろ。屑人間が沢山いる、殺伐とした世界だっていうのはわかる。けれど、この世界には沢山の独自ルールがあって、そういうあなたが足を引っ張ってるということを知らなくてはいけない。ジブリの世界に迷い込んで、そろそろ王蟲みたいな奴とか、特撮セットをぶち壊す、怪獣みたいな奴とか出てきてもいいのかも知れない。勧善懲悪の分かり易さが尊ばれるのは、熱狂するのは、おそらく人類の長い歴史上、そんなものがなかったからだろう。
2024年05月25日
満足感や充実感や感動が、努力や時間やお金などの犠牲なしにはあり得ない。氷の塊だって動き出しそうさ。次の進化を待つ。号令を待て。夢の片隅に綺麗な小さな花が咲いてる。ひとすじの星の道を見つけて、後悔は美しい花を咲かせる。一列に並んで駆けっこが始まった。五十メートル走、百メートル走かと思っていたら、五百メートル、一キロ、気が付いたらフルマラソンのようにも思えてきている、持久力と瞬発力のどちらが命運を分けるかわからない、眼の中の水分、眼の端の埃を追いかけている時間、ただ僕等、準備してきた。泳ぐみたいに逸る胸は何かに呼ばれているような心持ちで見つめた、様々に折り重なった無数のテリトリーと結び目の、イメージの世界を。プレッシャーは避けたい、自分で出来る範囲でいい、水溜まりは小さな海、木々だって茨になる、建物だってバリケードになる、想定しなくちゃいけない、全部バランスよく穏やかな幸福感が得られるまで。諦めなしに人は先には進めない、けれど向上心のない人間は毒を垂れ流す。頑張れって言葉は、自分は何も考えていませんって意味だ。線引きだ。意味のない言葉を何百回も聞いて、死ぬほどゾッとした。万引きした主婦だって、エ ロ動画視聴している裁判官にだって言える。賢者タイムだ。きれいごとで原子爆弾落としましょう、さよなら。才能があるって言葉は銃を撃たれるって意味だ、僕はこれまで何千何万人の心臓、咽喉元、脳味噌めがけて撃ってきた。才能って破壊だ。何もかもが見える人間もいれば、何もかも見えない人間もいる、確率論なんだよ、誤差範囲なんだよ、成功失敗の的中率なんだよ、何をどうこう言ったって、僕等がフェアであること、スポーツマンシップに則りたいことは、止められない。だって僕は人間でいたいから、あなたのような屑でいたくないから。人って変われるかっていう問い掛けを聞かれたので、正直に答えた、僕は人って本当の意味で変われないと思う、ただ、我慢する力を強めたり、自分を成長させる能力に極振りすることは出来る、能力って使い方にすぎない。求める、応じる、そしてすっからかん。喜怒哀楽って何だったんだろう、人間らしさって何なんだろう、僕は問い掛けるよ、君に。僕は問い掛けるよ、胸倉掴んでもね。愛とはどういうことなんだろう、好き勝手にいう人間の心理学を勉強し、ルサンチマンを勉強し、弱者という言葉を隠れ蓑にする卑怯な連中も知った、論理武装、誰かの声が大きければそれに従うとかもね、何かわかったことがあるかって聞かれたら、人間ってどこまでいっても、下らないってことだけだ。逆も真理さ。何処からだってガイドブックになる、何からだって達することができる悟りの書さ。そんなことに長けてゆく己の未熟さを思い知れ。偉そうにすることもないし、誰かに媚びへつらう必要もないよ、だって同じ人間なんだから。ぼんやりしている時に、ストンと心の内に落ちて来る答えもあるし、誰かが言う理想も時には美しい。美しい歌があるよね、きれいなメロディライン、僕でも肯く素晴らしい歌詞、だけどそれは広告なんだ、痛みがないんだ、あるって見せかけているけど、それはもう中身がないのと等しいことなんだ、ずっと続くと思っていたって続かないんだよ、そんな風にね。人はやっぱり死ぬし、思ってたこととの擦れ違いが生まれる。だから敗走を始めるんだよ、人生いつ何が起こるかわからないって気付くしかないんだよ、大切なことなら毎日呪文みたいに唱えるんだよ、ラブソングみたいに酔っ払えないし、アニメやドラマのワンクールでおしまいにできない。犬や猫と仲良く暮らしている動画を観ると安心するけど、世の中には犬や猫が大嫌いな人もいるんだ。蜘蛛だって可愛い蛇だって可愛い、それで思い出すんだよ、だから牛肉や豚肉が食べれない人。そんなのをずっと考えていても堂々巡りさ、だけど忘れちゃいけない、人ってパーセンテージなんだよ、どの比率が高くて、どの傾向が強いか。広く浅く、深く狭く、手広くすれば色んなことは出来るけれど、特定の分野の情報を究められない。しかし一つだけを徹底的に究めたら、他のことは一切何も出来ないし、それこそ、潰しがきかない。ホリエモンやひろゆきや岡田斗司夫が喋ってる、いいね、でも喋るたびに中身はどんどん薄くなってゆくのさ、考える時間って一人の時間のことだ。誰かに話してもそこから成長しない、僕はそれを考えるようになって、どうして人が駄目になってゆくのか、何となくわかったような気がする。応えるってのはいいことだ、仕事っていいことだ、イエスっていい言葉だ、人に影響を与えるっていいことだ、けれどそのたびに嘘や間違いや亀裂が忍び込んでゆく、心というブラックボックスの中に。空気が閉ざされて、道が閉ざされて、上手く息が吸えない感覚がわかったら、そろそろ多様性を受け入れる準備が出来たということだ、一人では見つからないことも、二人なら見つかる。僕も長い時間の中でおおむねそれが正しいって思ってる、視野狭窄よりはずっとマシ、限定的な世界は窮屈すぎる。だけど、自分というものが薄まれば、他人の視点を勝手に起動するようになる、そうすると思考回路がぐちゃぐちゃになりやすくなる。意識の流れみたいな言葉の流れ。転んで擦りむいた膝には傷口が出来ていた、生乾きの傷口に触れるとやっぱり痛かった。神様が爛れたんだよ、その時。祟られたんだよ、その時。消毒薬や絆創膏をして、ペロッと捲ると折角ついた瘡蓋が取れた。放っておいたらいつのまにか治った。でも、いつのまにか治る感覚から、中々治らない感覚が増えていく、遺伝子の中の組み換えがそうっと始まるのさ、意思決定に少しずつ確定要素が忍び込むのさ。ループ物なのにループメインじゃない物語みたいにさ、ちょっと頭を捻って考えろよ。だらだらだらだら文章に身を委ねるな、お前の意見があんのか。大人になっていくってそういうことか、子供ではなくなるってそういうことか。怪我をしても破傷風とか、黴菌という発想をする、水で流そうとか、後でちゃんと消毒しようと思う、どんどん臆病になっていくのかも知れない、けれど、突然熱が出てぶっ倒れることもなくなった。ああ、街はカレイドスコープ。移動時間や待ち時間を教えられるみたいに、長い長い長い長い無駄な時間を過ごしていると、ほくそ笑みたくなるのは何でだ。動く大仏と戦車が対決する。カレンダーに書いてあるスケジュールを守りながら、時には全然書いていないことを始める。そういえば排除とは、精神病に固有のメカニズムであり、抑圧の失敗のことだ。君が排除について思い至る時、ゆめゆめ忘れることなかれ。楽しかったらいいと思う。間違っていたって人に迷惑をかけなければ、それは人生によくある立ち止まったり、振り返ったりする時間だ。レシピ通りに料理は作れるけれど、未だに時計を分解して直せる自信はない。クリーニングされて戻って来た服は、やっぱりクリーニングされて戻ってきた服だった。当たり前のことだって、そうじゃない。当たり前のことだって、そうじゃない。壊したままでもいい、やり直さなくてもいい、けれど何か一つぐらいは、きっと何か一つぐらいは、壊してはいけないもの、やり直さずにはいられないものがある。見世物小屋の壊れた窓から、あの薄い惑星の横顔、昼の月を見つけようよ。ねえ、やったね、やっちゃったね、ついに、きたね、ああ、ごめんごめん、君も人生の在り処を見つけたんだ、洗濯機をまわしながらベランダから見る、ひなびた都市の景色もそんなに悪くはないものさ。中指で女神のあらぬところに突き刺す、超能力を開発したいお年頃。独り身でいる自由や孤独は理解できても、誰かと暮らす幸福も、時には責任の足枷になる。何もないよりはいいけれど、選ぶ前から選んだ気になってる小利口な人もいる、非常に真剣な人間を怒らせるし、それは大抵馬鹿といわれる。滅茶苦茶だって、絶対上手くいきっこないっていわれたことも、僕はいくつもやり遂げてきた、失敗恐れて成功はないぞって僕は言った、その時の僕の眼は誰よりも輝いていて、世界中をたった一人で作り替える、自信と勇気と持っていたからだ。耐えられないって思えたことはないか、とことんまで向き合わないまま手遅れになったケースはないか、泣きたいのか笑いたいのかそれさえもわからないんだ。理解っていうのが一定数通り越して、想定の範囲を越えて、要素として抽出し、他人を絶対数として存在させながら、論理性というものを打ち出していくようになると、条件ってものだけで構造がわかるようになる。一個や二個の確認じゃない、もっと複数さ。チャンネルの数が数十になる、絶えず多元的解釈を求める。分かりすぎる人間というのは辛いものだよ、分からないことよりもずっと辛いことを僕は証言できる。でもバスタオルに吸われた水分を、犬が濡れた面積と照らし合わせて少し軽いって、意味不明な答えを出すことはできる。そろそろ、コツがわかってきた頃だね。何も出来ない人間がいて、無能とか、病気とかいうことではなく、もっと根深い、劣等感っていう精神で、身動き取れなくなってしまうらしい。無我夢中でクリアしてきて、ついぞ意識しなかったことが、沢山の人のどうしようもなさを通して、世の中というものを理解できる。君もそうだろう。ねえ、君だってそうなんだろう。わかったようなわからないような考えで、その実、どっちでもいい、どれでもいいって、自分の選択肢探してるだけのロボットなんだ。学校なんかいらない、都市なんかいらない、文明なんかいらない、人間なんかいらない、僕だってそう思う、あるいは、僕だからそう思う、何が正しくて間違っているとかじゃなくて、一歩も前に進めないまま十何年も過ぎると、不平不満を通り越すよ、常識を疑い、人間の品性すら疑うよ、愛とか平和とか夢という言葉すら疑ったよ、神とか、宇宙とかいう言葉すら疑った。そうでなきゃ僕は生きていられなかった、病っていうものは人間をとことんまで腐らせる。発泡スチロールみたいな人間ってそれは嫌だよ。段ボールみたいな人間ってそれは嫌だよ。僕はやっぱり今日死ぬように生きているし、僕はやっぱり永遠の中の途中のような気持ちで、毎日を過ごしている。何が正しいとかじゃない、僕はあなたが間違っていると思いながら、今日いまこの瞬間も生きようとしているのさ。うすっぺらい空っぽが容量を大きくしたような錯覚をさせる、でも情報の大元は、バリューさ。結論ばっかり聞いても最終的にあってもなくなるようなことがある、広告の癖がついてるのさ、お前なんかどうせ大した人間じゃない、言い聞かせるのさ、弱いところすべて認めて受け入れて、ぶつかって、ぶったおして、さあそろそろエジプト旅行はお考えですか?本当に自分一人だけで生きるって、普通とか平均という言葉ぐらい難しい。仕掛け装置さ、信号も街路樹も、通奏低音さ、電車の音も、冷蔵庫や換気扇の音も。どれを選んでも正解だけど、絶対に選んではいけない答えもわかっている。衣食住あって生活だぞよと言いながら、ビール飲まなきゃやってはいられぬ夜もある。選んだ瞬間は前を向くしかない、胸を張れない時もある、泣きたいこともある、頑張りすぎて誰にも言い訳したくないこともある、失敗しても、後ろだけは振り向いてはいけない、人生に時々訪れる試練だ。言葉貧しき貸しボート、なげかわしきや他人のフンドシ。中身のないことを続けても一ミリも成長しない、解決策って何だよ、シミュレーションじゃねえんだよ、子育てをしなくても後輩を育成できる、どんなシミュレーションゲームであるとしても、無や苦だけの地獄ってわけじゃない、意味なんか後から、どっかから、適当に、え、そこから出てきますかっていう具合に生まれてくる。社会的な地位や名誉はなくても啓発や薫陶はできる。あと、上も下も脱いで、風呂場へ飛び込め。お前はトビウオ、さあ、ピュアホワイトな飛沫あげろ。それでもルーティンを守る。毎朝同じ時間にちゃんと起き、なるべく同じ時間に眠ろうとする。沢山の勲章や優勝トロフィーのようなものを両手いっぱい抱えて、人より優れた仕事をしている自負のお化けだったこともある、意味なんかないよ、そうすると苦しみは少し減るんだ、処方箋ではある、自己暗示の世界ではあるかも知れない、だけど避けては通れない道もある、本当の意味で何もかもわかっているのは、何もかもわかっていない奴だけさ。馬鹿と天才は紙一重。小さく死ぬ勇気が必要なんだ、小さく生きる勇気と共に。こんなんでいいのかって滅茶苦茶悩んで苦しんでもがいたって、仕事が待ってる、連れ合いも待ってる、役目もある、放棄はできない、人それぞれしなくちゃいけないことがあるから。馬鹿馬鹿しくても、投げ出せないことを見つけたら、それがきっと生きる理由になるんだ。いいこと言った、だから俺に酒おごれよ。いいや、めっちゃ高い酒おごらせるから。一杯で数十万の酒だから、顔見るたび逃げたくなるような、酒おごらせるから。でも俺、ビールしか飲まないんだよ。パーセンテージを振って、最善の答えを探す。自分の好き嫌い、他人の見え方、一般論と、一番縁遠い考え方や答えまで照らし合わせて、自分というものが人生の一部のようになる。一体化の問題について考えている時は、表裏一体のものというイメージがあるんだ、嘘と本当もなし崩し的にというニュアンスもあるかもしれない、だけどさあ、どんな状況にいても、正解はこの時、この場所、ここにいる自分だけが持っているもの。とりあえず十代か大学生だったら、髪色をレインボーカラーに染めてインスタグラムに投稿すること、お前の多様性をみせてくれ。何も変わらない一日だ。人生いつ何が起きるかわからないけれど、諦め、認めることも大切だ。嘘をあまりにつきすぎると心が壊れてしまうから。何も変えられない一日だ。突然愛しさや優しさがこみあげてきて、色んなことにイライラしていた気分が、スッと晴れるかも知れない。犬のお尻を見るたびに「なんだよ、おまえ」って思う。「なんだよ、おまえ、可愛いじゃん」って思う。「喧嘩売ってんのかよ、可愛いじゃん」って思う。三十分以上なんやかんや待たされて、眉間皺よりまくりで、もう道行く奴を、カポエラで全員殺害できるという設定で、あのごめん設定で、この街を踊るように歩いていけよ!きれいごとだけじゃ救われないし、意味のない人間なんか好きになれるわけがない、だけども、人それぞれ目的がある、共通の目的、世界の目的、人類の目的、宇宙の目的、いやそんなものはないかも知れないけれど、ぼんやりと考えながら探してみる、誰だって眼を開けて眼を閉じることを繰り返す、瞬きの間に全部の時間が流れていると想像してみた、終わりも始まりもそこにあると想像してみた。眠れなくて数時間も色んなことを考えていたことがある、どうしてそこまでして狂えないのかと逆に悩んでた、僕がどうして変な人や、わけのわからない人に好かれるのか、本当のところ、よくわかる気がするんだ。なんていうのか、見えるところよりも、見えないところの方が大きい気がするんだ、無意識ってやつかな、沢山の人の見え方が全体の答えにならず、何かもっと別のバランスを訴えかけているような気がする、そんな気がする、そんな気もする、夜だ。
2024年05月23日
...子供の国には何があるの?カーテンを開けて朝を迎えた、けれど目覚まし時計はあっても、一番大切なものがない。ルーティンはあっても、鳥たちの呼吸は聞こえても、ウーガタガタガタタというドリル音が聞こえても、やっぱりやっぱり、大切なものがない(?)三つ子の魂百までも―――ね・・。絵を見せてあげてください、笑ったり、手足をバタバタさせたりするはずですよ・・。 *「ママって言いたい五秒前イラスト(?)」燃え上がりました、恋焦がれました、それが、その永遠の花園(?)「ママがママじゃなかったらもうママって呼べないイラスト(?)」多くの男たちと女たちに消えない結び目つくりました、ダウンバースト(?)byゆさぎ社(?) *深夜の静寂の叫びのあと、小さな雫が眠りの中で祝福されました(?)はい、洗脳完了、バブウウウウウ(*´Д`) *アルマジロです、こんにちは。父親になるんだよ。母親になるんだよ。そして一切がシュールレアリスムの幻想(?) *「あーちゃんが言った―――いや、言われた、仰られた、平均的な四歳児は四〇〇個以上の質問をすると・・・・」「・・・・・・」「あたしもあーちゃんにそれとなく、四歳児と思われる名誉に浴しながら、人知れず研鑽を重ねて、後退するのでもなく行く先のない場所をひたすら彷徨った、乾いた土地の光と闇の中、埃交じりの風に吹かれて太陽の叫びを知った。あと、なんかよくわからないけど幾億光年歌っておいた(?)あれはあたしの考えではどう見繕っても、赤ん坊視点の母親を想った、マゾコンソングだと想えたから(?)マザコンは馬鹿にするな、マゾは馬鹿にしてもいい(?)けれど時々マゾコンという風にも思えてくる(?)ラブソングとマザーコンプレックスという名のマザーボード(?)その燐寸、気をつけて、ガソリンスタンド、燃えるファザー(?) 燃えるグランドファザー(?)ファイナルアンサー(?)水溜まりの表面に住み着いたアメンボの如く、悪い夢は漠に食べてもらいたいし、薔薇色の夢を見たい(?)ついに千個以上の質問を達成し、バブーした(?)」そういうことじゃないし、そもそも、お前は四歳児じゃねえしバブーじゃねえ!(?)眼が合った。慌てて目線を避けた。 *さあ、そろそろ、マカデミアナッツを食べに、イスラエルへ行かなきゃねって主人公は言った(?)そしてポケットのペンダントをパカッと開けて、あーちゃんを見た(?)「もう、随分建っちゃったね、でも忘れないから」「勝手にいい雰囲気になってるけど、殺さないでくれる?」 *そんな風に夏休みが始まった。入道雲がなんかむくむくもこもこして、あとそれから、ママって言いたい季節が来た(?)「ママって言いたい五秒前イラスト(?)」ほらほら言って言って驚きの包容力(?)「ママがママじゃなかったらもうママって呼べないイラスト(?)」ほらほら言って言って頬ずりしたいマジ五秒前(?)byゆさぎ社(?) *...子供と初めてのお風呂。初めての予防接種、初めての歯磨き、初めてのお出かけ、初めてのお昼寝。初めての保育園探し、初めてのママ友探し、初めての公園デビュー(?)やっぱりカーテンを開けて朝を迎えた、けれど目覚まし時計はあっても、一番大切なものがない。ルーティンはあっても、鳥たちの呼吸は聞こえても、ウーガタガタガタタというドリル音が聞こえても、やっぱりやっぱり、大切なものがない(?)あたしは非力です、そして蒸れた日向の匂いがします。小さな命です、漫画の鼠みたいな存在です。足が小さな葉っぱなら、胴体は蜥蜴みたいな感じです、そして逃げたくて怖い子犬みたいな存在です。 *2×××年、度重なる核兵器による攻撃によっては、赤ん坊は高度な知性を持ち、コインロッカーを巣として、大人狩りをするようになりました(?)世界はまだまだ、バブウウウウウ(*´Д`) *何を見せられているんだって問い掛けたい。トリックスター的役割を持つ、うさぎーずは、シルエットやイラストに思い思いの言葉の種子をぶちまけた。あと、時々思い出したように、「ママ」ってわたしの顔を見て言った(?) *「あーちゃんから、バブみを強く感じる(?)」「・・・・・・」本来の意味についてオタク男子が怒っているといったが、勝手に怒ってろと同じぐらい、そもそも、バブみって何だ(?)かもちゃんが近寄ってきて、ママという。鳥類じゃないんで、いや、そもそもかもちゃん、鳥類の規格ではないんで、と、たこ焼きとかいう娘がピシャリ。バチバチバチ、と勝手に電流をあげている。ちなみに、擬音はしゃべることで詠唱呪文となる(?)バチバチバチ。もう、かもちゃん感電したよ(?)バチバチバチ。もう、たこ焼きは死んでいる(?)「前世は親子だったかも知れない、だから入浴剤のバブ(?) きき湯も可(?)あれはスピ詐欺エバラ焼き肉のたれの好きな、フランスでの出来事。母親が戻って来る、母親がいる、あたしは引き換えに目覚めました(?)あるいは―――、包容力のなせる業かも知れない、大自然を感じる、太陽を感じる、あなたは、角膜にフラッシュバックする、映像そのままに、本物の、不可思議の、安寧であるがために、楽園の網の巨大さ、輪廻転生、因果、引き寄せの法則、夢幻の仮想現実、とりあえず言っておきたい円卓の騎士団(?)あと、ネバーエンディングストーリー(?)つまり? しゅべて(?)今日からあたしの母親、幼児退行してきました(?)忘れないで忘れないで、あんなに痛い想いをしてまで、生まれたいって願ったから大きく開いたのです。タイヤの繊維です、ゴムゴムの実ではない方です(?)水の増していく浴槽の感覚が途切れて、観音開き、あのかぎ編みが、あの刺繡が、胸の奥に残る(?)歯車でした、地獄の不毛でした、現世利益を貪り、娯楽に溢れた見せかけの動機の場所で、切断できない、結び目も焼き尽くすことはできない、ただ、生きられなかった、行きたかった、レーズンパン(?)ちぇっ、焼きそばパン買いたかったのにさ(?)でも自分の存在以上に大きなものに委ねられておりました、ドンブラコ、桃の実は流れてめでたしめでたし(?)ドンブラコ、ハローワークインターネットサービス(?)あの時、世界はまだ何も見えませんでした、ああ、こっくりこっくりやりながら、これが本当のこっくりさん、永遠の豊饒のような万象の象徴たるその手が頭部に触れた、撫でる為、慈しむ為に。最高傑作のママ、愛のないベッドでも、冷たい月光でも、死の恐怖でも、四十度の高熱でも、恐ろしい形相の蛙が蛇に呑み込まれようとしていても、最高傑作のママ、あの時、あたしの世界はその心臓の鼓動の中にあったのです。まったく、あーちゃんはたまらんぜ、オギャりたい(?)」 *殴っていいですか、を行使したい(?)知ってる知ってる、を行使したい(?) *ミルクのあとに赤ちゃんが泣くのは、お腹の中に空気が溜まって、ゲップができず、苦しくて泣いているのかも知れません。、、、、、、、、、、だからイルカも飛んだ(?)身体の何処かが痒い、痛い、助けてほしいなどで、泣いて訴えているかも知れません。 もしかしたら、熱が出ている可能性もあります。、、、、、、、、、、、、だからイルカは飛びました(?) *ぺろっ、と唇のまわりを舐めまわしてから、「ママ」と言った、レッサーパンダ(?)地面を踏み鳴らす音が聞こえて、マザーと叫んだジョンレノンも見えてきました(?)ビートルズで叫ぶのは大体いつもジョン(?) *いずうさちゃんが、ママと言ったので、一体この世界の動物たちは、どんな魔術を使うのだろうかと思う。今日から同級生と、鳥と、うさぎのママになる物語(?)なろう小説になると初回から下手糞な文章が始まり、二回目には荒唐無稽な会話文だけになり、三回目は迎えないまま、作者が飽きたまま、黒歴史になっているような話(?)しかし鳥やうさぎのママにはなれても、たこ焼きとか動物という人間のママにだけはなれない気がした(?)「ああ、あーちゃんにキスしてもらいてえ、チューしてもらいてえ、口づけしてもらいてえ(?)駄目男製造機の異名を取りながら、それでも、ここで膝枕してもらいてえ、ハァハァ・・・(*´Д`)ここで胸に優しくあやされてえ、ハァハァ・・・(*´Д`)」「・・・・・・」 *...甘えるって何だろう?生きてゆく上で無垢で無力で純粋なものは教えてくれる、見捨てられたものと、見捨てられなかったものを。鴉が見ている、梟が見ている、蛇が見ている、野良猫が見ている。やっぱりカーテンを開けて朝を迎えた、けれど目覚まし時計はあっても、一番大切なものがない。ルーティンはあっても、鳥たちの呼吸は聞こえても、ウーガタガタガタタというドリル音が聞こえても、やっぱりやっぱり、大切なものがない(?)そしてあーちゃんが、放課後の教室で、いつもなら教育的指導や、正座もさせるのに、何か途方もなく筋違いな、お門違いな気がして、ずっと迷っている、そして何も言えないでいる。けれど、言いたいことは一つだけだった。誰がどう考えても、答えはたった一つだけ。、、、、何だこれ。
2024年05月23日
美容師は、二年約三〇〇万、美容師国家試験資格こみこみの、美容師の専門学校を出れば、みんながスタイリストになれるわけではない。美容師は仕事内容に応じて、アシスタントとスタイリストに分かれる。なお、理容師・美容師免許のダブルライセンスを取得するなど、就職の場や、将来のことを考えるなら、取っておいて損はない気がする。また自分が何をしている時が楽しいかを考える、自分と向き合う時間は大切だ。好き嫌いというのは大切な要素だし、周囲の意見は一切関係ない。後悔する人ほど自己分析が出来ないものだ。「好きなこと」だけでなく、「嫌いなこと」も把握して突き詰める必要もある。現実問題、お金が得られなくて生活が苦しいのが嫌な人もいる。夢の為とか、将来の自分がクリアに見えていたら、下積み時代も楽しく過ごせるかも知れない。さて、スタイリストは自分の技術で利益を生み出す立場、アシスタントはお手伝いをしながら技術を身に着けている、修行中の身だ。アシスタントはスタイリストを目指して、実践で勉強しながら技術を身に着ける必要がある。ぶっちゃけた話、スタイリストになるまで約三年かかるといわれている。美容師のキャリアパスは、アシスタント、スタイリスト、主任・チーフ、店長など。さらに独立開業や講師といった選択肢もあるけれど、この約三年が過酷な修行僧。それ以上もあるし、それ以下はまずないだろう。たとえばある美容室の一年目前半は、シャンプーやマッサージ、トリートメント、カラーの塗布を学ぶ。一年後半は、カラー応用、縮毛強制、ブロー、スタイリングを学ぶ。二年目前半は、パーマの基本、特殊パーマ、ヘアセット。二年目後半は、カットの基本、着付け、ヘアメイク。三年目でカット応用(ショート・ミディアム・ロング)というのがおおよそのカリキュラムだ。ちなみに女性のショートレイヤースタイルが、カッコよく決まっているお客様が多い美容室は、カットが上手な傾向があるらしい。インスタグラム脳が湧きたつような問い掛けだ。こんなお客様もシャンプーのワシャワシャ音や、シャワーのジャバジャバ音の中で、人知れず変なことを考えているに違いないのだ。あのごめん、一つだけ訂正しておく。偏見もあるからね、うちは。もちろん、髪型の流行だけでなく、パーマ剤やヘアカラー剤なども年々進化しているし、場合によってはヘアスタイルやメイクだけではなく、ネイルとかタトゥーなど、もっと様々な焦点に合わせる、美の総合職になっていくかも知れない。職業努力は必要だろう。もしかしたら客のひざ掛けに猫を座らせる、猫美容室、猫サロンなんていうのも出来るかも知れない。一つだけ謝っておく、冗談だからね。ベルギーの美容室ではカットした髪の毛をリサイクルし、ベルギーの水路を浄化したなんていう話もあるし、髪の毛を使った油吸収効果はNASAで実証されていて、海を綺麗にすることにも使われるなんていう話もある。散々持ち上げてごめん。とはいえ、である。勤務先の美容室の教育体制が整っていなかったり、過酷な労働環境に慣れずに挫折したりする人も大勢いる。まず美容師はブラック企業だ。一日の労働時間は、おおよそ十二時間だが、客商売の上、殿様商売をしているわけではない以上、これもごくごくありふれた、ブラックの形態というものだろう。もちろん上下関係の問題もある。ちなみに彼等は「美容室」ではなく、「サロン」という言い方をする。あの物言いにどうも卑屈モードに入ってしまう人もいる。ちなみに僕は美容室に怖くて一度も行けない。さて美容室の一日のスケジュールを簡単に説明しよう。九時出勤、開店準備、今日一日の流れを確認する朝礼。十時オープン、忙しければランチやトイレに行く時間はない。十九時に、美容室はクローズになる。とはいえ予約受付終了、残っているお客様がいればその接客をこなす。二十時、最後のお客様終了をして、看板を下ろして後片付けをする。二十一時、閉店作業。ミーティング、次の日の準備、退勤。閉店後アシスタントの指導にあたることもある。営業時間の終わりが 早いサロンほど、遅くなると嫌な感じになりがちで、そこで働いている従業員は、「早く帰れるのが嬉しい」からそこで働いている。逆も然りで、夜遅くまで営業しているサロンほど、遅くなっても歓迎される。病院の日曜営業と同じような意味合いで、営業努力というのは従業員に負担をかける。眼の前のお客様の対応だけでなく、並行して予約管理も行い、お客様に気持ちよく過ごしてもらうために、細心の注意を払うため、精神的にも肉体的にも疲労が蓄積する。営業スマイルは忘れずに。そんな時はどうか、中国・湖南省にある長沙という街の武術の訓練を取り入れて、髪を切っている美容師のことを思い出して欲しい。逆立ちしながら髪切っていて、僕でも「こいつ大丈夫かな」と思った。でも革新的なことをしたいと思った。中国ってすごい国だ。そういえば刀剣と炎を駆使して散髪する恐るべき美容院もあり、まだまだこういうパフォーマンス部門は、充実させてゆくべきだと思います。異次元の仕上がりのカットになって、賠償請求されないようにね。で、毛量がアレな男性に「頭髪の話題」妙齢の女性に「結婚の話題」など、様々なタブーがあるけれど、こういうのは女性的な要素が求められる。しかし女性的な要素が求められるということは、つまり、相手も女性であるということだ。客商売の中で女性の比率にいく仕事ほど、僕は大変だと考える。我儘な客はもちろんいるし、ひどい物の言い方をする客もいるだろう。「これでいいですか?」の問い掛けに、NOの返答が返って来ることだってあるのだ。ヘアアレンジなら、巻き方が足りないとか、右側にずれているとか。ここはもっとフワッとさせてとか、それは言うだろう。無我夢中でアイロンを多用し、やみくもにアメピン、Uピンでとめ、さっさとハードスプレーで固める、なんていうこともあるらしい。まあ、多様性の時代、男性も随分オカマな奴が増えたけれど、それは中性的とか、会話スキルってやつかも知れないぜ。刺がない人っていいものだ。ともあれ、客商売で従業員が五体満足のケースはかなり少ない。お客さんと話をする時間が長いがゆえ、コミュニケーションスキル、察する力の会得は不可欠だ。どうでもいいことだけれど、美容室に載っているモデル写真は、大抵は美容室で切った方ではない。イメージは大切なことである。餅は餅屋で、そこにもプロがいる。·美容室・美容院の数は年々増加傾向にあり、IT化が進む昨今でも、お客様個々の要望や髪質にあわせた、丁寧な施術は機械化することは難しく、今後も美容師の技術が求められる。また、高齢化社会を迎え、病院や介護施設に訪問して、高齢者のヘアカットを担当したり、美容師免許に加え、厚生労働省認定の協会が発行している、認定福祉美容介護士の資格を取得すれば、介護が必要な人や障がいを持っている人に、美容サービスを提供することもできる。また、美容師コンテストもある。とはいえ、華やかなホストという職業のように、裏側は存外、普通に絶句する。基本的に立ち仕事なので、体力がきつい。腰痛や腱鞘炎にもなるし、手荒れもする。水仕事で肌が乾燥しやすく、シャンプー、パーマ液、カラー剤などが直接肌についてしまうこともあるし、そうでなくとも肌荒れに悩む美容師は多い。夢を叶えて美容師になったという人もいるだろうが、現実的に手渡される給料というのは低い。平均月収二十数万円。スタイリストに絞っても、月二十万から三十万ほど。年収一千万以上のカリスマ美容師は、ごく一部のスーパースターだが、もちろん美容室によっては、その夢に近づくこともできるかも知れないわけだが。しかし長時間労働の上、低賃金だから離職率が高い。一年目で約五〇パーセント、三年目で、約八〇パーセントの美容師が辞めていく。楽しくて遣り甲斐もあるけれど、修行だ。こんな時にアメリカでは当日にクビを言い渡されるという話をしたり、とあるシステムエンジニアには高給取りだけど、労働時間が十五時間という話をするべきだろう。何の救いもない、けれど大企業より中小企業が多く、何処へ行っても似たり寄ったりという見方もある。好きな仕事できっちり稼ぐ方法を考え、いずれ美容室経営へと考える人もいるだろう。女性の美への追求は究極のアート、僕はビートルズの初期のマッシュルームカットを思い出す。
2024年05月22日
商店街に真っ白なブリーフを着て、麦藁帽子をかむった、かもちゃんが、四次元的日焼けをしながら歩いている。けっして派手な格好ではないが、こんなに奇抜な取り合わせもない。もしかしたら、この夏こんな格好のおじさんが、ビーチへ繰り出すかも知れない(?)たとえば旅館ではなく若女将ではなく主人が、団体客への挨拶に白いモビルスーツでやって来たような・・・、上手くないんだよ、いや、上手さとか求めないんで、その、求めないんでとか、そういう、まあ何か、そういう感じで(?)、、、、、進撃の巨鳥(?)見る唐辛子やがな、見るコカコーラゼロやがなあ(?)うわああああああああああ!!!あ゛あ゛あああああああッ!!!、、、やめろ(?)魚屋のおじさんが一目見るなり、声をかけた。喫茶店でマルチ商法か宗教勧誘を見たような軽い眩暈(?)、、、 、、 、おぼえ―――なが・・ら・・(?)「その、かもちゃん・・・・・・」一拍置いた。この一拍には、置かざるをえない、息を呑まざるをえない、というようなニュアンスがある。、 、、、、、、、、、あ、その説明いりません(?)「何ダロ」「別に変というわけじゃないんだけど、その、罰ゲームとか・・・・・・」「かもちゃんは罰ゲームなら、看護婦やアニメコスプレをするダロ」「そうだね、うんうん・・・・・・」もうねー、あのねー、犬の着せ替えでふと思い立って、ブリーフはかせちゃいました(?)ずがーん!!!ずばばばばばばばばば!どうよ、きたでしょ、みたみたみたみた?マフィアすら殺せるインパクトフレーズ(?)・・・・・・一秒経過。・・・・・・十秒経過。 、、―――ふう(?)テンションって恐ろしいって思いませんか、たとえば仲のいいトモダチにいきなり、言いましょう。いきなりステーキ・・・・・・。、、、、、、ひやっとした、、、、、、、ひやっとした(?)とはいえ、これがもし、かもちゃんでなければ歩く性犯罪、迷惑防止条例違反に引っ掛かりそうな出で立ちなのだが、この青い鳥にとっては変態的なコスチュームですらなく、というか、服着ていないのが通常運転なので、逆に「ワイルドじゃん」とか、「いなせじゃん」と好評に受け取られるようだった。見ようによってはボディビルコンテストの、何か多分そんな感じの、パフォーマンスかと思われた(?)ケースバイケースなんだよ、常識押し付けてくるんじゃねぇよヤフコメ(?)、、、 、 、、、あの人、痴 漢です(?)いわれのない誹謗中傷には弁護士ドットコム(?)たんに、大雪だけど無理して出社して帰宅難民になっただけ(?)このブリーフはそういう意味(?)しかし・・・・・・。しかし・・・・・・。―――(謎の圧迫)―――(そして碇ゲンドウ)アニメの世界では「なにもはいていない」という現象が多発するが、それについてはあえていま述べる時ではないだろう(?)言わないのかよ。言いませんね、絶対に(?)会話のキャッチボール、トストス、パスパス、タッチタッチタッチ(?)なんで突然早口、しかしそれがかもめクオリティ(?)ちょっとだけでいいよ。いや、言いませんね。百万あげる。いや―――言いませんね(?)いま、考えたでしょ、この人、考えたんだ?だから何ですか(?)、、、、、、、、わからないですか?昭和の飲んだくれの親父のような武具だ、白いブリーフというのは。その汗染みには加齢臭がする(?)想像して欲しい、性器の形や陰 毛まで、あわやセクシーゾーン体験してしまうことになる。地球の中心までまっすぐ通じているような深い穴へ、王様の耳はロバの耳。ぱんてー(←そして便乗して変なことを言う一人目)ぱんてー(←さらに続く野次馬やじきた、キタサンブラック)、、、、、、、夏のフライハイ(?)もちろん男性アイドルの罰ゲームにファンは悶えるだろう、もしそこでの白いブリーフは、セクシーランジェリーである。会員特典である(?)多様性の時代である、恥ずかしい格好やポーズや言動もセウト(?)しかし、かもちゃんは恥ずかしがりもせず、歩いた。あたかも、これが正装だといわんばかりの迫力さえあった。(しかしそれにはネクタイが必要だった、)仲のいい主婦には、「アンタまた、すごい格好してるねえ、でも似合うねえ」と褒められた(?)中には「かもちゃんのセクシーなお尻に合う、サイズのブリーフよく合ったね」と口にする者もいた。、、猛者(?)確実にそれヤバい猛者、忍者かもしれない、猛者(?)なつくさやつわものたちが・・・・・・・・・・。が・・・・・・・・・・。猛者(?)言いたかった?ごめん、まじで言いたかった(?)確かにダルシム感のある伸び、ないしは膨張率というのは、タコ糸でくくられたボンレスハムを連想させて圧巻だ。かもちゃんの大きなお尻は、セクハラマッサージポイントである(?)その頃、通りすがりのいずうさはといえば、喫茶店のテーブルの上で、アイスのミルクティーを飲みながらぐでん、としていた。クールって何かクールだよねってポエムしようとしていた。当たり前ポエム、クールってクールだよねって言おうとしていた。しかしかもちゃんを見ると、「あががががががががががが!!!!」と突然叫び出し、震えだし、苦しみ悶えだし、倒立し、バレエし、腕立て伏せをした(?)「おあ゛あああ!!!」、、、、、、、勢いじゃねえか(?)ちょっと待って、さっきから読んでたら何だよ、それただの勢いじゃねえか(?)五月もそろそろ終わりだというのに、既に、夏、風鈴が鳴った・・・・・・。
2024年05月22日
一九四五年八月頃にまで遡る。アメリカのロスアラモスにある極秘の研究所に約六キログラムの、未臨界量プルトニウムの塊が保管されており、研究とは別の用途で使われる予定だった。科学者二人の命を奪い、黙示録の世界が現前するといってもいい代物のことを、「デーモン・コア」という。当時は第二次世界大戦の真っただ中、このプラトニウムは「第三の原子爆弾」として兵器運用される予定だった。広島に投下されたウラン原爆のリトルボーイ。長崎に投下されたプルトニウム原爆のファットマン。この二つの原爆が投下される裏では、核兵器の開発が目まぐるしいスピードで行われていた。エジプトのヒエログリフにあらわれる横顔、西アジアや古代ギリシアの石像やテラコッタの妙に思慮深い顔付き、土偶や植輪の人形めいたプリミティズム。アメリカのマンハッタン計画、日本のF研究に二号計画、ソ連の極秘開発・・。最終的にこの技術を最初に利得したのはアメリカ。スリリングな領域を圧倒的な先陣力をもって切り拓き、パンドラの俋鬱なる箱を開くのはいつもアメリカだ。そしてこれらの原爆に使われたプルトニウム。一九四一年に発見されたばかりの物質で、当初はカリフォルニア大学の研究者が論文にして世に出そうとしていた。しかし軍部はこの研究に眼をつけ、論文の提出を強制的に撤回。こうして研究員ごと「マンハッタン計画」に呑み込まれていった。一九四三年、本格的な原子炉の作成が始まり、核兵器という新たな道が開かれた。一九四五年にはアメリカ側も勝利を確信していたのか、「第三の原爆」をわざわざ配備する必要もなく、研究所での保管が続いていた。日本は空襲で大打撃を喰らい、それでもなお老若問わず徴兵し、戦争を続けた。軍部の統帥権は大きくなりすぎ、引き返せないところまで来ていたのかも知れない。他にもソ連の満州侵攻、ヨーロッパ、中国国境間のひしめき合い、日本の風船爆弾、様々な要因が積み重なって原爆の投下が決定される。日中戦争や太平洋戦争を経験した昭和天皇は、晩年に戦争の責任追及されて辛いと述べておられたらしいが、本当に沢山の人が亡くなった。最初に広島に原爆が投下された際、軍部はその報告を信じることができず、アメリカ側の警告に従うこともなかった。三日後、長崎に原爆が投下。前回の警告と同様に、従わなければ原爆が投下されることを確信した軍部は、和平を求め降伏、こうして平和への第一歩が踏み出された。平和とは何だろう、金や野心や贅沢な生活の呪縛、足枷。あるいは秘密の知恵、そして僕等は強欲と怠惰に暮らす鈍重な頭。しかしマンハッタン計画のメンバーを中心に、このプルトニウムの性質を調べる、「ルーファス」というプロジェクトが始動した。しかし開始早々の二日後の実験中に、事故が起こってしまう。その当時、ロスアラモスの研究所では、プルトニウムの核分裂の閾値を調べていた。ちなみにプルトニウムの親ともいえるウランは、鉱山から掘り出されるウラン二三八と、自然界にほとんどないウラン二三五が存在する。具体的には中性子の数がほんの少し違う。ウラン二三五は中性子を吸収すると原子核が分裂、その際に三つほどの中性子と熱を排出する。その中性子はウラン二三五に反応、分裂、拡散、と何らかの制御を行わない限りこのループが続く。これが核分裂の連鎖反応。これを制御したのが原子力発電で、分裂を制御させず暴走させるのが原子爆弾、と考えれば分かり易い。そしてプルトニウム。本来自然界には存在しない元素で、核分裂を起こさないウラン二三八に中性子をぶつけることによって、プルトニウム二三九になる。この「プルトニウム」っていう生葉な、ローマ神話の地獄の神、「プルートー」から取られていて、もっと詳しく言えば、ウランがウラヌス(天王星)で、ネプツニウムがネプチューン(海王星)、プルトニウムがプルート(冥王星)で、原子番号の並び順を惑星(当時)の順番で命名した。世界と記憶は飴と鞭のような関係だ。その名の通り、この物質は人類が創り出してしまった、最悪の物質といえる。負のフィードバックが働き、半減期が二四〇〇〇年の強い放射能、まるでインド神話だ。科学的な毒性、そして武器にもなりうるエネルギー。取扱いを少しでもミスったら、死は免れない。考えようによってはだから人工脳の設計、機械人間の発明へと至ったのかも知れない、それをコピー人間とか、神への冒涜とはいわないのだ、だってそこには生命という要素がないと考えているから。プルトニウムはウラン二三五のように、核分裂の連鎖反応を起こす物質で、原子炉でウラン二三五と二三八が混合してる、燃料素材を使って熱エネルギーを生み出すと、必然的にプルトニウム二三九が残留する。原子力発電ではプルトニウムは取り出され、分離・濃縮といった再処理が施され、最終的にはウランと混ぜられた「MOX燃料」が作られ、原子炉で再利用というサイクルが行われている。つまり燃料が再利用できてコスパもよく、火力発電のような、有害物質を生み出すわけでもない。そしてこんなのアラビア語のよる、聞いたことのない詞みたいなものだ。だが取り扱いをミスればアウト。超ハイリスク超ハイリターンな物質で、一種神の領域ともいえる。プルトニウムの核分裂が止められない状態は即発臨界と言い、短時間の間に出力が指数関数的に上昇し制御不能となる。そしてこれが眼の輝きを奪ってゆく、衰弱させる、体重を減少させる、精神を錯乱させる。さて、一九四五年の八月二一日、物理学のハリー・ダリアンはプルトニウムの研究を行っていた。この際に近くにいたのはダリアンと警備員だけだった。夕食を取って研究に戻るダリアン。ちなみにツッコミどころ満載だけど、夕食中もプルトニウムはそのまま放置された状態で、この時点で研究のプロトコルに違反していた。危険性を重々承知していながら、こういった軽率な振る舞いが起こるのは、ルールが明確でなく、ペナルティがないからだろうと、一般的な意見がいえる。専門の従属化の問題と指摘することもできるかも知れない。映像作家の奇才なら、身体の中に不出来な神経系をつくり、次に上出来の脳をつくり、そしてへのへのへもじをくっつけるかも知れない。ともあれ彼は実験として、プルトニウムのコアを炭化タングステンで囲み、ギリギリ臨界状態にならない程度の状態で実験を行っていた。炭化タングステンで囲むと、中性子が反射して、核分裂が始まる、いわば鏡のような役割。プルトニウムから炭化タングステンを遠ざければ、中性子の反射量は減り、逆に近付けたら反射量が増え、核分裂のスピードは速まり、一定のポイントを越えると暴走して歯止めが利かなくなる。ダリアンはその炭化タングステンの煉瓦の一部を抜き取ってしまう。核分裂で不安定になった原子核や放出された粒子、中性子は放射線として広がり研究室の線量計が鳴り響いた。その時点では人体にそこまで影響はなかったはずだが、ブザー音に驚いたダリアンは誤って煉瓦を、プルトニウムの球体の上に落としてしまう。部屋を青い光という名のチェレンコフ光が一瞬照らし、プルトニウムから熱気を感じ取ったダリアンは、すぐにそのタングステンを取り払った。煉瓦が離れた時点で核分裂は止まったが、この時点で死は確定していた。煉瓦に触れた手は痺れが止まらず、その後、ひどい水ぶくれが出来、その数週間後、激しい傷みや吐き気と闘いながら亡くなる。どうしてそんな馬鹿なことをと思われるが、ヒューマンミスというのはそういうものだ。また初期段階であるので、十分な知識や設備、危険意識というのも、芽生えていなかったのではないかと推測される。口を悪く言うなら、核兵器で人が沢山死んだという事実すら、研究者にとっては軽く受け止められていたのだろう。オーダーに差異が出るね。これはミスリードというのだ、故意だよ、念のためちゃんと書いておく。ダリアンはプルトニウムに落ちたブロックを退けようと、テーブルごと引っ繰り返そうとしたが、重すぎてピクリともせず、煉瓦の山を一部解体してから、プルトニウムから煉瓦を取り除くしかなかった。また彼の行為の裏には、放射線を浴びたが、生存している研究者の話を知っていたからだ、という話もある。その際にかかった時間は約一分とか二分というが、所持品や検査などによると、その短期間で五.一シーベルトもの線量を被爆し、ひどい火傷のような状態の彼は、急性放射線障害のため二五日後に死亡した。ちなみに僕等が聞くのは大抵ミリシーベルトだ、五シーベルトで約五〇パーセントの確率で死亡し、いわずもがなだが、白内障、吐き気、脱毛、出血、不妊、白血球の減少など様々な健康被害が起きる。大量の放射線は生き物の身体を擦り抜ける時に、遺伝子を破壊する。その事故からたった一年後、物理学者のルイス・スローティンは相も変わらず、危険な臨界実験を行っていた。ちなみに恐ろしいのは、ハリー・ダリアンが死ぬまでの病室に、足しげく通っていた人物の一人であり、しかも世界で初めて製造された、「原子爆弾の組み立てにも参加した人物」であり、「危険量のプルトニウムを扱うエキスパート」であった。あんな悲惨な事故のあった一年後にもかかわらず、また一体何処をどうすればこうなるのか俄かには信じがたいけれど、デーモンコアの取り扱いは粗雑だった。実験で使用したのは、プルトニウムを包み込む形をしたベリリウムのカバーと、マイナスドライバー、放射線から身体を護る保護具といったものは、着用していなかった。現代の科学者にこの再現VTRを見せたあとに、論文の誇張広告についてどう思われますかと聞いてみたい。悪意ある言い方だね。情報とは見えないところからやって来る、メッセージの可能性の予測の束だろうか?隙間を広げ過ぎると正確な実験結果が出ないし、隙間をなくしてしまうと臨界状態になってしまう。小さなミスも許されない危険性を、リチャード・ファインマンは、「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と批判し、僕だったら、「コブラの穴に手を突っ込むようなもの」と表現する。東南アジア風のユーチューブ動画では、本当に手を突っ込んでいたのだ、念のため。他のほとんどの研究者は実験への参加を拒否した。しかし功名心の強いスローティンは皆の先頭に立って、この実験を遂行した。その実験を遠くで見ていたエンリコ・フェルミはスローティンに、「そんな実験ばっかやっていたら一年以内に死ぬぞ」と警告したが、彼は忠告を無視して実験を続けていた。一説には、スローティンは元々イギリス留学中に軍に志願して、王立空軍に入り、戦闘機乗りとなって内戦に参加した経歴があったりという、危険を顧みない性格だったらしい。電気分解。ネット掲示板なら、戦争が必要な非モテ文化の代名詞の童貞野郎となるかも知れない。三島由紀夫に亡霊がついていたというオカルトな話があるが、そうとでも思わなければこんな変な実験やらないような気もする。ただ、これは文章上の表現の幅を持たせる工夫にすぎない。ちゃんと書いておく。ただ、稼働中の原子炉近くで機器の修理すをするとか、大量の放射線を浴びても気にしなかったなどのエピソードもあり、バンドデシネやアメコミやマンガやアニメのキャラクターのような、冗談みたいな人物と推測してもおかしくはない。しかしもちろん、ダリアンの友人であったので、危険な実験を試みたという意見もあるかも知れない。だが、その心理には既存の道順では辿り着けない。ともあれ、忠告を受けたその日。彼はドライバーをベリリウムのカバーから滑らせ、コアとカバーが完全にくっついてしまった。同僚はその場面を見ることはなかったが、そのくっつく音を聞いたという。くだんの青い光が研究室を照らし、熱波を感じたとも。すぐさまスローティンはカバーを手で退けた。そして彼は周りにい研究員が身に着けている貴金属を外し、動かないよう命令した。彼はチョークを研究員に渡し、自分のいた場所に印をつけるように指示。スローティンは黒板にデーモンコアからのそれぞれの位置をスケッチし、近くにあったブラシ、空のコーラのボトル、ハンマー、メジャーなどを放射線検出器を使って計測しようとした。この印はコアとの位置関係から、どれぐらいの線量を被爆したのか計算するためのもの。この計算結果は悲惨なもので、スローティンは一秒の間に二一シーベルト以上、被爆していることが明らかになった。ダリアンの約四倍以上。それはいわば余命宣告で、数日間苦しみに堪えながら、数週間後には確実に死ぬ。そのことを誰よりも理解していたのはスローティンだ。白血球は消滅していたともいう。九日後、彼はデーモン・コアの第二の犠牲者となった。この事件以降、「ルーファス」と呼ばれていたコアは、「デーモン・コア」と悪名高く呼ばれるようになった。もちろんこの事故を受けて、プロジェクト「ルーファス」は停止した。やがて生存者の一人であるシュライバーが考案した、遠隔操作機とテレビカメラを使って、全員が四〇〇メートル離れた場所からの実験を行うことになった。聖人や哲学書の書物のように安心するね。でも、ここにも読み方というものがあるのを忘れてはいけない。もちろんツッコミどころ満載で、こういうミスって生体データのように見えてしまうところがある。導入背景のわからないツールやシステムが会社勤めや、日常生活をする上であなたにも沢山あると思うけれど、大抵は何らかの失敗があって導入されているはずだ。こういうのって時間のかけ方もそうだけれど、最優先事項は何か、ディスカッションの場を設ける、ゲーム要素を取り入れることで、ケースシナリオや、リスク低減アプローチは導入できる。ずぶの素人含めた第三者でも、危ないと危なくないの違いぐらいわかる。そうすれば人が亡くなるような事故は防げるんじゃないかと、淡く希望を持ったりする。危機管理意識の乏しさは時代特有のものと切り捨てるのも簡単だけど、原子爆弾を投下し、一人目の事故が起きてこれでは眼もあてられない。とはいえ、これらの話が都市伝説のデマや誤りを備えていることも、指摘できる。けしてこれはオープンな研究所だったわけではなく、さながら、サイバーパンクの実験工房、一通りは国家機密扱いの中での二つの事故だからだ。前提にはナチスドイツとの開発競争があり、「安全性」よりも「開発スピード」を重視した背景がある。だからたとえば、同僚たちがスローティンを殴ってでも止めなかったのは、聖なる生贄である可能性がある。場合によっては、本人もわかっていたかも知れない。息よりも静かな羽音をさせる昆虫。ただ、チェルノブイリ、東海JCOでの臨界事故、福島第一原発で起こった事故というのがある。当事者への影響、公共機関への影響、経済・産業への影響、報道への影響、近隣住民への影響。ユニークな視点による守備範囲では、SNS全般の影響には淡い冷たい光が息づいている。僕等にだってこういう誤った認識、間違った方法というのは、決して縁遠いことではないんじゃないだろうか。またそれでも、ヒューマンミスというのはなくせないし、不確実なリスクを完璧に想定することは出来ないかも知れない。その後デーモンコアはビキニ環礁で行われた、核実験「クロスロード悪銭」で使われる予定だったが、その作戦内でも放射能汚染によって戦艦が駄目になり、結局は溶かされ、アメリカの核備蓄の一つとなった。ところで第三次世界大戦は核戦争になり、人類の自滅をもたらすとしばしば考えられている。一九六二年のキューバ危機では、実際に誤って核攻撃命令が出されている。第三次世界大戦に波及する恐れがある発言にいたっては、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がしている。だから僕等は宇宙開発を急ぐのだろうか、だから僕等は自動運転技術で酔っ払うことに忙しくしたいのだろうか、すべては一つなのか、すべては変化するのか、僕等もそろそろ考えなければいけない時期に来ているのだ。
2024年05月21日
グアドループは西インド諸島のリーワード諸島の一部で、カリブ海に位置するフランスの海外県で、美しい島々から成り立っている。クリストファー・コロンブスが一四九三年にこの島を発見する前、この島は現地人に「Karukera (カルケラ)」と呼ばれていた。カリブの言葉で、「美しい水の島」という意味だ。一説には「フランス人にとってのハワイ」「日本人でいうところの沖縄」観光客もほとんどが本土から来たフランス人である。一概にはもちろんいえるものではないけれど、大筋ではグアドループは彼等にとって過ごしやすい場所で、スキューバーダイビングやサーフボードをし、パスタやサンドイッチを作って食べる。それとは別に、ペケという植民地時代に植民していた白人の子孫がいて、贅沢に暮らしているらしい。子供の進学に関連して、本土に戻る人もいるのだそうだ。なんというか、総合商社の「海外駐在ガチャ」とか、「セミリタイアの本場」といった雰囲気も感じる。思い込みと謎のプライドだけで物事を捉えた時、観念の化け物が錬成されるのだ。生まれた時から様々な理由によって、今現在の「自分」というものが出来ていて、無数の「無意識な自分」が正負綯交ぜ清濁併せのみのもと、複雑に絡みあっていて、その中には恥ずかしい自分、未熟な自分、不完全な自分がいる。「黒歴史党」を立ち上げよう。一体お前は何書いているのかと思われるけど、韓国のZ世代が仕事を辞めまくるという話があり、一つには離職が経験、一つには会社人間になりたくない、というのがある。なんというのか、Z世代的雰囲気が、フレンチカリビアンらしさなのではないかと妄想する。ところで外国人が日本人の弾丸ツアー観光について、物申していたことがあるけど、リゾート地ですることはゆっくりすることで、「グアドループ国立公園」だ、「グランド・クローゼット・マリン自然保護区ボートツアー」だ、ということではなく、何もせずに美しい景色を見ながらボーッとすることらしい。スローフードとか、スローライフっていう言葉が、死語のように思えてくる日本だ。研究者だったら暦、気象、天文、物理、地学、生物などのデータが詰まった電話帳みたいなやつと暮らす。物語って面白いけれど、データというのも面白い。天体望遠鏡の時代になって、まず天王星が発見されるでしょ、しかし、天王星の軌道を調べていくと予想に反して、不規則な運動が観測される。何でだろうって思った時に、その外側にもう一つ別の惑星があってその引力の影響なのではと、仮定してモデルを立てていく。そうすることで海王星、冥王星が次々と発見されていく、過程みたいにデータは別のデータを開ける引き戸だ。ちなみにグアドループに住む人々はフランス国籍を有していて、母国語はフランス語、通貨はユーロが使用されている。公共の場、教育の場ではフランス語が使われるが、現地住民同士の会話ではフランス語系のクレオール語を話す。カリブ諸国の文化といってもよいカーニバルなど、カリビアンの文化行事においても、フランスの国旗や国歌を用いる。 グアドループ人の多くはカトリックである。もっと詳しく書くと、グアドループにいる白人のことをフランス人、黒人やムラートなどの有色人種の人々のことを、グアドループ人と表記する。グアドループではクレオール人だけでなく、アフリカ系、ヨーロッパ系、インド系、中国系移民など、多くの移民がグアドループで生きている。多種多様な人種の混合は来るべき日本の将来の姿だ。これも考え方だけれど、たとえば横に長いユーラシア大陸と縦に長いアフリカ大陸、アメリカ大陸があるけれど、ある場所で技術が生まれても、気候が違うと伝わっていかない。赤道を通過しない。ところがユーラシア大陸は横に長いから、同じ生態系ベルトの中で技術が流通していった。だから、世界四大文明はユーラシア大陸で興った。ね、お味噌汁を作るにしても、「まず味見してみて」って言われる、その後に、「ここに、ネギをパッと入れたら美味しくなる」と、味の変化を教えてくれる瞬間がある。で、これ何のお膳立てなのって言ったら、ブラジルの日本人移民が有名だけど、グアドループの日本人移民もいたらしい。これが一八九四年で、約五〇〇名もの日本人が、グアドループ島へ移民として到着した記録があるらしい。紆余曲折あって移民は返されたらしいけれど、現在グアドループの中に日本の名字を持っている人達がいる。写真を見たところ確かに日本人の面影があるらしい。僕はそれを読んだ時に、ギャレット・カオル・ホンゴーっていう詩人のことを思い出した。その連想で、朝鮮とか韓国とか中国から来た詩人や、二世とかの詩集を図書館で借りたことを思い出した。蛍がみんな同時に発光する仕組み、アメリカの電力ネットワークが、大規模停電を起こした時の原因となった共振現象。偶然性に満ちた人間の歴史を遡っていくと刺激的なものに出会える。文明や文化の表面だけを見ていては、見えてこない古層や、褶曲や断層運動、隆起、堆積、浸食というものがある。言葉というか詩なんて明らかに生活に必要のないものだと、僕が断定してしまうけれど、その断定が様々な要素を含んだ物言いであることを忘れてはいけない。あるケニアの研究小屋では毎日、蛙や蠍や蛇が出てくると聞いた。狒々には発情され背後から襲い掛かられる。平然とガイドブックを見ていると見落としがちなことだけれど、グアドループにも毎日面白おかしく奇天烈に暮らしている人もいるわけだ。見知らぬ町って人々がドラマを織りなす劇場の舞台なんだ、外国ともなればその希少性は出てくる。そしてそういう人を探してみようと思う人材や企画は不足しているので、ユーチューブに期待している。さて、グアドループ島は蝶が羽を広げたような形をしていて、西側のバス・テール島とすぐ隣にある東側のグランド・テール島は、狭い水路であるサレ川を挟んで繋がっている。西側のバス・テール島は起伏の激しい火山島(最高峰は一,四六七メートルのスフリエール山)で、島の中央部には樹木の密集した熱帯雨林が広がり、西部の海岸は火山性の黒浜である。一方、東部のグランド・テール島は石灰岩からなる標高の低い島で、海岸は白砂が多い。一帯はユネスコの生物圏保護区に指定されている。でもこの海岸にはリゾートホテルが林立している。パス・テール島といえば、ヘラクレスオオカブトの原名亜種である、ヘラクレス・ヘラクレスの著名な産地として知られるが、保護のため採集禁止となっている。コーカサスやアトラスのように簡単には頭数を集められない為に、数が限られ、現地の人もその価値を知っているので、それなりの価格で取引される。需要はあるけど数が足りない為に二年近く飼育期間が掛かっても、ブリードする人が絶えず、安定供給されるが為に飼育品の割合が高いというわけだ。これをデュエルカード風に表現すると、「カオスソルジャー」みたいなものなのかも知れない。何言ってるかわからんって?大丈夫、僕もわからん。そういえば、グアドループのマングローブの沼で、顕微鏡で拡大することで細菌は見えるという概念が打ち砕かれるほどに、巨大な細菌が発見された。その長さは一センチ以上にもなり、一般的な細菌は五〇〇分の一ミリ程度だから、約五〇〇〇倍の大きさだ。人間の睫毛よりも長い。複雑に進化した細菌の格好の事例らしい。ところで南米の女性は昔から独特の優美さを持っていて、一八八八年にベルギーで開催された最初の美人コンテストでは、カリブ海のグアドループの女性が優勝している。下らな過ぎてどうでもいいことだと思う人もいるけれど、顔面偏差値で人の興味を惹きつけられるってすごいことだ。整形手術を切り口にいえば失敗例というのが結構数出てくる、成功例であっても変化をすれば何か言われるのもわかっている。それでも沢山の芸能人とかセレブが果敢に挑戦する。別に揶揄しているわけじゃなくて、インスタグラム脳だって広告だったり、インパクトなわけだ、僕が尊敬しているメジャーリーガーの一人である、ジャッキー・ロビンソンはこう仰られた。「他人の人生に影響を与えられないのであれば、人生なんて意味がない」途方もない頭の軽さを真面目に実行するなんて、凡人には絶対にできないことだよ。この手のことで、僕が一番感心したのは、アメリカの地下鉄よりロシアの地下鉄の方が美人率が高いらしい、という記事を読んだ時だ。記事を書いた奴にナパーム弾を送りたい気分だろう、でもさ、下らないことも文化の潤滑油なんだと思うと救われる時もある。しかめっ面しているよりも、ニコニコしている方がいいものさ。絶対に、完璧に、ね。もう一つ蘊蓄をぶっかますと、シャンパンの消費国ナンバーワンで、年間一人あたり四.二五ボトルあける。こういう時はなるべく、シンプルに書く。否定文ではなく肯定文で書く。一種のコツだね。真面目に考えると、絶対にフランスとかアメリカだろうと言いたくなる。シャンパンなんて富裕層の飲み物だって言ったら、それはあなたのルサンチマンです。なお、砂糖とバナナが経済の中心で、さとうきびのプランテーションもあり、観光産業も盛んだ。フレンチカリビアンらしさを堪能あれ。フランスの巨大スーパーマーケット「カルフール」があり、日本では広告詐欺の見本例として薄くなるハンバーガーの代名詞、「マクドナルド」もあり、そして壁画アートもある。またカカオの生産でも有名な場所で、珈琲やラム酒も楽しむことができる。とはいえ、フランス、欧州連合(EU)からの多大な援助で、グアドループの経済は成り立っている。グアドループの独立にはフランス人は多数が賛成しているが、現地住民の八割が反対しているという話もある。若者の失業問題は深刻な状態にあり、一五歳から二九歳までの四三パーセントは無職だという話もある。しかしここにも様々な読み込みがある。「寝てても暮らせる/けれど外へ出たい/フランスに頼っていてはいけない」僕等は分かり易い言葉を求めるけれど、文化はけして分かり易いものではない。日本の政治劇場における「小さな声を拾う」というのは、失笑を禁じ得ない素晴らしい迷言だけど、何もしなければどうでもいい奴が当選する。たとえ何かしても、やっぱり、どうでもいい奴が当然するとしても、だ。僕はたまに思う、『人間失格』じゃないけど、人間の暗い側面から知らない世界を見るというのもいい。明るい人が話せば気持ちのいい国になり、暗い人が話せば胸糞の悪い国になる。僕は中国人の奥さんに再三再四、「日本というのは、屑の国だ」と説明している。いい人やまともな人もいる、あるいは、いい人やまともな人では世間を維持できないので、悪い人や糞みたいな奴が参入してくる。無茶苦茶言って申し訳ないけど、底辺文化論と一緒だ。視座を固定してきれいごとを話すのがNHKだけど、僕等はNHKに謎のお金をむしり取られてはいないだろうか。ちなみに税金だって義務ではない、しかし強制である。これ、オトナ語の世界だって思わないだろうか。前に十万円だけ持ってインドに行った人の話を聞いた、いまはサーフィン教えて、夜のDJで稼いでいるらしい。これだけ聞いたらあなたは商法詐欺さながらに、引っ掛かるかも知れない。何というのか、「闇金ウシジマくん」に出てくる、キャラクターみたいだね。本当にこんな奴いるのかって疑いたくなりながら、いや、わからないぞっていう不思議な駆け引き。でも個性的とステレオタイプは同じような意味だ。馬鹿という風に括れば異論はあるまい。ところで、音楽に国境はない。この島発祥の、グォカとかいうトラディショナルリズムは、ジャズミュージシャンにも取り入れられるみたいだ。不思議な陶酔へと導いてくれる。ところで触感とは皮膚のなかで起きている現象なんだけど、皮膚そのものがどのような仕組みで生体の恒常性を保っているのか、あなたは知っているだろうか。皮膚は人体を覆う最大の臓器で、かつ外界から身を守る生体バリア、そして様々な情報発信をする器官だ。何でそんな御大層な演説をぶつんだと言ったら、あのね、鳥肌ってすごいことだよ。本当のことを話せって。簡単なことさ、書くことがないんだ。書こうとしてこんなに情報が見つからなかった、何書いても空振りだったというようなことがグアドループ、グアドループっていうだけで、想像がつかないって意味になりそうだ。いやなに、人間はあらゆるものから、意味を読み取ってしまう生き物だ。何故こんなわけわからない文章を書くのかと思い、さすが知識や教養のあられるカモメさんだとなるのかも知れない、大先生の立場ともなられるとこれが無手勝流なのだよ、あのね、そうだよ。だから言いたい、そういうところなんだよソニー。わかるかな、あのね、そうなんだよ。便乗なんてしていないけど、あのね、そういうことだよ、わかるかな、信じられないかな、じゃ、ちょっと夜の街に繰り出してくるわ、ア・バヨ。
2024年05月20日
2024年05月19日
頼りにしていた僕の錆びついた心が・・。 最終理論、感情の古典的凶器で。 右へ・・・ 左へ・・・・・・・ 昨日の夢の景色は続いて、 パノラマになった・・・・・・ 水平から・・・ 垂直・・・・・・ 「・・・・・・時の感覚の領域に陶酔しているの? 「・・・・・・衣服も靴下も夜光虫・・・・・・ ―――臆病な笑い方で、 身を竦め、足踏みし、)」 次第にこみあげてくる腹立ちを、 (「噛み砕いた。 布を裂くような音をさせながら、まだ円盤は廻っている―――、 廻っている、レコードが終了し、針が自動的に上がり、 アームが水平に動いてアームレストが戻る・・・ [PLAYBUTTON]を押せない、 【LEVERSWITCH】を切れない、 まだ見えない明日、 (大きな意志の一部となる気分はどうだい、) まだ知ることのできない未来へ、 (そして自分を肯定された通路を塞がれた気分だ、) 、、、、 アンタは。 What I couldn't find was something I couldn't get alone. (―――マナーモードして・・・グッドラック・・・・・・ 他人の幸せばっかり考えていた間抜けだったのさ。 (わからなかった―――わかりたくなかった、) 氷のような冷たく透明な、日暮れ、 魂が叫んだ・・・・・・。 Don't deceive your feelings any more 必ず」 誓いを忘れた頃に」 「「冷たい輝きを放つメニュー画面、 電燈と街路、滑り台、バス停の夢色・・・。 戦争で人が死に、 災害で人が死ぬ、 (網にかかった魚のような静寂と一緒に、 不安や絶望は来るんだ、 、 、、、、 は―――じめから。 何処かで落っことした勇気は筋肉の隙間に、 部屋の空っ風にしみこんで凍りついた、 ―――僕 等 の 長 い 歳 月 ・・。 眠らずにいた競争の時間、報酬なき記憶の中、 衣服で、覆面で、文字で、網目のような迷路でつくりだす、 、、、、、、、、 ―――嘘吐きどもの世界。 掘った」穴(を、)」 、、、、、、、、、、、、、、、、 知らないままでいることは出来ない・・。 ―――真夜中・・。 、、、、、、、、、、、、、、、 正気のままでいることは出来ない・・・。 ―――眼を開けたら・・・・・。 過去へ・・・ 未来へ・・・・・・・ 明日の夢の景色は続いて、 扉を叩いている・・・・・・ 「・・・・・・射撃の痕と不可避の矛盾だけが・・ 「・・・・・・仮面の裏で笑ってる・・・・・・ 柔な時計の針の中で二十四時間を思い出した・・。 句読点を打つ、心理の緊張の代償。 ―――固定観念の枠を破りながら、 平静なふりをした、血液が薄められた、)」 脳の働きの上に起こった氷と焔の閃きが、 (「水滴になった。 笑った―――笑った、笑った、 腹を抱えるべき、中指を立てるべき、 懺悔する連中を踏みつぶすべき、 いままで散々こけにした連中の心を打ち砕くべき、 「生きる価値さえないようなこと―――」 「絶対に許されないようなことを―――あなたは犯した・・・」 まだ見えない明日、 (眼や口元が絶えず話しかける、解読を求める暗号、) まだ知ることのできない未来へ、 (お前、人の命を何だと思ってるんだ、人の心を何だと思う、) 、、、、 アンタは。 己のすべてを投げ出そうとしたのさ。 (わからなかった―――わかりたくなかった、) 「伏せられたカードを捲りたい・・・」 「本当はわかっている、カードはいかさまだ、 ―――捲る行為に意味があるだけ・・」 [PLAYBUTTON]を押せない、 ■嫌がらせのゲーム 【LEVERSWITCH】を切れない、 ■世間的な良心 What I couldn't find was something I couldn't get alone. (―――マナーモードして・・・グッドラック・・・・・・ 物質の根源を理解する夢を見てる夢のなかで、 魂が叫んだ・・・・・・。 Don't deceive your feelings any more 何度でも」 誰も自分を偽れないから」 一切合切何もかも光を痛みのように感じる表情の恍惚、 今日や明日死んだって反復される世界の出来事、 ―――あ あ 僕 等 の 長 い 歳 月 ・・。 ―――答えはもう一つだけでいい。 (これも一つの夢の中、) ―――答えはもう、一つだけで、いいんだ・・。 (そしてあなたが知る、もう一つの夢の中・・・・・・) 「「冷たい輝きを放つメニュー画面、 電燈と街路、滑り台、バス停の夢色・・・。
2024年05月19日
何処までも続いてゆく空を見ながら、臆病な眼をしていた僕等に、人見知りの通り雨。白昼夢が続きますように、コカコーラで純粋理性の領域。酔っ払っていたいからだ、勘違いしていたいからだ、人は美しいものをいつまでも信じていたいからだ、心のバランス崩れる前に、防衛機制が発動しているような世界、そんなところに迷い込んでいるリアルな君よ。説明書は、アイシャッター。綺麗すぎる僕等の固定観念は盲目の捕虜で、眼を閉じるまで、素直になれず、NPCを泥濘にして、向かい合わず、空は深い落とし穴から逃げるクイック・スロー、孤独な虹が消えるのを待ってた。太陽がのぼるまでの間に、認証の秘密、時の感覚、感情委託しそうな水曜日、月の裏に触れられる秘密に、侵蝕される熱風の中の芯を求めた、サラダ記念日みたいな頭の中、キャベツかじるうさぎ。頭から丸かじりする蟷螂に変わるまで時間の問題。言葉なんて週刊誌と、ネット掲示板と、ユーチューブのコメント欄覗いて、フリーゲームをすれば出てくるみたいに笑ってた。文明四流国のIQ三〇社会の申し子たち。漫画読みすぎて鰻の形態が気になってきた。中間管理職みたいな俯瞰、モールス信号と鬱が交尾を始めた、芸術のふりをした借り物競争、オタクかヤンキーでもない凡庸なる個性を恐れて、分かり易い地球儀を持った地球の上の子供。ロマンス、滑稽だ。永遠、そんなアクセサリーは野暮だ。雄雌凹凸こすりあわせて子作り推進したい委員会、世界平和、愛、自由、その何もかもがシネマのように語られるダイジェスト版。UFOだっていまじゃ文明の罠、わからないものを知りたがる知性の宗教。プリンスが亡くなったのに気付いた時は悲しかった、硝子玉の中にマッターホルンがあるような存在だったから、でもそんな酸素儀礼。踊っているだけでいいって思った、なよくて、気持ち悪くて、なんだよあの裏声って思いながらすごく好きになった、本当はこんなことだって書きたくないぐらい好きになった、でもきっと好きになるってそういうもんさ、誰かの悪口を想定して、場面を拵えて、どれぐらいの人数に届くかを計算し、気が付いたら、極端すぎる文明人のマナーモード。感情が遅れてゆくBPM、遠い不可解に花開いたノーカットの有機体のテリトリーで、どちゃくそエロい球根植物になりたい。ただ眼の前に並べられてゆく、千の夜がインスタグラムみたいに見えるし、フルコース言ってる場面で爆笑してしまう、監視社会の逆転的なマインドコントロール洗脳、お金をちらつかせるのが流行り、友情やアットホームも接続式、精巧な偽物はトマトみたいに瑞々しくて、近頃じゃティックトックイメージの全能感。ポルシェやフェラーリを衝突させて、遊んでいるユーチューバーになりたいって思った。森羅万象、春夏秋冬、四文字熟語の辞典買いました、そんなオンパレードの同時性外観の薄い本さながらの、甘ったれた優雅な運行の蜃気楼。愛が水平線であった頃から一致点を放棄しつつある、文明の発展性、日進月歩だよ、自分が考えなくても誰かがやってくれる、主張を放棄した僕等は母音と子音を組み合わせた『愛の言葉』が広告みたいな手触りになってゆく必然性。牢獄の白痴と知りながらシーツの上で、素肌を合わせて一つの夜をやり過ごす、軋んだスプリングが風の臓腑だ、夜光時計もカレンダーもシャワーの音もいらない、すべてを失うまで。女ってすごいな、裸になるだけで金が稼げる。男ってすごいな、出すだけで子供が作れてしまう。イケメン営業職なんだよ、美女瞬間視聴率、僕等やっぱり動物なんだ、悲しいよな、苦しいよな、でもそんなことを書いてる僕はただただ半笑い。そして明日のモンスターペアレント党、そして明日の政治活動こいつはクビにすべき。そして明日の不倫許せん道徳に悖る行為党。(お前がたんにモテないだけだろ?)そして明日の燃え尽き症候群党。そして明日も世界は平和だと思いますポエム。きっと誰かがやってくれるフォローしてね、文才ないけど喜びますって馬鹿が書いてた、連携つながり、酒飲んで顔を忘れてアンタ誰。愛は貝殻の内部に旗を立てるような征服欲だ、でも視覚と嗅覚の暦でアジテートする、幻の部分を抽出した不思議の国を展開しながら、この宇宙の場という神秘に触れる。こんな奴、生きてる意味ないよって思ったあなたが、自然体の、等身大の、本当の愛を証言してよ。劣等感とかルサンチマンとかいらない、コミュニケーション能力もお金もいらない。ハッキリ言って美しくない、カッコよくない、あなたが、自然体の、等身大の、本当の愛を証言してよ。優しいけどつまんない、ギャグを言うけどみんな笑わない、人と話すのが苦手なあなたが世界の意味に気付かせてよ。どうでもいいことを書くことでどうでもいい人達が、正気になるのを期待してまあどうでもいいやって軽く流して、ハハハと笑って、そしてパソコン画面に映った僕は、一ミリも笑えなくて、この世界がいつから、珍獣島になったのだろうか、と訝しがっている。愛って重くてしんどくて美しいものだと想えたことがない、だからこんなに綺麗ごとを並べなきゃいけないんだって、気付いた君はきっと正しい、誰かが教えてくれる愛は作り物だ、愛はイメージ操作のもっとも著しい化け物そのものかも知れない、人はそれでも疑わずにはいられない生き物だから、けど愛を失ったあとに待ち受けているのはもっと過酷な現実だ、卑しい人間は、自分が何者にも誰にもなれないことを認められない。騙されるなら騙されるなりの覚悟がいる、信じ抜くなら信じ抜くだけの根拠がいる、平和ぼけじゃない、洗脳やマインドコントロールじゃない、弱さと向き合うことで強くなるわけじゃない、仮面が次々に剥がれてゆくことになる、僕はUFOと同じぐらい雑踏の道行く人を観察するのが好きだ、この中のただの一人も本当のことを知らない、だって人は嘘をつく生き物だからだ、どのようなことも一切合切が信用できない時代だ、君はそこに生まれたのだ、そして君はそこで露悪の向こう側について、このどうしようもない世界について学び始めたのだ。愛が一千日続くように、一万日を続けてみよう、死ぬその日までそれが続くかどうかを僕と賭けをしないか、僕は知りたいのさ、へらへら笑ってる胡散臭いお前が、この人生にどんな価値を見つけようとしているのか、僕は見抜こうとした、でもまだ見抜ききれないものもある、百年先はどうだろう、一千年先はどうだろう、すべての感覚から自由になった、いつかの僕等は、この文明や世界を終わらせられない理由が何処にあるのかを、僕はどうしても知りたいのだ、君の耳学問した言葉じゃなく、説得に足る言葉でなく、誰にも言ったことのない類の、言葉を発するだけで世界が揺らぐような一言が、この文明や世界を形成している、と。
2024年05月18日
安っぽい民宿に泊まったのがいけなかった。 意味ありげで、また何の意味もなさそうに、 しばらくあてどもく、 点いたり消えたりする街燈の前で立ち尽くした。 廃線を歩いているような営みの磁針が、 ちゃんと一つの方向に向かっていた。 モジュラージャックへの接続端子。 些細な記憶が忘れがたいのは、 異常に明晰なアスファルトやコンクリート質ではない、 スピードメーター、方向指示表示灯。 蒟蒻のようなものがひしめいている。 そして誰もその場所を教えてはいけない。 そして誰もその場所を尋ねてはいけない。 * 曲の高音域に達するような岬遠き街。 何をしに来たのだろう。 暗示的な意見を述べたとて、懐疑的な見解は消えない。 微妙な緊張と清潔な均整、そして脆い透明な秩序。 暗い私鉄、見知らぬ駅、見知らぬ町。無人駅、田舎。 ただ生まれ変わりたかった。 何の欲望もない不安に憑かれている。 玄関から入って泊まりたいといった。 上がり框には、三十センチにものぼる、でっかい、 茶色っぽい、いかつい蛙がバリトンで啼いている。 生活音のない隣の家の住人が、 真夜中に突然歌を歌い出した時のことを思い出す。 ―――ずっと、ドアの向こう側で、 がちゃがちゃ音が鳴っていた。 警察に電話をかけるとストーカーらしき男が連行されていった。 二度と歌は聞こえてこなかった。 錯覚、物忘れ、意識の盲点といった心理的な現象を引いたスリル。 小さな蜘蛛や、小さな蟻にだって怯える。 * 殺風景の畳敷きのフォークの流れていそうな部屋で、 食事まで眠っていたら、金縛りに遭った。 何かが襖を開け、 簾のかかった日本情緒あふれた庭から、 奇妙な昆虫の軌跡でも追うように眺めている。 雨戸を閉めている家があって老人に尋ねたことがある。 どうしていつも閉めているのですか、と。 そうすると老人は答えた。 開けておくと、眼が合うから、と。 * ブランコなどの金属製の器具の動く音を僕は確かに聞いた。 だから校庭に一輪車があるような、気がした。 片足をすごく痛そうな感じで引きずって歩いていた。 少女が顔を見下ろして笑っていた。 口を横にカッと開いて思いっきり笑っていた。 ふくらましたゴム風船がいま破れるか、 いま破れるかというように圧力を加えてゆく時のような、 明るさだった。 おじさん知ってるんでしょうと言った。 そういわれると何か知っているような気がした。 汗が電流のような速度でエナメル質に冴える。 けれども、はっきりとわからない。 上体を斜に構えながら、歯は扉の発狂。 顔がもっと接近する。 笑い声が脳裏に焼き付く。 呵呵、めきめきと、皮膚が裂け、 ぼろぼろに破れていく。 骨が露出していた。 変な音が口から出た。 物体の力、落下の力、 胸、背、頭、顔、頸、手足。 身体中どこと云わず、 かさかさ、蝟集する音、はたまた骨の揺すれる音、 包丁を持って真紅い林檎を二つに割るごとし。 五臓六腑を岩走るような音。 夢中で溶けてゆく人間を顔で受け止めていた。 生々しい絵の具を投げつけたようなわけのわからない絵だった。 構図だった。 、、、、、、、、 ハッと眼が醒めた。 * 木造で、全体に経年劣化していて、傷んでいて、 部屋には洗面と便所はなく、 その便所にも尻洗いの機能はないどころか、ぽっとん便所だ。 廊下の照明は、祭りの露店のような雰囲気で、 庭はトマトや茄子でも生えていそうだ。 跫音と影のなかの、白黒のスナップ・ショット。 大きさのバラバラな切り抜きの活字。 しろい、とうめいな、病を患ったような、 垂直な、合理的な胸が苦しい。 いまは夢の中の夢のような気持ちが消えない。 バックミラーの中で、どんどん小さくなっていく、人影。 前の夢や後ろの夢。右の夢に左の夢。 輪廻の複製的概念である通路へ領域を拡大あるいは縮小させてゆく。 偽物の陽射しのぬくもりの温度を唇に感じた。 庭に出てみると思いのほか、深い。 石灯籠、飛石、袖口から腕の裏へ、 そして肩のほうへ滑り込んでゆく、風。 現在から過去へと深まるように鬱蒼としている。 表情が止まった。空白のうえを顔の筋肉がゆるんで、 意味のないものになる。 安易な錯覚とは知りながら、手に痛みを覚えた。 ゲーム機のコントローラに実装されていた振動機能のようなもの。 ショーウィンドーが微かにわななくほどの、雷鳴。 絶叫した。 見たこともない、大きな蛭だった。 * 習字をしている祖父がいる。 「禍」の字で止まる時のクレッジェンドを幻視した。 非現実的なものに乗って、時間や距離が、 一瞬の靄のなかにむなしく、封じ込められてしまったような気がする。 淡いセロファンがめくれる・・・・・・。 部屋の窓から見たことのある男が歩いている。 一瞬こちらを見たような気がした。 僕は鼻の穴を大きくふくらませながら、深呼吸する。 得体の知れない、気が狂いそうな、焦燥を感じた。 僕は本当に何かとても大切なことを見落としているような気分に駆られた。 外へ出てみると、男はいなかった。 男は窓から右側の方へ歩いていくように見えた。 歩いてみる。 レトロ感満載の木造の屋根付き共同椅子のバス停。 心理的真空感をもたらす、静物画。 容赦なく肌を突き刺す、夜のリアルな冷たい空気。 バスを待っている人は、誰もいなかった。 その鋭角的な隙間に聖人の溜息のようなビー玉が落ちている。 * 民宿の前に自動販売機があるのに気付いて購入する。 いまは別に飲みたくないが、あとで飲みたくなるかも知れない。 部屋に戻って、机の上に置いておくと、 コン、と何故か頭の上に落ちてきた。 僕は電力会社やガス会社や水道会社や市役所や郵便局のようなものを考え、 ここには、どれだけの人口がいるのだろうかと思った。 * 友達に電話をかけると電話が繋がらず、変な呻き声が聞こえる。 駅の横には精神病院が建っていて、 夜中にたまに奇声が聞こえたりするようなものだ。 舌打ちして切る。 こんなことばかりだ。 長い長い時間の間に経験して来たいろいろの出来事を、 ほんの一瞬間に走馬燈のように見るように、波が崩れ、押し寄せてきて、 また引き返すところに、いつも浅い緩慢な渦が逆巻いている。 窓には大きな蛾が止まっていた。 自分はガウディの作品みたいな、熱帯の、縦長の、蟻塚にいるような気がした。 しょうがないから、風呂にも入らず眠った。夢を見た。 * 、、、 ・・・リアルなんだ、 その民宿から行ったこともないため池だか湖のような場所で、 夜釣りをしている自分がいた。 芝居が終り、照明が落とされた後の舞台の始まり。 釣り竿があり、その前に自分がいるのだからそうとしか解釈できない。 しかし頭の足りない犬にでもなったように、靴も履いていない。 皓皓と月が照っていて、おどろおどろしいし、怖いが、 同時に神秘的でもある。 醒め際の夢の空しい悦楽の自覚がある限り―――は。 * 、、、 、、、 ぽとっ、ぽとっ、と音がする。 水音が滴り落ちる音だというのはすぐに理解した。 対岸からよく見える位置に白い十字架らしきものが立っている。 人だ、と訂正したあと、恐怖がこみあげてきた。 熱烈な注視。 池の向こう側に、八人ないしは十人、 もしかしたら十二人ぐらいの、男性、あるいは女性の集団がいた。 全身が黒くて眼だけがギラギラとこちらを見つめていて、微動だにしない。 不意に、音が変わったのに気付いた。 ひびわれた硝子から滲む水滴。 ざぶんざぶん、と水の中へ這入ってゆく。 空白の記憶の挿入。 鋭利な匕首にやられたように別の恐怖が襲う。 現実を侵したる一瞬が恐怖を語りて余りあり。 、、、、 集団自殺。 死んでしまう、助けなきゃ、と思った。 でも、あ、これ夢の中じゃないかと気付いて――。 もしかしてこれ、怖い夢なんじゃないか、 いやどうだろうか、と振り返る余裕はまだあった。 プレイヤーの視点が映像の変化に合わせて油圧機構する。 古本屋の話で十冊仕入れたのに、人によって、六冊しかない、 八冊しかない、ということが何故かあるようなものだ。 本の中から魚が腹を覗かせている。 消えたわけではない。 見えないだけだ。 * 背後におじさんがいた。 顔が彫り物のように冷たくなる。等身大のアクリル樹脂の彫刻。 さっきの水音もこの人のものだったのではないかと、 じっと幽霊でも見るように濡れたおじさんを見た。 手を振る動作、足を振る動作、首を前後させる動作、 胸や腹筋を張る動作、太腿や脛を張る動作。 「お前こんなところへ何しに来たんだ」 明暗の交替、その声が、両肩を揺さぶる。 相手から伝わって来ない。 名乗らない恐怖。 知ることのできない情報を天秤にした恐怖の傾斜。 「早く帰れ」 空っぽの会話と白けた後味しか残さない夜の一幕だったが、 ふっと気付く、手に大きな蛭がいる。 激痛が走った。 その拍子に、窓から見た誰かがこの人だったとも気付く。 感情の平原の砂嵐が、無意味にうごめく暗い小さな穴へ、迷い込む。 昆虫に寄生するハリガネムシのように、僕は麻痺している。 「早く逃げろ」 * 海豹のような黒っぽい頭部が水から見え、 釣り竿の眼と鼻の先に何人もの水の中を歩いてきた人達が来ている。 災厄の影。 一様に青白く、おそらく生きた人間ではない。 絞首刑の硬度で、ブラウン管が燃える。 大小さまざまな石があり、 ロック・バランシングのように積み上げられた状況。 樽から海賊が飛び出すゲーム。 正確な密度ある危険の抜きがたい力が眼前に迫る。 ―――駆けた。 追いかけられる恐怖は聴覚をヘッドフォンで覆われているのに似ている。 小学校の頃、野猪の皮をかむった、鎌を持った大男の話を思い出した。 山道を降りながら奇妙な悲しい生き物である自分を見つけ、 ふくらはぎの肉が脚の外側から張り付いたような斜めの林、 別荘や建物が見えて感覚の消滅、次に脳の衰弱、運動の停滞、 筋肉の硬直、そして心臓の鼓動の停止――。 、、、 、、、、、、、、 そこで、バッと眼が醒めた。 * 氷のような布団の冷たさ、 粒だって出来物のようですらある、玉のような汗。 変な夢だった。 受信装置はあっても発信装置のないような不器用さに、 びしょ濡れになっている。 夢中で握り締めていたのだろうか、手が鬱血して青紫色になっている。 しかし起き上がろうとした時に、心臓が止まるかと思った。 、、、、、、、 足が汚れている。 * 手にはやっぱり大きな蛭に噛まれたような痕がある。 脳裏によぎる、見知らぬ町の写真、見知らぬ風景、 そこに顔のモザイクのかかった人。 小鳥の囀りに、蝉の鳴き声にみたされながら朝を迎えた。 でもおかしいのはそこからで、ここ、民宿ではなかった。 外に出てから、気がついた。 民宿っていう看板があったのだ、手書きの味のある文字だった、 ちょっと気味悪い感じのお婆さんが、 はやくおあがりって言ってくれたんだけど、 自動販売機もない。代わりにあったのは、 萎びた花束と空き缶、 それに線香が数本立っている。 看板は、おそらく最初からない。 人など、住んでいるわけもない。 別に風呂に入ろうと思ったわけではないが、 浴室には、ゾウリムシが大量にいた。 サルモネラ菌、赤痢菌、チフス菌、小児麻痺病原体、 大腸菌といったものを保有している非衛生的な、 非衛生的なゴキブリを想像する。 、、、、、、、 誰もいない廃墟。 変死体というのを思い出す。 それはあらゆる記憶を苦痛を持って一つ一つ呼び返す、 婉曲な拒絶なのだろうが、 社会では一定数、変死体というものが出てくる。 全身に奇妙な虫だらけの死体というのが、ある。 数千数万の蛆虫がうごめく音というのは想像を絶するが、 建物もまた一つの思念を持った生き物なのだ。 * 艶を失ったボール紙みたいな建物を見ながら、 不意に山肌を降りてきたような木々の匂いに肺が驚く。 邪な電子パルス。 異常増殖する細胞が強制的に感覚刺激を励起する。 脳の一部が機能しなくなって、 言語障害・身体障害が残ったような気がする。 廃屋の傍に山道みたいなところがあり、 多分その先に行ったらため池とか湖のようなものがあるのだろう、 ―――そう思った。 人知れず、集団入水自殺でも行われたのかも知れない。 さりとて、調べる気にはなれなかった。 怖かったからだ。 ただ、あんな夢を見た後のせいか、少女のことをふと思った、 咽喉が渇いていたんじゃないかと何故か思って、 バス停付近に自動販売機があり、 ペットボトルのジュースとお茶を供えて後にした。 線香が不意に点いたが、見て見ぬふりをして駅の方へそのまま歩いた。 額に掻いた汗をぬぐいながら、 煙のたちのぼる幾通りもの優美な形を認めた。 休みはそのようにして終わった。 家に帰ると、 ポケットに見知らぬビー玉が入っていた。 そして誰もその場所を教えてはいけない。 そして誰もその場所を尋ねてはいけない。
2024年05月17日
2024年05月16日
黄金色の世界。 色彩の火事。 テトラポットが遠くに見え、工場地帯も見える。 夕方の帰宅ラッシュの交通渋滞・・・・・・。 (風の流れをコンピュータ・シミュレーションによって計算し、 それをアニメーションとして表示しよう―――か・・) 肩から左右の腕へかけての後ろ姿の線と、 白砂と青い海原の境に、 刻み込まれたシルエットの美しさに人々は胸を高鳴らせるかも知れない。 子供っぽい憐れ臭さで、待っている、黄昏ている・・。 首の角度が物思いと上の空をあらわす。 でも充分な装備なしで、ヒマラヤとか馬鹿だぜ。 人の嫌な眼で気付くよ、 セロリとか、マッシュルーム、 チャイニーズ・パセリにでもなった気分だ・・。 海鼠なんてどうだろう? でもそんな、も、の、 センチメンタルな、逃げ口上。 そんな、も、の。 遠くで聞こえた小さな電車の音。 劣等感・・。 questionしてるところ・・・。 情交みるよな感銘、焦点を嘗め回せ・・。 「(十六歳、バス停で初めて話した)」 ―――当時からモデルをしている学校有数の有名人だったけど、 彼女はとても話しやすくて、本や音楽の趣味があって、 友人になった。恋をするとかではなく、ただ憧れの雲の上の人が、 たまたま話しかけてくれただけだって信じた、 期待なんてできない・・。 でも僕にはわかっていた、都会の荒れた皮膚に触れる暴れ出しそうな、 孤独な夜の罪、良心、自分の理想の姿への戸惑い・・。 最初から最後まで集中力が続かない僕等は欠伸しながら、 リモコンでテレビの電源を切った。 全部まとめてもさまざまな値札として消えていってしまうぜ。 流行、ファッション、価値観、時代はいつも・・。 お金なんかに振り回された―――り、 人の心の上っ面の薄っぺらい感情に汚された―――り・・。 ―――でも、恋をするのもおこがましいと言いながら、 ネットで彼女の写真を見つけてダウンロードし、 パソコンの壁紙にした。雑誌の本だって購入した。止まらなかった。 誰にも知られてはいけない、誰にも知られたくない、 ・・・・・・大切にしたい、何か・・。 ひしめきあいもだえた電車のような浮世絵、 イメージの魔術、この世界が掛けた毒の沼・・・。 高速道路下のフェンスの空洞、、、、 秘密の芝生の向こう側、、、、 「(十七歳、一緒のクラスになった)」 ―――学校ですれ違って「おはよう」と言われるだけで、 満足だったのに、小説や音楽の話をし、 改まったように誕生日とか血液型を聞かれ、お互い照れ臭かった。 でも裏庭でクラスメートから告白をされているのを目撃し、 心臓を掴まえられたような動揺をした意気地なし。土俵にも立てない。 自由に奏でてくれる音楽が、なけれ、ば、 ただの―――独り言、だね。 学園祭で将来の夢を熱く語る彼女が眩しかった。 修学旅行で、二人きりで、彼女の推しのアニメの聖地を巡礼した。 恋だった。 恋をしてい―――た・・。 どうして思い出すんだろう、高校三年生の引っ越し。 事務所の関係だと言った。彼女はそちら側の人間だとわかっていた。 だのに、二十一歳の今日まで彼女とはたびたび会った。 恋人の噂は時々聞いた、けど彼女はいつも自分から言い出し、 首を振り、恋なんて出来るような性格でもないと言った。 隣歩いている男あれ何だよ、金魚の糞、弟かよ、 何事も与り知らぬ、暗い執拗な声が聞こえる気がする。 経済的排他水域。被害妄想の声。 黒い言葉が溢れだすのを感じる。 スターバックスで魔法の呪文を唱えても。 マクドナルドで笑顔を注文しても。 不釣り合いと誰かに言われてしまうかなあ・・。 だらしのなさは今に始まったわけじゃな―――い・・。 自信がなくて、ずるずるずるずる関係を引き延ばした。 オーケストラ 管弦楽は破綻する。 、、 青空―――。 (わたしの気持ちもう気付いてるよねってメッセージが入った・・) 逃げるな、って言われてる気がした。 先輩に頼まれてどうしても断れず合コンに出席したという話の後だ。 (今日君にどうしても伝えたいことがあるとも書いてきた・・・) あなたは私の何のつもりなのって、言われてる気がした。 、、、、、、 鈍感系主人公。 「ねえ、すごくいま、君に会いたい」 「会って話が、した、い・・・」 椰子の実や、ボトルメール・・・・・・。 ―――アマゾンの二〇〇倍もの水が流れる黒潮。 波打ち際には、 細かい泡の集積、小さなコップを引っ繰り返したような塊から、 畳数枚分の広さのものまで、波打ち際に寄り集まっている。 僕等もまたウンディーネの子孫なのかも知れない。 海沿いの道、繋留された船、シャッターの下りた商店。 夕暮れ、鴎が飛び交い、蝙蝠と鴉も混じっている・・。 「色々言いたいことがある」 、、、、、、 口火を切った。 びっくりするぐらい感情的な声で、起立した。 the吊るし上げの現場。 (それを走査し、介入深部感覚・・) 「でも怒ってない、合コンは本当に断れなかった。 わたしだって君に言えない隠し事あるよ、 会社の都合で、断れない席に座ることもある。 でもそんなことを言うなんて、 どんな神経してるんだろうって思った」 違うね、と溜息を吐いた。 筋違いなことはもうやめる、と言って彼女が僕を抱き締めた。 僕は香水の匂いに随分やられた。 あと、何でお尻をいきなり握って、 あ、間違えたみたいに背中へそろりと戻すんですか。 (時計の針は戻せないまま、) (タイムマシンも開発されないまま、) 、、、、、、、、、、、、 ―――アイスクリームの淡雪の脂。 「わたしだって卑怯だ。いまの関係を壊したくなかった。 君は優しくて、趣味が合って、 嘘も本当も関係なく正直に話せる人だ。 けれど今までそう思っているよね、 わかっているよねってことばかりで、 自分の気持ちを一度もちゃんと言えなかった。 本当はあのバス停で君と話した時から、 ずっと、気になっていたんだ」 浮遊感。 滞空感覚。 “嘘だろ?” 「君が見てるのは私だけでいいよ、 私はずっと君だけを―――見てる・・・・・・」 見透かしてくるのも、すごいけど。 男前だなあ、いきなり。 直球じゃん、それ。 そんな台詞、言ったことないよ。 カッコいいよ、お前。 惚れてしまうよ、ぜったい。 (鮮明な心臓の音と―――縞を帯びた腕と・・) (空中に浮かぶ記号の―――星の魅惑・・・) 「・・・でも急に連れてきてごめん、 けど、羨ましかった―――んだ・・。 夢を叶えることで犠牲はいっぱい出てくる、 でも矛盾は矛盾のまま、眼の前で擦過してゆく」 血が流れるのを見るような微妙な曲線。 ずしり、とナイフが脇腹に刺さったような気がした。 、、、、、、、、 波が打ち寄せる音・・・・・・。 ほとんど聞こえないほど音量を絞ったテレビ・・。 「そんなの、ずっと・・さ―――、 一番欲しいものが、傍になかったら嫌なのに、 自分の都合で振り回すのも嫌なん―――だ・・」 すごくいい台詞、自己の経験を交えた情熱的な台詞。 って、何を見せられているんだ。 そう思うぐらい、彼女のイケメン伝説が幕を開けていた。 (勲章か病気、どちらにせよ、 オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェの生まれ変わり、) 口をあんぐりとしたまま、僕は女にでもなったような気がし、 ラリってきたラリってきた、 くんかくんかくんか、スーハースーハースーハー、 ・・・・・・待て。 でも顔真っ赤、小声でうんとか言う始末。 ダイレクトはあァトプレゼンツ、 シルベスタファミリと、 心の中のピーターラビット度数随時更新中。 白雪姫とシンデレラがはっけよいのこった。 なんだったら痺れまくって、酔っていた。 ジュリエットの吐息が溢れ、 クレオパトラの優しい表情が垣間見える・・。 常識、それ、ジョースゥィキ。 なんだったら、もうこのまま何か処 女穴を、 開発されてしまうんじゃないかという気がした。 でも男がしっかりしないといけない時はある。 きっと自分を偽ろうとあくせくしている限り、 全身の血が燃え上がるような結末は手に入らない、 エナズウィードリンコ。 どこまでも続く地平線―――。 影が・・・水を打ったような静けさで・・、 青春っていうくすぶったものが、息苦しい。フラッター・エコー。 距離をはかれないまま、針でつくような鋭い痛み。 (口の粘くなるような不快さ、澱のように沈む未熟さ、) (わかってる悲惨、わかりきってる酸素不足、) 成長・・できな――い・・。 ミントのガムのような芳香・・。 彼女の前で口臭や体臭を気にしている。 その次はファッションや背丈やルックスを気にしてる。 、、、 がらんとして、彫刻・・・。 「時間はかかるかも知れないけど、 無理ゲーかも知れないけど・・、 もっとカッコよくなるよ」 季節が追い越してゆく、 時間の流れが止まらない、 あの時と同じ気持ちのままではいられない。 Be a special person... Today is a special day... ―――僕は時々あのバス停のことを考える、 本当はあの少女、悩んでいたんじゃないか、 人生や夢に対して悩んでいたんじゃないか、 体と心のバランスが崩れて、大人の世界の論理、 わかったような顔ばかりしている彼女は、 いつか、たった一人でも本当にわかってくれる人を探した、 本当にたった一人でもいいって思えた・・。 ゲームは複雑な信号をしている、 まだ上手くアプローチを見つけられない。 繭を破って出て来たのは、春・・・。 繭を破って出て来たのは、春・・・。
2024年05月15日
彼女がどうして昆虫採集をしようと言ったのかはわからない。 商店街を立ち止まっては歩き出す朝、 蟻のような人間、兜蟲のような車。 仄かな油のひほひはまた新らしい夏を印象せしめ、 海へと出掛けた記憶を呼び起こす・・。 まるで何も買わないで動き出す人の合間。 ヒューマン・ユニヴァース <人間的宇宙> ―――銀行についての知識は知らないけど強盗はできる、 警察官については知っているけど鑑識班については知らない・・。 宇宙ステーションと宇宙コロニーの明確な違い、 拷問は知っているけど拷問器具は知らない、 大体一緒だろ、全然違う、 そんなこと・・・・・・。 ―――ねえ。 ―――うん? (時々、子供の頃の他愛ない戦隊ヒーロー物や、宇宙刑事物や、 太陽の戦士物とかを思い出す―――んだ・・) 太陽や自然に語り掛け歌いかけているような饒舌な五官の動き―――と、 ピックアップされる―――“麦藁帽子”と“Tシャツ”と“ギャザースカート” まだ甘くあどけなさの残る整った顔立ちと凛とした表情。 気が付いたら思い出し笑いして、 眼の前にいる不思議な親しみのある平静さの人物の表情を綻ばせている。 「・・・なんだい、楽しいことでも思い出したのかい?」 男前の口を聞く、服装と口調がまるで出鱈目なんだ。 ―――幼馴染。 「いやなに、郷土料理の一種をね」 ヒューマン・ユニヴァース <人間的宇宙> 、、、 動くな――。 (昆虫にせよ、草花にせよ、人間の略奪趣味は子供時代からある) (純粋な利己主義、不安が異質な変化をした姿のようにも思う) (たとえばそれは、クランビタン村の祝祭劇チョロナラン。集団的なトランス) (本能や遺伝子のことを考える) ・・・外では雪みたいに歴史が降っている。 夏といえばアウトドア、テントの設営の仕方―――。 シュラフも、バーベキューコンロもない、冗談みたいな夏休みの過ごし方。 ああ絵のような障害・・。 嫌悪をまじえた驚嘆もあるけれど、月影に隈なく見渡される森で、 科学的な好奇心、夜の茨に触れ、天体観測、バードウォッチング・・。 妙な所から知識を仕入れ、欲望、怪奇、風味、回転。 「(いまじゃ怖くて食べられない、きのこ・・)」 「(七草のてんぷらは美味いらしいぞ、つくしも食べた・・)」 お・・・ぼ・・・え・・・て・・・い・・・る・・・ “そこに、煩瑣な秘密を希わせるものは何だろう?” お・・・ぼ・・・え・・・て・・・い・・・る・・・ “山や森の地図、運動靴の足跡” 跳///ね///て/// ちょっとずつ、ちょっとずつ・・・。 少しずつ、少しずつ、僕等の世界は壊れていったんだと思―――う・・。 地球を育ててみるという小説はどうだろう、 月の石を食べてみるという漫画はどうだろ―――う。 ヒューマン・ユニヴァース <人間的宇宙> ―――情報は敏捷の身体に逃走を考えさせる、 命の危険を直感した動物のように、 百科事典で得た知識から脱線してゆく知識のように、 敏捷な身体はすぐに鋭く立ち上がった、筋肉と骨と血が四つ目の要素によって、 ぶつかり合うのが感じられ―――た・・。 フィールド・ワークをしよう。 さて、この森には何千種、 あるいは何万種の昆虫がいるだろうか? 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 相愛なる第一階を登つて始めて之を知るを得るなれ――。 狂気の沙汰だ、神経組織とグレープフルーツの夢、 拳銃とセックスのノイローゼ。 玉虫色の逡巡、そしてこの世界だって喰らっ―――た・・。 手塚治虫を読んだり、電池や万華鏡を作ったりした。 生活にもつれた蜘蛛糸をみるように、過去の僕等のさまざまな探検や、 冒険はカタログ。エリア51、富士の樹海。 面白いや、楽しいという感覚が、 合理的解明をもとめ、人間に夜の暗闇を走らせる。 時計の分解もした。自転車の分解もした。 いやしかし、僕等は蛙の解剖をしなかった、 爆竹を蟻の巣にいれなかった。 昆虫に備わっている複雑で驚異的な感度の知覚機構への畏怖? いや、そういう弱いものいじめが嫌いだった。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 感動は無気力なブラックボックスの中にはない・・。 大腸菌が適応的に作り出す乳糖利用の酵素類みたいだ――。 昆虫や菌類や蚯蚓など土壌中にすむ生き物の働きによって、 有機物はすべて肥沃な土壌の大切な要素である腐植土に変わる。 暗く蠢いているものは、果てしもなく長く思われた沈黙に似ている。 昆虫は枯れた植物や死んだ動物を再処理し、 効率的なリサイクル・システムによって地球を清潔に保っている。 昆虫たちはしきりに何かの目的に向かって動いている。 虫の世界はバッカスの饗宴。多様性はパノラマ的景観を呈す・・。 的へと一直線に向かうアーチェリーみたいなものだ。 汚れに染まぬ数多の声が、 静かに人の魂に向かって語り掛けているような気がする。 NPCみたいな存在だけど、そこに心がないという根拠はない。 (僕等はまだ、“心”についてよく知らない・・) (―――べとべとびたびたな、蛙の卵を見ながら、 生物の本質を見たような気がしたのを思い出す・・) 食事、繁殖。農作物や家屋を食い荒らし、動植物の病気を媒介し、 受粉を助け、害虫を制し、排泄物を分解する・・。 そして食虫花は貴重な栄養源として昆虫を食べる・・。 アルプスの頂上も、深海の底も、北極の氷山も、アフリカの猛獣も――。 、、、、、、、、、、、、 その一瞬の先に垣間見えた。 脳の鋳型。パターン認識。共通にセットされている行動プログラム・・。 (二重、三重、四重五重にきこえる蝉の鳴き声は、 アスファルトの街とは違う響き方をする。 腹から尻尾へかけての伸縮であれほどの高い音を発し、 本能は身体の構造あるいは形と結び付いている) 脳内の快楽をつかさどるモノアミン作動性神経系。 オピオイドペプチド作動性神経系。 さて朝には四本足、昼には二本足、 夕べには三本の足の者は何か? 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 薄い紗に冷たいアルコールを浸して身体の一部を拭いたあと。 心理学、統計学。底知れない甚大な疲労をしながら積み上げてきた歴史の、 重たい一秒一秒が、たった一匹の昆虫の中に凝縮されている。 、、、、、、、、、、、、、、、、 押し入れで蟷螂の卵が孵化している。 あるいは無垢な眠り、白昼夢のような妄想の中に達成されている。 歯朶、毛蕊花、毒人参、鋸草、じきたりす、丈高い雑草。 小鳥の囀りで足りないところは昆虫の羽音が補っている。 ―――愛という不思議な言葉がもたらす美しい一つの場所の作用だ。 同性愛的な、中性的な友情。無尽蔵な驚異と歓喜の材料を提供してくれた。 例えば植物の生長の模様、動物の心臓の鼓動、昆虫の羽根の運動の仕方・・。 森蔭は咽ぶばかりの松脂のにほひ。 アダムとイブの頃からの人間の進化の道程をさかのぼった遠い祖先の時代の記憶・・。 傷心の風。光と花と夢。彗星の運動と旋転に従属させる。 ―――ねえ、君はがっしりしたね。 ―――うん? ―――咽喉仏も顔のラインも変わった、髭も生えてきているじゃないか。 「・・・・・・」 はじめもえたつ色にそまって年頃らしく伸びた白い脛、 快感誘起性聴覚要素のある虫の声。 ファンがひっついたトランジスターラジオ。 蝉は地上に出るまでにどんな夢を見たのだろう? しなを作り、霧の色と音の水をまとって・・。 渋面をして他人との交渉を避けたりする僕等のそれは、 積極的対他性を表わしている。 甘える者と甘えられる者との間には、常に積極的な通路がある。 香料や試薬も注いでみようとする・・。 臙脂虫、油虫、足長蜘蛛のいる草叢に、 フェアリーやゴブリンの王国。 ちぐはぐな凹凸は近代的感覚が根こそぎ奪っていったもの。 鉱物的興味と百科事典の耽読。 マラリア、デング熱の病原蚊、睡眠病の蠅、毒蚋・・。 命の精華。 (フレームに入らなくなった。 ファインダーで覗きこめなくなった・・・君の姿は―――) 、、、、、、、、、、、、 絵で過ごすような長い一日。 眼にかかっても気にしなかった前髪だったのに、 カーラーで巻いて、アイロンで内巻きにして、 ワックスなんかをつけてカールさせていて・・。 この前の東京のごちゃまぜ感の強いファッション―――も、 身体にあわく映って揺れているよう―――さ。 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、 華車な骨に石鹸玉のような薄い羽根を張った、この生き物。 (カブトムシをお小遣いにしようと企み、 融合実験ならぬ有言実行し、 ショップに売りに行こうとしていた悪い顔も忘れたよ・・) 、、、、、、、、、、、、、、、 、、、、、 頭の中に爆竹やコーラの泡がある。破裂しそう。 すっかり女の子らしくなっちまいやがってさ、 君が似合うのは、それこそ乞食みたいにした泥だらけの、 短パンとTシャツじゃなかったけ? 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 行こうぜって言葉にドキドキした僕を誘ってくれないか? 「君と掻き分ける空気が好きだった、と言ったら信じるかな?」 ―――信じるよ。 「誰よりも信頼してた、何でも一緒に出来る君のことが、 わたしは好きだったんだよ・・・・・・」 犬みたいな顔をして一緒に馬鹿をしていた友達とお別れしたように、 眼を欺かれ、マニキュアにコンシーラーに、口紅、 そんなのが全然変じゃなくなってしまいやが―――る・・。 誇張・変形する神様の視点。愛の視点。 ランダムドット・ステレオグラムの誘惑。洞窟の影。 時間が、イメージの範囲に思えてくる・・。 牛の群れ、バターと砂糖・・瞑想――。 夢想的で、空想的な領域――感情のパラメーター。 お伽噺が終わってしま―――う・・前に・・・。 長い長い物語が終わってしま―――う・・前に・・・。 ヒューマン・ユニヴァース <人間的宇宙> ―――流動でなくて、必ずいくらかの律動的な弛張がある、みたいに――。 互いに少しずつ異なる角度の識別を持っていることも知らないで・・。 心臓を搏撃したように感じられる――。 少年時代、あるいは少女時代、あるいは―――子供時代・・、 汗が煌めき、頬が火照り、陽が雲を透かすように、躍動し、 薄い影を足元に投影する、雪崩れてゆく、飛び込んでゆく、 僕等はそれを、忘れないでいる方法を見つけた―――から・・。 Let's find a song that never ends... Let's find a song that never ends... (僕等はきっと―――まだ何も知らない・・・)
2024年05月14日
眼は空間を運ばれて―――く、 次々と、シャッターが、 切られる。剃刀。稲妻形。 切られていく、鋭利、切断。 ―――こ ち ら か ら す べ て 見 通 す よ う に 、 軽 々 と 近 付 い て ゆ く ・・。 、、、、、、、、、、、、、、 ―――ほらまた美しい響きで幻惑する・・。 花弁が散ったあとの若葉はどこかしら、 華麗な翼のはじを隠している鳥のようで、 炎のような口の喘ぎに興奮が強くなる。 どんな最低な感情も、 どんな最高の感情も、 それが“呻き”に変わっても、 いつか“弾け”てしまうとしても、 ねえ、それが“衰え”てしまうとしても、 ―――呪詛のような永遠、 (触れたいと願った僕等の―――『手』は、) (木漏れ日のたわむれている黄昏の・・・悪夢・・違うな、 ―――死刑執行、断末魔の叫び・・・) ―――ま るで 世 界 中 の い た る と こ ろ に 、 君 が い る よ う な 呪 い だ ・・。
2024年05月13日
ガラクタの山だってローリスクじゃ物足りなくなっちゃったし、(隣で、)平均演じて自尊心肥大系の通勤ラッシュ、一般ピープル、それがブリキの海だって40口径。校庭の隅で、体育座りしているような、灰になる光景さ。“タッパーに入った蛙の卵みたい”I ran from 10,000 miles away拒もうとした、世界が、雪崩れ込んでくる、速やかな落下の瞬間。僕等の聞こえない、悲鳴は、いつも内側、組み替えられそうな遺伝子の醜い白昼、僕等は大量生産される、出来損ないのコピー商品。不安を結晶させた様式の折衷の孤独や静寂、―――静脈が透けて見えそうな君の眼が泣きそう。I can hear the sound of shoes in the midst of the ceased growth of the past called the future.止まない雨はないとか気障だし歯が浮く、明けない夜はないとか摩天楼が衣擦れの音させて喘いでいる。、、、、、、何だってんだ。いいから。夢見ている間は全力で何処かへ向かって走っていたい。わからない。周囲の明るさとか反射とか各層のゆらめき。ここだって。大宇宙の中に小宇宙が存在する模型、完全な全容。辞書に入っている言葉なんかいらないよ。気付いて、傷ついて、燃えやすい炭素になる。(...No one will tell you the truth)ノートに書かれた言葉だっていらないよ。入道雲みたいな化け物が黒と白、天使の悪魔の宝石を呑み込んだ。(...There's no guarantee that I won't lose sight of you, and I don't have the confidence to notice it anytime, it's just my pathetic weakness.)「穴倉のような狭い場所からそろそろ広い世界を見なよ・・」台風の日に外出たくなる心理って何なの? (椅子取りゲーム、)人間ってさ、社畜ってさ、薬と毒がいがみ合いながら業が生きる人生はネクストステージ。もっと世界を知りたいって言って。考える暇もないぐらいにぶつかりたい。もっと自分を知りたいって言って。最後の最後まで解き明かせないのは、そういうこと。「喜怒哀楽にカテゴライズされなくちゃいけない?」青いスカートが言う。「映画やニュースに順位つけなくちゃいけない?」白いふらんねるのハレーションが言う。I ran from 10,000 miles awayネオンサインと無数のミラーボールが乱れた不夜城、(十 字 架 み た い な 花 の 名 前 、踊 り 場 み た い な 都 市 の エ ア ス ペ ー ス 、)透明より綺麗なもの、永遠より美しいもの。まだ封の切れていない愛、生きる権利の証明のない地図で。木漏れ日だって、薄青い影だって、公園と、シャツの皺だって。(何 処 に も 人 影 が な か っ た 真 夜 中 、廃 墟 だ ら け の 狭 い 路 地 か ら 、華 麗 な 虹 み た い な コ ン ビ ニ 、 )心理学が僕等を昆虫の標本にしていくような気がする、―――でも呼ぶよ、恥ずかしいけど、大きな声で、ちゃんと伝えたい。「...探し物を、見つけなくちゃね、しっかりしなきゃね、言葉が終わるのを待ってられない」I can hear the sound of shoes in the midst of the ceased growth of the past called the future.それを誰かに嗤われたとしても見せたげる聖域、このセカイの向こう側へ僕だけの領域。だってさ。何も見えない迷いの森みたいな夜は走れない。わけもないよ。飛行機雲や、空に穴を開けた荘厳な光の滑り台で。かまびすしい。鳥の姿も見えない囀りごときで世界が隠した秘密が、―――見えそうだ。
2024年05月12日
2024年05月12日
世界を水溜まりのように覗けば、硝子は反射し、もてなしている世界への誘惑が、砂嵐という漣の顫えの迷宮の奥で一つの映像に仕上がるのだ。抽象的な概念も、既成概念を組み替えることで、知的好奇心の旗を掲げ、―――言語動作、生活作法という破綻を垣間見る。像。それは、場面ではなく、強烈な磁力を帯びて高調子の内に、波打っている、終わらない感情。まだ健やかなみずみずしい、時を違えたものが、見つからないでいる僕に。向こう側を問答するのは止めよう。アスファルト舗装された道路に沿って移植された木々や芝生。そして丸くて、金属で、蓋があり、飲料と呼ばれるもの。火照り。不眠。蒸し風呂のように、蛆のわきそうな脳を酷使して生成繁茂を続ける。後五〇キロという看板を見て煙草の箱を取り出した。タクシーは霧のような、この街の、人工衛星。言葉にだって雨が降りかける。物言わぬものを物言わしめるために、官能の権化たる奔放な肉体があった。けだし鮮やかな印象で眼に浮かんだ、大寂寥に満ちた蛮界。逃げはしないかと手元へ引き寄せながら、美や若さという風の囁き、視覚や嗅覚という社会の病巣、その暴力性を持った我欲に盗まれてゆく。井戸の底から響いてくる、過剰な生物の生殖にも似た豊饒の園で、口を噤んで躊躇った、美点とは欠点ではないか、愛とは憎しみではないか、閑話休題。天体まで切り開く想像力を持ちながら、肉体を持つことで脆弱化し、心を持つことで原罪意識に触れる。七転八倒。七転び八起き。絶え間ない危なっかしい印象の中では、唯一とも呼べる無二のはっきりとした主張などない。されど人生は芝居であるし、死は眠り、時は動くことを止めようとはしない、寝転んだ魚の影をうつしとった魚群探知機であろうとも。美しい顔は石膏、肉体も幻影、まるで灯台下暗し、折角せり上がる快感に必死に耐えたのに、酔っぱらいの繰り言は消えない。何処へ向かっているんだ。インスピレーションが膿んでゆく。その、他愛ないシミュレーションの痘痕へ。小さな焔となって跳ね上がる若い豹が閃く、枯松葉や粗朶と呼ばれたもの、病み、自然は威力。攻撃力。もう一度掴まえたら、噛まれた腕を見せてやろう。陰気なくすぶりから湿っている燐寸の燃焼力。防御力。まだその間をあげつらってやまない、空腹がなくなれば動き、不快な感情があれば休む、グランド・ピアノ。いやましに募る繊細身微妙の縁で、底を表わすかどうかを、匿し、賭けをする、淫らに開いた歓喜の出口、ホイップ・クリームみたいなコーヒー・ラウンジ。透明な粘液が糸を引きながら塵や芥を流す力を探し、蜜液がしみだす五月のべとべとした底なし沼にも、雨水を濾過し制御する礎たらんことを、―――そして証明したい、僕がもっと高く舞い上がれる鳥であるかどうか、を。刺のように胸の奥に触れた早熟、鳩尾に饐えた虞の熟達、眼と鼻の先で持続的な狂騒が、放射状に襞を入り組ませる。逆様の視界は、万華鏡の視界と変わらない。まだわからないんだね。こんな簡単なことも。まだ解き明かせないんだね。こんな単純明快なことも。老朽化している、経年劣化している、蝶が展翅されたように開いてなお、まだ完全にその真空を許さず、食虫植物が現前とし、さりとて背後にかなぐり捨てた世界の抜殻がある、その十秒後でも十年後と差異はなかった。それが十年後でも百年後の核戦争後に人類が死滅した、最悪のシナリオが登場しても、電話は切れた。言葉も切れた、永遠なんて凡庸な高速道路のようなものだったから。服装と笑い声、NHKと民放の差異による媚態。何処までも続く世界だ。それが有限か無限かではない、永遠というばね仕掛けが剥いだもの、たとえば痛みに触れ、理性という不安や恐怖が、熱い潤いに満ちた、経験によって思考力を完全に放棄させる。じわじわ迫って来る、濡れる、流れる、動く、透明。足音も秘孔、風も快楽、胴震いのような波紋のうちに、何か世界を一変させるような瞑想的なものが燻され、冷たく、こみ上げてくる。頑なに身を護った、各部分、見通し、構成、世界はやすやすとその身を変態させる、名前も顔も、それまでにも雄々しい彫像のようであったきらめいている瞳は、紐を解いた。坂道をのぼっているのに降りているということはできない、世界。けれど、映像の中では巻き戻しという秩序に関連する操作によって、降りているのか、のぼっているのかも明確に説明することは出来ない。そんなのは言葉の罠だ。周知の事実だ。けれど情緒をいくら満たし、まつわりついた感覚の類似性を漕いで、何百夜どころか何千夜も考えたとて、こちらをじっと見ていたものは、いつかそびらを返して去ってしまう。どちらかでありたいということに頬をつねるとしても、どちらでもありうるということで砂を噛まざるをえない。始まれば終わる。だから木立の奥で鹿は鳴き止んだのだ。全身を覆っていく。トンネルの上から僕を見ている猫。蓋を締めてもまだ、何処からともなく現れる、神出鬼没。あの夜から始まったわけでもないのに、突然その可能性を生み出す胡散臭い出来事。分娩の暗い苦しみが肉層を濃密に刺激する。想像力は温かくぬめった、自然との連環。その狭隘な通路を攪拌するものは、かつて見たことないという矜持の幻惑の魔惑。意味や理由に征服されているのか。環境や状況に侵蝕されているのか。―――誰も答えてはくれない。華麗な眺望が色とりどりの光芒を放つと同時に、ひどくちっぽけな空虚な虚しさが心に甦って来る。蝋細工へ着色するような、極彩色の、ほぞの干物、あまりにもやみくもな水溜まりの向こう側。たかだか水溜まりに言うに言えない苦悩の痕跡を与え、華氏百四十度では蒸発してしまう、―――海よ。生の芯を抉られ、ぽっかりと風穴が空いたようなそれが幻視できたら、興奮の渦に呑み込まれそうな密着感の跡の惰性を残して、まだ僕は最高潮の、のっぴきならない仕儀、感情を偽れない億劫のまま、左右に開かれ収縮する、一瞬を待つ。時間や空間を開かれ、仮想の世界が現実になる、区画整理のような埋め立て地、―――ああ、僕等の水溜まりよ。
2024年05月12日
朝が始まる。蜘蛛の巣のように重たい気持ちも、開くことで、思った以上に軽いことを知る、ドアの前で、いつもの言葉を口にする。それは見切り発車のようなニュアンスを帯びていることを、自分は知っている。頭の中のガスの元栓を締め、窓を閉める。「いってきます!」 *部屋にあるのは段ボールハウス。段ボールハウスの中で、その声を聞いた犬は、ほねっこや、ドックフードや、高級な缶詰や、ボールやリールになど一切眼を向けないで、洗濯籠に入れられた靴下や服を見ている。飼い主は仕事へと出かけてしまった。だから飼い犬は散歩へと出かける。服を着て、瞬刻に陶冶。ズボンを着て、足が長い、詩的。帽子をかむって、纏綿たる執着と、玄関で靴を履いて、真摯なる態度。―――さあ、戦闘準備だ。 *そこに何があるのか、何と戦っているのか、それはわからな―――い・・。リスクは大きく、報いは少ない。旗を掲げろ、アクセル・エルンバッハ宣言から十余年・・・。 *階段を下りながら、締まりのない足をいい加減に運ばせて転びそうになったので、ホイッ、ホイッ、と掛け声をしながら下りる。そして、飼い犬のことを考える。―――心の中の辿りにくい道程も、嗅覚が説明する。少し前は、ポップコーンの匂いをさせていた。今日は、何を食べてくるのだろう。『犬は形態変化型の獣人種』ということになる、あるいは―――『人狼』の方がいいのか・・。獣人特例措置区域で育った血統書付きの珍しい犬で、小学校ぐらいの学力がありながら、犬のふりをしながら過ごしている。「(・・・・・・最初は、怯えていた。御飯を与えて慣らすのに数日かかった。一緒にご飯を食べられるまで数週間かかった。面倒な犬ほど、可愛い)」お金をテーブルに少し置いてくるのを忘れなかった。あまり持たせすぎると帰ってこないような気がして、簡単な食事と、電車賃ぐらいのお金だ。元は人間だった犬というのは、ペットショップのマニュアル的にも、世間一般における育て方にも、時折過去を追体験したがるものだと書かれていた。 *蟻のように人がうごめく街路。零細や家族経営のこぢんまりとした会社が集まる、ちょっとしたオフィス街。時間の歩みが急激に加速したように感じられる、駅スペース。夜、霧の底に沈んで鋼鉄のように青ざめていた町は、細長く湾曲した白魚のくねりのその姿だけを残して、何処かへ泳ぎ去ってしまったのだろう―――か。―――朝。 *子供の頃、自分は人間だった。けれど、隕石が墜落してから世界は変わった。街を出れば天使や悪魔がいて、犬や猫が歩いている。犀や象や麒麟に獅子もいる。多様化の時代だ。それが自分と同じような境遇かは知らない。黒板で先生が説明していた。昔は様々な偏見や差別があり、それを取り締まる法律があったけれど、いまは何一つもない、と。「(世界五分前仮説とか、水槽の脳も好きだけど、この世界は隕石という誘引剤で、もう一つの世界にすり替わった、という哲学の方が好きだ)」、、、、、、、、、、、、犬だって歩けば棒にあたる。 *町のあるところには、川がある。いまでは、バス停や駅があり、学校や消防署や警察署がある。それが僕等の、川だ。川は最初、人知を超えるものであり、生活に欠かせないものだったが、その固定点を変化させた。多くの市区町村では、いざという時に向かう避難場所や、災害想定が記されているハザードマップを作成する。川に橋を作る目的は便利だからだ。けれど橋を作った時に川はもう、三本の線で足りる存在になった。 *バスに乗りながら、溝池の底へ落ちていった硬貨のような気持ちになる。車輪が外れて、電線に世界の常識が引っ掛かっていたとしても、そういう奈落の底は消えない。バスは都市部から郊外で停車した。郊外は森で、研究所がある。研究所までの道のりで、防弾ジョッキと拳銃が用意されていて、ヘリコプターに乗り込む。「犬が人間にさせられている世界はひどいものだ」と、所長が言う。元はハスキー犬だった。しかしいまは、ロシア人っぽい顔立ちになっている。「隕石には現代科学では処理しきれない様々な効果があって、世界のバランスは見事に壊れてしまった」知っている。知っている―――つもりだ。遊園地ネズミーランドに不時着し、小さな天使や悪魔、大きな天使や悪魔の眉間に鉛を沈めてゆく。犬人間達にとってそれは正当な報復なのだ。というか、犬人間にとってその報復は宗教的な行為なので、誰かがどうすることもできない。『犬が人間を飼う』というのは前時代では、おそらく誰一人考えないものだった。けれど、長い間にしみついた習性は、『人間となった犬』にも変わらず受け継がれている。それに反抗する奴もいて、実験材料として、目玉をえぐりとったり、尻と口をくっつけてみたりするが、正直あまり美しい行為とは言えない。けれど、オリジナルの価値は下がり続けている以上、爆風でゆらゆら揺れている観覧車のような視界は、―――青い月のようなものだ。 *愛や平和や正義や悟り・・・・・・。それはきっと変わらないもののように思ってき―――た。思い知らされるん―――だ。 *犬として何をすればいいかはわからないが、人間だった頃を何となく懐かしんで楽しむことは出来る。元は人間だったことに執着して、自殺する奴もいるが、僕は全然そうは思わない、この犬耳、鼻、犬歯、尻尾、何もかもが素敵すぎる。ただ、生物学的に訪れることのなかった、第二形態とでもいうべき人生に、こういう煉獄の魂のような散歩という風習を認める風潮があることを、感謝しなければならな―――い。電車に乗って、バスに乗って、そして川へ行き幼い頃に突然生えてきた、犬耳をそばだてる。飼い主に頭を撫でられながら過ごすのも好きだけどね、孤独は文明における生存の証明だ。この前はポップコーンを食べながら映画を観たし、今日は喫茶店でケーキとコーヒーを頼んだ。こういうのを文化的な生活というらしい。鰐のメイド服を着た女の子が、「あら、可愛らしい柴犬さん、いらっしゃい」と言った。多様化の時代だ。自分をひと噛みでやれそうな乱杭歯が素敵だったが、あんまりお洒落じゃないと思うかも知れない。みんな自分のすべてを受け入れて生きられるわけじゃない。彼女みたいな中途半端な変化を嫌う向きもある。けれど、そういう愛好者も存在する。僕はその人体から生えてきたセクシーな、サーフボードとおぼしき尻尾の上で、日向ぼっこをしたいと思う。それに、あまりしゃべるのが得意ではないので、肯いて、写真付きのメニューに右前脚をマウスする。これとこれ、というのがジェスチャーで何となく伝わる。人間というのは、時間通りに来ないと怒るものらしい。この前、言い方が気に食わなかったライオンの店長が、がぶりと食べてしまったと聞いた。みんな、悪いのがどちらかすぐにわかったので、瞬時に顔無しになった。 *免許証に顔があった。顔があるから住所や電話番号が必要だった。そしてその免許証を発行する試験が必要だった。ごく掻い摘んで言えば、権利というのはそういうものだった。戦争も大量虐殺という意味で、その前提にあるのは支配だ。権利を根こそぎ奪う、でも平等が大切だと謳う、完全矯正値には届かないから、平和運動が必要になる。ありとあらゆる国はそうしてきた。犬の僕が分かり易く言えば、強者が弱者を虐げる、それこそが権利というものだ。この街に流れている―――通奏低音・・。 *本当言うと天使や悪魔を殺すのは好きじゃない。もう何千体も血祭りにあげてきたけどね。だって抵抗もしない、ただ、殺されるモルモットに、抱腹という宗教的感情しかない。嘘だ。無表情の仮面がそう言ってる。職務遂行。それも無表情の仮面が言ってる。泣き叫ぶこともないし、痛みを感じることもない。御飯を炊いて、味噌汁を作って、飼い犬のために、猫まんまだよ、おあがり、という方がまだ感情が揺れ動く。犬まんまって言い直そうかっていつも思う。僕の大好物なんだ。「犬であろうが人間であろうが、その運命を受け入れるべきなんだよ」と、にこにこした天使が言った。惑乱した懺悔の心もなく、宗教的な光明が射しこみ、平気で枝葉へ繁っていこうとする。しかしそれがいつのまにか本筋と結びついている。「こんなことをしたって犬に戻れないし、ましてや、天国や地獄や生まれ変わることもできなくなる」―――真顔で、それを見る。拳銃を構えて、撃つ。迷わない。殺意さえ覚えていない、スタイリッシュな単純作業だ。そしてこの天使や悪魔をバラして工場に売る。天使や悪魔は拒絶反応が出ないので、病気をした時に用いられる。曰く癒しの力と、凌駕する力。ともあれ、あますところなく材料になるので儲かる。都会で一人一人が生活し、研究所で武器を調達するぐらいには儲かる。抱腹という感情が本当かどうかを疑うことはしない。ただ、お金でもなければ、汚い天使や悪魔の贓物をひきずりだして、血液を壜の中に入れたりしない。臭いんだ。でも惨殺を繰り返したネズミーランドで、他の犬人間がどう思ったかは知らないけど、一つだけわかる。僕等は人間になるべきではなかったことをだ。―――でも、人間でいるということで、一匹の犬に巡り合うことがある、それは鈍感で野暮臭く見えた世界の奇跡だ。 *万有の法則があるように、夕方は世界が七転八倒し、疼痛の塊のようになる時間帯だ。見せしめに吊るされた人間の死骸は振り子時計し、人間だった名残のような家々は、発狂寸前の夜の冷たさを受け入れている。荒廃し、風化しながら、点々の飛び石のごとく、それでもまだ人類の壁や、理性の塀が存在し、愚の骨頂の攻防ラインが風景の汚点のように見えている。 *子供の頃、学校一の秀才と噂された、もふもふの、角が生えて、耳をピクピク動かす、羊君がいた。ちゃんとした名前は忘れてしまった。羊君は頭が良すぎたので、自殺した。羊君と僕は仲がよかった。羊君はジオラマ風に作った段ボールの町に、噂話を書き込んでいた。借金苦で自殺、踏切で胴体がちぎれる事故発生、交差点で幽霊の目撃情報。羊君は、子供っぽいことに熱中することで、自分を胡麻化しているんだと何度も言っていた。けれど、追いかけてきたのだ。逃げられなかったのだ。羊君は予知夢を見て、明晰夢で幽霊と会い、そうでなくとも世界が完全であるための方法を、探さなければいけなかった。でも羊君は世界の真理に触れてしまった。僕は少しだけ羊君の気持ちがわかる。世界はジオラマ風に作った段ボールの町に書かれた、噂話そのもので、それ以上でもそれ以下でもなかった。生活は頽廃の呼び水だ。「(でも、羊君、それは弱点であり、無用の徒爾さ。僕は何度もその経緯を追想してみた。だけどね、しずかだといえばしずかな、さみしいと思えばさみしい生活が続くだけだったんだよ。僕は元は犬の人間に、飼い主と思う抵抗はまったくないな。大きな声で怒鳴ることもしない、大切にしてくれる、言葉少なに色んなことを語ってくれる、―――それで十分じゃないか、むやみに痩せ我慢して、人間はとか、霊長類はとか、権利とか、自由はとか、そんなのが何になるんだよ、にらみ合って得心いかず水掛け論している連中もいる、最後は虐殺が待ってる、覆ることはないよ、でもね、僕等がその立場だったとしても、結局同じじゃないか、飼い主は僕のことを愛してくれている、僕も飼い主を愛している、それでいいんじゃないかと思う・・、知りすぎて何を得たの、羊君、檻の中で鎖につながれてみじめな生の骨格標本かい・・。違うよ、それはしずかで、さみしいという、それだけさ。それだけなんだよ・・・・・・)」 * 、、、、、、、、、、―――夜は光の創造の時間だ。 *この前、アニメーションの映画を観た。動物と人間の立場が逆転した現在進行形の感覚を、ウィットたっぷりに描いていた。主人公は犬から人間になった、自分の生まれ変わりのような存在で、車に乗り込み女の人間を轢き殺し、内臓の出方が気に入らなかったので三十二回も轢きなおした。その神経質なやり方は、リアリティがあった。もう一人の男の人間の方は、海から突き落とし、手榴弾を落とした。手榴弾がなくとも、鉄球に手錠がついているので、まず、生存確率はないのに情けをかける感じに、犬人間らしさの面目躍如があった。あと、あの監督は、犬は夢を見るという描写に力を入れる傾向がある―――ね。自身の経験からきているのかも知れないが、何というか、腑に落ちる。犬から人間になると、どうしても動物にならなかった、オリジナルの人間を虐殺したくなる衝動に駆られる。これは『教育』というか『訓練』のレベルじゃない。―――ひしゃげてしまいそうなほど、唐突に襲い掛かる、本能だ。これは人犬症候群という。人権とかけている、お洒落だ。最後にはタイヤの積み上げられ、苔生した廃墟が傍らに見える、スクラップ場へ行き、車を壊して、バラバラになったのを「よし」と言って、四足歩行で帰るという映画だった。ラストシーンでは天使と悪魔を大量に積載したトラックを、爆破していた。あれは実物を使っている。ひと昔前の、牛や魚のような扱いなんだな。感銘を与えるだけにとどまらず、宗教的感情までも昇華させる名作だった。洗脳映画ともいうが、犬人間はとりあえず殺意について描くのが好きだ。一つ問題があるとすれば、僕が人間だった犬をとても愛しているということだろう。だから名作と思うアニメーション映画に、センチメンタルな気持ちになったりする。「(最初は警戒して手を見ただけで噛みつこうとした、噛んだ瞬間、頭を撫でたよ。自分だって昔なら絶対そうしていた。分かり合うなんてそんな簡単なことじゃない。血を流して、傷つけあって、痛みを得て、ようやく家族になる・・・)」 *様々な商品を手に取りながら楽しむことはできるけれど、そしてそれを飼い主に渡した瞬間を考えると幸せだ。どんなに残酷なことも、アパートの部屋面積分の平和が守られ、どんな危険も自分と関りがなければすべては薔薇色だ。きっとそれは、何も考えられない病なのだ、愛というのだ―――それは。 *でも顔をぺろぺろ舐めていると、何か嬉しい。人類の敵だって言う奴もいる。そうなのだろう、身近に潜伏していたのだ、それは。けど難しいことも、ややこしいことも、やがて何もかも終わってしまう、愛というのだ―――それは。 *飼い主はいつも七時きっかりに帰って来る。夜道を急ぎ足で帰りながら、靴や服などを脱いで、段ボールハウスへと戻る。落ち着く姿勢を探すために回る。ある奴は、世界は未完成で、またもう一度世界は元通りになる、と予言している。本当かな、わからない、ただ、人間が人間になって、犬が犬になったあと、この関係を繋げていられるかどうかは正直わからない。首筋を撫でられると気持ちいいし、耳をまさぐられるとたまらないし、背中をさすってもらうとそのまま眠れそう―――だ。それを、自分がするのは別に構わないけれど、されなくなると、犬に戻りたいって思うかも知れない。一日が終わろうとしている。蜘蛛の巣のように重たい気持ちをもたらすと知りながら、閉じることで、眠る蛍のようでいられる、ドアの前で、飼い主がいつもの言葉を口にする。「ただいま!」
2024年05月10日
あの廃ビルって、気持ち悪いよなって、最初に誰かが言った。何かが操っている・・・。次の日にはもう、廊下の奥の部屋に、謎の怪人がいるにすり変わってる。知らない、でも見える・・。―――舞台装置は起動している。一週間後には犠牲者が出ていて、〇〇高校のとか、知り合いの××先輩がとか、具体的になっている。距離が少しずつ―――少しずつ、精神を腐蝕しにかかる。気が付くと、誰が話し始めたのか、わからなくなる。もしかしたら最初から、そんな人間いなかったのかも知れない。イ タ・・・・・。手足が引っ張られ、髪の毛を抜かれ、鏡には何かが映り、ひとりでに、ドアが開く・・・・・・。突然わきおこる不安、恐怖、猜疑心、変性意識―――。何故? リンクする、クロスする、ゴボ・・・ゴボボ、音がする、時刻や場所が変わっても、曰くは消えない、―――心が重くなる・・。
2024年05月10日
夜道足音対策班魚眼レンズで見ているような、人気のない、街燈が点いたり消えたりするような夜道。―――歩く。―――歩く。足音がする、なるほど、ちゃんと二足歩行してえらい、霊長類が二足歩行できる、だから足音がする、などと当たり前のことを馬鹿みたいに言ってどうする。いや、馬鹿になりたい。けれど現実問題、足音がする、自分のではない、誰かの。こういう時、まずは疑ってかかる。そこが、心霊スポット付近とか、命の危険に直結する、踏切とか交差点でもない限り、まず、疑う。霊体験の過半数は気のせいだし、実際、幻聴とか、聴覚過敏ということだって有り得る。雰囲気に呑まれるというのもある。一種の緊張状態の時に、世界が別物に見える。逆の言い方もできるわけだよ、気にしない人って幽霊数十体ついていても気にしない。でも、恐怖なんていうものも所詮感情という名の錯覚なんだよ。カッコいいことを言おうぜ。素面の状態、完璧に正常な状態で、そういうものが見えているとか、聞こえているとなったら、これは心療内科へ行くべきだろう。ファーストステージクリアーでしょ、これ。自分がおかしいというのも、試行錯誤の段階では重要なポイントだ。だって猫や犬が歩いていると仮定してみろ、そんなものは気にならない。吠える猫や犬もいるだろう、でも外ではない。つまりテリトリーしての庭や、家の中で、だ。真昼間に幽霊が歩いていてもやっぱり怖いものは怖いが、―――心理的なダメージは減るのと合わせて考える。夜は毒の沼みたいなもの。瘴気って言葉を作った人は、本当にえらい。気のせいかと思ってみる。気のせいでやり過ごせる場合かどうかを確認する意味でも、「何だ、気のせいか」とも言ってみる。我ながら、低くて渋い声だな、とかナルシストも気取っておく。基本的に、幽霊はナルシスト嫌いなんじゃないのか理論がある。かもめ先生が勝手に言ってた。助けて欲しいとか、淋しいとかそういう連中って、ナルシストではないだろう、という理屈らしい。なりたいものや憧れを忌み嫌う屈折が、この理論らしい。陽キャとか絶対嫌い、なんていうか、存在自体がすげー嫌い。でも、構ってちゃんだ。幽霊の中でも卑しい奴は色情を満たしにかかるらしい。屑だ。そういう屑を相手に怖がるなんて今世紀最大の恥の上塗りだ。他人に復讐するために殺しにかかるような霊がいるなら、それは致し方ない、きっとお前が悪いことしたんだ。何にもしてなくてそういう霊に憑依されるって相当難易度が高い。そんな幽霊、ロクでもないことしなきゃ普通に寄ってこない。つまりそこにいるのは、屑だ。かもめ先生が、断定していた。屑にされたいようにされる、負け犬状態。なんちゅーか、どついたるねんって突然関西弁で言いたくなる語。心を清らかにして、陰徳をびしばし積んでいこうぜ。―――歩く。―――歩く。靴裏は、ちゃんとアスファルト舗装された道路を踏みしめる。鈍い薄暮に朱をぽとりと落としたように、やっぱり、足音がする。怖いか? まあ、ちょっと、何となく、そういう感じもしないではない。怖いんだろ? いやまあ、ちょっと、何となく、そういう感じも・・。でも立ち止まったら、そこでゲームセットだぜ。世界は広いんだ、こんなの一度や二度あることさ。つまりよくあること。では、論点を変えよう、夜道に幽霊という名のストーカーがついてくる、これは許せん、怒鳴りつけよう。HP削られる前に、怒鳴りつけろ。幽霊だろうが人間だろうが、ちゃらんぽらんなのは、許せん。人が嫌がることをする、それはやっぱり許せん。でも声が不思議と出ない。いや、そういうこともあるだろう、ニートプレイヤーにありがちな、咽喉の不調。コンビニで何か言いたいけれど皺枯れ声になる。こういう時に塩をかけてやる、という手法もある。いつも塩は持ち歩いておこう。なめくじ、だ。幽霊なんて、なめくじの親戚だ。あと、繰り返すことになるが、そこにいるのは屑だ。夜空がきらめいているか、風は吹いているか?今日はどんなことがあったか、思い出していこう―――ぜ。―――歩く。―――歩く。これでもまだ、怖いという場合は歩きスマホを許容しよう、特例措置、ググって、足音について勉強しよう。恐怖が薄まるかも知れない。なんだったら、般若心境を流すのもいいかも知れない。余計怖いような気もするけど、何事も実践あるのみ。何事も対極なところから攻めてゆく、幽霊はまだ科学現象ではない、オカルトでござる。であれば、科学が有効。幽霊だって元は人間だ、日進月歩の科学なめるなよ、ということは出来る。あと、実は僕、真人間なんですよね、いいことしかしてないんですよね、ヒャッ、あんた、絶対に地獄行きだよ、こわいこわい、あのすみません、こわいんで、すぐ消えてなくなってくれますか。都合のいい時は、幽霊否定論者でいよう。こういう時に誠実さはいらない、これは勝ち負けのゲームだ。勉強している内に恐怖は消えて―――ゆかない、な。何かいけるんじゃないかと思ったけど―――無理ですな、これは。―――歩く。―――歩く。でも夜道を歩いていると夢の中にいるような気分の時がある。犬も歩けば棒にあたるじゃないけど、これが一種の明晰夢の状態なんじゃないかと妄想してみる。何事も、イメージとして捉えてみれば救われることもある。これが悪夢かどうかはわからないけど、もっとひどい悪夢を絶対に見たことがあるはずだ。僕は落ちる夢だった。これは場合によっては、高所恐怖症というのが父性の象徴であるように、反抗をあらわしているのかも知れない。何事も捉え方だ。とりあえず、フロイトは全部シモネタに結びつける。煙草を吸ったら口吻要求だ、おっぱいすいたがり。そこですべての色情霊のメシヤス村になるが如きさ。夢の中なら、こういうことの一つや二つある。眼が醒めれば、あっという間に現実世界だ。―――歩く。―――歩く。魚眼レンズで見ているような、人気のない、街燈が点いたり消えたりするような夜道。やっぱり、足音がついてくる。ついてきたがり、なんだな、と言ってみる。どうしていいのかわからないまま、無口に、俯きがちに歩く。ルサンチマンを溢れさせて、お前の気持ちわかんよ、と思ってみる。でも、俺じゃないよな、本当に戦うべきは、お前の両親とか、お前を形成した、社会とかだよな、と思ってみる。足音がついてくる。こういう時、お札とか、幽霊スケルトン体に、肉化とかさせて、すげー必殺技を繰り出したい。バキバキのベキベキ。ごめん、何の解決にもならないけど言ってみたい。バキバキのベキベキ。いっておくけど、夜は長いぜ。
2024年05月09日
緑色放課後、学校の校舎の四階の廊下に女の子がいる。高校生とは見えないし、私服だ。小学生の低学年ぐらいだろう―――か。鴉の濡れ羽色の、喪服のような、ワンピースを着ていた。わたしは、部活終わり、教室に忘れ物をしたことに気付いて取りに来た。第一に、誰かを迎えに来て道に迷った風にも見えた。見知らぬ人にとってみれば、学校みたいに比較的分かり易い建物でも、新宿駅の巨大地下迷路みたいになる。それに関係者以外立入禁止という体裁にはなっているが、昼休みにお弁当を届けに来る親御さんはいたし、(許可はされていないけれど、容認はされている、)中学生の頃に、小学校へ卒業生とはいえ、不法侵入することもあった。ねえねえ、と怖がらせないように優しく声をかける。ハッとするほど整った顔だが、白砂糖を連想させるように蒼白く、雪が積もった朝さながらに無表情だったが、小さな女の子であることは違いない。正月にあった従姉妹を思い出す。どうして綺麗な女の子というのは睫毛が長いのだろ―――う。下校時刻が近いし、用事がないなら早く帰った方がいいよと言い、もし、道に迷ったり、誰かを探しているなら、職員室へ連れていってあげるよと言った。しかし氷が張り詰めたような沈黙が走っただけだった。黒づくめの女の子は、瞬きひとつせず、蛇のようにこちらを見ていた。けれど、タイムリーなことに、廊下の端から、スーツ姿の学校の先生が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。男性教師だった。名前も顔も知らなかったが、出席簿のようなものを持っているので、おそらくそうだと思った。何か言われるのかなと思って一瞬身構えたけれど、すうっと、こちらを通り過ぎて行った。思いっきり無視だった。別に構わないけれど、何だか本当に見えていないみたいで、気持ち悪い。「見て見て」と女の子は人形を出して言った。人形はリカちゃん人形系のようにも見えた。不思議と、今ガン無視で通り過ぎた先生と同じ格好をしている。スーツ姿のリカちゃんのお父さん、だろうか。その人形を床に叩きつけるように投げて踏むと、眼の前を通り過ぎた先生が突然倒れてのたうち回り始めた。背筋に冷たいものが一瞬にして走る。常識的な範囲ではどう考えても関連性などないはずなのに、世界は静かに傾いていた。何をしたの、それ何、と問い掛けようにも、強張った唇と震えで、声が出ない。そのまま静観していると、女の子はそれを拾い上げ、ポイッと窓の外に投げ捨てた。すると、先生はおもむろに立ち上がり、窓を開ける音を聞いた。待って。それは駄目だ。スローモーション映像だった、断崖・・。ニュースの生放送中に拳銃で自殺を遂げた、クリスティーン・チュバック。スッと、身を投げた、踏切台。鼻の奥からわらわらと気配のような翳りが通り過ぎ、窓の向こうに身を乗り出し、地面を見るが、墜落事故が落ちたような形跡はなかった。雲が何故か緑色だったのを覚えている。心電図モニターのように脈拍や息が乱れている。そして地震のような、横揺れが起こった。仰向けになった魚のように視点が揺れた。咄嗟的に、窓の外に乗り出していた身を戻して蹲っていたが、おそるおそる開けた眼で、女の子がいない。いや、女の子がいない―――どころか、いつのまにか、自分は砂場の上であぐらを掻いていた。揺れは、もうなかった。砂を掴んで、ここは何処だろうと思いめぐらせると、背後から先程の小さな女の子が見下ろしていた。声が出なかった。僅かの微風にも回転する玩具のように、何者とも知れない女の子がこの座標軸のイニシアチブを持っていた。「それは南の方からやって来ます」ぱっくり開いた傷口のような眼をしていた。ぺらぺらぺらとしたおしゃべりが次第に、金切り声で、耳障りに思えてくる。モールス信号みたいだった。「たまーにガンジスの方からやって来たりもします」女の子は、わけのわからないことを言い続ける、星の力に導かれたような、時間の奥底と思われる場所で。「うにょんうにょん・・・」わたしは、恐怖で眩暈がした。赤ん坊が脇腹から滑りぬけていくような気分だった。「ぐるんぐるん・・・・・・」ぷちっと頭の奥で音が聞こえた―――のを、覚えている。プールで耳に水が入って片足立ちでトントンとする時とも似ているが、確実に、破裂音がした。オカルトかぶれなら松果体の割れる音とでもいうかも知れない。次の瞬間、四階の廊下で、頭蓋の中に黒い影の幻影でも見るほどに、意識が掴みかかり―――ドッキングする、接続する、女性の、小太りの、担任の先生に肩を揺さぶられ、声をかけられているシチュエーション。それでも全身に倦怠感があった。ぶっ続けで六時間ぐらい映画を観た後のように、現実世界が現実のように思えなかった。子供の頃に深く眠りすぎて、生きているのがどういうことかはもとより、自分が何処の誰だかわからないという恐怖をあぶり出しに思い出す。「どうしたの、気分でも悪いの?」冷静になるには数十秒は必要だった。正体不明の、念力を使う、喪服系の女の子もいなかったし、立ち上がって確認した窓の外を見下ろしても、誰かが墜落した痕跡は見えない。けれど、おそらく人が落ちたと思われる落下地点に、少女が取り出した、見覚えのある人形が落ちていた。現象の皺とでもいうべき、人形という痕跡・・。空は不吉な縞が血のように滴っている海藻みたいに見えた。「大丈夫です」と声をかけ、慌てて一階まで降りた。階段を踏み外さないように冷静に降りたが、それだって一分はかかっていないはずだ。けれども、人形は既にその場から持ち去られていた。誰かが取ったという可能性もなくはないが、既に状況が悪戯の範疇の中にはない。自分なりに、あれはパラレルワールドのようなものか、フラッシュバックのようなものではないか、と狙いをつけた。催眠術かも知れない。分岐型並行次元、と口にしてみると不思議と落ち着いた。狐に化かされたような気分で四階を見上げると、小さな女の子が無表情でこちらを見下ろしていた。一コンマのズレもない、調和がそこにあった。光の消えた眼をしている。恐怖というものは不思議と感じなかったが、それは絵画のフレームのようにしっくりときた。頭上には、緑色の雲が見えた。それが聡明な符号であり、ミッシングリンクなのだと気付いたが、さりとて、何をどうすることもできない。世界は今しがた吹っ飛んで、自分の頭も吹っ飛んでしまったような気がした。「早く、帰りなさい」少女の隣から、ひょこっと顔を出して、担任の先生が大きな声を出した。ビックリした。血管に眼に見えない物質が流れているような気がした。女の子はやはり澄んだ空気か、透明なものみたいで、見えていないようだった。そのまま黙って見続けていたら、先程のことが起こりそうだったので、冷たい死の中心から眼をそらすように、わたしは肯いて、知らぬ存ぜぬで足早に昇降口へと逃げた。学校の噂話にこんな話があったかと思ったけれど、聞いたことはなかった。次の日、学校へ行ってみると、予想していた日常と殆ど狂いはなかった。ただ、担任の教師が学校からいなくなっていた。転校とか、欠勤というニュアンスですらない、そもそもそんな教師は学校に在籍していないという日常が、一ミリの狂いもなく今日という日を通過させようとしていた。不思議と風が強かったのを、十数年経ったいまでも覚えている。存外、窓の傍にいてそれとなく、あの場所の様子をうかがっていたからかも知れない。
2024年05月09日
猫jazz今日も明日も、テンテカリン、ランラカリン。行方不明者と不在票。ナイフ光らせ、ジャズ猫フェスティバル。おキャットは止まらないですぞ。まったく、猫は最高だぜ。悪夢が脅迫した、猫足のタップダンス。意味を恐れない、意味を恐れない、肉球に触れた。ヤクのカプセル、テンテカリン、ランラカリン。トカゲの尻尾切り。エネルギー輝かせ、完全無欠の油まみれ、おキャットは止まらないですぞ。サクリファイスしてみるか、マシュマロを踏んづけてみた、まだまだ前に進めば前に進んでる、耳に触れてみた、こいつ引っ掛かれるのこわくないのか。尻尾にふれてみた、猫パンチでめげない、諦めない、あと、曲がらない。
2024年05月09日
まだ世界が見える生きている犠牲者は、エジプトの匂いがする。ドイツは死の汚れ、科学の括約筋が締まった。裸は大理石だ、アメリカの壁に飾ろう。タイではバイクも、サンダルで乗る。ローマは道しかない、中国の食文化のように。僕等は人間だ、ロシアは氷河の言葉を塗り、肌の色や瞳の色は、霊界の規約違反でもない限り、日本のように鎖国する。平和は北朝鮮から飛んでくる、ご挨拶なミサイル。月でも火星でもいいって、若者に高額請求。花火がフランスで上がる、今日もワイングラス片手に。ドアは約束だ、未知で異様な絶望の終わりも、最初のページになる、テレビ画面の光になる、無関係に文字が拡大される、そしてその瞬間、はっきりと見えたはずのものが、一番肝心だった物を見る眼が、機械的なまでに、失われていったのだ。
2024年05月08日
ハッシュタグのように景色の見え方から咽喉の裏に生えそうな音楽の案内までシンプルイズザベストなホットポエムは骨盤体に辿り着く眼を閉じれば接続詞と形容詞の世界やそこにおける人々も結核病棟するんだ設定とか世界観という名の眼球体で綱渡りを演出した洞窟の壁の影絵明日もやっぱり朝起きる毎朝のアラームを削除する予定もいまのところはないリアリティと反リアリティわたしは微笑んだ愛情という語彙が消失して厳密なそれに該当する言葉をただの一つも持たなかったから馬鹿野郎夕陽だ
2024年05月08日
秘密基地世界が僕の傷みを笑ってるから泣きそうだ・・・コエニナラナイ雨音が雨でなくなる夕方水位が下がって人波がせせら笑い今日も天国の扉を開く光ってる場所を押された自動販売機みたいないつかの葦分け舟しゃがんで背中をもたれて眼を閉じて休んでいるのはきっと僕だけだ斜線に沿って切り取られ満ち潮のように迫る熟れた夕陽を愛しいと思った悲しくて美しい車の前方に無垢で純粋だったものが落ちてゆく凄艶な夢に濡れた手早熟な魂に汚れた足春の酩酊に壊れた胸熱の無情に腐った脳地球儀もグーグルマップも自分だけの地図も全然ないままカーラジオ埋めに行く足元で草が絡むから樹の上から見ているものが静かにこちらを窺うから時が来れば色んなものを捨てる袖や袂をいくら翻しても自分の影は消えていかない完璧な鉤爪と牙で夜は循環の中心になる保冷剤みたいな血液がぬるんでゆく砂漠の衛星のような汗や涙もバッハの危うい完璧な調和星を見たくないそんな一日もあるから花を一つずつ摘むその蜘蛛の巣より葉脈に似た指紋より言葉の声形に似た偉大なる不毛の再生と感受のなかで病を忘れている夏の風が横切った野分うら枯れて見所もなくてそれでもそこに彼岸花の一本でも咲いて朽ちていったらいい甲殻類でも夜は侵蝕する鳥の種子が発芽する内臓を押しひしゃげさせる君のやさしい言葉一瞬にして齢を取り一瞬にして幻は降り注ぐ
2024年05月08日
アイスクリーム美味すぎる世界があんまりにも遠いから、もしかして鼓膜破れたんじゃないかって、何となく思った。未完成で、甘酸っぱさの欠片もない、そういう出口で、蝉管弦楽団の、演奏にあてられて、「何かしようよ」と言ってみたら、「何処か行きたいとこあんの?」って、自分で答える。柄じゃない恋、面倒臭い友達づきあい、受験勉強、肩の力を抜けよ、瞬きを繰り返しながら逆走する青春、夏はまだ始まったばかりだ。
2024年05月08日
プール掃除プール掃除が始まった。カルピスウォーターとか8×4とか、アニメにおける年中行事の一つ、みたいなことにはならない。しかし心の中でカルピス社することは出来る。プールの表面に浮遊している、ごみや葉などを、プールネットやスキマーを使用して、取り除く。金魚やミズカマキリなどもいる。僕の瞳は美しい黒、どどめ色の黒。外国のジャグジーとかジェットバスとか、洗浄剤を入れて待機していると、人間の垢がいっぱい、ドバ―ッと出てくる。そんな場面をふっと思い出した。あと、何故か同級生の女というか相棒に、プールに落とされた。お約束だから、と言った。お約束って何だと緑色の藻のプールで聞き返す僕に、「愛してるうううううっ」と言った。思春期特有の言葉に胸を、胸を、胸を、―――貫かれないな、痛くないな、殴りたいな、むしろ。すごい。こんなに心のない、感情の入っていない、棒読み台詞でイケると思うのだ、女というのは。ふざけるな、訴訟するを現代式に、エィーンエイジャーが連呼すれば、ジャバウォックと謎の言葉とともに飛び込んできて、「最初にやったのはアンタでしょ」「悪戯されるところだった」と無茶苦茶言われた。返す言葉もなかった。お互いゆっくりと上がった。透けブラだよ、シャッターチャンス、と言われた。そういうのはちょっと、と一応言っておいた。剣道部の臭い防具あっちにあったよと言ったら、全力投球でタオル投げてきた。消える魔球。Googleマップを拡大させれば、バッティングセンターだって見えてきた。って違う違う違う、夏場は熱中症との闘いなのに、何故体力の無駄遣いをしているんだろう。あと、掃除のメンバーが僕とこの馬鹿を残して、みんな何処かへ行ってしまった。休日だった。僕等、水泳部だった。顧問の先生はあとでアイス持ってくると言った。「あいつさー、アイス食わせとけばプール掃除させられるって、信じてるんだよなー」と相棒は言った。「そうだな、あと、御託はいいから働け」買い出しに言って来ると言ったまま、消えた仲間の行方はようと知れない。ラインで、弁護士のふりして親にバラされたいのか、と言っておいた。相棒も仲間の一人に鬼電したら、親が死んだと言い、お前の親見たぞと僕が代わって言ったら、親戚の、と訂正した。殺しすぎだろと言ったら、女性には色々あるのと言われて、納得した。近頃の高校生は、ナイフ格闘術を教わり、両親や親戚をよく殺す。スパイ&ファミリーと言ったら、お前スパイ&ファミリー読んでないだろと普通に言われた。ファミリマートにスパゲッティーかけるお話だろと大声で言ったら、パスタって言え、と怒られた。あのね、僕だって知ってる、ナイフ格闘術はないよね、一子相伝の木刀護身術だよね。馬鹿に付き合っていられない。早く終わらせたい。水を抜き、モップで壁から底へと洗い、砂や髪の毛などで、ぬめった底面を、ナイロンブラシや、スポンジなどで洗う。さたうきび畑の唄が聞こえてくるなと、遠い空をふっと見上げて汗を拭っていたら、案の定というか、相棒はスケートをし始めていた。イナバウアーとかいう懐かしいネタを披露していたが、近頃のイナバウアーはビーズのウルトラソウル!イナバウワー、ということになっている。何言ってるんですか?どうでもいい、おっと手が滑ったと言って、ナイロンブラシを投げておいた。バットはよくすっぽぬけることがある、気を付けて使用したい。ただ、そのあと、ホースを使った水遊びが始まった。あと、水溜まりに何故かアメンボもいた。可愛いじゃんと女子力高め、自己肯定感高めに言われたので、俺も可愛いじゃんと言っておいた。それ、何とかしろよと急にてのひらがえしに言ったので、可愛いじゃんを繰り返したら、乙女かよって言われた。そうすると不思議だけれど、バットというのはよくすっぽぬけたりするのだった。お前、女相手に容赦ねーな、と言われた。何言ってるんだ、女っていうのはプール掃除以外の場所にいる、高尚な生き物のことだよ、と答えておいた。けれど何だかんだ真面目にやっていたのに、大きな蛙が僕等に立ちはだかった。ウシガエルさんだった。前にラーメンの具材になっていたのを見たことがあるけど、僕はまだ心の準備ができていない。あたりにはアオダイショウのようなものはいなかったので、持ち上げて、外に出てもらった。ウシガエルさんは、わりと着やせするタイプだった。ちょうど部活にきた、テニス部の女の子が、うわー、でっかい蛙いるーっ、と叫んでいた。相棒が僕を見たので、こわいなー、と言っておいた。お前、テニス部の部室前に置いただろと言ったら、何をおっしゃいます、学校のあたらしい怪談、と言ったら、腹を抱えて笑い転げていた。途中で、仲間たちが戻ってきたので、男連中限定でドロップキックしたあと、家庭用の高圧洗浄機が出てきた。うひひ、とか言っていた。何も任せられる気がしない、マッドサイエンティストの奇声といっても、まだ、うひひ、と笑っていた。最初から持ってきとけよ、基本だろと思ったけど、僕等は何も言わなかった。高圧洗浄機の攻撃力はすさまじく、消防士の訓練みたいだった。プールに水を張る頃には、数時間が流れていた。バイト代が欲しかった。相棒が「色々迷惑かけたなー」とか言ったので、「消費税込みで一万円でいいよ」と答えておいた。「じゃあ、夏祭り行こうぜー」と言ったので、「焼きそばとお好み焼きさえあればなんくるないさー」と答えておいた。ちょっとドキドキしていた。カルピスウォーターとか8×4とか、アニメにおける年中行事の一つ、みたいにはならないし、絶対ならない。けど、夏の夕暮れは、卑怯だ。あと、二人きりになりたかったんだろって、LINEを送ってくる一子相伝の木刀護身術の女よ、多分それは、夏の海とか、夏の海とか、夏の海とか、そのー、夏の海とかだと思うよ、と個人的に思った。明るさのちょっと足りない夕方、何で相棒は、校舎の隅っこで線香花火しているのか。先生に怒られるぞと思っていたら、うわーっ、顧問来たーとか叫んでいたので、滅茶苦茶笑った。
2024年05月08日
催眠術基本的に催眠術で人に犯罪を犯させたり、有害な行動を取らせたりできるというのは、間違いだ。とはいえ、「コペンハーゲン催眠殺人事件」のような事例では、定期的に催眠術をかけていた。これも必然的な行為とさえ感じるようになるレベルの操作は、通常の催眠術とは異なるし、犯罪で活かそうと考えるには根気がいるし、技術もいるだろう。こうなってくると新興宗教とりたてて、悪の組織みたいな、カルト教団の出番みたいになる。もしかしたらその場合は「洗脳」とか「マインドコントロール」というのかも知れない。なお、犯罪で用いられる催眠術のパターンとしては、「強盗」か「性犯罪」のどちらかであるようだ。とはいえ、催眠術にはかかりやすい人とかかりにくい人がおり、通常は、病気の治療や外科の治療、心理療法に使われ、歯科治療で痛みを感じさせないために使われる例もある。禁煙の治療で成果を上げている話も聞いたことがある。催眠術にかかっている人は眠りに似た忘我の状態にあり、その深さには各種の段階がある。身辺の出来事がわかっている場合もあれば、身辺の出来事がわからず、施術者から与えられた、思想、命令、暗示しかわからない場合もある。また、スマホ中毒の人ほど、この傾向が強いらしい。催眠術は暗示を介して意識的に人を説得する手法ともいうし、催眠詐欺は高齢者の方が多い。催眠術のルーツをたどると、一八世紀の医師、フランツ・アントン・メスメルが考案した、「メスメリズム」に辿り着く。まあ一八世紀なので今じゃ信じられないことを大真面目にやる。ヒステリー発作を患った患者に鉄を含んだ調合材を飲ませて、患者の身体中に磁石を付けるという治療を行った。ヒップエレキバンであなたの病気を治す、というようなもの。そしてこの治療により、患者の痛みは磁石の動きに応じて移動し、そのまま手足から消えたとされている。メスメルは、生命現象をつかさどる物理的流体が宇宙に存在すると唱え、これを動物磁気と名付け、動物磁気を操作することで患者の病気を治すことができると主張した。(さらに磁石を使わない気功のようなものも、主張した)ヒップエレキバンをつけて、身体が温かくなると腰が楽になるだろう、ねえ、すうっと痛みが引いてきただろうという。あったかいだろう、気持ちいいだろう、―――もちろん、悪い血を出す、瀉血とかとあわせて、出鱈目なことも信じる人がいれば何かよくなったりする。あと、気持ち悪い文章書いてすみません。紆余曲折あって、似非治療といわずとして何だという話になったのだが、やがて磁気睡眠という催眠状態に入るということを、お弟子さんが発見。ヒップエレキバンでヒップホップダンスすると抜群にいい、といようなもの。磁気睡眠は現代で言うところの催眠状態とは少し異なり、患者が知性を示したり体内の病気の箇所を透視したりする状態を、引き起こした。磁気催眠に陥ることにより、医師と患者の間で流体が循環する交流状態が発生し、この状態の間は医師が意図する通りに患者に行動を起こさせる、つまり痛みを取り除けると主張した。あんまり真面目に読まないでね、けれど人はこの冗談みたいなことの中からも、ちゃんと有効性を発見しようとする。メスメリズムに感銘を受けたイギリス人医師の、ジェイムズ・ブレイドは、メスメリズムによる催眠状態は動物磁気ではなく、心理生理学的な現象によって引き起こされていることを証明し、メスメリズムが迷信的なものではないことを示す論文を提出いた。後に、メスメリズムに代わり、「神経催眠」という言葉を生み出し、凝視法という催眠導入法を考案。そして、神経催眠は「催眠」と呼ばれ今に至る。ただ、テキサス州のように、四〇年間にわたって、一七〇〇件以上の催眠術捜査をしたとなるとこれはかなり具合が悪い。催眠術によって目撃者の記憶が歪められ、冤罪が生じる可能性があるとの科学的証拠があるにもかかわらず、警察は催眠捜査を続け、それによって死刑判決を含め有罪となった人間が複数いる、という記事が出た。その記事との関連性があるのかは不明だが、催眠術捜査は終わりを迎えたようだが、それでもまだ、テキサス州法の下では現在も、催眠術捜査によって得られた情報を法廷で証拠として、利用することが認められている。人それぞれ考え方はあると思うし、国も違うけれど、あくまでも僕の感覚では、プロファイリングはともかく、(このプロファイリングだって、催眠術捜査のように、絶対的信用のもとで使われたら迷宮入り事件が生まれかねない、)催眠術捜査はいくら何でもトンデモすぎる。僕は霊能力者による捜査は理解できるけれど、それとて、通常の捜査ではない。難航した捜査、迷宮入り寸前ということなら利用されてもいい、という考えだ。人は当たり前のことにさえ気づかない、ということはよくあることだ。馬鹿にしているわけではない。人それぞれ、旅行に行って、こんな発見があったんだよというが、そんなこと別に何処でも発見できることだという意見もある。―――セミナーに行って、当たり前のことしか学ばない人もいる。気分だ。つまりこれは一種の催眠術状態といえる。一切何の価値もないとはいえないでしょ、けれど当たり前のことを学んでいるとしか思えなくても、顔付きが変わる、騙されやすい人もいる。金を払って洗脳やマインドコントロールされにゆく。ひどいところになると、詐欺同然のことでも、ずぶずぶのでろでろになる。催眠術は万能ではないけれど、歩くことや震えること、発汗すること、心臓の鼓動を速めたり遅くしたり、顔色を真っ青にしたり赤くさせたりする。好きな食べ物を嫌いにさせたり、昔から嫌いだった食べ物を好きにさせたりする。そしてこの変化を催眠術にかかっている間だけ続く場合もあれば、数か月、さらには死ぬまで続くこともある。日本でも催眠術がもっとメジャーなものになれば、警備員などにより監視された状態でなければ使用してはいけないなど、もっと事細かな制限が必要になるだろう。日本では漫画でも用いられる冗談に毛の生えたようなものだけど、外国の事例を見る限り、そういう発想のない方がどう考えても不思議だし、不気味だ。
2024年05月08日
体温計最近はあまり使われなくなった、昔ながらの体温計といえば、水銀体温計。水銀の熱膨張を利用して、体温を測定する。水銀は、表面張力が強いからだ。水銀槽と毛細管は非常に細い管で繋がっていて、これを留点というが、この点を通って毛細管に出た水銀は、強い表面張力のために元の水銀槽に戻れなくなる。これがポイントだ。測定後でも表示している体温が変わらない。温度表示を戻すには、「振る」「回す」などして、強引に力を加えなければならない。この水銀体温計の欠点というか問題点は、いわずもがな有害な水銀を使用していること、割れやすいこと、測定時間が十分と長いことだ。昔、水銀体温計を噛む漫画を見たことがあるけれど、一応補足しておく、体温計に使われている水銀は、金属水銀なので比較的安全だと言われている。金属水銀は間違って飲み込んだとしても、消化管からはほとんど吸収されないので、急性中毒を起こすことはない。ただ、一部が腸内細菌叢により酸化されたり、有機水銀に転換されて吸収される余地が示唆されている。そこで登場したのが電子体温計。電子体温計は温度によって電気抵抗が大きく変化する、サーミスタを温度センサーとして利用する。抵抗を測れば温度がわかるし、サーミスタは万一壊れても有害ではないし、多くの電子体温計には予測機能が備わり、一五~二〇秒程度測定すれば、その温度上昇カーブから実際の体温をマイコンが予測する。おかげで長時間じっとしている必要もなくなった。なお、実測型というのもある。実測式体温計の場合、正しく測るには腋で約十分、口中で約五分の時間が必要だ。それはそうだという人もいるだろう、お知らせブザーが鳴らないタイプがあるのかどうか知らないが、初期はきっと、時計とにらめっこしたのではないかと想像する。病院で体温計を腋に入れて、お知らせブザーがあっても、どうしていいかわからない気持ちになるのだ。きっとすごく悲しい気持ちになるだろう。そういえば腋で体温をはかっても熱が出ない人というのも、一定数いるが、耳式体温計というのもあり、これは不特定多数に用いるのに不便で、交換式のナイロンカバーとかつけるらしいのだが、不勉強で申し訳ないが、僕も見たことはない。耳の穴に挿入して利用する。ただ、耳に挿入する向きや深さなどの条件で、測定値にばらつきが生じやすいというのが欠点だ。とはいえ、体温計を腋や口に入れたくない派というのは、一定数いるのだと思った方がいい。耳だったら許す、そういうことなのだろう。子供時代、僕は体温計などなくとも、熱があるかどうかを簡単に見分けることができた。いっておきますが、人間というのは高性能の生き物なんだよ。眩暈がして、真っすぐ前に歩けなければ熱が出ています。あと、しんどいので仮病のふりをする自信がまずありません。世界で一番分かり易いと思うが、それはちょっと困る人もいるだろう。ちなみに病気になると熱が上がるというのは本当で、心因性発熱とか、自律神経失調症とか、熱中症みたいなものもあるわけだけれど覚えていていいことだろう。平熱高い方が免疫力が高いとか、子供の方が大人より平熱が高いというのも、そんなに間違っているわけじゃない。ただやはり情報は情報だ、毎日とはいわないまでも、一週間に一度でも測っていれば情報の裏打ちは得やすい。コロナ期に登場したというイメージが強いが、おでこではかる、非接触の赤外線体温計は便利だ。元はNASAが宇宙の彼方にある、天体の温度を測定する装置だったらしい。ただ、外部の影響を受けやすいため、必要があれば、電子体温計で再度腋に入れて計ることもあるらしい。あと、電子体温計で一度目と二度目でハチャメチャになる場合は、取扱説明書を読んで、正しい測定方法を学んだ方がいいと思う。とはいえ、水銀体温計は正確だったっていう人もいて、これも一つには正しい測定方法があったから、というのもある。けれど、人それぞれ、測定場所によっては温度が異なる場合もある。直腸・口腔用の温度計が一番正確と言っている人もいたけれど、時代が変われば、おでこ、耳、口腔、直腸の四か所を、一気に測定できるようになったりするかも知れない。
2024年05月07日
ジュースの話江戸時代の嘉永六年に、ペリー率いる米国艦隊が浦賀へ来港。その際、船内の見分のために乗船した幕府の役人通訳が、きゅうりびんに入った、「レモネード」の提供を受けた。ちなみにラムネという名称はレモネードが、日本語流に訛ったものだという。これは口をコルクで塞ぎ、針金を巻いていた。コルクが乾かないよう横にして保存された。ともあれこれが、清涼飲料水ないしはジュースの歴史の開闢である。ちなみに販売アイテム数は年間千種類とか九百種類という。ちなみにジュースというのはソフトドリンク全般のイメージで、一九七一年の公正取引員会によって認定公示された業界団体の自主的規約「果実飲料等の表示に関する公正競争規約」によって、「『ジュース』という名称の使用は、天然果汁一〇〇パーセント以外認めない」とされている。まあ、僕のジュースの思い出を聞いてくれ、僕の地元は幼い頃はまだ舗装されていない田舎で、坂道をのぼったり下りたりした場所、自動販売機のゴミ捨て場みたいなところがあり、(いまは撤去されて、トラック野郎の巣となっているが、)そこで桃ジュースを買った。汗を掻いていた。一〇〇パーセントじゃないのは知っていた。咽喉元に拡がる甘未と爽やかさ、なんというか、すごく美味しかった。って何でお前B級グルメみたいに語ってんだよってツッコミもあるけど、あれがジュースじゃないなら何なんだ、清涼飲料水か、ああそうか、としか言えない。壜から缶になり、ペットボトルも入った。というより、いまの主流はペットボトルだ。ちなみに「ヤクルト」のようにプラスチック容器もあり、紙製容器にいたっては多種もあり、「カゴメプレミアム」などのようにお中元専用特化型で、不知火と王林に、何か北斗神拳のような響きを感じる。そういえばNTTの「二十世紀梨ドリンク」なんか、黒歴史なのかと思うほど面白いし、昔の「カルピス」や、僕も情報でしか知らない「ミルトン」なんかは、紙製の箱に入っていた。養命酒みたいにね、入っていた。三重県伊賀周辺で売られていた、「エリート」というスポーツドリンクは、地元ではポピュラーな飲み物だったらしい。あと高級飲料というか、スーパーで見かける明らかに値段の相場が違うジュースみたいに、(まあ、千円を切っているんだけど、フルーツ一番搾りみたいなやつ。これを買い物籠にいれられない心理学というのもある、つまりこれ、ジュースの価格帯と違うのだ、分かり易く言えば高級ジュース、庶民はみんなそう思う)「地サイダー」とかいうのもある。これは価格帯が二百円で、素材にこだわれば六百円以上するような代物。あと、西ポリネシア発祥のフルーツジュース「オタイ」のように、おおよそ僕等が味も名前も想像がつかないジュースというのはある。「さとうきびジュース」もあれば、「ココナッツジュース」も存在する。このココナッツジュースも、輸血に使用された由緒正しいもの。ココナッツジュースは人体が吸収しやすく、赤血球を破壊しない。あと面白いと感じる人も分かれるけれど、ペルーには名物「フレッシュ・カエルジュース」というのがある。そんなんだったら昆虫ジュース作りますよっていう人もいるだろう、あとで僕にメールを送ってくれ。ともあれコカ・コーラやサイダーなどの「炭酸系」ポンジュースやカゴメトマトジュースなどの「果汁系」様々なメーカーがキレだのコクだのと宣う「コーヒー系」地元の缶も存在し、機能性飲料枠も存在する「お茶系」さくらんぼ紅茶とかマスカットティーも存在する「紅茶系」オロナミンCやカルピスなどの「ヘルシー系」ポカリスウェットやアクエリアス筆頭の「スポーツドリンク系」おしるこやおでん缶などを含む「フード系」プリンシェイクとか、ふってふってゼリーグレープなどの、「デザート系」と杜撰ではあるけれど、この九種類を中心に考えた方がいいような気がする。たとえば「甘酒」や「ひやしあめ」などを、あなたはどうチョイスするだろう、駄菓子と同じく僕はとても困惑した。コンビニではアイスとジュースの親戚のようなものが売られているし、マクドナルドではマックシェイクというのがある、スタバへ行けばちょっと違うけど、フラペチーノとかいう。業務スーパーへ行くと、デザートを紙製容器で販売して、僕は非常に感銘を受けた。もちろん、買った。皿に盛って、結局全部食べられなくて二日ぐらいかけて食べた。悲しい気持ちがした。あと、スポーツドリンク系とヘルシー系でぶったぎった格好だけれど、機能性飲料という枠も存在し、これがまたお茶系と微妙に重なったりするし、この枠に大豆飲料も存在する。ちなみにスポーツドリンクにだって、カネボウの「スポーツ麦茶」があったりする。明確な定義をするのって本当に難しい。またジュースに牛乳は入れないというのは殆どお約束だけど、あれもジュースだという考えもなくはないだろう。もちろん牛乳にだって、乳製品と生乳一〇〇パーセント他のお約束がある。また根本的にここまで紹介しておきながら前提を覆すようなことを、言い始めるわけだけれど、市販のフルーツジュースで糖尿病のリスクが高まる、というのをハーバード公衆衛生大学院が、一八 万七三八二人を対象にした調査で明らかにしている。まあ、みんなそれとなくは勘づいていたかも知れない。世の中にはコーラを炭酸砂糖水と言って憚らない人もいる、まあ、WHO(世界保健機関)のガイドラインでは、『一日の砂糖摂取量は二五グラムまでが望ましい』となっているけれど、五〇〇ミリのペットボトルを、たった一本飲むだけで、一日の必要摂取量を超えてしまう。だからジュースに健康を求めるというような考え方は、そもそもおかしいというわけだ。ゲータレードはコーラよりも歯を溶かすっていう話もあるけど、どういうやり方をしたのかは一切不明。身体によくないとかはまあいいんだけど、老化が進むとかいう話になると僕もおいそれと書けない。それにペットボトルにおけるマイクロプラスチックの問題は、かなりよく知られているし、これは缶にだって言えるし、農薬や、遺伝子組み換え食品にだって言える。光化学スモッグ、排気ガス、着色料などなど、それを言い出したらどうやって生きてゆくのかみたいなことになる。花粉症になる人が増えた理由というのに、大気汚染や地球温暖化、食生活の欧米化、住環境の変化、ストレスなども原因として挙げられているわけだけれど、抵抗力の問題なのか、毒性が強いのか、ということになる。大気汚染物質の鉛の濃度が高くなっているという話もあったけど、こういうのって色んな意見があるだろうと思う。何かの慰めになったらと思って書くけど、現在のニンジンがオレンジ色なのは、一六世紀末、オランダの農家が紫色のニンジンを品種改良し、黄色や白色の株を用いて、オレンジ色にしたからだという。知らないことってそんな風にいっぱいあって、僕等がコントロールできると思っている常識や感覚だって、全然そんなことはない場所にあるのだ。で、ノン・アルコールという括りの中ではあるけれど、世界最古の調理法はビールのレシピというのがあるし、(メソポタミア文明のシュメール人により、大麦を使い作られていたとされる最古のレシピね、)アルコールでもジュースみたいじゃないかと言われる可能性はある。健康を守るための節度ある適度な飲酒量では、三五〇ミリ一本らしいけど、ジュースじゃないかどころか、ジュースとしか思えないチューハイがある。ただ昔、飲みすぎてこれはやっぱりジュースではないと思いました。また「飲んだ缶コレクター」もいれば、「レトロ壜コレクター」もおり、(壜研究家というのもいるわけだ、)「コカ・コーラコレクター」もいるわけだ。「缶コーヒーコレクター」ではないと思うのだが、缶コーヒーの味や、販売時期、写真、メーカーなどを、サイトで紹介している人を見たことがある。世界中のスーパーマーケットを紹介している人もいた。多少の知識を持っていた僕でも、果物の話で、まさかこいつここまで説明するかというのがあった。世の中には、日本全国の灯台を訪ね回るのを趣味とする人もいる、僕はそれにあてられて、堺の灯台を見に行ったもん。変態って中毒性があり、僕は生きている上で変態ってすごく大切だと思っている。マニアとかコレクター言うけど、自分のことを言うわけじゃないけど、変態だ、詩の描写法だって変態度数というのがそれはある。「地ビール(コカ・コーラ)王冠コレクター」も存在は知っている。情報って次から次に出てくるわけだから、専門家にならないとそれを見て、より深めていけないのだ。お金儲けが目的ではない人ともなると、奥が深い。一度沼ったら出てこれないぐらいには深いのがコレクター、あるいはマニアというものだ。僕も詩の世界では変態といって何ら差し支えないわけだけれど、古本屋でおよそみんなが見たことない詩集を購入し、ご満悦になり、白秋とかの時代の人かなあで随分ラリった、まあそんなものである。(仮に僕のような人がいてもその人は集めるで、僕は書く側である、それをどんな風に、現代詩の文脈に入れられるのかを考える、)国立国会図書館デジタルコレクションで見た時はちょっと感動した。専門家然とするわけじゃないけど、「知らない」っていうのは「何もしていない状態」と変わらない。「出来ない」となったら「存在自体が危うい」のだ。「知っている」というからには、やっぱりお金を使い、それに対するある程度の認識を持たなくてはいけない。だって、世界は広いからである。お金儲けで処理できる範囲は狭い。お金儲けで処理できない範囲だから別の見方を、学問や、人生の俯瞰視点のように作る。なお、どう分類してよいかわからない時、やっぱり大上段に、メーカー別に、時代ごとに、ジュース名を列挙する手法もあるかと思われる。しかしメーカー別で説明すると記述がもはやあやふやになるし、どうしたって大手が優遇されてしまう上、大手と真っ向勝負をしない中小企業メーカーも存在し、そういうマイナーなものを取りこぼす可能性は大いに高い。あと、僕はこれでも見識がある、変態本を知っているわけだ。興味のある人はそちらを購入すればよろしい。一応九種類の枠あるんだよね、でも全然説明できないんだよね、というのが―――かもめ式ジュースカテゴリー、である。
2024年05月07日
だらだら名付けられない幽霊線に乗って、モーツァルトみたいな言葉が裏返る。逃げられなく、て、水平じゃなくなっ、た、双六みたいな街を抜けて、息が消えた後の切羽詰まった彼方、もやしみたいなんだ、バス停共和国の叙事詩。最低だとか言ったって、騙されたあなたが悪いんだよ。ほどけやすい右腕の包帯は、紙幣の透かしによく似ている。物語は平和や愛を願って、僕等は寝不足で命懸け。最高/の/瞬間/へ最高/の/瞬間/へ終電で帰さなかった二割、手を引き家に連れ込んだ三割、無理やり唇奪った四割、騙されたあなたが悪いんだよ。『醜』とも『邪』ともいわず―――、心清らかに、ああ安らかに・・。バイトをして沙羅双樹と名前つけた樹の陰、「やばい、やばい。」しか出てこない、折り返し地点、で、明け方の足跡見えない薄い雪見てい、た、インテリジェンスなんてよく言えたもの、自分を大事にしろよって僕等何にもない、見栄なんて止めろよって明日も何もない、バス停共和国の叙事詩。最低だとか言ったって、九割嘘のような言葉を君はわかっちゃいないよ。西へ東へ胸の奥の彼方、床も壁も薄い二階建てのアパート、弦の足りないギターを爪弾き、散漫な記憶と無責任で不甲斐ない動揺が響く。音楽/を/鳴ら/せ音楽/を/鳴ら/せスマホ触ってる生態にキスが始まり、(緩慢なゼンマイ仕掛けの、スローモーション映像、)鏡に映る切ない生態に死んじゃうよが始まり、(輪郭の急速のうすれ、金魚の酸欠、)世界が僕を嫌いになっても、そろそろバイバイ、騙されたあなたが悪いんだよ。日常の平板さに鳴りを潜めてしまった・・楽器―――だ・・。フォロースルーは短いフラッシュバック・・、―――“火花”
2024年05月06日
新しい世界進まない時計の針はCrazy“掌”に出来た人面瘡は第三東京のNever landを囁く「もう数千年前に通過した場所さ」諧謔と洒落の無尽蔵の源泉の都―――で・・・で・・・で・・・デシ/タ超音波装置で見つけるのさ Vultures夕空のGradationと蠍のSilhouette(質問に質問で返したAccessは大東亜共栄圏構想の夢)《抜け出したいから Taking a chance》夜のスクランブル交差点の喧騒に迷い込んで Raven夜の市民プールに溺れかけてる奈落の底の Broken Heart枠の外はみ出した Natural high (Uh...)“世界も歴史も―――『故障したTV』みたいだ・・” The things I don't need are just increasing...した―――い・・した―――い・・・[シャッターを閉じる](・・・扨て、このリクエストは後何秒続く・・)生殺与奪は三〇点のBehindスーパーサイヤ人にだってなれそうさ身体の熱は四〇度を越えて融けそうな蜃気楼の魔術師君のPowered suitを着て大気圏に突入した頭ん中はBug極限状況の鬼気迫る状況で電光石火のFly“ああ、俺の右手らしきものが切断され、て、別の表情を見せる―――よ”Oh Oh Oh Oh Oh... 夜更けのコインランドリーはOh Oh Oh Oh Oh...刹那を駆ける衝動の思考回路は運命と時間のMerry-go-roundキンキンに冷えている内臓をぶちまけたMonster“掌”に出来た人面瘡にも滞りなく流れる血液―――で・・生きている限り今日も明日も酸素をめぐらせ―――た・・デシ/タ「もう数千年前に通過した場所さ」『人生で予測できたすべてのことは〇.〇一パーセントに、吞まれていった―――吞まれていった・・・』千の誓いと万の後悔を喰らう Vultures“まだ見つからない七つの大罪のfantom”明け方に上陸した腸は変形する Puzzle(疑問に疑問で返したParadoxとDarkMoon)《抜け出したらNightmareのEdenもDope》夜の東京タワーにYouTubeを吊るした spider夜の国会議事堂はZombie まだ終わらないRageなVirus枠の外はみ出した Poker Face (Uh...)“イカサマもエゴも―――『青い夢の監獄』だ・・” The things I don't need are just increasing...した―――い・・した―――い・・・[シャッターを閉じる](・・・扨て、ジレンマで腐った片頭痛を切除したい・・)錬金術で作る五〇点のBehindターミネーターにだってなれそうさ制御する六〇度のCompassと臨海線のGhost君のPowered suitを着て四次元攻防する網膜のSlide世界征服すればすべてが神話のMoments“ああ、君の眼を鮫の餌にした後でも再生する、んだ、ねえ一体誰がこのgameを始めたんだっけ?”Oh Oh Oh Oh Oh... 夜更けのコンビニエンスストアはOh Oh Oh Oh Oh...涙は何処から来た胸のSniperだろうInspirationをCrystalにしたMerry-go-roundのちょうど一分前 Oh you really got me wrongすぐにやって来る一秒前 Oh you really got me wrong
2024年05月06日
コメダ珈琲店大人になった僕等は、一字一句余す所なく一千万回声に出して音読する、全知全能の造物主すら泣いてしまいそうな、下らない溜息じみた愚痴を。こころ/の/なか/で子供の頃は純粋だった。金にもならない時間は美しかったとか、その程度はアンダースタン。理解してい、る。ゲーセンとDVD、カラオケのフリータイム。That's probably too long a sentence...That must be a sad, heartbreaking soliloquy...「布団にくるまって音楽を聴いてる街」と、つぶやいた。ジオンのモビルスーツだった、(ひと足、ひと足、)連邦軍って何だった、(遣る瀬無い闇は続いてる、)真夜中に忍び込んだ学校の非常階段、秘密基地には手を伸ばしても届かない、糞と小便と二酸化炭素を撒き散らす、独りよがりの僕等。な...んだ...って...か...んだ...って...キラキラしていたいって思うのは何でだ、ときめいていたいって願うのは何故だ、先進主要国などの状況に鑑み、不退転の決意とか、嘘みたいなことばっか言ってないで、一本電話をくれ、暗号やテンプレートじゃない、記憶喪失したってわかる言葉で。毎朝眺めるデジタルな数字さながら、もうイメージになっちゃったような曖昧な浮遊感、(画像のキャプションにされてしまいそうさ、)ベリークレイジーだけどキーボードの、スペース・キーを押したい衝動に駆られる。こころ/の/なか/で何が言いたいのかわからないラグナログ、馬鹿なことを言いたい聖剣エクスカリバー、(いちいち出鱈目で、滅茶苦茶なのに笑っちゃうんだ、)その程度はアンダースタン。理解してい、る。風が吹けば桶屋が儲かる。That's probably too long a sentence...That must be a sad, heartbreaking soliloquy...「引力を使い果たした本体に巻かれたコード」と、つぶやいた。メールの過去履歴だった、(ひと足、ひと足、)接続サービスできない情報で溢れてる、(遣る瀬無い闇は続いてる、)難解なことも幼稚なように思えた真夜中の坂道、壊れたバイクを押しまくった何度目の休憩、マークやエンブレムにならない僕や君の横顔、本当はわかってるんだろ?な...んだ...って...か...んだ...って...ど...うな...った...って...キラキラしていたいって思うのは何でだ、ときめいていたいって願うのは何故だ、(Am I the one who can't decipher it?)アンバランスで見栄えが悪い、自分をあげつらってないで、突然誰かと傍にいたくなるような衝動、情けないのは今に始まったわけじゃない、バックスペースしたいデリートしたい、記憶喪失したってわかる言葉で。永遠の春がはじま、り。―――手を伸ばせば花の薫りも掴めそう、さ。
2024年05月06日
大衆酒場「ファンタジーにおける酒場」というさわりの美しい文句だが、(望みと言えば―――安息だ・・)それはワイン店とか、居酒屋、宿屋、小料理屋・・。酒場と宿泊施設の併設のように、厩舎が存在し、店裏には井戸水を浴びたり、離れの風呂に入ったりする場所。―――記憶の引き出し箱・・。身体を通る前に並べられた皿はグルメでも、それを食事した途端セクシーな物になる・・。さてさて、木製の看板に鈴が鳴り響く扉の向こうは、中世ヨーロッパ風、ウッドベースの店内は賑やかな雰囲気を持っていて、カウンター席とテーブル席が存在し、大きなテーブルは料理が手狭にならぬように。吟遊詩人の旅語りや、楽器の演奏が聴こえてくることもある。そこに王族や領主、暗殺者やごろつきがいても、地下室でくりかえされる、悪魔崇拝者の一味や、国家転覆を企むテロリストがいたとしても、誰も気付かないだろ―――う・・。ぼろ儲けをしたら豪勢な食事を取るのが冒険者の流儀、それは蜂の巣と蟻の巣を重ねあわせた優劣そなえた袋小路。まずは注文を聞きに来たウェイトレスに金を、ずでーん、と叩きつける光景は馬鹿の代名詞だが、―――自慢話を聞いてやる、ウェイトレスの懐の広さ。合言葉はもちろん、『トリアエズナマ』だ。コロンコロン、と金貨が回転しているかも知れない。宵越しの銭は持たぬで、すっからかんも、よくある光景。すっからぴんでツケ、とか言い出すのも、よくある光景。次の日には絶対後悔するのに、酒の勢いでぶちかます。天国に一番近い場所は同時に冒険を続けさせる活力源。―――飲めや歌えや、客全員に酒をご馳走するぞおおおお!運と不運は、均等な重みとふしぎな緊張とをもって、かく人の心にわけいっていくように、頭を仰け反らせて白い咽喉が見える・・。パフォーマティヴな宣言行為。 “こうだ”と言える人を“評価したい私”の世界・・。長い平行線のようなカウンター席は、さながら壮大なカルスト地形の景観。主に酒を飲んでいる客が多く、―――末代までの語り種の笑い話をしていたり、隅に行けば行くほど、静かで飲みたい傾向が強い。(「俯く」という職業もあるのだ・・)木のジョッキでエールだの果実酒や蜂蜜種で飲んだくれ、時に昔話や伝説について語り出す老人もいる。(モラル・パニックからの発展形、ヘレン・ラブジョイ症候群・・)リーズナブルな幅広い料理を提供し、時にはモンスター料理や、一風変わった料理なども出てくるかも知れない。―――煩悩は暗転である、自己保存の本能の過程。「オーク肉」ないしは「魔獣の骨付き肉」や、デザートの「スライムゼリー」とか、「妖精の粉を使ったアイスクリーム」や、「マンドラゴラを使った特選サラダ」などなど・・。冒険者の一番人気はやはり血沸き肉躍る、地域自慢のブランド牛のステーキだろう。美味しい料理には、腹を膨らませる意味合いもある、籠に入れられたパンの存在も欠かせない。常人では考えられない、ポーションやエリクサーを使った、カクテルもある。だが、妖精や人魚の味、異形のモンスターなどを食したらどんな味がするのか、と考えるのもまたファンタジーの常・・。人間は脳の望みに逆らえない生き物―――だ・・。溶岩地帯に棲むファイヤードラゴンを討伐する心理って何だろう、高山地域、氷雪地帯など、草が啼いている草原を真っ直ぐ歩いてゆく冒険者の背中、過酷な場所へ人を赴かせる原動力とは何だろ―――う・・。そのようなわけで、十八禁の娼婦もスタンバイしています。女の味を知る、品定めする、などのHな要素もある。まぶしい夢をみているみたいに頭がくらくらする、童貞入門。博覧強記でもないくせに、無尽蔵に、その手の話を恐ろしく、異常なまでに、記憶する。淫蕩な多情が蛸の肢のように揺れるのを尻目に、シモネタばかりの会話は男性パーティーあるある。酒場の隅にはギルドよりも簡易的な、クエストの依頼の掲示板などが存在し、勇者の活動状況に加え、冒険者ランキングに、自主規制も何のその、風俗店のチラシもあるかも知れない。(Oh...yes...)その隣には甲冑の鎧や、モンスターの剥製があるもの。また、このような具合だから、情報収集の基本である聞き込みや、パーティーへの勧誘が行われており、情報屋や、ギルドマスターなどが頻繁に顔を出す。客層は冒険者が主で、様々な職業の庶民。回転率は考慮せず、価格帯がリーズナブルで利益重視をしないのは、オーナーが冒険者出身だからだ。高く設定しすぎると、飢え死にする冒険者もいる。高給職は同時に、多数の底辺を抱え込む将来有望とは縁遠い仕事だ。金の卵とは言い難い連中にも腹一杯食わせたい心理は、かつての同業者のよしみ、ないしは、若かりし頃に料理屋の店主に優しくされた経験からくる。とはいえ、安くて美味い店は繁盛する。厨房では少年や少女が皿を洗っているかも知れない。ぞんざいな雇用形態、保障もなく、勤務時間も滅茶苦茶な例もある。さて、材料はといえば、「漁業や畜産業や農業関係者と契約を結んで運んでもらう」か、「毎日朝早くから市場へとせっせと出掛ける」か、だ。名うての冒険者に、食材となるモンスターや、味付けの決め手となる植物の採集依頼をするかも知れない。―――珍しい食材で料理を作る内に、料理書や秘伝のレシピを書き記す衝動に駆られるかも知れない。朝と昼は主に男女の客がいるが、夜ともなれば客層は変化してノンアルコール飲料、ハーブティーや、水などという、景気の悪い客は姿を消してしまう。金遣いの荒い馬鹿相手にチップを胸元に入れてもらう、すらりとした―――足の曲線に、くびれに、胸。容姿にも自信がある、スパンコールドレスの踊り子も稼ぎにやって来る。血に狂い踊るカーリー、曙の女神ウシャス、芸能の女神サラスヴァティの名の下に・・。―――地獄の沙汰も金次第。結婚式の音楽や祭りとおぼしき馬鹿騒ぎがする・・、ここは、ひかりのどけき讃美歌から遠い場所。
2024年05月06日
生徒会空想の生徒会室、あるいは生徒会執行部などというところでは、「裏の生徒会」も存在するし、「デスゲーム」も起こりうる。―――生徒会は学校の模範。絶対的権限といえば「大会社の御曹司」に、「社長令嬢」と相場は決まっていて、社長室かというような高級なアンティークの調度品が揃えられ、 生徒会室は絨毯が敷き詰められ、会長の座る椅子などといえば、ロック機能、リクライニング機能に加え、腰痛を予防改善する、ランバーサポートがついてくる。もちろん「エルゴヒューマン プロ」が十万ほどの価格帯で、少し前までは、「オカムラ コンテッサ セコンダ」という二十万ほどの価格帯の、高級チェアーだったりする。左右には議事録を含め、ぎっしりと書籍やファイルの詰まった書棚があり、接客用のソファーとロー・テーブルはアコーディオンカーテンで隠れている。背後の窓からは夕陽が射しこみ、そこから高校のグラウンドが一目で窺え、多忙をきわめる生徒会長は雑務に追われている。というのは―――もちろん、嘘である。現実における生徒会などというのは、「モブ風生徒会」であり、NPCとさしたる代わりないもので、生徒は活動に対して義務感で参加している割合が高く、学校行事の伝統や慣行、顧問教師の指導などに依存する傾向が強いため、生徒主体の立場に立って目標に立って計画・組織し活動していくといった、自治的集団活動の基本的視点が欠落している場合の方が多い。―――もちろん悪の組織PTAというのもおり、モンスターペアレントという保護者もいる。生徒会長に校長や理事長にも勝るとも劣らぬ権限など、与えられるべくもない。これが民主主義の本場のアメリカなどとなってくると、「生徒に学校への参画を促す重要なポスト」といっても、まだ少しはあなたにも信じられるかも知れない。ただ、生徒会での仕事から、自己有用感や達成感を経て、政治家という仕事に興味を持つ人もいるだろ―――う・・。もちろん生徒会役員になろうとした時に、「イジメをなくしたい」⇒『いじめ箱を設置したい』「校内の清掃活動に力を入れたい」⇒「一か月に一度の校内清掃」などという抱負・約束なら実現することは可能なマニフェストだ。とはいえ、ここを履き違えてはいけない。「全校生徒の遅刻をなくしたい」と言ったら暴言であるし、「不登校生徒をなくしたい」と言ったら多様性を理解していない。一般的に正しいと思われる見解は少数派にとってウザいだけなのだ。しかしみんなが想う、いいことをする為の組織であってもいい。地震などの復興支援募金を行うとか、 起業家や投資家を学校へ招き講演会を開催するとか、たとえば消防士や、看護師、警察官でもいい、そういった人達から仕事について聞くのはいいことだ。「食堂のメニューに新しい料理を追加させたい」というような論調でもいいだろ―――う。そういったものならまだ実現可能だ。「学校って一体何なんだろう」という疑問は受身だからに尽きる、角砂糖を積んだような建物の本質は黄色い水飴である。みんなの利益というのは掌の上の蝶のために訪れるべく言葉じゃない。この場合のポイントは二つ。「地域活動と密接な関り」がある、「高校大学一貫」などであれば、、シリアスな展開になりえる要素もあるのだろうが、現実的にはもっとはっちゃけたものだし、なんだったら、大人がおちょくっているのかと感じるようなもの、もっと学生らしい中身のない内容だ。レボリューションしようぜ。口が達者な生徒でも、人前でぺらぺら話せる生徒は稀だ。人前でぺらぺら話せても、知性的な内容を持っているかは別の話だ。あのね、IQ二〇〇あろうが、測定不能だろうが、どんなカリスマ性を持っていようが、人心掌握の鬼だろうが、現実的段階を解決するのはすべて一人一人の仕事なの。ともあれ生徒みんなの意見を代弁する立場としての立ち位置の方が多く、教師連中にウケが悪い生徒だっているだろう。むしろロッカーやトイレを新しくするとか様々な申し出が飛び交う、「課題の提案⇒話し合い⇒合意形成⇒実践⇒振り返り」の五段階、たとえばスマホ禁止があってそこをどこまで譲歩できるかなど、一週間に一度の定例会議での活動が主なものといえる。改善案をまとめた企画書を作り、生徒会の顧問の先生に相談したり、OKが出たら、教頭先生に提案し、職員会議にかけてもらう。案件によっては、直接、職員室に直談判ということもあるだろう。また、推薦のポイントとして生徒会活動を挙げる人もいるが、実は内申点としてあまり影響力を持たないという話もある。とはいえ、生徒会をやっていた生徒の頑張りを評価する向きはあるはずだ。ただ、そのような現実の前では生徒会など中間管理職以下、学校を牛耳るなど夢のまた夢である。廊下を生徒会役員が歩いてもモーゼのように道を開けない、スタープレイヤーのようなきらきらした知名度などまずなく、生徒会役員自体が校則を破ることもあり、そもそも当選するべく行われた選挙を、あなたもご存知の通り、まず誰もちゃんと聞いていない。そのような体たらくだから、一体何をしているのか全員よくわかっていない。ただ個人的に、灘高校の生徒会はヤバさそうだなと本当に思う。それに準ずるような学校の生徒会なら歯ごたえがあるのではないだろうか。何しろ、東京大学に学年の約半数が進学する国内有数の進学校だ。将来に自覚的な人であればあるほど、そこで何処までのことが出来るのかを試したくなる人もいるだろ―――う・・。優秀さというのは、別の可能性を与えられる人のことだ。というようなわけで修学旅行委員とか、体育会委員という謎役職と同じく、生徒会役員というのはマゾか、前世で徳を積んだ修行僧だと見なされる。学校雑務や教員の下請け機関という視角野において、ハイスペックキャラクターの必要もない。各部活動からの報告日誌、提出書類、申請書類、運がよければ黒板ではなくホワイトボードで、コピー機がある。場合によっては古い段ボールの山があったり、整理整頓の見本になりそうなピンと張りつめた空気など何処にもなく、早く家帰ってご飯食べたいとみんな思っているかも知れない。
2024年05月05日
かもめさんと一緒に、あなたが考える、本屋の話休日の昼過ぎ、人間の弱点に対する防壁のような、市内で最も大きい書店へ足を運んでいた。店内のスピーカーから流れる歯医者のような、イージーリスニング音楽。紙や段ボールの乾いた香りがし、革や紙の背表紙を、棚から出すために本の上部を引っ張る人の姿が見える。一般雑誌や漫画雑誌、コミックス、絵本に童話、学習図鑑に学習漫画、文芸書に実用書、ビジネス書。せいぜい数十人から百数人といったところ。見込み客という視点で考えるならこんなものかも知れない。店頭ディスプレイに雑誌が並ぶラック。書店員のマイノリティレポートたるイチオシ。品揃えがよく新刊なら何でも揃う大きな書店は都心部にしかなく、ベストセラー本の表紙を掲載するだけでなく、作家のサイン会を告知したポスターもあるかも知れない。Amazonで購入する場合に本を選ぶという選択肢が失われ、(けれどいつか訪れる、ARやVR技術によってかろうじて保たれる、)古本屋で購入する場合、作家に一銭も入らない、(古本屋が結局、書店を圧迫し、作家を圧迫しているという現実、)とはいえ、書店が潰れる理由は、それだけではない。万引きという名の窃盗では書籍をそのままフリマアプリで売り捌き、利益を得ていた事例がある。それに加えて、本離れ、ネット書店の伸長、電子書籍の普及、過疎化、少子化などの複合的な要因で、廃業に追い込まれたり、書店がない町というのが存在するようになった。全国の書店や出版社などの業界団体が設立した、「日本出版インフラセンター」によると、二〇二四年三月時点で書店数は一万九一八店で、一〇年前と比べて、四六〇〇店あまりが減ったことになる。書店文化はもう衰退しました、その代わりにブックカフェなどが出現するようになりました。外国では無料の本の自動販売機とか、レシート状の本が出てくる、短編配信機というのがある。これは腰の辺りに、一分、三分、五分と書かれた三つの丸いボタンがある機械だ。試みは試みとして、それだけでもいいと考える人は、愚かさと賢さを行ったり来たりする皮相な見解の生き物で、雑誌を捲っている人間の過半数がそうだと僕は思っている。まとめサイトや、SNSや掲示板の無駄な時間のやりとりを頼む人々。場合によっては、何にも興味がない人間の暇潰しなのかも知れない。こんにちは読書中の皆さん、ゲームマスターです。何も知らないのは論外だが、いやしかし、その方がむしろ清々しいし、多くのところ浅墓な見解ぐらい賢い人を苛立たせるものはない。否、僕もそうだったと振り返っているのだ。若い頃の未熟な経験というものは一生の財産である。以下順序、さてさて今日の生贄はごめんなさい、致命的なまでに浅墓な、てんびん座のあなた。『それらしく知っている』⇒『人に話せるほど知っている』⇒『SNSで披露できるぐらいに知っている』⇒『本当に知っている』⇒『話すのも書くのも躊躇うほど知っている』情報というものは価値を発揮するが、それに長けてくると、飛花落葉の感慨で胸を一杯にする。床の上や壁を背に設置された肩ほどの高さの本棚から、ぺらっと本を捲った時に波打つような音が聞こえ、変わった本が並ぶカラフルな子ども用コーナー、そしていつぞや詩について殆ど何も知らないことがない、僕に向かって詩人が飯を食う方法をご享受してくれたことがあった。中々根性がある。神に物申すなんて大それた真似する愚か者の稚気を許そう。それは絵本を作ることだという。僕だったら出版社で本を出して、新人賞を取るなどの実績を積んで、芥川賞とか直木賞を取るべきだと言うかも知れない。堅実だし、眉宇にあふれているいじらしいほどの熱情など、流行らない。自費出版、共同出版、企画出版というのがあるが、自費出版を好意的にとらえる文化もあるが、漫画やゲームやアニメにはそれ以上の熱があるという考えなら、僕とて、到底否定できるものではない、この世界は古いメディアなのだ。衰退を余儀なくされている以上、延命治療に何の意味があるのかという気持ちも僕にはある。人の心を疑うな、人は最初から愚かな生き物なのだ。二〇〇時間一緒にいるだけで親友になるという法則のように、僕の文章を二〇〇時間読めば人となりもわかる。せいぜい、十分か十五分ぐらいしか読まないだろう、浅墓なのではない、人は本質をスキャナーのように読み込めないのだ。肩書や権威ならピッとレジの音のように読み込める。作家の目標が新人賞とか芥川賞や直木賞という人もいるが、ケチなことはやめて、もっと権威があり、金銭面でも、もっとボリューミーなものを目指すべきだろう。才能というのは運や確率をどれだけ引き寄せられるかで、一定数の努力でも、小説を二〇〇ぺージ書けない人でも、その素養がある。しかし継続する努力なしには、まかり間違っても、その立ち位置を維持することが出来ない。いくらか大袈裟な物言いになるけど、プロ野球選手は大抵、初期能力的には殿堂入り選手になれる素質を持っている。その明確な違いがわかる場合もあれば、わからない場合もある、たとえば野球球団がいまの二倍、なんだったら四倍にしてみる、その時、活躍できる選手がどれだけいるかというのも面白い考察だ。いっておくが、世の中はそんなにフェアなものじゃない。とはいえ、頭空っぽのラノベは人気があるようだし、賞を取った作家の本は中身が薄くて困るし、純文学やミステリーホラーの順番で、エンターテイメント文体とお遊戯倶楽部の傾向は強くなる。成功法則を詰め合わせる努力は認められても才能は認められない。訴求力は世界観や、個性、行間からはみ出てくる熱情と思われるが、自称作家はSNSで承認欲求を満たしているようだ。全体層の割合が過半数になればなるほど全体のクオリティは下がる。とはいえ、底辺の取り込みなしに宗教は成立しない。秋元康という珍獣が僕は大嫌いだけれど、それは最初の詩集で眉間に皺が寄りまくった経験からきていて、のちに読んだ小説もあわせて眉間に皺が寄りまくった。その頃の僕はまだ、実力や才能が正当に反映される世界を信じていた。数多に欠点がありながら、それでも若くて才能があった僕は世事に疎かったのだ。僕はプロの作家どころか、出版社にもうお世話になるつもりはないので正直に話すけれど、赤川次郎というのは谷川俊太郎の登場のような位置づけでいい、たとえば短歌の刹那的な心情の垂れ流しを位置づけたのは俵万智だ。これは戦犯という意味合いではないが、分かり易さだ。追従する側なしにこういうおぞましい文化は生まれない、恥ずべき悪徳というのは、流行というのだ。先駆者がきちんと物を考えないと全体が衰退するが、はたしてこの東亜的大日本帝国でそのような長期的展望が出来るだろうか。本なんか読まずにネットサーフィンしたり、野球観戦して酒飲んで尻を掻いている人のことを考えられないか、逆も然りだ、労働時間超過の漫画家もいるということだ。そしてそんな労働の見返りは連載だが、あっさり反故にされる例もある。どちらもマトモじゃない。けれど、普通なんてビジネスの前では無意味だ。売れれば正義で、売れなければ干される作家もいるようだ。一発あてれば数千万から数億。人気作家、ベストセラー作家。それが〇.一パーセントないしは、〇.〇一パーセントだろうが人はそんな夢を信じたい。アメリカンドリームだぜ、一攫千金だぜ。そして四十代になって岡田斗司夫に相談している作家志望ニートがいる。ネタなのか本気なのか、僕には公開処刑に見えた。岡田斗司夫は浮気大魔神で、人間の屑の代表格ではないか。ひろゆきも、大学時代に五回の交通事故を起こしたあたり屋で、ホリエモンは何だか年を取ればとるほど見直すようになってくるのが変だ。ユーチューブ的にいえば、はっきり言って動画的には全然面白くない、高須クリニックの人が相談に答えていて何だかちょっと癒された。面白くないというのは失礼だけれど、真面目だし、論理の飛躍がない、平面的だけれど、本来人の相談に答える態度ってそういうものだ。エンターテイメント要素などいらないし、場合によっては相手を激怒させ、申し訳ないけど、殺される。ただ、これも必要悪なんじゃないかといえば黙るより他あるまい。詩人の世界ではまず働くことなしにアイデンティティを保てないが、働けばルサンチマン傾向が強くなるし、十代から二十代で詩を辞めてしまう法則に引っ掛かりやすくなる。親の遺産で詩を書くといった人も萩原朔太郎筆頭にいるけれど、マイナースポーツをオリンピックという舞台にでも持っていく、そういう装置もないこの社会に、一体何が期待できるのか。ところで作家よりジャーナリストの方が文章力が上だとは思わないが、フィクションを読む価値が感じられなくなって久しい。文章力というのはそもそも、想定力のことである。本屋に来ると、頭の悪いこの国のことを冷ややかな眼で見たくなる。電子書籍も数冊読んでみたけれど、あれは頭に入ってくるという感じがいささか薄い傾向を感じた。でもそれは僕の言い分で、全体にとっては紙媒体と変わらないのだ。速読が出来る人がハリーポッターを読むと、「すげえ面白かった」というようなことを言う。僕も速読が出来る、手品師のようにね、本当にすげえ面白いですぜい、これ。揶揄っているって? そんな、まさか、あんたもすげえ面白いですぜ。とはいえ、東亜的大日本帝国では、知に対する明確な位置づけができていないので、今後も驚愕し、混乱し、とりとめなく心当たりに問い合わせ、視野狭窄し、さめざめと悲嘆する干潟ないしは砂漠のような場面は、どうにもこうにも回避できないようである。
2024年05月05日
the future you wantガソリンスタンドで煙草の火を点ける気分だった。状況はどうだい?刑務所の独房、遅かれ早かれ棺に納まる真空、ゴミの日に消えるようなものが生活、どんな風に夜を過ごしても朝は同じようにやって来る。“レーゾンデートル”と叫んでる新興宗教、テーブルの下の床に置かれた、正三角形のボール用ラックみたいに、(One more time...) 信じられないほど明るくなる酒も、敏捷な瀬戸際、自由を望むたびに悲しげに見える、拘束。ショート寸前のネバーランドの終着点は―――近く・・。ショットグラスがカチンとぶつかって、どんな夢を?デニムジャケットの襟をグイと引っ張る義手、アンドロイドが出現してからの、縹渺、無辺際、群青色、―――青い錠剤が、宇宙の奥に後ずさってしまう、想像できないような方向に推移する乾坤一擲の大賭博。ああ、脳天に直撃する幻惑のエネルギー。狂った鳥は旋廻して、上昇気流にやられて、窒息死。(Don't Let Me Down...)今日は雨、絶え間なく次々に光る激しい稲妻も、あらゆる生活を麻痺させる停電も、ジェンガ、幸せな結末のように思えてくる、急転直下。live thick and short不得要領だった、不特定多数だった、熱病の眼をして、失望して、憎悪して、冷ややかな侮蔑をくれてやる、ああ、しかし―――螺子が緩んでくる・・ね・・。「芯を縮めたランプの火・・・」(それは悲しい天然痘さ・・)live thick and short(Hesitation gives birth to acting...)腕時計の中で歯車が廻っている、複眼の眼をした夜の街、言葉を浸して、夜を現像し、世界に両手を拡げているトリックスター。本末転倒だって鼠の皮をそっくり張りのべた格好で、頭がおかしくなりそうだ、運命の女神のスカートの中を覗き見ている気がする。農道の先の高速道路、花輪飾りをつけた緑色の女の子。猫のように足を盗んで、欲張りな死神の鎌を躱す。ラジオからは“電波の内容”しか聞こえてこな―――い、「××を×××ている××ワープウェイヴしてきた、未来人より・・」(You know what...)ガレージで工具を使ってバイクをいじっていたあの頃、生皮を剥がれた狐の話を聞いた、大きく霞んだ太陽が、蒼褪めたシャボン玉に変わった。反射的に振り返ったら誰もいな、い、―――デウス・エクス・マキナみたいな朝。live thick and short最大のキャパシティで空虚の穴を真っ逆様、混乱して、絶望して、それでもまだ清潔な頽廃。水に溺れかかって、藻掻いて、呼吸困難の、極楽。ああ、しかし―――空の窪みに中指が入・・る・・。「いたずら少女も、あばずれ女になってゆく、じゃじゃ馬達の都―――」(妖精だってグらぁビあぁアいぃドるぅ、セくぅシいぃ“な”ポおぉズ・・)「・・・カタカナの部分は漢字に、―――漢字の部分はひらがなに直せ」live thick and short(Hesitation gives birth to acting...)口の中には錆びた鉄の味がし、風刺が徘徊する。心像、前世、迷い込む廃都。電気を帯びたコンクリートジャングルが揺らめいて、明日という日が永遠に来ないことを告げる。―――始まりと終わりを示す最初の日。There's not a grain of truth in the words(Do you still believe in God?)『餓えたライオンが眼を輝かせている』I can see the end of my life when I fell down and split my head.(Do you still believe in God?)―――【蠅の煩悶】「酔っぱらいの顔が、次第に消された、指紋みたいに思えてく―――る・・」(禁断の実を、もう誰も恐れないのさ・・)「腐りかけたトマトみたいに思えてくる、ある金曜日の、午前二時―――に・・」(猛毒の林檎に変わる・・)that's your weaknessit's the shadow of your heart燧石が鳴る、そして時間は深海の底へと連れ去られる。終末映画も、テロリストの映画も・・。また頭の動きが鈍くなり、品性がさもしくなる民主主義。世俗のわずらわしさなんだろ―――う、厭世とかいう奴隷なんだろ―――う、レッドカーペットを歩いても、札束で尻を拭いても、コインランドリーで回されていた男の姿は消えない、マーシャルに繋いだレスポール鳴らした。“章文くゆてれさ成生にき向逆”(と、)変な所ッを強調ッしている文章ッ。(A fusion of love and ego...)荒廃したアパートに隠した麻薬な純粋に気障な暗号、瞬きで戦争の挽肉機械より素晴らしい地獄へ案内する、「そうさ、人が戦争を止める理由は、もっとありえない地獄が始まった時だけさ」空にのぼる太陽もいつかレコード盤みたいに見えてきた。カクテルに浮かべたチェリーみたいな乳首の女の、―――背中のバーコード。live thick and short地下道では尾行され、車ではカーチェイス、微動して、顫動して、本当は一ミリも動かないゲームの盤上。心の根を喰って、ひとしお脆い扉に罅を入れて、失敗作のような電脳、試験県ベイビー、増設された記憶―――だ・・。「回転弾倉のそこには、美しい物語の汚点があり、ひそやかな嘆声と顰蹙が消去されてい―――る・・」ド、ド、ド、ド、ドモ、って、し、し、しまってい、る、貴様のような脳に蛆虫の湧いた低俗なブタ野郎。(透明な液の中を泳いでくる、錆びた機械の生き物・・)live thick and short(Hesitation gives birth to acting...)道行く占い師に「死相が出ている」と言われ、言ったまま立ち上がり、道路へと飛び出し轢かれた老婆。タクシーには昔懐かしい死んだ男が運転席からこちらを見る、地獄まで騙しおおせるか象牙の塔の爆破スウィッチを押す。―――円盤が大都市を埋め尽くす、一時間前の誤作動。
2024年05月05日
田んぼ道駅から町外れにある友達の家を目指して、茜色の田んぼ道を歩いてゆく。ここは二台通れるけど、片側通行状態だったりすると、空を仰ぎたくなる。農道や田んぼ道は、見晴らしが良く、比較的周囲の危険を目視しやすいように感じるけれど、コリジョンコース現象というのがある。人間の視野には、物の色や形をはっきり認識できる『中心視野』と、色や形の違いや、動かないものは認識しづらい『周辺視野』がある。ドライバーは横から近づく車を周辺視野でとらえやすいため、交差車両が同じ速度・同じ角度で近づいてくると、車が動いていないように見えて、直前まで危険を認識できず衝突するというわけだ。トラックの前に小さい車がいて、前方にトラックがいると、小さな車が見えなくなってしまうみたいにね。高速道路ではよくあることだ、集中力が途切れることもある。異世界ファンタジー、トラックテンプレートと覚えよう。でも、あんまり都会の人って田んぼについて知らないね。トラクターから落ちた土の塊が蟻塚を作っていたり、苗が落ちていたりすることもある。あと、虫がいっぱい、いる。都会で知ってる虫が、見たこともないサイズで生息するのが田舎だ。逃げ出した牛が「よっ、何してんの」みたいな顔で見てたり、かといって、こっちに攻撃するでもない。ただ、道を塞いで蹲っているので、連れていかれる。散歩したかったんだなって言われる。山下清って言われる。まかり間違っても、ランボーとは言われない。安定感抜群の三輪車に載ったおじさんがそんなことを言う。あれ、荷物を運ぶのに便利なんだよ。それから巨大な蛙の死骸があったり、タニシの卵はピンク色、アオダイショウが「あんまり気にせんといてよ」と、そろお~っ、と逃げていったりする。夜中は夜中で虫と蛙のコール&レスポンス。喧騒から静寂のダイナミズムを味わう。草野心平という蛙の詩人が、実際きちがいな気持ちになって、あのようなものを書いたのではないかという疑惑が持たれる。でも田んぼの水を張った時はウユニ塩湖みたいだし、雪が降ると都会では味わえない何もない世界が味わえる。田舎っていいものだよ、あまりにも不便で、バスや電車がない上、スターバックスとかいうそれに、アメリカのハリウッドのような意味を置く環境でなければ。そういえばこの前、吉野家が出来たよ、感動した。
2024年05月04日
眠りの森のおっさんある晴れた大型連休、実家に帰省し、二日目のぽかぽかした昼、畳敷きの部屋。すこぶるつきでやることがなく―――。まず、このあたりで、彼の心持ちを僻見なく省察してみる必要があるぞい、彼はおもむろに座布団を丸め、ゴロリした。これらは人間喜劇の睡眠誘導体、快い疲労感にうっとりとやられながら、ドンキ―ホーテした、動画で寝落ちというのもいいね、身体の熱にミント・シャーベットが溶けてゆくような、幸せそうな表情をした軍艦の進水式、変な笑い声をあげた潜水艦。(当社比九〇パーセントの動かしがたい事実、)終始おだやかな呼吸で眠ろうとした。あたかも宇宙の中心に座を占めて四辺を睥睨する、神の境地のように、世界は曖昧で、曖昧であるがゆえに様々な感情を飼い慣らしていた。なお、くわしくこれにならう作法が知りたい方はシェスタやお昼寝というところの、昼間帯枠の睡眠についてお調べになった方がいいですぞい。けれどそれは、落ち込んだ心を立て直すメンテナンス。気分のコントロールで、無意識のアップデート完了。脳の休息に短い睡眠はいいのですぞい。あんまり眠りすぎるとメタボになるうえ、夜の寝つきが悪いという弊害も何のその、―――頭の中がお花畑で、ウヘヘエとだらしなく、締まりなく、眠る男はGWあるあるですぞい。さてそのように、ゴロリしていると二階の廊下から、靴下をはいていないパタパタという軽快な足音が聞こえ、戸襖が開かれると同時に、少女の陽気な笑顔が現れ、鈴のような笑顔、絶対真似しないで下さい、「おらあっつ!」フライングボディアタックという大技が披露され、グブッとか、グスタフッ、という横隔膜が痙攣してしゃっくりをオヤジ化させたような、そういう声がしたのですぞい。
2024年05月04日
「もふもふ」というのは、擬態語の一種であり、犬や猫に対して用いられる言葉だ。それはぬいぐるみや、毛布などにも使用される。またホットケーキや、インスタグラム脳御用達の、パンケーキにも使用される。純粋な食感という意味では、ふかふかと言うべきところも、頭の中はもふもふである。これを言葉の揺らぎとして考えるべきかどうかは、研究者の地道な労力をかけて別にどっちでもいい考えに尽きる。統計学のおおよそが、どっちでもいいで削られることがないのは、人はそれでも参考指数という、客観的材料、俯瞰性、中心を固定させる上下作用を欲しがっているからだろう。ちなみに、まふまふは、歌い手であり、毛布会社の新しいキャッチコピーの一種である。それは「富士山」「天麩羅」「柔道」「舞妓さん」「うどん」などと並んで存在する世界普遍的な言葉、「KAWAII/可愛い(かわいい)」という要素を見逃せない。ちなみにアニメを視聴する外国人視聴者の乱れっぷりには、個人的にいつも大変お世話になっております。日本人のオタクには手厳しいけど、外国人のオタクには何故か優しい気持ちになるのは何故なんだろう。ともあれ、これは赤ん坊に対する感情で、保護欲や庇護欲を誘うもので、そこには、ベビースキーマという要素があり、「何とかしてこの子を守り抜こう」という意欲(養育欲求)を、強く掻き立てる。これは「モフモフを観ているだけで幸せ」というサイコグランディングなジャンキーを産む前提条件だと思われる。この脳内ワッショイのサイ・スポーツは、トリプタミン系の幻覚剤か、フェネチルアミン系の幻覚剤としてよく知られている。これはニュージェネレの悲劇と呼ばれ、ドラッグカルチャーを牽引するZ世代の悩みの種子である。あのごめん、信じちゃだめだよ、冗談言ってるからね。でも「毒」でもなく「擬態」でもなく、あるいは、「刺や牙」などでもなく、「弱さ/可愛い」に、首をかしげたくなる人もいるだろう。でもそれはきっと、あなたが集団社会の本来の目的を忘れて、個人という要素にばかり着目しているからだ。集団行動の必要性を持たなくなったことで、個人はたとえば少数派に属し、より遺伝子の玩具になっているといえる。働きアリとサボりアリのようなもの。「可愛いのではない、可愛くなければいけない」のだ。綺麗な服を着る、化粧をするのは何故だろう、「内面が可愛くても意味はない、外面が可愛くなければ意味はないのだ」それゆえ、顔面偏差値、集団生活にはヒエラルキーという要素がつく。つまり一人では出来ないことも、二人なら出来る、二人で出来ないことも、みんななら出来る、という洗脳ないしはマインドコントロール、保守的学校教育の賜物で培われた大義名分の正体は、遺伝子による本能の噛み砕かれた要素になる。―――手っ取り早く言えば、『幻想効果』である。しかしこの「受動的観測/能動的観測」は、日ごとオナーアンドグローリーしている、みじめなハックルベリーも、鍵と鍵穴の関係にし、遺伝子の強力無比な執行力を想起させる。魔女の宅急便の、くちなしの匂い、木漏れ日、雨上がりの匂い、―――ってそれ、魔女の宅急便のエンディングの歌詞じゃねえか。うるせえな、好きなんだよ、自作自演だけど何か?だが、脳内幸福物質がドバドバ分泌するに違いないので、これは双方の幸せになる。さて、大トトロのもふもふのお腹でトランポリンしたいという飛躍は、赤ん坊のような感覚になりたい、包まれたいという、観音開き的胎内回帰願望のように解釈できる。その類似として、ねこバスがある。僕等はあのねこバスをキャンピングカーより有能だと信じている。それは仕方のないことだ、傍目から病気に見えるのはオタク文化だからではない、人口に膾炙したとて、人が明らかにおかしくなってしまう時に、(馬鹿ではない、だって、人は誰でも自分を持とうとする生き物だからだ。それゆえ、そこには人生というありえないほど長く続く平行棒を、真っ直ぐ歩くための本能的な作用と見なせる、精神病も、実はそうだ、)人は誰でも自然と引いてしまうものだ。なんだよぉぉぉ、もお~っつ、かわいいにゃあああ、などと言えば、イタいことこの上ないのだが、当人同士は幸せで、頭の中お花畑だ。それはたとえば、お花を摘みに行く、というところのトイレ表現みたいなものだ。実際、駅前でよく見かけるバカップルのポピュラーな表現である。ゆえに大抵の人間は人の見ていないところで、場合によっては、酔っ払うことで、そのような一種のトランス状態に陥る。その時、脳味噌わっしょいが起き、サイ・スポーツをし、社会に対する耐性を高めていると見なせる。それが「受動的観測/能動的観測」なのかは人や状況によるだろう。「もふもふ」は、そのようにしてゆとり世代に直撃した、というよりもはや、ネット世代は頭の中が「もふもふ」だったと言える。とある批評家は、文明四流国とか、IQ30と暴言を発した。本当に許せない人もいるものです。僕じゃないけどね。あのー、僕じゃないんだよ、これ、Vチューバ―システムエンジン採用しているから。ファンタジーの世界に脳内ドーパミンタアアアアアアイムに溶け込み、猫耳とか犬耳を持つ種族を、性的なニュアンスから遠ざけ、「愛でる行為=もふもふ」と定義し、「モフる」「モフりきる」「モフってもいいよ」などの派生語を産んだ。それは十八禁の場合においては、おそらくセックスの疑似行為なのだが、いやそうとは言い切れない魅力がやはり「もふもふ」にはある。だってそれは、バカップルの場合は「こいつら何やってんだろう」に、置き換えられるのに、この場合、「猫耳女を撫でられるって羨ましいな」「俺も犬耳女をモフりたい人生でした」ということになる。一種の賢者タイムを演出するもの。これはもしかしたら、百合愛好者の、優しい気持ちに似ているかも知れない。
2024年05月04日
常夜の墓場まだ日が昇っていない、薄暗い明け方の、ここは城下街より、郊外の森を抜けた、常夜の墓場。鳥の囀りがし、木々のざわめきがし―――。今日も眼も鼻も口もくりぬかれたカボチャマントの、ジャックオーランタンが。この世に執着を残すあまり成仏できなかった、半透明の人型の、ゴーストが。カタカタと不気味に不規則に揺れる、歩く骨格標本、甘栗むいちゃいましたというように皮膚むいちゃいましたというところの、アンデッドが。そして人格を持たない、生前の死に至った致命傷をさらしながら、内臓飛び出ている、顔面半分吹き飛んでいる脳漿滴っている、腐りたがりの、ゾンビが。常夜の墓場には様々な年代の墓石が存在しており、ここが味噌で、それゆえ、盗掘者、いわゆる墓荒らしが後を絶たない。中には国家転覆罪にあたるような秘宝もあるというし、精霊や幻獣もいると聞くし、死神や魔族も現れると聞く。ただ、ここが重要ポイントだ。そういう脛に傷のある奴がいなくなることも後を絶たない、ミイラ取りがミイラになる。そんな脅威から守るべく神との契約をした、「墓守」という神職の一つとして数えられる職業がある。ぱんかぱかーん、という音も悲しい由緒正しい仕事。墓場の維持・管理が主で、広大な常夜の墓場の見回りをする。墓守は生涯を捧げて常夜の墓場を守護する職業であるが、ようは一生そこから脱出できない迷宮ダンジョン状態。見えない壁は言葉通りで、常夜の墓場のすべての住人に有効な破邪の魔法だが、それを行使する上で墓守自身も見えない檻の中に閉じ込められている。大変な仕事だ、ジャックオーランタンにドロップキックしているのを見たし、大切なのはプロレス。常夜の墓場格闘術の免許皆伝。ゴーストに祈りの蒸留水たる聖水をかけて、悲鳴をあげさせ、サディスティックな表情をしているのを見たし、「なめくじ、め」「(ゴーストはなめくじ、じゃないよ、)」心はいつでもマダム・タッソー館。視線にたじろぐ、人間や動物相手でない暴力は見て見ぬふりの必要悪。アンデッドにガムテープを貼って「皮膚が剥がれるかやってやる」と言い、やめて。やめない。やめて。やめない。常夜の墓場のいじめっ子。それはいわゆる一つの脛毛ガムテープという罰ゲーム。べりり。ゾンビには情け容赦なく、リボルバーをぶっ放す、人間でなければ何をしてもよろしいというのが不文律。ゾンビ一団に、バズーカ砲をぶっぱなしているのも見た。シティーハンターじゃなくて、墓守ハンター。幼馴染で美少女の墓守は、才能を見抜かれ、教会特殊プログラムを受けて、五歳の頃から墓守として仕事をしている。教会側はお勤めと称するけど、生贄というニュアンスとあまり変わることがない。古い伝統的な職業であるし、先々代の墓守が嫌気がさしてボイコットをして、様々な異形の者が都市部へ流れ込んだパニックホラー事件のもと、墓守という職業は王族も無視できない、影響力を持っている。ようは、あんな気持ち悪いのお願いだからそこで何とかしておいて。管理料を徴取し一括で支払う領主がさらにイロをつける形で、破格の給料が月々支払われているが、使うあてがない。ここいらで肝試しする馬鹿もならず者もまずいないから、人が寄り付かない、そして墓守には何処へも行けない呪いが掛けられ、しかしその呪いは同時に祝福であり、常夜の墓場の専制君主、皇帝、神様といった名をほしいままにする。一度、女帝と呼ばれていたのも見たことがあるが、本当の意味で、聖女というニュアンスも間違いではないのだ。ようは癒しを与える対象が生きているか死んでいるかだけだ。そんなわけで幼馴染の美少女の墓守に今日もせっせと食糧を運び、年収がA級冒険者に匹敵するのにありえないほど質素な掘っ立て小屋を、ノックすると、ドアが開いていきなり手を握られた。そしてハグされた。石鹸の匂いがして、発育のよろしい胸があたる、年中全身をおおうローブを着ているがその下には、金髪の容姿端麗、色白で、邪悪なオーラをまとっていることを除けば何処にでもいる・・・。その―――何処にでもいる・・・。「・・・・・・えへへ・・・・、あ、あの―――、お、おっ・・・・、おっ、おっ、おは、よ、ウ・・・・・・」「おう、おはよう」「・・・・・・ご、っ、ご、っ、ご、っ、ご、は、ン、い、いっ、いっしょ、―――に、た、たっ、たべ、よ、ウ・・・」何処にでも―――いる、その―――本当に何処にでもいる・・・。重度のコミュ障の、十五歳の女の子だ。ただ、これも破邪の魔法の影響だというので、つまるところ、これも彼女の個性の一部なのだ。あと、彼女は何故か地獄の門番ケルベロスをペットに飼っていて、最初はマジビビリしたけど近頃では一緒に、フリスビーしたりする仲になった。犬か? いや、魔族事情に詳しくぺらぺら喋ってくれたりするし、鼠を狩って来る代わりに死神や魔族を齧っていることがあるけど、おおむね、犬だ。犬か? いや、おおむね―――犬だ。たまに彼女と一緒にケルベロスの背中にのって、常夜の墓場の見回りに付き合う。粉を吹いたように風化した墓石群、人間の毛髪の一本一本を根元から吹きほじって行くような、冷めたい風。見晴るかす先まで整然と墓石が立ち並んでいる、常夜の墓場で、ずぼっすぼっすぼっ、と、墓の土を突き破ってくる音が聞こえた。毎朝の光景である。無数の手が拍手するのが見えた。いわゆる一つの歓迎セレモニー。まったくなれないけど。
2024年05月04日
見ていろ世界、狼煙を上げろto signal a counterattack塵の街でさ、何千年もかけたんだぜ、千里の道も、ローマから、塵も積もれば、戦艦大和。大したことないよ、こんなハリボテだらけの街、どうせ燃えるんだ、全部言葉の成分と同じ、魔術や魔法で出来てるんだ、でもそう言った時は、怖かったよ、けど、全部塵だって思えたら、壊れるのも、生まれるのも、結局自分達次第なんだって、思えた、何もないような気がしていた、空っぽでさ、空洞でさ、一番肝心なこと、くりぬかれていてさ、瞳えぐられるより切ない、でも、それが、真空なんだ。息を止めた、てか、止まった、苦しい胸が生命活動を終わらせる、けど、息を吸い込んだら、何か全部上手くやっちゃえそう、玩具はいつか片付けたんだ、サンタクロースのいない、ここは、気持ち次第の、御伽の世界。
2024年05月03日
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