妻と歩いた足跡とその後の熟年生活

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2004年12月08日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
・帰宅したその日から、家の中で病人を看病する体制をとるのに大忙しであった。特にベッドを入れる場所を開けることが大変だった。家族がいつも居る場所に近いところがよいとのことで、居間を病室に作り変えた。点滴装置と酸素吸入は帰宅した日に、ベッドは翌日入って、いよいよ在宅ホスピス開始である。

・家でも病院と同じように点滴とお粥の食事を続けた。看護師か医師または両方が交互に毎日訪問していただいた。看護師には点滴針の周辺の消毒や足のマッサージや浣腸までもしてもらった。点滴の液の交換の方法も教えてもらった。夜中に点滴ポンプで何かの拍子に空気泡が入り、止まってしまったこともあった。医師の電話での指示でチューブの中の空気を抜き動くようになった。慣れればそんなに難しい対応ではなかったが、初めてのときはあわててしまった。点滴薬の交換は、朝と夜だったがこれもすぐ簡単に行うことができた。
・食事はお粥を茶碗に軽く一杯食べれば良い方で、果物もほんの一切れしか食べられなかった。それでもトイレへ行けばお通じが出るようにがんばるのが痛々しかった。お腹が張るのを、(ガンのせいではなくて)お通じがないせいだと思い込んでいるようであったが、看護師さんはそんな素振りは少しも出さず要求があれば、気持ちよく対応してくださったのは有り難いことであった。
・ベッドのマットは当初入れたのが固いとのことで、空気が出入りする方式のものに変えたが、それでもお尻にジョクソウができて治るどころか段々大きくなる傾向にさえ見えた。
・最後の週には、ドライシャンプーで頭を洗わせ、気持いいとみえて、次の日には背中が痒いからと上半身を清拭料で息子に拭いてもらい気持よさそうだった。今思えば、死期の近いことを感じていたと思われるような行為だった。
・自分でトイレへ行けなくなったら、病院ホスピスへ行くと言っていたからか妻は必死の思いでトイレへ行った。ベッドから自分で降りたり、上がったりするのが苦しくなってから、大きな声で呼ぶこともできなくなったので、寝ていたり、隣の部屋へ行っていたりするときに用事ができたとき呼びやすいように、チャイムも取り付けた。それでも夜寝ている時には、遠慮して起こさないように自分ひとりで起き上がり、どうにもならなくなってから呼ぶこともあった。
小さなかすれた声で「おとおさ-ん」と呼ぶと小さな声でも目が覚めた。
・家へ帰ったことを知った妻の友人達が訪問の機会を待っていたので、少し体調の良い日に、来ていただいた。しかし、見たところ痩せて見えないし、本当の状態をご存知ないため、良くなるから頑張れがんばれと言っていただいて本人も辛いことであったろう。ガンの場合は、よくがんばったねと言うのが良いと何かで読んだが、まったくその通りだと思う。

・トイレへの往復と共にトイレの出入りでの段差があるのと、便器に座るのに抵抗がありそうだったため、スロープと手すりを取り付けた。トイレの時間から次のトイレの時間までの短い間を利用して部品の買い物と取り付けをした。少しでもお互い楽にトイレを使うことができればとの思いだったが、ほんの1週間足らずの間しか利用してもらえなかった。
・最後の週は、さすがにトイレまで歩くのは苦しく、携帯トイレをベッドの際に置いたが、それでもシャワレを使うとがんばったこともあり、まるで抱き合った姿勢で往復した。またオムツもするようにはしたが、それでもオムツでの用足しはせず、トイレへ行くとがんばった。最後のトイレは下着を下げることもままならず、紙を引き出すこともままならず、ちぎってふいてやって、下着も挙げてやった。
・妻のホスピスへの意識としては、痛みの無い生活を期待していたようだったが、病院にいるのとあまり変わりの無い病状であったようだった。また宗教系のホスピスでよくある精神的な面での治療はほとんどなくそういった面での期待には添うことができなかった。
ただ自宅へ帰ったため、ごく親しい人への形見分けの品を選んだりしたことでは安心できた面もあると思った。
・お尻のじょくそうには毛糸の服を重ねて敷くと良いとの情報も入り、さっそく試してみた。初めの間だけはうまくいったが、それもだんだん効かなくなり、じょくそうも広がり始めた。いろんな薬を塗ったり、貼り付けたりしてもらったが、肉の無い身体には治る余裕はなかったようだ。
・時々思い出したように、「もっと長生きしたかったのに、せめて春まで生きていたかった」とつぶやくように話したが、「ほんとにそうだね」としか受け答えができなかったのが辛かった。

・病院ホスピスは改めて予約してはいたが、今動かすと危ないとのことで結局キャンセルし、最後まで自宅にいることになった。
・最後は、お尻のジョクソウで痛いとは言ったがお腹の痛みは言わず「背中が痛い、どんな姿勢をしても痛い。痛みを取って」といったのが最後の2日前。そんなに苦しいのならと楽にしてやって欲しいと医師に頼んだ。その後は、2日間眠ったままあの世へ行ってしまった。2日の間、脈が頻脈になったといっては驚き、呼吸をしているのに、脈が判らないといっては周囲のほうがかえってまごつくことのほうが多かったが、本人はすやすやと眠ったままであった。やがて脈拍もだんだんと少なくなり、自分と二人の息子と親友のNさんに看取られて静かに呼吸を止めた。生前の性格を表すかのような静かな寝顔であった。

・控えめな性格の妻の要求をなかなか汲み取ってやれなかったが、そんな自分を頼りにしてくれて、感謝してくれて、有難うと言うことを教えてくれた妻よ、ごめんな。本当にありがとう。

・いまでも妻の「おとーさーん」と呼ぶ声が聞こえるような気がしてならない。




































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最終更新日  2004年12月29日 20時53分24秒
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