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一枚の「詩」が、思いもかけず出てきた。それは非常に大きな衝撃と感動を僕の人生に与えた「詩」である。昔あるセミナーで御一緒した女性の方が、盲目の方だった。何日目かの夕方、海が一望に見渡せる食堂で、夕食を食べている時だった。水平線の彼方に、信じられないほど美しい夕日が今、沈んでいこうとしていた。誰もが目を奪われ、落ちていく夕日に見入っていた。そして、覚えず、ある人が言った。「うわ~ぁ...きれいな夕日ねぇ...」瞬間、多くの人たちが同時に「気づいた」盲目の女性が自分たちの席に座っているということを。これもまた同時に、振り返り何人もの人が彼女を見た。すると、彼女は泣いていた。目から涙がぽろぽろとこぼれていた。しばらくして、彼女が言った。「私にも見えます...、海に沈んでいく夕日が。私は、今日まで過ごした皆さんの温かい心遣いが本当に嬉しくて、ありがたいと本当に思います。だからその皆さんが見える夕日が、私の目にも見えます!」誰も食事をせず、ただ黙っていた。泣いている人もいた。翌日、その女性がみなの前で紹介してくれた「詩」がある。それが部屋を整理しているときに、「久しぶり」に出てきたのである。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「あたりまえ」こんなすばらしいことをみんなはなぜよろこばないのでしょうあたりまえであることをお父さんがいる、お母さんがいる手が二本あって、足が二本ある行きたいところへ歩いてゆける手をのばせばなんでもとれる音が聞こえて声がでるこんなしあわせがあるでしょうかしかし、だれもそれを喜ばないあたりまえだと笑ってすますこんなすばらしいことを、みんな喜ばないそのありがたさを知っているのはそれをなくした人たちだけなぜでしょうあたりまえ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆そのありがたさを知っているのはそれをなくした人たちだけなぜでしょうあたりまえ最後のフレーズは、まだ若かった僕の胸に突き刺さった。親も兄弟も友達も...、目が見えることも、水が飲めることも、全てが「あたりまえに」あると思っていた...本当に、今自分に「あたりまえ」にあることに、もう一度感謝したいと、あらためて思った。ありがとうございます。
Sep 29, 2005
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久しぶりに、自宅に早く帰ってきた。4歳になる長女「花」と2歳の長男「新之助」が、ちょうど今から風呂に入るところだった。「お父さんが帰ってきたよ~!」聞くと、「今日はどうしてもお父さんと一緒に御風呂に入りたい」と娘の花が言っているという。「お父さんはねぇ、今日もたぶんお仕事で遅いよ」家内がそういうと、娘が、「それだったら、サビシイなぁ」と言っていたそうである。「よし!花!一緒に御風呂に入ろう!」それはそれは二人は大喜びだった。三人で一緒に風呂に入り、久しぶりに楽しんだ。「お父さん!花ねぇ、水に顔をつけれるようになったんだよ!」いつの間にか、十秒もお湯の中に顔をつけれるようになっていた。「花~!すごいなぁ~!お父さんびっくりしたよ~!」湯船を出て、二人の身体を洗ってやると、娘が、「お父さん!花が背中洗ってあげる~!」「る~!」(※2歳の新之助は言葉の「語尾」しか話さない) 二人が笑いながら、騒ぎながら、背中を洗ってくれた。思えば、自分の子供に背中を洗ってもらうという体験を今までしたことがなかった。僕にとっては、父親として初めての体験である。家族を養う為に、また、自分自身の夢の為に、毎日を一生懸命生きている。仕事で大きな壁にぶつかる事もあれば、大失敗に頭を悩ます事もある。様々な突然の不幸や災難に、苦しむ事もある。しかし、本当に今日は「幸せ」を感じた。自分の死んだ父も、このような幸せを感じたのだろうか。人生で本当に必要な事は何か。成功もしたい、夢も叶えたい、お金も欲しい。人を助ける事のできる力も身につけたい...。しかし、今日子供と一緒に体感した「喜び」と「幸せ」この「喜び」と「幸せ」があるのなら、他には何もいらないような気がしたのである。
Sep 28, 2005
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あなたは自分自身に「誇れるもの」がありますか?あなたが「誇らしい」と思うときはどのような時ですか?例えば、企業に勤務する人間であるならば、自分の会社をほめられたりそこで働いている事を誉められたりした時に「誇らしく」感じることがあるだろう。「誇らしい」と思う心をじっと自分自身で見つめてみると、そこに「今を生きる力」を見つける事ができる。自分自身の生き方の力と根っこがそこから生まれる。若い人達の自殺が多いと聞くが、この「誇らしいもの」が自分自身の中に見つける事ができないというが理由にあると思う。今の日本人に足りないものは、この「誇り」だと僕は思う。自分の中に「誇り」をつくる為には努力が要る。ボーッと生きていても、何も見る事はできない。自分自身を大切にできない人間は、他人を大切になどできない。今現在の中に喜びと感謝を見出す事ができない人間は、いつまでたっても幸せにめぐり合う事などできない。幸せというものは人に与えてもらうものではないからである。ここに一枚の写真がある。この写真はいつの写真で、どこで撮られたものか。これは、終戦直後の長崎。そう、原爆が投下された直後の長崎での写真である。写真を撮影したのは、「ジョー・オダネル」というアメリカの従軍カメラマンである。ジョーオダネルは19歳の時にアメリカ海軍に従軍し、太平洋戦争(大東亜戦争)に参戦する。当時パールハーバー攻撃を知り、敵国日本に敵愾心を燃やしていた青年ジョーオダネルは、日本の敗戦アメリカの勝利を太平洋の洋上で聞く。 「ざまあみろ!ジャップめ!」「ようやくこれでアメリカに帰ることができる」そう思っていた矢先、彼は、敗戦直後の日本の調査を行う事を命ぜられる。その後、彼ら一行は、敗戦後の日本へ上陸してくるのであるが、そこで彼らが見たものは、自分たちが想像していたような日本人たちではなかった。自分たちアメリカの攻撃によって徹底的に痛めつけられ、家族・親類縁者・友人・知人を失ってもなお、彼ら「日本人」は、アメリカ人の自分達に対して温かく、親切に接してくれるのであった。その体験が、彼(ジョーオダネル)を変えていく。そして、そのような時に出会ったのが、写真の少年である。 この少年の背中に背負われた小さな弟。彼はすでに死んでいる。少年の足元に「線」のようなものが見えるが、その「線」の前に何があるのか?そこでは今まさに、原爆や爆弾によって殺された人々の死体が焼かれていた。つまり「死体」を焼く『焼き場』の前にこの少年は立っているのである。この写真は、戦争ですべてを失い、両親も失い、そして最後の最後に自分自身がたった一人で守ってきた弟も死んだ、その弟をたった一人で焼き場に「埋葬」に来た少年の写真なのである。この少年に出会った時の事を、ジョーオダネルは次のように書いている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆焼き場に十歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。その子はまるで眠っているようで見たところ体のどこにも火傷の跡は見当たらない。 少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。まもなく、脂の焼ける音がジュウと私の耳にも届く。炎は勢いよく燃え上がり、立ちつくす少年の顔を赤く染めた。気落ちしたかのように背が丸くなった少年はまたすぐに背筋を伸ばす。私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じつと前を見続けた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。軍人も顔負けの見事な直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。 私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った。一度もうしろを振り向かないまま。係員によると、少年の弟は夜の間に死んでしまったのだという。その日の夕方、家にもどってズボンをぬぐと、まるで妖気が立ち登るように、死臭があたりにただよった。今日一日見た人々のことを思うと胸が痛んだ。あの少年はどこへ行き、どうして生きていくのだろうか。この少年が死んでしまった弟をつれて焼き場にやってきたとき、私は初めて軍隊の影響がこんな幼い子供にまで及んでいることを知った。アメリカの少年はとてもこんなことはできないだろう。直立不動の姿勢で、何の感情も見せず、涙も流さなかった。そばに行ってなぐさめてやりたいと思ったが、それもできなかった。もし私がそうすれば、彼の苦痛と悲しみを必死でこらえている力をくずしてしまうだろう。私はなす術もなく、立ちつくしていた。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆僕が感じた事、言いたい事は何か。この写真は、ある「平和を訴える施設」に掲示されているという。「戦争というもので犠牲となるのは、常に弱者である。この少年も犠牲者の一人である」僕は戦争を賛美するつもりは全くない。しかし、この少年の写真から学ぶべき事は何か。たった一人となっても、自分の弟を丁重に埋葬しに、敵の中にやって来た「勇気」「強さ」、そしてたった一人となっても、生きていこうとする事のできる「生きる力強さ」その事ではないかと思うのである。今の日本人には「日本」という国に対しての誇りが全くないという。しかし、考えてみればそれは当たり前のことで、「教えてもらっていないこと」には「思いを感じる事」もできないし、誇りを持つ事もできない。その心をはぐくんで来たことのない人間は、その心が育っていない。ただそれだけの事である。要は、「学んでいない事がある」「教えてもらえなかった事がある」ということである。人間は「誇り」なくして生きる事はできない。誇れるものが心の中にあるからこそ、人は力強く生きていけるのである。自分の父親がこんな生き方をしたのだ、自分の母親はこんな母親であったのだ、自分の会社にはこんなに素晴らしい先輩がいたのだという事を知ったとき、人が誇りを持つ事ができるのと同じように、日本の先人達の中にも、世界に誇れる素晴らしい「日本人」がたくさんいたのである。この写真の少年も、生きていれば70歳以上である。まだ御存命かどうかはわからないが、この方は、写真に撮られたということさえ知らないであろう。しかし、その一枚の写真に残った「生き様」が、人の人生を変えるほどの力があるという事を教えてもらったような気がしたのである。
Sep 24, 2005
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先日、以前にも話しましたが、素晴らしい校長先生に御会いしたので、その後紹介をさせていただきます。この話は、生徒の心がすさみ、教室のガラスが頻繁に割られていたという、ある中学校での出来事です。■前に進まないA子ちゃん■ある夏、学校で競泳大会が行われ、クラスから四人の選手を出すことになりました。A子ちゃんのクラスでも話し合いがもたれ、三人の選手はすぐに決まったのですが、もう一人が決まりません。だれかいないか、という声に、番長ともいえる生徒が、「A子がいい!」と言いました。瞬間、クラスの皆が笑いました。クラスのみんながどっと笑ったのは、A子ちゃんが体に障害を持っていたからです。けれども、指名した生徒がこわかったせいか、反対の声は上がりません。いよいよ競泳大会の日がきました。ピストルの音を合図に、スタート台から選手たちが次々と二十五メートルプールに飛び込んでいきます。プールサイドでは全校の生徒が選手たちに声援を送っています。順番が進み、A子ちゃんの番がきました。スタート台に上がったA子ちゃんの顔は明るく輝いていました。「ドン!」ピストルが鳴ると、選手たちはいっせいに飛び込みました。水しぶきが横一列になって進んでいきます。けれども、水しぶきを人一倍あげて泳ぐA子ちゃんは、なかなか前に進みません。その姿が滑稽に映るのか、プールサイドの生徒たちは声を上げてはやし立てます。A子ちゃんはそしらぬ顔で一生懸命に泳いでいます。■全校生徒のエールの中で■その時、一人の「おじさん」がプールサイドにやってきました。ひとりA子ちゃんが必死で泳いでいるのを見ると、その「おじさん」は生徒をかき分けてプールサイドに立つと、何も言わずに服のままで、ドボーンと飛び込みました。バチャバチャやっているA子ちゃんに近づき、A子ちゃんといっしょに泳ぎながら、おじさんは言いました。「腹立つねえ!でも!自分で泳げよ!」A子ちゃんが沈んでしまわないようにエスコートしながら、しかし、手を出して助けることはしないで、おじさんはいっしょに泳ぎます。『腹立つねえ、でも、自分で泳げよ』と言いながら。必死で泳ぐA子ちゃん、服のまま寄り添って泳ぐおじさん。その光景にまわりで騒いでいた生徒たちはいつしかシーンとなり、ついで新たな声が上がり始めました。「がんばれ、A子!」「がんばれ、A子!」やがて、その声は大合唱になりました。全校生徒のエールの中、長い時間をかけてA子ちゃんは二十五メートルを泳ぎ切りました。プールサイドに上がったA子ちゃんは、おじさんにしがみついて泣きました。まわりの生徒たちも、だれかれとなく抱き合って、喜び合いました。その「おじさん」は校長先生でした。そして、このことがあって以来、生徒たちの心は徐々に落ちついてきて、一年もたたないうちに、教室のガラスが割られるようなことはなくなったということです。障害のあるA子ちゃんがなぜ競泳大会に出ることができたのかを考えたとき、その背後にはご両親の深い愛情があったに違いないと思いました。おそらく選手に選ばれたA子ちゃんは、家に帰り、「お父さん、お母さん、わたしね、選手に選ばれたの」と言ったことでしょう。そのとき、僕が親だったら、「なんであんたが泳がないかんの?やめとけ!学校に言うてやる」ときっと言うだろうと思うのです。ですが、A子ちゃんのご両親は、「よかったな、おまえが選手か。大したものじゃないか。偉いなあ」と、障害があるということをどこにも感じさせなかったのでしょう。でなければ、A子ちゃんはあんなに明るく飛び込めなかったのではないでしょうか。このA子ちゃんのお父さんとお母さんの深い愛と立派さを思うと、胸がつまる思いです。この校長先生も素晴らしい教育者だと思います。世間体を気にするような校長であれば、『親や世間から何を言われるかわからん!障害を持つ子を選手に誰が指名した!担任はだれか!早く助けてやれ』などと言っておしまいでしょう。しかしこの校長先生は、まわりではやし立てる生徒を叱ることもなく、無言でプールに飛び込みました。校長先生は、だれも責めなかったのです。人を責めてよい方向にいくことはありません「腹立つねえ、でも自分で泳げよ...」この言葉はほんとうにすごいと思います。A子ちゃんの心をまるごと受け止めています。そして、障害は病気でもなんでもない、一つの個性だ、その個性を人からとやかく言われ、腹が立つことがあっても、どんなに時間がかかっても、自分の人生は自分で泳ぎ切るしかない。自分の力でしっかり生きなさい。そう言っているのです。校長先生は「いつでも助ける用意」をしながら。競泳に出たA子ちやんは、両親の愛と校長先生の愛の言葉でフールを泳ぎ切りました。その姿は学校全体をも変えました。愛こそが人間を支える力であるように思います。人は人を助けることはできない、支えることもほんとうはできないのかもしれません。けれども、私たちが愛をもって人に接するとき、私たち自身の力ではなく、愛というものが持つ強い力で、人はみずから支え、みすから成長するように導かれるのではないでしようか?家族を、そして縁ある方々を、大事にしたいですね。「あなたを愛しているからですよ」ただそれだけの心で。
Sep 19, 2005
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今日ご紹介するのは、「笑顔の種蒔き」をライフワークとしている福田純子さんの体験です。福田さんは福岡市で文化団体「笑顔共和国」を創設、その大統領として、講演活動やセミナーを全国で展開しています。ある日、講演を終えた福田さんは、豊橋から博多に戻る新幹線に乗りました。車内に入ると、ハッとするほど美しく輝いた女性が目に留まりました。すてきな人だな、と思いながら、自分の座る指定席を探していると、なんとその女性の隣でした。席に座ってしばらくは黙っていましたが、車内販売にコーヒーを頼むときに偶然口をきき、それをきっかけに親しくなりました。笑顔の美しいその人は、千葉に住む浅倉志津子さん。ご主人が広島に単身赴任しているとのことです。笑顔に関心の探い福田さんは、「どうしてそんなに笑顔が美しいのですか」と尋ねてみました。浅倉さんは、にっこりほほ笑んで言いました。「ありがとうございます。うれしいです。もし私の笑顔がそうならば、それは母のおかげだと思います」浅倉さんのお母さんには、二つの習慣があったそうです。一つは、朝起きるといちばんに、大きな鏡に向かって、「今日も一日笑顔でがんばりましょうね」と誓うこと。もう一つは、日に何十回となく「私はしあわせ」と言葉に出して言うことです。よい言葉を繰り返す浅倉さんのお母さんの晩年は、孫もたくさんできて、自分の息子や娘の家に順番に移り住む暮らし振りぶりだったそうです。いつも笑顔を絶やさず、「私はしあわせ」と言って明るく振る舞うので、子どもたちの間でもひっぱりだこでした。次の家に移るときは、子どものほうから電話が入り、「そろそろ、こちらに釆ませんか」とお呼びがかかり、「ハイハイ」と言って移っていったそうです。八十歳になったとき、お母さんは病で二日ほど入院しました。その間にも、多くの人たちが次から次へと見舞いに訪れます。たくさんの人に見守られる中、お母さんは、「ワタシハシアワセ」とひとこと言って、そのまま安らかに天国に旅立ったそうです。そのときの顔は観音様のようだったといいます。「あのおばあちゃんのような生き方がしたい。あのおばあちゃんのような顔で死にたい。それが私ども親戚一同の願いなのです」と浅倉さん。福田さんは感動し、この話を全国に伝えて歩くようになったといいます。「私はしあわせ」なんと簡単な言葉でしょう。けれども、言葉には大きなエネルギーがあります。暗い言葉、嘆きの言葉、人を責める言葉を繰り返すのではなく、自分を幸福にし、周囲の人を豊かにする、簡単で楽しいプラスの言葉を繰り返し唱えたいものですね。(^^)v
Sep 16, 2005
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■未来を信じた生き方に学ぶ■台湾の少年「周大観」くんは、小児がんのため九歳でこの世を去りました。その間に詩作四十二編を残しました。それらの詩には、病という苦難と真正面から向き合って生きつづけた大観くんの気力がにじみ出ています。「九歳の誕生日」では、自分の成長を夢見て、次のようにつづっています。これまで、ぼくは誰とも争わなかった争うことなど何もなかったからだけど今、僕は癌の悪魔と闘っているさらに、大観くんは手術で右足を失います。そのとき詠んだ詩が「ぼくには まだ一本の足がある」でした。ベートーベンは両耳が聞こえなかった鄭龍水(ていりゅうすい)は両目を失明しただけども、ぼくにはまだ一本の足がある地球の上に立ちたいからヘレン・ケラーは両目を失明した鄭豊喜(ていほうき)は両足が不自由だっただけど、ぼくにはまだ一本の足がある美しい世界を歩きまわりたいから(*鄭龍水も鄭豊喜も、重度の障害を克服した台湾の人)この詩からは、失ったことへの不満ではなく、与えられた可能性や未来を信じて生きようとする気持ちが伝わってきます。大観くんはみずから申し出て、治療チームの会議にも参加しました。会議では再手術を断念するという結論が出されました。それは大観くんにとって死の宣告を受けたに等しいものでした。そのとき彼は言いました。「先生、看護婦さん、これまでぼくのお世話をしてくれてありがとう。みなさん、一生懸命にやっていただきました。だから、ぼく、みなさんにお礼が言いたいんだ」と。 そして両親やきょうだいに向かって、「ぼくが死んだら、ぼくが、がんばってがんと闘ったことを、ほかのがんにかかった子どもやその両親に伝え、彼らが勇気と強い意志をもってがんに立ち向かってくれるよう伝えてください」と書き残しています。自分の境遇を、うらむのではなく、むしろ素直に状況を受け入れています。それどころか、親や周囲に対して感謝の気持ちを表している大観くんの姿から、私たちは大切な心のあり方を学ぶことができます。(『ぼくには まだ一本の足がある』 宋芳綺著・千島英一編訳/麗澤大学出版会刊より)僕たちが日常の生活の中で「あたりまえ」と思って気にも留めていないこと。それをありがたいと感謝しているのは、それを失った人達だけなんですよね。当たり前に目が見えること、当たり前に人と話ができること、当たり前に歩けること。感謝の気持ちを忘れたくないものです。
Sep 16, 2005
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ある「詩」と出会った。今までの人生の中で一番というほど感動して、思わず立ち尽くした。ご紹介します。「祈りと謙」◆◆◆◆◆◆大きな事を成し遂げる為に力を与えて欲しいと神に求めたのに謙虚を学ぶようにと弱さを授かった偉大な事ができるように健康を求めたのによりよき事をするようにと病気を賜った幸せになろうとして富を求めたのに賢明であるようにと貧困を授かった世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに得意にならないようにと失敗を授かった求めたものは一つとして与えられなかったが願いはすべて聞き届けられた神の意に添わぬ者であるにもかかわらず心の中の言い表せない祈りはすべて叶えられた私は最も豊かに祝福されたのだ
Sep 15, 2005
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大学生のL君がこの夏休みに、名の知られた中華料理店で皿洗いのアルバイトをしました。次から次へと運び込まれてくる油で汚れた大量の食器を洗う仕事です。その単調な仕事にL君は、ほんの二、三日でもういやになってしまい、「こんなバイトなんてするんじゃなかった。もっとやりがいのある仕事に変わろう」と思いました。そんなL君の気持ちを見抜いたかのように店長が声をかけました。「君は皿洗いなんてばからしい仕事だと思っているのと違うか。でも、それは違う。君がぴかぴかに洗ってくれた食器に盛りつけるからこそ、料理人が心をこめて仕上げた料理がいっそう映えるのだ。お客さまもよろこんでくれる。君の仕事は、うちの店にとって大事な仕事なんだ」 L君はこの言葉に、頭をがつんとなぐられたような衝撃を受けました。そして、自分の仕事に対する取り組みの姿勢を恥じたそうです。世に「雑用」と言われたり思われたりしている仕事が多々あります。でも実際には、そんな仕事などないのです。携わる人がその仕事を雑に思い、それが行為に反映されると、雑用になるのです。自分が与えられた仕事を「雑用」と思うか、心を込めて「仕事」をすることができるか。その事こそが大切なことなのですね。自分の好む仕事であろうが、気のすすまない仕事であろうが、今目の前に与えられた「自分の仕事」をしっかりとこなし「役に立った」ときにこそ、結果として信頼や信用が後からついてくる、そう思うのです。
Sep 14, 2005
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全国組織の「トイレ掃除に学ぶ会」というのがある。僕も福岡のこの組織、というよりも、会社ぐるみでこれに取り組んでいる。鍵山先生曰く、「トイレ掃除ではない、『トイレ磨き』である」との事。トイレ掃除というのは非常に面白い。本当に多くのことを教えてくれる。ほとんどの人が、鍵山先生の話を聞いて「俺もやるぞ!」と「トイレ掃除」をはじめる。しかし、これまた「ほとんどの人」がすぐにやめる結果となる。面白いのは、だいたい同じ道を皆たどるのが面白い。(動機)鍵山先生などの話や、「トイレ掃除をやっている人」を見て、 「よし!俺も明日からトイレ掃除をやるぞ!」と思う。(実践)まずはとにかく始まる。(変化)※周りから 「どうしたんですか!いきなりトイレ掃除なんかし始めて!」 「またまた~!どういう心境の変化~?」◆このように周りや家族にからかわれたりして、3割ぐらいの人がやめる。(最初の人数を10人として「残り7人」)(数週間後)「おいおい!俺がトイレ掃除しているのに、誰も手伝おうともしないというのは何だよ!」「まったく、こういうことに誰も気がつかないからな~!」「毎日掃除しているんだから、少しはきれいにしようと心がけろよ!」「レベルの低いやつばかりだ!」◆このように「いい心がけ」ではじめたのに、人を責め始める。 そして、嫌気がさして3~4人がやめる。(残り3人)(約一年後)「よし!俺はもうこの掃除を通して『悟った』!だからもう続ける必要はない」◆そうして2~3人がやめる。大切なことは「無意識にやれるようになるまで続ける事」だと思う。つまり意識しないでもやれるようになれば、それはその人の人間性である。「あたり前のことを、人が見ていないところでも、あたりまえにすることができる」鍵山先生が掃除を通して得た一番のことはそれであり、「トイレ掃除の会」や「トイレ掃除」を始めて僕らが学ぶべきことはそのことである。という僕自身、自分が失敗したからそう思うんですが。(-_-;)「心を磨く、トイレ磨き16か条」1.便器は素直である。いつも私の心を写している。2.磨けば磨くほどトイレは美しくなり、 心も美しくなっていくようだ。3.トイレットペーパーを三角に折ることは、 次なる人への心遣いである。4.磨くことは自分の為であって、誰の為でもない。5.トイレ磨きは心を磨く。6.トイレ掃除と磨きの違いは、心で磨くかによって決まる。7.トイレ磨きを一度だって嫌だと思ったことはない。 それは私の日々の活力だから。8.常に私を励ましてくれたのが便器であり、トイレ磨きだった。9.磨けば磨くほど、心の罪が少しずつ消えていくようだ。10.跪(ひざまず)くことは、心の足元を見つめることだ。 トイレ磨きは、自分を見つめさせてくれる。11.トイレ磨きができるようになると、人間としても一回り大きくなる。 それは今までに体験したことのない世界であるからだ。12.トイレは誰にとっても大切なものでありながら、 いざ掃除となるとあまり好まれないことがある。 人間の勝手な気持ちの現れである。13.心に迷いがあった時、 トイレを磨けば必ず解決の糸口が見えてくる。14.トイレを磨くことができれば、どんな下座(げざ)の仕事でも すんなりと手を差し伸べることができる。15.トイレ磨きは私を育ててくれた師である。16.トイレはいつも私にささやきかけてくる。 「ありがとう」という言葉が伝わる。 「凡事徹底」の著者 鍵山秀三郎氏 語録より「俺はよい事をした」「俺はよい事をしている」そう思った時に、その「よい事」は色あせてしまう...。よい事をしてなお「自分を振り返ること」ができるか。これが自分自身を成長させる「カギ」ではないでしょうか。
Sep 13, 2005
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上司や目上の人が訪問してきたとき、部屋のなかは暑くないか、飲み物は冷えているか、食事は何がいいかなどいろいろと気をつかうものです。相手に気分よくすごしてもらえるよう気配りすることは、人をもてなすうえで、とてもたいせつなことですね。けれども相手がどう思っているか気にしながら、過剰にエネルギーをつかうのも考えものです。それに気をつかわれる側も負担に思ってしまいます。カウンセラーの江原啓之さんは「気をつかう」と「気をきかせる」は違うと説明していました。気をつかうというのは、自分がよく思われたいという自分中心の行為であり、気をきかせるとは、相手が何を望んでいるかを感じとり、それに応えようと努力する相手中心の行為である。必要のないサービスをあれこれ受けるより、して欲しいことを的確にしてくれるほうがうれしいものです。ちょっとした気のきいた行為に、人は心を動かされるものです。反対に親切な行為でも押しっけがましければ、不快に感じてしまいます。相手の気持ちを敏感にキャッチして、心から満足してもらえるよう、気をきかせる努力をしたいものですね~。
Sep 12, 2005
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今日の朝出勤していて、「妙な渋滞」に出会った。50m先ぐらいの「ある場所」に来た車が、左へ右へと「何かを避けるように」動いているのである。その為、後続の車が渋滞しているのである。「何しているんだろう」と少しイライラしながら、自分の車が「その場所」に来たとき、渋滞の理由が分かった。2、3台前の車が車を右へ左へとよけている「もの」は、「小さな小さな子猫」だったのである。手のひらにも乗るほどの小さな子猫だった。小さな子猫は、怪我をしているのか、恐怖で動けないのかは分からないが、アスファルトを這うようにして、もぞもぞと動いている。近づいてきた車はどの車も子猫と分かると、ハッとして車を右へ左へ旋回させていたのだ。「あっ!危ない!」スピードを出して近づいてきた車が、子猫の上を通り過ぎた。前にまだ2台ほど車がいたのだが、見かねて降りて子猫を道路わきによけてやろうと思って、ドアノブに手をかけた時・・・。すぐ前の車から、降りてきた人が子猫を抱えて道路わきへそっと置き、車に戻ってくると、後続の車に「ペコリ」と頭を下げて、車に乗り込んだ。思わず、こちらも「ありがとうございます」とペコリと頭を下げた。良いことをするには勇気がいる。心の中で思っても「何もしない」のでは、思わなかったのと一緒である。何十台という車が『その場所』を通り過ぎたが、どの人も「危ない!」「子猫は大丈夫か」と思っただろう。しかし、実際に子猫を助けたのは、「私の前の車の人」ただ一人である。自分がしなくても、誰かがしてくれるだろう、とみな思いがちである。「子猫を助けたいと思うこと」と「子猫を助けた」という事は、全く違うことなのだ。がけの上から「お~い大丈夫か!」と叫ぶ人と、がけの下まで降りて行き、「大丈夫か」と声をかけることとは、生き方の胆が違う。小さな善行を、人が見ていないところでも実行できる「普通の勇気」を自分自身も持ち続けたいものだと、車を走らせていた。
Sep 12, 2005
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唐突ですが、今日ラジオに出演しました。ラジオ放送局は、福岡のFM放送局の「FM-MIMI」「ラジオに出演の話が来ているけれど」御世話になっている方が電話をされてきた。「私がお役に立てるのであれば」ということで出演する事にした。前日に打ち合わせがあった。てっきり私は「15分ぐらいの『脇役』もしくは、『通行人』程度の出演だろう」と思っていたのだが、何と!2時間半!それも「窪山さん、どうぞその辺は言いたい事を言っていただいて結構ですから」と、かなり「自由時間」があるようであったのには驚いた!「こんな事公共の電波で話していいんですか」と聞くと、「大丈夫ですよ、あとの事は私達が責任取りますから」と先方の方は言う。(^_^;)今の技術は本当に進んでいて、「ラジオが見れる」のにも驚いた!インターネットの局のサイトにアクセスすると、現在スタジオで収録中の番組が「見れる」のである。これは面白い!身内が公共の電波で話す事を見るのも面白いが、「生放送」である。少々過激な事も言ってやろうと画策していたので、知り合いに電話とメールで知らせた。当日、スタジオに行ってみると、「ここですか?」というような、何と言おうか、その辺の「喫茶店の従業員さんの休憩室」みたいな感じのところで、収録というのである! 最初は緊張していたが、30分もすると慣れてしまい、結局最後はベラベラと公共の電波ということも忘れて、喋ってしまっていた。(^_^;)出演者をリラックスさせる為か、経費削減のためかはわからないけど...。まるで自分の部屋のようなスタジオ。あれが今風なんでしょうかね。初のラジオ出演の話しでした。お粗末でした!(^^)v
Sep 11, 2005
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昨日、楽天日記でも有名な「よびりん」先生こと、市川義彦先生の講演会を開催した。「大分のオグ」さんとも久しぶりにお会いして、懇親を深めた。いつもながら「よびりん」先生の講演は「激しく」「可笑しく」「勉強になる」とにかく、真剣に聞き入り、そして「笑った」。2年間無給で働き、その苦労も笑い飛ばす「よびりん」先生の人間的魅力から来る「経営哲学」は、私も目指すところである。その「よびりん先生」の講義と、著書「小さな会社生き残りのルール」から今日はご紹介します。(おススメ度★★★★★)「よびりん」先生の「小さな会社シリーズ」は、仕事に、人生に役に立ちます。経営者となりたい人は、是非とも読んでおきたい一冊ですね。特に大企業でなく、中小企業、そして学歴も大したことの無い人間が、経営者としてまさにタイトルどおり「生き残っていく」為にはどうしたらよいか。その経営者としての考え方が身につく本です。愛の経営と半分の法則◎「これからは『守る経営者』の時代が来ます。『守る経営』とは見栄や体裁や売上、営業所や従業員の数などを、他社と競い合わない経営をすることです。ようは、継続的に利益を上げ続ける『体質』を作ることです」◎「吹けば飛ぶような会社の社長は、とにかく長時間労働をするしか強者には勝てない」◎「儲からないのは社長の責任だ」従業員と一緒になって十分に検討すれば、必ず成功に結びつくのである。儲けている人の周りには儲けのヒントがある。◎「半分の法則」で財務体質を強化せよ!収入を今の半分であると考えて、半分の収入で生活できる支出を考える。◎社長にも社員にも「走るタイプ」「守るタイプ」「創るタイプ」がある。 「走るタイプ」は、売上至上主義の「イケイケドンドン」、織田信長タイプ。「創るタイプ」は、技術畑、職人畑の社員が花形。オンリーワンの商品作りが至上命令。「守るタイプ」は、帳簿管理が至上命令。数字に明るく、金の管理に厳しく、無駄な金は使わない。これからは「守るタイプ」の会社で無くてはならないが、「守る会社」の弱点は、営業力と企画力です。守るタイプの会社の営業マンは、絶対に走るタイプでなくてはならないのです。また、企画力技術力の強化をするには、「創るタイプ」の社員が絶対に必要なのです。あえて自分の反対ばかりを言う「変人」を入社させる。「最高の商売とは互いに得をすることである」「目標は売上の多寡ではなく、利益の優先である」「安易に異業種に参入するな!儲かる仕事はとっくに他社がやっている!」「現金をモノに変えるな!公私共に必要最低限の経費で経営しろ!」「不況のときでも元気な会社は、例外なく経営者が働き者です」「商いは『笑い』から。『笑う門』には福来る」とにかく笑う練習をしましょう!どんなに苦しいときでも、明るい会社には必ず光が差してきます。ですから苦しいときにこそ笑うのです。新庄になるのだ!彼は二軍に落ちても笑顔を忘れず回りを楽しませようとしていた!だから周りが彼を守り立ててくれる。これが生き残ると言うことなのだ!「お金には3種類あるのです。最上位のお金を『キン』と言います。これは、正しい仕事をして得たお金の事です。中位のお金を『カネ』と呼びます。これは不労所得のことです。土地を転がしたり、株や先物投資、宝くじ、ギャンブルでもうけたお金です。最下位のお金を『銭(ゼニ)』と言うのです。これは人を泣かせても、苦しめても自分さえ良ければよいと言う腐ったお金のことです。」人は額に汗した『キン』で生きるのだ。「中真面目な生き方が大事」!「クソ真面目」「不真面目」では成功しない。特に「半分の法則」は本当にいろいろな意味で教訓になります。「どんな成功者の話であっても『半分だけ』聞くのです!全部クソまじめに聞いて、クソまじめにやろうとするから失敗するのです」黒板いっぱいに「あっほ~~~~~~~~」と書く講師の先生は、日本中探しても「よびりん」先生だけだろうと思う。
Sep 10, 2005
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日記に遊びに来られている、親愛なる「すずさん」(^^)より、「シリーズで書いて下さい」と書き込んでいただいているのを見て、「そうだな、僕自身の勉強になるなぁ」と思い、社長の事をもう少し書いてみる事にしました。(^^)v社長との御付き合いの中でメモした大量の記録もあるし、それを整理するいい機会だなあと思い、書く事がなくなるまで書いてみようと思いました。それがいずれ自分が経営者となったときの、指針と戒めになるかもしれないとも思うのです。自らを助くるものと滅するもの◆◆◆◆◆今回は、杉社長が助けたある企業の話です。この話は今でも伝説となっていますが、その会社は現在その地域で「ダントツの勝ち組企業」となりました。しかし、当時は全く「売れない店」で、自衛隊出身の社長は「このままでは潰れてしまう」と藁をもすがる思いだったのです。当時、強力な競合店が近くにいたS社長は、毎日悩み、このままでは自分の店がつぶれてしまうと考えていました。ある時、福岡の方に杉社長という人がいて、経営が難しくなった店を次々に甦らせている、という話を聞いて、S社長は杉社長と会う事にしました。話を聞いた杉社長は、S社長の店に行き、従業員さんたちと話し、競合店を見て言った。「社長、まず皆さんの給料を上げてやって下さい」S社長は驚いた。今の給料も悪いとは思わない。というより他と同じである。ことさらに自分の店だけが低い賃金と言うわけではない。ましてや、自分の店は売れない店で経営が苦しい。下げると言うのならわかるが、上げるというのはどういうことか。しかし、いったん杉社長に任せてお願いしようと決心した以上、やってみよう。S社長は、そのようにする事を決心した。「S社長、『給料を上げてやる』のではないですよ。『上げさせて頂く』という気持ちでやるのです。本気で従業員さんに感謝してみてください。この店には本当に素晴らしい従業員さんがたくさんいらっしゃいます。その一人一人に社長自ら語り、『これぐらいしかしてあげられなくてごめんね』という気持ちで『上げさせていただく』のです。すべての従業員さんの『親』になってあげる事です。」S社長は杉社長の言葉に感心し、共感した。実際S社長の店が甦ったのは、このS社長が杉社長の「言われるとおり」素直に実践したのがよかったのだ、という。頭がいい人は「そりゃおかしかろう」などと成功者のアドバイスを切り返し、結局自分流でやってしまい失敗してしまう。S社長はその後、一人一人の従業員たちと話し、給料を「上げさせて頂いた」。その後どのようになったか。会社が苦しいのは皆知っている。しかし社長はそれでも自分達の給料を上げてくれようとしている。これでこの心に応えない従業員はいなかった。皆が燃えた。時間を惜しみ働き、喜びの和はお客様へと伝わり、感謝の心は感謝の行動、思いやりの行動としてお客様を感動させた。見る見るうちに店の売上が二倍、三倍と増えた。「幸せのスパイラル現象」とでも言おうか、まさに「喜びが喜び集めて喜びに来る」というような現象がおきた。お客様がお客様を連れてきた。そんな時、ある事件が起こった。競合店の店長をしていた男性が、責任取らされ会社を辞めさせられてしまい、彼はノイローゼとなり、自宅に引きこもってしまっているという事を杉社長は知ったのである。杉社長は、すぐにS社長を呼んでいった。「Sさん、確かに競合店があったから、あなたの会社は潰れるかもしれないという事になった。しかし、競合店があったからこそ、これだけの成長をさせてもらったんですよ。その店の責任者であった男性が、ノイローゼで自宅に引き込んでいるらしい。その家に伺って、御両親にお詫びし、彼を雇ってあげなさい」S社長はその考え方に驚いたが、共感もした。S社長は「彼」の自宅に行き、御両親にお詫びをし、彼を目の前にして言った。「良かったらうちで働いてくれませんか。給料は今までの2倍出させて頂きます。」「彼」は玄関先で大泣きしたという。その後、この店がどうなったかは、想像に難くないと思います。経営者と、従業員が本当に一致団結した店が、「負けるわけ」がない。そうして、競合店はその後潰れてしまい。S社長の店は九州でも坪売上ナンバーワンの店となったのでした。
Sep 9, 2005
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この日記に訪問してくださった方々が、非常に共感していただいたのと、昨日社長に御会いして、また色々感銘させられたことがあり、もう少し「杉社長」という方の事を書きたくなりました。それにここに記録としても残るので、ひとつ書いておくのもいいかなぁ、と思った次第です。(水不足と朝市)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆昭和53年の事。福岡市を深刻な水不足が襲った。来る日も来る日も雨が降らず、水の節水はもちろんの事、何日かは水道から水が出なくなった。当時、全く売れなかった、お客様が来なかった状態から、社長が変わり、従業員さん達が変わり、心から皆が一致団結して事にあたり始めた頃から、少しずつお客様が増え始めてはいたが、それでも売上は現在の十分の一ぐらいである。ある日、営業会議が開かれた。テナントさん達も全員集まっての会議の中で、杉社長は尋ねた。「お客様が喜ぶ事は何だろう?」 すると、あるテナントの店長がこのように言った。「そりゃ、社長!水ですよ!水! みんな今一番欲しいのは、水ですよ」店長は、冗談に皮肉を交えて言ったらしい...。「水...?」次の日、店に出てみると、店頭に行列ができている。「おっ!何か話題になるような売出しでもしたかな?」杉社長は、そのように思い、近くにいた従業員に尋ねた。「何かやっているのかい?」従業員は答えた。「社長、あれは水をもらいに来た行列ですよ。うちは冷蔵庫を冷やすのに井戸水を使っているでしょう?その井戸水をもらいにお客様が来られているんですよ。商品も買ってくれたらいいんですけどねぇ」その時、社長は身体に衝撃が走ったと言う。「今こそお客様に恩返しするときではないか!」すぐに店長以下テナントさんや従業員を集めて緊急会議を行った。「店内の冷蔵庫をすべて停止して、 すべての水をお客様に配給する!」店長以下、驚いて目が飛び出した!「社長!そんな事をしたら、肉や魚は腐ってしまいますよ!それに冷蔵庫の中の商品も全部ダメになるじゃないですか!どうするんですか!」社長は言った。「どうせ売れないんだ!午前中のうちに全部売って、午後から店を閉めろ!それよりも大切なのは、今いつも店を利用してくれているお客様が『水』で困っているんだ!ここで助けないでどうする!」社長の情熱が、次第に皆をプラス思考に変えた。 「よーし!やろうやないか!」「午前中に売ってしまえ!」「お客さんが水を汲みやすいように、蛇口を増やせ」翌日から、店の前に『行列』ができた。もちろん水をもらいに来たお客様である。そうして「朝市」が始まった。 「お客さん!いつでも水ばもらいに来なっせ!」「お客さん!安いよ!買っといて」「午後から来ても、商品ないよ(笑)」数ヵ月後...。店はお客様であふれかえっていた。「社長!この前は本当にありがとうね!」「あたしゃ、他の店が安くてもここでしか買い物せんバイ」「主人がですね『他で買い物したら承知せんぞ!』って言うんですよ。もちろん私も他では買い物しませんけどね」当時競合店がひしめく小さな地域で、誰もが潰れると思っていた。ある業界紙などは、実名で「次に潰れるスーパー」と書いていた。その企業に奇跡が起こった。しかし、その奇跡というのは、一人の経営者が、本当に心の底から「地域の人々」を思い、そしてその思いを感じた従業員が一致団結して為しえた、奇跡だったのである。
Sep 8, 2005
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前回の日記で、うちの社長の事を書いたが、ちょっと思うところあったので、今日も少し社長のことに触れてみたい。僕が現在の会社に入社したのは、平成9年の10月6日。何故こんなに正確に覚えているかというと、その日が30歳の誕生日だったからである。現在の会社は複数の店舗を経営する「食品スーパーマーケット」その前は、学習塾の講師をしていた。何故全く畑違いの仕事に就いたのかは今回省略するとして、ちょっと社長の話をしたい。何故ならば、何故社長が「神様に応援される人」なのか、ということが理解していただけると思うからです。福岡市内のある食品ストアが倒産した。その中にはテナントとして数件の店舗が入っており、経営者たちは途方に暮れた。当時乾物屋を経営していた杉社長は、皆の代表として「協同組合」を作り、ショッピングセンターを立ち上げた。しかし、その当時大手スーパーが道を挟んですぐ隣にあった為、全く売れなかった。必死で様々な手を打つが「全く売れない」。更に追い討ちをかけるように、500m先にまた大きな生鮮スーパーができるという話が持ち上がった。皆、これで終わったと感じていた。社長の髪の毛が3日で真っ白になったのも、この頃である。社長がいまだに恩師と呼ばれる、片山先生(財団法人モラロジー研究所)という方が指導に来られた。道を挟んですぐ隣の非常に繁盛している競合店を見ながら、片山先生は杉社長にこう言った。 「杉さん、あんたのスーパーは『いらないスーパー』だよ。隣の店を見てごらん、あんなにお客様が入っている。地域のお客様が必要としているスーパーがあるのに、何でこんなとこに店をつくったかね」そう言われて杉社長はむっとするが、売れないのはあたっているし、つくってしまったものはしょうがない。藁にもすがる思いで、杉社長は片山先生に尋ねる。「先生、じゃあ、うちの店は潰れるしかないんですか? 生き残る道はないのですか?」杉社長の問いかけに、片山先生がこう答えた。「そうだなぁ...。杉さん、あんたのところの従業員さんが『神様の御手伝い』のできるような人達に育ったら、あんたの店は、必ず生き残ることができるよ」社長は最初意味がわからなかったが、その後、様々な勉強を従業員さん達とともに始める。そしてどのようなことが起こり始めたか。今でも語り継がれている話だが、このような事があった。あるお客様が、うちの店の自転車置き場に自転車を止め、隣で買い物をして帰ろうとしたとき、過って自転車が倒れ、中の豆腐と玉子が割れてしまった。その時、一人の女性従業員が駆け寄り、自転車を起こしてくれ、「割れた玉子と、お豆腐、新しいのをお持ちしますね」と言って、店から新しい商品を持ってきてくれたそうである。隣の店で買ったのは明らかであったので、「これは隣で買ったのだから、いいですよ」と言ったのだが、この女性の従業員は、「うちの店の駐車場で倒れられたのですから、うちのお客様ですし、そのお客様の商品が台無しになったなら御取替えするのも当たり前です」と答えたと言う。そのお客様、自転車を押しながら帰ろうとしてふと後ろを振り向くと、先ほどの女性従業員が、「ありがとうございました」と深々と頭を下げていた。その姿を見て、それ以来、この女性のお客様はすっかりうちのファンになってしまったという話である。この他にも、このような多くの話があるのだが、そのような従業員が次々と育っていったのは、ひとえに社長の「自分づくり」「徳づくり」にあったと社長は今でもいう。そして社長が成長していけばいくほど、素晴らしい従業員が育ち、心からお客様に感謝の豊かな心で接することのできる「従業員(人間)」が育っていったという。杉社長が出店をするのは、全て「人助け」である。これは本当の話である。グループの企業や、知り合いの企業が「もうどうしようもない」ということで助けを求めてきたとき、その店を借金もろとも引き受け、奇跡を起こしていくのである。神様に助けられているという所以もこのあたりにもある。舞台が百八十度回転していくように、奇跡が起こるのである。それも「人間くさく」である。社長よりもいい給料をもらっている人間がざらにいる。「俺はもう『金』はいらん、利益が出たら、従業員さんに本気で返せ」と社長はいつも言う。そして本気でそれをしている。どこの会社でも飲み会はあるだろうが、うちの会社の飲み会は、ある特徴があることに気づいた。「誰一人として社長の悪口を言う人間がいない」と言うことである。営業本部にいるから真実を知っているのだが、税理士の方々が、「あの社長は異常です」(よい意味で)という。経営の常識から外れているという。確かに「異常」かもしれない。というより、そのような経営者に税理士の先生方が出会ったことがなかったのだろうともいえる。社長は一年のうちほとんど自分の店にいない。60社ほどあるグループのほかの企業の手助けに走り回っている。「窪山君、人間をな、人間の心を知り、人間学を学べ。 企業を活かすも殺すも人間、その人間とは何なのか。 自分も人間、相手も人間、人間とは何か。 それを知りえた人間が、経営者となれるんだよ」いまだ、修行中であるが、いつか必ず社長にご恩返しのできる自分になれるよう、自分自身を成長させていきたいものである。
Sep 6, 2005
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今日ある会合があり、そこで1時間ほど話をした。その中でうちの社長の話をしたのだけれど、社長の話をし始めるといくら時間があっても足りない。僕は、今の会社の社長に会って人生が変わった。社長は、亡くなったうちの父とも親しく、父の葬儀の時には友人代表で弔辞を読んで頂いた。社長の話をすると多くの方が、その人間的人望の厚さから、「杉社長は『神様が応援してくれる人』だからね」という事を言われる方が多い。素晴らしい方の周りには、素晴らしい方が多く、社長のお陰で、色々な素晴らしいご縁を頂いたと感謝している。 しかし、その社長も創業時、大変な苦労をされた。社長がある日ふといなくなり、3日程して帰ってきたとき、髪の毛が真っ白になっていて、周りが仰天した、という話は有名である。それほど大変な思いをされたのである。社長は怒ると赤鬼のような顔になる。そして、静かに怒る。会社の中で社長に怒られる人間はわずかだが、本当に「恐ろしい」それ以外の人には写真のように「仏」である。船井総合研究所の船井幸雄会長は有名な方だが、船井会長も杉会長と親しく、「杉社長がもし会社を大きくする事を第一に考えていたら、松下幸之助よりも有名になっていただろう」とも言われている。そうかも知れない、と近くにいる私もそう思うのである。世の中には色んな経営者がいる。様々な考え方の経営者がいる。誰がよくて誰が悪いということではないが、間違いなく、杉社長は「神様に守られている」これは間違いない。そう断言できる。企業の社員として、何より感謝したいのは、そのような社長の下で働くことができるということであり、そんな社長との縁をくれた父に、心から感謝したいと思うのである。
Sep 5, 2005
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話は変わるけれど、人が聞きやすい「声」の、(よくわからないけれど)周波数?のようなもの?のようなものがあるのかも知れない。金美麗さんというマスコミにも良く登場されるが、その方と一緒に食事をした時に、「あなた、『声』がいいわねぇ! アナウンサーになったら?」と言われた時に、初めて自分の声を意識した。いまさら職業を変えることもないので聞き流していたが、その後、何人かの著名な方と近くで話すたびに、「君は『声』がいいね」と言われたことがある。(声だけですか?(^_^;)とも思ったが...)しかし、何か声の周波数みたいなものがあって、人間の人相と一緒で、聞きやすい声、好感の持てる声というものがあるかもしれない、などと思っている。先日、日本会議という大きな団体の催し物があり、1200名ほどの方々の前で司会をしたが、団体の理事長から、「窪山さん、あなたの司会は良いなぁ~(^_^) いや、『声』がねぇ、声がいいよ」と誉めて頂いた。(この時も『声』のみ?)マライアキャリーのように3オクターブ出るとか、そんな特殊な声ではないけれど、声優になってたら、もしかして売れていたかもね。今これ書きながら、昔友人がこんな事を言っていたのを思い出した。「お前の目に見られながら、 お前の声で話を聞いたらいかん! 絶対に丸め込まれて、言いくるめられて、 納得させられる! お前、もし詐欺師になったら、 日本一かも知れんぜ」失礼なやつ!と思ったが、これって何か、活かせるかもね。(^^)v
Sep 5, 2005
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毎日毎日、テレビや新聞で信じられないような事件が報道され、この先、この国の将来はどうなるのだろうかと不安になってしまうことがあるが、テレビや新聞で流される「情報」が全ての真実ではないと言う事を、僕らは自覚しないと、真実を読みぬくことはできない。ここに一冊の本がある。タイトルは、「この子供たちが日本を救う」 一読して、日本と言う国の将来が輝きだした。この国には、本当に素晴らしい子供たちが、確実にいるのである。本文より◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆みんながいるから 千葉市立真砂第二小学校二年 高山 なつ美 わたしがお父さんの作文を書いたら、おばあちゃんがなきました。ポロポロなみだをながしました。きっと、いつもわたしたちやお父さんのことをたくさん、たくさんかんがえてくれているからだと思います。 わたしのお父さんは、タクシーのうんてんしゅをしています。朝早い時は、五時半ごろに家を出ます。よるは、十二時ごろになることもあります。あまりねる時かんがなくつてたいへんなのに、きちんと朝ごはんを作ってくれます。作れないときは、ちかくにすんでいるおばあちゃんが、作ってもってきてくれます。いっぱいはたらいて、いっぱいつかれていてもお父さんといっしょにねる時が、少ししかないのがかなしいです。 お父さんがお休みの時は、おいしいりょうりを作ったり、おかいものにいったりします。べんきょうもみてくれます。べんきょうがむずかしくなって、だんだんわからなくなると、お父さんがきびしくなってきて、おねえちゃんがなきだすこともあります。お父さんに、おこられたくないのになあと思います。お父さんとはいっしょにあそびたいけれど、いつもしごとでつかれているので、ゆっくりねてもらいたいです。 学校で、一年生から六年生までのおともだちがあつまってあそぶ「なかよしかつどう」がありました。かえりの会になって、おなじはんだったももこちゃんがはっぴょうしました。「わたしは、みんなとなかよくできるかなって、心ばいしていたけれど、なつみちゃんがいてくれたから、あん心しました。なつみちゃんが、そばにいてくれたから、じぶんのかんがえが言えました。」わたしは、うれしかったです。わたしがいるだけで、あん心してくれたなんて、ちっともしりませんでした。いるだけでいいなんて。お父さんは、わたしがいるだけで、あん心してくれるかな。おねえちゃんは、どうかな。おばあちゃんは、どうかな。わたしはやっばり、みんながいてくれるから、あん心していられます。時どき、ばくはつしちゃうこともあるけれど、みんながちゃんときいてくれるから言えるんだと思います。 だいじなわたしの家ぞくだから、お父さんのいうことをきちんとまもります。おるすぼんもします。だから、お父さんも体に気をつけて、しごとをいっしょうけんめいがんばってほしいです。おねえちゃんも、おばあちゃんも、元気でいてほしいです。みんながいるから、わたしもがんばります。たくさんのおともだちもいるから、がんばれます。いつもわたしのそばにいてくれる家ぞくであってください。いつまでも、わたしのともだちでいてください。====================自慢できる存在 千葉市立葛城中学校三年 山田 千紗 尊敬する人。あらためて考えてみると、私にとって尊敬できる人はたくさんいる。学校の先生方、友達、先輩、芸能人……、と私は、自分自身をはつきりと表現できる人、たくさんの努力をしている人にあこがれる。 また、私を褒め、叱り、大きく成長するように見守ってくれている人がいる。それは「両親」だ。この存在が、私にとって支えになり、気持ちが安らぎ、安心できる、ナンバーワンの存在だ。 小さいころの写真を見ると、父、母のひざの上に座って、笑顔で、とても幸せそうな私がいる。このころは公園によく遊びに行って、父、母といつもずっと一緒にいた。だんだん大きくなってくると、父、母のひざの上にも隣にも、両親と一緒に写っている写真が少ない。友達と笑顔で写っている私の写真が増えた。当たり前なのかは分からないが、そのときは両親といるのが嫌だった。部屋に入ってきたり、手伝いをするのも嫌で仕方なかった。 しかし、あるきっかけで私は変わった。兄が登校拒否をしていたときに、母がすごく辛かったのを私は知っている。 ある日「自然教室へは行かない」と兄から告げられ、母は、初めて涙を流した。あの姿を私は忘れられない。あの涙にはたくさんの意味があるんだね。もう、母が泣くのを絶対に見たくない。私のせいで涙を流させちゃいけないと心に誓った。両親には生まれたときから面倒を見てもらいここまで成長させてもらってとても感謝している。辛い時にも私たちに嫌そうな顔一つしないで話を聞いてくれる、そんな両親をとても尊敬している。私もこんな存在になりたい。私の両親のように、みんなに自慢できる存在に。
Sep 4, 2005
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人には理解しようとしてもできないことがある。「その気持ちわかるよ」などと軽はずみにも言えない事実がある。先日沖縄に行ってきた。とある団体の青年達の交流会だった。沖縄と言えば、全国的には観光の名所として知られているし、沖縄も観光を一つの産業としているので、「沖縄」と言えば、「どこまでも青い海」「白い砂浜」「きらめく太陽」「泡盛」などをすぐにイメージするだろう。僕自身もそうであったのだけれど、今回はちょっと違った。沖縄には、昔死んだ父が単身赴任で3年程いた頃に一度言った事がある。当時は昭和48年頃、アメリカから沖縄が返還されて間もない頃で、今の人達は想像もつかないだろうが、道路もあまり整備されていない頃だった。その後沖縄には一度行ったのだが、その程度であった。今回、沖縄に行くに際して、沖縄の「琉球文化の歴史」と「沖縄戦」の歴史を調べていった。特に「沖縄戦」は大東亜戦争(太平洋戦争)最後の決戦の地であり、日本の中で唯一住民が戦渦に巻き込まれた戦い(米兵が上陸という点で)であったという本当に痛ましい歴史を持つ。一冊の本を読んだ。「人間でなくなる日」この本は既に手に入らない、第一級資料集である。沖縄戦の戦渦に巻き込まれた住民の方々の実体験集である。 「父が皆をカミソリで切った」夜明け方です。外がなんとなく騒々しいので、朝鮮人軍夫でもいるのかな、と思いました。耳をすませたら、なんだか言葉が違う感じなんです。フィリピンかなと思いながら、入口を開けてみると、大変です。アメリカ兵が壕の前にずらりと並んでいるんです。さっさと死ななければ大変だ!あまりの数に私たちはびっくりして、そう思って、まず父がかたい縄で、私たち四人の首を絞めました。しかし、なかなか死ぬことができない。これではだめだと思って、今度は父が南洋から持ってきたカミソリがあったので、これで首を切ることにしました。まず最初は母の首を切り、次に私の首を切りました。私は喉元に何かさわったな、と思うと同時に、なま温かい血が流れ始めたので、その時首が切れたんだな、と思っていました。そして次には、弟、妹という噸で切っていくと、母が、「まだ死ねないから、もう一度切ってごらん」というので、父は、それでは、といって再び母の喉元を切りつけました。その時弟は、「お父さん」という一声を出して、そのまま倒れてしまい、出血多量で死んでしまいました。父は最後に自分の首を切りました。アメリカ兵と父の友人が、私たちの壕の中に父の名を呼びながら入ってくるのが、夢うつつの中に聞こえました。「どうして、このようなことしたか」というているのが聞こえました。私は騒々しさに気がついたので「まだ生きているのだな」と思いました。====================「姉さん、ごめんね」わたしは村はずれに行きました。用便のためです。それといいますのは、この福地はどこということなく人間がいっぱいで、いわば芝居見物の人のように、あっちこっちにも人が座って、用便もできなかったのです。それで、ムラはずれの畑に行って用便しょうと思ったわけです。そうしたらその畑は大変な死人です。兵隊が三、四十人も死んで倒れています。一か所に三十人ばかり死んだ兵隊が倒れたすぐ側に、女がl人いるんです。二十歳になっていたでしょうかね。右だったか左だったかは覚えていませんが、足が股から切れて動くことができないんです。生きてはおるが、歩くことはできないで倒れていました。「姉さんはどこの人ですか?」と聞いたら、中城村の南上原というんです。南上原といったらすぐそこですよ。名を聞いたら「米須」だといっていました。米須の一門の娘だったんですね。兵隊さんが死んでいる側だから、銀蝿がひどくたかって、それを手で払っていました。何ともいえないかわいそうなありさまでしたよ。「姉さん、わたしがどうすることもできないから、ごめんなさいね」といってそこを離れて、用便をすますと、わたしは家族の所に帰りました。====================「私を死なすよう頼んで下さい」糸洲の砂糖小屋に行く時ですがね、砂糖小屋の近くに池があるんです。そこに子供をおぶった女がうつ伏せに顔を水に突っ込んで、浮いているんですね。背中の子供は誕生ぐらいで女の子です。泣きはしないが手を動かしたり、頭を動かして、生きているんです。それを見てわたしの妻が、そこにも人が死んでいるね、というと、「生きていますよ。私は生きていますが、黄燐弾を浴びせられて、目が見えなくなっています。この子供をあなた方の子供にしてくれませんか。私は首里の者でございますが、そこらから友軍が通っていますなら、鉄砲で撃って、早く死なすように頼んで下さいませんか」といいますので、わたしが、「そんなことはできない。早く出てきて生きるようにしなさい」といったら、「わたくしは身体も黄燐弾で焼かれて、痛くてどうにもならないので、水につかっているんです。物も見えませんうえに、ほとんど全身がただれています。早く死にたいのです」こんなにいっていましたが、あっちにもこっちにも弾が降って、妻の妹が即死するような激しいなかでございますから、看護してあげる余裕がないんですね、あの時は。子供らも破片にさらして追いつめられて歩くんですからね。それで見捨てるほかはございませんでした。====================僕らの世代は戦争を知らない。そしてこのような悲惨な出来事に遭遇してはいない。自分自らが体験していない事を人は語れない。人はよく口にする、「あなたの気持ち、良くわかるよ」しかし、我々が想像することすらもできないほどの体験をしてきた人々と、歴史がこの国には間違いなくあるのだ。
Sep 3, 2005
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最近、異常に本を読んでいる。「なかなか忙しくて本が読めない」という人もいるが、たくさん本を読む為にどうすればいいかというと、簡単である。(^_^)v「いたる所で読む!」これである。「トイレ」 チリも積もれば一冊読める「車の中」 異常な時は運転しながら読む!(危険)「風呂場」 これは当たり前。お肌の美容にもいい。「居間」 子供に破られるから注意!「ベッド」 朝、晩、それなりに進む。そんな中で、他の人の日記を読んでいると、日記に書籍の感想などを書いている人がいた。(「いけP」さんなど凄い)だから良いことは真似たい。というわけで、昨日買った三冊の中の一冊。子供さんがいる方にはおすすめ「子供が育つ魔法の言葉」(★★★★)ドロシー・ロー・ノルト著 本の冒頭に次のような「詩」が紹介されている。(本の中より抜粋)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆子は親の鏡けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになるとげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもはみじめな気持ちになる子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる広い心で接すれば、キレる子にはならない誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つやさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本当にその通りだと思う。この詩は非常に心にしみた。皆さんも読まれてみてはいかがですか。最近読んだ本からの一冊の紹介でした。(^_^)v
Sep 2, 2005
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「粗にして野だが卑ではない」好きな言葉だ。荒削りで、失敗だらけの、まだまだ徳も品性もできていない人間だが、卑屈な生き方はしていない。ということである。「卑屈に生きる」ということは、地位や名誉や、金や権力に、右往左往させられる人生のことである。かつて、坂本龍馬も言った。「金にも地位にも名誉にも左右されない人間が一番手ごわい」世の中には稀にだけれどもそのような人がいる。教育者の覚悟◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆かつて台湾を日本が統治していた頃、台湾はまだ「化外の地」と呼ばれ、疫病が蔓延し、原住民が住んでいるという有様だった。その台湾の教育の復興の為に命を捧げた数名の日本人教師がいた。 写真の一番右側のまだあどけなさの残る青年は、名を「平井一馬」といい、十七歳である。明治二十九年正月、留守を守る楫取道明(写真前列中央)以下、六名の日本人教師は、台北・総督府での新年の拝賀式に出席すべく、生徒らとともに山を下りようとしていた。山を下りる途中で、百余名のゲリラに遭遇し、防戦空しく六人は惨殺されてしまう。ゲリラ等は日本人の首で賞金が貰へると事で、彼らの首を奪って逃げた為、六人の首は全て無くなっていた。彼らは、生前からいつも次のように言っていたそうである。「教育と云ふものは、 人の心の底に這入らねばならぬものですから、 決して役所の中で人民を呼び付ける様にして、 教育を仕ようと思って出来るものではない。 故に身に寸鉄を帯びずして、土民の群中にも這入らねば、 教育の仕事と云ふものは出来ませぬ。此の如くして、 始めて人の心の底に立入る事が出来ようと思ひます」台湾の人々の教育の復興の為に命を捧げた日本人。その中には、若干十七歳の青年が、自らの意思で情熱をもって外国の地へ赴き、掘立小屋のような場所で、人々と寝食をともにし、まさに命懸けの「教育」を行なった。我々日本人が知らないでは済まされない、知らないでは恥ずかしい歴史の事実がここにある。
Sep 1, 2005
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自分が「やりたい事」と自分の人生と環境の中において「やらなければならない事」がある。今の世の中は「やりたい事推奨」の世の中だなと思う。別にそれ自体は悪くないと思うし、やりたい事をやって、夢をつかみ、人生を謳歌する、非常に素晴らしい事である。やりたくない事を、マイナスの人生と捉え、「何でこんな仕事をやらなければならないんだ」と毎日を送る人間に、幸せなどやってこない。しかし、やらなければならない事を、「やりたくない」から「やらない」そういう人が増えているのが残念に思う。ちょっと別の話をすると、自分の「権利」は主張するけれども、自分の「義務」は全うしない。という事も同じ事のように思える。「やらなければならない事」を放棄して、「やりたい事」だけしかしない。これは、「幸せの法則」から外れる。自分勝手に、自分の「権利」を主張する人は、他人の「権利」も奪っていることに、早く気づいた方がいい。地域での「公」活動などに参加すると、さらに醜悪な場面に出くわす。自分の「したいこと」と自分の「やりたくない事」自分「だけ」の「都合」のオンパレードである。食べたいものは食べたい、けれど後始末は「したくない」ゴミは出す、けれど、分別は面倒だ「したくない」雑草が生えている、けれど清掃には「出たくない」子供のことが心配、けど見回りなどには「出たくない」工事がうるさい!だけど自分の前の道は早く直して!往々にしてそんな「自分の事しか考えない方」が、学校の先生だったり、役所の偉い方だったりする。人間大人になると、誰も自分を叱ってくれなくなる。偉くなればもっと指導してもらえなくなる。ある先生が言っていた。「人間はね、いつまでも『コワイ人(師)』 を持っておかないといけないよ。 人はね、知らず知らずに傲慢になるものだ」とも言っていた。このままで行くと、この国は、今の若者が熟年になった頃、「俺たちは若い頃、日本の老人の為に自分の給料から、 高い金払ってたんだから、俺らももらう権利がある」などと主張し、一方、そんな若者から育てられた「未来の若者たち」は、「勝手なこと言わないでよ! あんた達が将来のことも考えずに、 『子供のことも考えない』 『環境のことも取り組まない』 『教育も政治のことも考えない』から、 メチャクチャよ! 子供は昔の半分だし! あんたたち爺さんバアさんを養うのに、 どれだけ収めるか知ってるの!? 勝手にやってよ! 私達は、住みやすい外国に行くから!」と言って、また自分の権利を主張して、外国へ逃げていく。そんな小説の「ドタバタ」のような時代が、来る様な気がする。そんな日本にはなってもらいたくないものである。
Sep 1, 2005
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