書と育児と時々妻

書と育児と時々妻

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2023年06月04日
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カテゴリ: 日記
子どもは2人とも、妻に似ている
特に、笑ったときは、どちらも妻そっくりになる

私に似ている部分もあるにはある
3歳長男について言えば、体が小さく細い点、やや鼻が高い点、2歳長女について言えば、髪がほんの少し縮毛になっている点、耳に僅かな出っ張りがある点などである

長女と私の耳に僅かな出っ張りがあることは、妻が発見した
妻に指摘され初めて自分の耳に1〜2ミリ程度突起した瘤のようなものがあるのを知ったくらい目立たぬものだったが、こんな些細な類似点でも何だか嬉しかった

逆に、子ども2人が自分よりも妻に似ていることは、内心、不満に思っている

ふと見た子どもの表情に妻側の要素を感じたときや、自己本位な期待によってやや曖昧になっていた自分には似ていないという事実が、写真という形で具体化され、証明され、動かせない真実として固定されたとき、敗北した悔しさのような、先祖に対する申し訳なさのような、怒りや悲しさの入り混じったやり場のない感情に襲われることもあった

こんなふうに思うのは自分だけだろうか




特に、歌舞伎などの伝統芸能の家系や、貴族などの名家
においては、男系の遺伝子を残したい願望が、義務感まで達しているのではないか

子どもが妻に似ているということは、それまで先祖代々続いてきた家が、妻側の親族に乗っ取られてしまったような、家系が絶えてしまったような、そんな気持ちになると言ったら、大袈裟だろうか

しかし、子どもにとっては、迷惑な話でしかない
似ない父親に愛されない分、似た母親に愛されるから埋め合わせられる、というものでもないだろう
両親の愛情を受けてこそ、子どもは明るく育つと思う

そもそも、常に男系の容貌が受け継がれるわけではないだろう
必ずどこかで女系の容貌が取り入れられているはずだ

私の父の顔の輪郭などは、父の母親に似ているではないか
何代も前の先祖から見れば、私などは先祖と大分かけ離れた顔をしているかもしれない

こう考えると、そもそも男系の容貌ということ自体、曖昧になってくる


結局は、間違いなく先祖と同じ血は流れていて、必ずどこか似ているのだから、それで良いではないか

五体満足に健康に産まれてきただけでも有り難いではないか

顔が似ていないなどと不満を募らせるのは、人の外貌のみに目を向ける点で、顔が悪い人を罵る品性のない輩と何が異なろうか

仮に子どもが自分に似ていたとしても、子どもは自分とは全く異なる人間である、全然違う人生である

また、似ているから優れているとも限らない


この前の土曜日だったか、3歳長男が朝ごはんの時に私をじっと見ていた

何か言いたいのか、と詰問すると、

お父さん、僕のこともっと好きになって、と言う

妻側に似ている子どもの顔を不満気に見ていた私の心が見透かされているようだった
親の目の底に沈む不審の色を、確実に敏感に感じ取っていた

親の暗い目つきは、子どもの心に突き刺さる

私が悪かった
誤っていた
子どもは可愛い 
それは疑いない事実である

子どもは私のために生きるのではない、まして家のために生きるのでもない

一個の独立した人格を持って、子ども自身の道を歩むのである

親にできることは、その子どもにきちんと教えて、世の中の役に立てる立派な人間に育てることである

強く優しい人間に育てることである

もう顔のことは考えるな
他に考えなければならないことはたくさんある



3歳長男の書



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最終更新日  2023年06月08日 18時28分37秒
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