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デキルとかデキナイというのは、単に仕事が出来る出来ないの「能力」のことを言っているのとは、少し違う。「あの人は、デキル人」というような言い方を、元々「できる能力のある人」というニュアンスで使うべきではない。デキル人というのは、「やるべきこと」を、努力してやっているのだから。逆に、デキナイ人というのは、努力もせず、「やるべきこと」を先延ばしにしたり、言い訳をして、全くやらなかったりする。だから、デキナイ人が、デキル人を指して、「あの人は、デキル人」という言い方をすると、自分との差は、元々の能力の差であって、努力ではどうにもならないというような、自分が努力することを避けるための、都合のいい言い訳をしているように聞こえてしまう。(まあ、やることはやっていて、結果に差が出るときは、気持ちもわかりますが・・)だいたい、デキナイ人というのは、昨日までに完成されているはずの仕事が、今日も出来ていない(=積み残し状態、予算未達)。結果、積み残しを解消することに追われ、本来は今日するべき仕事や、明日以降の準備等に取り掛かれず、延々と追われる。そして、忙しい、忙しいと口走る。但し、本人がその気になれば、他の人の協力を得たり、捨てる仕事を整理するなどにより、デキル人に這い上がれるのだから、能力は関係なく、本人のヤル気と努力次第なのである。しかし、救いようがないデキナイ人というのもあり、それは、昨日までにしておくべき仕事、今日やるべき仕事をこなさないまま、明日以降の仕事を心配している人たちである。彼らは、色々言い訳をしたところで、結局、何もできないから、どこへ行っても、戦力外であり、また、本人は、戦力外であることを知らない。デキル人は、「やるべきことはやる」ために、まずは、今日やるべき仕事に積み残しを作らないよう、そして、明日以降の仕事をできるだけ先取りでやっている。それを、デキナイ人が、「あいつはデキルからなぁ」とひがむのは、やっぱり、矛先が間違っており、救いようのないデキナイ人になる前に、自分を変えるしかない。
2008/11/23
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人は皆、自力でできることは限られており、様々な人に助けられて生きています。このことを心から意識し、それが行動に出る人と、そうでない人がいます。コミュニケーションを円滑にし、良好な人間関係を作っていく上で、感謝の気持ちを持つことは、非常に大切だと思います。例えば、一般的なビジネスマナーで、こちらから電話をかけたり、訪問をするときは、「お忙しいところ恐れ入ります」や、「いつも大変お世話になっております」などと言いますよね。用事があるから電話をしたり、訪問をしているのですが、自分の用件よりも先に、相手が自分の為に時間を割いてくれることや、普段取引等をいただいていることへの感謝を伝えます。このマナーを守らない人は、単にマナーの問題ではなく、元々自分のことしか頭に無いのではと、疑ってしまいます。また、人から褒められたときのリアクションにも、その人の心の中身が見えるような気がします。全く喜びを表さない人は、表面的には謙虚に見えるけれども、意識が自分だけに向いており、他人がしてくれた協力等に目が向いていないことはないでしょうか。「あなた様、皆様のお陰です」とは、勝利インタビュー等でよく聞く言葉です。フェアプレイに勤しみ、トップクラスのゲームに勝利する選手ほど、苦しみを超えて、今ここにいる自分は、必ずしも実力だけで生きてきたのではないと、感謝の気持ちを心から感じるのだと思います。そう考えると、感謝の気持ちを表現できる人ほど、いろんな人の協力を得て、一流になることができるのかもしれませんね。
2008/11/09
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2ヶ月のお休みの予定が、1年半になり、久しぶりに再開させていただきます!で、ブログのテーマでもある「タテマエとホンネ」を再掲いたします。これからも、よろしくお願いします。m(-_-)m************************************************************顧客の言ったタテマエを、まともに受け取ってしまうと、全くとんちんかんな方向に走ってしまうことがある。本人は、大真面目に、顧客に言われた通りのことをしていても、顧客からは、気が利かないヤツだと思われる。「前向きに検討をしておく」と言われて、安心する営業担当者は、いない。「検討しておく」との言葉の裏には、「今は決断できない」理由があるから。腕のある営業マンほど、その理由を知り、排除するのが上手い。顧客からすれば、その営業担当者のおかげで、抱えていた問題がなくなり、「検討しておく」必要がなくなるわけだから、商談が成立するのは必然だ。似たようなことは、あらゆる場面にある。「今は忙しい」との断りの言葉の裏は、「あんたの相手をしている時間はない」のであり、忙しいから会ってくれないのではなく、興味がないから会ってくれない。だから、上司に追及をされて、「あのお客さんはご多忙で、なかなか会えません」などとの言い訳をすると、これもまた、その言葉の裏は、「私は、相手にされていません」になる。社内の人間関係でも、色々とある。「君は優秀だから、すぐに私を追い抜けるだろう」と言われて、その気になるのは控えた方がいい。普通、誰でも、後輩に追い抜かれるのは嫌なはず。なのに、そういうことを言うのは、単なる励ましではなく、その言葉の裏は、「どうせ、俺様を抜くことは、君には無理だよ」とか、「ちょっと、俺の道具になってくれ」とかである。人は、そう簡単には本音を出さないから、言葉そのものは額面通りには受け取れない。その言葉の裏にある本音が、仕事の対象になる本質である。本質に踏み込まず、タテマエの上で滑っているだけでは、仕事をしているうちには入らない。
2008/11/02
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経営・営業的な職業であれば、必ず“売上予算”がありますよね。仮に、あなたがセールスマンで、年間2億円の予算を課せられたとします。ここで、2億円という“金額”に反応するか、年間という“期間”に反応するか。たぶん、ほとんどの人は金額に反応して、「そんなノルマが課せられるの~」とうんざりするかもしれません。しかし、ノルマに“年間”という期間が付いていなければ、誰でも達成できますよね?そうです、ノルマには決められた期間があるから難しく、達成するためには、月間や週間、日ごとの計画を立てていく必要があるのです。営業現場では、ごく当たり前ですが、具体的予算が割り当てられない事務的職種の中には、わかってない人が見受けられます。無用なクオリティにこだわり、期限内に書類をまとめられない人、手順を考えず、二度手間を省みない人、自分の権限に固着し、全体の効率を考えない人・・・。これらの人は、決められた期間内に所定の仕事を終わらせないと、自分に支払われる給与が、会社にとっては赤字になることに気づかないのでしょうか。仕事が“予算”で測られないだけに、いつの間にか「できる人」になりきってしまい、だから改善がない。売上予算を持たない、コスト部門に関しては、特に「期限の厳守」がモノを言います。効率化→時間短縮→コスト減とならなければ、利益が出ません。しかし、ここで障壁となるが、クオリティとの衝突ですね。クオリティは、顧客満足を満たす最低ラインを、会社やチームとしてきっちりマニュアル化し、周知徹底すべきです。このラインより上のクオリティはコスト増、下のクオリティは売上減に結びつきます。
2008/11/02
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長期出張のため。すんまへん f(^^;
2007/04/18
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普通、予定は、「今」を起点として、「将来」に向かって立てていると思います。しかし、人より早く仕事をこなしたいとか、多くの仕事をさばかなければならないとか、とにかく、生産性を高めるのであれば、その仕事を完成させるべき期日を起点に、「将来」から「今」に向かって、時間を逆算して予定を立てます。例えば、今、取り組んでいるプロジェクトが、半年後の完成を目標にしているのであれば、完成形の半年後から、今に向かって、予定を立てるのです。そうすれば、いつまでに何をしなければならないということが、具体的に明らかになってくるでしょう。また、先を読むことで、避けられるトラブルは、前もって手当てすることもできます。一方、自分の仕事のペースを標準に、「今」から「将来」に向かって予定を立てた場合はどうでしょうか。予定を立てているつもりでも、先が読めていないケースが多く、また、無理をしたくない心理もあって、目標達成は、正直しんどい。しかし、量や速さ等数値的な目標を達成することよりも、質の信頼性を求めるような場合には、こちらの予定の立て方のほうが、向いていると思います。仕事には、量、速さ、質が求められます。私は、まだ完璧ではありませんが、量と速さに関しては、将来から今に向かって逆算した予定を綿密に立て、一旦走り出した後は、いちいち考えながら進まなくても良いようにし、その分、自分の頭は、質が求められる部分に仕向けるようにしています。
2007/04/08
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会社の経費に鈍感な人は、私利私欲を優先する人、敏感な人は、世のため、会社のために貢献しようとする人。こう区別するのは、やや度が過ぎているかもしれませんが、そういう傾向があることは、否めないと思います。例えば、資料をプリントアウトするにしても、フルカラーで出すのと、白黒で出すのとで、数倍のコスト差があることを、考えるかどうか。更に出張経費などともなれば、なんらかの手口によって、自分の懐に入るお金ができたとしても、私欲を殺し、会社の身になって、経費軽減を考えることができるかどうか。ここでは「経費に対する意識」を問題にしているけれども、これは、あくまで表面的な問題であって、その本質には、その人の、「仕事に対するポリシー」が、見え隠れするように思うのです。つまり、会社の経費のことを、自分には関係ないと考える人は、私利私欲を優先するポリシーを持った人です。せこい考えは、人間を小さくさせ、少しのトラブルでも、めげてしまいます。一方、会社にとっての利益不利益を考えられる人は、自分の仕事を通して、会社のため、世のために貢献しようするポリシーを持った人です。「会社のために貢献しよう」というポリシーは、無意識に周囲にも伝わり、良い協力者に恵まれます。「世のために貢献しよう」というポリシーは、多少の挫折を味わっても、すぐに立ち直れるエネルギーになります。また、コスト削減というと、必要なモノ、ヒトまで削ろうとする、変なコスト意識を持つ人がいますが、「世のため、人のため、会社のため」というポリシーを持てば、必要なコストと、無駄なコストは、自然と、違う色に見えてくると思います。
2007/04/01
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話し手は、「順序良く、順番に話そう」とするけれど、聞き手は「結論」に興味があります。話す方は、自分が言いたいことを、言い残さないようにしたいけれど、聞く方は、なかなか「結論」の見えない話は、退屈で、イライラしてきたり、眠くなってきたりします。私の周りでも、社内外でプレゼン等をするとき、「落ち着いて、順序良く、上手に話そう」と、考える人がほとんどです。しかし、聞き手に興味を持ってもらうためには、「結論」から話した方が良いのです。そして、なぜ、その「結論」になるのかをプレゼンすれば、途中で寝る人は、激減するのではないでしょうか。同様に、報告や紹介も、話し手は、コマゴマとしたことから話し始めて、最後のまとめとして、全体的なことを話そうとしますが、聞き手に受け入れられたいなら、全体的な報告を行ってから、その中身を解説するという順番にします。例えば、多くの人が絶賛するものとして、小林製薬のテレビCMが有名です。「ブルーレットおくだけ」は、もう商品名だけで、「おくだけでよい」という結論を発信しています。そして、わずか15秒のCMで、その商品内容のイメージを見せています。この方法は、聞き手にとても受け入れられやすいのです。
2007/03/24
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自分の考えや意見を、人が何を言おうと絶対に変えたがらない人と、人に何かを言われると、すぐに自分の考えを変えてしまう人がいます。人には性格があるので、どちらが正しくて、どちらが悪いというわけではないでしょうが、損得はあります。まず、何でも自分の意見を変えたがらない人は、自己満足は得られても、社交的な面や、自己の成長の面では損。そのうち、誰も忠告やアドバイスをしてくれなくなります。それは、どういうことかと言うと、その人は、もう他の人の意見を知ることが出来なくなるということ。つまり、自分が間違えれば、間違ったことは間違ったままだし、行き詰れば、そこで終わり。成長も出来なくなります。次に、人の意見にすぐ惑わされる人は、自分の思うどおりに進めない点で不満を感じることがあるかもしれませんが、社交的には素直に見られ、得なようです。しかし、自分の方向性が定まらない、つまり、時間と努力が分散されてしまって、ひとつの物事が、なかなか達成できない傾向があるように見えます。自分の考えを貫くことと、人の意見を聞くことは、両方大事なことです。ケースバイケースで、柔軟に対応するのが大人ですよね。自分の意見を貫くことが大事だから、人の意見は聞かないとか、人の意見を聞くことが大事だから、自分の意見は出さないとか、極端な考え方を持つのは、要領が悪い。自分の考えに執着しすぎる自分や人に惑わされすぎる自分に気付くことができれば、そこから、また、成長を続けることが出来ると思います。
2007/03/17
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「ここは、直した方がいいですよ。」「私が、ご説明いたします。」私が、特に使わないように気をつけているセリフです。別に、何も変わった言葉ではありません。しかし、これを聞く人によっては、相手を怒らせてしまうことがあるんですね。人の感情として、自分より偉そうな人間は嫌いですし、自分のことを馬鹿にする人間も嫌いです。先の2つのセリフは、嫌われる可能性が高いのです。例えば、あなたが誰かに「ここは、直した方がいいですよ。」と、言われたとしますね。このときの「誰か」が、自分と密接な関係のある先輩であった場合と、全然関係ない他人に言われた場合とでは、受け取り方が違うと思います。関係の無い他人に言われたときは、「あんたアホちゃう。」と、言われたようには聞こえませんか。あまり親しくない者に指摘をするときは、具体的に示さないと、関係が悪くなる場合があります。また、「私が、ご説明いたします。」との言い方は、「私が、教えてあげます。」と、言っているように聞き取られる場合があります。特に、双方の間に、暗黙の上下関係や、立場の強弱がある場合は、注意した方が良いですね。先日、某社の製品説明会で、若い営業担当者が、「私が、ご説明させていただきます。」と、始めました。大半の参加者は、わざわざ頼まれて来ているのに、勝手に「説明を受ける」立場にされては、いい気分はしません。せっかく製品の宣伝のために、人を集めて説明会を開いても、これでは、最初の30秒で失敗に終わっていたことになりますね。先の担当者は、「私が、ご紹介させていただきます。」と、始めるべきでした。何気なく使った言葉や言い方で、相手の気分を悪くさせてしまうことは、他にも多々あるのだと思います。恐いことですが、また、色々教えてください。
2007/03/10
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うちの会社では、社員評価の一環として、全社員が半期毎に、目標設定シートを作成することになっています。つまり、個人毎に、自分の好きなように、今後半年間の業務目標を掲げ、半年後の達成度が、賞与にも反映されるという仕組みです。個人毎の目標は、上長とすり合わせの上、あまり社員間でレベル差が生じないように調整されますが、それでも、50の目標を掲げる者と、100の目標を掲げる者が出てきます。個人目標の達成度によって、ボーナス査定が変わるなら、達成できそうな目標を設定した方が得だと考える人の目標は、だいたい低目か、あたり障りのない現実レベル。一方、あくまで自分を伸ばしたいと考える人は、高い目標を書いているようです。どちらが、いいのでしょうね?忘れてはいけないのは、絶対評価と相対評価があるということです。例えば、50の目標を掲げて100%達成した人と、100の目標を掲げて70%しか達成できなかった人とを比べると、絶対評価では、70%達成より、100%達成の方が勝っています。しかし、会社が社員を評価するのは、相対評価です。50の目標を100%達成した人の方が、100の目標を達成率70%で終わった人より優れているとは評価しません。相対評価ですから、前者は、50×100%=50点後者は、100×70%=70点となり、100の目標を掲げて、それを70%こなした人の方が、50だけの目標を100%達成した人より評価が高くなります。しかも、50の目標だけをすればよいと考えて過ごした人より、100の目標達成を目指して、頑張った人の方が、はるかにスキルも上達します。私が、先日の日記で、「目標は達成できなくてもよい」と言った本質は、相対評価を重視しているところにあります。ビジネスでは、いつも、お客様から、相対評価をされる立場にあるからです。
2007/02/24
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目標は、実現不可能なレベルすれすれまで、とことん高く持つのが良いと思います。しかし、目標は、確実に実現出来るものでなければならないと言う人もいます。私は、真っ向から反論しました。やる前から実現できると分かっていることは、目標ではないと。最低限、出来なければならないことです。例えば、新米の料理人が、今年は、魚をおろせるようになりたいと思ったとしても、それは、マスターしなければならない最低ラインです。営業マンも同じ。「予算100%達成」は、それをやらなければ、あなたの存在価値が無いのであって、目標とは言えません。目標と言うなら、せめて達成率130%ぐらいに設定しないと。目標を設定する理由は、それを目指すことで、計画的、効率的な活動をし、競争力が付くからです。目標が無く、無計画、非効率な活動を漫然としておれば、いつかは社会の落ちこぼれ。目標は、それを達成することよりも、それを目指して活動することの方に意味があります。実現可能な目標を掲げ、達成した喜びを味わうというのもわかります。しかし、最初から達成できそうな目標を達成しても、それはマスターベーション。そんなことをしているうちに競争に負けるのであれば、そもそも目標を立てていること自体の意味がありません。「目標売上 前年比130%」という目標を掲げ、それを目指しておれば、仮に目標の8割しか達成できなくても、前年並みは確保できます(130%×0.8=104%)。それに、高い目標を目指すことで、色々なノウハウも生まれ、次の目標に向けて活かせます。しかし、最初から前年並みを目標にしていたのでは、進歩がありません。つまり、目標を達成しても、進歩している他者には、いつか負けます。しかも、目標未達がそのまま、前年割れという落ちこぼれへの道につながってしまうのです。今日のブログは、少し長くなってしまいました。私は、最低限マスターすべきラインと、目標ラインは別に考え、目標の7~8割の達成で、最低限マスターすべきラインを超えるような目標を設定することにしています。
2007/02/23
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「おはようございます!」、「おつかれさまです」程度の挨拶さえ、しない人が増えています。挨拶をしない人の中には、元々、そういうことが苦手な人も多いでしょうけれど、「挨拶などしなくてもよい」と思っている、問題外な人間が増えているのです。挨拶をしない人は、確実に損をしていますが、それに気付いていないようですね。挨拶をしてもらえなかった人は、少なからず敵対心を抱きます。何も悪いことはしていなくても、挨拶をしないが為に、周囲には良く思われない。損をしていますよね。ビジネスであれば、挨拶ができていないというだけで、得意先や上司からの印象が悪く、注文がこない、昇格できない、ということにもなりかねません。反対に、少々クセがあって、とっつきにくい雰囲気のある人は、こちらから明るく挨拶するだけで、多くの友を得ることができます。挨拶には、その相手に、「私は、あなたの敵ではありません」、「私は、あなたを認めています」、といったメッセージが込められているように思いませんか。人間関係を築いていく上で、挨拶は、とてつもなく大きな力があって、しかも、簡単にできます。声を出すだけなんだから。挨拶は、それをしなければいけないというより、しなければ損ですよね。
2007/02/17
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悪口を言う人の心理には、「自分は、人より優れている」ことを、周りの人に知らしめたいという場合と、共通の敵を作ることによって、一致団結していこうという場合があるでしょう。人の悪口を聞くときには、相手がどちらの意図を持ってしゃべっているのかを見極めます。まず、前者の意図の場合は、適当に流しておきます。その人が、本当に人より優れているのならば、具体的な結果を出せばいいのであって、いちいち人のことを悪く言う必要はありません。結果が出せないばかりか、結果を出す努力もしない人に限って、悪口が多い。人のことを悪く言うことで、自分が大きくなった気分に浸っておられるだけです。そして、後者の意図の場合は、戦略上、重要なメッセージが含まれていると言えます。悪口を言っている人は、あなたを味方につけたいと考えているのですから。それに賛同して、仲間になるのもならないのも、あなたに選択権があります。但し、最も重要なのは、悪口を聞く立場にはなっても、言う立場にはならないことです。わかっている人には、足元を見られますからね。
2007/02/03
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大学を卒業してすぐの頃、会社の先輩から、整理整頓とはなんぞやと、問いかけられたことがありました。新人の私は、「きれいに整理しておくことです」と答えたのが精一杯。答えは、「必要なものが、必要なときに、すぐに取り出せる状態にしておくこと」でした。以来、この言葉は、私の行動に影響を与え続けています。特に、営業や、自ら商売をされている方にとって、整理整頓は、必須事項ではないでしょうか。必要なものが、必要なときに取り出せなかったがために生まれる機会損失は、馬鹿になりませんからね。しかし、人によっては、散らかっている方が、仕事が進むと言います。でも、そういう方は、見かけは散らかっていても、自分の頭の中では、整理整頓が出来ているのですよね。頭の中で整理整頓が出来ているから、わざわざ見かけを整える必要がないだけです。問題は、見かけだけを綺麗にして、整理整頓をしているつもりの人。綺麗に片付いてはいるものの、必要なものが無かったり、どこにあるのかわからなかったりして、結局、機会損失を生じさせます。チャンスが来たとき、それを逃さないようにしておくこと。整理整頓も、そのうちの一つです。
2007/01/28
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「時間がない」とか、「自分の学力や技術では無理」とか、「出来ない」ということの言い訳はたくさんある。でも、それが本当に出来ないことなのかどうか、自分の心を裸にして、考え直してみると、別に出来なくてもいいことであったり、本気になれば、できなくもないことであったりしないだろうか。日常の中では、様々な人間関係、仕事、家事などに疲れ、また、見栄や他人の噂、誘惑に惑わされ、そして、金銭欲、物欲、性欲、食欲、睡眠欲に支配され、自分の心が、自分でなくなっていることさえ自覚できなっている。今、自分の心の中にあるものは、本当に自分の考えか、自分の意見か、自分のしたいことなのか、欲しいものなのか、自分がやらなければならないことなのか・・、と思い巡らすと、意外にも、他人に惑わされ、虚しい欲に基づいていることに気付くものだ。本当の自分の心を知るには、まず、がむしゃらにならないといけない。何にも惑わされず、他人の噂や他人への見栄もどうでも良くなる状況に、身をおかないと。そうすれば、普段「やりたいけど時間がない」と嘆いていたことは、「何に時間を集中するか」、「やりたいけど学力、技術が足りない」と思っていることは、「何を選択的に学ぶか」という、結局は、「本当にやりたいことは何なんだ」という、人生の選択問題であったことが見えてくる。つまり、言い訳をしている時点では、まだ、人生に迷っているのだ。人生の選択が出来ている人は、「したい」のか「したくない」のか、「やる」のか「やらない」のか、「欲しい」のか「要らない」のか、はっきりしている。物事の判断の中で、「やりたいけど・・・」、「欲しいけど・・・」、「しないといけないと思っているが・・・」という言い訳をして、保留にすることはない。出来ないと思っていることがあれば、実際問題本当に不可能なことなのか、単に迷っていたり、甘えていたりするだけのことなのか、再考したい。
2007/01/09
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