2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全28件 (28件中 1-28件目)
1
99年03月18日(木)天候:曇り一時雨(杭州)列車は福州から上海行きの新空調硬座特快臥。6号車13番の最上段(3段ベッド)の寝台だった。杭州までの乗車賃は172元。劉さんは普通の座席の切符しか取れなかったのだが、これは99元だった。中国では初めての鉄道の旅、それも思いっきり夜汽車だ。劉さんは、列車の旅は盗難が多いからと、私の席の通路側にある補助椅子で一晩中起きていると言い張る。ホテルを出る前にも、私のスーツケースに貼ってあった航空貨物用のシールを全部ナイフで剥がしたのだ。外国人だとわかると狙われる確率が高くなるからだそうだ。10時頃までは劉さんと話をしていて、ベッドに上がり日記を整理しながらいつの間にか寝てしまった。2時まで寝て、今度は劉さんがベッドに上がった。窓の外はあまり明かりが見えない。真っ暗な衢州駅にも停車した。5日前ここを出発したのがなんとなく遠い昔のような気がした。5時にまた交替して7時まで寝た。再び目覚めた時、乗客はもう起き始めていて車内がにぎやかになっていた。通路も人通りが多くなる。どこからともなく、懐かしいニオイが漂ってくる。洗面所へ顔を洗いに行くときわかったのだが、そこかしこで朝食にカップラーメンを食べているニオイだった。中国の列車は、指定席車両ではお湯が無料サービスなのだ。だから、カップラーメンとお茶が旅行者の朝食の定番メニューらしい。朝食の車内販売もあり、お粥や粽子を売り歩いていた。ふと気がつくと、列車は昨夜とは逆の方向に走っている。昨夜はベッドから見て左の方へ進んでいたのに、朝になると右の方へ進んでいるのだ。福建省から浙江省へ行くにはいったん江西省を通過するのだが、そのときにスイッチバックで前後が入れ替わったのだろう。列車の窓にはシールが貼られていて、公司の宣伝や旅行の注意が書かれている。大体の意味はわかるが、全く想像出来ない漢字もある。「水泥」は「コンクリート」、「小偸」は「泥棒」。「百事可楽」は「ペプシコーラ」だと教えてもらった。8時20分に杭州駅に到着。といっても杭州駅は今は改造中とのことで、降りたのは杭州東駅だった。劉さんが列車の中でホテルの予約をしてあったので、駅を出ると旗を持った人が迎えに来ていた。旗の後ろについて行きバスに乗る。同じ列車から15人くらいが乗り込んだ。よく見ると、同じように旗の後ろについて行くグループが何組もいた。列車の中でホテルと観光予約をするのが、中国の「お上りさん観光」のシステムなのだろうか。駅前広場には手に観光地図を持って、それを売っている人がものすごく大勢いた。私もバスまで歩く間と、バスに乗ってから出発までの間に4~5人に声をかけられた。講義の謝礼金で懐が温かくなったが、人民元は日本円に交換するのが不可能なので今日からの観光で使い果たすのだ。観光の段取りは全部劉さんにお任せで、費用は全部私が持つことになっている。
2002年02月28日
コメント(1)
2月も終わりに来て、仕事はそれほど忙しくなくなってきたはずなのに、夜はめちゃめちゃ忙しくなったtetywest。掲示板に書き込んでくれた方には、「レスはひとりひとり絶対に書こう」と決めていたのですが、どうしても時間が取れません。今回だけ(????)「非常事態」宣言です。日記での「まとめレス」をお許しください。昨日の日記で「tetywest、全国版TVデビューか?」と期待された方もたくさんいらっしゃったようですが、昨日の昼休みにまた電話がありました。主に送った写真の風景についての質問だったのですが、そのうち「じゃ、今一体アボカドの果実は何個あります?」と訊ねられました。「収穫したのは10個です。そのうち3個はお送りしたので、残りは7個ですね(笑)」「それじゃ、収穫したのが7個、木になっているのが10個ですか?」「いえいえ、木になっているのはゼロです。ぜ~んぶで7個しかないんです」まだ、番組として企画に載るかどうかの予備調査の段階のようです。だって、アボカドの収穫は普通11月~12月ですよ。2月に国産のアボカドが存在すること自体、異常事態なんです(笑)。それもわかってないんだから・・・・「ですから、もし企画なさるのであれば11月だと思いますけど・・・」とアドバイスはさし上げました。で、tetywest的には「7:3の確率」でデビューは無しと睨んでいるのですが、・・・・これも得意の薮睨みかもしれません(笑)続報は入り次第お伝えすることだけはお約束します。PS:goro21さん、6000番を踏んでいただいてありがとうございました。「みかんかな・・・やっぱり」がここまで続けられてこられたのも皆さんのおかげです。今回の「大手抜きレス日記」に懲りずに、これからもよろしくお願い申上げますm(__)m
2002年02月27日
コメント(6)
昨日、昼休みに突然東京から電話がかかってきた。「アボカドを作られているそうですが、そのことについてお聞きしたいんです」と言うことだったので、植わっている本数(6本)とか、品種(フェルティとベーコン)とか、収穫時期(11月~12月)などについて答えているうちに、どういう経緯かわすれたけど、「今も木になっている」と言ってしまった。すると、「実物を送って欲しい」「着払いでいいから」という話になり、「まあ仕方がない、どうせ売り物でもないのだし・・・」と送ることを約束した。さらに、「アボカドの木や園地の写真も欲しい。それにご主人さんの顔写真も」という。「あ~面倒くさい!!しかし、まあデジカメで撮影してメールで送れば済むことだから・・・」と、これもOKした。今まで、忙しくてアボカドのことなどかまっている暇がなかったtetywest、「いくらなんでももう収穫しないと」と思っていた矢先だったので、カゴと高枝鋏(柄の長い鋏で遠隔操作で果実を収穫できる特殊アイテム)をもって、園地へ出かけた。「さあ、収穫するぞ」とアボカド(ベーコン)の木の下から、上を見上げる。しかし、ぐっすりと垂れ下がっているはずのアボカドの果実はどこにも見えない。「そ、そんな・・・・」と、狐につままれたような気分で木に登って、目を凝らしてみてもやっぱりゼロ。よく見ると、実がぶら下がっていた軸だけが残っている。全部落果してしまっていたのだ(泣)やっぱり、いくら温かいといっても日本でアボカドを越冬させるのは無理のようだ。半泣き状態で、枝から枝を渡り歩き、ようやく1個だけ、もう樹の上で柔らかくなりかけた果実を発見した。やれやれ、これでなんとか約束は果たせたわけだ。フェルティの方は最初からそれほどたくさん実が成っていなかったので、期待してはいなかったのに、こちらは落果もせず果実もまだ硬かった。品種によってこんなに耐寒性が違っているのを初めて身をもって体験したtetywestでした。さて話は戻って、その電話の相手ですが、送り先を聞く段になって「どっちの料理ショー」制作会社だと判明。写真と実物3個は昨日発送済み・・・・今後の展開がちょっと楽しみ。
2002年02月26日
コメント(5)

「中国農業研修旅行日記」もちょうど50回が終わりました。ふ~・・・・このへんでちょっと一休みして、久しぶりに「よもやま話」を書こうと思います。そろそろ、tetywestの大好きなネーブルが美味しくなる季節ですね。実は、お馴染みさんのshilfy1さんから「ネーブルは味は大好き! でもねぇ、皮がむきにくいの・・」(1月12日19時9分) という書き込みをいただいていたのですが、「どうせ書くなら、美味しくなる頃に」と今日まで延ばしていたのです。 それで、今日はネーブルの食べ方についての話題です。ズバリ!最初に2つに切るとき少し斜めに切って下さい。そうすれば全ての袋が皮からはがれるようになります。(下の絵を参考にしてね)この角度は23.4度が理想です。なぜ23.4度かと言いますと、北回帰線、南回帰線の緯度が23.4度だからです。私達の住んでいる地球は地軸が23.4度傾いています。そのために春夏秋冬の四季が出来るのです。ネーブルは四季に敏感な果物で、たとえばフロリダのように一年中暑いところではいつまで経っても果皮の色が赤くならないのです。また、寒いところでは冬の間に全部落果してしまうために、未熟のものを収穫しています。日本はネーブルの栽培の北限ですが、その中でも日本の地中海と言われる瀬戸内海沿岸の特別な地域だけは冬にネーブルが落果しません。それで、tetywestの住んでいる地区のネーブルも一個一個袋をかけて鳥や寒さから果実を守り、3月まで樹の上に成らせておいしくなるのを待っています。この「袋かけネーブル」は4月に出荷されますが、味もさることながら最大の特徴は手で皮が剥けるんですよ。そんなわけで、皮のむきにくいネーブルを切るときは地軸の傾きに感謝をしつつ、また遠い過去の理科の勉強を思い出しながら23.4度にこだわっていただきたいと思います。・・・かなり牽強付会なんですけど(汗) 1.少し斜めに半分に切ります2.ヘソを外して4等分します3.上半分も同じようにヘタを外して切ります4.食べるときに両方へ引っ張ると中袋が開いて食べやすくなります
2002年02月25日
コメント(3)
途中で雷鎮長さんを下ろし、農技開発中心の建物の前で廖さんと記念撮影して順昌県の中心街まで戻って来た。趙さんがまたマッサージに招待するというので、今度は固辞した。順昌県の有名な工業製品は何かとたずねると「家具」だというので、家具屋さんに案内してもらった。革製のソファーや木製の応接セット、食卓セット、社長が使うようなキャビネット付きの事務机などが並んでいた。革製のソファーはイタリアとデザイン提携して製作しているそうで、色も定番の茶色だけではなく、明るい緑色やセピア色やワインレッドもあり、オシャレなものが多かった。値段は2000元くらいだそうだ。家具は木製の応接セットが2000元、社長の事務机は2800元だそうだが、広くて格調高くて、ホントにいいものだった。私が「いつか、こんな社長さんが座るような机が欲しい」と言うと、廖さんは「日本へ家具を送って、パワーショベルと交換したい」と冗談を言っていた。昼からは農業局の人たちとホテルでゆっくりと休憩しながら雑談をして過ごした。キャッシュで○千元の講師料を渡され、領収書を書いた。数字の部分は漢数字で書いて欲しいと言われた。それが中国方式らしい。呉さんから個人的な土産として安渓県の烏龍茶「鉄観音」を贈られた。大きな缶に入っていたので心配したが何とかバッグに納まった。しかし今にも張り裂けそうでもうこれ以上は何も入らない。順昌県では今「5,000トン加工達成運動」を展開中で、加工工場の原料確保が当面の問題だそうだ。オレンジジュースが自由化されて、工場がどんどん閉鎖されている日本とはかなり状況が違っている。現在、台湾資本の工場と交渉中で、新たに梨(主品種は水晶梨。薄い黄色で洋梨型)とオレンジの加工工場を作るのだそうだ。呉さんから「今回の講義は『天時、地利、人和』という諺どおり大成功です」と言われたことは最高の喜びだった。夕食は今回お世話になった農業局のみんなで、街のレストランの個室で食べた。例によって私はチェンリンバオでの乾杯だった。廖さんが「今度来るときは私のふるさとの宝山にある石造りの寺へ案内します」と約束してくれた。スープはウナギかドジョウのような細長い魚が丸ごと入っていた。「この店の料理は味が少し濃い」と劉さんに言うと「先生が日本人ですから、今までの食事は味を薄くするように料理人に頼んであったのでしょう」と教えてくれた。「そこまで気を遣って接待してくれたのか」と、なおさら別れるのが辛くなってしまった。ルーさんが順昌駅まで運転してくれて、みんなで列車の席まで荷物を運んでくれた。列車は定刻の7:00に発車した。薄暗くなったホームで、見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。「さようなら、順昌県。ありがとう、みんな・・・」
2002年02月24日
コメント(2)
99年03月17日(水)天候:曇り夕方から雨(順昌)7:30朝食。毎日顔を合わせて一緒に食事をすると親しみがわいてくるものだ。これが中国式接待の極意なのかもしれない。いつものメンバーに加えて昨夜一緒にボウリングをした南平市の農業局の副局長さん、センさんも一緒だった。廖さんが井壟鎮の龍興寺へ案内してくれることになった。今日は農業局の車は他の用事で使えなかったので、黄色い軽バンのタクシーで出かける。途中で雷玉成鎮長さんを乗せてお寺への道を登って行く。数日来の雨で道路がぬかるんでいて、タクシーは時々スリップして登るのに苦労している。あるところでは、村人が一人で道路を修理していた。雨で流れた道路に土砂を入れている。おそらく、私がお寺へ行くと知らされた鎮長さんの命令で道路を修理していたのだろう。しかし、そこはかなりぬかるんでいたので車はスリップして前へ進めなくなった。どうするのかと思ったら、その村人と鎮長さんは一緒に車を押してそこを脱出させてくれた。何だか私のために大変迷惑をかけてしまったようですまない気がした。細い道をくねくねと登って行くと黄色い壁の龍興寺に到着した。いきなり爆竹が鳴ったのでビックリしたが、住持さんの歓迎の式典だった。庫裏の前庭でお茶の接待を受けながら、寺の歴史についての説明を受けた。この寺は唐の時代に建てられたのだが、なぜこの場所なのかというと、風水によって建陽市から見て、龍が出る方位にあたるのだそうだ。200年前兵火で消失し、その後荒廃していたのを1991年に再建したそうだ。このお寺では雷鎮長さんの案内で特別待遇で接待されることになった。住持さんは俗名陳さんと言い、今は仏名「釈」さんだが、妻帯はせず、精進料理しか食べず、一生を仏門に捧げて生活している。まだ30歳そこそこの若さで雷鎮長さんとは同級生なのだそうだ。住持さんは日本のことも良く知っていた。このお寺を日本人が訪問したのは私が最初だそうだ。なんという光栄なのだろう。住持さんは特別の時にしか着ない黄色い法衣と真っ赤な袈裟に着替えると、私達を本堂へ案内してくれた。私達は手に赤いロウソクと線香の束を持って、住持さんのあとに続く。本堂は石段を50段くらい登ったところにあった。中央にお釈迦様、その右の阿弥陀如来、左の薬師如来は全部金ぴかだった。正式な参拝の仕方を教わってお参りをした。本堂の前で住持さんと記念撮影をする。その後、母子草のたっぷり入った餅を食べ、精進料理の接待を受けた。近所の信者の人達が毎日お寺の掃除や食事の世話をしてくれるのだそうだ。中国で精進料理を食べるのも初めてだったので、どんなものだろうとワクワクして庫裏に向かった。出された料理は全部で八品。これも縁起のいい数字にこだわっているのかもしれない。すぐに精進料理とわかるものは、カラシナの炒め物、チンゲンサイ、キクラゲ、カリフラワーだったが、あとの4品はエビ、鶏肉、卵料理、魚のスープに見える。実際に食べてみても全部植物で作ってあるはずなのに歯ごたえや味は肉や魚にそっくりだった。あまりにビックリしたので、劉さんに確認してもらったのだが、やっぱり全部精進料理に間違いないそうだ。中国料理の奥の深さを実際に味わうことができたのはすごい感激だった。言うまでもなくどの料理も大変おいしく、思わずご飯をお代わりしてしまった。龍興寺は静かなところで、気持ちが洗われるようなひと時だった。もちろん車の騒音などは一切聞こえない。お接待されたお茶が美味しかったと御礼を言ったら、お土産にどうぞと買い物用のポリ袋にいっぱい入れて渡された。劉さんの話ではこの茶は「清明茶」と言って特別なコネがないと滅多に手に入らないお茶だそうだ。香がいかにも上品なお茶で、今まで中国で飲んだお茶の中では私が一番気に入ったお茶だったので、このときの喜びは大変なものだった。そのうち、趙さんたちがタクシーでやってきて、お寺で昼食を食べ、一台の軽バンタクシーに7人がぎゅうぎゅう詰めになってお寺を後にした。
2002年02月23日
コメント(6)
昼食後はホテルで休憩。ゆっくりとして欲しいと言われ、ゆっくりしていたら趙さんが中国マッサージに案内したいと言う。中国の失業問題の現れとして中国マッサージがあるのだそうだ。劉さんも行くというので、何事も経験なのだとついて行く事にした。ホテルから東へ5分くらい歩くと、通りの両側にあの赤と青のらせんがくるくる回る万国共通の看板がたくさん並んでいる。真昼間だというのにミニスカートや、ホットパンツの若いお姉さん達が入り口の前で退屈そうに佇んだりお喋りしたりしている。そんな店のうちの一つに案内された。窓ガラスには紙が貼られているので、中の様子はわからない。入ってみるとコンクリートの土間に丸い鉄製のスツールが2個置いてある。壁には家庭の洗面所にあるくらいの大きさの鏡が2つ、部屋の隅には手洗いの流しが1個あるだけの美容院だった。劉さんと並んで椅子に腰をおろすと、首にビニールを巻かれた。新疆ウイグル出身の18歳だという娘さんが髪を洗ってくれる。肌の色が白くて、顔の彫は深く、とても中国人とは見えない顔立ちだった。シャンプーをチューブから直接髪につけて、頭皮をマッサージしながら洗うので、鏡を見ているとキューピーさんの頭のようになっている。ていねいにマッサージしてくれるので気持ちがいい。シャンプーを洗い流すのは、部屋の隅の洗面所に顔を伏せて、ポットで沸かしたお湯を洗面器に入れて、水を加えてちょうどいい湯加減にしたのを頭からかけてくれる。バスタオルで頭を包んでもう一度スツールに座り、今度はドライヤーできれいに乾かしてくれた。「髪を洗うのが中国マッサージなの?」と訊いても趙さんは楽しそうに眺めているだけで答えてくれない。実はそのあと、「中国マッサージ」の真髄を知ることになろうとは予想もしていなかった。首に巻いたビニールをはずされると、今度は部屋の奥にあるベニヤ板で仕切られた個室で、髪を洗ってくれたお嬢さんが全身マッサージをしてくれるのだ。中国語は全くわからないので、お嬢さんにされるがままだった。なるほど、これが「中国マッサージ」=「理容店」だったのか!趙さんの話では45分で30元(お馴染みさん価格)だそうだ。その後はホテルの部屋で雑談をして過ごし、夕食は呉さん、趙さん、寥さんと私達の5人で食べた。趙さんが土産に干した龍眼と木製のお椀をくれたので、お礼に接木ナイフをプレゼントした。劉さんに龍眼の食べ方を教えてもらった。福建省は龍眼の第一の産地で、皮をむいて鳥肉や豚肉と一緒に煮る。皮をむいて直接食べる。冬にお粥と一緒に煮ると健康によい。一度に食べ過ぎると鼻血が出るので注意だそうだ。夕食後、ホテルに南平市の崔さんの友達のセンさんが訪ねてきた。彼は長崎県の試験場で9ヶ月研修したことがあり、日本語がしゃべれる。現在は南平市農業局経済作物站の所長をしている。それ以外にサイドビジネスでアメリカの農薬の輸入・販売会社を経営している。公務員が副業を持ってもOKで、そちらの収入の方が本業より多いなどというのは日本ではとても考えられないことだ。夜はセンさんの招待でボーリングに行くことになった。メンバーは、センさん、南平市農業局副局長の趙さん、呉さん、劉さん、私だった。ボーリング場は南橋を渡ってすぐの国道沿いにあり、全部で6レーンしかなかった。呉さんも劉さんも初めてだと言っていた。私もまさか中国でボーリングをやるとは思っていなかった。日本でさえもう4~5年やていない。靴を履き替える時に、靴下まで白い木綿の使い捨て靴下に履き替えなくてはいけないのにはちょっとビックリした。スコアは自動的に記録されるシステムになっていた。センさんと私はだいたい同じくらいの得点なのだが、最後では私の方が負けた。劉さんと呉さんは溝掃除が多かった。今日はお互いに初体験をしたわけだ。ボーリングは1ゲーム20元と日本より高い高級なレジャーだそうだ。2ゲームやって10時頃帰ってきた。
2002年02月22日
コメント(4)
99年03月16日(火)天候:晴れ夜は小雨6:30起床。野外実習なので天気の心配をしていたが、爽やかに晴れ渡っていた。どっちの日ごろの行いが良いからだろうかと劉さんと笑いあった。8:30に農業局の前へ行くと昨日の参加者が全員集合していた。車で順昌県園芸場へ移動して剪定の実地指導。講義の時はスーツだったが、今日はジーンズにスニーカー。昨日とはうって変わって「仕事をするぞ!」スタイルだ。この日のために日本から剪定鋏、剪定鋸、接木ナイフを持ってきたのだから。最初にネーブル、次に温州みかん、最後にポンカンを切った。劉さんから「日本のようにたくさん切らないで、少しだけ切ってください」というアドバイスをもらっていたので、「できるだけ切らないように、切らないように」と言い聞かせながらの剪定だった。特にネーブルはほとんど落葉して枝数も多かったので、本当なら今年が大きく切るチャンスなのだが、しっかりガマンした。温州ミカンとポンカンでは、鋸で大枝を3~4本間引いたら、もうそれ以上は切れなかった。剪定の技術は数十年遅れている。というより、まだ、質より量を重視している園相なので、剪定に対する基本的なスタンスが違うのだろう。接ぎ木の講習では「伏せこみ」「芽だし」「ワックス・テープ使用」の3種類の方法を実演した。TVに録画するというので、もう一度良く見える場所で接ぎ木をやり直した。園芸場のミカン園は木と木の間隔が混み過ぎていて、下枝が枯れ上がっている。木の高さも高い。とにかく、内向枝は全部切ること。樹の上でかぶっている枝は短くすること。下の方にきれいな葉の枝を作ることを主体に話をした。高品質栽培の基本は全ての枝に太陽光線が当たる樹形なのだが、これでは剪定より前に間伐が必要だとも付け加えた。講習会のあとで趙さんが園芸場のレモンを見せてくれた。品種はイタリアのビラフランカで、まだ試験栽培の段階だそうだ。果実が成っていたが、黒点病とそうか病でお世辞にもきれいなレモンとは言えなかった。わざわざ趙さんの気分を損ねる必要もないので何も言わなかったが、雨量が多く温度が高いこの地方できれいなレモンを作りこなすには今の技術レベルでは無理だろうと思った。福建省のレモンは当分国内需要だけに向けられるだろう。12時に野外実習は終了して、現地解散となった。園芸場の藍(らん)副所長が私の使っていた鋸を自分の鋸と交換して欲しいと言う。彼の鋸はかなり年季の入った切れ味の悪そうな鋸だったので、私の鋸を記念にプレゼントした。(藍という姓は少数民族だそうだ。)
2002年02月21日
コメント(8)
夕食は文字通り「晩餐会」だった。副県長さんや、人民代表の鄭さんが一緒。中国ではどういう地位の人が一緒に食卓に座るかで、その食事のランクが決まるそうだが、人民代表はその地方の名士(地位もお金もある人)しかなれないらしい。しかし隣に座った鄭さんはかなり押しの強い人で、お酒を無理矢理飲まされてしまった。「ダメ!」と言うのは中国語で「プシッ!(不是)」。酒を断るたびに鄭さんに何度も言われたので覚えてしまった。夕食は鳩の肉や、田螺や、月餅など珍しいものが盛りだくさんに出てきた。ウエイトレスが2人つきっきりで世話をしてくれるので、私達は手をのばして大皿の料理を取る必要がない。こんな贅沢なサービス付きの食事はこちらへ来てから初めてだったので、面食らってしまった。鄭さんの押しに逆らえずかなり酒を飲んだので、夕食後ホテルに帰るとすぐに寝てしまった。10時頃目覚めるとまだ頭がガンガンしていた。劉さんは部屋にいなかった。呉さんが差し入れてくれた龍眼(ろうがん)という果物やイチゴを食べると少し元気になったので、昨日と今日の日記を整理した。今日の質疑応答でも劉さんの書いた「日本柑橘の現状と方向」の論文を参考にしている人が数人いた。日本の最新情報は手に入りにくいのだろう。呉さんはめちゃくちゃ酒が強い。いくら飲んでも酔っ払う様子がない。廖さんは飲むことは飲むのだがそれほど強くはなく、年齢は52歳。自由市場での値段は1斤(500g)当たり、中国ハム(豚肉の燻製)13~14元、豚肉5~6元、タケノコ3元、ワラビ1元と安い。それでも中国の人は食費に収入の40%以上を使うそうだ。まだ3月の半ばだというのに枇杷を食べた。日本ではこの時期はハウス枇杷しか出回っていない。やぱりこちらは気温が高いのだ。もし極早生みかんが輸入されると、日本よりずっと早く酸が減るのでかなりの脅威になるだろう。11時半頃、劉さんが帰ってきた。呉さんとマッサージに行ったそうだ。
2002年02月20日
コメント(4)
自由市場を離れて南橋の上へ行く。ちょうど仕事帰りの人たちで橋の上は混雑していた。歩いている人、自転車に乗っている人、そして自動車。みんな街から出て行く方向に流れている。この橋から西の方を見ると上流500メートルくらいのところで二つの川が合流している。水は透明できれいだった。川幅は300メートルくらいだろう。川岸には漁師の小さな舟が5~6隻係留されている。その向こうには緑の山々が連なっている。東の方は向こう岸にかなり大きな工場が見える。セメント工場なのだそうだ。その周りには日本の昔の風景のように畦がくねくねと曲がった、小さく区分された水田が見える。なんとなくのんびりとした気分になり、しばらくその風景を楽しいんでいた。南橋のたもとには今はさびれている大きな建物があった。かつては映画館だったが、今は何も使われていないそうだ。最近中国ではVCDの普及で映画館は衰退の一途をたどっていると廖さんが説明してくれた。その向かいはデパートだったが、こちらは壁にセール中の大きな垂れ幕が下がり、人の出入りも多くて繁盛しているようだった。今度は川とは反対側にある北の通りを歩いてホテルへ引き返した。メインストリートを1ブロック外れると、もうそこはいかにも中国という街並みになる。歩道と車道の区別はなく、今は葉っぱをつけていない並木が植えられている。間口の狭い赤いレンガ造りの4階建ての建物が多い。商店街では1階がお店になっていて、雑貨屋さん、菓子屋さん、果物屋さん、衣料品店などがずらっと並んでいる。食べものの店も多い。饅頭や粽を売る店、パンの店、ラーメン屋さんなどが2~3軒おきくらいにある。中国では朝ご飯を外食で済ませる人が多いそうだ。ホテルに帰ると呉さんがやって来た。呉さんの弟が日本へ研修に来たいそうなので名前を書いてもらった。あとで履歴書を持ってくるという。現在は農業局の農業技術站に勤務しているそうだ。32才という年齢は年をとりすぎてはいないだろうかと気にしていたが、それは問題ないだろう。一番大切なのは日本語が理解できることだと答えた。今日の講義の資料をコピーさせて欲しいというので、呉さんに渡した。オリジナルは劉さんにプレゼントするつもりなので、ここであげるわけにはいかない。何といっても今日の講義を無事に終えることができたのは劉さんのおかげなのだから。
2002年02月19日
コメント(6)
副県長さんの挨拶の後、呉副局長から私の紹介があった。いよいよ講義開始だ。黒板を使ってゆっくりと進めていく。衢州市で予行演習済みなので、要領は掴めている。少ししゃべっては、それを劉さんが通訳する。10時半にトイレ休憩。室内は禁煙だったので、トイレの横で聞きに来ている人たちと一緒にタバコを一服。10分の休憩の後、また講義を続ける。午前中に4項目の講義が終わった。昼食後、部屋に帰って休憩する。劉さんのアドバイスに従いながら、午後の講義で省略する部分と付け足すところを打ち合わせた。劉さんはそのあと少し眠っていた。バイリンガルを駆使しているので相当疲れるのだろう。昼からの講義は1時30分に再開。途中休憩をはさんで4時10分に終了した。その後質疑応答があって、4時35分に全てが終わり会場を出た。ホテルに資料を置きに帰ると、廖さんが街を案内してくれるという。5年前から再開発された中心街は、白いタイルで外壁を化粧した6階建て以上のビルが立ち並び、こざっぱりとした印象を受ける。中国ではどの街のメインストリートの再開発も最近5年くらいの間に行われたのだそうだ。道路は自動車用に片側2車線。自転車道、歩道もそれぞれ道路の両側に1車線分くらいの広さがあるので、ゆったりとした感じがする。それに、走っている自動車の数が少ない。順昌県は川に囲まれた地形なので、ホテルからメインストリートを500メートルくらい西へ歩いて行くと、南橋のところで再開発地区は終わっていた。現在もその続きを西へ向かって開発中で、古い建物を取り壊して新しいビルを建設中だった。廖さんにお願いして自由市場に案内してもらう。南橋のたもと付近がそのエリアだとのこと。メインストリートを曲がると、路上にずらっと野菜が並んでいる。竹の籠に入れたのや、筵の上に並べられたのや、ビニール袋に入れられたものや、直接路上に置かれたのもある。それぞれの野菜の後ろには農家の人がいて、お客と値段交渉をしている。どこの市場も変わらない風景だ。ジャガイモ、ハクサイ、ニンジン、タマネギ、ネギ、ダイコン、セロリ、ホウレンソウのような日本でお馴染みのものから、名前のわからない野菜まで種類は豊富だ。ミカンの花が1ヶ月以上早く咲くのだから当然のことなのだが、日本ではまだ出回っていないワラビ、ゼンマイ、タケノコ、サヤエンドウなども並んでいる。さらに、川の方へ道路を下っていくと、今度は自転車に肉を載せて売っている人たちが並んでいる。道路に直角に自転車を停めて、荷台には広い板を載せてある。その上に豚肉のかたまりを置いてあるのだ。豚足もあった。その向こうは鶏を丸ごと売っている。確認できなかったが、牛肉コーナーもあったに違いない。道路を一番下りきってしまうと、水路に突き当たった。その向こうにコンクリート製の建物があり、1階部分はちょうど地下駐車場のように柱だけの空間になっている。この建物の向こうは川だった。橋を渡ってそこへ行ってみると、乾物や燻製を売っている店が並んでいた。乾燥シイタケや、干した果実、海産物の干物などを売っている。豚のモモ肉の燻製はテカテカとツヤがあり、いかにも美味しそうだった。手足を広げたままの格好で燻製になっている小型の動物があったので、廖さんに訊いたところ「ウサギ」だと教えてくれた。
2002年02月18日
コメント(6)
99年03月15日(月)天候:曇り一時晴れ6時半起床。目覚まし時計は中国に来てからずっと寝る前にセットしているのだが、今日までのところ鳴る前に起きている。どうして日本にいるときは出来ないのだろう?7時半に朝食。今日も昨日と同じ個室だった。農業局の人たちも一緒に食べる。食後はホテルの部屋で少し休憩。窓からのぞくと、会場に入っていく人達が見える。入り口には赤色の看板が立っていて「熱烈歓迎tetywest先生○戴具講学(達筆すぎて読めない)」「和参加県果業工作会議的全体人」。廖さんは小型のバックホーに興味があるそうで、値段を尋ねられた。黄龍病にかかった木を伐採・抜根するのに使いたいのだそうだ。それ以外にも園内に作業道を作ったり、雨等の災害で傷んだ道路を修復するのにも活躍することを説明して、日本へ帰ったら資料を送ると約束した。8時50分頃会場に入る。講堂には正面にステージがあり、私と劉さんはステージの上の向かって右側に席が用意されていた。左は副県長さんだそうだ。会場には県内の果樹の指導員が50人くらい集まっている。昨夜いっしょにカラオケを歌った建陽市の熊経済作物站長や、藍園芸副場長の顔も見える。会議が始まると先ず副県長さんの挨拶があった。劉さんがそれを日本語に訳してくれる。順昌県の柑橘は300キロ畝(18,500ha)の栽培面積がある。問題点は1.品種が悪い。福建省の平均収量を下回っている。2.加工技能がない。3.貯蔵技術がない。4.市場販売技術が貧弱 販売組織がない。生産と販売の連携がない5.病害虫の防除技術がないということだそうだ。さらに、農業は順昌県にとって重要な産業なので、1.品種の調整2.高品質、高生産量3.悪い品種の高接ぎ更新で名果を作りましょう、ということらしい。公司(食品加工や流通企業)と農家が連携すべき。計画も重要。高生産量の見本園地をつくろう。株式会社、集団化がひとつでもほしい。苗木の育成園地も重要。グレープフルーツ、雪柑、梨、桃、温州ミカン早生品種の銘柄産地になりたい。品種の導入も重要。これらを速やかにやりましょう。また、「黄龍病」対策をやりましょう。(ポンカン、オレンジに出る病気。温州みかんには出ない)などが、演説の要点だった。
2002年02月17日
コメント(6)
栽培管理方法や防除についていろいろ質問しているうちに5時になった。ホテルへ帰って呉さんと明日のスケジュールの打ち合わせをして夕食。初めて個室に案内された。昼までは別のお客さんが個室を使っていたそうだ。丸いテーブルを囲むように椅子が配置されている。私は入り口から一番奥の席を勧められた。よく見るとグラスに飾られているナプキンの折り方が、その席だけ違っている。凝った折り方で他の席に比べて目立つようにしてあるのだ。なるほど、ここがVIP席なのか。中国に来てから毎回珍しい料理が出てくるのでついつい食べ過ぎてしまう。私の飲み物は、すっかり専用になった「チェンリンバォ」。なくなるとすぐに新しいのを持って来てくれる。劉さんは2カ国語を駆使するのでかなり疲れるようだ。ビールをコップ一杯飲んだだけで、後は断っていた。夜は趙さん、運転手のルーさん、建陽市の熊経済作物站長、藍園芸副場長、李さん達とカラオケに行く。中国のカラオケは初体験なので、これも興味深々だった。お店はホテルから歩いて5分くらいのビルで、階段を上がった二階にあった。部屋に入ると赤い絨毯が敷かれた広いホールがあり、片側一列につい立で仕切られたボックスが5つ並んでいる。1つのボックスには6人くらいが座れる。ボックスの対角の隅にステージがあり、カラオケはここで歌う。歌う人用にはモニターテレビ、聴く人には正面の壁に映像が大きく映し出されるようになっている。この店は中年の夫婦が経営している。ボックス席にはビールやお酒、コーラなどの飲み物と、フルーツ、ナッツなどの盛り合わせが出てくる。このあたりは日本のスナックと変わらない。主人の方は曲を流す機械の操作専門のようだ。しかし驚いたことに、中国ではカラオケを歌うだけでなく、ここでダンスを楽しむのだ。カラオケ屋さんには、専属のダンサーが2人待機している。趙さんとルーさんは早速、お嬢さん達とペアになって歌にあわせてダンスを始める。またそれがとてもうまい。カラオケ屋のお嬢さん達も歌はうまいし、ダンスも上手だった。私も勧められたので、日本の曲を探したのだが「北国の春」、「竹田の子守歌」、「蛍の光」くらいしかなかった。字幕は中国語表示なので、歌詞は記憶に頼って歌わなければならない。しかし、どうせ日本語は誰も分からないのだから少々違っていても全く気にならない。テレサテンは中国でも人気があるようでたくさんの曲があった。カラオケ・ソースは全部VCDなので、よく歌われている歌は画像が乱れる。歌の本は、題名を字数で引く方式で、なかなか捜すのに苦労する。日本の歌は題名が原題とは違っていて、たとえば「竹田の子守歌」は「祈祷」だし、「時の流れに身をまかせ」は確か「今我唯愛ニー(ニンベンに称の右)」だったと思う。社交ダンスは全くダメなのだが、ディスコ・タイムには参加して踊った。7時半から11時まで、本当によく弾んだ。ホテルへ帰って劉さんがシャワーを浴び、次に私がシャワーから出てきたとき劉さんはもう寝ていた。
2002年02月16日
コメント(6)
昼1時半から農業局が管理している柑橘園芸場の視察に出かける。車に乗って北東に20分くらい走った山の中にあった。3階建ての建物があり、農場を管理している家族がそこで生活している。藍副場長、生産部長に会い、農場の見学と栽培上の問題点を質問する。農場には温州ミカンもたくさん栽培されていたが、木が立ち上がって密植栽培だった。また樹勢の弱った木も多く見かけた。この地方のポンカンは黄龍病にかかっているものが多いのだそうだ。私にはトリステザ・ウイルスの一種のように思えたが、趙さんは黄龍病の対策についていろいろ研究をしているそうで、ウイルス説は否定した。去年のみかんが安かったので生産意欲が低下しているとのことで管理の不十分な園も見受けられた。園内にはトラックが通れるくらいの幹線道路がつけられている。また、防除に何を使うのかと質問したところ、倉庫に保管してある10馬力位のジーゼルエンジン付き動力噴霧器を見せてくれた。さすがに政府のモデル農場だけあって、ハード面では日本と遜色がないようだ。道路の脇には生ゴミが盛り上げられて、異常な臭気を発していた。都市の生ゴミを選別して有機物として園内に入れているという。しかし、ビニールやらプラスチック、金属までごちゃごちゃに混じっているゴミを園内に入れるのは環境汚染が心配だとも説明してくれた。農場の面積は全部で20ha。オレンジが主品種で、雪柑(地元のオレンジ)やポンカン、温州みかんもある。それを13人で分けて耕作しているそうだ。一人200株~3000株と規模はまちまち。請負期間は最近ようやく15年間になったが、その前はもっと短期で園を交換していたそうだ。そのために土地に有機物を入れ始めたのはようやく最近になってからのことらしい。一生懸命に土を肥やして、やっと良い畑になったら交換しなければならないのでは誰だって土地に投資はしないだろう。「土地は国のもの」という制度には思わぬ弱点があることを発見した。ここ数年間はミカンの価格低迷の影響で生産意欲をなくした農家が出ているそうだ。園芸場の去年の生産量は200t。反収は1tと極端に少ない。藍副所長は労力2人で雪柑と温州みかんの半分以上を作っているそうだ。栽培は1本の木当たり肥料何グラム、農薬何リットルと決めるようで、日本とは管理の単位が違っている(日本では10アール単位で計算する)。ミカンの花の満開日は4月5日だそうで、日本より1ヶ月以上早い。もう花の蕾が見えている木もあった。ミカンの収穫は早生品種で10月中旬から11月。品種は宮川早生と興津早生が混ざっていて、宮本、市文もあるそうだ。ミカンの糖度は可容性固形物が10~11%だというので、どんな肥料を使っているのかと聞くと、成分比率N-P-K=10:6:8のものを年間チッソ成分で0.6㎏/1樹の量でやるそうだ。ざっと計算しても日本に比べて3倍から5倍の多肥栽培。ポンカンなら問題ないだろうが、これではミカンの品質は悪いだろう。
2002年02月15日
コメント(4)
99年03月14日(日)天候:曇り一時雨朝は気分よく目覚めた。部屋の窓から外を見渡してみる。道路を挟んだ右向こうは順昌県人民政府の敷地になっている。門を入ってすぐのところに、講堂が見える。15段くらいの階段の上に円形の柱で支えられた入り口が見える。壁は白いタイルで、屋根の褄は三角形。真中に中国の国章が掲げられている。明日の講義はここで行われるそうだ。100メートルくらい先からは小高い丘になっていて、木々の向こうに20階建てくらいの立派な県庁舎がそびえている。青色のガラス窓面積が大きく、壁は白いタイル張り。いかにも「権力」を象徴しているようだ。中国ではどこに行っても、その町で一番立派な建物が人民政府だと判断して間違いないようだ。道路を挟んで左側はテラス付きのマンション。6階建てなのだが、居住するのは2階からで、1階はテナント・ストアになっている。朝が早いのでどこもまだシャッターを下ろしていた。面白いのはテラスをガラス窓で囲ってある家と、そうでない家があること。洗濯物はテラスに干してあった。7時半から昨日の食堂で朝食を取り、8時半から1ブロック離れた農業局の3階会議室で講義の打ち合わせ会だった。今回のプロジェクトの責任者である農業局副局長の呉さん、農業高新技術開発中心所長の趙さん、農業技術中心副主任の張さんの3人と蘇農業局長さん、廖(りょう)さん、経済作物站の黎(リー)さんたちから講義の内容について要請があり、 日本の柑橘の現状について 新しい品種の紹介 高品質・低コスト栽培技術 園地管理(能力、労働面での高効率の方法) 販売方法について 青果連・JAの紹介 日本の果樹振興の政策 有機栽培の項目について合計6時間の講義をして欲しいとのことだった。呉副局長は私への質問に、雑誌に掲載された劉さんの「日本柑橘生産の現状と発展方向」を参考にしていた。さすが劉さん、中国柑橘研究界の巨匠か!ここでも会議室は西安の市場の事務室と同じ楕円形に並べる机が置いてあった。会議の前に呉副局長がスイカの種やバナナ、イチゴ等を買ってきてくれた。いくら好物でも初対面の人たちの前では遠慮がちにしか食べれずに残念に思っていたら、あとでホテルの部屋へ届けてくれた。その後個人的な質問に答えているうちに11時半が来たので昨日と同じ食堂で昼食を食べる。食事の後はホテルの部屋に帰って休憩した。劉さんに帰りの飛行機の予約をしてもらった。上海営業所のTELナンバーが変わっていて通じなかったので、西安の本社で予約した。
2002年02月14日
コメント(4)
ホテル「順昌賓館」に着いたのは5時半頃だった。農業局の呉副局長が迎えてくれた。浙江省衢州市から福建省順昌県までの380km、9時間の大移動も無事クリア出来たわけだ。順昌県は福建省の北西部に位置し、ミン(門構えに虫)江上流で富屯渓と金渓が合流する地点に拓けた人口24万人の県だ。ちょうど川が大きく湾曲して、街は川に突き出した格好になっている。東西と南は川に面していて、北は深い山だ。いわゆる天然の要害で、昔は戦略上重要な街だったに違いない。順昌と名付けられたのは西暦933年(唐の時代)から。私達が街に入ったのは西橋からだったが、もう一つ南橋もあるそうだ。森林面積が77%を占め、農業部門では米、木材、柑橘、竹、きのこ類、タバコ、野菜、水産が盛んである。工業部門では、加工済み建材、製紙、電力、セメント、家具、割り箸、ビールなどが生産されている。夕食は政府の建物の食堂で呉さんを加えて5人で食べた。今回中国で初めてアジ(魚)が出た。それから馬蹄蓮(または慈茹)という水田で取れる野菜の根を食べた。梨のような味で、これも初めてだった。中国へ来てから食事はいつも食べ過ぎてしまう。劉さんからのアドバイスで、私は「お酒は一滴も飲めない人」と言うことにしてあるので、代わりに「チェンリンバォ」という350ml入りの飲み物を用意してくれた。ファンタ・オレンジに似た炭酸飲料で、なかなか美味しかった。でも、プルトップはステイ・オンではなく全部引きちぎる昔のタイプだった。7時には夕食も終わり、今日はゆっくりとしてくださいと順昌県の人達は帰った。劉さんと相部屋の503(ウーリンサン)号室。シャワーを浴びて旅の疲れを流し、TVをみた。こちらではどこでもケーブルTVが発達していて、順昌県でも放送局を持っている。字幕放送と地方番組をやっていた。「百姓」というのは「庶民」という意味。「柴三機」は中国の農村でいつも見かける重油エンジンの貨物自動車のこと(中国版「田舎のベンツ」と呼ぼう)。このホテルは県政府が管理しているらしく、入り口は道路に面しているのではなく政府の建物に囲まれた中庭を向いている。中庭へ入るには守衛がいる鉄の門を通らなければいけないのでセキュリティは完璧だろう。それに、各階の階段を上がったところにそれぞれ受付嬢がいて、部屋の鍵を渡してもらうシステムになっている。「ショージェ、ウーリンサン(小姐、503)」はこの後で何度も聞いたので覚えてしまった。お土産は最後のウイスキー3本とタバコ2カートン。トランクの中に少し空間が出来たがそれでも充分重い。はるばる来たぜ、順昌県!!!
2002年02月13日
コメント(8)
「鶴は千年、亀は万年」というのは日本固有の諺かと思っていたら、最近中国の友人と話をしていて、これも中国からの輸入品だとわかったtetywestです。中国では「龍」「鳳」「亀」「麟」が縁起の良い動物のベスト4だと教えてくれました。なるほど、それで定陵には亀に乗った墓碑があったのか・・・・さて、ここから話は全然別の方向に・・・・友人 「『亀』は昔は良い動物。でも今はちょっと違います」tetywest 「なに?なに?」友人 「奥さんが自分以外の男と関係していることを知らない夫を『亀』と言うんです」tetywest 「へ~、そうなの」さらに、続ける友人友人 「ワンパータンね」tetywest 「えっ?ワンパターン。何それ、・・・・書いてくれる?」友人が書いたのは「王八蛋」友人 「ワンパータンですよ」tetywest 「おぉ、王、八、蛋、でワンパータンなのか。それで、ど~ゆ~意味なの?」友人 「『王八』は口語で、亀のことです。『蛋』は卵」今度は日本語の「ワンパターン」を説明するtetywest。中国語と日本語(英語?)で同じ発音の言い回しがあるのにビックリでした。tetywest 「じゃ、夫が他の女性と関係しているのを知らない奥さんは『鶴の卵』?」友人 「いいえ、昔、中国の男は奥さん何人でも大丈夫です。ですからそんな言葉はありません」tetywest 「昔の日本も、同じだったんだよ」さらに友人が紙に書いたのは「紅杏出牆」tetywest 「?????」友人 「きれいな花が塀を越えて咲いている・・・でしょう?」tetywest 「うん、それで・・・・」友人 「ワンパーの奥さんのことです」tetywest 「あ、そうか」友人 「これは唐朝の詩があります」さらさらと詩を書く友人。「一枝紅杏出牆来」tetywest 「誰の詩?」友人 「孟浩然です」tetywest 「おぉ!!あの『春眠暁を覚えず』で有名な・・・・」友人 「最初はその意味ではなかったです。でも、紅杏が亀の奥さんだということは、今の中国人なら誰でも知っていますよ」「鶴亀」が「孟浩然」へ・・・・予想外の展開でした。同じ「おめでたい」でもワンパータンにはなりたくないですよね。
2002年02月12日
コメント(6)

南部吉蔵さんから「モーツアルト蜜柑収穫情報を求む!」 とのご要望がありました。明日は春節なので、この辺で「中国農業研修旅行日記」を一休みして、久しぶりに「よもやま話」を書こうと思います。 ミカンの収穫は何月かご存知でしょうか?実は何月と答えても正解です。日本では、ハウスミカンを含めた柑橘類は一年中収穫されているのです。もちろん、露地の温州ミカンだけに限れば、収穫時期は9月~12月の4ヶ月間にほとんど収穫されてしまいます。今スーパーや果物屋さんに並んでいるミカンは12月に収穫され、貯蔵庫で貯蔵されたミカンなのです。なぜ12月に収穫してしまうかというと、それ以降は気温が下がり寒さのためにミカンの果実が被害を受けるからなのです。また被害を受ける心配の少ない温かい地方でも、果実が過熟になると皮と実が分離する、いわゆる「浮き皮」が発生してしまうので貯蔵性が著しく低下してしまいます。また、食べものを求めて渡り歩く鳥たちの絶好の餌となり、中身は空っぽの「皮だけミカン」になるという被害も大問題なのです。しかし、収穫せずにそのまま成らしておくと糖の蓄積は続いていますから、ミカンはどんどん甘くなります。12月に糖度が12度あるミカンは、1月には13度、2月には14度になるのです。美味しいミカンは作りたい、でも被害を受けるリスクは犯したくない・・・この二つの要素が絡み合って農家は12月にミカンを収穫してしまうのです。ところが今から16年前、ですから1986年の11月、ある人達が当時としては大変馬鹿げたことを始めたのです。それは、ミカンに1個1個袋をかけるというものでした。tetywestの地域はミカンだけでなく枇杷も栽培されていますから、果実に袋をかけることは作業としては珍しいことではありません。しかし、周囲の反応は「いくらなんでも価格の安いミカンにわざわざ手間と労力をかけて袋をかけなくても・・・」という冷ややかなものでした。さて年が明けた2月、このミカンは収穫され、「正真正銘、今まで木に成っていたミカンですよ」というのをアピールするために葉っぱをつけたまま、袋に入ったままの姿で東京の市場に出荷されました。市場の反応はすごいものがありました。「こんな美味しいミカンは食べたことがない」「とろけるような美味しさだ」と絶賛されたのです。それ以来この栽培方法は次第に西日本の産地に広まり、「袋かけミカン」の愛称で親しまれています。現在、tetywestの家でもこの「袋かけミカン」の収穫の真っ最中です。収穫したミカンは一度袋から出して、傷があるかどうかをチェックし、大きさ別に大・中・小に別けます。そして、もう一度袋に包み直して箱詰めされます。袋の色は鳥の被害が一番少ない緑色、そして、ダンボール箱は「千両箱」をイメージしたデザインです。箱のサイドには赤い「ふるーつ物語」のロゴ。今年は60軒の農家が合計10000箱を出荷する予定で、現在60%の出荷が終わっています。でも、寒さや鳥の被害を防げたのはわかるけど、どうやって「浮き皮」を防いだのだろう?と疑問をもたれたアナタ、めちゃめちゃスルドイです。この問題の解決方法は、普通は10月~11月に晩生ミカンより早く収穫する「早生ミカン」に、それも「浮き皮」になりにくい小さい果実だけに袋をかけるという「逆転の発想」だったのです。
2002年02月11日
コメント(11)
1時半少し前に「老沈飯店」を出発する。しばらく走ると、突然車に異常な振動が発生した。運転手のルーさんが車を路肩に停車して、チェックしている。なんと右後輪のバーストだった。スペアタイヤはトランクの中なので、私達の荷物を全部出して道ばたでタイヤ交換。バーストしたタイヤは古いタイヤにトレッドゴムを貼り付けた、いわゆる再生タイヤだった。それもかなりすり減っていた。再び走り出してから注意して見ていると、国道沿いにはそこかしこに「褂胎」という看板がある。タイヤ修理という意味だ。少しうとうとして目覚めた時、車は山に囲まれた広い盆地を川沿いに走っていた。岸辺には柳や名前のわからない潅木が生えていて、その向こうは水田が広がっている。川の流れはとてもゆったりとしていて、しばらく見つめていないとどっちへ流れているのかわからない。これは中国でしか味わえない風景だろう。やがて、車は国道205号線から別れて建陽市に到着した。そういえば甫城県を出てから建陽市に着くまで3階建て以上の建物は見なかった。建陽市は崇陽渓という川に沿った街で、両側には山が迫っている。ここは朱子が晩年を過ごしたところで、歴史を感じさせる古風な街並みが印象的だった。何となく愛媛県の大洲市に雰囲気が似ている。建陽市からは県道級の道になり、道路幅も狭くダートも多くなった。「順昌県に入りました」と聞かされたのでもうすぐ着くのかと思ったら、そこからさらに70キロ走るのだそうだ。順昌県に入ると車窓の風景にミカン畑が目立ち始める。この地方の今年のみかん価格は1㎏1.8元~2元(27円~30円)だそうで、衢州市より少し安いのは交通手段の発達が遅れているからだろうと劉さんが説明してくれた。福建省ではポンカンのことを「芦柑」という。車は山の中をくねくねと走っていく。途中で仁寿という村にさしかかった。道路に沿って民家が並んでいる。いかにも山村という風景だ。と、ある建物の前で車が突然停車した。制服の警官らしい人と話をしていた髭のお兄ちゃんがこちらへ歩いてきて、車の窓越しに寥さんと親しげに話し始めた。一見、昼間から与太っているやーさんのようにしか見えない髭のお兄ちゃんは、なんと仁寿鎮の鎮長さんなのだそうだ。日本では絶対考えられないことだ。どう見ても30歳より若い!!国道316号へ出る手前に大きな工場があった。何の工場かと訪ねたら、県で一番大きい尿素を作る工場だそうだ。国道316号線は福建省福州市から南昌、武漢を経て西安のはるか西方、黄河のほとりの甘粛省蘭州市まで続いている。205号線が沿岸を結ぶ幹線道路なら、316号線は沿岸部と内陸部を繋ぐ幹線道路なのだ。
2002年02月10日
コメント(2)
車が少し流れの緩やかな川に沿って走り出したところで、道路の頭上に省境の看板がある。ここから福建省に入る。ここまで来たという証拠に省境の看板を背景に記念撮影をした。私達の車はまるでラリーにでも出場したように泥だらけになっていた。国道205号線は広州から山海関まで続いている。ここから広州まで1340㎞、山海関までは1880㎞ある。1本の国道の全長は3200㎞を超えることになる。中国は広い。12時半に甫城(ほじょう)県へ到着。わざわざ私のために国道を離れて街を走ってくれた。メインストリートが1㎞ほどの小さな街だった。建物もせいぜい6階建てまでで、衢州市よりはずっと古い。街の中央にある交差点には信号があり、警察官が真中で交通整理をしている。しかし、自動車はあまり走っていない。この甫城県からは、唐代以降宰相が3人出ているのだそうだ。ほかに産業のない貧しい地方なので、昔から教育熱心な風土があったことと、3省の接点に位置するため情報が豊かだったからだと劉さんが説明してくれた。甫城県の町外れのドライブイン「老沈飯店」で昼食。店の中はスチール製のテーブルが5~6個、それぞれにプラスチック製の白い椅子が4つずつ置いてある。床はコンクリートだった。他にお客さんはいない。レストラン以外での食事は初めてだったので、どんなものが出てくるのか興味深々だ。お茶はセルフサービス。テーブルの真中には竹の筒に一杯入った竹製の箸、トウバンジャンの入った陶器の壷が置いてある。店の奥にカウンターがあり、調理場のざるに入った野菜、ぶら下げた肉、バケツに入った魚などの材料が覗けるようになっている。注文方法はその材料を指定して、それらを煮るか炒めるか、スープにするかを言うだけ。セルフサービスでご飯を茶碗に入れている間に、もう最初の豚肉と椎茸とサヤエンドウの炒めものが出来上がって来た。その後5分もしないうちに魚とハクサイの煮込み汁が出てきた。早くておいしくて安くて量もものすごく多い。しっかり満腹になっても魚のスープは食べきれなかった。ご飯はお代わり自由だそうで、運転手のルーさんは2回もお代わりしていた。私はご飯は一杯でも十分だった。食事の間にダートを走って汚れていたサンタナも洗車されてすっかりきれいになっていた。
2002年02月09日
コメント(6)
9時に衢州市を出発してまず甫城県へ向かう。街を出ると車は鉄道の線路に沿って南東へ走っていく。劉さんと私は後部シートに座っているので、流れていく風景を見ながらいろいろな話ができる。衢州市では柑橘農家の手取りが1㎏1.2元(18円)なら利潤がある。今年は一番高いもので3.2元(48円)、平均2.2元(33円)だったそうだ。こんなに高価格になったのは湖南省、湖北省、四川省の一部、江西省の一部の水害の影響だそうだ。衢州市北東部にある開化県はお茶が有名。海抜1100メートル以上の高地で栽培される「龍頂茶」という銘柄だそうだ。江山市から鉄道の線路と別れて国道205号線に入る。江郎山という国家級風景名勝区がある。この地方のアヒルはおいしくて有名だそうだ。車のナンバープレートにミン(門構えに虫)が増えてきた。福建省の別名だ。浙江省のナンバープレートは「浙」で始まる。ここから車は南下して一路福建省との省境へ向かう。両側に険しい山が迫った渓谷を上流に向かって進んでいく。いかにも峠越えという雰囲気だ。途中で道路工事のために20キロ進むのに1時間かかった。すごい悪路だった。国道を拡幅しているのだが、20kmの区間全域でダイナマイトを使って岩を崩してある。大きな岩が道路のすぐ傍まで転がっている。片側交互通行のところもいっぱいある。その石を使って川床から道路の石垣を築いているのだ。ところどころで石を移動するためのブルドーザーはあったが、日本の道路工事には絶対必要なパワーショベルはあまり見かけなかった。石垣に使う石は、石ノミでていねいに同じ形のものを作っている。石を割るのも、運ぶのも人力なのだ。万里の長城もこうやって造られたのだろう。劉さんの話では、国道の工事でも費用は国家だけが出すのではなく地方政府も負担が必要で、その上に労働を提供しなければならないそうだ。まるで、平安時代の「租・庸・調」だ。この辺の地層は頁砂岩という岩石だそうだが、薄い青みがかった結晶片岩のような岩だった。「竹子之里」と荷台に書いた青いトラックに何台も出遭った。「竹子」は「たけのこ」だと思っていたら、そうではなく「竹」のことで、福建省の順昌県と建欧市が「竹子之里」なのだそうだ。道路はほとんど大型トラックしか走っていない。もちろん舗装はしていないし、雨上がりで水溜りもいっぱいあった。路肩に滑り込んで傾いているトラックもいた。ようやく峠を越えて舗装道路になる。しばらく走ると廿八都という地方にさしかかった。この地方は浙江省、福建省、江西省の3つの省境の接点にあたり、昔から戦略的に重要な地域で、地方豪族がたくさんいたところだそうだ。
2002年02月08日
コメント(12)
99年03月13日(土)天候:曇り一時雨5時起床。日記を書いて7:30に劉さんが迎えに来て朝食。今朝はホテルの食堂でバイキングだった。いろいろな種類の饅頭、大豆のスープ、オレンジジュースなどは、今までの朝食では出なかったので興味津々だった。でも、オレンジジュースは水で薄めてあるような味だった。呉所長、順昌県の廖(りょう)さん、ルーさんも一緒に食べた。8時半にホテルをチェックアウト。順昌県の農業局のサンタナに乗って市内の孔子廟へ。孔子廟は広い中国の中に2ヶ所しかないのだそうだ。北の山東省曲阜の孔子廟はあまりにも有名。しかし、今朝所長さんから教えられるまでもう一つが衢州市にあるというのは全く知らなかった。孔子廟はホテルから北東に5分ほど走った市街地のはずれにあった。朝早いのでほとんど観光客はいない。廟の前はもう少しすればお土産物屋さんが並ぶのだろうが、それもほとんど見かけない。曲阜の孔子廟がどのようなものか全く知らないのだが、衢州市の孔子廟はなかなか立派なのだ。朱塗りの門には青地に金文字で「衢州孔氏家廟」の額がかかっている。中に入るときれいに手入れされた植え込みがあり、一番奥に大きな孔子の像を祭ってある建物がある。この像は1988年に作られたものなので、新しすぎて廟には不釣合いな感じだった。すぐ横にある博物館に行くと、黒い石に彫られた孔子の肖像画がガラスケースに入っていた。この絵は教科書で見たことのあるものだった。孔子廟の説明もあった。宋の時代に、金が攻めてきたとき、南宋の都は杭州に移ったが、それに伴い孔子の48世は衢州に移ったのだそうだ。昔は曲阜と同じ規模の廟だったが、明、清代に次第に小さくなったそうだ。現在の廟は1821年に建てられたもので、全国重点文物保護単位(日本だと重要文化財か)になっている。なるほど、そういうわけで孔子廟が二つあるのか。衢州市には古い城壁がまだ一部残っているが、これもなかなか立派なものだった。
2002年02月07日
コメント(4)
N君とH君を見送った後、ホテルに帰って休憩する。ホテルの従業員もデパートに負けないくらい人数が多い。フロントには、「熱烈歓迎 日本香川県○○町中国果業視察交流団光臨 東方大酒店!技術講座在 3階3号会場」の看板があった。私がくつろいでいる間にも劉さんは準備に忙しい。1時半からTVインタビューを受けた。「三粗一改」をテーマにして、衢州市の柑橘の現状について意見を述べた。「三粗一改は日本でも実際に行われている高品質栽培の要点をわかりやすくまとめた素晴らしいスローガンだ」と褒めちぎった。しかし、特に改良すべき点を指摘して欲しいとのことだったので、「木と木の間隔が狭くて、日光が十分に下の枝まで届かない。高品質果実をつくるためには木を切らなければいけない」と答えた。2時からはホテルの3階会議室で劉さんの通訳で日本柑橘についての講演だった。各県の技術員が30人ほど集まっていた。部屋の前方には例によって赤地に白抜きの「日本柑橘専家tetywest(もちろん漢字)先生技術講座」の幕がかかっている。やっぱり恥ずかしい。1時間半ほど、品種のことや、袋かけ栽培、有機肥料などについて説明した。日本のミカン園の写真も見せながら話をした。その後1時間の質疑応答。主に袋かけ栽培、有機質肥料、摘果についての質問だった。このときもTVクルーが来ていた。聞きに来ている人の中には静岡県に研修に行ったことのある技術員や、日本語の分かる人が3人いた。4:30にお役目終了となり部屋に帰る。私はゆっくりとくつろいでいたのだが、劉さんはその間も他の打ち合わせで忙しい。5時半頃順昌県から廖(りょう)農業センター副主任が到着した。柑橘研究所長と廖さん、運転手のルーさん、劉さんで食事。廖さん達は朝8時半に順昌県を出発して、衢州市へ到着するのに9時間かかったのだそうだ。7時には部屋へ引き上げた。順昌県の二人も同じホテルの同じ階で泊まった。劉さんは疲れただろうし、私も疲れたので部屋で劉さんと別れ、少しうたた寝をした。風呂に入ってTVを見ていると地元局のニュース番組で昨日の我々の視察の映像が流れていた。ほかのチャンネルに変えてみると、ちょうどF1第1戦をやっていた。日本では私達が中国へ出発した日の夜中の放映だったので、ラッキー!!結果はアーバインが1位。2位は黄色のマシンのフィレンツェン。去年はラルフが乗っていたチーム。3位はラルフ・シューマッハ。ウイリアムズは2台とも早々に途中リタイヤ。シューマッハは最後尾からスタートして2位まで追い上げたもののタイヤのバーストでリタイヤした。今年も面白くなりそうだ。夜中の12時になってもSLが汽笛を鳴らしながら走っている。今日特に印象に残ったこと:中国では雨の日に自転車に乗るとき、頭からすっぽり被ってハンドルまで覆う合羽を使っている。まるで人間と自転車が一体になったように見える。これを着れば手が濡れないし、脱ぐのも簡単。とても良いアイデアだと感心した。色も赤、青、黄色、緑など、色とりどりで楽しそうだ。12時過ぎに寝た。
2002年02月06日
コメント(4)
研修報告(13)専門柑橘技術員との懇談柑橘研究所の説明を受けた後、日本のみかん栽培について話をして欲しいとの依頼があったので、劉氏の通訳で懇談会を持った。特に高品質栽培への取り組みと、有機質肥料についての質問が多かった。夏期の土壌乾燥によって糖度を上げること、マルチ栽培、フィガロンの品質向上目的の散布、枝別全摘果、袋かけ栽培、有機質肥料の成分、光センサー選果機等について説明した。柑橘の専門家ばかりなので、たとえば「乾燥の時期と程度はどうなのか」とか、「マルチ栽培での土壌中の二酸化炭素の増加にどう対処するのか」とか、「枝別全摘果の時期はいつか」とか、「袋かけ栽培の品種ごとの被覆時期はいつか」とか、「フィガロン(中国では名前が違うらしく、摘果に使うホルモン剤だとしか説明ができない)はどうして品質向上に有効なのか」とか、かなり鋭い質問が多かった。特にフィガロンの根の活性化を押さえる効果について説明したときは、全員が相当興奮していたようだった。光センサー選果機にもかなり興味を持ったようで、具体的な能力と金額を聞かれた。「1日100㌧処理で10億円です。」と答えたら、溜息が漏れていた。我々としても、中国のみかんに対する日本のみかんの最大の切り札なのだから、そんなに簡単に導入されては困るのだ。農家へ普及させる小型のガソリンエンジンの動力噴霧器が欲しいとの事だったので、帰国後カタログを送ることを約束した。中国ではまだ、手押しの肩掛け噴霧器が使われているそうだ。3時間足らずの懇談会だったが、内容はかなり密度の濃いものだったと思う。もう少し時間があればと残念である。
2002年02月05日
コメント(4)
研修報告(12)衢州市柑橘研究所柑橘研究所は衢州市だけではなく、中国の柑橘栽培の発展大きな役割を果たしている。衢州市柑橘研究所の前身は1972年、衢県農科所の柑橘試験基地として設立され、1984年3月に衢州市柑橘研究所として再編成された。10㌶の実験圃場を持っている。建物の面積は1500平方㍍。この年、ポンカンの栽培面積は2千400㌶になり、栽培面積、生産量とも全国1位の県(当時)となった。現在、研究技術用員は17名で、専門柑橘技術員は9名、研究員は1名。そのうち高級農芸師2名、農芸師4名がいる。オフィスは品種課、栽培課、土壌肥料課、化学分析室、計算機室、生産管理室がある。研究テーマは栽培技術、品種改良、自然災害対策、病害虫、貯蔵、経営、流通、加工利用等25項目と広範囲にわたり、研究成果を論文として100以上発表している。最近の主な論文では、 丘陵地のポンカン栽培技術 丘陵地の温州みかんの豊産技術 丘陵地のネーブルの栽培 丘陵地の品種の繁殖技術 柑橘の貯蔵技術 柑橘の有機肥料の推進 高接ぎによる優良系統の繁殖 液肥栽培の技術 頂芽繁殖 などがある。またそれらの研究成果に基づいて農家への普及活動も行っている。実験圃場には温州みかん(極早生、宮川早生、青島)、研究所で選抜育種したポンカン、アメリカから導入したバレンシアオレンジ、文旦等が植えられていた。他に梨、桃の園もあり、それらの研究もしている。論文「中国から見た日本柑橘産業」劉氏は1991年から衢州市柑橘研究所に勤務し、現在副所長である。これまでに発表した論文は10編を超えている。そのうち、彼が日本から帰国後1999年1月に発表した「日本柑橘生産の現状と発展方向」と題する論文をコピーしてもらった。日本の柑橘栽培の現状と問題点を的確に分析している。『近年、日本柑橘の市場は周年供給体制が確立し、品種改良が重視され、栽培管理の省力化が行われ、高品質化と個性化が特徴的である。私は中国農学会より派遣され、1997年7月から1998年7月まで香川県にて柑橘を主体とした果樹技術を研修した。以下は、その現状である。日本柑橘における品種の開発は効率が高く、特に極早生では100以上の品種がある。切れ目なく市場に柑橘が供給されている。1997年温州みかん生産量は151万㌧、その内で極早生は20万㌧。伊予柑、八朔、及びネーブル等の中晩柑は40万㌧を超えている。(以下略)』
2002年02月04日
コメント(4)
99年03月12日(金)天候:曇り一時雨6:50起床。7時半に劉さんが部屋に迎えに来てくれてホテル2階の個室で朝食。8:20に迎えの農業局のワゴン車が来て、柑橘研究所へ向かう。その前にホテルの売店で5元で衢州市の地図を買ったので、ホテルの位置や試験場の場所などがよくわかった。やはり今日もTV取材班が同行している。外は小雨だった。柑橘研究所では、まずは張高級農芸師が園内を案内してくれた。日本の文旦や青島、バレンシアも栽培されていた。そのあと研究所の職員との座談会だった。柑橘研究所の概要の説明を受けた後、私たちがが日本の温州ミカンの高品質栽培について説明する。枝別全摘果、有機肥料、フィガロン(成長ホルモン剤)散布、袋かけ栽培などについてだった。専門家だけに反響は大きかった。あっという間に10時半になり、研究所に別れを告げてホテルへ移動した。「衢州柑橘」という本を所長さんから贈られた。かなり分厚い本で、衢州市の柑橘栽培の歴史や現状、研究論文などが掲載されている。もうお馴染みになった個室でTVクルーと一緒に昼食。アナウンサー兼ディレクターは若くて美人の女性だった。11:40頃ホテルから200㍍先の衢州駅に行き、ホームへ。日本と違って、中国の駅のホームはレールと同じ高さだ。すでに上海行きの汽車はホームに入っていた。一番前の車両まで延々と歩いた。新幹線より長そうだ。H君とN君の乗る列車は指定席だったが満席状態。通路にもたくさんの人が立っているという混雑ぶり。何とか荷物を運び込んだら、もう出発の時間だった。シートは片側3列ずつだった。2人に別れを告げて汽車を降り、一番前で機関車をバックに記念撮影をした。ホームでは物売りのおばさんたちが大勢、それぞれリヤカーにみかんやナッツ類をいっぱい盛り上げて売っている。列車は定刻の11:55に出発した。この駅舎は仮で、今新しいのを建設中なのだ。今度来たときは景色が変わっているだろう。いよいよ一人だけ残ってしまった。
2002年02月03日
コメント(8)
夜はH君のリクエストで劉さんのアパートを訪問することになった。アパートは市街地から少し離れた住宅地区にあった。同じようなコンクリート製の建物が並んでいる。日本でいう公団住宅のようだ。階段を上って6階に到着。中国の建築基準ではエレベーターがなくていいのは6階建てまでなので、最上階になる。奥さんと鵬博ちゃんが出迎えてくれた。間取りは3DKで80㎡、政府の補助があり一般の人よりは安く買えるのだそうだ。入って右は台所兼食堂だった。床は灰色のコンクリート。ガスコンロと流し台と冷蔵庫があってきれいに片付いている。部屋の真中にはテーブルと椅子。奥さんは現在専業主婦。中国では珍しい(都市部では5人に1人くらいらしい)。入って左の応接間兼居間はソファーとテーブルがあり、テレビとステレオとVCDが置いてある。中国ではVCDが大流行なのだ。床はエビ茶色のコンクリートのフロアだった。奥さんがお茶を出してくれて、ナッツ類とミカンをご馳走になった。私はスイカの種が好物なので、たくさん食べた。劉さんが管理しているネーブルも食べた。さすがに美味しかった。鵬博ちゃんは1歳2ヶ月なのだが、もうよちよちと歩いているし、なかなか賢そうで少ししゃべる。背伸びをしてVCDのボリュームのつまみを回そうとする。スイカの種をつまんでは、床に投げる。笑いながら何度も何度も繰り返している。劉さんも叱りもせずに子煩悩なところを見せていた。帰る頃には小雨が降り始めた。劉さんが黄色の安い方のタクシー(軽のバン・ダイハツハイジェット)でホテルまで送ってくれた。「東方大酒店」は衢州市ではトップクラスのホテルだが、格付けは3つ星。しかし、部屋はきれいだし、バス・トイレ・TV・冷蔵庫と揃っていて不自由は感じない。H君との相部屋だった。風呂に入って、洗濯をして、部屋から家内に国際電話。そして日記を書く。もうすぐ1時になる。
2002年02月02日
コメント(8)
研修報告(11)3.現地視察(その3)その村を後にして、次は石梁鎮へ向かう。道路は日本の県道級だが、全部コンクリートで舗装してある。村の農家の家も二階建てで、きれいだ。西安の農村の風景とはかなり違っている。揚子江から南は豊かだと聞いてはいたが、家や村の様子を見ると、それを実感する。村落のないところは、とにかくみかん畑しか見えない。どこまで走っても途切れることがない。衢州市だけで日本の全部のみかんの半分近くを栽培しているのだから当然といえば当然なのだが、それでも実際に1時間以上走っても際限もなくみかん畑が続いているのを体験できるのは感動ものである。途中から舗装道路がダートに変わり、登りになる。曲がりくねった道をしばらく走ると、峠にさしかかった。ここで車から降りて見た景色は今回の研修旅行の中で一番印象に残っている。その地点は標高300㍍だそうだが、東、西、北は標高600㍍くらいの山で囲まれている。南に向かって一筋の渓流が流れている。中国の川は濁った黄色だとばかり思っていたら、ここの川は水が透き通っている。そのはるか30㎞先は衢州市だ。山と山の間隔は3㎞くらいで、なだらかな斜面になっていて、全部みかんが植えられている。川に沿って集落がぽつん、ぽつんと1キロ間隔くらいで下流まで連なって見える。緑のみかん畑のなかに街並みのレンガの赤が浮き上がって、絵に描いたようだ。まるでヨーロッパの古い街並みを見ているような錯覚にとらわれる。山裾の少し急なところのみかんはまだ若く、段段畑に植えられている。これは1985年以後新しく開墾されて植えられたみかんだそうだ。傾斜地とみかんのセットの風景は私の町と同じなので、それを見ると懐かしい気がする。山の形も私の町の山に似ている。しかし、どこを捜しても園内道らしきものは見えない。収穫時期のみかんの運搬は、篭に入れて担いで道路まで運び出し、農家は運搬専門の車と運転手を雇って家まで運ぶのだそうだ。貯蔵には板で作った30㎝×50㎝、高さ15㎝くらいの箱を使い、近距離の輸送にもその箱を使うそうだ。航阜鎮では、その箱を作る小さな工場が数カ所あって、道ばたに箱が積み上げられていた。また収穫や運搬には、ちょうどコンテナくらいの大きさの竹で作った容器を使っていた。一農家の平均栽培面積は30㌃だそうで、そのような規模だから、園内道なしで栽培が出来るのだろう。ちょうど日本の30年前の規模と栽培方式だと感じた。ここで、ケーブルTVのレポーターから、衢州市のみかん産地を見た感想を聞かれたので、その規模の雄大なこと、傾斜地のみかんは日本と同じだと言うこと、風景がすばらしいということ、ポンカンがおいしかったことを話した。この頃には時間も5時を過ぎ少し暗くなり始めたので、視察はここまでで終了して衢州市へ向かった。
2002年02月01日
コメント(6)
全28件 (28件中 1-28件目)
1