2003年06月23日
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《表紙画》


 ちょっと待って下さい。ボクは文章を書いてるんだから。

 今飛び込んで来たのは村山首相辞任のニュース。ふーんってな感じかな、うん。いいんです、どっちでも。なぜって、この原稿明日にはちゃんと印刷されてミニコミの1ページを飾るんです。

〔例題1〕地下鉄サリン事件、南太平洋核実験、米自由化、みんなが新聞の一面を狙って頑張るほど新聞はアートじゃないってこと。そう、メリハリの効いたBGMってとこかな。ボクは飢えたことがないし、人が殺し合うのを見たこともない。寒さに凍えたこともないし、暑さに倒れたこともない。だから、新聞が惨劇を並べ立てれば立てるほど、それらは平和を陳腐に美化するためのアクセサリーに見えてくる。エロ・グロ・イノセンスにクリスタルが少々っていう感じ。

〔例題2〕リアリティーとしてのカップラーメン。
 真夜中のキッチンは郷愁に満ちている。暗闇で冷蔵庫を開いたときの新鮮なオドロキ。惣菜屋のコロッケ、冷凍ピラフ、缶コーラ。なんて無機的でクールなノスタルジアか。シュールレアリストの笑みを浮かべてボクはこうささやく。愛を語る前に腹を満たそう。

かくして長い年月の3分間を越えて、カップラーメンのフタを取る時がきた。このユゲとカオリにボクは人生のうちで一等純粋な野心を感じる。そしてちょっと熱っぽくなる。萩原朔太郎風に、再び、 のすたるぢあ、 なんです。

原体験のないボクにとって大人たちのやってることは滑稽きわまりない。彼らの言葉をリアリティーとして捉えられない以上、ボクにとってそれらはネチネチとひつこいだけ。ボクが学校で教わったのはHIJKの順番。



よりによって?

そう、よりによってなんです。よりによって、こんな灰色の空の下であの果実はどうしてあんなに暖かな色をしているんでしょう。まるで真夏に受けた太陽をじっとため込んでたみたいですね。

(やっぱりなんかヘン)

ルーヂャというその響きにゾクッとしてしまいます。何と悪魔的でわい雑な響きなんでしょう。はじめて聞いた時ボクはこの言葉が一日中頭から離れなかった。ちょうど音楽会に行ったんです。その時思ったんですね。あの甘ったるい歯の浮くようなマーラーのアダージョよりずっといいってね。






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最終更新日  2003年06月23日 16時27分56秒
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