《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2007年03月28日
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テーマ: 足下を掘れ(72)
「僕は人生の勝利者だと思うよ」

その人は突然そう言った。

五十年生きてきて、はっきり自分のことを“人生の勝利者”と言った人を始めて見た。

僕のイメージの中では、“人生の勝利者”とは、とんでもない成功を収めた人、大金持ちになったとか、世界的な業績を残した人とかだったのだが、その人はそんな風ではなかった。

むしろ平凡な、特筆すべきものが何もない、サラリーマン生活を終えた“年金生活者”だった。

見合いで得た妻と、ひとりの娘。

娘の夫と孫二人の六人で暮らしている。

傍目には幸せに映るかもしれない。

本人もそれを自覚して“勝利者”と呼んだのだろう。



娘の夫である僕に連れられて、病院へ行く時の会話だった。

義父は胃癌を患って、昨年胃の摘出手術を受けた。

会話はその手術の前だったか後だったか、入退院を繰り返していた時のものだ。

その間自分の人生を振り返って、到達した結論だったのだろう。

義父は多くを望まない人だった。

僕の“比較幸福論(幸福には「絶対幸福」というものは存在せず、幸福感は必ず何かとの比較によって得るものであるという理論)”でいえば、まさに幸福になる生き方をしていた。

僕は間違っていた。

間違いの原因、起因を誰かに押し付ける気はないとしても、リスタートをするに当たって考えておかなければならないことがある。

或る時期から、大きな成功を夢見るようになっていた。

著名になって、大金を稼ぐ。

高校時代の僕の憧れは“五木寛之”だった。



青春期に憧れはつきもので、それ自体は悪いことではないのだけれど、その後の人生で現実と憧れのギャップを埋められずに来てしまった。

たぶん幼少期のどこかで付着した“劣等感”がぬぐいきれずに今日まで来てしまったのだろう。

“劣等感”自体は忌むべきものでなく、それを受け入れられなかった僕の構えに問題があった。

“あるがままを受け入れよ”と、言葉では知っていたと思うが、実際は違っていた。

ギャップを埋めるためにすがったのが、“成功哲学”だった。



リスタートにあたって、このばかげた成功願望は捨てなくてはならない。

手の届く夢を、確実にかなえて積み重なることが必要だ。

目の前にいる“人生の勝利者”に学ばなければならない。








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最終更新日  2007年03月28日 07時18分52秒
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