死刑廃止論者である千葉景子法務大臣が、死刑執行のサインをしたことがTVのニュースで流れた。
TVというのは、いつも批判するポジションで報道するので、死刑をするなんて~という雰囲気だった。
コメンテーターが「死刑廃止に向かっているときに」というようなことを言ったとき、一緒に見ていた息子が、
「死刑廃止にしてどうすんだよ」
と、疑問を投げかける。
「でもなあ、世界ではもう四分の三が死刑廃止してんだよ」
と言うと驚いていた。
日本人の感覚だと、死刑は当然の報いで必要なものだ。
感覚は文化の違いで、宗教や歴史に感化される。
現在主に死刑が行われている国は、中国とイスラム諸国、そしてアメリカ。
アメリカも州によっては廃止している。
世界の流れとしては、死刑を廃止する方向に向かっている。
死刑に関する問題は、1・冤罪、2・犯罪抑止力、3・遺族の感情、4・政治犯などである。
世界が死刑廃止にしたのは、実は政治犯の死刑問題が重要な課題だった。
独裁者の反政府勢力に対する横暴な死刑を、民主化した新国家が防衛的に廃止するようになった。
日本は歴史上、支配者と民衆に抗争がなかったに等しかったので感覚が薄い。
日本国内の戦いは、主に支配者対新支配者。
支配者と披支配者の戦いは、せいぜい百姓一揆で、それも言われているほど多くは無かった。
日本で論議されるのは、『犯罪抑止力』と『遺族の感情』。
『犯罪抑止力』に関しては、「死刑になりたかった」と言って無差別殺人を犯す輩がいるぐらいだから疑わしい面もあるが、やはり力にはなっていると思う。
では、『遺族の感情』はというと、これは復讐主義だ。
敵討ちだ。
日本人的に納得できる感情なのだが、僕の目指すのは『許し』。
昨年、千葉の女子大学生が強盗に殺害され、放火される事件があった。
TVには被害者の成人式の着物姿の写真が幾度も映し出された。
その時、成人式を迎える娘を持つ父親として、果たしてこの犯人を許すことができるのか悩んだ。
「犯人に対してどう思いますか」などという、こころないTVの報道のマイクを前に、僕はなんと答えるのだろう。
その時になってみないとわからないが、その時は来ないでほしい。
そう願うしかない。
僕の頭の中では、死刑廃止なのだが、それを公言するのに躊躇する事件がある。
『光市、母子殺害事件』だ。
あまりにむごたらしい事件なのだが、知らない、あるいは忘れた方のために、事件の概要を書く。
1999年4月14日の午後2時半頃、当時18歳の少年が山口県光市の社宅アパートにゴウカン目的で押し入った。排水検査を装って居間に侵入した少年は、女性を引き倒し馬乗りになってゴウカンしようとしたが、女性の激しい抵抗をうけたため、女性を殺害した上でゴウカンの目的を遂げようと決意。頸部を圧迫して窒息死させた。
その後少年は女性をシ姦し、傍らで泣きやまない娘を殺意をもって床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。そして女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。
少年は盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の1999年4月18日に逮捕された。(by Wikipedia)
吐き気を覚えるほどの悲惨な事件だったが、犯人の少年が18歳であることで、世間の誰もが、死刑にはならないと感じていた。
少年法の壁があり、どんなに残酷な殺人で、犯人が全く反省などしていなくても、少年である限り、死刑にはできない。
当時の司法の常識はそうであった。
その思惑の通り裁判は進み、山口地方裁判所は死刑ではなく、無期懲役の判決を下した。
そして、他の少年重罪犯罪と同じように、世間の記憶から忘れ去られるかと思われた。
しかし、この事件はある意味ここから始まったとも言える。
被害者の夫であり父親である本村洋氏が、判決後の記者会見でこう挑戦した。
「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」
本村氏は当時23歳、大学生にも見える青年だった。
手をぶるぶると震わせ、怒りをあらわにして殺人予告をした。
この姿を見て世の中の動きが変わりだした。
少年法の改正や裁判員制度は、この日からはじまった。
門田隆将著『なぜ君は絶望と闘えたのか』は、ここから始まる本村氏の闘いの軌跡だ。
この本により、本村氏が難病を抱えていたこと、その克服のため妻、弥生さん(22歳)娘、夕夏ちゃん(11ヶ月)の存在がいかに大きかったかということ、裁判全体が、被害者よりも加害者の人権を守るために勧められていたこと、裁判所内の遺影の持込が拒否されたこと、事件を知り、時の首相である小渕恵三、小泉純一郎が後押ししたことなどを新たに知った。
それから、被告のFの人の心のかけらすら見えない本音。
数々の壁を乗り越えての、最高裁差し戻しによる、控訴審開始。
そして2008年4月22日、死刑判決。
本村氏の9年にわたる闘いは終わった。
橋下徹弁護士(大阪府知事になる前)も批判した、被告弁護団の卑劣ともいえる弁護方針も話題になった。
この『なぜ君は絶望と闘えたのか』がTVドラマになると言う。
WOWOWの放送だから見ることはないかもしれない。
まだ見てないものにコメントはできない。
しかし、TVドラマにしていいのだろうかと思ってしまう。
裁判で採用された、加害者Fが拘置所内の仲間にあてた手紙がある。
<犬がある日かわいい犬と出合った。......そのまま「やっちゃった」、......これはつみでしょうか>
<無期はほぼキマリでして、7年そこそこで地上にひょっこり芽を出す>
<ま、しゃーないですわ今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃーちょーしづいてると、ボクもね、思うとりました。......でも、記事にして、ちーとでも、気分がはれてくれるんのなら好きにしてやりたいし>
<五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、早くでたくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者がでるかも>
これら反省も後悔も無い手紙を読んで、怒りを感じない人がいるのだろうか。
差し戻し控訴審で、「魔界転生」の復活の儀式だのドラえもんがなんとかしてくれるだの言い出した時も、このFと言う男の救いがたい精神を嫌悪したが、こうなると嘔吐感すら覚える。
こんな人間を許していいものか。
一時の感情の話ではない。
僕の立っている足元がぐらついているのだ。
しかし、こんな奴のために悩むのは馬鹿げている。
『許す』と『許さない』の他に、第三の選択肢を探すことにした。
答えが出せない堂々巡りの問題には、第三の方法がある。
『許さないという自分の心を許す』
絶対的な『許す』『許さない』は神様にまかせよう。
答えが出せなければ、神様にゆだねよう。
だから、自分のフォローだけすればいい。
自分の中で葛藤する、許したいけど許せないという感情は許してあげる。
こんなことで、自分を苦しめることはない。
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