《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

2011年03月08日
XML
カテゴリ: 幸せ読書日記
前回と同じく、曽野綾子の過去の作品の中からの箴言を集めたもの。

「いい人」をやめてからの安定の良さを根底にして、楽な生き方を勧めている。

曽野は23歳で文壇デビューを飾ってから、有吉佐和子、原田康子、山崎豊子らとともに「才女時代」などと持ち上げられ、その後30代で不眠症になり"うつ病"を体験した。

うつからの脱出の過程で、「いい人」をやめるという療法を身につけたのだろう。

「いい人」とやめると言うことは、本当にいい人でなくなる訳ではない。

彼女のアフリカでのボランティア活動やハンセン病支援の実績を見れば、いい人をやめていないのは確かである。

自分を「いい人」として縛り付けて、不自由になるのをやめたということだ。

誰の心にも"悪"は住んでいる。

それにもかかわらず、「いい人」ぶって生きることの矛盾に悩むのは、自分を責め苦しめるだけだ。

そういう自責のスパイラルから抜け出る考え方が、「いい人」をやめるということだ。

"偽悪"あるいは"偽愚(?)"に近い態度かもしれないが、見栄を張った虚飾の位置から、自分を落として胡坐をかいてみると、案外楽チンなのは僕も知っている。

よくわからないが、うまく行かない相手とは何もムリをすることはない。どこでもいいから、ウマのあう会社を見つけてそこと仕事をすればいい。

私は一神教のカトリックのくせに、俗世のことは密かに「捨てる神あれば拾う神あり」と思うのが好きだった。これは多神教的思考形態である。すべての人に政党に理解されようと思うと無理が出る。たまたま気心が合う物同士で、どうにか何かをやっていけば、そのうちメデタク終わりがくるのである。   (神様、それをお望みですか)

〔「石の上にも3年」などというが、場合によりけりである。どんな状況でも学習することはできるが、辛い思いが先にたち苦しいばかりなら、さっさと環境を変える道を選んだ方がいい。人は幸せになるために生きている。健康で長生きのためにもストレスフルな環境は避けねばならない〕

私はものの考え方は不純がいいと思う。むしろ小さなことでは不純を許す方がいいと思う。人間には、自分を ( やま ) しく思う部分が必要だ。自分は正しいことしかしてこなかった、と思うような人になったら、周りの者が迷惑する。自分の内面の美学や哲学には不純であってはならないけど、生きていくための方途については誰も理想どおりにはやっていないのだから、その誤差をおおらかに許せる人のほうが好きなのである。   (悲しくて明るい場所)

〔ここ数日、大学入試でインターネット掲示板を使って不正をした事件が、各誌一面トップであった。たかがカンニングに警察を動員してと、大騒ぎである。既成社会が新しいインターネット社会に"怯え"を抱いているゆえの過剰反応なのか。アフリカや中国の社会変革と、根源は一緒かもしれない。ということなら大学というものが、"独裁社会"だったということか?〕

皆が平等に、いっしょに、という発想は不可能なことだ、と思っている。人間にはお互いに馴染めない生き方や考え方をする人というものがある。しかしだからといって相手が邪魔なのではない。お互いに侵さず侵されず、相手の生活をきっちりと幸福に守らなければならない。   (悪と不純のたのしさ)

〔人の付き合いの大事なところは"距離感"である。それぞれの持つ棘とか牙とかが、相手に触れないようにしなければならない。そのためには自分を知り、相手をよく見ることが必要である。危ないと思ったら引くことである。自分の感情を相手にぶつけて得になることは何もない〕

世の中には、良心的で厳密な人ほど神経症にかかります。他人はたぶん自分のことをよく思ってないだろうと思うと、人嫌いになります。失敗や手抜きを自分に許さないと不眠症になります。他人に愛されないことも悲しいことです。しかし自分にとりたてて悪意がないなら、他人の悪意を甘んじてうけるほかはない、とこの頃は思うようになりました。一人の人に憎まれても、別の一人に好きになってもらえる、ということも、世の中にはよくあるのですもの。   (聖書の中の友情論)

〔世界中の人と仲良くなりたいと思うのは勝手だが、それは幻想である。気の置けない数人の仲間と、一応信頼の置ける家族と、適当な距離感の人達との付き合いがあればいい。好き嫌いがあってもまったく普通であり、嫌いな人は避ければいいし、それがままならない時は、接し方の工夫があれば何とかなる〕

人を侮辱する心情というのは、必ずと言っていいほど弱い性格に起因している。つまり自分に引け目があるから威張るのだ。相手をばかにして見せでもしなければ、自分の存在がじつは希薄なのを知っているのである。この力学的原理は、昔から今まで少しもかわらない。   (アレキサンドリア)

〔"いじめ"をする人は、何らかのコンプレックスをカバーするためにそういう行為をする。愚かなことだが、本人は気付いてないことも多い。それを知らしめるには、直接当たるには逆恨みを買うばかりなので、間接的に解らせるのが望ましい。結局、いじめをする本人が、環境を変えることで目覚めてくれるのを待つしかない〕

もし相手が嘘つきなら、私はその嘘から人生を学ぶのです。もし相手が狭量な人なら、私たちは、その狭量さを自分に戒めにできます。もし相手が残忍な人なら、私たちの本能がそれに健全に反応して、その残忍な結果に反応して、その残忍な結果に震え上がり、残忍さの姿を再認識させてくれます。そして私たちが、非常事態の中で我を失いそうになった時にも、最悪の状態では人間を失うことがなくて済むようにしてくれます。それを考えたら、私たちはすべての方に、自分を育てて頂いたことに対してお礼を申しあげる立場にいます。たとえいっとき、その人に恨みを持ったり、嫌悪を感じたりしても、です。   (聖書の中の友情論)

〔反面教師も教師である。人生は毎日が練習問題。学ぼうという意思があれば、際限なく学び続けることができる。何かを求めながら、何かを知りたくて、絶え間ない探求が続く。僕は30歳年長の義父を介護しながら、30年後の自分を見ている。未来の僕は何を思い、自分の生涯に満足できているだろうか。これからの僕に必要なものは何で、いらなくなったものは何か。いつ終わりが来てもいいように覚悟の程はできているつもりだが、来世に向かう旅立ちに忘れ物はないだろうか〕

日本財団から会長にならないかという交渉を受けた時、私は分裂した気分になった。数人の新聞記者が、私に、私がまったく日本財団のような組織の仕事は素人だということをいわせるような誘導尋問をした。「ああ、私はほんとに何も知りませんから」と言うのは、私の好きな怠惰な 台詞 ( せりふ ) なのである。人間、知っていると言ったら後が大変だ。知らないということほど楽な返答はない。しかも新聞記者が、私がこの世界にはまったく無知だという答えを期待しているらしい時には、私は彼らの希望に沿おうかという誘惑を何度か感じたこともある。しかしそれも正確な答えではなかった。

もちろん私はベテランとはとうてい言えなかったが、いつのまにかこうした援助の仕事に関してだけは、素人とも言えなくなりかけていた。

援助のことだけではなかった。これも偶然だが、海事知識についても、私はまったくの素人よりは少しましかもしれなかった。

さらにここ数年の間、私のおかしな趣味の一つは、他のNGO の決算書を読むことだった。

ここまで言ったら、ついでにもう少し言ってしまおう。来年、日本財団が力を入れているハンセン病の会議がインドであるから出席するのはどうか、と言われた時、私は会議は嫌いですから現場の調査に出してください、といつもの身勝手な口調で言ってから、またおかしな気分になった。以前、私はインドのハンセン病院をモデルに『人間の罠』という新聞小説を書いたことがあった。

こんなこともあったから、私は日本財団の仕事をしてもいいかなと思ったのである。思い過ごしも間違いもあろう。しかし「ご縁」がないとは思えなかったのである。

私が一番気楽だったのは、これが私がやりたくてなった立場ではない、ということだ。私は無給で、これが私にとって経済的に得になる仕事でもなかった。

新聞記者の数人は、私がこういう仕事に就いたことで、読者や友達が悪口を言ったり離れて行ったりしないか、という意味のことを言ったので、私はまた少しびっくりした。でももしそれが本当なら、これはすばらしい機会だったのである。今度、私は私のほんとうの友達とそうでなかった人とがわかることになる。でも、私はまだ棄てられたという結果に直面していない。私の友達は、皆おかしな私の性格を、そのまま受け止めていてくれたのである。   (近ごろ好きな言葉)

〔日本財団(日本船舶振興会―競艇の収益金で公益・福祉事業を行っている財団)の会長に、曽野綾子が就任(1995年)したというニュースを聞いたとき、素晴らしい人選だと思った。

♪戸締り用心、火の用心~「一日一善!」のCMでお馴染み、右翼の巨魁・笹川良一が設立した財団の、氏の死去後2代目の会長だった。当時財団周辺の黒い噂が取りざたされ、笹川一族カラーを薄めるための見せ掛け人事だといわれた。もちろんそんな思惑を承知の上で引き受けたことであろう。

曽野は創作の傍ら、カトリック信者としてボランティア活動も長く続けていた。世界中でどこに多く困窮している人々がいるかを知っていた。自分の名が、少しグレーに染まるぐらいでその人たちの援けになるなら、ちっとも痛痒としない。神の導きを感謝したであろう〕

前回、曽野に対する批判に僕の養護はいらないと書いたが、ひとつだけ体験談を。

20年ほど前、沖縄へ建築の会社の社員旅行で行った。バブル期も終わりを告げようとしている時だった。社員同士あまり私的交流もなく、仲もよくなかった会社なので旅行自体に楽しい思い出はない。

場所は定かではないのだが、沖縄戦玉砕の地を見学した時、白装束の老婆がぶつぶつとつぶやくように何かを訴えていた。場所が場所だけに、反戦のメッセージかと思っていると、よく聞くと"集団自決"などなかった、と言うことを淡々と話している。

意味が解らなかった。沖縄の悲劇として日本軍によって、集団自決を強要されたという話が伝えられている。手榴弾を渡されてと、かなりこまかい伝承がなされていたが、それが嘘だとこの老婆は訴えていた。

集団行動の通りすがりの聞きかじりだったので、それ以上のことは解らない。老婆が何のためにそれを続けているのか、本当に伝えたいことはなんだったのか、未だに疑問だが、沖縄集団自決は捏造の可能性があることだけは分かった。

曽野綾子が『ある神話の背景(1973年)』で、渡嘉敷島の集団自決が作られたものだと初めて開示した。島民のインタビューを綿密に重ねたルポルタージュだった。一方、集団自決を強要されたとした『沖縄ノート』の著者が、文壇の大御所大江健三郎だったため、新人作家の曽野に対する圧力が加えられた。

その後の調査で曽野説の正しさは認められ、通説は覆された。「従軍慰安婦」や「南京事件」に通じる、"自虐史観"による歴史の捏造であった。

戦場で、真実を見ている人の数が減っている今、歴史の証人として、その人の言葉で、本当の姿を語って欲しい。ゆがんだ歴史に騙された国民が残ってしまうから。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011年03月09日 05時29分09秒 コメントを書く
[幸せ読書日記] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

WoodyPapa

WoodyPapa

サイド自由欄

設定されていません。

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: