高田明和先生は、1935年生まれ、慶応大学医学部大学院終了、医学博士。ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学第二生理学教授を経て、現在同名誉教授、昭和女子大学客員教授で、近年はテレビ・ラジオや講演で心と体の健康についての啓蒙活動を続けている。
主にうつ病治療の本を執筆している。
うつ病治療の本は何冊も読んだが、高田先生の本はご自身がうつ病で悩まれ、克服した経験から書かれているので、気持ちが通じるし、説得力がある。
心の病は、心の治療をしなければならない。
薬で症状を抑えるだけでは治らないのだ。
本書の副題が「"禅"から学ぶ高田式うつ療法の集大成」となっているように、うつ病の治療に有効な、禅の考え方を述べている。
心の治療に留まらず、心の成長にも役立つと思う。
はじめに
日本人をおそう心の病の代表がうつ病と不安神経症です。とくにうつ病は重度になると自殺を引き起こすので、周囲の人にとっても目の離せない疾患です。
うつ病の原因についてはセロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどの、いわゆるモノアミンという神経伝達物質が減少しているという説が重要視されてきました。その結果、セロトニンなどの量を増やすとされるセロトニン再取り込み阻害薬(SSRI )というような薬が開発され、多くの人に処方されています。
しかし、これらの薬を用いても治らないうつ病の人が、多くいるのです。このような現実から、うつ病が「ものの考え方の病」ではないかという説が重要視され、心を傷つけるような「ゆがめられた」考え方を変えようと言う心理療法、すなわち認知(行動)療法が用いられるようになりました。
しかし、控えめで受身な日本人にとって、自分の「ゆがめられた考え方」を論理的に攻撃して、その間違いを認識させようという認知療法のような思考過程には、ついていけないという場面も多くあります。
仏教、とくに禅では、私たちの心は本来永遠に続くもので、しかも光り輝き、罪などは影もとどめないものだとします。しかし、「欲しい」、「憎い」、「うらやましい」などという妄想、煩悩の雲がこの心の光を覆い、そのために妄想に苦しむのだとします。
このような妄想の雲を抱くのは、過去や未来を考えて自責の念をもったり、まだ来ぬ未来の出来事を心配するからだとするのです。禅の言葉を心に留め、ものごとにとらわれないような考え方をすれば、無理をしなくても妄想の雲は薄くなり、心の光は輝くようになり、その結果、うつのような苦しい心が自然になくなる、とするのです。
このように、心のあり方を変えようとする仏教、禅の考え方は、うつ病の治療として、まさに私たちの性格、習慣に合ったものであり、心の苦しみから本当に私たちを解放してくれるものだと思うようになりました。
うつ病の予防、治療には信仰も必要
釈尊は悟られた時に、私たちは仏と同じ清らかな心をもっており、この心は宇宙を貫くもので、しかも宇宙が始まった前から、宇宙の終末の後まで続くものだと体得されました。このように清らかで、迷いも罪の意識もない心をもっているのに、なぜ私たちは迷い、苦しみ、さらに憎み、恨みを思い、時に悪事を働いてしまうのでしょうか。それは私たちの心が 無明 (根本的無知)に覆われているからだと釈尊は悟りました。
うつ病の予防、治療には薬物、心理療法のほかに信仰が必要だといわれていますが、信仰とは絶対的なものを信じること、さらに絶対者に守られ、救われ、許されることを信ずることです。仏教以外のすべての宗教は絶対者の存在を認め、それを信ずるように説きます。キリスト教はイエスキリスト、さらに天にあられる万能の神を信じることを教え、イスラム教でもアラーの神を信じ、アラーの神はすべてを許すとされます。私は宗教の本質は許しにあると思っています。
うつにならないためには、自責の念をもたないこと
社会が失敗を許さないというようになれば、人は失敗を怖れます。もし失敗すると、自分は将来同じ失敗をするかも知れない、他人は皆失敗しないように見える、このような失敗をする自分はだらしがない、生きる資格もないような人間なのだろうか、と自分を責めることになります。
自責の念が続けば、うつ状態になり、結局、本当のうつ病になってしまいます。実際に、うつ病の症状のもっとも著明なものは自責の念、必要以上と思われる自責の念です。しかし、「必要以上」とは誰が決めるのでしょうか。「そんなことは常識が決める」などといわれるかも知れませんが、人によって判断基準も違いますし、常識も異なります。
リチャード・カールソンは『小さいことにくよくよするな』という本の中で、「父は『過ちを犯すのは人間。これを許すのは神』という言葉がある。しかし、これを『過ちを犯すのは人間。これを許すのも人間』と考えるとよいと教えてくれた。自分はこんなによい言葉を知らない。自分も今まで数々の失敗をしてきた。しかし、その失敗を自分で許すということを覚えて以来、非常に気が楽になり、幸せになった」と書いています。
私はこれほど正しい教えはないのではないかと思っているのです。
うつ病で自責の念が強くなると、自分の心を絶えず傷つけ、最後に心が崩壊して、人間性を失い、植物人間のようになってしまう人もいます。
ですから、自責の念はできるだけ持たないようにし、自分の心を傷つけないようにすることが大切です。
仏教に学ぶうつ克服の知恵
すべての宗教の本質は許しだと確信しています。なぜか、と言えば、絶対者を信じ、罪を許してもらう以外に罪が許される方法はないからです。
では仏教ではどうでしょうか。禅宗の中興の祖である 白隠 禅師 が言われたように「衆生本来仏」なのです。罪などというものはそもそもなく、あっても心から座禅、読経をするなら、今までの罪のすべてが滅ぶというのが釈尊の教えなのです。
本来罪などないのに、これを罪があるとして悩み、苦しむのが迷いで、この迷いを断ち切るには、迷いなどは夢を見ているようなもので、本来の自分の心には迷いも、罪の 穢 れもないのだと気がつくことだと仏教は教えるのです。
自分の心が永遠で、あくまでも清らかなことを信ずる、そして、それに基づいて生きてゆくことが、幸せにいきるために非常に大事だということに気づかされるのです。そして、この無明の雲を薄くし、心の光が現れそれを体現することができるような生き方をすることこそが、うつ病を治す秘訣だと思われるのです。
一つの価値観に固執しない
私たちは白か黒かという考え方にとらわれがちです。つまり、あることで失敗すると、それですべてがダメになり、意味がなくなるという考え方です。現在のような市場原理社会になると、なおのこと勝つことに意味があり、負ければ自分はだめで、将来に希望ももてないという考え方になります。
失敗した人が再度挑戦する機会があり、その失敗を許すような社会の仕組みがあれば、失敗者が成功することもあるでしょう。しかし、一度競争から落伍した人が再度挑戦して成功したというような事実を見せつけられることは、気持ちのよいものではないでしょう。
この人間の 性 を 法句 経 というお経の中で説明しています。
「勝つ者は恨みを受く 負くる者は夜も眠られず 勝つと負くるを離るる者は 寝ても覚めても安らかなり」と説いています。
成功とか失敗などを気にせずに生きよ、などということではありません。今やっていることで成功するとかしないとかで生き方をきめるのではなく、もしだめなら何か別の道はないか、自分の考え方は一つの価値観に固執しすぎていないかを反省してみなさい、そうすれば成功しないような場合でも、それほど自分を苦しめずに生きることができますよ、ということです。
窮すれば変ず、変ずれば通ず
どうしてもうまく行かないような場合には、考え方を変え、方向を変えてみるのです。すると不思議と道が開けるのです。変わらないでもとの生き方に固執しても決して道は開けないということを述べた言葉です。
「これでなくてはだめだ」とか「この生き方しかない」などと考えることは、とらわれです。ひとつの考え方にとらわれているのです、禅では、どのようなことにもとらわれてはいけないとされています。たとえ一見よいことに見えても、それにとらわれてはいけないと厳しく指導しています。
それでも私たちは、何かに固執しがちです。ある人生観、価値観にしがみつきます。じつはそのような価値観、人生観は絶対的なものではなく、あなたの近くの人、両親、兄弟、友人、先生などがあなたに植え込んだものです。
もともとあなたは何の価値観も持たずに生まれてきたのです。あなたの住んでいる社会があなたにその価値観を埋め込んだのです。しかし、その価値観があなたを苦しめ、あなたを不幸にしているなら、その価値観にしがみつく意味はないのです。
失敗した自分を批判しない
ゆがめられた考え方に単純化という考え方があります。これは、何か失敗する、うまく行かないと、これからは何をやってもうまく行かないだろうと思ってしまい、自信を失うことです。
私たちは考えても結論がでないことを考え苦しみがちです。失敗しても次も失敗するとは限りません。失敗するかもしれない、失敗したらどうなるだろうか、などという、実際に起こるかどうか分からない前提に立って、その上にさまざまな前提を積み重ねて結論を出そうとするのです。
結論がでないことを心配しても、しようがないのですから、そのような考えはやめるべきです。
「困ったことは起こらない」と自分に言い聞かす
私は「また失敗するかもしれない」、「もし失敗したらどうしよう」という思いがふっと心をよぎった瞬間に、「困ったことは起こらない」と自分に言い聞かせます。すると不思議に気分が楽になり、心配が薄れるのです。
「そんな言葉を使っても意味がない、その効果に根拠がない」と言われる方もあるかもしれません。しかし、失敗したから次にも失敗するだろうという心配、不安にも根拠がないのです。勝手にそのように考え、思い込んでいるにすぎないのです。
〔まさに僕のブログのテーマの一つである、「ゆるし」がポイントだ。
昨年夏に書いた、ジェラルド・ジャンポルスキーの「ゆるすということ」はこちら
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201008270000/
自分が許せないという苦悩がうつの原因であった。
人を許し、自分を許し、あるがままのすべてを受け入れる。
求めていた心の姿はそこにあった。〕
近藤誠著『「健康不安」に殺されるな』 2023年04月15日
ダニエル社長著『コロナと金』 2022年09月27日
ジェフリー・ケイン著『AI監獄ウイグル』 2022年02月05日
PR
サイド自由欄
カテゴリ
カレンダー
キーワードサーチ