愉快 学者 アレン・クラインは、妻の病気、そして死というつらい体験を通じて、笑いとユーモアの大切さに気づく。
生と死にまつわる医学・哲学・心理学を学ぶと共に、人間の成長という視点から、ユーモアの治癒力をホリスティック・ライフ大学で学び、サンフランシスコ・ホスピスの初代ボランティアの一人となり、カリフォルニア州の訪問介護士となる。
終末期の患者やその家族と接し、そうした人たちがひと時つらさを忘れるのに、また痛みをやわらげるのに、ときとしてユーモアが大変大きな役割を果たしていることがわかった。
もう一つ気づいたことは、ユーモアが死や臨終にまつわる苦悩や遺された者の悲しみさえやわらげるなら、それよりはるかに軽い日常的な悩みや喪失、たとえば試験に落ちただの夕食を焦がしただの、会社をクビになっただのいうときには、これはもう絶対効果があるということだ。
そんなところから、ユーモアに秘められた頼もしい力、すなわち心の傷を癒し、状況を新しい目で見せてくれて困難を乗り越えるのを助けてくれるというすばらしい潜在力を、もっと世間に伝えるべきだと思い、ユーモアの治癒力を研究し、なぜユーモアが苦しい時に役立つ一番の道具なのかについて、書き、教え、話をしている。
以下、ユーモアとは何か、いかなる効能があるかを「笑うとどんな得をするのか」という第1章から紹介する。
不愉快な出来事になにがしかのユーモアを見つけられたなら、そのとき人は大きな絵を見始めている。視野が広がり、後ろを振り返るのではなく、前を見渡すことができるようになっている。暗闇の底にいるときのユーモアは、悲しみとゆううつの不治から浮上しようとしているサインである。この手にふたたび人生をつかみはじめている、そして癒しが起きつつあるというしるしなのだ。
〔客観的に突き放して自分を見られれば、絶望的困難が滑稽な舞台装置に変わる。神様が新しいチャレンジを試しているのかもしれない。どうせやることが決まっているなら、楽しんでやったほうがいい〕
『意味の探求』のなかでヴィクトール・フランクルは第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所でいきのびるのにユーモアを使ったことを語っている。収容所仲間と毎日少なくとも一つはおかしい話を考え出して恐怖と闘ったのだ。あるときは仲間の一人がカポ(模範囚として警備係のような役目をあたえられ、ナチス親衛隊と同じくらい威張っていた)の物真似をしてみせてからこう言った。
「ふん、なんだい、俺はあいつがただの銀行頭取だったころを知っているんだぜ!」
〔アウシュビッツで生きのびたユダヤ人は、ユーモアを持っていた。フランクルは『夜と霧』のなかでこう語る。「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。」〕
私たちが苦しいと感じるときは、出来事そのものが苦しいというより、それを苦しいことだと思うから苦しくなるということが大いにある。つまり苦痛をよぶのは事実そのものではなく、その事実とのつき合い方というわけだ。人生の交通渋滞や自動車事故には誰でも遭うし、思わぬ所でまわり道を強いられることも誰にもあるだろう。けれども、ある人にとっては災難以外の何ものでもないバスの故障が、別の人には、目的地まで歩きながらまわりの景色を楽しむというすばらしい体験になるということは、十分考えられるのだ。
〔悲嘆したところで状況は変わらない。映画『暴力脱獄』のポール・ニューマンは、幾度も捕まりリンチを受けても、また脱獄を続けた。いつも微笑みを絶やさず、困難を楽しむように。イエス・キリストが十字架にかけられたとき、世に伝わる苦悩の表情ではなく、案外にこやかに微笑んでいたような気がする〕
『笑いの向こうに』の著者で精神分析医のマーティン・グローティヤン博士がこう言っている。「ユーモア精神があるということは、人のつらさやみじめさに理解があるということだ......。ユーモアは弱く、もろく、挫折だらけの人間を悲しく受容するところに生まれる。その一方で、笑いは自由を意味している」。ユーモアで実際に問題が解決できるわけではないが、少なくとも笑っているあいだ、私たちは一つの出口を見つけているといえる。恥をかいたのであれ、ちょっとつまづいたのであれ、はたまた大失敗をやらかしたのであれ、そこに何らかのユーモアを見つけ出すことができたら、そのときから私たちは自分をその出来事から解放しはじめ、自由になりはじめるのだ。
〔緊張しなければならない場面で、くつろいでいるのは不謹慎だろうか。スポーツの世界でも、良い結果を残すのはリラックスできた選手だ。緊張は体を硬直させ、頭脳を停滞させる。常日頃のユーモア精神が、ここ一番の場面で勝敗を決す〕
『アメリカ医学協会誌』に掲載された記事でポール・ラスキン博士は、あたりまえのものごとも、ユーモアでちょっと捻ってみることによってまったく違ったものに見えることを具体的な例をあげて説明している。老人心理学的側面について講義をしているとき、博士は学生たちにつぎのようなケースステディを読んで聞かせた。
「その女性は言葉を話すことも、理解することもできない。ときどき何時間もわけのわからないことをブツブツとしゃべりつづける。人、場所、時間の見当識はないが、自分の名前には反応を示す。私がその女性の観察をはじめてから六ヶ月になるが、いまだに自分の身なりに無関心で、みずから身のまわりのことをしようという努力は見られない。食事、入浴、着がえ、すべて人の手に頼っている。歯がなく食べ物は裏ごしして与えなければならない。絶えず流れるよだれのために衣服はべたべたになっている。歩くこともできず、睡眠は不規則。真夜中に目覚め、泣き叫んで他人を起こすこともしばしばである。たいていは機嫌よく愛想がいいが、日に何度かはさしたる理由もなくいらだち、泣き叫ぶので、誰かがなだめにいかなければならない。」
これを読み上げたあとラスキン博士は学生たちに、この人の世話をしてみる気はないかとたずねた。おおかたの学生がとてもそんな気になれないと答えたが、博士は自分なら喜んでやるだろうし、君たちもたぶん同じだろうと言った。学生たちがきょとんとしていると、博士はその女性のものだという一枚の写真をまわした。そこには六ヶ月になる彼の娘が写っていた。
〔人は先入観によって、考えの幅を狭めている。物事を見る目は、常に新鮮であるべきだ。そのためには、ひとつの角度だけでなく、さまざまな仮説を思い浮かべて、可能性を模索するのが良い。それが時には滑稽に思えるときでも、頭脳は確実にリフレッシュされている〕
チャーリー・チャップリンがこう言っている。「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」。対象に近づきすぎるからそのおかしさが見えないという私たちの近眼は、おそらく深刻な現代病の一つである。私たちは日々の暮らしに汲々としすぎ、自分のしていることの滑稽さ、ばかばかしさを一歩身を引いて遠目にながめることを忘れているのである。
〔ロンドンの貧民街に育ったチャップリンが五歳の時、父親はアルコール依存症で死去。母親も精神に異常をきたし施設に収容される。どん底の極貧状態の中で幼少時代を過ごし、その経験の中から、笑いの大切さを学び、ペーソスに富んだ珠玉の喜劇を生み出した〕
以前新聞で読んだある手紙は、一歩離れて違う目で現実を見るのにユーモアがいかに役立つかをよく表していた。こんな手紙だった。
『お父さまお母さまへ
長いことお手紙を書かなくてごめんなさい。寮が全焼して便箋や封筒が全部燃えてしまったものですから。やっと退院したのですが、お医者様によれば全快も間近とのこと。安心してください。それから火事で持ち物が全部焼けてしまったので、わたしを救助してくれた男の子のところへ居候しています。
そうそう、二人とも早く孫の顔が見たいとお思いでしょう。喜んでください。いまわたしのお腹には赤ちゃんがいて、もうすぐ生まれます。
メアリより 』
そしてこんな追伸
『追伸 火事など起きていません。わたしは元気そのものです。もちろん妊娠もしていません。それどころかボーイフレンドさえもいません。
ただフランス語でD、数学と化学でCを取ってしまいました。どうか長い目でみてやってください。それをお願いしたかっただけなのです。 』
〔バットを二本振ってから一本を振ると軽く感じる。不幸な状況は最悪の事態を想定していれば、たいがいそれよりはましである。最悪の事態から少し得た余裕を、ユーモアに振り分ければポジティブに対処できるものだ〕
ケン・キージーの『カッコーの巣の上で』のなかでマーフィーが言った。「ユーモアをなくしたら、立っている足場をなくしたも同じだ」。別の登場人物が言う。「あの男はわかっている、傷ついたらそいつをネタに笑っちまうしかないってことがな。精神のバランスを失いたくなかったら、世間から気違いにされたくなかったら、そうするしかないんだ」
心のバランスを失うことは心身両面の病につながる。強いストレスから生じる身体の病気はたくさんあるし、抑うつや自殺願望もバランス感覚を失うことから生じている。そういう人はまわりが見えなくなっている。自分のことや世間のことを深刻に考えすぎて袋小路に追い込まれ、出口を見失っているのだ。
〔人間の殻の内側は、誰でも同じものだ。殻の外側に出る部分に、それぞれの違いが生まれているにすぎない。違っていることは悪いことではない。それなのに人は人との違いに気を使い過ぎる。表現の違いを楽しめばいいのだ。笑ってしまえば、独立した自我に遭遇できる〕
『サタデーレビュー』誌の元編集長で、のちにUCLA 医学部の准教授となったノーマン・カズンズは笑いで人生が変わったという自身の体験を本に著した。著書の『笑いと治癒力』に報告されたように、笑うこととビタミンC の大量摂取との組み合わせが重症の膠原病を好転させるのに一役買ったのである。「ほんの十分ほど腹をかかえて大笑いしたことによって麻酔的効果が生じ、その後少なくとも二時間は痛みを忘れて眠ることができた」のだ。
カズンズはストレスを放っておくことの病気とのつながりに気づいていた。そして否定的な感情が自分の病気の一因であるとしたら、肯定的な明るい感情は回復を助けるかもしれないと考えた。カズンズは笑うことを「体内のジョギング」と呼んでいる。腹をかかえて大笑いすると、体内のあらゆる系や器官が運動することになるからだ。
〔笑うとなぜ治癒力が増すのか、わからないことも多い。しかし、笑いがガンを退治した例も数多くある。老化を防止するのにも、笑いは有効である。笑いに包まれた環境は楽しいし、微笑んでいれば、幸せになれる。ストレス社会が心身を蝕んでいる。健康と長寿のために、ユーモア精神で大いに笑おうではないか。
黒澤明の『七人の侍』でも、野武士と戦う精鋭の武士を集める中、腕は心もとないがよく冗談を言う林田平八(千秋実)が選ばれた。リーダーの勘兵衛(志村喬)いわく「苦しい時は、あのような男が役に立つ」。
ユーモアは、闘う男にとっても重要な価値を持つ〕
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