落ち葉の物語
作詞:橋本淳 作曲:すぎやまこういち
長い坂道の 落ち葉の丘に
やさしいあの人は すんでいるのです
コートにつつんだ 愛のショコラーテ
暖かいまなざしが 僕を待っています
二人で見つけた ちいさな秘密を信じておくれよ
すてきなすてきな 恋の物語
冬の坂道に 星がこぼれる
美しいこころが 忘れられません
ラ・ラ・ラ・ラ・ラ・・・
二人で見つけた 小さな秘密を信じておくれよ
すてきなすてきな 恋の物語
冬の坂道に 星がこぼれる
美しいこころが 忘れられません
今年から新しいカテゴリーを始めようと思います。
題して『昭和歌謡探訪』。
僕の子供の頃の思い出としてよみがえる、セピア色の楽曲を語りたいと思っています。
昔のことを思い出すのは、"回想法"という心理療法で活用されている、脳にとって良い方法で、若返りにもつながります。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201201270000/
今回は時節柄、グループサウンズの巨星「ザ・タイガース」の『落ち葉の物語』を取り上げます。
なぜ時節柄なのかというと、この曲は「バレンタインデー」を日本に普及させるためのプロジェクトとして誕生したものだからです。
仕掛けたのは、チョコレート会社の大手「明治製菓」。
上記映像でも、ジュリーが女の子に手渡しているのは、「明治デラックスチョコレート」です(女の子から男の子へというルールから外れていますが)。
バレンタインデーの発祥については諸説あり、それ以前から試みとして宣伝していたデパートや製菓会社の記録もありますが、同時代を生きた僕の感想では、断然このザ・タイガース("ザ"をつけることで阪神タイガースとの区別をするのでご注意)を登用した明治製菓のプロジェクトが最も効果的だったと思います。
『落ち葉の物語』は43年に発表された楽曲だったのですが、これはザ・タイガース4枚目のシングルレコード『君だけに愛を』のカップリング曲、つまりB面の曲だったのです。
なのでテレビで歌ったりする映像は流れなかったのですが、当時小学6年生の僕のクラスの女の子達はませていまして、このレコードを買って持っていました。
それでよく歌っていたで、僕も聞き覚えがありました。
テレビで流れていたのは、「♪ラ~ララララ・ラ~ララララ」というフレーズの部分と、「♪チョッコレート・チョッコレート・チョコレートはメ・イ・ジ」という部分のみでした。
この年を境に、日本の風景として2月14日のバレンタインデー、女の子が意中の男の子にチョコレートを贈るという習慣が一般化していくのでした。
でも、その時の僕は、バレンタインデーなるものが、この世にあることすら知りませんでした。
僕のバレンタインデーの思い出はこちら。
http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200702130000/
作曲のすぎやまこういちは、当時人気番組の「ヒットパレード」のプロデューサーをしており、ザ・タイガースのデビューから5作までの楽曲を手がけています。
しかしその音楽は、アメリカ追従の他のグループサウンズから一線を画し、すべて自分が好きなクラシック志向を基本にして、この5作が組曲として聴ける仕組みになっていたのです。
すぎやまは後に、累計6000万本に迫る売上げを果たしたテレビゲーム『ドラゴンクエスト』の音楽をすべて担当しました。
『ドラゴンクエスト』のテーマが“中世騎士物語”風ということで、クラシックベースの楽曲を作り上げました。
その原点はザ・タイガースにあったといえます。
ちなみに、上京してきたこの関西のグループ(当時はファニーズという名前でした)にザ・タイガースと命名したのもすぎやまこういちです。
当時、ビートルズやモンキーズなど動物の名前がはやっていたので、出身が関西と言うこともありタイガースと付けたそうです。
メンバーは皆、巨人ファンだったので嫌がったそうですが。
ザ・タイガースはグループサウンズ衰退に伴い46年に解散、沢田研二と岸辺修三(現・一徳)に加え、スパイダースから井上堯之〈ギター〉大野克夫〈キーボード〉、テンプターズから萩原健一〈ボーカル〉大口宏二〈ドラム〉を加え、スーパーグループ「PYG」として復活をします。
でも結局パッとせずライバルの「ガロ」に人気を奪われますが、ガロのヒット曲『学生街の喫茶店(47年)』はすぎやまこういちの作品でした。
当時フォークソングブームが訪れ、フォークギターとコーラスが主流となっていましたが、『学生街の喫茶店』はクラシックサウンドを基調に、他のフォークグループとはあきらかに違うレベルのグレードを持っていました。
グループサウンズ時代、フォークソング時代、ゲーム音楽時代と様々な波を乗り越えてきたのですが、すぎやまの志向していた音楽はまったく変わっていませんでした。
作詞の橋本淳は、すぎやまこういちの弟子で、このコンビの秀作も数多く残していますが、なんといっても青山大学の後輩でもある日本最大のヒットメーカー筒美京平との作品で幾多の傑作を生みました。
いずれ機会を見てまた紹介することになるでしょう。
ちなみに「PYG」はそれまでグループサウンズを支えてきたファンからまったく支持されず、沢田研二はソロ歌手へ、萩原健一は『太陽にほえろ』で役者として開花、その他のメンバーはその『太陽にほえろ』の音楽を担当し好評を得たことにより「井上堯之バンド」として活躍することになります。
『太陽にほえろ』は・・・、というように回想はどんどんつながって広がっていきます。
それが脳に良いのです。
この時に、時代のイベントとともに自身の思い出もよみがえることで、身体の機能もよみがえり、若返りができるのです。
僕にとっては、この年のバレンタインデーから男女の感情がめざめ、おとなの階段をのぼりはじめて行くのでした。
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