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2008.03.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類



二人で待っていたんだけど、息子は遊びに出て

帰ってこなかったんです。

仕方がないから夫婦二人でケーキにろうそくを灯して

お互いにおめでとうと言い合って、ケーキを食べました。

夜の10時くらいに突然妻が激しい腹痛に襲われ、

救急車を呼ぼうか? と声を掛けたのですが、じっとしてれば

収まるからと、そのまま朝まで背中をさすっていました。

翌日、確か平日ではなかったのですが病院に行き、

救急で見てもらうと、

「奥さん、即入院です! これは…」

医者は言葉が続きませんでした。




そうです、妻は5年前より癌の闘病生活をしていました。




最初は初期の 乳癌 だと言っていました。

外科手術をすれば大丈夫と医者は言っていました。

「何で私なの?」

妻はよくそう言っていました。

突然、ババ抜きのババが回ってきたような

不運を感じていました。

でも彼女はとても強く、自分の運命を受け入れました。




子供がまだ幼かったので、

せめて子供が一人前になるまでは生きたい!

そういう風に思っていたようです。

外科手術が終わって抗がん剤の治療が始まると

当然うつのような精神状態になります。

それを耐えて退院するともう病気は治ったと思うほど

明るく活発な以前の妻に戻りました。

しかし、その 半年後癌が再発したのです。

彼女の母親も同じ乳癌を患いましたが、

再発はしませんでした。

彼女の場合はわずか半年で再発しました。

リンパ腺と肝臓でした。

またつらい闘病生活を送る生活になり、

頭のどこかで死を意識するようになりました。

妻が病気になるまでは

努力すれば報われる、どんなことでも夢に向かって頑張れば

夢は叶う。


…そう思ってがむしゃらに生活していました。

それが、私がこんなに無力だなんて初めて思いました。

私は 何も出来ないんです

妻が助けを求めているのに 何も出来ないんです

激しい自己嫌悪に襲われ、円形脱毛症で後頭部半分くらい

ハゲになりました。

でも、彼女の苦しみのほうが数万倍も苦しかったと思います。

癌はその後もいろんな部位に転移をし、モグラ叩きのような

治療を続けました。医者がそういうんです。

もぐら叩きのようでとても治療できない と…

脳以外は大半の所に転移した感じです。

ちょうど息子が受験を控えていましたが、息子には



「ごめんな、お父さんとお母さんはお前の事を

かまってやれないんだ」




そう言って頭を下げた記憶があります。

でも、妻のおかげで娘も息子もグレずに自慢の子供に

育ってくれました。本当に妻には感謝しています。


医者からすぐに入院するように言われた妻は

残りの時間が少ない事を悟ったようです。

「先生、やらなきゃいけない事があるから

入院は明日の夕方のします。」

「何を言っているんだ! 自分の体をわかっているのか!」

医者の言葉で二人は下を向くしかなかったです。

妻とは結婚してから一緒に仕事をしてきました。

一日中一緒にいました。

だから、本当に 戦友 のような感じかも知れません。

仕事の夢もよく話をしたし、家では子供の事とか

本当に一緒に苦労した戦友かな…

妻には経理を見てもらっていました。

何で病人に仕事をさせるのか?っと思われるでしょうが

私が結婚するまでは経理は私のお袋がしていたんです。

結婚を機に妻にバトンタッチされました。

そして妻が病気になってから、またお袋が経理を

してくれたのです。

そのお袋も病魔に襲われました。

私は頼るところがなく、妻に相談すると

「私がやる!」っと言ってくれたんです。

4年も闘病生活を続けた妻に仕事をさせるのは

抵抗があったのですが、私は甘えてしまいました。


妻はその仕事の残りを仕上げてから入院しました。

2月の10日くらいに医者から妻の余命を聞かされました。



「一ヶ月だと思ってください」



ある程度予想はしていたものの、 絶望感が体を突き抜けました

医者にはコバルトなどの治療をやめてもらい、

体に負担の掛かる治療は中止しました。

今の病院のシステムではどんなときでも治すための

治療しか出来ないんです。

人間らしく生きるための治療は出来ないんです。

終末医療の病院もありますが、

そこを選ぶということは妻の気持ちを思うと

どうしても出来ませんでした。




二人の子供にお母さんの余命を伝えて

なるべくみんなで一緒に過ごす様にしようと

話し合いました。





私と息子は仕事が終わったら病院に行き、

病院に寝泊りしている娘はその間家に帰って

シャワーを浴びる。

面会時間いっぱいまで病院にいて

4人で夜中にひそひそ話しをしたこともあります。

そうして、最後の時が来る事を忘れようとしていました。


その時の事はとてもつらいので書きません。

でも、妻に余命を告知しなかったのは…

自分の中でまだどちらが良かったのかわかりません。

ただ、闘病中に2度、

最初は再発したときに「一緒に死のうか?」

と妻に言いました。

その時は何も言ってくれませんでした。

二度目は亡くなる前の年に同じ事を言いました。

その時妻は、

「そんなことをしたら、子供は誰が見てやるの?」

そう言われて、私は自分の事しか考えてなかったんだと

反省したことがあります。

だから、子供が一人前になるまでは妻の分も

子供達を見てあげようと思っています。

彼女が実の母親に言った中に、

「子供じゃなくて良かった、子供だったら気が狂ってる」

「お父さんでなくて良かった…」


この言葉をあとから聴きました。


そうして、もうひとつ、


「もっと、生きたかった!」

「死にたくない!!」


生きたくても生きられない人がいる事が

とても悲しいです。

だから、生かされている私達は自分の命と人の命を

大切に最後まで精一杯生き抜かないといけないと思います。

私は妻に聞けなかった事があります。

私もいつかは妻のところに行きますが、

なぜかそれが楽しみなんです。

どうしても聞いてみたい事があるんです。

それは


「僕と結婚して良かったか?」


私は彼女を幸せにしてやれたのかな…






3月の8日が彼女の命日で、なんとなく、

気持ちを書き綴って見ようと思いました。







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Last updated  2008.03.13 23:20:04
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