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子供のときは、死ぬことが怖くて怖くてしかたなかった。 でも、ある時あの世から蘇生した人の、話を聞いて、死に対しての恐怖心が消えた、むしろ楽しみにさえ感じている。 別に死にたい訳ではないけど、あの世に行ってみたいという楽しみというか、次の人生が待ちどうしくなっている。 実は現世は、本当の生きる世界へ行くための修行の場。 死んでからが本当の世界。 それを証拠に、この世では辛い事や、悲しい事が多いような気がしない? これこそ人が本当の世界へ行く為の資格をとる為の訓練なんです。 勿論、楽しいこともうれしい事もある、これは人が笑うこと、喜ぶことを忘れないようにするため。 あの世で幸せな暮らしをする為に、たくさん辛い事、悲しい事を経験し、それを乗り越えて 毎日修行を積み重ねていく。 だから、どんなことがあっても、今俺、修行してるぞと思えば、どんな事でも、乗り越えようと思う 辛い事をうきうきしながら・・・ よし! また今日も、すばらしい世界へ一歩近づいた! 但し、自殺はだめ!修行から逃げたりしたら、あの世には行けないよ。
2008年05月12日
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他人にとって、そんなことは苦労でもなんでもない、と言われても、自分自身辛く悲しい事、そしてそれを乗り越えようとした事は、その人にとって苦労なのだろう。 だけど、苦労が多いから、不幸ではない。 むしろ苦労から常に逃げ出すことが、不幸なのだと思う。 スーパープラス思考は、辛い事気持ちから抜け出したいという思いから、いつの間にか見つけた技だった。 何が起きても、最後に「よかった」で締めくくるように心がけるようにした、勿論、無理矢理に。 例えば、誰かにだまされても、「でも、ここで気づいてよかった」 ケガをしても、「これぐらいですんでよかった」 ふられても、「また新しい恋ができてよかった」 上司に怒られても、「俺のこと気にかけていてくれてよかった」 よかった、よかった・・・ 何があっても、最悪の事態を想像し、辛かったけど、ああならなくてよかった って思えれば、乗り越えられた。 そしていつの頃からか、何があってもへこたれない・・・ おバカになってしまいました。
2008年04月29日
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愛し合う二人が、めでたくご結婚。 男にとって結婚は、2人にとってのゴールと感じ、逆に女は、結婚をスタートと感じるようだ。 大恋愛の末、ようやくパートナーと一緒になる事ができたと、安堵感と達成感に酔いしれる 男。 パートナーと永遠の愛を誓い合い、これからの幸せな2人の生活を夢見る 女。 きっと、そんな夫婦が大半だろう。 ゴールを駆け抜け、ふらふらになり 満足感からゆっくり腰を降ろす男、 スタートダッシュで 活き活きと駆け出す女。 結婚を境に、二人の向かう方向が180度変わるケースが 多いようだ。 結婚という人生にとって、3大イベント じっくり考えてからの方がいいかもよ。 家ですか? 家は別パターン。 嫁さんは勿論スタート、俺はゴールして また走り出した でもちょっとだけ、わき道を走ってる。
2008年04月21日
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今の時代、誰もが持ってる携帯電話。 確かに便利にはなったけど、何か大事な物を失ってしまったように思う。 昔は、好きな女の子に電話をするのに、公衆電話で誰が出るのか、どきどきしながら電話をかけたものだ。 親父さんが、不機嫌そうな声で、「どちらさん?」「娘はもう寝ました!」何度電話しても、取り次いでくれない。 学校がある日はいいが、長期の休みになると、もう大変。 なんとか連絡を取りたい一心で、相手の自宅の前にこっそり行って、窓に向かって小石を投げたり、待ち伏せしたり、あの手、この手で苦労して連絡を取ったものだ。 そうやって 苦労して連絡が取れて あらためて自分の相手に対する気持ちの重さを、再確認できたりもした。 ところが今は、直行便 いつでもどこでも連絡は指1本 なんか、簡単すぎてどうなんだろう? さらにメールとなると、自分の決死の気持ちも指1本。 今の若者たち、顔が熱くなるほど誰かに向かって、自分の気持ちを伝えた事ありますか?
2008年04月16日
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最近巷で、いじめ問題が大きな話題になっている。 俺の持論ではあるか゛、いじめは、いじめる方も勿論悪いが 、いじめられる側にも問題がある。 更に、いじめられた子供の親は、学校に対して抗議をする、これが一番の問題だと思う。 俺自身、いじめもしたし、いじめられたこともあった、でも 親や先生には、恥かしくて言わなかった。 うちの息子もいじめにあった、呼びもしないのに、先生がやって来て、必死に言い訳をしている。 いじめられても、たかだか3年間 その都度大人が手助けしてたら、本人がだめになる、これから社会に出て、今以上の時を生きていくのに、大人が子供の歩く道を 均してやる ような事はやめて下さいって、言ってやった。 なぜ自分が いじめられているのか、どうすれば抜け出せるのか、自分で考え、悩み、苦しみ 自分の幸せは、親でなく 自分が見つける力と知恵をつけて行くものだと思う。 これから社会に出れば、もっと救いようのない苦しみにも 向かって行かなくてはいけないんだから。 今、息子は俺の心配をよそに、どんなに人に笑われても、笑って返せる強さを身につけたようだ。
2008年03月07日
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あいさつ・・・ 生きてゆく中で、とっても大事なことだけど、 最近、なんとなく薄くなってきてる気がする。 おはよう!・行ってきます!・こんにちは!・さようなら! ただいま!・いただきます!・ごちそうさま! そして、「ごめんなさい」 と 「ありがとう」 そんなに難しい言葉でもないのにな・・・。 こんな、簡単で大切な言葉、みんなが気持ち良くなる言葉 もっと笑顔で言ってみようよ。 きっと、幸せな気持ちになれるから。
2008年02月14日
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喜-よろこぶ 怒-おこる 哀-かなしむ 楽-わらう、人の感情の四要素。 笑う、泣く、怒る、人はこの3つの表現を、いつの間にか覚えている、そして、これらの表現の使い方を、決して間違うことはない。 ただなぜか、泣くという感情表現だけは、生まれたときから知っている・・・
2008年02月12日
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5月になろうというのに、北海道の朝はまだ風が冷たい、 夜明けを待たず船は函館港を出発した。 海と空と函館山が藍色一色に染められた頃、一人デッキに立ち、まだ静まり返った函館の街を眺めていた。 桟橋の景色、港の景色、やがて24年前学生服で重いカバンを背負い、期待と不安を胸に一人この海を渡った頃の風景が、少し形を変え目の前に広がった。 精米工場の赤と青のひと際目立つ建物、造船所の2台のクレーン、そして函館山はあの頃のままだった。 あの時も、デッキの一番先頭に立って、目の前に広がるこの街で、いったいどんな事が待っているんだろう、あれもしたい、これもしたい・・・ 友達や彼女はできるかな・・・ そんな事を、ずっと考えてた思いは鮮明に覚えてる。 船はあの頃を巻き戻すかのように、その街からどんどん遠ざかって行く、 思えば、こんなにぼんやりとした事は何年もなかったような気がする、 勢いだけで始めたこの旅だけど、すでにこの旅の成功を実感する事ができた。 ただ、あの日の俺は今の自分を、これまでの人生を望んでいたのかという疑問を残したまま・・・。
2008年02月08日
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こんな俺にも夢があった、子供の時から、ずっと思い続けてた夢が、確かにあった。 月日が経ち、年をとるごとに薄れ、そして、いつの間にか見向きもしなくなった。 今を生きる事に精一杯で、先のことが 見えなくなってしまったようだ。 幼い頃からの 夢は 大人になるにつれ、自分自身に、言い訳するように 少しずつ 形を変え、やがて消えてしまった。 できることなら、もう一度 ふりだしにもどって あの夢 追いかけたい・・・ もう一度があるなら、きっと叶えれるのに・・・
2008年02月07日
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俺には、理想の上司の姿がある、20歳の頃、友達の紹介で 某ホテルへ勤めた、そこの当時宿泊課課長(のちに副支配人)が、たまたま関西人だった。 当時 中途半端な俺を、同郷のよしみもあってか、何かと気にかけてくれた。 勿論、毎日のように怒られていたし、夜勤の時は朝まで、色んな事を話してもくれた、腰掛仕事のつもりの俺に、必死でホテルマンのいろはを、叩き込んでくれた。 子供ができて、結婚すると告げた時は、「あほ!」と怒鳴りながらも、ホテルの各部署に掛け合い、人並み以上の 結婚式を作ってくれた。 そして、何よりもいつも俺の楯となり、上役からもかばい続けてくれた、でもその当時の俺は、別になんとも感じてはいない バカ野郎なガキだった。 ある日、辞令が出て 上司は東京に転勤する事になった、 それでも俺にとっては、うるさい人がいなくなる程度の感覚だった。 上司が出発当日、ホテルのロビーで従業員一同で 出発式を行い、盛大に見送っていたが、あいにく俺は、接客中で立ち会うことができなかった。 上司が去った後、先輩が「副支配人あんたに会いたがってたよ」と俺に言い 空港へ行っておいでと言うので 仕方なくでもあり、挨拶ぐらいしとくか程度で、空港にかけつけた。 空港では、非番の社員たちが 上司を見送りに集まっていた、俺はその影でなんとなく上司を見ていた 出発の時間が迫って、みんな別れの挨拶をし、中には涙ぐんでる人までいた。 なんだかその上司に、一言お礼が言わなきゃと思ったその時、上司の方から俺のほうへ近づいてきた、なぜか心配そうな顔をして俺の手を握り、 「大丈夫か・・・ 負けたらあかんで。」と手を強く握り締められた。 負けたらあかん その一言は 重すぎる一言だった 一気に涙が出た、人前で 声を出して泣いてしまった、気がつけば、その上司に抱きついていた。 「負けたらあかん」たったその一言で まちがなく、それからの俺は変わっていった・・・。
2008年02月06日
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ギリシャ神話では、 神様は天界で 1つの魂をこの世に送る時、あえて、その魂を2つ分けて解き放つ。 それぞれの魂は、数日から数年かけ、この世にたどり着く、 そして、その魂は、もともと1つだったもうひとつの魂を 求めさ迷いながら、生きてゆく 出会える事もあれば、一生出合えない事だってある ただ・・・ もう一つの魂にであったかどうかは 誰にもわからない。 もし出会っていたなら、ようやく1つに戻る事ができる そう、夫婦という形で・・・ やっと、一緒になれたねって 本能が感じるはずだ。 今、そばにいる人が もう一人の自分でありますように。
2008年02月04日
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大きな丼飯と沢庵、空腹の限界だった俺には、じゅうぶんだった、空腹の限界と恥ずかしさから、一気に大盛り飯を口の中にかき込んだ。 すると、突然目の前に、人相の悪い、いかにも長距離トラックの運ちゃんとわかる男が、俺をバカにするように笑って 「兄ちゃん!めし、そんだけか」と大きな声で言った。 うつむきながら、うなずく俺に、「ほら!これ食え」と 目の前に大きな皿を差し出した。 それは、乱雑に盛り付けられた、マグロの刺身だった。 その皿を前に ちゅうちょしている俺に「早よ、食わんか!」と 関西弁丸出の口調でで言った。 口調は、荒々しかったが、なぜかあったかい言葉だった、運ちゃんの勢いに押されたのと、予定外のご馳走に、遠慮なく刺身をほうばった、そんな俺を見て運ちゃんは、うれしそうな顔をして俺のことをながめていた。 うまかった、いまだにあの刺身の色や盛り付け、筋の場所まで、しっかり覚えている。 全てたいらげた俺は、運ちゃんに最高の笑顔で「ご馳走様でした!」と礼を言った。 人相の悪い 運ちゃんも またうれしそうに、「おう!」と言った。 -完-
2008年02月02日
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何も食えずに、時間が過ぎた。 水分は有り余るほど補給する事は出来ても、腹が減ってしかたがなかった、たかだか8時間程度の 絶食ではあったが、食えないと思えば思うほど、腹がうなりをあげた。 財布を確認し、今後の支出計画を立ててみた、どう考えても 自由になる金は300円が限界 ガソリン代が優先だった。 我慢の限界が来た、俺は食堂へと向かった、白飯だけでもと、料金表を見た 100円だった、白飯を頼むのに こんなに悩んだのは、多分それが、最初で最後だろう 俺は50円増しの 大飯を頼んだ かなりの贅沢だった。 食堂のおばさんの 顔は見れなかった ご飯を受け取ると 「これもですよ!」と沢庵をくれた、唯一のおかずだった 沢庵ごときに、こんなに感動したのも、最初で最後であろう。 つづく (次回感動の最終話)
2008年02月01日
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先輩から車を買って、初めて航路での 里帰りだった、 小樽の港で乗船券を買った、買ったはいいが懐があまりにも寂しい事に気づいた。 まだその頃、親のすねかじりだった俺は、実家へ電話しようと、公衆電話を探していた。 3千円じゃ31時間の船旅、心細すぎる。 しかし、数分後、絶望的な旅が始まるとは夢にも思わず・・・ 誰が決めたか 銀行が土曜休みを取るなんて 知らなかった。 この軍資金でどうやって 旅が出来るんだ・・・ 食費、ガソリン代、手ぶらで帰るのも心苦しい、ビールくらい飲みたいし、せっかくの船旅が台無しになった。 つづく (感動のラストまでしばらくお待ち下さい)
2008年01月31日
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他人にとって、そんなことは苦労でもなんでもない、と言われても、自分自身辛く悲しい事、そしてそれを乗り越えようとした事は、その人にとって苦労なのだろう。 だけど、苦労が多いから、不幸ではない。 むしろ苦労から常に逃げ出すことが、不幸なのだと思う。 スーパープラス思考は、辛い気持ちから抜け出したいという思いから、いつの間にか見つけた技だった。 何が起きても、最後に「よかった」で締めくくるように心がけるようにした、勿論、無理矢理に。 例えば、誰かにだまされても、「でも、ここで気づいてよかった」 ケガをしても、「これぐらいですんでよかった」 ふられても、「また新しい恋ができてよかった」 上司に怒られても、「俺のこと気にかけていてくれてよかった」 よかった、よかった・・・ 何があっても、最悪の事態を想像し、辛かったけど、ああならなくてよかった って思えれば、乗り越えられた。 そしていつの頃からか、何があってもへこたれない・・・ おバカになってしまいました。
2008年01月30日
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子を持つ親にとって、3つの かんしょう の時期がある。 幼年期 何をしていてもかわいくて、いつまでもずっと見ていたいと思う 観賞(かんしょう)期 少年期 何かと行動が気になって仕方がない、過ちを犯さないか、へんな道に進まないかと心配な 干渉(かんしょう)期 そして青年期 子供たちは親からどんどん離れていく、昔の子供との思い出だけが残る 感傷(かんしょう)期 親って大変だ・・・
2008年01月29日
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天気が悪いと何か憂鬱になる、きっとみんなもそうだろう、それは、快晴の日の爽快感を知ってるから。 でも、晴れてばっかりだと、多分困る事もあるはず、 雨ばかりでも、困るだろう。 バランスが取れるように、うまく成り立っている。 生きていても、天気のように、いい日もあったり、悪い日もあったり・・・ 多分、うれしい事半分、悲しい事半分。 悲しみを沢山経験したら、必ず沢山の幸せが来る、悲しみは、喜びの前座だと思えば、乗り越えられる。 だから、 みにくいあひるの子は、白鳥になった・・・
2008年01月28日
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黙っていてもわかってくれる。 見る人は、ちゃんと見てる。 目は口ほどにものを言い・・・。言葉に出さなくても、気持は伝わるとよく言うけど他人に関心を持たなくなったご時世、やっぱり言葉で伝えなきゃわかってもらえない時代なのかと思います。 空を見上げている人を、遠く離れた場所から いくら心の中で叫んでみても、振り向いてはくれない ・・・声を出して呼べば、きっと振り向いてくれる。 照れや、プライドや、思い込みで黙っていても、 きっと先には進まないのかもしれない、わかってもらえないのかもしれない・・・ 寂しいけど、言葉でちゃんと伝えなきゃ。
2008年01月27日
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かぜをひいたら、薬を飲んだり、医者にかかったり 直す方法は、今の時代いくらでもある。 でも、心がかぜをひいたら・・・ それを治す特効薬はないだろう、どんな名医でも、学者でも治せない。 ただ、抵抗力は必ずついてくる、心がかぜをひいても すこしは、微笑む事もできるだろう 予防しないで、どんどんかぜひこう きっと今よりもっと強くなれる、そしてやさしくなれる 心がかぜをひいたら・・・ あったかい言葉をもらって、歌でも聴いて、ゆっくり寝れば、 そのうち優しい気持ちになってるものです。
2008年01月26日
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20歳の時だった、心の中が相当な重症で、今の世界から 逃げ出したくなっていた。 そしてたどり着いたところが、かもめ島という小さな島の上だった。 その島の断崖絶壁の間際に腰を下ろし、じっと海をにらみつけるように見ていた。 別にそこから身を投げるなどと考えていたわけではなく、 ただ、静かに一人でいたかった。 その日は、11月の下旬なのに、春のような心地よい風が吹き、波も穏やかで、太陽は精一杯輝く なんの欠点もない最高の天気だった。 かなりの時間太陽を見ていた 行き交う船が、時を折り光をさえぎる事もあったが、その光は海を伝いまっすぐこちらへと伸びていた、まるで俺ひとりを照らすように・・・ 1時間、2時間、3時間・・・ 時間とともに沈む太陽 しかし、俺が目を離さない限り、向こうも光の帯をそらそうとはしない、 ほんのすこし歩いてみた、そして、また腰を下ろし、そいつをにらみつけた・・・ 不思議だった、またそいつの光の帯が、そこでもまっすぐに俺に向かって伸びていた、どこへ行っても追いかけてくる光の帯 それは、これからどうすればいいんだろうと、もがき苦しんでる俺に、「大丈夫、みんなちゃんと見てるから」 というそいつからのメッセージに感じた、 その日、そいつがいなくなるまで、そこに居座り、そいつを見送ってやった。 そいつが帰ったあと、すこし吹っ切れたようで、どうにかなるさ、なんとかなるさ なんか 妙にいい気分で島を離れ 急いでアパートを目指した。 あれから20年余り いまだ奴は、あきもしないで、 朝になるとやってくる・・・
2008年01月26日
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