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ハッピー0310

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みこ5825 @ Re:☆フレンチ~マカオ旅行☆(07/12) お元気ですか?お久しぶりです 旅行、楽し…
ハッピー0310 @ Re[1]:☆フレンチ~マカオ旅行☆(07/12) 玲央菜さん >こんにちは!! > >ハッ…
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2009年09月28日
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ハート こんばんは!ルミルミです ハート

久々の更新ですウィンク

両親を連れて紀州南部ロイヤルホテルに2泊してきました

最近は月・火曜日にお休みをとっているので、

どこに行くのも安いです~ウィンク

温泉にゆっくりつかってお昼はトレトレ市場に行って

大きな伊勢海老(高かったです)を

御造りと頭はバーべキューにぺろり

ここは市場で買ってバーべキューができるような

施設があります

久々にメッチャ美味しかったです
ぺろり



星SOUL ROOM星

~体験~

 私達は、自分自身の魂というスタンプカードに

経験から得た叡智を記録させることで、

自分自身を作り上げています。

そしてその過程で重要なことが、経験(体験)するということなのです。

個別的な体験というものは、いわゆる普通でいうところの体験なのです。

例えば、仲間はずれにされたことが無いと、

その時にどのような気分になるのかということは



それがどういうものなのかはわからないのです。

 さて、基本的な感情や体験について、

それを終わらせたかどうかと言うことは、

先ほど書いた魂というスタンプカードに記録されるのですが、

それが上手く出来ないと、同じ体験をいつまでも続ける

ということに成ってしまうのです。

同じ体験を何度も繰り返すというケースの場合は、

感情的理解がされていない為に、なんども同じような現実を

自分の周りに作り出してしまうということなのです。

では、なぜ感情的理解が出来なくなってしまうのでしょうか。

いくつかの原因がありますが、基本的には表面の意識が



 「べき論」というのも、その障害になります。

例えば「べき論」の強い人が「人生で失敗などは許されない」

と考えていたとします。そういう人は、

自分の失敗に分類されるような体験があったとしても、

それを素直には認めるようなことはしません。



心の中でいろいろと理由を作ってその体験を

捻じ曲げてしまうのです。それがごく些細な失敗を

含んだ教訓であっても、失敗自体を避けているのですから、

その体験を直視しないで無視してしまうのです。

その結果どうなるかはわかりますよね。

その時の経験は感情的に翻訳されること無く、

無駄になってしまうのです。それはその人が

自分の成長のチャンスを見逃したということであり、

同じテーマの体験をその意味に気づくまで

繰り返さなければ成らないという意味でもあるのです。

 まだ他にもあります。何でも他人のせいにする場合です。

言い方を変えると自分が被害者だと考えている場合なのです。

霊的な現実においては、自分自身の身の回りに起こる

全てのことは自分自身が何らかのエネルギーで

引き寄せているものなのです。

体験という出来事も当然のことながら、

自分自身が自分自身のために引き寄せているのです。

これはわかりますよね。それは自分に起こったことの

全ての責任は自分自身にあるということなのです。

くどいですがもう一度書きます。

表の意識では認識していなくても、自分自身が

その体験を必要としているから、

その出来事が起こっているのです。だから、

自分は被害者で自分自身には何の責任も無いと

考えているということ自体が問題なのです。

それは何かの出来事の結果を感情的に理解する前に、

怒りや同情を求める気持ちに変えてしまうのです。

それでは感情的な理解として体験を終了させる

暇など無くなってしまうのです。

悪いことに、自分に責任があるとは思いたくないようなこととは

自分にとって好ましくない現実であることがほとんどです。

本当はその様な体験ほど早く済ましてしまって

他のもっと楽しい体験をしたいところなのですが、

結果は逆になってしまうのです。

(感情的理解という)最後まで体験しなかったので、

その必要な体験はまだ終了していないのです。

このような場合どうしたら良いかというと、

失敗を味わってしまえば良いのです。

すごく悲しいかも知れません。つらいかも知れません。

でも一度それをしてしまうと、それは魂に記録されて

もう同じ事を体験する必要はなくなるのです。

そしてその記憶が叡智となってその人を大きくするのです。

「我に困難を与えよ」と言った人がいました。

それはそういうことを踏まえてのことなのです。

 実は感情的理解と叡智とでは、

そのレベルにおいて違いがあります。

そのこと少し説明します。争いという観点で考えてみましょう。

争いとはなにかは、いちど争ってみれば判ります。

どのような事を争いというのかは、いくつかの種類の

争いを実際に体験することによって

感情的な理解に達することが出来ます。

さて争いというものがどのようなことかは分っても

まだそれだけでは終了にはならないのです。

それは争いというものがいかに不毛で、

双方を傷つけるもので在るのか、

争いが最終的にもたらすものとは何なのか、

そして争いをつうじては勝者などはどこにも

存在し得ないということを、何度も争い続けながら

体験的に感情的な理解を積み重ねたうえで、

はじめて「どんな理由であろうと、争いごとは好ましくない」

という叡智として記録されることになるのです。

 今、戦争をやっている人たちはどうでしょうか?

生活の為だと言いながら、争いを続けている人はどうでしょうか?

簡単に言ってしまえば、まだ争いごとの体験の途中なのです。

なぜなら、自分の主張を通す為なら争うことは

正当なことだと考えているのですから。

その様に考えている限り、争いは続くのです。

当たり前ですよね。止めようとは思っていないのですから。

そしてその人たちは叡智として記録されるまで、

続けるのです。問題は、欲に目がくらんでいたり、

「べき論」で考えていたり、他人に責任を押し付けて怒っていたら

それを叡智として完了することが出来ないのです。

補足しておきます。私は加害者のことばかりを

言っているわけではありません。

被害者も基本的には同じなのです。

被害者の体験も加害者の体験と

本質的には同じエネルギーなのですから。

 感情的理解というものも、

ある程度の段階があるということは理解できますよね

私達に起こってくる全ての体験は、

感情的な理解を積み重ねて、

知っている状態にもって行くためにあるのです。

そして、その人が何を知っているのかということが、

その時点でのその人をあらわしているのです。

 体験というものは、普通に生活していれば

自然に自分におとずれてきます。大事なのは、

それを自分の体験として

感情的な理解にしてしまうかどうかと言うことなのです。

それは、あるがままに生き、人生を楽しむ、

という心構えでいることで、

感情的理解が効率よく行えることだと思います。

いろいろな欲や必要性という幻想にとらわれていたり、

べき論や被害者意識は障害になってしまうのです。

 どんな体験でも、楽しんでください。







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Last updated  2009年09月28日 22時02分57秒
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