Body and Soul

Body and Soul


俺は、煙草を吸う女が嫌いだ。
新しいベーシストが来るとは聞いていたけど、女だとは思わなかった。
「よろしく」とすぼめた口から細い煙を吐いたあと、女は言った。
ピアノのケンさんは、白いあごひげをいじりながら、
今にもふきだしそうな顔で俺たちを見ている。
俺は、黙ってシンバルを取り出し、ドラムのセッティングを始めた。

この店にはジャズを聴きに来る客はいない。
テーブルについた男たちは、横の女を口説くのに必死だ。
ときおり女たちが演奏する俺たちに視線を送るが、
まるで俺の後ろのヤニが染み付いた壁を見ているような遠い目をしている。
ケンさんはこの店ができた時からここでピアノを弾いている。
俺は、五年前にこの街に来た。ドラムを叩けるのはこの店しかなかった。

ベースの女は、腰まで届く髪にバンダナを巻いていた。
薄汚れたジーンズに化粧気のない顔でケンさんに尋ねた。
「あたしにソロとらしてくんない?」
誰でも聞いたことがあるスタンダードナンバーしかこの店では演らない。
ソロは、ケンさんが二コーラス取るくらいだ。
拍手をもらうことはほとんどない。
まして、ベースソロなんてここでは誰も聞いてくれない。
「どうせ聞いてないんなら、やってもいいでしょ」
チューニングしながら、女は言った。
ケンさんは大笑いした。

時間になっても、客は一組しかいなかった。若いカップルだ。
ケンさんに促され、俺たちは演奏を始めることにした。
客の若い男がベースの女をちらと見て、また話に戻っていった。
一曲目は「Body and Soul」。この店の名だ。
オープンした時から、この曲で夜が始まる。
ケンさんが爪を鳴らし、カウントを始めた。

とぅう、すりぃぃ、ふぉあ、んん、とぅう、すりぃい、ふぉあ!

速い!いつもの三倍のテンポだ!
俺はケンさんを見る。
ちょっと目が合ったが、涼しい顔でイントロのフレーズを弾いている。
俺のシンバルを合図に、女のベースがつんのめりそうになりながら絡んで来る。
マスターも、客もびっくりして俺たちを見ていた。

いつもよりアグレッシブなケンさんのソロが終わりかけた頃、
ケンさんが俺にウインクした。
俺は思い切りシンバルを叩き、めったにやらないドラムソロに突っこんでいく。
胸がちりちりと疼き、体中が痺れで満たされていく。
悔しいけれど、忘れていた。
初めてセッションに飛び入りしたときのあの感覚だ。

ベースの女が俺を見ている。「あたしにソロを渡して」と言っている。
俺はスローダウンし、元のテンポに戻し、女に頷いてみせた。
急に時が止まった。
地の底から湧きあがってくるような低音のフレーズに、
女は鼻声ともうなり声ともつかない声をユニゾンで重ねる。
音と音が絡まりあい、うねりとなって俺の全身の毛穴から沁みこんでくる。
女のソロは三コーラス目に達していた。

軽くハイハットを叩き、俺は女のソロの中に入っていった。
女の潤んだ瞳を見た。
衝動的に俺はシンバルを叩き、三倍のテンポで走り出した。
ベースはすぐについて来た。
俺はテンポを四倍にし、さらに走った。女が歯を見せる。
このままどこまでも突っ走っていきたかった。
ケンさんのピアノが遠慮がちにコードを刻んでくる。
とても遠い音に聞こえた。
今、女のベースは俺の心臓を掴んでいる。
俺のドラムも女の心臓を捉えていることを知っている。
俺たちは、今、ひとつだ。身も心も。


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